第32話 砕かれた仮面 -Uncovering Halation-

・1・


「ハルピュイア、センティコア」

 ジャタの呼び声に、二体のネフィリムが闇奥から音もなく姿を現した。

「はいジャタ様。何でしょうか?」

 その片割れ・ハルピュイアが艶めかしさを帯びた声で答える。人に近い姿をした彼女はクジャクのような極彩色の毛並みが特徴的な両腕両足が猛禽類をイメージさせる女性の姿をしている。今は両腕の翼を折りたたんでいるせいか細身に見えるが、一度ひとたびその翼を広げれば、その翼幅は五メートルは下らない。

「……」

 対してもう一体の牡牛型ネフィリムは跪きながらも沈黙を続けていた。センティコア。こちらは人の姿には少し遠いが、筋骨隆々な肉体と二足で歩くその姿はまるでギリシャ神話に登場するミノタウロスのようだ。

 二体はジャタが生み出した改造魔獣。ワイアームの呪いアーク・メモリーが馴染み、ネフィリムへと進化を果たしたのだ。それぞれハルピュイアが『色欲』、センティコアが『怠惰』を受け継いでいる。


「早速お前たちに仕事を与える。なに、小僧二人の首を取ってくるだけの簡単な仕事だ」

 人間体のジャタは手元に妖しい炎を生み出した。するとそこにまるで立体映像のように二人の少年の姿が映し出される。これはすぐそばで気を失っている伊紗那の記憶から読み取ったものだ。


 吉野ユウト。そして宗像冬馬。


 今の彼女の心の大部分を占める存在。かけがえのない存在というやつらしい。


「あらかわいい。フフッ」

「……」

 二体のネフィリムは標的を確かに記憶し、人ではない捕食者の目を見せる。


「ククク。まずはこの二人の首を前にしてどんな反応をするか……あぁ……心が躍るよ」


・2・


 空気が乾いていた。

 加えて日差しがあるわけでもないのに肌をチリチリと焼け付く痛みが襲う。

「ぐっ……がはっ……」

「……お、姉……ちゃん」

 巨腕の魔獣ナナが放った無数の落雷は圧倒的な暴力を生み、周囲の地形すら変化させていた。

「キャハハキャハハ!! ボンッ・キュッ・ボンッだゾ?」

 当の本人はまるで砂のお城を壊すことに快感を覚えた子供のように破壊に対して純粋無垢なはしゃぎ様だ。

「……ナナ、あんたねぇ……ッ!」

「ん? どしたルナ?」

 それを聞いて双子の片割れがプッツンした。

「どーしたじゃないわよバカナナッ!! あんた上手く手加減できないんだからもうちょっと自重しなさいよ! 見なさいよ私の尻尾! ホラ焦げちゃったじゃない! ご主人様のために毎日磨いてる玉の肌なのにぃ~!!!!!!」

 きゃあきゃあ喚くルナ。しかしそんなルナをナナは涎を垂らしながら凝視していた。

「……な、何よ?」

「……焼きドラゴン……ウマいカ?」

「……OK。試しにあんたを丸焼きにしてやるからそこに直れ!」

 静かに。ルナの右腕に業火が集中していた。


「……何、なのよ……あいつら……」

 シズクが恨めし気に空中で口喧嘩をする人外の双子を見上げた。

 幸いシズクの咄嗟の機転で姉妹揃って致命傷はない。あんな雷一発でもまともに喰らっていたら塵も残らず消えていただろう。

 一言で言えばデタラメだ。

 しかもナナのあの余裕の様子を見る限り、あんな攻撃をまだまだポンポン繰り出せそうだった。

「……化け、物」

 こっちは最悪のケースを避けられただけで、ダメージは大きく、体は思うように命令を聞いてくれない有様だ。


「オッ? ルナ。あいつらまだ生きてルゾ?」

「あら意外。なかなか丈夫じゃない」

「……食べてイイカ?」

「ッ!?」

 まともに動くことのできないシズクとフウカの背筋に震えが走った。

「まぁ待ちなさいナナ。私、そこの二人はたぶん門番みたいな役割だと思うのよ。こっちに人間が流れていったのは知ってるもの。……そうねぇ……あの辺かしら?」


 ルナは獰猛な笑みを見せる。


「「ッッッ!!」」

 ルナが無造作に右腕の魔手から火柱を撃ち込んだ。狙いはシズクやフウカとは全く違う場所だ。火柱が地面に直撃するとその場所がガラガラと見る間に崩れ落ちていく。

「ビンゴ♪」

 ルナは左手の指を鳴らし、ウィンクする。


 現れたのは穴だ。地下に空間が広がっている。それは有事の際に人が避難するための空間。緊急避難用の地下シェルター。

 シズクとフウカが守っていたシェルターに穴が空いてしまったのだ。中からは落盤の影響か、数人の悲鳴が聞こえてくる。

「ワクワク。ワクワク」

 ナナが躾けられた犬のように姉の言葉を待っている。

(……マズい。あんなのが中で暴れまわったら……)

