第36話 伊弉冉 -Invitation-

・1・


「これが、あの時起こった全てです」


 アリサは病室で自分の見たすべてを語った。御影も飛角も、しばらく声を出さなかった。

 あまりに信じがたい話だが、今のユウトの状態を考えれば、それで説明がつく。信じるしかない。

「……魔獣化」

 飛角が小さく呟く。

「……No。今の話を聞く限り、そうとは断定できません。現にユウトさんはこうして元に戻っている」

 御影はユウトを見てそう言った。こういう時、感情に流されず適切な状況分析をする彼女には救われる。たとえその手が少しだけ震えていたとしても。

「……それで、あなたが彼から摘出したものは?」

 アリサの話ではそれはメモリーの形をとっていたらしい。それがすべての原因であれば、一刻も早くそれを処分するべきだと御影は考えていた。魔獣化ではないとは言ったが、次に元に戻れる可能性があるとは限らない。

 しかし、


「メモリーはユウトの中に戻った」


 扉の傍で壁を背にしていた桐島秋斗が答えた。

 アリサと共にやってきた彼は、一度はロシャードの中に隠された情報を狙い飛角と衝突したが、今は敵ではないとわかっている。

 アリサの話では、彼は仮面の魔法使い――本来この世界に存在するはずだった、『全てを請け負った』祝伊紗那が魔法で生みだした記憶の投影ということらしい。生身の体ではない故に、飛角に千切られた腕も元に戻っていた。

 雰囲気はまるで違うが顔は宗像冬馬そのものだ。話の中にあった『前の世界』を信じるなら、彼は前の世界の宗像冬馬ということになる。


「戻ったって……何で?」

 アリサの顔が曇った。

「……わかりません。確かに、あの時抜き取ったのに……」

 アリサは自分の左手を見ながら自らの失態を悔やむ。一度はこの手にあったのだ。それがユウトの体が元に戻った後、まるで吸い寄せられるように少年の体の中に再び入り込んでしまった。



「それは彼自身がその『強欲のろい』を手放したいと思っていないからよ」



 突然、どこからともなく頭の中で声が響いた。

 それはゆったりとした上品さを感じさせつつ、さほど大きな声でもないのに恐ろしいほどに透き通った少女の声だ。

「どこッ!」

「ふふ、ここよ」

 突然、アリサの体から黒いもやのようなものが現れる。それはドライアイスの煙のように床を這い、部屋の一角で人の形を成していった。

「……カーミラ」

「ごきげんよう。アリサ。悪いけどあなたの魔力、少し借りるわね」

 アリサの魔力を使って体を形成した少女。真っ赤な着物に身を包んだ日本人形のような小さな吸血姫はニコリと笑う。

 一見無害そうに見える幼女だが、彼女が現れた瞬間、この場でアリサ以外まともに動ける人間はいなくなった。

「……どういう意味ですか?」

「あら? 言った通りだけれど」

 そのさらに先を聞き出したいのに、わざと手前で止めるような問答。

「くっ……こちらには直接干渉しないんじゃなかったんですか?」

 アリサの言葉にカーミラはつまらなそうにため息をついた。

「はぁ……相変わらず面白味のない子ね。状況が少し変わったの。向こうがその気なら、私だってこれくらいのルール違反は許されるでしょう?」

「……」

 ようは堂々と不干渉のルールを破る気らしい。

「とは言っても私が一から十までしてあげることはできないわ。私は少しだけ言葉を投げるだけ。これからのことを決めるのはあくまであなたたちの仕事よ」

 その言葉にようやく御影が反応した。

「……あなたは、全てを知っているのですか?」

「えぇ」

 恐る恐る言葉を紡いでいく。

「……なら、教えてください。どうすれば彼を助けられるのか」

 もう彼に我を忘れた暴走なんてさせない。次はきっと戻ってこれなくなる。

 呪いとやらが何なのか、答える気がないのならそれでもいい。今必要な事だけ教えてくれさえすれば。

 御影のその強い光を灯した瞳を見たカーミラはわずかに微笑む。


・2・


「そうね……何を話しましょうか?」

 もったいつける彼女に御影は、

「……全部です」

「フフ。ではまずはこの世界の成り立ちから話しましょう」

「えっ!? そこから?」

 飛角が思わず突っこむが、そこで語られたことは決して自分たちとは関わりのないものではなかった。むしろとても重要な事実。

 カーミラが語ったことはこうだ。


 この世界は祝伊紗那という魔道士ワーロックへと覚醒した一人の超越者が、伊弉冉いざなみを使って作り上げられた完璧なウソだということ。

 そしてここは彼女のための理想ネガイの世界だということ。

 

