第41話 蘇る拳 -Re:Act-

・1・


「えい」

 先ほどの大きな衝撃で軋んだ電子ロック付きの檻を、イスカは何の気なしに軽く息を吐いて、鋭い蹴りを入れた。

 当然、普通の少女の蹴りで破壊できる代物ではないが、彼女であれば話は別だ。


 イスカは両手を開いたり閉じたり。片足で立ったまま、もう片方の足を曲げるなど軽くストレッチをして、自分の体の状態をチェックする。

「ん。よし」

 もうあの何とも言えない痺れたような感覚はない。問題なく本来の怪力を振るえる。

 この室内にはイスカを閉じ込めるために、彼女の体内にあるナノマシンを阻害する特殊な電波が張り巡らされていた。

 この手の妨害電波に弱いという点も、彼女が受けていた人体強化エクステンデット研究が頓挫した原因の一つだ。実際、もっと出力を強くしていれば思考阻害までできたはずだが、冬馬の配慮なのか、檻の中でも普通に動く程度は問題なかった。

「……ん」

 イスカは足元の柵を足でさらに踏み壊し、その中から手ごろな鉄の棒を一つ選ぶ。

「私の武器……ないからこれでいいや」

 おそらくもう探しているほどの余裕はないだろう。

 すると背後から怒鳴り声が聞こえた。

「貴様! そこで何を――」

 異常を察知した近くの警備の男の言葉が終わるよりも前に、イスカは動いていた。

 一瞬で天井まで到達し、そこから男に向って細い通路をロケットのように飛ぶ。男の顔面を鷲掴みにしたかと思うと、イスカはその体を軸に、ポールダンスの要領で勢いを殺さずスルリと男の背後に周る。そうして男を強引に後ろに引っ張り倒しながら、持っていた鉄の棒を使って的確に相手の意識を刈り取った。

 一切の音も許されずに男は動かなくなった。殺してもよかったが、それだと無駄な音を出してしまう恐れがある。檻の中の電波が急に消えたことといい、今は間違いなく非常事態。エクスピア社内をどれだけの警備が動いているのか予測すらできない状況で、下手に目立つことは避けたかった。


 しかしこうしてイスカがエクスピアの中に入れたことはむしろ幸運だった。

 この瞬間のために、戦場青子と二人で今まで動いてきたのだから。各地の研究所を襲撃してより正確な情報を探し、堅牢なエクスピア本陣に侵入するためのルートも模索し続けた。


 そんな青子の狙い。それはイスカと同様、実験に使われた被験者の子供たちの保護。あの時彼女が助けきれなかった彼らを、今度こそ救うことだった。


 プロジェクト・ワーロック。そのためだけに生み出された千の命を。


 イスカは一度深呼吸して、目を閉じる。

 すると、ぽつ……ぽつ……とわずかな呼応を肌で感じ取ることができた。

(……ん……まだ、感じる)

 体内にあるナノマシンの共鳴。青子はそう言っていた。

 イスカがこうして青子の手足として動いている理由は、その高い戦闘能力だけではない。最大の理由はむしろこっちだ。

 イスカ以外にも実験でナノマシンを埋め込まれた被検体は多い。この共振を使えば、彼らの位置をある程度把握することができるのだ。今までそうして海上都市各地に点在する反応を頼りに、研究所を襲撃してきた。そのどれからも彼らを見つけることができなかったが、今回はきっと違う。今回の反応は今までの比ではないほどに強いのだ。


 イスカは警備に見つからないように反応のする方へと向かった。意外なことに、当初懸念していたほど警備を見なかった。

「……?」

 異常が起きたのはこの区画ではなさそうだが、それにしたって人一人いないのはかえって不気味に感じる。

 しばらくすると、彼女はある研究室の扉の前に立っていた。

(……ここ)

 ここから強い反応を感じる。自分と同じナノマシンを持つ誰かが複数人いる証拠だ。

「ッ!」

 イスカは扉を強引にこじ開けた。


 暗い。始めはそれが何か認識できなかった。

 あるのは足場を照らす赤い光だけ。それでもうっすら見える。人一人入りそうなほどのカプセル。それが無数に。

 よく見ると、カプセルには名前がついている。


『WEEDS』


 と。

 そしてそれが何なのか。感じる波動の位置がどこからなのか。その二つが重なった瞬間、イスカの目が驚きで限界まで見開かれた。

「……何、これ……ッ」




「あ? 何だクソガキ」




「ッ!!」

 その男は隣――闇の中にいた。

 こんなに近くまで寄られていたのに、気配を全く感じなかった。弾丸の如き鋭い蹴りがイスカを襲う。鉄棒を使っての咄嗟のガードは意味をなさず、彼女の体は十メートルほど奥へと吹き飛んだ。

