第42話 もう一人の帰還者 -Another Hero-

・1・


 検査衣姿の少年・皆城かいじょうタカオは鋼の拳を突き出しながら、今しがた自分が殴り飛ばした男を見据える。

「で、どういう状況だお嬢ちゃん? 殴って……よかったんだよな?」

 正直、タカオにはどっちが悪いとか全然わかっていなかった。ただ自分の直感を信じただけだ。

「……あいつ、悪い奴」

 イスカは首を縦に振った。

「ま、そうだよな」

 自分の直感が間違っていなかったことに満足したタカオは、再び両手を肩の高さまで上げ、構えをとる。


 フラフラと、タガートは不気味に立ち上がった。まるで糸の絡まった操り人形のようだ。

「チッ……思いっきり殴りやがって。この体は大事なんだっての」

 タガートは口に溜まった血を吐き捨てながら言った。

 さっきの一撃をまともに喰らって口元から血を流す程度で済んでいるところを見ても、やはりただ者ではない。タカオは瞬時にそう判断する。

 その上で、退くことなく言葉を放つ。

「次はさっきの比じゃないくらいスッゲーのをお見舞いしてやるよ」

「ボロクソにやられた負け犬の分際で……調子に乗るなよ小僧」

「はっ! その負け犬にぶっ飛ばされたのをもう忘れたのか? おっさん」

「……殺す」

 タガートのこめかみに青筋が立つ。彼は瞬時に腰にしまっていた拳銃を構え三発、タカオに向って撃った。

「うおッ!!」

 最初の二発は右腕を硬化させガード。しかし最後の一発は右足を掠った。

「……いッ!」

 せっかく再生治療で治った体から血が飛び散る。

「いッ! てっめぇ……ッ! せっかくのおニューの体だぞ!」

「人のこと言えんのかクソがッ!」


 互いに罵詈雑言を浴びせる中、もう一人の少女はタガートの視界外を走る。


 彼女はタガートの発砲とほぼ同時に動いていた。

「ッ!!」

 瞬時に彼の真横をとったイスカは、加速分を乗せた最高速の一撃を放つ。

「舐めるなよクソガキどもがァァ!!」

 タガートはそれを受け流して、少女の体を反対方向に投げ飛ばそうとした。これだけのスピードを殺さず、何倍にもして返すのだ。壁に叩きつけられれば車に弾かれる程度の衝撃なんかでは済まない。下手をすれば人の体なんて簡単にぐちゃぐちゃになるだろう。

 しかし、タカオはそれを許さない。彼の右腕から繰り出される手刀がタガートの体軸を的確に抉る。

「チッ……」

 イスカは掴まれていた腕が緩むのを感じると、中途半端に終わったタガートの投げを抜け出し、彼の右腕に両足を絡めて思いっきり捩じった。肩を破壊し、バキバキバキッと腕の骨が砕ける音が響く。あっという間に彼の腕は現代アートのオブジェのような奇抜な形に折れ曲がってしまった。

「……こ、の……はッ!?」

 猛烈な闘気を感じた。


「……破龍の左腕シニス・ディアボロス


 よろつき、がら空きになったタガートの懐に入り込んだタカオは、龍の腕に変化させた左腕で最大の一撃をその体に叩きこむ。

 音はなく、空気がどよめき、一瞬遅れて男の体はロケットのように弾かれた。

「ぐああああああああああああ!!」

 そのあまりの威力にタガートの体は壁にめり込み、そのまま動かなくなった。



「……ちょっと、やりすぎたか?」

「……これくらいで丁度いい」

 とどめを刺した当事者の言葉にイスカはそう言い切った。

「ところでお嬢ちゃん、今がどういう状況かわかるか?」

「……こっちのセリフ。というか……誰?」

「?」

 二人は揃って首を傾げた。


 タカオは自己紹介を手早く済ませ、情報をまとめる。

 イスカの話によれば、ここはエクスピア・コーポレーションで、彼女はここで一ヶ月ほど監禁されていたらしい。

 かくいう自分も似たようなものだ。何で生きているのか不思議なくらいだが、どうやら再生治療用のポッドに入れられていたらしく、ついさっき大きな音で目が覚めたかと思うと全裸で床に投げ出されていた。

(……あれから少なくとも一ヶ月は経ってんのか)

