第29話 あなたが見ている正義 -Rubin's vase-

・1・


「ねぇ。あなたはこの展開をどう見るのかしら?」


 とても透き通った美しい、けれど同時に何か得体の知れないものに背中を触れられた時のような、そんな背筋の凍る声が耳に入り込んで来た。


 声の主は美しい金髪の少女の耳元で囁く。


 甘く、それでいて少女の心をなぶるように。

 耳から侵入してくる艶気を含んだ声。まるで二人きりで映画館の中にでもいるような気分だった。煩いくらいだったの大音量は、彼女の囁き声一つでピタリと聞こえなくなった。

 意識が映画げんじつから隣へと引っ張られる。

「…………ッ」

 その声でスイッチが入ったおもちゃのように遠見アリサの体がピクッと反応した。

「ッ!! ユウトさんは!?」

 アリサは真っ先に少年の安否を気にした。自分が気を失っていたことはわかっている。しかしあの場で起こったことは全部知っていた。それが目の前の彼女の仕業なのは考えるまでもないだろう。何をしたのか全くわからないが、まるで夢でも見ていたかのように、最悪の事態は映像として少女の深層意識で上映されていたのだ。

 だが問題はラストを見逃したことだ。言うまでもなく、彼女の声がそれを強制的に終了してしまったからだが。見ていたドラマの結末手前でチャンネルを変えられたようで気分が悪い。

 いや……今の彼女の場合だと不安の方が勝るか。


 何もできないまま、ただ見ることしかできなかった。


 自分が苦虫を噛み潰したような表情をしているであろうことは鏡を見なくてもわかる。

「あら。相変わらず彼しか見えていないのね」

 無慈悲にチャンネルを変えた暴君ひめぎみはそんなアリサの反応を楽しみながらクスクスと笑っていた。

「……放してください。私はッ! 今すぐあの人のところへッ!! 私じゃないと……私がやらなきゃ……ッ!」

 いくら焦燥に駆られても、いくら声を大きくしても無駄だった。何故なら今のアリサは両手を赤い何かで縛られ、両足にも同じ性質の何かがまとわりついていてその場を一ミリたりとも動けないのだから。

 正確に言うと、無理に動こうとすれば足場が崩れてしまいそうな、そんな恐怖があった。だから無意識に重心が腕の方へ動いていく。天井から降りる両手を縛る赤い鎖はいわば命綱だ。


「……はぁ。少しは頭に上った血を吸い出してあげたと思ったのだけど。足りなかったかしら?」

「ッ!」

 キッと相手を睨む。ここまで完全に動きを封じられてなお、アリサの心は屈さない。

 ようやく冷静さを取り戻したのか、あたりを見回すアリサ。

(……ここは)

 暗い場所。当然アリサがいた倒壊したビルの中ではない。しかし部屋……でもない。そもそも壁が見えない。天井もだ。あたり一面闇しかない。あるのはアリサを中心とした半径三メートルほどの市松模様の床と、すぐ側の西洋風のティーテーブルだけだ。そしてその椅子には血のように赤い和装と日本人形のような長く艶やかな黒髪の少女の姿をした異形・カーミラ・エアリード。この空間の支配者が優雅に座していた。

「何のつもりですか? 吸血鬼」

 アリサの言葉にカーミラはわずかにムッとした表情を見せる。

「その呼ばれ方はあまり好きではないわ。呼ぶならカーミラ、様。いいえ。私とあなたの関係上……そうね。ご主人様、かしら?」

「誰がッ!」

 アリサは射殺いころすような目でカーミラを睨む。

「……まぁいいわ。そもそもあなたにそういうのは期待していないのだし」

 カーミラは嘆息の後、アリサに近づいた。

「私、あなたみたいな娘は好きよ」

 まるで飼い猫に接するように、カーミラの白磁の指がアリサの頬を撫でる。

「金の髪も、猫のように愛らしいその目も、好きな人のために全てを差し出せるその一途さも……どれもかわいいわ。知ってる? そういうのって味に出るのよ。だからあなたの血はとてもおいしいわ。でも……」

