第33話 壊れた心 -Overloading Mind-

・1・


「……レオン、お腹すいた」

 ハンナは規則正しく配置された無数のコンテナ、その一つに腰を置き、自らの足を自重に任せプラプラと泳がせながらレオンに言った。

「まいったな……今は仕事中だからなぁ」

 レオンは端末を片手に困った表情を浮かべる。ここにある物資は定期的に分界むこうの冬馬達先行隊に送る予定のものだ。レオンの仕事はその物資の最終チェック、及び防衛にある。

 レオンと共に行動するショートヘアーにワンピース姿の少女ハンナ。彼女はレオンの相棒であり武器だ。

 魔道装甲ハンニバル。魔力と引き換えに莫大な力をレオンに与える鎧だ。今回先行隊にレオンたちが選ばれなかったのは、ハンニバルにはまだまだ不明な点が多く存在するためだ。先日の病院での一件は例外だが、基本的にまだまだ夜白の監視下で運用すべきものなのだ。暴走の危険も十分にあるらしい。分界ではどうしても通信環境が不安定になりがちなため、レオンとハンナはここにいる。

「お腹、すいた」

 普段はあまり物を言わない彼女だが、こと食事に関してだけは怒らせると後々大変なのだ。機嫌を損ねれば三日は完全に口を聞いてくれなくなる。

「……」

 レオン自身はハンナが悪いやつだとは全く思っていない。彼女は感情の起伏に乏しく、気難しいところもあるが、それでも決して短くない時間を今まで一緒に過ごせてきた彼にはそれがわかる。

「……わかったよ。今からここの厨房を借りてなんか作――」

 レオンの声が途切れた。隣を誰かが歩いたような気がしたのだ。

(……あれ)


 この場には自分とハンナしかいないはず――


「ッ! レオン!!」

 自分たち以外誰もいないはずの空間。少女の声が響きわたる。

 眼前に見えるは身の丈三メートル以上の牛頭の魔獣。


 分厚い筋肉質の腕が持つ大斧が無常に降り下ろされる。


・2・


「ハハハハ! これは驚いた。神座凌駕の一件の時、一度動いてくれた冬馬から面をつけた凄腕の魔法使いに邪魔されたって話を聞いて興味は持ってたけど、まさかその正体が君とはね」

「……」

 黒衣も消え、仮面も割れたその少女は一瞬動揺した表情を見せたが、すぐにキッと夜白をそので睨む。

「……ッ」

 ユウトは目を見開いていた。

 困惑と混乱。動揺と愕然。

 目まぐるしい感情の波がドッと押し寄せる。だが目の前の少女は間違いなく祝伊紗那だ。そこだけはどうしても見間違えようがない。しかしそもそも何故彼女がここにいる? 祝伊紗那はここにはいないはずなのだ。

 一瞬、ユウトの方を一瞥した彼女はすぐに何かに怯えるように目を逸らした。

(……両目が、赤い)

 魔法発動時に腕輪の影響で左目が赤くなるのは魔法使いの間では常識だ。だが両目はないはずだ。そんな現象は聞いたことがない。

「いやけど本当に驚いた。今まで君に関してはマークはしていたけど、今ここに君がいる理由が僕にはどうしてもわからない。そもそも君は――」

 直後、ドンっという音がした。伊紗那の姿がユウトの視界から消え、数秒遅れて今度ははっきりわかるほどの風圧を感じる。

「くっ!!」

 音速を超えた速度で彼女が飛び出し、理想写しの籠手で夜白の喉元めがけて手刀を放つ。しかしそれでもやはり先ほどの夜白の魔力障壁で手刀は防がれてしまう。

「……黙れ」

 魔力障壁がバチバチと悲鳴を上げる中、いつもの少女からは決して考えられない低い声が聞こえる。

「無駄だよ」

 夜白は余裕を崩さない。夜白の反応が障壁のトリガーではない。ダンタリオンの高い演算機能が装着者を守る壁を自動で生成しているのだ。その演算能力に万に一つの狂いはありえない。

(だったら!!)