「……世界を、作った?」

 言葉で聞くとあまりにバカげた話。しかし何故だか嘘だと言い切れない。

「そう。ここは彼女やそこのアリサが生きていた『前の世界』を元に作られた

 カーミラは続ける。

「あの刀――伊弉冉には夢を現実にいざなう力がある。使用者の理想を現実に無理矢理引きずり込むの。この世界はその産物よ」

 人も動物も、青い空や草木の一本にいたるまで全て。

「そんな、いくらなんでも……」

「……」

 あまりに荒唐無稽すぎてさすがの飛角も疑念を向けるが、アリサと秋斗は黙っていた。

「もちろん普通の人間には例え伊弉冉を使ったところで到底不可能よ。一つの世界を作るだけの魔力は、たとえ使用者の命全てを代償にしたところで全く足りないわ。それができてしまったのは、ひとえに彼女がワーロックだったから」


(……ワーロック)


 まただ。真実に近づこうとするたびにこの言葉に必ず突き当たる。

 ルーンの腕輪、魔法使い、魔獣、ワイズマンズ・レポート。

 御影にはこれら全てがこの存在のためにあるとしか思えなかった。

 逆に言えばこのワードは自分たちにとって今必要な情報のはずだ。

「……ワーロックとは、一体何なのですか?」

 御影は問う。全てを知るという彼女なら、きっとその答えも知っているはずだ。

 一拍おいて、カーミラはゆっくりとその答えを口にする。


「ワーロックとは理を外れた存在。神さえ証明しえなかった存在X。全ての超越者。まぁいろいろ呼び名はあるけれど、そうね……一言でいえば神格を得た人間、といったところね」


「……神格?」

「そう。無限に等しい魔力を持ち、人の身に余る力を持ってなお人であり続け、決して壊れることのない奇跡の存在。世界が定めたルールにできた裏技中の裏技よ」

 その力は当然未知数。文字通り、次元が違う存在なのだ。



「……?」



「「「ッ!?」」」

 この場の誰もが知る声。一ヶ月もの間眠り続けていた少年がカーミラに尋ねた。

「……ユウト、さん」

 起き上がったユウトを目の当たりにして、アリサの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。口元を抑え、声を殺し、そのまま今までずっと張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだのか、アリサはその場に崩れ落ちてしまう。

「ア、アリサ!? って、うわっ!」

「きゃっ!」

 とっさにアリサを支えようとしたユウトだが、昏睡状態の長かった彼の体は筋力の低下が激しく、意図に反してユウトは彼女を受け止めきれず、逆にそのまま引きずられてしまった。