 ピタリ、とカーミラの指の動きが止まった。

「……」

 そこから先の言葉はなかった。どうせ言っても無意味なことだと判断したからだ。自分の手で彼女の信念を曲げることは彼女の心の純度を下げることに等しい。せっかく用意した駒だ。濁ってしまっては使い物にならなくなってしまう。変わるなら自分の意思で変わってもらわなければ。

 カーミラはゆっくりとアリサから離れ、一言こう言った。

「一つテストをしましょう」

 近くにあったテーブルの上にカーミラはある物を置いた。カンッと金属の小気味よい音を立てたそれを少女の指が優しくなぞる。


「アリサ。これは、何?」


 唐突にそんな問いを投げかけられた。

「どういう――」

「答えなさい」

 アリサは押し黙る。答える以外に選択肢はないようだ。

(……何って)

 おそらく聞いているのはその手にある物のことだろう。

 意図はわからない。でも答えは簡単だ。だって目の前のそれはどう見たって……


「……ゴブレット


 アリサは小さくそう答えた。

 それは金の盃だ。高さ三十センチほどの、一般家庭ではまず使い道を見出せず、しかし価値のあるものだからと倉庫にでも収められてしまうような装飾過多の一品。それはまるで伝説に登場する聖杯のようだった。

 どこからどう見たって。百人に聞いても百人が口を揃えて同じ答えを言うだろう。

 しばらく静寂があった。

 そして。

「はぁ……だからあなたはダメなのよ」

 カーミラは小馬鹿にしたような目でアリサを見下した。今すぐその額に銃弾を撃ち込んでやりたいと思ったが、やはり体は動かない。

「物事には見るべき場所というものがあるわ。ただ目の前の事象をそのまま受け止めるだけなら猿でもできる。あなたが本当に見るべきは中身ではなくて?」

 カーミラは盃を手に取り、少し傾けた。角度を変えることで、視点は盃本体からその中身へと移る。当然だ。その方が見やすいのだから。

 カランっと中のものが音を立てる。

「私の腕輪ッ!?」

 それはすでに本来の機能を失った何の意味も持たない古びたルーンの腕輪だった。すぐに自分の左腕を確認するがそこには当然腕輪はない。気を失っている間に取られたようだ。

「返して!!」

 アリサは今までとは比べ物にならないほど激怒した。例え機能を失ったガラクタでも、彼女にとってそれはただの腕輪ではない。決意と繋がりの象徴なのだ。

 カーミラは怒鳴るアリサを無視して続ける。

「これから何度となくあなたが目の前の脅威から吉野ユウトという人間を助けたところで状況は変わることはないわ。何度だって同じことは繰り返す。だからあなたは今ここにいる。己の無力さを嚙みしめて」

「……」

「まぁあの坊やの本質が常に災いの渦中に向かうものだから。仕方ないわね」

(そんなのわかってる。だから私は……)

 何度も何度も遠ざけようとした。

「私はそんな場当たり的な処置をしてほしいわけではないわ。もっといい方法があるわよ?」

「どういう……ことですか?」

「残念ながら私の口から答えを言うことはできないの。でも前にも言ったように私はこの物語の行く末がとにかく気に入らないの。だからいっそめちゃくちゃにしてほしいとさえ思っているわ。そうね……どうして腕輪の魔法使いなんていうがいるのか。まずはそあたりから調べてみるのがいいのではないかしら?」

 カーミラは袖からナイフを取り出し自分の手のひらの上を綺麗に撫でる。それを盃の頭上に持っていくと、つーっと赤い血が滴り落ちた。

(……何を……ッ!?)