「こっ……やめ、ろ……ッ!」

 シズクが右手を伸ばして水流を操ろうとしたその時、ルナがその腕を踏みつけた。

「ッ!! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「お姉ちゃん!」

「ダーメ♪」

 ルナは鱗で覆われた竜の足で少女の腕を踏む力をゆっくりと強めていく。万力のようにじわじわと確実に骨を押しつぶしていく。

「ル〜ナ〜」

「はいはい。ナナ。全部食べちゃダメよ?」

 シズクの声も虚しく無情の許可が下される。

「いただきマース!!」

 瞬間、稲妻の如き速さでナナは穴に向って突貫した。

 フウカが何とか力を捻り出して風の槍を形成し放つが、もはや間に合わない。

(ダメ……速すぎるッ!)


「アーン」


 ナナが口を大きく開け、鋭い牙を見せ直進する。



 その時。



 ガキッ!!



 ガラスが割れるような耳をつんざく音がした。それは空間に文字通りの割れ目が入った音だった。今となっては空に巨大なゲートが存在するせいで珍しくも何ともない現象だ。それがナナの進行上に現れた。


 そして直後、そのゲートから黒い魔力の塊が濁流のように吹き出した。


「ガッ!?」

 ナナはそれを直撃し、ドアに顔をぶつけたようなひしゃげた声を出しながら軌道をずらされてシェルターから離れた地面に勢いよく激突した。

「ナナッ!!」


「まったく……あの女、出口くらい用意しておきなさいよ」


 意外にも若い声が辺りに響く。

「……誰だお前」

 そこから姿を現したのは醜い獣などではない。


 流れるような綺麗な金髪。

 細身で華奢だが決して弱さを感じない。

 赤い左目に強さを宿す少女。


 遠見アリサがそこにいた。


 アリサは周囲を見回して、そして言った。

「……どういう状況なの?」

 当然だ。あの妙な世界から戻ってきた矢先、今度は街が火の海なのだから。

「あれは……魔獣?」

 上空の異形を怪訝そうに見上げたアリサは地を蹴りすぐにその場を離れた。ルナが火柱を撃ち込んできたからだ。

(……体が軽い。力が溢れてくる!)

 自分でも驚きだった。単に身体能力が向上したで済む話ではない。体の隅から隅まで、思った以上にコントロールできているような感覚。

 空中で二回転して鮮やかに着地したアリサはそのまま足に魔力を集中させ、続く連続攻撃を軽やかに避けた。

 ふと、右手に何か持っていることにアリサは気付いた。

「……これは、箱?」


 それは黒い立方体のオブジェクトだった。


 一辺が約十センチほど。表面を走る細かい赤線が見え、まるでルービックキューブのようにも見える。


「……パンドラ」


 誰に聞かずとも、アリサの魔力に呼応して黒箱そのものから情報が流れ込んでくるのを感じていた。

 名前も。その使い方も。

 これはあの御巫刹那が使っている妖刀と同じ類の物だ。

 アリサは黒箱・パンドラを敵に向ってかざした。

 次の瞬間、パンドラは機械的な変形を始め、あっという間に質量を無視したアリサの背丈ほどの大型スナイパーライフルへとその姿を変える。

 これがパンドラの力。望めばいかなる武器にも姿を変える変幻自在の魔道具。

 無論、ただの武器などではない。アリサはすぐにその場に膝をついて構え、スコープを覗く。


 ダンッ!!


 一瞬遅れて胃を震わす重たい音が鳴る。

「はっ! そんなもの……」


 まっすぐ敵を目指す黒の弾丸。


 対するルナは右手をかざして炎を面状に展開。触れるもの全てを溶解させる盾を作り上げる。

「……なっ!?」

 次の瞬間、業炎の盾がした。

 貫通でも破壊でもない。消えたのだ。

 全身に戦慄が走ったルナは弾丸をギリギリのところで避け、空中で勢いよく旋回し、態勢を立て直す。

(何!? 何が起きたの!?)

