第7-2話 転校生 -Suddenly-
・6・
ジュウゥゥ。
全身に染み渡るような気持ちのいい音が鳴る。同時に香ばしい匂いが部屋中を支配する。
「あー、上手くできたな」
レオン・イェーガーは満足気な表情でそう言った。ネットで作り方を確認し、部屋の中でささやかな広島風お好み焼きを絶賛調理中だ。
「……」
ここは彼の自室。警務部隊を退職したレオンに、
警務部時代は、いついかなる時も迅速に出動できるようにするために、用意された寄宿舎に住んでいた。お世辞にも広いとは言えなかったが、あれはあれでいいものだ。
逆に今の部屋はレオンにとって少し広すぎるように感じていた。
高級マンション。8階。2LDK。
新社会人の初任給は軽く消し飛ぶ額の部屋だ。
とてもじゃないが下っ端公務員だったレオンにもここまでの贅沢はできない。
新しい就職先は報酬の一部としてこの部屋を提供してくれた。それにはいくつかの理由がある。その一つが目の前の少女だ。
「……」
「……あの~ハンナさん?」
白いワンピースにリボンのついたカチューシャの少女・ハンナはレオンの言葉に反応せず、ただ対面にちょこんと座っている。
少女は先ほどから、目の前でレオンが鉄製のコテを駆使してせっせと作るお好み焼きを凝視していた。
「よし、これで仕上げだ」
お好み焼きの下腹部に二つのコテを差し込み、一気にひっくり返す。
「……っ!?」
その光景に一瞬、ハンナの目が輝く。
こうして見るとやっぱり年相応の女の子に見えるよなぁ、とレオンは率直な感想を思い抱く。
今のレオンの主な仕事は彼女の世話だ。
それだけでは先日の影の軍団を一掃したのは何だったんだとなるかもしれないが、それも大いに関係がある。
神凪夜白博士に渡され、影の軍団を殲滅した鎧。
魔道装甲ハンニバル。
初めてレオンがそれに触れた瞬間、生み出された少女。それがハンナだ。
信じられないことに、あの鎧そのものがハンナなのだそうだ。要するにレオンは彼女を着ていたということになる。
分類でいうと金属……なのだろうか?
しかし人間と変わったところは見受けられない。
ちなみにハンナという名前は、レオンが彼女に名付けたものだ。
いずれ正式に発足される対魔獣部隊に配属されることになるとは聞いている。それまで彼女と親睦を深めるように夜白に言われていた。
「ほらハンナ、食べてみな」
レオンは出来上がったお好み焼きを切り分け、小皿に移してハンナの前に置いた。
「……ぁ」
どうやって食べればいいのかわからないのか?
「こうだ」
レオンは箸を手にして口に運んでみせる。さすがに本場の人ではないのでこれが正式な食べ方ではないのかもしれない。まぁ食べれれば問題ない。
ハンナも真似して一口頬張る。その後また一口、また一口と箸を動かす。
「よし」
小さくガッツポーズ。
まだレオンには魔法がどうとかっていうのはいまいちパッと来ない。だが目の前であんな光景を見て、自分もそれを行使した以上、信じないわけにはいかない。
目の前の少女はレオンが新たに手に入れた「力」なのだ。
とは言っても、彼女は人のように歩き、人のように食べ、人のように眠る。そんな彼女を道具扱いするつもりは毛頭ない。
もしかしたら食べる必要はないのかもしれない。
もしかしたら話すことに意味はないのかもしれない。
それでもレオンはハンナを一人の人間として扱うことにしている。
(いまだに一回たりとも意思疎通がまかり通ったことがないんだけどな……)
レオンはダメもとでいつものように話しかける。
「美味いか?」
少女はコクっと喉を鳴らす。
無反応。
(……博士。今日も……ダメでした)
「……おいしい」
「え?」
小さな声で少女は答えた。
初めて新しい相棒と意思疎通が成功した瞬間だった。
・7・
夜泉を一通り案内した後、ユウトは青子に自分の研究室に来るように言われていた。
先日の件もある。どうして青子がルーンの腕輪を持っているのか。ユウトには聞きたいことが山ほどあった。
トントンとドアをノックする。
「入りたまえ」
「失礼します」
ゆっくり扉を開ける。
中はアンティーク調の綺麗な部屋だ。学園の教師の中にはこうして部屋を貰う人がいる。普通は個人の研究室として使うのだが、青子の場合は研究室とは名ばかりで完全に私物化している。むしろ住める。
「……さっきはお楽しみでしたね」
すでに刹那が部屋の中央にあるソファーに腰掛けていた。何だかものすごい不機嫌だ。
向かいの席には白髪の見慣れぬ女の子。中等部の制服を着ている。目が合うと、「……ん」と小さく反応した。
ユウトも刹那の横に座ると、横からスッとお茶が差し出される。
「どうぞ」
「これはどうも……って!? レヴィル!?」
そこにいたのはフリフリのメイド服姿のレヴィルだった。どうしてこんな所に?
