第7-1話 転校生 -Suddenly-

・1・


 切り裂きジャックの事件から一月が過ぎた。

 前回の死闘で受けた傷もすっかり癒え、問題なくなんとかやっている。

 季節は本格的に秋に突入。秋休みなんてのは名ばかりで、やれ補講だのやれ振替授業など、教師と毎日顔を合わせる理由はいくらでもあった。

「ほぅ……私の授業はそんなにつまらないか? あぁん!!」

「痛い……痛いです青子さん」

 戦場青子いくさばあおこの親指がユウトの頭部両端の妙なツボを指す。

「アーーーーー、メガァァァァァァァァァァァァ!!」

「ユウ!」

「ユウト!」

「おいおい大丈夫かぁ?」

 補講のメンバーはジャックの事件の関係者である吉野ユウト、御巫刹那みかなぎせつな。さらにそれに加えて、宗像冬馬むなかたとうま祝伊紗那ほうりいさな。この四人だ。

 冬馬は最近欠席や早退が多く、青子が声をかけていた。伊紗那は自ら志願したようだ。

「青子先生だ。騒ぐな。目にいいツボを突いただけだ。どうだ? 目が楽になっただろう?」

「あれ? ほんとだ……」

 いったい何者なんだこの先生。どっかの山奥で修行でもしてきたのか?

「ふん。では用紙を回収するぞ」

 青子は回収した問題用紙をサクサク添削していく。ものすごいスピードだ。こういう姿を見るとこの人ほんとに教師なんだなぁと実感する。

「ふむ。宗像と祝はいつも通り満点か……。つまらんな」

「そんなことないですよ~。俺は先生が心置きなく綺麗な丸が書けるように日々精進しているだけですから」

「あはは……」

「まぁいい。それで……吉野が八十七点か。まぁ要点は押さえているし、頑張っているな」

 青子はにぃっと笑ってみせる。

「ありがとうございます」

 そして最後の一枚。

「……御巫刹那」

「はい!」

 刹那は額に汗を浮かべる。というかむしろ洪水のように流れ出ていた。


「二十八点」


「……はい」

 ガシッと青子の両手が刹那の頭をホールドする。

「ひぃぃぃぃぃ!!」

「おかしいなぁ……?。私はここが出るとワ★ザ★ワ★ザ教えてやったのにまるでそれが反映されていないぞぅ? お前も目が疲れているんだろう? それとも何か? 頭に行くはずの知識全部その乳にでも行ってんのか!!」

 グリグリメキメキとだんだん聞こえてはいけない音が聞こえてきた。なんか私怨が入ってないか?

「すみませんすみません痛い痛いぃぃぃぃ!!」


・2・


 ユウト、冬馬、伊紗那は青子のお許しを得て補講から解放された。

 ユウトに最後まで助けを求めた刹那はまだあの教室まくつの中だ。

(すまん……俺にはどうすることもできないんだ)

 一通り拝んでからとりあえず屋上に向かう。

 そこで仰向けに寝転がった。

 遠見アリサのことを考えていた。そういえば刹那は最後まで警戒の視線を送ってたいたことを思い出す。

(アリサが刹那を襲った……か。あいつ、そんなことするようには見えないけど……)


                  ***


「ほんとサンキューな。助けてくれて」

「……いえ」

 アリサは素っ気なく返事をする。

「吉野さん……」

「ユウトでいいよ」

 ユウトはアリサの頭を優しくなでた。アリサは少し俯いて、

「……分かりました。なら私のこともアリサでいいです。不公平なので」

「おう」

 耐えきれなくなったのか、アリサは頭に乗ったユウトの手を軽く払う。

「どうしてあの子を助けたんですか?」

 結局、自分たちを襲った殺人鬼は死んではいない。いわば冬眠したようなものだ。またいつ現れ同じことを繰り返すかわからない。

 ユウトは照れた様に頭をかいて、

「別にヒーローになりたいとかそんなんじゃないよ。ただ、あいつは助けてって言ったんだ。そう言われたら助けるしかないだろ?」

「……そうですか」

 その問いの答えは純粋で美しい。けれどどこか危うい気がした。

 アリサはポケットからある物を取り出してユウトに渡す。

「これは?」

「お守りです。持っていてください」

 小猫があしらわれた小さな髪留めだった。

 アリサは振り向きざまに言った。

「私との約束はまだ継続中ですからね。……あなたは戦わなくていい」

 そう言って、彼女はいなくなった。


                  ***


 そんな事があって今に至る。ユウトは仰向けのまま貰った髪留めを眺める。

「……これからどうするかなぁ」

 あの日、一つの命を救うことができた。

 あの時の感覚はまだ覚えている。

 熱く。

 激しく。

 そして甘美なあの感覚。思わず手を伸ばしたくなるような。

 だけど何か足りない。その答えが知りたくて、

(もう一度――)