 ちょうど彼女の上に覆いかぶさるように。

「いっ……つつ。大丈夫……ハッ!!」

 その右手はしっかりとアリサの慎ましやかな胸を鷲掴みにし、左手は彼女の右手を床に押さえつけてしまっている。


 どう見てもアリサを押し倒しているようにしか見えない。


「フフ……あらあら」

 カーミラはそれをとても面白い物を見るように眺めている。

「ちょ……すまん。今どくか――ってあれ?」

 腕に力が入らず、今度はアリサの胸に顔を埋めてしまう。

「……なっ……なっ……!!」

 さすがに顔を真っ赤にするアリサ。しかしアリサも混乱しているのか、あたふたしていてお互いにこの状況がまったく改善されない。


 遠見アリサの体をまさぐること三十秒。ようやくユウトがアリサから離れると、そこにはが立っていた。

「……(ギロリ)」

「ッ」

 ユウトの背筋が凍る。下手すると魔獣よりも恐ろしいオーラが彼女から漂っていた。

「いや、違うんだ。これは、体が思うように動かなくて……決して――待て、その手に持つ怪しい注射器は何だ!? 無言で構えるな!!」

 患者用の麻酔を片手に近づいてくる御影はゆっくりため息をついた。

「……まったく……あなたという人は――」


「ユ~ウトー!」


「へぐっ!」

 今度は背後から勢いよく飛角が抱き着いてきた。

「ユウトユウトユウトぉ~。よかったぁ。まだ生きてるなぁ? よしよし。ぎゅぅってしてやろう」

 ユウトは後頭部に天国のような柔らかさを感じつつ、同時に首に地獄を感じた。

「……ひ、かッ……苦し、い……」

「あ、ごめん。この状態だと加減しないとね」

 鬼化したままの彼女の腕力は魔獣のそれと変わらない。じゃれつく猫なんて生ぬるい。今じゃれついているのはライオンだ。


「おーっす。入るぞ~。ユウトの様子は……って何だこの状況。お前また何かしたのか?」


 扉を開けて入ってきた見知らぬすらっとした長身の美人に声をかけられユウトはどう反応すればいいか戸惑っていた。向こうは自分のことを知っているようだ。

「……えーっと。どこかで、会ったり、とか……?」

「あぁ?」

 凛とした美女は首を傾げる。その何気ない仕草さえ絵になっている。

「何言ってる? 私だ。青子だ」

「詐欺d――がッ!!」

 言い終わるよりも前に青子の鋭い回し蹴りが側頭部を襲った。当然だが幼女だった頃の彼女からは考えられないスピードだ。

 ベットから落ちたユウトの胸板を青子が踏みつける。

「お前ぇ……引き取った初めの頃は散々私がチビだと不平を垂らしてたくせに、いざ元に戻ったら詐欺だとぉ? いい度胸だなゴラァ!」

 そういえば以前、腕輪の暴走の影響で体が小さくなったと彼女が言っていたことをユウトは思い出した。

「イデデ、悪かったって青子さん!」

「……ふん」

 青子に解放され、後頭部を床につけ冷たさを感じるユウト。


 そんなユウトの両頬を冷たい手が触れた。


「……よかった……」

 黙っていた御影がようやく口を開いた。頬には一筋の光が流れている。

「……悪い。心配させた」

 ユウトはばつが悪そうに頭を掻く。

 今までずっとどこか息苦しかった。視界から色が消えたような錯覚を覚え、全身に錘でも付けられたかのようだった。だからずっと一つのことに集中することしかできなかった。そうすれば少しはマシになれたから。

 十中八九目の前の少年のせいだが、しかしそんな彼のただの一言で簡単に許せてしまう自分がいる。それが心底憎らしい。

 だってこれは、心からの安堵だから。どうしようもなく。

「……つく……す」

 御影が消え入りそうな小さな声で何か呟いた。

「え?」


「……


 その瞬間、場が凍りついた。

「こっ……ここッ、子……」

 アリサは顔を真っ赤にして、声が震えていた。

「あなた何を馬鹿なことをッ!?」

「……No。よく考えて。誰彼構わず事件の渦中に飛び込むこの無鉄砲男を繋ぎ止めるにはこの方法がベスト。子供ができれば馬鹿なマネもしなくなるでしょう?」

 子供ができるということは、本当の意味で一人ではなくなるということだ。言い方は悪いがユウトを縛るのにこれ以上のものはない。

「……でも」

「ま、一理あるな」

 青子もうんうんと頷いた。

(おい止めろよ教師!?)

 ユウトとアリサが同時に心の中でツッコミを入れた。

「はいはーい。それなら私が文字通り人肌脱ごうじゃないか。ほら、私の方が体型的に母親っぽいし」

 飛角が女性の体の一部分を強調しつつ、勢いよく挙手する。

「……あなた一文無しでしょう? 明確な子育てプランはあるの? これは責任が伴うからこそのベスト」

 という御影の指摘に対し、

「お前との子なら……私もしゃかりき働くのも満更でもない」

 飛角はユウトの耳元でゾクッとするような艶声で囁く。甘ったるい匂いが鼻孔をくすぐった。

「……ッ、いやいや、子供って……そんないきなり。ちょっとお前ら落ち着――」


「ユウトさんは黙っててください!」「あなたは黙ってて!」「ユウトは黙ってて!」


「……」

 女性陣にものすごい剣幕で睨まれた。


「フフ」

 カーミラはそんな彼女たちを面白そうに眺めている。

「あなたたち。盛るのは結構だけれど、まだ私の話は終わっていなくてよ?」

 その言葉で我に返ったのか、三人は三人とも揃って顔を赤くして俯いてしまった。まともに顔を合わせづらい。あの飛角ですら今更になって恥ずかしくなったのか、ユウトと目を合わせられず挙動不審になっている始末だ。


