行間6-2

 今まで自分の都合で何度も繰り返してきた。その度に何度も世界を歪めてきた。


 ……


 繰り返してきた記憶は全部捨ててきた。失敗した世界と共に、その世界の自分の中に押し込めて。


 きっと祝伊紗那の足元には、今や数えきれない自分という屍が積み重なっていることだろう。


 だから今回も何も特別なことなんかない。ただそれが一つ増えるだけだ。その階段を一段上るごとに、彼女は確実に人間から遠ざかる。

 けれどこんな自分でも人の気持ちだけは一度も歪めたことはない。それだけが唯一、祝伊紗那という魔道士をギリギリのところで人として留めていた。言ってしまえば、階段を踏み外さないように用意された手すりのようなものだ。

 しかし同時にそれは彼女に残された唯一最後の失敗でもある。


(……もういっそ……次の世界の人間はすべて私が支配して、ユウの心も冬馬の心も、全部……私のものにすれば……)


 そうすればきっともう失敗しない。する理由がない。

 吉野ユウトという少年はずっと自分の傍にいてくれる。

 宗像冬馬という少年はずっと自分たちを見守ってくれる。

 それだけでいい。あとはいらない。完璧な調和の世界の誕生だ。一歩踏み外して奈落に堕ちてしまえばそれが手に入る。

 もう誰も傷つくことはない。



『本当にそう?』



(……ッ!?)

 目の前にもう一人の自分がいる。

 伊紗那は一瞬たじろぐが直ぐに納得する。あぁこれは夢なんだと。いつの間にか自分は眠ってしまったらしい。

『本当に誰も傷つかないの?』

 この自分は何人目だろう?

 もう一人の伊紗那は問う。その芯の強そうな表情はこの世界で培った、吉野ユウトのよく知る彼女のものだ。つまりは今まで自分だったもの。最も理想に近い、彼女が望んだ普通の女の子だ。


 だが今の自分はどうだ?


 きっとひどい顔をしている。

 これではどっちが本物なのかわかったものではない。


 なら一体、自分は何者だ?


 一瞬、足元が揺らいだ気がした。

「……ッ、うん。そうだよ。……わかってる。私が自分のことしか考えてないことくらい。でもそれが何? 今更私がそんなことッ……気にする必要があるの? それで全部上手くいくの。みんなも幸せになれる。ならそれでいいじゃない!」

 きっとこれからこの手でもう一度何億という命を摘み取る。一瞬で。アリサたち特異点さえ全て消し去ればすぐにでもそれができる。そして新しく作った自分のための世界の中で、再び一人一人に役割を割り振っていくのだ。

 命を奪うことに快感はない。むしろ自分の醜さに嫌悪が積もるだけ。

 でもそれが何だというのだ? どうせもうすぐ捨て去る過去の記憶じゃないか?

 誰も知らなければ、その事実はないも同じだ。

 誰も不幸でなければ、自分が糾弾されることなんてない。

 一体それの何が不満なのだ?


『……』

「とまらないの。ユウの心が……あの人の全てが欲しくて、欲しくてたまらない。それはあなたも同じでしょう? だってあなたは私なんだから!」

 伊紗那はもう一人の自分の前で膝をついて同意を求める。しかしもう一人の自分は何も答えてくれない。そこで初めて気が付いた。同意なんか求めていない。むしろ何か否定してほしいと思っている自分が心のどこかにまだいたことに。

 何人目かもわからない作り物の自分などにこんなこと聞く意味はない。本来、彼女たちは自分の幸せを守るためだけに存在を許された物言わぬ道具なのだから。


「だってそうしないと私……もうユウを好きでいるこの気持ちすら嘘になっちゃう。それだけは……それだけは絶対イヤ……」

 そうなったらもう自分は自分じゃない。あの少年を愛さない自分など祝伊紗那であるはずがない。あってはならない。

 自然と涙が零れる。どうせここは夢だ。誰にも見られることがないと思えば気が緩んでしまうのかもしれない。

 ここもやはり、自分に都合のいい夢の世界の一つにすぎないのだから。

 しかし、この夢のもう一人の住人は決して創造主である自分に甘い言葉をかけてはくれなかった。


『私は傷つかないか聞いてるの』


「ッ!?」

 心臓をナイフで突き刺されたような感覚を覚えた。息ができない。

『あなたが恋い焦がれ続けた安心できる居場所って、こんなものなの? ボタン一つで手に入るような、こんな安いものだったの?』

「……い……」

『うわべだけ整えても、何かが違う。満たされることなんて絶対にありえない。そしてあなたはまた絶望する。きっとまた繰り返す。そして私も……』

「……る……さい……」

『だって結局それじゃああなたは一人――』



「うるさい黙ってよッ!!!!!!」



 全てを吐き出すように魔道士は叫ぶ。そして夢の世界から音が消え、光が消え、何か決定的な亀裂が走る。


 そこでただの女の子は夢から醒めた。

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