 理解できない。


「……私は、自分の魔法が嫌いだった」


「はっ?」


「こんな力。制御もできなければ周りを巻き込むだけ。誰からも求められない。こんな消すことしかできない醜い力なんて……」


 アリサの左目が赤く輝く。ルーンの腕輪の魔法使いが魔法を使うときと同じ現象だ。


「でもあの人のためなら……あの人を助けるためにこんな力でも必要なら。私は喜んで使ってやる!!」


 アリサ本来の魔法。それは『消失』だ。黒い炎として顕現するそれは、全てを無に帰すゼロの焔。それが物であれ魔力であれ、はたまた概念でさえも。触れたもの全てを等しく消滅させる力。それはルナの膨大な魔力で生成した業火も例外ではない。

 もともとアリサはこの力を制御できていなかった。今もそうだ。使用者である自分自身ですら、黒炎に触れれば消されるだろう。しかし——


(……今の感じ。パンドラこれを使えば今の私でも力を制御できる!)


「ブハァ!!」

 近くで地面が弾けた。その中心点では先ほどアリサの魔法を直に喰らったナナが座り込んでいる。上手く立つことができないのだ。何故なら胸のあたりから右腕、右足にかけて体の半分が完全に抉り取られたような姿をしているからだ。

 だが次の瞬間、削られた部分が瞬く間に元に戻っていく。

「なッ!?」

 魔獣の再生能力は確かに脅威だが、これは何かそれとは違う。ここまで破壊すれば普通の魔獣なら死んでいる。これは「回復」というよりは「修復」に近いイメージだ。ほんの数秒でナナは何事もなかったかのようにコロっと立ち上がってしまった。

「ナナ、平気?」

「オウフ……問題ない。チメイショウだゾ?」

「……まぁ平気よね」

(……今のは……超速再生の、その上位?)

 アリサは一つ確かめるためにスナイパーライフルを持ち上げ、パンドラの形態をブーメランへと瞬時に変更し、それを上空のルナに向かって思いっきり放った。もちろん消失の魔力は十分に注ぎ込まれている。

「ッ!!」

 ルナは逃げるようにその場を離れるが、ブーメランは彼女の後を執拗に追従する。

「このッ!!」

 ルナは自身の翼を身代わりにしてなんとか直撃を避けた。しかし竜の翼はまるでチーズを裂くように簡単に千切れてしまう。

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」

 激痛に叫びをあげ、片翼を失ったルナが無様に地に落ちる。

「……ぐっ……う……」

 しかし痛みはあれど、やはり千切れた翼はすぐに修復されていた。

(やっぱりこっちもか……)


「何なのよあの女……私たちの体をこんなに簡単に……」

 防げない。そう本能が警戒の色を示す。

「……ナナ、癪だけどこの場は一旦引くわよ。あんたまで深手を負われたら困るわ」

「ガッテン承知!」

 二人は翼を広げ、上昇する。ルナはビシッとアリサを指差して、

「いいこと!! これで勝ったなんて思わないでよね? 次あったら骨までグチャグチャに喰ってやるんだから!!」

「バイバーイ!」

 そのままジェット機並みの速さでこの場を去った。


「ま、待て——ウッ……!!??」

 アリサは糸が切れたようにその場に膝をつき、勢いよく血を吐いた。

(……血)

 さっきまで軽かった体が、今は鉛のように重い。まるで体の中がグシャグシャになってしまったようだ。痛みはないが、それは感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。

(……これ、は……)

 膨大な魔力を持つカーミラの血と機能を失った自分の腕輪。その二つが体の中で混ざり合い、限定的ではあるが、彼女に失っていた力を取り戻させている。しかし吸血鬼の血を得たからといって、アリサ自身が吸血鬼になった訳ではない。その体は人間のまま。その強度も然りだ。体の中で劇物が暴れまわっているのには変わりない。その負荷は人間の遠見アリサに直接降りかかる。

 視界が霞む。

(ダメ……私はこんな、ところで……まだ……)


 しかし、倒れかかる彼女を抱きとめる者がいた。


 アリサの視界にその者の顔が映る。


「……秋斗……さん」


 倒れそうな彼女を抱えたのは桐島秋斗きりしまあきと。宗像冬馬と同じ顔を持つ少年だった。


・3・


「……」

 遠くで自分の下僕の戦いを眺めていたカーミラは誰もいない屋上で一人その様子を眺めていた。心なしかその表情は少し悲しそうに見える。



「へー。あれが世にも珍しい『無』の属性を持つ魔法ねぇ~。全ての魔法属性の中で最も忌み嫌われ、世界の歪みバグとさえ言われた最強最悪の属性。ククク……なかなかブッ飛んでるじゃねぇの!」