 その時アリサは見た。器の中で腕輪が溶けていく。彼女の血と腕輪が一つに混ざり合う瞬間を。


「あなたはを見ることができる。それがあればあなたはきっと見つけることができる。この夢幻を終わらせる方法を」


 カーミラは盃の中の血を口に含み、顔を近づけてくる。

 そして動けないアリサの唇を奪った。

「んッ!? ……んんっ……んっ……ん……ッ」

 アリサはビクリと細い肩を震わせ、目を見開く。視界いっぱいに白い顔が映り、驚くほど柔らかい舌を伝って異物を流し込んでくる。抵抗などできるはずもなく、ただ喉を鳴らすことしかできない。

 アリサは予想の斜め上を行く事態と、唇を奪われたという乙女的ショックで思考が真っ白になった。

「ぷはっ。我慢しなさい。接吻くらいではしゃぐのは男を知らない生娘くらいのものよ?」

「ごほっ! ごほっ! 何を……私、まだ……ッ!?」

 アリサの動きが固まった。

(何、これ……体が……)

 熱い。真夏の炎天下で肌を焦がすのとは違う。体の内側で炎が燃え盛っているような苦しい熱さだ。細胞の一つ一つが沸騰する。


「あなたが本当にあの子を助けたいと願うのなら、甘い可能性なんて捨ててしまいなさい。それはあなたを弱くするもの。今のあなたには枷にしかならなくてよ?」


 それは目を曇らせるもの。眩しすぎて。暖かくて。

?」

「……」

 カーミラが言い終えると赤い鎖が弾けた。アリサの体が地に投げ出される。


「探しなさい。元凶ゆがみを。そのための力をあなたにあげるわ」


 声が闇に溶けていく。後に残ったのはうつ伏せに倒れている少女が一人。のしかかる言葉は重く、すぐには立ち上がれなかった。

「……ッ」


 あの吸血鬼の言う通りかもしれない。

 癪だが認めざるおえない。


 いつのまにか。

 自分はあの場所シャングリラで、ほんの少しだけ心地よいと感じてしまった。


 タカオはバカだが常に明るくて、仲間のためならその身を投げ出せる。ちょっとユウトに似ているところがある。きっと彼のことを好きになる女は大変だ。

 ミズキは口調はキツイが、決して他を蔑ろにしない。彼女の魔法を使えば全てを思うままにだってできるかもしれないのに。それは彼女がいつも仲間のことを第一に考えているからだろう。

 ガイはそんな二人のみならず、メンバー全員にとっての丈夫な足場のような存在だ。数える程だが彼と話す機会があった。自分の言葉を真摯に聞く彼の言葉には何やら強い安心感を覚えた。

 他のメンバーも、誰一人として悪い人間ではないことはわかってしまう。

 ユウトと、彼の仲間たちに囲まれて。

 彼の隣にいて。

 受け入れられて。

 ここにいてもいいのだと。このまま迫りくる脅威をみんなで乗り越えていけるならと心のどこかでそんなありえない『可能性』に期待した。

 このどうしようもない怒りは、きっともうユウトのためだけではない。

 ただ、あの場所が壊れてしまうことがとても嫌だった。しかし同時にそれがアリサの視野を狭めている。


「……私はもう……全部無くしてる」


 少女がいるべき場所はとうの昔に消えた。

 最初から理解していたではないか。人間一人が幸せにできる数なんて、せいぜい一人くらいのものだ。

 ならこの幸せはあの人のために使う。

 幸せなんて求めてはいけないと。

 この決意は醜く終わってしまった最後を少しでも良いものに変える、後悔と懺悔に他ならない。ただの自己満足だ。

 それでも……わずかでも意味を残せるなら。


 それ以外は些末なことだ。


 少女は拳を強く握りしめ、立ち上がる。

 見失っていた、為すべきことを為すために。


 その左目は燃えるように赤い光を灯していた。


・2・

 

 夢を見ていた。小さい頃の夢だ。


 両親が消え、『さくら』という孤児院に預けられた。

 今でも覚えている。必要とされないことへの絶対的な恐怖。あの心臓を掴まれるような絶望感は子供だった自分にとっては耐え難い、けれど決して拭えない苦痛だった。

 考えないようにすること。自ら心を麻痺させて、言われたことに従う人形になることがどんなに楽だったか。


 そんな時だ。


 いかずちのように明るい少女と、ほむらのように奔放な少女。

 二人の少女に出会ったのは。


・3・


「んッ……ん?」

 その目覚めはとても健やかだった。どんな安眠グッズを用いてもこの感覚はなかなか得られるものではない。どう表現すればいいか……真冬に炬燵こたつの中から出れなくなるあの現象に近いだろうか。

(……ここは……俺は)


 ムニッ。


「やんッ」

(ムニ?)

 右手にとても柔らかいものがあった。それは手のひらから零れるか零れないかの絶妙な質量をもち、人肌のように暖か――

「ッ!!」

 吉野ユウトはまるで雷を受けたかのようにベッドから飛び起きた。

「え! ……ッえ……燕儀えんぎ姉さん!? ていうか何で裸なんだ!?」

 どこかの個室。ユウトはパンツ一枚という恰好だった。対して純白のベッドで横たわるその人は眠そうに目を擦りながら呟く。全裸で。

「ん……ん~、おはようユウトくん」

 橘燕儀は何事もないように背伸びをする。大事な部分は絶妙にシーツで隠れているが、ユウトは顔を赤くして明後日の方向を向く。すると空間に浮き出た妙な文字列がロープのように体に巻き付いて雁字搦がんじがらめにされている御巫刹那みかなぎせつなと目が合った。

「……刹ッ!!」

 喉から変な声が出そうになった。

「ん゛~~ッ」

「……(ゴクリ)」

 口も同じく例の文字列に塞がれているようで、モゴモゴとした声しか聞こえない。それでも何となくわかってしまう。だって目が笑ってないのだ。

「はいはいユウトくんはこっちに来るのだ~」

 そんなユウトの首横を二つの白い腕が通ってホールドし、ユウトの体が背後へ引き寄せられた。

「うわっ!」

 燕儀に後ろから抱き着かれている状態だ。重なる肌と肌。もちろん間に遮る物など何もない。

「んんんんんんんんん!!」

 刹那が何か言いたそうだが、それも虚しい努力に終わる。

「ふふ~ん♪」

 燕儀は犬でも可愛がるようにユウトに頬ずりする。

「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!」

「もーわかったよぉ」

 燕儀が左人差し指を弾くようにピッと動かすと、刹那の口を塞いでいた呪詛が解除された。

「ぷはッ! はぁはぁ……姉さん、ユウトから離れて!」

「離れたら裸見られちゃうけどいいの? 私は別にいいけどねん♪」

「そ、それは……」

「久しぶりの姉弟のスキンシップだもん。もうちょっと堪能させてもらうよん……っわ!」

 ユウトがわずかな隙をついて燕儀の拘束を抜け、一度離れる。その際脱ぎ捨てられていた自分の服も回収するのは忘れない。

「何で燕儀姉さんが俺と……ていうかここはどこなんだ?」

「もー恥ずかしがらなくてもいいのにー。でもまぁ、うん。それだけ動けるならもう大丈夫だね」

「え……」

 言われて自分の体がとても軽いことに気が付いた。神座凌駕かむくらりょうがたちとの戦い、そして病院での死闘で受けた傷。特に負傷の酷かった右腕さえも完璧に。いくらルーンの腕輪の治癒効果があったとはいえ早すぎる。

「……何で?」

「ふふん。私とまる一日肌を合わせてたからね。私の中にある伊弉諾いざなぎは炎の力を司ってるの。炎は生命の象徴。応用すれば人間の自然治癒力を増加させるのもお茶の子さいさいなのだ」