「ユウ」

 屋上の扉が開かれ、そこには伊紗那がいた。風になびく髪を軽く押さえている。

「どした?」

「何となくここにいると思って」

 伊紗那は静かにユウトの横に座り込む。どうも以前の伊紗那の部屋での一件以降、どうやって話しかけたらいいのかわからなくなってしまっている自分がいた。

 こういう時、どうしたらいいかわからない。

 解決策を求めて頭の中をグルグル回る。

 冬馬ならこういう時、気の利いた台詞を一つや二つ思いつくのだろうか。アドリブは苦手だ。

「あー、何て言うか、あれだ。その――」

「ユウ、無理に喋らなくてもいいよ。私は――キャ!」

 急に強い風が伊紗那に吹いた。伊紗那は態勢を崩してユウトの上に倒れ込む。

 ちょうど伊紗那がユウトの上に乗っている状態だ。押し倒していると言ってもいい。

「い、伊紗那?」

 反射的に。すぐに引き離そうとした。ユウトの手が伊紗那の体に触れる。

「……あっ」

「ごめん!」

 柔らかな体の感触が手に伝わり、女の子のいい香りが鼻孔をくすぐる。

 伊紗那はサッとユウトの両目に目隠しするように右手を被せた。何も見えない。

「……ユウのエッチ」

 嫌でもこの態勢はマズいだろう……。だが彼女はなかなか動こうとしなかった。

 ピトッ。額に何かが当たる感触がした。

 額と額が当たっている。まるで子供の熱を測る母のように。

「……ユウ」

 優しい声。その言葉は今までにないくらい至近距離で聞こえた。

「よくできました」

「……」

 彼女は何に対して言ったんだろうか?

 脳が自分の制御を離れ、勝手に目から一滴の滴が流れる。


 ずっと求めてきた言葉。

 今、自分の中で湧き上がる感情。

 この感情に名前を付けるなら――


 ガラン。ドアが開く音が鳴り、二人はピタリと静止する。

「……あ」

「……冬馬」

 屋上に新たに入ってきたのは冬馬だった。ユウトは自分たちが今どんな状態かを思い出す。

 ユウトが下で伊紗那が上。女が男を押し倒している図。

 さすがの冬馬も気まずいようでどうして良いかわからないといった様子だった。

 冬馬はしばらく頭をかきながら口笛を吹いて明後日の方向を向いていたが、その明晰な頭脳はいらないところで抜群の真価を発揮した。

 すぐに、あ、俺今いいこと思いついたわぁ。とでも言いたげな顔を見せた。

 完全に悪い顔だ。

 取り出したのは携帯。ピッとボタンを押して。


 カメラモード ON!。

 感度良好!

 被写体ヨシ!


「いやぁ嬉しいなぁ。とりあえずお二人の門出を祝って記念撮影するか。はい、笑って笑って」

「「撮るなぁぁぁぁぁぁ!」」


弁解中……


「なるほど。つまり不慮の事故だったと……。ま、わかってたけど」

 冬馬は顎に手をあてて悪戯っぽい笑みを浮かべている。冬馬は先生が伊紗那を探していたと伝えに来たようだ。伊紗那は顔を真っ赤にして風のようにこの場を去って行った。

「やっぱりか」

「お前さん、いい顔になってきたな」

「え?」

 唐突に冬馬はそんなことを言ってきた。

「なんていうか……何かをやり遂げた男の顔だ。すごくいい顔だ。ま、後は女を押し倒す度胸さえあればお父さんもう言うことないんだけどなぁ」

「なんだよそれ。俺はお前のような親父を持った覚えはない」

 ユウトは力なく地面に背中を付け空を見上げる。冬馬はそんなユウトの横にゆっくり腰を下ろした。しばらくお互い、無言で空を見上げる。

「俺ってさ、少しは前に進めたのかな?」

 冬馬はそれを聞いて、

「さぁな。……でも別に立ち止まったっていいんじゃないか? 辛い時は投げ出してしまえばいいし、できないならやらなければいい。それが上手に生きるコツだ。世の中それでも回るんだから。焦って変に使命感を感じるなよ」

