Epilogue 5

「な……に……これ……」

 アリサはその場で力なく膝を付いた。その顔から一切の血の気が引いている。

「……いや……」

 ついにはうずくまって声にならない叫びをあげる。


「……あ……あぁ……」

 伊紗那もまた目の前の光景に声を出せなかった。現実を認識できない。無意識にどうかこれが夢であってくれと何度もお願いした。

 しかし。

 自分の頰にべっとりと垂れる赤い液体は紛れもなく現実で。

 その熱さは間違えようもないほどに本物で。

 血生臭い匂いは少女の心を軋ませる。

 頰を伝う涙は血と混ざり合い、まるで血の涙のようにも見える。

「……ユウ」

「……ガハッ……い……さな……よか——」


 その直後、ユウトの声が途切れた。


 センティコアの大斧が少年の体を肩口から心臓も巻き込んで両断したのだ。

「あぁ………………………………………………」

 震える両手には愛する少年の赤い血が染み付いていた。

「ああ……あぁ…………あぁ…………いや……」

 その絶望に染まる声がジャタにはとても心地よく、不気味に口元を歪める。



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 少女は拒絶の産声をあげる。

「ハハハハハ!! いいぞもっと鳴け! あぁ美しい……その声が。私はお前のその絶望に染まった声が聞きたかった!!」

 ジャタが歓喜の声をあげる。しかし上空から降り注ぐ殺気に気付き、ジャタはすぐさまその場を離れる。

「お前ぇぇぇぇぇぇ!!」

 もう一人の伊紗那が白銀の翼を羽ばたかせ、押しあがる感情に任せて刀を乱射する。ジャタはセンティコアを守るように前に出て結界を展開した。

「ふん。なるほどそういう仕掛けか。どうしてお前の中身が空っぽだったのか……これでようやく理解できた」

 自分が捉えていた伊紗那は本当に何も知らないただの一般人だったのだろう。だが満足はした。これはこれで良い結果だとジャタは思った。


「……殺……やる」


「?」

 アリサがゆらゆらと立ち上がり、パンドラを拳銃に変形させる。

「殺してやる!!」

 涙を流しながらジャタを睨みつける。

「お前は……」

 銃口にアリサの魔法が収束し、臨界点すら軽々と突破する。ちょっとでも手元が狂えば自分さえも巻き込んで、ここら一帯が丸ごと消滅する可能性だってあるほどに。

「消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 触れれば一瞬で相手を消し去るブラックホールにも近い黒の弾丸が放たれた。まっすぐジャタに向かって。存在ごと消し去る。


 そのはずだった。


「え……」

 アリサは絶句する。


 黒の弾丸が


 いやそれよりも——


「……どうして、あなたが……」

 驚くべきはその弾丸を握りつぶしたのが伊紗那だったことだ。

「何を——うッ!?」

 背後から近づいてきたもう一人の伊紗那の動きがピタリと止まる。その胸には深々と一本の刀が突き刺さっていた。

 刀は鏡のように透き通っていて、こんな状況でなければ思わず溜息が出そうなほどにこの世界の何よりも美しいと感じた。

 その刀の柄を伊紗那はしっかりと握りしめている。



「……作り直さなきゃ」



 ふと、伊紗那はポツリと呟いた。

「ど……うし、て……ッ!」

 ドッと刀身がさらに少女の体に入り込む。

 同じ顔を持つ少女が、伊紗那の腕を掴み、かすれた声で必死にその真意を問う。すでに魔法は解け、白銀の衣はあっけなく消滅してしまった。


「……せっかく命をあげたのに………………役立たず」


「ッ!?」

 少女は固まった。今この瞬間、仮面の魔法使いだった彼女はその名前すら取り上げられてしまったのだ。

 その光景をジャタは興味深そうに見ていた。

「ほぅ……なるほど……ハハハハハハ!! これは……ククク。想像以上だ! そうだったのか! ここまでか! ここまで狂っていたか!」

「何が、おかしいの?」

 アリサは銃を下さず、狂乱するジャタに尋ねた。

「いや何。どうやら私たちは大きな勘違いをしていたようだ」


 名を奪われた少女は徐々に消えていく。最後の最後まで、伊紗那に何かを訴えかけるような表情を見せながら。アリサには伊紗那の持つあのひどく美しい刀に存在そのものを吸い込まれているように見えた。


「そもそもこの世界に彼女という存在はいないのだよ。いや、正確にはいたのかもしれないがそれは過去の話だ」


 そして名も無き少女を取り込んでいくにつれて、綺麗だった濡羽色の髪は白く、琥珀色の両目は赤く染まっていく。


 祝伊紗那だった少女は堕ちていく。どこまでも。どこまでも。


 そして命を分け与える前の、本来の姿に戻っていく。


「彼女こそが我々のいた世界の……我々の知る祝伊紗那なのだよ!!」


 そこに立つのは正真正銘の魔道士ワーロック

 アリサたちの世界を破壊した、最強にして最悪の魔法使いの姿だった。



第五章 理想(ウソ)の世界 Part 1 -Insanity Londo- 完

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