第40話 猛り狂う魔狼 -Raging Wolf-

・1・


 エクスピア・コーポレーション最上階。ゲート前。


 レオン・イェーガーとその相棒であるハンナは、一度は病院で相対した片腕の狼魔・ロウガと戦闘を開始していた。

 あらかじめ奇襲に備えてレオンたちを残した夜白の判断は正しかった。ゲート前で待機していたレオンの前に、彼女の予想通り、ロウガが別空間から現れたのだ。

「ハンナ、まだいけるよな?」

『問題ない』

 レオンの若干疲労が籠った声に、相変わらず無感情な鎧状態のハンナが念話で答えた。

「ハハハ貴様、以前より力を付けたようだな。なればこそ、俺にとっては僥倖よ!!」

 ロウガが戦いの中で歓喜の大声を上げる。

 以前病院で戦った時とは違い片腕だというのに、レオンはロウガを仕留めきれずにいた。その理由は剣の技量や人間ではありえない身体能力ももちろんだが、それだけではない。


(……問題はあの大太刀だな)


 龍の爪を思わせるような、鋭く、しかし無骨な大太刀。全く飾り気のないその刀身には、この距離でも十分視認できるほどの濃密な瘴気が渦巻いている。以前ロウガが使っていた得物とは明らかに別物だ。

 入隊後、燕儀と話すようになって、彼女が持つ伊弉諾という刀を一度だけ見せてもらったことがある。あれは飾り気こそないものの、思わず息を忘れるような厳かな雰囲気があった。ロウガの持つ大太刀はそれと全く逆の印象を受ける。


「どうした? もう終わりか!!」

 動かないのであればこちらから行くぞと言わんばかりの相手の気迫に、レオンの体が突き動かされる。レオンは大きく跳躍し、ロウガに向って落下の勢いを乗せた渾身の蹴りを喰らわせようとした。しかし、


「ッ!?」

『!?』


 その領域に入った瞬間。

 レオン、そして彼と意識を共有しているハンナは凍り付いた。

 限りなく時間が止まったような感覚。その中で数秒後に自分が斬られる明確なイメージが脳裏に焼き付く。

「……ぐっ!!」

 すぐさまレオンは背中のブースターを可動域ギリギリまで寄せてふかし、襲い掛かる負荷を無視して自分の軌道を逸らした。

 すると先ほどまでレオンがいた場所。それを通り越してそのさらに上。

 レオンの目に映ったのは、空に浮かぶ雲がまるで写真の景色をハサミで切ったように、不自然に真っ二つに斬られた光景だった。


「我が真神まかみに斬れぬものなし」


 レオンは無理な回避行動のせいで上手く着地ができなかったが、隙を与えぬようにすぐにロウガに向って構える。

「危ねぇ……」

 もう何度かこんな攻防を繰り返しているが、ロウガの半径約五メートル。そこに入った途端、今のように自分が斬られる確実な未来が頭をよぎる。本能が警笛を鳴らす。

『あの剣は空間そのものを斬ってる』

「……それってどういう意味だ?」


『あの剣は私たちでは防げない』


 レオンの問いにハンナは断定で返した。それだけで十分だった。

 通常の武装であれば、魔道の遺物であるハンニバルの鎧を傷つけることなどできはしない。この一ヶ月でハンナとのシンクロ率もさらに増し、それはより強固なものとなっている。


 しかしあの『真神』と呼ばれる大太刀は普通ではない。


 レオンはすでにあの刃に盾を両断されていた。これはあくまでここまでのレオンの印象だが、ロウガは物を斬るのではなく、景色そのものを斬っているように感じる。であれば先ほどのハンナの「空間を斬る」という言葉にも幾分合点がいった。

 そしてその考えが正しければ、あの大太刀の前ではそもそも防御力や距離といったものは関係ないのかもしれない。

「……とんでもねぇな」

 鎧内部のレオンの額に冷や汗が流れた。


「行くぞ! 人間の戦士よ!!」


 再び魔刃を携えた獣が迫りくる。その激しさは一振りごとに確実に増していた。


 今度の一撃は、外周を魔力を応用した特殊装甲で覆われたビルを問答無用で斬り裂いた。


・2・


「はわわ、地震かな!?」

「落ち着いてください赤理さん」


 ビルそのものが大きく揺れ、右往左往する鳶谷赤理とは対称的に、レヴィル・メイブリクは不安に駆られながらも状況を飲み込む努力をする。

(震源は上から……かな? ここまで魔獣が来たの?)