 伊紗那は手元からメモリーを召喚し、障壁そのものを強引に掴む籠手にそれを差し込んだ。


『Blade』


 右手に白銀の刀を出現させると、歪み始めた障壁の綻びにその刃を突き刺した。魔力を収束し、一気に放つことのできるあの刀はその一瞬の爆発力でどんなものでも切断できる。他でもないユウトはそれをよく知っている。

「これはマズい」

「逃がさないッ! お前だけは絶対に!!」

 この女がすべての元凶だというのなら、こいつだけは絶対に自分の手で。その思いが弾丸となる。


『Riot』


 魔力障壁を破壊され、追撃を逃れるために後ろに下がろうとした夜白を今度は複数の長銃が放つ魔弾の雨が襲う。

「くっ……」

 夜白は右側の球体を身代わりにすることで何とかそれも躱すことに成功した。さらに球体の爆発の余波で二人の体はボールのように吹き飛ばされる。

「ッ!!」

 ユウトは出せる力を全部振り絞って、彼女をその身で受け止める。頭をぶつけないように上手く抱き寄せ、次の瞬間、ドンと鈍い音と痛みが襲ってきた。

「……何で」

「……痛ッつつ……そん、なの……」

 背中の痛みを我慢するユウトを見て、伊紗那はひどく狼狽する。


「……私は……あなたの知っている祝伊紗那じゃない。ずっとあなたの「敵」だった……だから――」


 だからこの腕に触れてはならない。包まれてはならない。自分にはそんなに優しくされる資格なんてない。

 それはもう一人の自分のものだから。

「…………………………そう……なのかもな」

「……え」

 何となくそんな感じはしていた。ユウトは彼女の髪を結っている水色のリボンにそっと触れた。

「これは俺が伊紗那にあげたものだ。あいつは失くしたって言ってたけど、お前が拾ってくれてたんだな」

「……ッ」

 おそらく神座凌駕たちがシャングリラを襲撃してきた時だろう。あの時目の前のこの伊紗那も、ユウトの知る伊紗那もあの場に居合わせていた。よくよく思い出してみると玉選館に向う前に話した彼女は髪を結っていなかった。あの時は朝早かったし、特におかしいとも思わなかったのだ。

 伊紗那は黙りこくっている。

「俺の知ってるあいつは……もうちょっと頑固なところがあった……ような気がする。ああ見えて一度決めたら自分の意思を曲げないからな。俺と冬馬が喧嘩したときはいつもあいつが無理矢理俺たちを引っ張って仲直りさせるくらいだからさ」

 ユウトは懐かしむように穏やかな目で言った。

「だけどお前からは少しだけ遠慮みたいなものを感じるんだ。なんていうか、俺と話してはいけない……俺から距離を置こうとしてるような……そんな感じだ」

「……」

 唯一ユウトの知る彼女とは違う、赤い双眸がユウトの顔を見上げる。恐る恐る自分を見上げる彼女の瞳からはやはり伊紗那とは違う何かを感じる。

 ユウトはそんな無言を貫く伊紗那を抱く腕を少しだけ強めた。

「……あっ」


「けど、例えお前が俺の知ってる伊紗那じゃなくても……それは俺がお前を助けない理由にはならないだろ。お前は悪い奴じゃない。それだけは俺にもはっきりわかるから」


 その言葉を聞いて、ユウトに抱きかかえられている伊紗那の力が緩んだ。彼の胸に顔を埋めて、鼻先を何度も胸板に擦りつける。

 強く。強く。

 この優しい少年に今の自分の顔を見られないために。

(……やっぱり……ずるいなぁ……)


「……ハハハ、まさかね」

 ここで同じく爆風に吹き飛ばされていた夜白が立ち上がった。全身を鎧で守っている彼女には爆風程度のダメージは通らないだろうが、どうやら完全に伊紗那の攻撃から逃れたわけでもないようだ。彼女の顔を守る頭部装甲が半分破壊され、額からは赤々とした血が流れている。

