行間5-3 -Wiseman's Report-
「ほら……センセ、大人しくして」
官能的な声音と共に細くて長い指先が頬を優しく撫でる。
「や、やめろ……」
弱弱しい声。しかし抵抗の色は少しずつ薄まっていく。
「大丈夫、痛いのは最初だけさ。安心して。ゆっくり……私に身を任せて」
焦る必要はない。ゆっくりと。丁寧に。そして大胆に。彼女の心を紐解いて――
「ヤ・メ・ロって言ってんだろうが!! このマセガキが!」
「痛い痛い痛いッ!!」
ゆっくりと迫ってくる飛角の両頬を思いっきり引っ張るのは、久遠学園教師であり、ユウトの養母でもある
「ひどいじゃないか。これでも私は真面目に言ってるのに」
ボロボロのナース服を着た飛角が非難の声を上げる。彼女の服は損傷がひどすぎて、もはや下手な水着よりもきわどい、肌色成分多めのとても煽情的な格好になってしまっている。
「うるさい。鬱陶しい。角が当たってるんだよ!! あと胸も!!!!」
「この角は私のチャームポイントだ。胸は……まぁね」
飛角は自分の角を撫でる。
青子の言う通り、飛角の額には戦闘時の際に現れる角が今もなお見える。街全体の魔力濃度が上昇したため、彼女の体の中の魔獣細胞が活性化しているのがその原因だろう。いわゆる一種の興奮状態に近いと言える。
しかし、影響を受けているのは何も飛角だけではなかった。
「でもあんただってなかなかいい体つきしてるじゃないか、セ・ン・セ」
「……」
青子は改めて自分の体の変化に目を向ける。
長くて細い手足。
目の前の少女ほどではないにせよ、出るところはしっかりと出たスタイルの良さ。
何よりこの大人びた声。
そのどれもがあの幼女教師のそれとはかけ離れていた。
(……チッ、いったい何が起こっている?)
彼女もまたこの異常事態の影響を色濃く受けている人間の一人だった。とはいえ彼女の場合は変化もなにもこっちが本来の姿ではあるのだが。過去、自分の魔法の暴走で幼児退行していた体が今ではすっかり元に戻っていた。
(こんな現象今までになかった……私の腕輪がまた暴走しかかっているのか?)
何にせよこの状態のまま街の中を歩き回るのはあまり得策とは言えない。この姿は確実にエクスピアのブラックリストに入っているはずだ。これでは自分がエクスピアの闇を暴くために「戦場青子」になってまでこの街に戻ってきた意味がない。
「気が付いたら空には大穴空いてるし、魔獣もわんさかいるし正直面倒な状況だけど……こんな綺麗なねーちゃん相手なら私の魔力摂取も捗るってものさ。ユウトの保護者なんだろう? なら将来私のお母さんになるんだ。ちょっと味見を……」
飛角の指がわしゃわしゃと動く。そこに背後から声が刺さる。
「……No。くだらないこと言ってないであなたはさっさと着替えなさい。そこに姉さんの着替えがあるはずです」
鳶谷御影は机の上の大型端末に向かい合いながら、飛角に着替えを促した。
「……それに……祝さんを早く探さなくては」
「ま、そだね。このままだとユウトに顔合わせられないよね」
「……」
三人は今、御影の実の姉である鳶谷赤理の部屋にいる。病院からほど近かったのはもちろん、御影はいつでも来ていいからねと彼女から合鍵を受け取っていたのもある。なお肝心のその姉だが、未だここには帰って来ていない。レヴィルと一緒に病院の外へ出たはずだが、消息は不明だ。
「……戦場教諭も着替えてください。体が大きくなってその服はもう合わないでしょう?」
「あぁ……すまないな」
青子は素直にその言葉を聞いた。
「……いえ」
しばらく後ろでシャワーと布の擦れる音が聞こえる中、御影は指を止めることはない。
「で、結局お前は私のロシャードを使って何をしてるんだい?」
そんな彼女の背後から飛角が抱きついてきた。ソープのいい香りが鼻をくすぐる。
「……何の真似ですが? 暑苦しいので離れてください今すぐに」
「ふふん♪」
飛角は満足そうに彼女の反応を楽しむ。彼女の問いに答えたのは机の上に置かれた杖・ロシャードだった。
「私の中にもしかしたら重要なデータが隠されているのではないか、と御影嬢は考えているのだ」
「……あぁ、私たちを狙ってきたあの黒いのね」
ロシャードの言葉に飛角は病院で戦った黒衣の魔法使いを思い出して苦い顔をする。顔は見えなかったが、あの男の狙いは明らかにロシャードだった。
「……Yes。その男があなた方を狙った理由はおそらくそのデータが必要だったか……もしくは消したかったからでしょう」
「で、そのデータとやらは?」
「……まだわかってません。プロテクトがかけられています」
「何だ、ダメじゃん」
御影はムッとした目で飛角を睨む。
「……私の専門外なだけです。こういうのは姉さんが……」
そんな彼女を飛角は「はいはい」と頭を撫でていた。
「見せてみろ」
着替え終わった青子がそう言ってきた。御影は一度頷いて彼女に席を譲る。青子は席に座るとカタカタとキーボードを鳴らし始めた。
「この喋る杖は形状は変わっても元々ベースの部分は赤理が作ったものだろう。なら外側のプロテクトは何とかなるかもしれん。問題なのは……」
手早くプロテクトを解除した青子はポケットから取り出した外部メモリーを端末に差し込んだ。
「……ッ! そのプログラムは……」
御影はそのプログラムを見て驚く。
failure.exe
「あぁ、お前に匿名で送ったのは私だ。イスカからの報告であの時は何かお前たちの助けになると思ってな。まぁ結局遅すぎたわけだが」
青子は振り向かずに答えた。