 胸がギュッと締め付けられる感覚があった。

 それはできない。

 諦めたら、前に進むことをやめたら何もなくなってしまう。それは今までユウトが歩んできた道のりが許さない。

「たぶん、俺がやらなくても、いつか、誰かが正義のヒーローみたいに何とかしてくれるかもしれない。そうやって人に任せるのは悪いことじゃない。でも、もし俺にできるなら……この手で掴めるなら、例え出しゃばりでも、他の誰でもない俺がやり遂げたいと思うんだ。……ん? 冬馬?」

 冬馬は呆気にとられたような顔をしていた。が、すぐに我に戻り、

「すまんすまん。お前の口からそんなことを聞く日がくるなんてなぁ」

「……なんだよ悪いかよ。これでも真剣に考えて――」

「いんや、お前がそこまで言うならそれでいい」

 冬馬はそう言って続ける。

「やり遂げたい……か。正直本気のお前が見れて俺は嬉しいよ。お前は妙に抱え込むからな。今はその荷物が下りた感じだ。それって自分で決めた何かを最後までやり遂げたってことだろう?」

 やはり冬馬には敵わないな。

 この初めて湧き上がる感情の正体を簡単に言い当ててみせた。


 本気で何かをやり遂げた時の達成感。いや、これはもっと根源的な……

 そう、誰かに認められたことが嬉しいんだ。


「そういえば、俺たちが初めて会ったのもここだったなぁ」

 あの時。この場所で。

 有象無象の灰色の世界の中で一際光るものを見つけた。

 その男は一人で屋上のフェンスから外を眺めていた。

 決して流されることなく、強い意志を宿す瞳。

 意図せずとも誰もが認める。本の主人公のような。そんな人間。

 初めて見た。

 宗像冬馬という人間を見た時、初めて心の底からかっこいいと思った。

 その背中にユウトは憧れ、ずっと追いかけてきた。

 自分もそうありたいと思った。だから止まれない。止まりたくない。

 あの時受けた衝撃は、こんなものじゃなかった。

 もっと。もっと。

 ニコリと笑って、冬馬は立ち上がる。

「ま、気が済むまでやればいいさ。お前が掲げる理想は間違っちゃいないんだからさ。そんでいつでも諦めちまえ。お前には俺たちがついてる。たまらなくなったら愚痴くらい聞いてやるさ」


・3・


「……見ていましたよ」

「うわぁっ!?」

 屋上から戻った途端、鳶谷御影とびやみかげがそこにはいた。

「御影……さん? 何してるんだ、そんな所で?」

 屋上の扉は外側からは押すように開く。彼女は開けられたばかりの扉の影に潜んでいた。扉が戻らないところを見ると、彼女が内側のドアノブをまだ持っているのだろう。

「……Yes。人間の情愛について観察していました。他意はありません」

「どこから見ていたか詳しく聞こうか」

「……祝さんがあなたを押し倒したところから最後まで」

「全部じゃねぇか!!」

 ユウトはがっくしと肩を落とす。その肩に御影はポンと手を置く。

「彼女とイチャイチャした挙句、今度は別の男ともイチャイチャイチャイチャ。正直予想外でした。ジュルリ……」

 ん? 今なんか涎出なかったか?

「……よもや吉野さん。あなたが男性にもせ――」

「あーーーーーーー。鳶谷さんや。お腹は空かんかね? 学食奢らせてくださいお願いします」

 なんか危険な発言をしようとしている気がする。ユウトは咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。

