第6-2話 二つの影 -Brother & Sister-

・5・


 中心街。

 午後六時。

 この時間帯は学園からの帰宅組の他に、仕事を終え思い思いに店に立ち寄る買い物客が参戦し、より一層賑わいを見せる。

 そんな誰もが楽しく歩いている場所で、地面にポツ、ポツと黒い斑点が現れる。最初は誰も気付かないほど小さかった。だが徐々にその大きさを拡大し、直径一メートルほどにまで膨れ上がると、さすがに人々は気付き始めた。


「なんだあの黒い円は?」

「プロジェクションマッピングかな?」

「何かの催し物か?」


 みんな思い思いに口にする。


 だがどれも正解ではない。


 直後、地面に映し出された無数の斑点からハサミを持った大男が姿を現した。

 ジャックがばら撒いた影だ。海上都市の至る所に設置した謂わば時限爆弾のようなものだった。ここだけでもその数は優に百を超える。

 中央にそびえ立つ近代的なオブジェクトがハサミで両断される。それを目の当たりにし、人々は自分たちが置かれた現状をようやく理解した。

 これはプロジェクトマッピングでもましてや催し物でもない。

 恐怖が風に乗って運ばれてくる。

「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

 鳴り響く悲鳴。誰も彼もが一斉に、一目散に逃げだした。

 影の男たちはただ寡黙に歩を進める。彼らに感情はない。そもそも分け与えていない。ただ与えられた命令プログラムに従うだけの存在だ。


 与えられた命令は、

『目に映るもの全てを壊す』


「……コワス」

 どの個体が言い始めたのかはわからない。だがその声を皮切りに、一斉に影の男たちがどよめき始めた。


 その直後だった。


 真っ黒な集団のど真ん中に激しい衝撃が走った。

 何かが落ちてきた。影は一斉にそっちへ注目する。

 そこにいたのは白い鎧だった。

 西洋風の竜をモチーフにした細かな装飾が幾つか見受けられる。すでにさっきの衝撃だけで影が十体以上消滅している。ただの鎧ではないのは明らかだ。

 戦術武装とも違う。隅々まで魔力に満ち溢れた装甲。

 彼ら分身体にとって不運だったのは、それ以上考える頭が無かったことだ。


 魔道装甲ハンニバル。


 それがこの鎧の名前だ。

 装着者はレオン・イェーガー。

 彼の魔力を糧として起動する。原理も理屈もわからない。科学では説明できない未知の力。だがそんなことはどうでもよかった。

 レオンは左手の盾から剣を取り出し横薙ぎに振るう。それだけで影たちは簡単に消滅する。それだけで十分だ。


『……お前らさえいなければ』


 相棒は死なずに済んだ。今頃家族と笑ってたはずなんだ。

『さぁレオンくん。君の初陣だ。思いっきりやってしまいなよ』

『了解!!』

 耳元で聞こえる通信に応え、レオン・イェーガーは新たに手に入れた力を存分に振るう。


・6・


「あぁ? なんだこりゃ……」

 ジャックはまるで信じられないと言ったような声を上げる。自分が蒔いた影の兵隊たちが次々とやられていく。それもたった一人を相手に。

「フッ。どうやら貴様の策は失敗に終わったようだな」

 青子は携帯端末に映る中心街の様子を見て言った。テレビを見ても報道規制されていて現状を把握することはできないが、別行動のイスカ経由で送られてくる映像を見る限り、目立った被害はなさそうだ。

「先生、いったい何が?」

「知らん。だが存外この街の警備も間抜けではないということだろう」

 青子は小さく溜息を吐く。そして端末をしまうと左手を伸ばし、ユウトに襲い掛かろうとする影の刃を停止させる。

「ユウト、さっさと終わらせろ。待たされるのは課題だけで十分だ」

 ユウトは大弓を構え矢を三本同時に放つ。だがそれでは影を全て消しきるのは不可能だ。止めどなく溢れる影の濁流のその末端を消し去ったにすぎない。

「クソッ!」

 考えろ。このままではジリ貧だ。この状況を打破する術を考えるんだ。

「ケッ。ここは俺の領域だ。お前らに万に一つも勝ち目はねぇよ!」

 レヴィルという檻から抜け出した猛獣。その胃袋の中にいるユウトたちは抜け出すことさえできない。

「吉野さん」

「遠見?」

「あの化け物は今まで何のために人を襲っていたと思いますか?」

 突然の問いにユウトは戸惑う。

「大丈夫です。その答えはすぐにわかります」

 アリサは不敵な笑みを浮かべる。

 その時だった。


「待たせたなぁ!!」


 頭上からタカオの声が聞こえた。同時にパッと眩いスポットライトが一つ、また一つ影の海に穴を開けていく。

「タカオ! みんな!」

 工場内のキャットウォークにはタカオを含めた他の仲間たちが一斉に大型のスポットライトを抱えている。

 スタッとタカオは二階から飛び降りた。

「よっ! 遅れてスマン」

「……タカオ」

「ん? どしたミズキ。もしかして俺のことが心配だったのか?」

「バッ……!? そんな訳ないでしょこのうすらとんかち!」

「ちょっとそれ酷くない!? 俺ピンチ救ったよ?」

 ミズキは顔を赤くして罵倒するが、その表情は安堵に満ちていた。

「……タカオ。あのライトは?」

「あれはそこのお嬢ちゃんから教えてもらったんだ。光が弱点だってな。最初はこの工場の照明を全部つけようと思ったんだけどジェネレーターが壊されてて動かなかったんだ。このライトを探すのに手間取っちまった」