「こんな所とは失礼なやつだ。ここほど安全な場所はそうないぞ?」
「人の心を勝手に読まないでください!」
青子は心外だというような顔でそう言った後、同室していた白い髪の少女、イスカを軽く紹介し、レヴィルについて説明してくれた。
「この娘はしばらく私が預かる事にした。理由はどうあれ世間を騒がせた殺人犯だ。今後のこともある。私が教育者として身元引受人になったというわけだ。教育者としてな!」
なぜ二度言う。そしてなぜそこを強調する。
「明らかに別の意図しか感じられないんですけど……」
レヴィルはせっせと甲斐甲斐しく、青子先生に新しいお茶を用意している。
「……ちなみにこの衣装は私が用意した」
イスカはキランと目を輝かせて言った。
「皆さんにはご迷惑をおかけしました。ユウトさんも助けてくれてありがとうございます。今の私にはこれくらいしか皆さんのお役に立てないので……」
「お役に……ねぇ……」
青子はお茶飲みながら明後日の方向を向いていた。
「ところでユウトさん」
「ん?」
「先日私の意識が乗っ取られていた間に、私はどこかに顔を強くぶつけたりしましたか? 病院にいた頃ずっとほっぺたが痛くて……」
「あぁ……」
ユウトと刹那は揃って青子の方を向く。青子先生は咳払いをして誤魔化した。
「そうだ青子さ……先生、アンタ魔法使――へぶっ!」
顎に強い衝撃を受けて急に視界がぐらついたと思えば、ユウトは床に倒れマウントポジションを取られていた。いや今のはセーフだろう? 強引に軌道修正したぞ!
「教師に向かってアンタとはなんだ? あぁん?」
「……すみません」
そっちかぁ……。
目が怖い。目が怖い。とても聖職者の目じゃないです。
「ふん。私の魔法は時間の操作でな。結界を張ってその中の時間を遅らせることができる。完全に時を止めることはできないがな」
青子の左腕にはルーンの腕輪が見えた。イスカにも目を向けたが、彼女は持っていないようだ。
「ではやはりその姿は魔法で」
刹那はずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。初めて見た時から、青子からは常時魔力を感じていた。今ならわかる。きっと今の姿を維持するためだろう。
「半分正解だ。この姿は十歳の頃の私だ。私をそこらのロリババアと一緒にしてくれるなよ。
青子はプニプニのほっぺたをつまんでみせる。
「私のこれは副作用だ。昔、魔法が暴走した時のな」
(暴走?)
青子はそれ以上は語らなかった。
「初めて会った時から疑ってはいたけど、ほんとにただの幼女じゃなかったのか……」
「お前は八年も一緒にいて、まだ私をそんな目で見ていたのか?」
青子は溜息をつく。彼女は彼女で頼れるお姉さんとして振る舞ってきたのだ。
ユウトと青子は二人で通じ合ったように笑う。
「……ん? ちょっと待って。八年ってどういうこと? 先生はこの学園の教師ですよね?」
「あぁそうだが?」
「どうして八年も付き合いがあるんですか?」
(あぁそうか。刹那は知らないのか)
「あぁ? そんなの私がこいつの保護者だからに決まっているだろう?」
「……へ?」
刹那は呆気にとられた顔をした。
ヒュッと髪が空を切り、ユウトの方を向いた。
その顔は「ほんとに?」と問うている。
「まぁ……そうだけど……」
「え……じゃあ、何……もしかして」
刹那はプルプル体を震わせた。
――八年前。
孤児院で刹那は一人だったユウトに手を差し伸べた。みんなの輪の中心だった彼女は、新入りを迎え入れる役目は自分こそ適任だと思っていたから。
だけど本当は周りとは何か違う。
なんというか、その冷めた目が気になっていた。
その理由が知りたかったのかもしれない。
子供というのは不思議なもので、人間通しの垣根を簡単に超えてしまう。
一緒に過ごすうちに、刹那にとってユウトは日常の一部となった。
なのにある日、突然引き取り手が現れ、ユウトは院を去った。
あまりに唐突で、送迎会を開くこともなく刹那の前から姿を消した。
そのことについて理解はあった。いつか来るかもしれない事だから。
だが子供だった刹那が納得するかどうかはまた別の話だ。
泣きもした。恨みもした。いつかそいつをぶった切ってやろうと心に誓った。
今、その相手が目の前にいる。
「……八年前にユウトを連れてった引き取り手って……」
「私だ」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
「ま、つまらん話はここまでにして、本題に移ろう」
青子は湯呑を置いてそう言った。
「貴様らが街に出現する魔獣を退治していたのは知っていた」
「先生、あいつらはいったい何なんだ?」
「わからん。だがやつらは
青子はレヴィルが持ってきた茶菓子をかじる。
「まぁ、腕輪がばら撒かれたのとほぼ同時期にゲートの発生率が跳ね上がったのは間違いないな」
刹那の話だと、裂け目自体は昔からあるものだそうだ。
昔話でよく語られる神隠しや黄泉の入り口。伝わり方はいろいろだ。
「先生はルーンの腕輪を誰がばら撒いたか知っているんですか?」
青子は一拍置いて言った。
「エクスピア・コーポレーションだ」
「っ!?」
今……なんて言った?