「……モゴモゴ」

 ここには二人以外人はいない。だが階段という空間は狭いのだ。故に、声が非常に響きやすい。ここからすぐ下は生徒が普通に歩いている。

 何とかこの口を塞がなくては。余計な爆弾発言が飛び出す前に。


 だがその日、ユウトは後悔する。

「……Yes。教えてあげましょう。私が学食でなんと呼ばれているのかを」

 このジト目系インテリ科学者。かなりの大食漢だった。


・4・


 翌日、早朝。

「……で?」

「何がだ?」

 テーブルに並べられた朝食。

 ご飯。お味噌汁。焼き魚。加えてふわふわのだし巻き卵まで。お茶もわざわざ新しいのを買った淹れたてだ。

 非の打ちどころのない完璧な朝食が目の前にある。

 ただ問題はそこではなく、

「なんでお前が俺の部屋にいるの?」

 冬馬がなぜかユウトの部屋に上がり込んでいた。

「ま、いいじゃないの。そんなことより冷めないうちに食べな。ささ」

 ユウトは箸を取り、料理を口に運ぶ。

 うまい。

 お味噌汁の絶妙な塩っけ、焼き魚の脂ののり具合。ご飯が進む。極めつけのだし巻き卵の甘味は最高だ。

「どうだ?」

「……うまい」

 何だろうこの敗北感。最近は伊紗那に作ってもらっているとはいえ、一人暮らしで料理には自信があったのに。

「で、なんでお前が俺の朝食を作ってるんだ? ご飯に味噌汁、焼き魚……完璧だな。新婚夫婦か!」

「ははは。俺も新妻になった気分だ。旦那様」

「誰が旦那様だ!」

「ほほう。つまり伊紗那だったら文句はないわけだな?」

 冬馬はからかう様な目でそう言った。

「ち、違う。そうじゃなくて……今日は唐突だったから……ッ!? ていうかどうやって入った?」

「伊紗那に頼まれたんだ。ほら、鍵も渡された」

 冬馬は鍵をチラつかせる。

「今日なんかあったか?」

 特に行事があるわけではないはずだ。時期的に。

「また転校生が来るらしいぞ。その案内役って言ってたな。毎度ご苦労なこって。あいつは愛想もいいし教師連中に好かれてるからよく頼まれるんだ。刹那ちゃんに次ぎ二人目だな」

 冬馬は勝手にテレビをつけ、ニュースを見る。

「へー」

 特に変わったニュースはない。いつも通り天気や運勢などなど。

『今週の運勢~! 一位は獅子座のあなた。思わぬ再会にあなたのラブハリケーンは止まらない! 例え世界を敵に回しても俺は止まらないZE!! そして最下位は射手座のキミ! 隠し事がばれちゃう危険あり。下手なお節介は慎みましょう。頭を隠しても、他のところはババーン! だよ』

 今日も例のニュースキャスターが素晴らしい笑顔を振りまいていた。

「あちゃー、最下位かよ」

 冬馬は額に手を乗せる。

『次のニュースです。エクスピア・コーポレーション社長、最――』

 突然、テレビが切れた。見ると冬馬の指先がリモコンの電源ボタンに触れていた。

「冬馬? ニュースいいのか?」

「あ? あぁ……そろそろ学園に行かないとマズいだろう? 青子先生にも怒られちまう」

 どこか上の空だ。

(こんな冬馬、見たことないな)

 時刻はジャスト八時。確かにそろそろヤバい。

 ユウトは手早く支度を済ませ、冬馬と共に学園へ急いだ。

「ユウト、俺が先に出るからお前は十分したら出て来い。いいな?」

「それじゃ俺が遅刻するだろうが!」

 いったい何の心配をしているのやら。


・5・


「あー、お前らに転校生を紹介する。逆神さかがみ、入れ」

 青子は扉の向こうで待機している少女に声をかける。

「はい」

 冬馬の言っていた通り、ホームルームで転校生は紹介された。

 その転校生は。

 白人のように白い肌。長い銀髪。

 まるで絵本に出てくるお姫様のようだった。

逆神夜泉さかがみよみと申します。よろしくお願いします」

 少女は優雅にお辞儀をする。


 一拍置いて、


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!! ほうりさんに続く清楚系美少女キターーーー!!」

「俺このクラスでよかったぁ!!」

「きれーい!! お姫様みたい!!」

 クラスにどよめきが起こる。

 クイクイと刹那がユウトの袖を引く。

「ねぇ、ユウト」

「何?」

「私の時はこんなに騒がれなかったんだけど」

(あー、うん)

 その時その場にいなかったが、何となく想像は付く。

 ユウトは刹那に笑顔を向ける。憐みの笑みを。

 神や仏もこんな感じで笑うんだろうか?

 菩薩スマイル。

「どういう意味よ!!」

 刹那はユウトにヘッドロックをかける。

「く……苦しぃ……」

 ユウトの右側頭部に柔らかい感触。

(当たってますよ刹那さん!!)

 だが気付かれるとさらにマズイ。何とかしなくては。

「……?」

 気付けば夜泉はユウトたちの方を見ていた。いや、ユウトを見ている?

 その視線に気付いた一人の男子は、

「逆神さん。あいつはダメです! あいつはすでに我がクラスの女神、祝さんをその毒牙にかけたケダモノ! 近づくと噛まれますよ!」

(なんだその言いぐさは……)

「あら、そうなのですか? それはそれは……」

 夜泉はユウトたちの元へゆっくりと近づく。ちなみにまだヘッドロック中だ。

「優しくしてね♪ ユウト君」

「……へ?」

 チュッ。頬に柔らかい感触。夜泉の唇がユウトの頬に触れた。

「「なっ!?」」

 刹那と伊紗那は口をパクパクさせている。

 次の瞬間、クラスメイトによる粛清という名の集団リンチが始まったことは想像に難くない。



 ――放課後。

「んじゃ吉野、気に入られたみたいだし学園内の案内はお前ってことで。そこんとこよろしく」

 青子はそう言い残し、教室を去った。

 (それはあんたの仕事じゃないのか……。まぁ言われた以上やるけどさ)