「さて、話を戻しましょう。彼女――祝伊紗那がどうしてワーロックになったのか、だったわね?」


「……あぁ」

 ユウトは頷く。

「あなたはどうして全ての生命が『戦い』をやめないのだと思うかしら?」

 カーミラの問いにユウトは首を傾げる。

「空腹を満たすため。強さを誇示するため。誰かを守りたい。誰かが憎い。そういった己が欲望を満たすため……理由は星の数ほどあるけれど、それはあくまでにすぎない」

「……表面上の、理由?」

 カーミラは続ける。

「ええ。命を奪うということは相手の存在を喰らい、より強い存在になるということよ。それはどんな生物であっても変わらないこの世の摂理。全ての遺伝子に深く刻まれた共通項」

 一が一を喰らえば二になる。十が十を喰らえば二十に。命とはそうやって大きく育っていく。命とは本能的により大きな存在を目指す。それは生命の進化の歴史が物語っている。

 特に魔法使いや魔獣はそれが顕著に表れる。何故ならその命こそが魔力の源泉だからだ。喰らえば喰らうほど、魔力もより大きく膨れ上がるのは必然。自分自身でさえ認識できない内なる本能は常に戦いを求めている。


「でもワーロックは違う。足し算なんかじゃないの。限りなく同質の二つの魔力が互いに共鳴して、無限の相乗効果を生みだす。あれはそういうものよ」


 そうなると1+1の答えは違ってくる。それが理を外れるということの意味。


「……しかし今の話だと、彼女は過去に誰かを殺したということですか? しかも誰でもいいわけではない……何か特別な……」

 御影が思考しながら呟く。

「察しがいいわね。話のわかる子は好きよ」

 カーミラが「どこかの誰かさんとは違ってね」と言わんばかりに、ちらりとアリサを一瞥した。

「えぇ、あなたの言う通りよ。フフ、どうやら理解できたようね。ならわかるでしょう? 魔法使いが戦うということの意味も」


 点と点が繋がった。


 どうして魔法使いが戦いに巻き込まれるのか。魔獣の存在。プロジェクト・ワーロック。

 偶然じゃない。あのレポートにはワーロックの生み出し方に関しては不明と記述されていた。

 

 この事実を知っている誰かが。

 この街で、誰かがそれを為そうとしている。


「けれどワーロックへの覚醒はそれこそ天文学的確率。人類の誕生から絶滅までに一人、ないしは二人生まれれば上等ね」

 確かに命を奪ってワーロックになれるなら、今頃魔法使いや魔獣で溢れるこの街はワーロックでいっぱいになっているはずだ。

「そして彼女はたった一回でその天文学的確率に選ばれてしまった。そう、彼女は過去にたった一人だけ殺している。もちろんそれが誰でもよかったわけではないわ。特別な一人でなくては」


 それは今まで存在したすべての命の中で、無造作に選ばれたたった二つの命の結末。それらがたまたま限りなく同質だった故に起きた悲劇きせき


「あいつは……誰を殺したんだ?」


「彼女は――」

 

 カーミラがその名を口にしようとしたその瞬間、頭が割れるかと思うほどの大きなサイレンが学園内に響いた。

 御影はすぐにモニターを確認した。

「……ッ!!」

 バリケードで固く閉ざされていた学園の門が破壊されている。

「……侵入者」

 そしてその中心には影が一つ。

 アリサはその映像を見て目を見開く。

 そして彼の名を口にした。


「……シンジッ!!」


・3・


「悲しいかな、なかなかどうして歓迎されてないみたいだね」

 エクスピアの魔法使いシンジは大仰に両手を広げてニヤリと笑みを浮かべた。彼の周りには御影が防衛の一角として配置していた無人機戦術武装の残骸が転がっている。ここに足を踏み入れて数分と立たないうちに弾丸のように一斉に襲い掛かってきたのだ。