「……あなたがこのコードを?」
「いや、私ではない。作ったのは神凪夜白という科学者だ。私はエクスピアを抜ける際にこれを持ち出したにすぎない。だがこれがエクスピアに対してマスターキーのような役割を持っているのは間違いない」
青子はそう言ってプログラムを起動する。するとピッという音の後、あっけなく最後のプロテクトが解除された。
「私もこの先を見るのは初めてだ」
青子はファイルを開いた。そこには――
『Project Warlock』
と書かれている。しかも今までのような断片的なものではなく、すべて揃った完全版のデータだ。見出しにはこう書かれていた。
『本プロジェクトの最終目的は「ワーロック」と呼称される最強の魔法使いを人工的に生み出すことである。すべての権限は現社長・最牙一心が持つ』
「……最牙、一心ッ」
青子が目を鋭くし、低い声でその名を呼ぶ。
「……ワーロック」
「ワーロック」という存在が何なのか。ここに書かれているのは以下の通りだ。
・赤い双眸
・無限に近い魔力
・永遠に等しい命
・他の魔法使いを殺すことでその魔法を吸収し、複数の魔法を同時に使役できる
「まるで悪の親玉みたいなやつだなぁ」
飛角が冗談まがいにそう感想を漏らした。
『都市海底の遺跡から採取したワーロックのものと思われる細胞を培養。千体のクローンを生成』
「……千って」
さすがの飛角もこれには声も出ない。
『しかし精密検査の結果、いずれの個体もテロメアが短く、特殊な力も持たない。延命カプセルに入れなければ1年で死亡する欠陥品であることがわかった』
さらに読み進めていくと実験の中には同時期に遺跡で発掘された黄金に輝くルーンの腕輪との適合実験の内容も書かれている。
「……この腕輪、ユウトさんの」
どうやらこの腕輪と「ワーロック」という存在には何か深い関係があるようだ。
『その中で唯一、被検体846だけが適合できないまでも、他と比べて非常に高い適合数値を記録した。上はこの個体が最も力を受け継いでいると断定。以降、被検体846には『神凪夜白』という名を与え、完全監視下の元、経過を見ることとする。なお残りの被検体は定期的に処分の予定』
「……神凪夜白、だと」
青子はここでその名が出てきたことにひどく驚いた。何せその名前には聞き覚えがある。
さらに数ページに渡り夜白の情報が記載されていた。しかし、ふとあるページで青子の指が止まる。
『神凪夜白がプロジェクトに加入。腕輪の量産化と自身の研究の延長上に、人間の進化を促すことを目的としたワイズマンズ・レポートを提唱した』
以降はその被検体候補者とプロジェクト名が記されているようだ。
Wiseman's Report 01:神凪夜白 『Wiseman』
Wiseman's Report 02:高山篝 『Avatar』
Wiseman's Report 03:レヴィル・メイブリク 『Alter Ego』
Wiseman's Report 04:高軌道型作業用アンドロイド 『Iron Heart』
追記:「ロシャード」と命名。
Wiseman's Report 05:逆神夜泉 『Returner』
追記:生態解明のため、特例で鳶谷御影に協力を要請。権限の一部を譲渡。
Wiseman's Report 06:
「……高山篝と天城千里とは誰ですか?」
御影は首を傾げた。まだ見ぬ被験者なのかもしれない? それに隣にいる飛角が一覧にいないのもおかしい。
「あ、天城千里は私の本名ね」
飛角がしれっとそう付け加えた。
「……紛らわしい」
御影がため息をつく。
「だって公には天城千里は死亡扱いになってるし、名無しじゃいろいろ困るじゃない? 口座も凍結されてたし……」
「……どうして飛角なんてふざけた名前にしたんですか?」
「ん? そりゃ将棋の飛車と角からとったんだけど?」
「……」
「もう少し名前の考えようもあっただろう……」
青子は呆れたようにそう言った。
「いや~その頃パソコン相手に将棋くらいしか娯楽がなくてさ~まいったまいった。でもいいんだよ。今更名前を変えるのもめんどうだし、天城千里はあの時確かに死んだんだ。今の私はユウトに助けてもらった飛角でいい。その方がいいのさ」
青子はさらに文章を読み進んでいく。そこで新たなリストに行き着いた。
「どうやら神凪を除いたお前を含めた五人は実験の成功例のようだな。逆にこのリストに載っている人間は失敗した者たちのようだ」
リストには三十人ほどの名前の横に詳細のリンクと『意識不明』または『死亡』など、被験者の状態が記されている。何をされたのか想像もしたくないが、少なくとも公にしていいものではないだろう。飛角一つとっても魔獣の臓器を人間に移植するという常軌を逸した実験なのだ。
「……は? おい……どういうことだッ!!」
突然青子が机を叩いて身を乗り出した。まるで信じられないものを見たかのように目を大きく開けて明らかに動揺している。
「……戦場教諭、いったいどうしたのですか?」
スクロールの止まったリストを御影も上から順々に確認していく。そこで彼女もある名前を見つけ、思わず声を漏らす。
「……え」
御影の体も思わず凍り付いた。
「ん? どったの?」
二人の目線は画面のちょうどど真ん中で釘付けになっている。
そこにはここにあってはならない名前が記されていたのだ。
この場の全員がよく知る名前が。
――実験番号17:祝伊紗那 『死亡』
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