「ハハ……赤い両目……それにこの力。まさかこんな形で君と……ワーロックに出会えるなんてね!」

 夜白の目が獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラと光る。

「……ワーロック?」

 初めて聞く言葉だった。ユウトにはそれが何を意味するのかわからない。

「下がって」

 伊紗那はユウトから離れて立ち上がり、籠手のスロットを開いて、刹那の白いメモリーを一度抜く。


 


『Cross Blade!!!!!!!!!!!!!!!』


 光が飽和する。

 それはまるで天使のようだった。

 再び召喚された刀がころもに形を変え、伊紗那の体に纏わりつく。全身を白く神々しい衣服が覆い、背中には剣でできた純白の翼が広がる。


 無数の白銀の刃を背中に携えた白い熾天使。


 同じ魔法を使うユウトだからこそ感じたことかもしれないが、それは何となく黒衣を纏った仮面の魔法使いだった頃と似たような印象を受ける。性質は違っても本質は同じ。


 魔法をまとう。


 理想写しイデア・トレース神衣かむい


 あの黒衣がアリサの魔力無効化の影響を受けていたということは、あれもただの衣服ではないはずだ。そう考えるとやはり同じなのかもしれない。

 メモリーの魔力を武器としてではなく体に纏う。

 より高い次元で理想をその身に投影する魔法。

 ユウトがまだ到達していない領域。

「なるほど……仮面をつけていた時はわからなかったけど、改めて計測すると凄まじい魔力量だ」

 夜白が少し圧倒されている。

 きっとあの仮面には認識阻害なり幻を見せるなり、何かしら正体を隠す能力が備わっていたのかもしれない。でなければ声を聴いた時点で彼女だと、ユウトなら気付けていたはずだ。仮面が剥がれるまで声はおろか、体格も完全に別人だった。

「これで……」

 伊紗那が両翼を羽ばたかせると、無数の白銀の刃が一斉に射出された。先ほどとは数が違う。ダンタリオンの力で計測する時間はない。たとえできたとしても一本や二本軌道を操ったところでどうにもならない。この圧倒的な数の暴力を避ける術を夜白は持たないのだ。 

 夜白の影が不気味に捻じ曲がる。

 金属が擦れる音、潰れる音、壊れる音。それら不協和音が夜白の体から鳴り響き、あっという間に彼女の降霊武装は八割ほど消滅した。

「ぐっ……ッ……ハハハ……君を見ていると……僕は本当に失敗作なのだと思い知らされるよ」

(こいつ……!)