 しかしシンジには当然傷一つない。義手と一体化したネビロスリングを使って、降霊武装を召喚することもせず、己が魔法で生み出した植物製の武器のみですべて破壊してしまった。


「ねぇ、そこにいるんでしょ? 隠れてないで出てきなよ」


 シンジは誰もいない廊下に声を放った。

「……あなたの目的はなんですか?」

 姿を現さずに御影はシンジに質問する。学園内に他に人が見当たらないのは、ここの教師である青子や歩ける程度には回復したリクやアヤノを中心としたシャングリラメンバーが地下の緊急用シェルターにみんなを誘導したからだ。この短時間で済んだのは彼らの統率がなせる技だろう。

「目的? ……あぁ。確かここに一ヶ月前にエクスピアを襲撃した二人が潜伏している疑いがある、だっけ? あと魔獣の通報もされてたような……」

 前者はアリサと秋斗のことだろう。後者は飛角だ。彼女は学園内でもその異形の姿ゆえに敬遠されていた。魔獣は人の深い部分に恐怖を刻み込んだ。ここにいた誰かが通報していてもおかしくない。

「……ッ」

 御影は唇を噛みしめる。



「ッ!?」

 御影が壁を背に隠れていた教室。そのすぐ横がいきなり破裂した。

「くっ……!」

 御影の体が反対側の壁までバウンドする。

(……どうして居場所が!?)

 額から血が垂れ落ちる。全身に激痛が走るが思考だけはやめない。

「あれ? かくれんぼだけでもう終わり?」

「……い、まです!!」

 御影はすかさず合図を送る。すると別の階で待機していたアリサと秋斗が、転移を使ってシンジの背後に現れた。

「シンジィィィィィィィィィ!!」

 アリサは思い描いた武器に自在に姿を変える魔道具パンドラをアーミーナイフに変え、背後から襲い掛かった。確実に仕留められる間合いだ。

「あはっ!!」

 しかしナイフの刃は床から突然滝のように生えてきた大樹の壁に弾かれてしまう。

「くっ……ッ!」

「やぁアリサ。久しぶりだね。ん? 君、僕の知ってるアリサだよね?」

 シンジは不思議そうに首を傾げる。

「秋斗まで……いやぁ驚いた。僕以外に前の世界の人間を初めて見たよ。うん。これは正真正銘、感動的な再会だ」

 シンジは両手を合わせてニッコリと笑った。

「誰がッ!!」

 今すぐにでも食いつきそうなアリサを秋斗が制した。

「何故お前がここにいる?」

 瞳に宿る憎しみの炎はそのままに、静かに問う。

「まぁ僕もあの後いろいろあってね。命を拾ってもらったわけさ」

「ふん。お前はそれで恩義を感じるような人間じゃないだろう?」

「……ま、少なくとも彼女は僕を飽きさせない。僕がこっち側につく理由なんてそれだけで十分でしょ?」

 シンジは楽しそうに答えた。それは自分を楽しませることができるのなら、すぐにでもそっちについてもいいとでも言っているようだった。絶対にありえない話だが。


「……あなた、今の状況を理解しているのですか? 人間同士で戦っている場合では――」


「興味ないなぁ。誰がどこでくたばろうが関係ないよ。今、戦いを楽しめさえすればそれでいい。僕は」


 直後、シンジの足元から車のタイヤほどの太い樹木の槍が御影に向って飛び出した。

「!!」


 それは肉を割き、彼女の心臓を抉る――――――――――――ことはなかった。


「……ほんっとうに最低だな、お前」

「へー」

 シンジが少し驚いたような顔を見せた。

「あー臭い臭い。魔獣の臭いがプンプンするよ」

「そりゃあお前が今まで浴びてきた返り血でしょ? なんせ私からはお花の匂いがするからな」


 御影の前に割って入った飛角が樹木の槍を握りつぶした。


・4・


 エクスピア社三十階セントラル支部。


「……正直、あの男は信用できませんが」


 モニターの光に照らされ、セントラル局長の座に腰を掛けるレーシャ・チェルベルジー。彼女はアーロンが上に召集されたことで、押し出し式に彼のポジションだった局長に就任していた。