 どうやらアリサがタカオに光源を持ってくるように指示したようだ。

「ん? でもそれならこのライトの電源は?」

 クイクイっとタカオは後ろを指差す。ライトの電源コードを辿っていくと全てが同じ場所に辿り着く。


「「あぁ……」」


 刹那が全てのコードを両手で持って電気を送っていた。

「くぅぅ……。そんな目で見ないでよ!! 私は電池じゃないんだからねッ!!」

 今後のシャングリラの電力事情に新たな光を見出しつつ、タカオは全員に聞こえるように叫ぶ。

「よしお前ら! やっちまえぇぇぇぇ!!」

 影は光の中に入ることができない。徐々に領域が狭まり、あれだけ大量に存在した影はあっという間に一カ所に押しやられていた。

 そしてそこに潜んでいる者を炙り出す。

「あれが……」

 全身に繋ぎ目のような跡があり、肌の色、筋肉などバラバラで、まるでいろんな人間のパーツをつなぎ合わせたかのような醜い姿をした男がそこにはいた。

 きっと今まで奪ってきた人体のパーツで作り上げた体だろう。

「クソがぁ!! こんなところで……俺はまだ」

 少女の手がユウトに触れる。

「……ユウトさん。兄さんを……」

 レヴィルの魔力が流れ込んでくる。その時、ユウトは見た。

 少女ジャックの心を。

 始まりの記憶を。


 二人の兄妹が手を繋いで歩いている。


 切り裂きジャックも迷子の少女もない。

 恨みも憎しみもない。


 そう。たったこれだけのことだったんだ。


 ユウトはレヴィルの胸に優しく手を当てる。すると彼女自身から生まれた光が徐々に収束する。そこには彼女が、そして彼が持つ純粋で強い理想ねがいが形となる。

 ユウトは取り出したメモリーをセットした。


『Double』


 現れたのは白黒二本の剣。相反する二つの力を操る魔法。

「それが何だってんだ!」

 ジャックは自分の足元から極太の影をユウトに伸ばす。

「……そんなの決まってんだろ」

 ユウトは左手の斥力を司る黒剣を振るう。空間が膨張したかのような見えない壁を形成し、襲い来る影を全て弾き返す。

「クッ……!!」

 ユウトは右手の引力を司る白剣を振るう。空間が凹み、ジャックの体を強引に引き寄せる。


「これがお前らの本当の願いだろうが!! まだわからねぇなら、目を開けてよく見てろ! お前が抱くその理想、俺が解き放つ!!」


 二つの剣を重ねる。左右対称の剣は重ね合わせることでハサミとなる。


 引き離す魔法こころと求める魔法こころ


 どちらも確かに存在する少女の理想ねがいだ。


 この理想写しイデア・トレースが人の願いを汲み取る魔法だというのなら、きっと届くはずだ。


『Double Overdrive!』


 ユウトは今まで以上に固く、両の拳に力を入れた。

 バギンッ!! という無茶苦茶な音が鳴った。

 放り出された光の中で、ジャックの体は両断された。


・7・


「クソッ……どうなってるんだ!?」

 レヴィルが目を覚まさない。外傷はほとんど無い。苦悶の表情を浮かべながらも、息がどんどん弱くなっている。

「……ヘヘ。ザマァネェナ」

「てめぇまだっ!」

 光を浴びたジャックの体は肉体と肉体を繋ぎ合わせていた影の糸が消滅しバラバラに崩れ、ジャックは首だけの状態だった。さっきの攻撃で腕輪は破損。もはやバラバラになった体を修復することさえできない。


「俺たちは二つに分かたれた時から運命共同体だ。魂に量があったとして、その絶対量が増えたわけじゃない。あいつのほとんどを掌握していた俺が強引に剥がされたら、何も残らねぇだろ?」


 今のジャックは肉塊にほんの少し残ったただの魔力の残滓。依代を持たない精神は放っておいても消滅するだけの存在だ。そうなったら本当に何も残らない。

 ジャックは歪になった眼球で、ユウトをギョロリと見た。

「研究者共に散々体を弄り回され、望まれもせず生み出された挙句、最後にはお前みたいな綺麗事野郎にやられるとは。この世界は矛盾だらけで俺らには厳しすぎる」

「それは違うぞ」

「……あ?」

 頭部が喋っているのか、影が喋っているのかわからない。

 だが確かな怒りを感じた。殺意とは違う、誰もが持ち合わせる純粋な怒りだ。

「なんだ慰めのつもりか? それは正義の味方が吐くセリフだぞ。あの時その場にいなかったお前が大口叩いてんじゃねぇぞ」

 静かな怒りがユウトの耳を刺す。

 吉野ユウトという人間は決してヒーローなどという存在ではない。あまりに貧弱で、あまりに脆い。現に少女が苦しむこの状況を何一つ救ってやれない。

 だけど、一つだけ確かなことがある。



「お前は確かに望まれて生まれてきた」



 ユウトは噛み締めるように言った。

「例えお前がどんなに悪でもそれだけは間違いない。でないとレヴィルがお前を最後まで兄と呼ぶはずがないだろ。あいつにとってはお前が唯一の理解者かぞくだから!! なのにそのお前がここで諦めるのか?」