 何故倒れない? 血を吐いても、全身の骨を砕いても。彼女の不気味な笑みが消えることはない。そんな夜白の狂気を前にほんの一瞬、伊紗那は悪寒を感じた。

「ククク……でもそれももう過去の話さ……」

 しかし次の瞬間、その感覚は確信へと変わった。


「僕はもう、!」


「ッ!!」

 ダランと垂れていた腕が不気味な音を立て、夜白は銀の腕輪を取り出した。

「あれは!」

 それはさっきの戦闘中にユウトが落とした逆神夜泉の腕輪だ。

「そもそもワイズマンズ・レポートは別のアプローチからの僕の再現だ。だから被験者は僕に近い素質を持っている者を選んだんだよ。なら使えるはずなんだ……僕でも」

「神凪、何をする気だ!」

 ユウトが怒鳴る。

「こうするのさ!」


 夜白はダンタリオンの力で夜泉の腕輪を分解、そしてネビロスキーへと再構成した。

「腕輪がッ!!」

 そして夜白はダンタリオンのキーを抜き、新たなキーを腕輪に差し込む。


Ayporosアイポロス Open』


 再び彼女の頭上から新たなオブジェが現れる。鎖で縛られた女神のような像。どことなくその女神は夜泉を思い起こさせる。


 次の瞬間、それが弾け夜白の肢体を包み込んだ。


 先ほどとは打って変わって、体全体を守っているわけではない。

 右肩と左足は白い肌を露出させ、左右非対称で流線美を極限まで追求したような鎧。手には大きな槍を携え、まるで伝承に出てくるヴァルキリーのようだ。

「さて、ぶっつけ本番にはなるけど……」

 夜白は槍を構える。魔力の螺旋が収束し、槍の先から高濃度の魔力弾を放った。伊紗那は自分の翼から引き抜いた二本の刀でそれを難なく引き裂く。背後の壁が轟音を立てて崩れ落ち、暗がりの部屋が一瞬でオレンジ色に染まる。

「悪くない」

「くっ……」

 伊紗那は一気に上昇し、上から剣の雨を降らせる。圧倒的な数の暴力。夜白が何を企んでいるのかわからないが、これで一気に押し切る気だ。


 パチンッと指を鳴らす音がした。


 直後、幾千の剣が夜白の元に降り注ぎ、激しい煙が舞い上がる。

「……やった、か?」

 ユウトは煙を凝視する。そこには確かな人影が見えた。

「残念。僕は無傷だよ」

「「!?」」

 信じられなかった。夜白はあれだけの刃の雨を受けて傷一つ受けていない。彼女の周りには無数の剣が所狭しと床に突き刺さっているが、それでも夜白に害を加えたものは一つもない。

 まるで彼女を避けたとでもいうように。

「いったい何が……」

 夜白は「簡単だよ」と言って答えた。


。僕が君の刃に貫かれるっていう未来をね」


「未来を……破壊した?」

 逆神夜泉の魔法は『災厄封じトラジディー・ディスターブ』。彼女自身に起こる未来の災厄をあらかじめ察知する魔法だった。

「正確には数ある選択肢の一つを選べなくした、かな」

 それがこんな形でユウトたちの脅威になるとは考えもしなかった。


・3・


「いいのか?」

 桐島秋斗は少女に問う。

「……お願いします。跳んでください……ユウトさんのところへ」

 アリサは未だ胸のあたりを押さえ少し苦しそうに見えるが、そう答える。

 ユウトのだいたいの居場所はわかっている。先ほどアリサは別のある場所から微弱だが自分の魔力を感じたからだ。おそらくユウトが自分のメモリーを使ったからだろう。カーミラに力を与えられて感知の範囲も大きく広がっている。加えてアリサ自身の魔力は他のものと少し毛並みが違うのも特定できた大きな要因だ。自分の魔法は嫌いだが、今はそれが逆に僥倖だった。

「わかった」

 秋斗の言葉にアリサは小さく頷く。

 アリサがここまで他人を信用するのも珍しい。その理由は秋斗が彼女のよく知る人物だからだ。いや、正確にはと言った方がいいのかもしれない。


 本来、桐島秋斗という少年はこの世界のどこにも存在しないのだ。


(……思い出)

 アリサは自分に肩を貸す秋斗の横顔を見つめる。

 秋斗はアリサに自分はある人物によって生み出された「桐島秋斗」という人間の思い出に過ぎないと言った。

 それを信じるのにはそう時間はかからなかった。何故ならアリサの知る限り、秋斗はもう死んでいるのだ。彼女が秋斗を見たとき驚いたのはそれが理由だ。

 人ではなく物。病院で飛角に千切られた腕も元に戻っている。


 元々アリサも、そして隣にいる秋斗もこの世界の住人ではない。彼女たちの生きた世界はあの白い砂漠が広がる分界なのだ。

 あの真っ白な世界は始めからあんなに衰退してはいなかった。


 並行世界パラレルワールド


 この言葉を使うのが適当なのだろう。実際のところアリサにもよくわかっていない。とにかくアリサの生きた世界は今のこの世界と非常によく似ているのだ。街もそこに住む命も。