 タガートが「負け犬」と言っていたように、確かにあの日、病院の外でタカオはシンジという男に完膚なきまでに敗北した。

 腕輪の性能。魔法の優劣。それ以上にあの目だ。あれは飢えた獣の目だった。

 力に対してどこまでも貪欲で、奪うことにさしたる理由はない。

 人間じゃないと思った。あの時タカオは一瞬、戦いの中で恐怖したのだ。

(……情けねぇ)

 タカオは額に手を当てて唸る。そんな腰が引けた状態で勝てるわけがない。

 ふと、タカオは意識が途切れる前、最後に視界に入ったミズキを思い出す。

(ミズキ……あいつ、結構無茶するからなぁ。まぁ、ガイがいれば大丈夫だと思うが……)

 もし本人が聞いたら、逆に手ひどいツッコミを入れられるのが目に浮かび、タカオは微笑する。


 とりあえず――


「ま、ここにいたって仕方ねぇ。とりあえず上に上がろう。考えるのはそれからだ」

 唐突にタカオは人差し指を上に立ててそう提案した。

「上に何かあるの?」

「さぁな。行ってみればわかんだろ」

 ここで大人しく頭を捻って考えても、状況がわかるわけでもない。行き当たりばったりではあるが、それ以外に方法がない。

「……ん」

 イスカはこくんと一度首を縦に振って、そのお先真っ暗案に乗った。


・2・


 タカオとイスカが去ったあと、ウィリアム・タガートはゆっくりと立ち上がった。

「……クソが……普通の人間相手にここまでやるかねぇ」

 右腕はいっそ笑いが込み上げるくらい不自然に折れ曲がり、全身からおびただしい出血をしている。あばらが折れ、肺や心臓に突き刺さっているのだろう。息を吐けば噴水のように血が噴き出す。まともに機能している箇所はほとんどなく、生きているのが不思議なくらいだ。


 しかし、彼にとってそんなことはさして問題ではなかった。


(やっぱこの体じゃダメか……)

 体はただの器にすぎない。

 本来タガート――カグラとは伊弉冉の中に住まう精神体。伊弉冉の作り出す世界の中では神を名乗っても名前負けしないだろう。しかしこの世界だけは例外だ。

 この仮初の体はカグラをこの世界で一登場人物たらしめるためのデバイス。祝伊紗那が作り出した理想の世界に入り込むために、伊弉冉を知る彼だからこそできた裏技のようなものだった。


(これは……本格的にあの妖刀ちゃんを取り返さねぇとやりづれぇな……あのぶっ壊れ女も、ちっとは俺の代わりに働いてくれると思って放置していたが……案外、使えねぇし。何よりこの俺が、あんなガキどもに後れを取るとかありえねぇ……)


「ゴプッ……!」

 タガートの体が大量の血を吐いた。そろそろ限界だ。血を流しすぎた。

 体を失ってしまったら、この世界に直接干渉ができなくなる。ここはあくまで祝伊紗那の望んだ世界。今までのようにカグラが作った世界とは勝手が違う。

(つっても、他に使える体って言ったら……)

 すると、カグラの動きが急にピタリと止まった。やがて不規則に痙攣し始めた。



「ク……ククク……イヒヒ……ヒャハハハハハハハハハハハハハ!!」



 痛みなんか吹っ飛んでいた。

 体から不気味な音が鳴るのもお構いなしに、カグラは狂ったように笑い始めた。たまたま視線の先に都合よくが落ちていれば当然だ。


「どうやら俺は相当神様ってやつに愛されてるみてぇだなぁ!! ……あぁ、ここだと伊弉冉さまかぁ? ま何でもいい。何だ、あるじゃねえか! おあつらえ向きに丁度いいのがわんさかとよォ!!」


 男は手近にあった等身大のカプセルに、血でべっとりと汚れた手を叩きつけた。


・3・


「はぁ……はぁ……ッ!!」

 賽鐘ミズキは息を切らしながら、壁に手をついた。タカオのいなくなった医療室から、一切止まることなく走り続けたせいだ。


 ゆっくりと深呼吸をする。


 あのタカオばかのことだ。特に深く考えもせず、とりあえず上を目指すだろうと予想して、ミズキもとにかく階段を駆け上がり、一つ一つフロアを魔法を使って探索する。

 こんな状況で不謹慎と思われるかもしれないが、実際ミズキの足はずいぶんと軽くなっていた。高揚感すらある。


(……あいつが……目を覚ました……)


