第29.5話 執着 -Side; Dystopia-
・1・
海の上に浮かぶあの世界とは違う。どこか別の、しかし一つとして命のない終末の地。
ここは以前ユウトたちが
存在するのは黒石とマグマ。それに赤い空。
およそ人間が生きていくために必要な要素のことごとくを排除し、かつ最適化した死の世界。
しかしここもやはり分界。一つの世界の終着点なのだ。
その中心にそびえ立つ堅牢な
城というにはあまりにも不格好だが、かといって獣の巣と言い切ることもできない。無骨な黒曜岩に包まれながらも、いくつか効率化を図った人間の知恵と技術が垣間見える設計。まるで元々あった建築物が長い時間をかけて風化し、崩れてしまった。そんな古代の遺跡のようなイメージを抱いてしまう。
そんな名も無き王城の最深部。王の間。
その玉座にガイ……いや、魔龍ワイアームは一人静かに座っていた。
「……ジャタか」
玉座の背後から感じた気配にワイアームの声が刺さる。まるでそれ以上近づくなとでも言うように。それは鳥の祭司・ジャタの魔獣としての本能が危険信号を発するほどだ。
「何の用だ?」
「ご報告を。ルナとナナの働きでこの一日でおよそ100人ほどの人間を確保しました」
片腕を失っているロウガは出していない。現在治療中だ。本人は問題ないと言い張るが、思った以上に傷は深く、彼を追い詰めた者の攻撃をあと一度でも喰らえばその場で消滅していてもおかしくなかったほどだ。ただの魔法使いにそこまでの力があるものかという疑問はあるが、彼の傷が生きた証拠のようなものだ。
「……そうか」
ワイアームは玉座からある一点を見下ろした。そこには薄汚れた縦長の石の台座。何かの紋章のようなものが刻まれているようにも見える。
それが棺桶だということに一体どれだけの人間が気づくだろうか?
「彼女の
「……」
海上都市。それは人間という資源の宝箱だ。
通信設備、および船を破壊して外との接触をすべて断ったのはひとえに獲物を逃がさないためだ。
全てジャタの策略だった。
(あの中に誰が眠っているのかは知らないが、ワイアーム様は姿を消すずっと前からアレにご執心だった)
まるで世界最高の宝石でも扱うように。厳重に、そして慎重に。この醜い手で触れればそれだけで壊れてしまうという理由で時間さえ止めて、幾重にも結果を張り、徹底的に世界から切り離している。もはや封印と言ってもいい。
そこまで大事にしているのに、もうワイアームの頭には彼女の名前さえ浮かんでこない。
ただ、彼女が自分に振り向くそのぼんやりとした一瞬だけがポラロイド写真のように心に焼き付いて離れない。
――――もう一度会いたい。
あの凛々しくも美しい顔を、その声をもう一度だけ。
ただそれだけのために。
ガイという青年の奥底で眠り続け、今ワイアームの全てを支配するのはそんな『
それはもはや変質し歪みきった、最強の魔獣の身を焦がすほどに強く純粋な欲望。
思うだけで心が爛れ、かといって切り捨てることもできない。まるで呪いのように。
いっそ思い出さなければ。
あの場所に留まっていれば。
こんな苦しみを味わうことはなかったのに。
捨ててしまった。
もう魔龍の心にポッカリと空いてしまった穴を埋めるものは何もない。
(……まぁ、だから何が出てくるのか楽しみではある)
まるで面白いおもちゃでも見つけたように、ジャタが闇の中でさらに暗い笑みを浮かべる。
「ところでワイアーム様。お体の方はいかがですか? 別の分界に残っていたヨルムンガンドの死骸を喰らったのでしょう?」
「問題ない。もう落ち着いた」
ワイアームが右手を鳴らす。
『
「であればあなたが持つ残りの『
ジャタがそう言うと、闇の奥から三体の白い魔獣が姿を現した。
「こいつらはあなたの呪いを受け入れるために私が調整した器。人間を狩るのなら数は多いほうがいい。きっとあなたのお役に立つことでしょう」
「……」
この世界には人が人である故に存在する消えることのない
ワイアームという魔龍はそもそもそれを構成するすべてが呪いである。かつてとある場所でこの呪いを幾千という時を経て集約し、凝縮し、形を得た存在。
そして彼の中で純粋培養された七つの呪い。それが原初の呪いだ。ワイアームはそれを分け与えることで自身の臣下とする。
それらは一つ一つが絶大な力の塊。龍喰いはその一つ、『暴食』の力だ。
ワイアームは三体の魔獣を見下ろすと、右手を天にかざした。
次の瞬間、大粒の黒い雨……いや、泥が降り注ぐ。
それは魔龍の右腕の口から吐き出された呪いの雨だ。呪いの雨は白い魔獣の体を黒く染めていく。そして細胞レベルで浸食し、全く別の生物へと変貌させていく。魔獣達が苦痛なのか歓喜なのか判別できない雄たけびを上げる。
程なくして洗礼は終わった。ジャタは軽くお辞儀をする。
「ありがとうございます。最終調整のあと、すぐにあちら側に送り出します」
「……」
ジャタは配下の魔獣を従えて静かにその場を去った。
・2・
暗い通路を音もなく歩くジャタ。
後ろには三体の魔獣を従えている。しかしより正確には、
二体だ。
(どういうことだ?)