 違う所といえば、その世界ではここよりも大々的に魔法の研究が行われていたということだ。

 魔獣との戦いは当たり前の日常であり、魔法を扱う戦士の育成こそが何よりも優先された世界。アリサも秋斗も、その魔法戦士育成機関の人間だった。そして——

「そんなにこの世界のユウトを助けたいのか?」


 そう。吉野ユウトという人間もまた、アリサたちの世界に存在していた。


「……秋斗さんの言いたいことはわかってます」

 わかっている。この世界のユウトが自分たちの知っているユウトと同じなわけがないことは。同じ記憶があるわけでもないのに。頭では理解しているのだ。

 これはただの自己満足に過ぎない。少女にとっての贖罪に過ぎない。

「それでも……あの人は私たちが知ってるユウトさんと同じなんです。どうしようもなく。だから……」

 何で自分たちの住んでいた世界と同じような世界が存在しているのかはわからない。そこが自分の世界でないこともよくわかっている。この行為に意味などないことも。

 それでも——

「……」

 それでも「誰かのために」。ただそれだけのために戦うことのできるあの少年の後ろ姿は、遠見アリサという一人の少女が憧れ、もう一度見たいと願ったものなのだ。だから手を伸ばさずにはいられない。

 しかし、少女はその先にある結末を知っているからこそ、どうしても少年の前に立ってしまう。ここが同じ世界なのだとすれば、その結末もきっと同じはずだ。

(……もう猶予はない)

 止めなくてはならない。手遅れになる前に。

 そのためにカーミラの力を借りてまでこの世界に転移してきたのだから。


「秋斗さん。あなたを呼んだ人って……」

 アリサは秋斗に聞くが、実際の所検討は付いている。アリサと同じように次元の壁を渡ってこの世界に移ってきた魔法使い。そんなことができる人間はこの世のどこにもいない。アリサですら人外の力を借りて今ここにいる。

 もしそんなことができる者がいるとすればその人間は——


「伊紗那だ。あいつもお前と同じだ。こっちでは仮面をつけて裏でユウトを守るために動いていた」


 思った通りの言葉を聞いてアリサは黙り込む。

(やっぱり……)

 死者を投影する魔法。

 一度はその存在も考えた。向こう側の世界で死んだはずの逆神夜泉が何故こっちにいたのか調べていたのもそれが理由だ。結局、原因は突き止めることはできず、彼女はある日を境に忽然と姿を消してしまった。

 そもそも自分の知る限り、伊紗那に死者である秋斗を召喚するような魔法は使えない。そうなるといよいよアリサの予想はもはや予想ではなくなる。確信だ。

(なら、あの人がユウトさんを……ッ)

 そこでふと、の顔をアリサは思い出す。

「……病院で、シンジを見ました」

「……ッ」

 一瞬、秋斗の顔が険しくなる。だがすぐにアリサを抱える腕の力が強めた。

「行くぞ。何度か跳ぶことになる。三十秒だ。辛いかもしれないが黙って目を瞑っていろ」

 直後、アリサの体に落下にも似た浮遊感が襲いかかってきた。


・4・


 未来を掴んだ者の力は圧倒的だった。


「ハハハッ! 逃げても無駄だよ! !」

 剣の翼を広げ高速で宙を舞う伊紗那の元で再びオレンジ色の爆発が起こる。

「……ぐッ」

「伊紗那!!」

 ユウトの大声は爆音でかき消される。

 先程から伊紗那は夜白の放つ魔力弾を一方的に受け続けていた。本来、伊紗那にとってあの程度の攻撃を避けることなど造作もない。破壊することだってできるはずだ。

 しかし今の彼女には夜白の攻撃を「回避する」という選択肢そのものがない。それが未来の選択肢を破壊するという夜白の魔法。だから夜白の攻撃は面白いように直撃する。

 広がる煙から吐き出されるようにして伊紗那の体はゆっくりと地に降り立つ。夜白はその様子を伺っていた。

「まぁさすがに確実に攻撃が当たると言っても、ワーロックである君にはいくら当てても無意味かな」

 夜白の言う通り、あれだけ攻撃を受けた割に伊紗那のダメージは少なく見える。だが無傷というわけでもない。向こうは必中の攻撃を仕掛けてくるのに対し、伊紗那の攻撃は夜白にはまるで当たらない。戦況は伊紗那が押されているように見える。