 先ほどシンジに襲撃者の位置情報を提供したのはセントラルだ。レーシャは何度か彼を目にしているが、得体が知れないというのが正直な感想だ。

「よもやあの筋肉バカでもいた方がマシと思う日が来るとは考えもしませんでした。Shitです」

 定期的に行われる島民の生存確認。魔獣の出現把握。こんな状況だからこそなのだが、レーシャは未だかつてない忙しさに身を置いていた。

 そんな彼女は目の前にいる新入りに向けて言葉を投げる。


「まさかとは正直驚きでした。その能力は買いますが、仲間でしょう? 彼らは」


「……」

 賽鐘ミズキは口を開かなかった。むしろ全力で口を閉ざしているようにすら見受けられる。


 彼女はセントラルの制服に袖を通していた。


 心を感じ取る精神系魔法は使い方次第でその価値は激変する。かつて神座凌駕もその力に一目置いていた。

 街中の電子カメラがダウンしているこの状況で、変わらずセントラルが機能していられるのはひとえにミズキのおかげだった。セントラルのサポート下で発揮される彼女の魔法、そこから得られる情報はこの海上都市すべてを網羅している。

 どこに誰がいるのか。全て筒抜けだ。先ほどシンジがすぐに御影を見つけたり、背後の奇襲に対応できたのも、その情報をあらかじめセントラルから受信していたからに他ならない。


「……はぁ。安心してください。あなたがこちらに手を貸す限り、私も約束は守ります」

「……わかってる」

 レーシャとミズキの間には一つの契約が存在する。それは、


 皆城かいじょうタカオの治療と引き換えに、自分がセントラルに協力する。


 というもの。

 レーシャとしてもこの街の安全を守るために必要だと考えた末のものだ。いやそれ以前に、泣きながら半死の少年を抱えて佇む彼女の姿を見ていられなかったのもあったかもしれない。


 レーシャはテーブルの上にカードキーを置いた。

「皆城タカオの再生治療は完了しました。まだ意識は戻っていませんが、こればかりは時を待つしかありません。顔が見たいのなら好きにしてください」

 ミズキはそのカードキーを無言で受け取った。


****


 扉にカードキーをかざし、ミズキは病室に入った。病室と言っても薄暗く、ベッドなどない。あるのは得体のしれない機械の数々と、中央に鎮座するカプセルだけ。それら全てを含め、部屋の中はまるでプラネタリウムのようだ。

 ミズキは恐る恐るカプセルをのぞき込む。そこには未だ目を覚まさないタカオの姿があった。さすがは海上都市最高の医療技術。レーシャの言った通り、再生治療のおかげでシンジに付けられた傷は治っていた。千切れた腕も元通りだ。


「……タカオ」


 ミズキはポツリと呟いた。一度口を開いてしまったが最後、ため込んでいたものが止めどなく溢れ出る。

「ごめん……ごめん……ごめんなさいッ……」

 それしか言えなかった。タカオを救うために彼女は仲間を売ってしまった。しかもよりにもよってそのタカオの命を寸前まで奪いかけたシンジに協力する形で。

 これが裏切りでなくて何だというのだ?

 あとでみんなから裏切り者と罵られても構わない。どちらにしろもうみんなと一緒にはいられないだろう。

「でも……それでも私は、あんたに……生きててほしいから……」

 覚悟はとうの昔にできている。

 彼女の隣にはもう誰もいない。タカオも、ガイも。

「ねぇ……何とか言ってよ……いつもみたいに、バカ言いなさいよ……」

 そうしてくれればどんなに楽になれることか。

「……お願い、だから」

 カプセルのガラスに額を押し付けるミズキ。悲しみで湧き上がってくるうなされるような熱。沸騰した頭が冷やされていく。

 思考がクリアになる。

 そして改めて自分が嫌いになった。


「……私、最低だ」

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