用意した器は三体。それに対して呪いを受けたのは二体だけ。一体は白いままだった。
(呪いのストックはあと三つあったはずだ)
『色欲』、『怠惰』それに『強欲』。
(あの双子のように二体で一つの呪いを受け入れたような例外とも考えられなくはないが……)
例えば魔獣が二つの呪いを取り込むという事例。結論から言えば不可能というわけではない。現にワイアームは最初は七つすべてをその体に内包していた。しかし器の設計者として、自分が作った作品がそこまでの性能を持っているようにはとても思えなかった。
(もうないのか? ならばどこへ?)
ふと、ジャタは一人の少年を思い浮かべた。
自分が連れ去った少女を取り戻すために、無謀にも魔龍に素手で立ち向かった愚かな少年のことを。
「……まさか」
目的の場所へ到着したジャタはハエでも払うように片手を仰いだ。するとあたりに自動的に火が灯る。
そこにあるのは怪しい色の薬品。魔術の陣。呪符。それは古今東西あらゆる神秘を集めた研究室のような場所だった。
そしてその奥に少女は繋ぎ止められていた。
片腕には何か人の知識では説明のしようがない肉質の物体。それが手錠のように伊紗那の腕を縛り、逃げることを許さない。しかしそもそもここは彼女の暮らす世界とはまるで違う場所だ。どちらにしても逃げることはできない。
ジャタはまるで自分の娘を愛でるような瞳を彼女へと向ける。
「おっとそうだった。意識を奪っていたのだった」
その右手が彼女の髪に触れた。
「ん……んっ……」
「目覚めたか」
「ここは……どこ……」
病院とは似ても似つかない場所。まだ頭がクラクラする。しかしそれでも目の前の怪物はしっかりと認識できた。
「ッ!! だ、誰……ッ?」
恐怖で身を強張らせる伊紗那。相手が理性の欠片もないただの獣なら今の問いには意味はないのに、それでもとっさにお決まりのようにそう聞いてしまった。それほどまでに恐怖で余裕がないのだ。
「おいおい私を忘れてしまったのかい? あれほどまでに仲良くしていたじゃないか。ん? あぁそれともこの姿では私とわからないのかな?」
ジャタはそう言うと、瞬きする間にその姿を変えていく。それは三十代くらいの眼鏡をかけた黒背広の男性の姿だった。
「ふぅ。この姿になるのも久しぶりだ。どうだろう? 思い出してもらえたかな? 伊紗那」
「……あなたは、誰ですか?」
「ッ!?」
男の笑みがピタリと止まる。まるで信じられないものを見ているようだった。
「っはは……冗談だろう……ハハハハ……ッ!!」
男が振りかぶると、あたりの機材が跡形もなくすべて砕け散った。怪しい色の液体は飛び散り、陣は抉れ、呪符は燃えた。そしてジャタは伊紗那の首をガシッと掴むと、ただ一つ、こう尋ねた。
「……神凪……
「私は……知らないッ……」
「ッ!!」
その答えでジャタはすべてを理解した。彼女の首を掴む腕を離し、また最初の慈愛に満ちた目に戻る。
「最近……思うように事が進まないことばかりだ。あのへっぽこ狼は勝手に動くし、うるさい双子は主の帰還でさらにうるさくなった。呪いの回収も上手くいかない。……本当に世の中思い通りにはいかないものだとひどく痛感するよ」
ジャタは額に手を当てて天を仰いで嘆く。
「しかし私は苦労の中にも価値あるものが存在することを知っている。身を粉にして励むだけの価値ある苦労だ」
「……」
伊紗那は苦しそうに息をしながら朦朧とする意識の中で男の言葉を聞く。
「いいだろう。抜け殻になってしまったならまた中身を詰め直せばいい」
ぬいぐるみの中に新しい真綿を入れるように。
「私が思い出させてあげよう。本当の君の姿を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます