第38話 炎雷踊り狂う -Against Dragons-

・1・


「……ッ!!」

 少女の赤い双眸が勢いよく見開かれる。

「はぁ……はぁ……」

 祝伊紗那はまるで発作でも起こしたように激しく息が乱れていた。

(……夢)

 息を大きく吸う。そしてゆっくりと吐き出しながら固い岩壁に背を預ける。

 頭が痛い。吐き気もする。大きな赤い瞳には大粒の涙が溜まり、気持ち悪い汗が喉を伝う。


「……どうした?」


 近くに座していたワイアームが尋ねた。

「……気にしないで。ちょっと、悪い夢を見ていただけ」

 伊紗那はワイアームの言葉に素っ気なく返した。

 正直に言うと、これはただの不調ではない。感じるのだ。ボロボロと音を立てて、確実に自分というものが壊れていく感覚を。まるで自分を構成する歯車のどこか一か所が嚙み合わず、それがすべてに悪影響を及ぼしている。そんなイメージ。

(……時間がない。早く、しないと……)

 こんな不調、いつものように初期化すればすぐに良くなるはずだ。


 だから今は――今だけは我慢しなければ。


 伊紗那はポケットから水色のリボンを取り出そうとした。あれがあればきっと落ち着ける。何となくそう思えたのだ。

「あ……」

 少女の手が止まる。

(……ない……)

 アクアパークにユウトと二人で行ったとき、彼が自分のためにプレゼントしてくれた宝物。どうゆう経緯かもう一人の自分が持っていたのは覚えている。彼女をこの身に取り込んだ際には、手元にあったはずだ。

 なのに――

「……」

 伊紗那は空を握りしめる。ありもしないものを掴むように。

「……まぁ、いっか……」


 どうせすぐにこの思い出も消えてなくなる。


 視界がどんどん暗くなっていく。また、夢へと堕ちていく。


「夢、か……俺はもうずっと見ていない」

「……?」

 しかしワイアームの言葉に、伊紗那の意識は強引に引き上げられた。

「夢を見るということは、お前がまだ人間だという証だ」

「……ッ!」

 ほんの一瞬だけ、少女の肩が震えたように見えた。

「だからこそ俺たちは、人に——」


「黙って」


 伊紗那が一瞬で手元に紫霧の大鎌を召喚して、その刃を魔龍の喉に突き立てた。

 これ以上は何かが決定的に揺らぐ。そうなればお互いに目的を果たせなくなる。

「……俺は、お前が羨ましい」

「……」

 しばらくお互いに見つめあったまま動かなかった。


 そしてその時は突然来た。


「……気付いてる?」

「あぁ……」

 ワイアームは立ち上がる。背中の大翼を広げ、濃密な瘴気を放ちながら、彼は答えた。


「奴らが来た」


・2・


「刹ちゃん、遅れないでよ!」

「誰にものを言ってるのよ!」


 激しく踊る爆炎と迅雷。お互い競い合うように牙城のブルーメを葬り去る。彼女たちが通った後は、まるで嵐でも通ったかのようにすべてが灰燼へと帰していた。


 神凪夜白が周囲の地形を解析した結果、ワイアームがいるこの黒曜岩の城には北、東、西の三か所に入り口があることがわかった。よってエクスピアの討伐隊も三つに編成された。


 東側:橘燕儀&御巫刹那チーム。


 西側:アーロン&シンジチーム。


 北側:宗像冬馬&神凪夜白チーム。


 といった具合だ。

 東側を担当する燕儀たちは天然の門を抜け、洞窟に巣くう無数のブルーメを薙ぎ払いながら奥へと進んでいた。

 仲がいいのか悪いのか、それとも同じ場所で剣を習っていたからなのか。ぶっつけ本番であっても二人のコンビネーションは少したりともブランクを感じさせない。それどころかもはや見る者を魅了するほどの美しささえ放っていた。

 まさに炎と雷の乱舞。


「ッ! この風……刹ちゃん、広い場所に出るよ!」


 数秒後、洞窟内で暗闇に慣れた目に眩しい光が広がった。

「ッ……ここは……」

 外から見た黒曜石の城壁とは打って変わって、中は鏡のように輝くダイアモンドで埋め尽くされていた。

「……綺麗」

 思わず燕儀が声を漏らした。まるで万華鏡の中にいるみたいだ。

 この眩しいくらいの明るさの正体は、天井から降り注ぐ外の光が鏡のように研磨された無数のダイアモンドで反射を繰り返しているものだろう。



「よく来たわね人間!!」

「くるしゅーナイ?」


 高いところから二人に声が降り注いだ。

 奥に見える金剛石の結晶の山のてっぺんに、双子の赤い龍がいた。

 異形の右手を持つ炎龍ルナ。そして同じく異形の左腕を持つ雷龍ナナだ。どちらも正真正銘の最強種――龍の魔獣にして、その魔獣という括りのさらに上位に位置するネフィリムだ。すでにその強さに燕儀は直に触れている。

 彼女たちは限りなく人間に近い形を取り、まるで人間のように侵入者と対峙した。


「ふふん。ここまで来たことは褒めてあげるわ人間。でもお遊びはここまでよ? なんせ私たちは……って何よ、ナナ?」

 偉そうに胸を張って喋るルナの背中をチョンチョンとナナがつつく。

 そして彼女はこう言った。満面の笑顔で。


「ルナ……?」


「ナッ……」


 ポカンと口を開けるルナ。数秒の沈黙の後、小さな火山は爆発する。

「……あ、ん、た、は~~どこでそんな言葉覚えやがった!? あ゛ぁ!!」

「アヒャヒャヒャヒャ!! カマセカマセ~」

「う~る~さ~いッ!!」

 プンスカ激昂するルナを見て、ナナは声を出して笑う。刹那たちには知る由もないが、彼女自身、覚えた言葉を使っているだけで意味まで理解はしていない。しかし、こうしてルナが反応していることそれ自体がナナにとっては愉快なようだ。


「……まったく。妙に刺さるからムカつくのよね。……何よあんたたち、その可哀そうなものを見るような目は?」

 二匹の龍の戯れを呆気にとられて見ていた刹那は我に返った。しかし燕儀はというと、


「プークスクス。お姉ちゃんのくせに妹にからかわれてる〜」


「あ゛?」

 全力で煽っていた。

 目を釣り上げたルナは右の巨腕を龍の鎌首のように持ち上げ、手のひらから体躯の質量を無視した大火球を放った。

「ちょっと姉さ——」

 刹那の言葉を待たず、彼女の前に出て居合いの構えを取る燕儀。その構えを見た瞬間、背後にいた刹那ですら背筋に悪寒が走る。

 動けない。ここは完全に彼女の間合いだ。


 絶界。


 数ある御巫の技の中でも特に習得が難しいとされる居合術。自ら五感を裁量するこの技は、一歩間違えれば感覚そのものを失うことになる危険な技だ。刹那の知る限り、扱える人間は片手で数えられるほど。ましてやその間合いに入ったのはこれが初めてだった。

 今の燕儀は外から来る全ての刺激を意図的に遮断している。感覚の全てを相対する炎に向けている。光もなく、音もなく、上も下もわからない状況で、自分がやるべきことだけは鮮明に思い描くことができる。そこに自分が失敗するというイメージは微塵もない。

 そして次の瞬間、燕儀は黒刃を器用に捌き火球の勢いを殺し、まるでテニスでもしているかのように自分の炎を乗せ、倍にして相手に返した。

(ウソ……)

 それはまさに神業と呼べる域に達した剣技。それを燕儀は難なくやってしまった。


「……フン」

 しかしルナはそれを嘲笑うようにして、帰って来た炎に向かって自分の右手をかざす。すると炎は掃除機にでも吸われるように彼女の巨腕に吸い込まれていった。

「……」

 燕儀はそれを黙って眺めている。

「……下等生物の分際で、このルナ様を笑うなんて言い度胸ね。今度こそ丸焼きにして喰ってやるからありがたく思いなさい!」

「ゴハン〜ゴハン〜」

 燕儀は一歩下がって刹那に小声で言った。

「刹ちゃん刹ちゃん、私あっちの妹の方やるから」

「何でよ?」

 すると燕儀はため息をついた。

「可愛い可愛い妹よ。今の見てなかったの? あっちのずっと喋ってる方は私の炎を吸収できる。私もあいつの炎を利用することはできるけど、これじゃイタチごっこになっちゃう」