 周囲の温度が一気に下がったような気がした。

 背後から悪意が刃の形をしたような乱暴な声が聞こえてきた。

「……やはり目覚めていたのね。カグラ」

「ようクソ吸血姫。お前もいよいよ必死だな。あんな小娘いたぶってまで俺を止めたいのか? まぁあの力なら俺を存在ごと消すこともできるかもしれねぇが……ククク、相変わらずやることがえげつねぇなぁ」

 暗闇から現れたのはウィリアム・タガートと呼ばれている三十前後のエクスピア側の男だ。だが今ここでカーミラと話をしているのは正確にはウィリアム・タガートという人間ではない。そもそも人間にカテゴライズしていいものかも怪しい。

「あなたこそ。相変わらず品のない態度。万死に値するわ」

 カーミラの体から異様なオーラが放出される。

「おっと、待て待て! こりゃあ人間の体だぞ? そんなの喰らったら……って、あ、そういえばお前この世界では干渉できないんだっけか? なら怖くねぇわヒャハハハハ!!」

 煽るようにタガート——カグラと呼ばれる男が嘲笑う。

「器を手に入れて随分ご機嫌のようねカグラ。でもそうあなたの思い描くように事が進むかしら?」

「そーなんだよ。ケッ。どいつもこいつもゴミばっかりだ。リセマラも楽じゃねぇ」

 カグラは黒縁のメガネを胸ポケットにしまうと、カーミラの横に立つ。


伊奘冉いざなみはどこにあるの?」


「教っえーませ〜ん!! つーかあれにもう一度この俺を封印しようってなら無理だぜ? だって今の主俺じゃねぇし」

「ッ!?」

 カーミラがわずかに驚きの表情を見せる。しかしカグラはそれを気にせず、嬉しさで身震いしながら続けた。

「けど今回はなかなかいい感じだぁ。お前の刺客アリサもそうだが、他にもいくつか。失敗とはいえある程度は至った奴らだ。それがいい刺激になってよぉ。全く……ククク……ご協力、ありがとうございましたぁ!!」

 カグラの笑い声が穴の空いた空に響き渡る。まるでカーミラの行動も含めて全て自分にプラスに動いているとでも言っているようだ。

「もう誰にも後戻りはできねえ!! ま、ちゃっちゃと殺し合って、ちゃっちゃと至ってくれや。俺の器になるためによぉ! ヒャハハハハハハハハハハハハ!!」


「そう。なら良かったわ」


「……あ? 何だって? 何が良かったって?」

 予想とは違う腹立たしい対応に、カグラは眉をヒクつかせる。

「だってそうでしょう?」

 カーミラは普段と全く変わらない不敵な笑みを見せた。


「もう今までとは違うのだから。この世界はあなたの手から完全に離れてしまった。あなたが今ここにいることが何よりの証拠よ」


 全てが違う。筋書きはもはや修正不可能な脱線の連続でズタボロだ。高みの見物を決め込んでいたこの男を引きずり下ろすまでに。目論見通りと言うつもりはないが、これが成功と言わずして何だというのか? 期待以上だ。


「これからは主催者ゲームマスターであるあなたでさえ手出しできない『未知』が待っているのよ」


 きっと今度こそ——。

 そう願う事がようやくできる。

 出来レースでも何でもない。彼らの紡ぐ未来を見ることができる。


「もう後戻りができないのはあなたなんじゃなくて?」


・4・


「僕に協力してくれないだろうか?」


 夜白はユウトたちにそう申し出た。

「協力?」

「ほらこっちは少しでも戦力が欲しいからね。今は人間同士で争っている暇はない。冬馬は君が戦うことを良しとしないけど、僕から見たら君の魔法は可能性の塊だ。僕なら君の価値を最大限に高めることだってできるだろう。何だったら新たに開発したネビロスリングを君にあげてもいい。性能はアーロンくんが見せた通りだ。タガートくん」