 まだ可能性は残っているかもしれない。ユウトには無理でも、今この場で少女のことを誰よりも理解している彼ならば。

「……うるせぇよ」

「俺の魔法は壊すことしかできない。あいつを救ってやれる力がない」

 もう顔面は動かないただの肉塊と化している。ジャックは遂に肉体を完全に失ってしまっていた。だがそれでもジャックは言う。

「ハッ! 自分にできないことを俺に押し付ける気か? しかもこの俺に正義の味方の真似事だと? 笑わせるな! できるできないの問題じゃねぇ。あいつにとってこの世界は酷すぎる。またあいつに絶望を与えるつもりか? それじゃあ――」

「ほら、やっぱりお前は立派な兄貴じゃねぇか」

「……」

 犯した罪は消えない。過去も消せない。

 だけどそこまで堕ちたこの身でもまだ託せるものはあるのか。

「……行くぞ」

「……黙れ」

 もう魔法は必要ない。あと一撃。それで全ての決着がつく。


(レヴィルの魂を元に戻すにはもうこれしかない。もしこいつにまだ妹を守る根性があるのなら)


 相手は人間じゃない。人間と同じ感性を持っているのかもわからない。そんなことはわかっている。

 だがたった一人でも求めている人間がいるのなら、諦めていい理由にはならない。

 例え悪い研究者の手で作り出された殺戮兵器でも。

 例え人間に憎悪する怪物でも。

 例えこの世の全てを敵に回すことを覚悟していても。

 兄であることを忘れなかったこの殺人鬼をユウトは一人の人間として対峙する。

(今の俺にできることは、こいつを後押しすることだけだ!!)

 ユウトは左の拳に力を入れて言い放つ。


「お前が本当にやらなきゃいけないことを、もう一回考えやがれ!!」

「黙れって言ってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ジャックのグズグズに崩れた肉片を中心に、影が四方八方に飛び出す。

(それでいい。考えろ。殺す方法じゃなくて、助ける方法を)

 最初に戦っていた時よりも影の量は圧倒的に少ない。だがその一つ一つが必殺の威力を持っているのは変わらない。

 影は一つの奔流となり、突き進む。

 目指すべき場所へ。


 ユウトの真横を素通りする。


 そして――


・8・


 真っ白な壁だけの部屋。

 この一辺四メートルほどの空間が少女の世界だった。

「兄さん。家族って何かな?」

「あぁん? そりゃお前……あれだよ」

「あれ?」

 少女の疑問に上手く言葉が見つからなかった。

 家族なんて見たこともなければ聞いたこともない。

「なんでそんなこと聞くんだよ?」

「これです」

 少女が絵本のページを開く。研究員の誰かが置いていったのか?

 そこにはチチオヤ、ハハオヤと兄妹が描かれていた。楽しそうに四人でご飯を食べている。

「何だこりゃ……」

「不思議と見ていて温かい気持ちになれます。わたしもやってみたいです」

「ハッ。まぁ俺らには無理だな。人手が足りねぇや」

「……そう、ですよね」

 少女は肩を落とす。

「……」

 兄はページをめくり、さらにめくり、さらにさらに――

「……これならできるんじゃねぇか?」

 少女は開かれたページを見て、パァと表情を明るくする。

 そこに描かれていたのは兄妹が手を繋いで歩いている姿だった。

「わぁ。兄さん、私いつかやってみたいです。あ、でもこの本お兄さんが妹の名前を呼んでいますね。……私には名前がありません。残念です」

 つまらないことで落ち込むなこいつは。別に名前なんてなくていいだろう。


(名前……か。研究所の奴らは俺のことをジャックと呼んでいるようだが、そんなんでいいのか?)


「じゃあ俺が名付けてやるよ」

「ほんとですか!?」

 少女は瞳を輝かせて食いつく。正直、こんなに喜ぶとは思わなかった。

「あ、あぁ。そうだな……ネコ、なんてどうだ?」

「それは動物です」

 少女は嫌そうに首を振る。

「ケッ。贅沢な野郎だ。なら……」

 ふと、さっきの絵本が目に入った。

 兄と思われるその少年は少女の名前を呼んでいる。


「……レヴィル」


「え?」

「いいか。お前の名前は今からレヴィルだ」

 少女は兄が言った言葉を反芻する。

「レヴィル……レヴィル……はい! いいです! それがいいです。ありがとうございます兄さん」

「……チッ、くだらねぇ……」

 少女の幸せそうな笑みに、思わず自分も頬を緩めた。

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