 ただそのためだけに。恥も外聞もない。例え一度は敵対したレーシャにみっともなく泣きつくことになっても、タカオを治療するための力が必要だった。

 彼女は文字通り、その全てを捧げてきたのだ。

 だから嬉しくないはずがない。

 しかし、


「タカオ……どこ行ったぁッ!!」


 全然見つからない。ミズキはたまらず大声で彼の名を呼んだ。

 本来ならミズキの魔法を使えば、タカオの魔力を感知して現在地を特定することは朝飯前だ。しかしこの場所、エクスピア・コーポレーションだけは例外だった。

 無数に張り巡らされた理解不能な障壁。神凪夜白がここに進行してくる対魔獣用に構築した感覚阻害関係の罠の一つだろうが、これがミズキの魔法に干渉して、感知範囲を大きく制限している。今の彼女に感知可能な範囲は、せいぜいワンフロアといったところだった。

 それでもエレベーターが使えれば、スキャナーのようにワンフロアごとに調べることができて楽なのだが、この非常時だ。エレベーターは止まっている。だから必然的に階段を使うしかない。

 しかし軽く40階はある建物だ。地下も合わせればさらにあるだろう。


(くそっ……これじゃ埒が明かない!)


 ミズキの中でだんだん心配を通り越して、怒りが込み上げてきた。自分がこんなに頑張っているのに、あの男は何故ジッとしていられないのかと。

(とりあえず、見つけたら一発ぶん殴る。じゃないと私の寿命が縮む)


 ミズキが十回目のフロア探知を始めたその時、数メートル先で大きな音を立てて天井が崩れた。

「何!?」

 一瞬で視界を瓦礫によって発生した煙が埋め尽くした。何かが上から落ちてきたようだ。

 煙の向こうで、その何かが起き上がる。

「ッ!!」


 魔獣ブルーメだ。


(噓でしょ……こんなところまでッ)

 全長約3メートル。鋭い爪に長い手足。コウモリに似た外見のその魔獣は、大きく両翼を広げてミズキの行く手を阻む。獲物を見つけて喜んでいるのか、獣のような目を一層ギラギラと光らせ、コウモリ型魔獣はミズキの目の前で雄叫びを上げた。


「このッ……邪魔!!」


 ミズキは以前、分界で小型の魔獣ヘルに使った自分の感情を相手に上書きし、一時的に操る相違知覚アナザー・センスの応用を使った。

(……これで大人しく……なっ!?)

 しかし、魔獣は大人しくなるどころか丸太のような尻尾を振り、ミズキの体を弾き飛ばした。

「ッ……がはッ!!」

 ゴロゴロと床を転がり統べるミズキ。骨は折れていないが、床に散らばった細かい石で体中擦り傷だらけになる。それ以上に、脇腹や肩にズキズキとした痛みが駆け巡る。

(……わ、たしより、強い何かで……統制されてる……?)

 パソコンで言えば管理者権限に近い。ミズキより上位の何かがこの魔獣を操っている。そのせいで下位である彼女の上書きが適応されないのだ。

 上位の存在。考えられるのはネフィリムくらいだろう。


「ギギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!」


 ミズキの全身が震えあがった。それが魔獣の鳴き声のせいでないことは自分が一番よくわかる。

 これは、恐怖だ。

 実際ミズキに戦う術はほとんどない。例え魔法使いであろうと、彼女は戦闘に関しては無力だ。

(……タカオ!)

 思わず目を塞いだ。その時――



「……喚くな」



 声が響いた。

 直後、魔獣の顔面付近で連続して爆発が起きる。

 魔獣は絶叫し、態勢を崩して仰向けに倒れてしまった。


『そうだぞー。お前ら魔獣が泣いたって全然可愛くないんだぞー』

「お前に言ったんだ。高山篝たかやまかがり。黙って役目を果たせ」

『は? 私!? 何で私!?』


 背後から足音が聞こえる。カツカツと人間の足音が

 しかし……主に女性の声の方はキィキィ文句を垂れ流していた。


『ちょっとあんた! 私のおかげで戦えてるのにそれはなくない? もっと敬いなさいよ私のこと!』

「ハイハイスゴイスゴイ」

『フフーン♪ わかればいいのよ。わかったついでにここのメモリー増築して? ちょっと狭いし』

「調子に乗るな。今度こそ微塵も残らず消すぞ」

『ケチー!!』


(……この声)

 どこかで聞いたことのある声。

 ミズキは恐る恐る後ろを振り返った。そして目を疑った。

「……あんた……なん、で……」

 彼女はその男の名を口にする。


「……………………神座凌駕かむくらりょうがッ!!」


「久しいな。賽鐘ミズキ」


 かつて敵として戦った少年がそこに立っていた。

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