「はい」

 別室の戸が開き、スーツ姿のウィリアム・タガートがジェラルミンケースを手に持って部屋に入ってきた。そのケースには『Nebiros』と表記が入っている。

「これは君たち腕輪の装着者から得た戦闘データを元に、僕なりの技術で再構築したものだ」

 夜白はケースを開き、中に納まっているルーンの腕輪とは違う機械的な腕輪を手に取った。

「性能は劣化量産型とは比較にならない。戦術武装以上の強化外骨格を魔力で構築し、身体能力の向上はもちろん、魔力を鎧として纏うから使用者に直接の副作用もない。ルーンの腕輪は僕でもまだ把握できていないブラックボックスが多いけど、これにはそれがないからどこまでも自由に強化できるってわけさ」

 夜白は楽しそうに自分の自信作を語る。まるでおもちゃを自慢する子供のような笑顔だ。

「……それを作るのも、冬馬の指示なのか?」

 冬馬もこのネビロスリングを使っていた。あの西洋の騎士を思わせる黒い鎧だ。ここまでの話が本当なら、初めから冬馬は腕輪の存在を知っていたことになる。知っていた上でみんなを利用したのだろうか? データを集めるために。それは自分が知っている宗像冬馬とはあまりにかけ離れていた。

「僕が冬馬に進言したんだよ。彼には必要な力だ。そもそも僕の行動の全ては彼のためだ。僕は冬馬を愛しているからね」

 夜白は年相応の女子のように恥ずかしがることもなく当然のように言い切った。


「……さて、そろそろ答えを聞かせてくれるかな? これでも冬馬の命令を無視して君と話をしているんだ。僕も気が気じゃないんだよハハ」

 夜白はそう言った。

「……」

 ユウトは口を開けない。仮面の魔法使いは黙って少年の背中を見ていた。その右手にはいざという時のためにメモリーがすでに握られている。

 ユウトは少し息を吸って、そして答えを出した。


「断る」


 きっぱりとそう言い切った。夜白は少し意外そうな顔をしたが、それでも何が面白いのか笑みは一切崩さない。

「……ほう。ちなみにどうしてかな? 君は周りの人間を守れる力を欲していたはずだろう?」

「お前からは何か嫌な感じがする。上手く言えないけど、本気で人を助けたいとは思ってないみたいだ」

「……」


 今までの戦いで答えは決まっていた。

 本当に人類の救済の為だというなら、今まで歩んできたあの道のりは何だったのか? あんな悲しみは必要ないはずだ。ここまでの犠牲は何だ?

 人が人の人生を捻じ曲げていいわけがない。勝手に狂わせていいわけがない。

 そんなもの、彼女たちが傷ついていい理由にはならない。


「だとしたら俺とお前の道が交わることは絶対ない。俺は俺の手で守りたいものを守る。そんな誰かの犠牲の上で得た力を使ってまで、俺は自分を曲げることなんてできない」


 犠牲なんてものは自分だけでいい。

 吉野ユウトは神ではない。その手で守れる数には絶対的な限りがある。しかしだからこそ、死に物狂いで救済し続けなくてはならない。もとよりその身はその為の剣だ。盾だ。手を伸ばせば届くのに、それをしないのだけは絶対にしたくない。

 そうでなければきっと吉野ユウトは生きていけない。

 そうでなければきっとあの場所に立っていられない。

 そんな英雄ヒーローじみた理想だけが彼の存在を許している。

 だから少年ははっきりと断言できる。それが例え彼自身のエゴによるものであっても。

「お前たちのやってることは間違ってる。もし冬馬もお前と同じなら、俺は親友としてあいつを殴ってでも連れ戻すぞ!」

 その時、ユウトのポケットが光を放った。取り出すとそれはジャック・ザ・リッパー事件が解決した後に、アリサからもらった黒猫の髪飾りだった。お守りということで今までずっと持っていたものだ。それが淡い光を放っている。

「これは……」

 腕輪が反応し、髪留めはメモリーへと変化したのだ。魔力が物に宿ることはある。髪留めに残ったわずかなアリサの残滓が理想写しと反応したのかもしれない。

(……後のことは後で考える。今はいい。このままお前を間違った方向に進ませたりなんてしない!)


「俺は伊紗那を助けて、冬馬も連れ戻す!!」


 夜白は面食らったような顔をするが、すぐに元に戻って言った。

「……そっか。残念だ。どうやら時間の無駄だったようだね」

 彼女はポケットから自分のネビロスリングを取り出して、左腕に装着する。

 いち早く察した仮面の魔法使いは籠手にメモリーをセットして大剣を召喚し、夜白に迫る。

「おっと待った」

「ッ!?」

 仮面の魔法使いの前にタガートが立ち塞がる。彼は大剣を持つ腕を掴み、片足を上から踏みつけることで動きを止め、自分の額を仮面に当てて誰にも聞こえないように小さな声で囁く。

「……野暮なことすんなよ。ここからが面白いところだろうが」

(……こいつッ!!)