「それじゃあよろしくね。ユウト君」

「あぁ、まぁ頑張るよ」

 とは言ってもまだ昼だ。今日は学園内で工事が入る予定だとかで、授業自体は昼で終わっている。帰宅組や部活組。生徒たちはみな束の間の休息を満喫していた。

「とりあえず食堂に案内するよ」

 食堂の座席率はちょうど半々と言ったところだった。二人ならどこでも好きな場所に座れそうだ。

 二人で窓側の席に座り、備え付けの電子パッドを見る。食べたい料理のボタンを押せばオーダーができるというわけだ。

(どれがいいかな? ここは無難にいついかなる時でもみんなに愛される日替わり定食で――)

「これにしましょう」

 夜泉の白い指がある一点を指す。

 超銀河・スペシャル激辛チャーハン (水なし完食で代金お返しします)。

「……」

(なんだ超銀河って……)

 夜泉は挑戦的な眼差しをユウトに向けている。

「男の子でしょう?」

 それは世の男子を瞬殺する一言。避けることのできない絶対のオーダー。

 力なく。ユウトはボタンを押した。


 超銀河・スペシャル激辛チャーハン到着後、わずか十秒。

「……むひ」

(何これ!? 辛いとかそういう次元じゃないんだけど? なんか体から変な汗が止まらない)

 決して量が多いわけじゃない。見た目が赤々しいだけの普通のチャーハンだ。

「ふふふ……」

 対して夜泉はというと、何事もないように優雅にレンゲをチャーハンの山に差し込む。そして垂れる髪を左手で軽く支え、その小さな口へゆっくりと運ぶ。すでに半分ほど食べ終えていた。

「そんな……馬鹿な……」

 遠くでその様子を見守っていた学食の料理長が膝をついた。

「……これまで数多くの試練を学生たちに与えてきたが、ここまで完膚なきまでに叩きのめされたのは初めてだ……俺は……俺はしばらく休むぞぉぉぉぉぉ!!」

「料理長~~~!!」

 料理長が逃げた。

「あら、何か悪いことをしてしまったかしら?」

「いや、まぁ……いいんじゃないかな」

 そう言った彼女はすでに完食していた。



「……ムググ」

 そんな二人を遠目から眺めている人物がいた。

 刹那だ。彼女は食堂が見える二階のベランダで二人を見張っていた。

「ユウトのやつ、何照れてんのよ!」

「まぁまぁそう怒りなさんなってお嬢さん」

「……ひゃい!? って、宗像君? どうしてここに?」

 気付いたら、冬馬が隣にいる。

「冬馬、ダメだよ……」

「祝さんまで」

 伊紗那はベランダの柵から一歩引いたところに立っていた。

「ノープロブレム。俺はあいつがちゃんと女性をエスコートできるか心配なだけだ」

 冬馬はそういうと、伊紗那の横に立って小さく耳打ちする。

「……それにお前だって気になってるんだろ?」

 ボッ。伊紗那の頬が真っ赤に染まった。

「?」

 刹那は首を傾げるが、すぐにユウトの方に視線を戻す。

「お、あれは今週の料理長おすすめ、超銀河・スペシャル激辛チャーハンじゃないか。あの嬢ちゃんもやるなぁ」

 冬馬の口からそんな言葉が飛び出した。

「何? そのアホ丸出しのネーミングセンス……」

 一瞬、刹那の脳裏にタカオがよぎったのは心にしまっておこう。

「あそこの料理長、たまに生徒に挑戦状じみた料理を出すんだよ。ま、だいたいいつも最終的には一人の生徒にやられているみたい……あ、ユウトが堕ちた」

 見ると、ユウトが机に突っ伏していた。

 隣の方は……パクパク食べている。

「あ、料理長逃げちゃった」

 伊紗那が言った。胴長のコック帽を被ったおじさんが、右腕で目元を抑えながら走っていく。

「かわいそうに。プライドがズタズタにされちまって……」

「もうあの料理長、クビにした方がいいんじゃない?」

 刹那は呆れた声でそう言った。

「あ、二人とも動くみたいだよ」

「よし、私たちも移動するわよ」

「ちょ~っと待った」

 冬馬が二人の肩を掴んで停止させる。

「もういいんじゃないか? あいつは学園案内してるだけなんだし、見た感じ心配なさそうだ」

 冬馬はそう言ってニコリと笑った。

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