 要は同じ属性を極限まで使いこなしているが故の相性最悪、ということらしい。

「んで、もう片方が雷を使うことは前に確認してる。ということは刹ちゃんも同じでしょ?」

「それはまぁ……うん」

 どうやらただふざけていたわけではないらしい。唐突な煽り文句も含め、あの一瞬の攻防でさえ、燕儀にとってはこの戦いにおけるベストな戦法を導き出すための手段にすぎないのだ。

「じゃ、よろしくねん♪」

 燕儀は刹那にウィンクして先行した。


「……」

(フン……どうやら一本取られたようだな。主様よ)

 昔からそうだ。本当にどこまで行っても橘燕儀は御巫刹那の常に上を行く。

 あんなの反則だ。その才ゆえに御巫で大事に育てられてきた刹那には、あんな危険な技はむしろ遠ざけられてきた。無論それは戦士としての修行を怠っていたという意味ではないが、それでもやはり考えてしまう。


 一体彼女はどれだけの技をその身に刻んでいるのか?


 そしてそのためにどれだけ自分の命を削ってきたのか? 、と。


 それが全て復讐のためだというなら――


「……ッ! 考えても仕方ない。力を借りるわよ、伊弉諾!!」

(無論だ!)

 頬を叩き、刹那も駆けた。



「ナナ、GO!!」

「アイアイサー」


 ルナの号令で一切の予備動作なしにロケットばりのスピードで突貫するナナ。対するは両手に刀を構えた燕儀。焔の伊弉諾を取り込んだ彼女の体は、いわば全身が刀を生成するための炉だ。自らの血肉を材料に、自由に伊弉諾の刃を作り出すことができる。

 燕儀は二本の刀を交差させ、直撃と同時に最小の動きで威力を別方向に逸らす。

「オヨ?」

 ムレータを狙う闘牛のように鮮やかに。ナナに最大の隙が生まれた。

「ッ!!」

 すかさず燕儀は刀を逆手に持って、ナナの右肩から滑り込むように刃を突き刺し、彼女の心臓を串刺しにした。

「あ……がっ……」

 数秒痙攣するナナだったが、すぐにその瞳から光が消え、動かなくなった。


(あのネフィリムを一瞬で……)

 刹那の出る幕などない。本来、長引く戦いに一切メリットはない。

 初撃必殺。

 一瞬の攻防、そこに如何にして必殺の一撃を加えるか。戦いとはそういうものでなければならない。燕儀はそれをよく理解している。

「まずは一匹」

「フッ……」

 ルナが不敵な笑みを浮かべた。

「にゃハ!」

 そして直後、背後から聞こえてきた別の声に燕儀の背筋が凍り付いた。


 


「ッ!!??」

(まずッ……!)

 振り返る時間はない。ナナとの距離は一メートルもないのだ。

「ばいニャラー!」

 巨大な左腕の鋭い爪がお返しとばかりに燕儀の心臓を狙う。


「はああああああああああ!!」


「ぬ……ほがぁ……ッ!!」

 真横からゼロ距離で魔力を乗せた刹那の掌底を腹部に受けたナナは、弾丸のように壁に叩きつけられた。

「油断しないで!」

「あ……うん」

 思わず生返事をする燕儀。

(今のはなかなかよかったぞ、主様)

「ううん。手応えが足りなかった。どんだけ硬いのよ、あいつ……」


「あう~」


 ナナはプールで耳に入った水を出すようにトントンと頭を小突き立ち上がる。その体には今の刹那の一撃もだが、不可解なことに燕儀の致命傷さえ見当たらない。

「……どういうこと」

 生半可な再生能力ではないという事なのか。それとも……

「不死身……なんて言わないよね?」

 燕儀が冗談交じりにそう言った。


「ハッ! 行くわよナナ! 最強無敵な私たち姉妹が、あんたたちをコテンパンに叩きのめしてあげるわ!!」

「おう、コッペパンだゾ!」


 小さな二匹の龍が翼を広げる。


 炎と雷が踊り狂う。


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