「がっ……!?」

 何が起こったのかわからなかった。

 背中から床に叩きつけられてゴロゴロと転がり、数秒間まともに息ができなかった。頭が混乱する。男はまるで何が起こったのか理解できていないイスカに説明するように、こう答えた。

「なぁに、ちょっとした気功術みたいなもんさ。人間の体ってのは意外と凄いんだぜ? ちゃんと余さず使ってやればこういうこともできる。体の出来とか関係なくな」

 闇の中から浮き出るように姿を現したのは、三十代くらいの黒いスーツ姿の男だった。

「……だ、れ?」

「お! お決まりのセリフだなぁ。……そうだな。あえて名乗るならウィリアム・タガート、とでも言おうか。ここではそれで通ってる。あぁお前さんはいいぜ? 俺はお前のことをよ~く知ってるし、今更自己紹介なんてされても面倒だ」

 粗暴で荒っぽい口調。精悍な顔つきとぴっちり整った服装からは真逆のイメージだ。まるで中身と外見が完全に別物なのではないかとすら疑いたくなる。

「……タガー、ト」

 タガートは倒れているイスカを横目に、カプセルに近づいていく。

「クソガキ、こいつらが何だかわかるか?」

「……」

 イスカは動けなかった。ナノマシンの力で体組織は修復される。しかし激痛が治まらない。痛みが体の芯で残留しているような感じだ。

「こいつらはな、ワーロックを作り出す過程で失敗したゴミ共さ。ちょうどお前と同じようになぁ」

「……ッ」

 実験。失敗。

 この二つのワードがイスカの頭から離れない。

「それにしても自分と同じクローンにここまでやるとはなぁ……あの神凪とかいう女、多少は使えると思っていたが、ククク……惨いことするぜ。もう少し女らしく肉がつけば俺好みなんだが」

 タガートは舌舐めずりしてカプセルの一つに触れた。そして獲物を前にした肉食獣のような瞳が少女に向く。

「なぁどんな気分だ? 自分の家族みたいな存在が、そのうちの一人に道具みたいに改造されるってのはよぉ? 教えてくれよ」

「……お前」

 正直カプセルの中の彼らを家族だと言われても、イスカにはしっくりこない。しかし踏みにじられていいとも思わない。彼らは青子が救いたいと願った命たち。自分はその彼女に救われた唯一の命だ。そう考えると、イスカの腹の底からふつふつと煮えたぎるような怒りがせり上がる。こんな気持ちは初めてだ。

「ヒャハハハハ!! いいね! いいよその顔。まぁ俺にはお前の気持ちなんてこれっぽっちも理解できないがな。だってこれ、ただの失敗作だろ? 助ける価値あるのかねぇ」

 吐き捨てるようにタガートは言った。そしてその言葉で、イスカの中の何かが切れた。

「……ぱ……うな」

「あ?」


「失敗作って言うな!!」


 イスカは床を抉れるほど強く蹴って、高速でタガートに殴りかかる。魔法こそ使えないものの、ナノマシンで強化された彼女の拳をまともに受ければ、いくら大の大人であってもただでは済まない。

「……」

「ッ!」

 しかしタガートはいとも簡単に掴みかかろうとするイスカの手を払い、がら空きになった彼女の首を片手で掴んだ。

「……ぐっ……あ……ッ!!」

 大きな手で首を掴まれ、足は地面から離れていていくらもがこうと意味がない。

「ま、こっちはお前なんかに用はないんだわ。俺はただこいつらを使って状況を引っ搔き回せねぇかと思っただけだしな。けどなんか冷めたわ」

 タガートは首を絞める力を強めていく。そして嘲笑うように言った。

「失敗作を使うなんてつまんねぇもんなぁ!!」

「ッ!!」

 まるで心臓を握られているような絶望感が、怒りを飲み込んで最悪の形で全身を駆け巡る。治癒能力は万能ではない。ほんのあとワンアクション。首をへし折られればそれで終わる。いくらイスカでも即死してしまったらどうしようもない。

「あばよ」

 浴びせられる無慈悲な言葉。

 タガートが自らの手の中にある命を、今まさに潰そうとしたその瞬間――



「ったく……いい大人が小さい子イジメてんじゃねぇよ」



「ッ!?」

 突然の声に振り返るタガート。


 その顔面にが突き刺さった。

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