 社内において赤理から離れられないレヴィルは、彼女と共に会議に参加することが多かった。そのおかげか、ここ最近の情勢をある程度は把握していた。

 その中で魔獣側の動向にある変化があった。エクスピア社を標的にする個体が急激に増え始めたことだ。まるで魔獣たちが、明確にそこにある何かをターゲットに定めたように。

 それでも宗像冬馬たちにとって本拠地であるこの場所はさすがに堅牢だった。報告を受けた神凪夜白は、数日のうちに対魔獣用の防衛網を再構築。一匹たりとも内部への侵入を許さなかった。


「?」

 一瞬、レヴィルは何か違和感を覚えた。

 さっきまでの激しい揺れがいつの間にか消えていた。

 それだけではない。音までも。

(……何?)

 キーン、という耳鳴りが徐々に強くなる。


 次の瞬間、天井が破裂した。


「きゃあああああああ!!」

 照明は消え、足場が震撼する。レヴィルは激しい爆音で上も下もわからなくなったが、すぐに何か暖かな温もりに包まれたことだけはわかった。

「!? ……赤理さん!!」

「ッッッ!!」

 この状況下にあっても、赤理は近くにいたレヴィルを守ろうと、彼女を抱き寄せたのだ。

 しばらくして音が止んだ。レヴィルはすぐに赤理の安否を確認する。

「赤理さん!! 赤理さん!!」

「ん……う~ん……大丈夫? レヴィルちゃん」

 砂ぼこりで汚れてしまっているが、どうやら怪我はなさそうだ。

「よかった……」

 レヴィルは力が抜けて座り込んでしまった。そして気付いた。


(……あれ?)


 あたりは先ほどの大きな衝撃で崩れている。室内はめちゃめちゃで、出入り口も瓦礫で塞がっている。なのに……

(こんな崩れ方って……)


 明らかにというよりも、何か鋭利な刃物でような跡が所々に見受けられるのだ。


 それもレヴィルたちを中心にドーム状に。

「……」

 本当に奇跡的に助かったのか?

 レヴィルは前にもこの感覚を味わったことがある。

「もしかして――」


「お二人ともご無事ですか!?」

 駆動音と共に、戦術武装アームド・フォースに身を包んだレーシャが瓦礫を押しのけて現れた。

「あ、レーシャさん」

 赤理の相変わらずほんわかした声を聞いて、レーシャはホッと息をつく。

「問題なさそうですね」

 レーシャは出入り口の確保をすると、二人に言った。

「お二人を安全な場所へ誘導します。私に付いてきてください」


・3・


 レーシャ・チェルベルジーは内心焦っていた。こんな事態は完全に彼女の想定を超えていたのだ。普段感情を表に出さない彼女も、今日ばかりは冷や汗をかく。

 瓦礫をかき分けるのに、普段よく使っていた戦術武装・モデル「チェシャ」ではパワーが足りないため、急遽以前アーロンが使っていた「マスラオ」を引っ張り出してきた。

 今は最優先保護対象である鳶谷赤理とレヴィル・メイブリクを安全な場所に誘導している所だ。

 周囲に敵性反応はない。どうやら上で起こっていることがすべての原因だと考えていいらしい。


 慎重に階段を下り、しばらくして三人は頑強そうな扉の前に辿り着いた。

「ここならひとまず安全です。お二人はここで――」

「あの……外で何があったんですか? 私、心配で……まだ外の御影ちゃんも見つかってないし……」

「妹さんなら、先日久遠学園にいることを確認しています。すみません。報告が遅れてしまいました。ですがあそこには腕輪所有者リング・オーナーも多い。とりあえずは安全でしょう」

 それを聞いて赤理の表情に明るさが戻った。

「はぁ……よかった。アーロンさんの言った通りでした」

「は?」

 レーシャは首を傾げる。どうしてここであの筋肉バカ上司の話がでてくるのかと?

「アーロンさんは私に言ってくれたんです。こんな状況下だ。死んだって決めつけるのは簡単だ。だが心配しても何にもならねぇ。あんたはあんた自身のために動くべきだ。それともあんたの妹はそんなにヤワな奴なのか? って」

 赤理はほんのり頬を染めて、アーロンの言葉を反芻する。

「……」

 同じ女性だからか、彼女の目を見てすべてを察したレーシャは、思わず頭を抱えたくなった。

(……あの脳筋、今度あったらお仕置きですね)


 ふと、レーシャの視界の端を誰かが通り過ぎた気がした。

(ん? 今、誰か……)

 そして今度は右側頭部付近から通信アラームが鳴り響く。賽鐘ミズキからの緊急通信だ。

「賽鐘ミズキ。どうしまし――」



!!』



 彼女の言う「あいつ」が誰なのか? 今更考える必要もないだろう。

 通信機越しに、激しく狼狽するミズキの声が聞こえてきた。

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