「この腕輪はそこで作られている」
「なんで冬馬の会社が!!」
ユウトは思わず机を叩いて立ち上がった。
「安心しろ。宗像自体はこの件には関わっていないだろう」
青子は以前一度だけ、遠回しに探りを入れたことがあった。
その時、冬馬は眉一つ動かさずに答えていた。その後の身辺調査でも白。
おそらく彼は無関係だ。
「エクスピア・コーポレーション現社長。
・8・
ユウトたちには話せる情報だけを話した。
最後に青子はユウトにこう告げた。
お前がやりたいようにやればいい、と。
戦場青子は自室のソファーにゆったりと腰を掛ける。その座り方に若干年を感じるが、彼女がやると自然と絵になってしまう。
奥の準備室のドアが開く。遠見アリサが姿を現した。
彼女はユウトたちが部屋にいる間、ずっと隣の部屋にいた。
「……お、お――」
「貴様にお義母さんと呼ばれる筋合いはない」
アリサは、自分の考えを先読みされ、少し動揺するが、一度コホンと咳払いをして、すぐに「何の事ですか?」と訴えるような表情をした。
「どうしてユウトさんを止めなかったんですか? それにエクスピアのことまで……」
アリサはそれが気に食わなかった。このままではユウトがまた危険な目に会う。
「うちは放任主義だからな。やりたいようにやらせるさ。それにいずれわかることだ。知らないで痛い目見るよりよっぽどいいだろう?」
「あなたも分かっているはずでしょう? このままだとまた――」
アリサの糾弾を青子は静止する。
「今ここであいつから魔法を取り上げても意味はない。お前は今のユウトを知らないだろう?」
「私はあの人のことを誰よりも知っています。この前だって――」
「あいつはお前が思っているほど優しい人間じゃないぞ?」
「……え?」
青子は大きく息を吐き、ソファーにもたれかかる。
「今でこそああだが、初めて孤児院で見かけた時のあいつはまるで死んでるみたいだった。まぁ、あの年で両親が消えれば無理もないのかもしれないが。……あぁ、思い出した。あの時あいつを引っ張ってたガキが
青子は今でも当時の記憶を覚えている。
大人と一緒に楽しく遊ぶ子供達。それを遠目に見つめる少年の姿を。
絶望。恐怖。悲哀。
幼い子供の瞳は本来存在してはならない感情で埋め尽くされていた。
「あいつはたぶん、」
青子の目から見て、吉野ユウトという人間はあの時とまるで変っていない。
どんなに取り繕っても本質はあの時のまま。
誰よりも傍にいたいくせに。
輪に入る事を怖がっている。入るための理由を探している。
明確な存在意義を。
矛盾している。故に抜け出せない。
自分という存在を確立できない。
「自分が必要とされないことが怖いんだろうな」
結局のところ、養子として青子がユウトを選んだのはそこなんだろう。
消えてしまいそうだった灯火を守りたかっただけかもしれない。
元々エクスピアの研究者だった青子はエクスピアの闇の部分に触れた。当然ただで済むはずがなく、彼女はとある事件に巻き込まれてしまった。
気付いた時には体は縮んでいた。左手には覚えのない腕輪。
自分がどこにいるのかもわからない。何があったのか記憶も曖昧。
だが彼女はそれでもエクスピアの闇を追い続けた。
戦場青子として再びこの街に戻ってきた。
当時、青子には子供が必要だった。
イースト・フロートに入る際、個人で入るよりも保護者として入る方が何かと都合がよかったのだ。将来ここで学ぶ子を連れていれば、ある程度の優遇措置がある。
小さな体を駆使して学生として入る手もあったが、全ての学生は入学前に身体検査を義務付けられている。検査にかこつけて、ルーンの腕輪の適合率などを調べるためだ。すでに腕輪の魔力に犯された彼女は怪しまれる可能性があった。
戸籍に関しては、その手の人間に頼めば何とかなる。
体は小さくても体質だと言ってしまえばそれでおしまいだ。
どんな形でもいい。それが「家族」という単位であればそれでよかった。
そうして青子は孤児院『さくら』へ訪れた。
「例の一件で、
あるいはもっと大物が釣れるかもしれない。
「……ユウトさんを囮に使うつもりですか?」
アリサは腰に隠し持っている銃にそっと手を置く。
自分でも酷いことをしている自覚はある。吉野ユウトという人間の本質に付け込んでいるのだから。
これまでずっとそうしてきた。
青子は彼女の目的のためにユウトを利用し、ユウトは青子に求められることで欠けたものを満たす。
お互いがお互いを利用する関係。
互いにこのことについて明言したことはない。だが心のどこかに感じているかもしれない。
別に互いに不満があるわけでもない。
だが。
とても家族とは言えない。
だから
「遠見、いい女ってのはな、信じてやるもんだ。大切なら少しは信用してやれ」
そんなこと言える資格はないにも関わらず。
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