 全身にねっとりと絡みつくような戦慄を感じた。


「いいよ。なら交渉は決裂だ。僕は冬馬のために君を排除しよう。君は彼にとって良くない存在だ」


『Ready』


 鳴り響く機械音声。夜白がネビロスキーを腕輪に装填する。


「お前があいつを語るなぁぁぁぁぁぁぁ!!」


『Eclipse』

『Dantalion Open』


 ユウトはまず籠手を剣へと変形させ、それからアリサのメモリーを差し込んだ。剣が黒く染まる。対して夜白はネビロスリングを起動させ、降霊武装アームド・ネビロスを纏う。

 戦闘態勢に入った夜白を確認したタガートはもう役目は終わったというように力を緩め、仮面の魔法使いは彼を突破してユウトの隣に立つ。


『Haze』


 新たにメモリーを差し込み、霧の大鎌を召喚した。

「ハハハ。いい実践データがとれそうだ。せめて五分はあがいてくれたまえ」

 その言葉をゴングに二人は地を蹴った。黒の斬撃と紫霧の斬撃が左右から夜白に迫る。しかし夜白の左右に浮かぶ二つの球体が意思を持ったように動き独自に魔力障壁を展開しこれを防ぐ。ユウトの黒剣は魔力障壁を破壊することはできたが、実体である球体そのものを破壊するまでには至らなかった。

「「ッ!?」」

 そのまま間髪入れずに球体の口が開き、魔力弾が放出されるが、仮面の魔法使いの大鎌の能力でユウトと自分の体を霧状にしてこちらも攻撃を避ける。

「……ふむ。そっちは物質を霧状に変換する力で、ユウトくんのは魔法の無効化かな?」

 夜白は顎に手を当てて二人の能力を考察する。


「解析完了。せっかくだから僕の魔法を教えてあげよう」


(……来るッ!)

 夜白の周囲の魔力が異様さを増す。

「僕の魔法は解析でね。一度ダンタリオンのデータベースに入った周囲の物質は何であれ自在に操る事ができるのさ。例えば——」

 夜白の言葉を理解するよりも先にその恐ろしい意味を体で実感することになった。


 ――『解析』とは『掌握』である。


 突然、仮面の魔法使いの霧の大鎌が勝手に紫霧を放ち、それが空中で刃の形になって二人に降り注いだのだ。

「うわっ!!」

 ユウトと仮面の魔法使いは後ろに下がって弾幕の雨をギリギリで避ける。しかしこれだけでは終わらなかった。

「こんなことだってできる」


 ――『解析』とは『再現』である。


 夜白が指を弾くと、彼女の手元にユウトの黒剣と仮面の魔法使いの霧の大鎌が現れた。

(俺たちの武器を複製したッ!?)

「再現、という方が近いかな。……ちょっと扱いづらいな。まぁ砲弾にして撃ち出してしまえばいいか」

 夜白は各々の武器を粒子状に分解し、左右二つの砲門に装填した。

「それお返しだ」

 そう言うと、夜白はリングの鍵を一度回す。


『Execution』


 次の瞬間、それぞれ性質の異なる魔力が球体から射出された。ユウトは紫霧の魔力、仮面の魔法使いは無効化の魔力。お互いの魔法が直撃した。

「ぐっ……あっ!!」

 お互い為す術なく壁に体を叩きつけられた。その時カランっと音をたて、ユウトのポケットから銀色の腕輪が転がり落ちる。

「ッ!」

 夜白はその腕輪を拾い上げる。

「これは……逆神夜泉の腕輪か。いいものを拾った」

 腕輪を照合し、かつての持ち主を検索する夜白。

「……返、せ……ッ!」

「さぁまだまだ……おや? ハハ、どうやら君のその格好は魔法の類だったみたいだね」



 ピキッ!



 乾いた音が室内に鳴り響いた。

 それは無効化の魔力が、


「えっ……」


 仮面が割れ、黒衣と共に砂のように消滅していく。

 ユウトは隣にいるを見て声を失う。


 ——ありえない。


 ——そんなはずない。


 だって


「これは面白い」

 肌にチリチリとした焼けるような感覚。喉の鳴る音がはっきり聞こえた。

「何、で……」

 ユウトはその名を口にする。








「……伊紗那」

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