「まぁいい機会だ。どこまで耐えられるのか試してみよう。言っておくけどネビロスリングのエネルギーは直接モーメントからチャージして、それを魔力に変換している。魔力切れなんてつまらないことを狙っているのなら諦めたほうがいい」

 夜白が暗い笑みを浮かべる。

「いい加減にしろ!」

 ユウトが前に立つ。

「今度は君が相手かい? 大人しく後ろの彼女に頼っていたほうがいいと思うけど?」

「うるさい! もうこれ以上、こいつを傷つけさせないぞ!」

 もうこれ以上見ているだけなんてできるわけがない。ユウトは黒剣を構えた。黒剣の魔力がだいぶ弱まり、存在が不安定になり始めているがまだあと一、二分は持つはずだ。

「全く……」

 夜白の懐まで一気に飛び移ったユウトは黒剣を横薙ぎに一閃する。しかし再び夜白がパチンと指を鳴らした瞬間、黒剣は夜白に触れるより前に消滅した。

(想定よりも持たなかったかッ!)

 それが「夜白に刃が届く未来」を破壊された結果、手繰り寄せられた未来だとまでは思考が回らなかった。

 ユウトは剣に変形させていた理想写しの籠手を元に戻し、構わず徒手空拳で夜白に迫る。しかしそれでも夜白に攻撃は当たらない。

「ほら!」

 夜白が足元に魔力弾を撃ち込む。目下から迫る爆風がアッパーのようにユウトを掬い上げてその体を宙に浮かせた。夜白はその隙を逃さず鋭い蹴りを一撃入れる。

「ッ……がッ!!」

「運動能力がまるで違う。君が今の僕に勝てるわけないじゃないか」

 夜白は大槍を構えた。このままユウトの体を突き刺すつもりだ。

「終わりだ」


 槍が振り下ろされる———————————はずだった。


「……?」

 槍の先端がユウトの数センチ前でピタリと止まっている。

「あれ……体が、動かない……」

「ッ!!」

 このチャンスを逃すわけにはいかない。ユウトは夜白の大槍を掴み、胸にお返しとばかりに蹴りを入れ、その反動で夜白の武器を奪い取った。

「くっ……」

「おおおおおおおおおおお!!」

 さらに腰を思いっきり使って、両手で抱えた大槍で夜白の体を横殴りにスイングする。

 激しい衝撃を受け、夜白の体が十メートル近く跳ぶ。たまらず夜白の武装が解除され生身の体が露わになる。

「……ハハ。これはまだ調整が必要かな」

 倒れた夜白はゆっくりと立ち上がる。その手には先ほど新たに生成したアイポロスのネビロスキーがある。

(何だったんだ今のは? まさか逆神夜泉の思念がまだ腕輪に……は考えすぎか)


 夜白が参ったというように頭に手を当てたその時、天井で激しい爆発が起きた。


「「「!?」」」

 ぱっくりと開いた天井の大穴から誰か落ちてくる。それは長い髪を後ろで一本に結んだ少女だった。

「刹那!!」

 ドサっと、ボロボロの御巫刹那はそのまま抵抗なく床に体を打ちつける。

「ッ……ぐっ……ハッ……」

 まだ意識はあるのか、体をビクビクとわずかに動かしているが、服のいたるところが破れ、赤い血が滲んでいた。


「ふー。まぁ昔より成長したのは認めてあげるけど、でもそんなんじゃ〜まだまだお姉ちゃんには勝てないぞ?」


 もう一人、天井の大穴から新たに少女が舞い降りる。橘燕儀。何やら彼女は自分より一回り大きな戦術武装に抱えられている。

「……何だあれ? さっきはあんなのいなかったぞ」

「はぁ……橘くん。一応君にあげたネビロスリングはそうやって使うモノではないんだけどなぁ……まぁいっか」

「えー。でも勝手にこうなるんだから仕方ないじゃないですか。ね、フォーちゃん?」

 燕儀は自身を抱える「フォーちゃん」と名付けられた降霊武装の頭を撫でる。


 ネビロスリング・モデル『Forneusフォルネウス


 その能力は物質に「役割」を与える力。例えば貧弱そうな木の棒であっても「刀」という役割を与えてやればそれと同じ強度と威力を発揮する。ただの石ころを「爆弾」にもできる。そういった魔法だ。

 本来であれば燕儀自身の体に装着される鎧だが、夜白の見立てだとどうやら鎧自体に「橘燕儀」という役割が与えられてしまっているらしい。その中身は空洞で勝手に一人歩きし、燕儀と同じ戦闘能力を有している。

 つまり、それは今この場には「橘燕儀」という戦力が二人いるということを意味する。

「……ッ……ま、まだ……だッ」

 べったりと手を付き、ガクガクと壊れた機械のように震える膝を押さえてようやく立ち上がった刹那だが、ついにそこで意識を失ってしまう。倒れそうになる彼女を燕儀は優しく抱きとめた。

「……」

 彼女は眠ったように動かない刹那をあやすように優しく髪を撫でている。

 

「どうやら勝敗は決まったようだね。君達もそろそろ大人しく——」



「いいや、まだ決まってはいない。それではつまらないだろう?」



 直後、夜白の体が真横に切断された。

 そしてその体が勢いよく吹き飛ばされる。

「何だ!?」

 全員がその場で武器を構えた。

「ふむ。どうやらこっちが正解らしい」

 そこには二体の魔獣がいた。一体は鳥の頭を持つ祭司姿のネフィリム・ジャタ。もう一体は牛の頭を持つネフィリム。こちらは見たことのない魔獣だ。血の滴る大斧を見る限り、夜白に攻撃したのはこいつのようだ。

 そしてもう一人。


「……ユウ」


 ジャタの横で囚われている祝伊紗那がそこにいた。意識が朦朧としているのか、目に光が灯っていない。

「ッ!!!!!!!!!!!!!!」

 ユウトは体から嫌な音がするのも恐れず駆けた。距離は十五メートル。

(今すぐ助ける!!)

 そう思った矢先。


 しかし、一拍置いて気付いた時にはユウトの右腕はそこにはなかった。


「……ッ」

 いつの間にか背後に移動していた牛頭のネフィリム。その足元に自分の右腕が見える。

「ッ!! ああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 それを認識した瞬間、とてつもない激痛がユウトの体を襲った。

「ユウ!!」

「ユウトくん!!」

 燕儀はすぐにユウトの助けに向かおうと動こうとしたが、そこで自分の体が動かないことに気付く。

「くっ……何、これ……」

 足元に何やら不気味な魔法陣が浮かび上がっている。

「邪魔だ女」

 ジャタが展開した魔法陣だった。それは魔術を習得している燕儀でさえ知らない術式だ。

「吉野ユウト……やはり貴様に辿り着くか」

 ジャタはユウトの前に立つ。

「今ここで貴様を殺すのは簡単だが、それでは面白くない。貴様には自ら進んで死んでもらうとしよう。そうすることで今度こそ私は彼女を完全に壊してみせる。もちろん協力してくれるだろう? センティコア!」

「……な、に……を言って……ッ!?」

 そこでユウトは息を飲む。ジャタの言っている意味が本能のレベルで理解できてしまった。

 牛頭のネフィリム。センティコアが動けない伊紗那に向かって斧を振り上げる。


 時が止まる。感覚がやけに鋭敏化する。


 恐怖と絶望だけがこの空間を満たし、できることはただ終わりの時を待つことだけ。


(させる……かッ!!)


 そしてほぼ同時だった。

 アリサと秋斗がこの絶望の瞬間に転移してきたのもまた。


 斧が少女に向かって振り下ろされる。その瞬間と。

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