 少し自慢げに燕儀はそう説明した。

「伊弉諾? それって確か刹那の……」

 ユウトは刹那の方を向く。

「やっぱり姉さんなのね。刃を持ち去ったのは。しかもまさか体に取り込んでるなんて……。その赤い髪もその影響?」

「まぁね。私は刹ちゃんみたいな恵まれた才能はないからね。結構苦労したんだよ? まぁこの髪は気に入ってるけど」

 燕儀はサラサラの髪をかき上げた。刹那の言う通り、ところどころ赤く変色した髪が見える。



「気を失っていたユウトくんのために順を追って説明するとね」

 燕儀が人差し指を立てて敏腕教師のように話し始める。

「まずあれからだいたい三十時間が経過してる」

 三十時間。どうやら本当に丸一日眠ってしまっていたようだ。

「そんなに……伊紗那……伊紗那は!?」

 魔獣のうち一体。鳥の頭を持つ祭司が彼女を担いでいたことをユウトは思い出す。何故という疑問は考えない。このままでは彼女が危険なのは火を見るよりも明らかだ。それ以上の理由はユウトには必要なかった。体が自然と動く。だが燕儀はそんなユウトを諫めた。

「まぁまぁ。それで敵は一度、空に開いたゲートに帰って行ったよ。見るに向こうも万全じゃなかったんじゃないかな? まぁ特に根拠があるわけではないんだけどね。でもそのおかげで私たちは一度こうして本拠地であるに戻ってこれたってわけ」

「エクスピア!? ここ、エクスピア・コーポレーションの中なのか?」

 ここでそこに繋がるのか、とユウトは思った。以前、担任であり保護者である戦場青子いくさばあおこの話では、そもそもの元凶はそこのトップ、つまり宗像冬馬の父親であると聞いたことがある。

「そうだよん♪ そして私のクライアント様。ここは地下二十階。魔法研究専門の特別区画とか言ってたかな。海上都市だから周りは海だけどね」

 エクスピア・コーポレーション。この海上都市イースト・フロートで最も大きい複合企業だ。特にこの街の性質上、機械工学とバイオテクノロジーの分野では世界一の技術を持っているかもしれない。同じ学園で、生物医学のスペシャリストでもある鳶谷御影とびやみかげも何度か関わったことがあると聞いたことがある。

 だがわからないこともあった。エクスピアは都市のちょうど中心にある黒塗りの巨大ビル『モノリス』を本社としている。これは同じく建物内に存在する半永久機関『モーメント』を管理するためだ。

 ただ、地下があるなんて話は聞いたことがない。あるのは都市中心から海底に伸びる巨大な杭だけだ。この杭は都市を固定するための機能の一つだ。ここはもしかするとその杭の中なのかもしれない。

「ま、ともあれ二人と面識のある私が、ユウトくんたちのお世話をすることになったわけなのだ」

「……じゃあ何で私は縛られてるのよ?」

「てへぺろ☆」

 極上のウィンクを妹分に飛ばす燕儀。放せと暴れる刹那。

 久々の姉妹喧嘩のゴングが鳴った。


・4・


 一先ず安全であることは理解した。だがまだ知らなければならないことがある。

「タカオは!? あいつらは無事なのか?」

「んー……さぁ? 私たちが連れてくるように言われたのは二人だけだし。たぶん一緒にいた中央情報局セントラル? だっけ? あの白人のお姉さんが手配してるとは思うけど」

 タカオはかなり酷い負傷を負っていた。あれは命に関わるレベルだ。ならここで長居はしていられない。そうユウトは思った。

(まずは御影を捕まえて……あいつのメモリーなら傷は治せる。いやここは姉さんに来てもらった方が……俺はどうにかゲートを通って向こうへ――)

「フフ。相変わらずわかりやすいなぁ。ユウトくん、雰囲気は見違えるほど変わってカッコよくなったけど、根本の部分は変わってないみたいだね。……ちょっと安心した」

 燕儀はご褒美とばかりにユウトの頬に軽くキスをすると、手近に脱ぎ捨てていた服を拾ってベッドの上で器用に着こんでいく。


「でもダメだよ。


「「……ッ!?」」

 一瞬、何を言っているのかユウトはわからなかった。逆に刹那は少しだけ理解していたようだ。何故自分が呪詛で、しかもここまでの高等術式で拘束されているのか。ユウトは傷を癒すために拘束されていなかったが、本来はこっちが正しいのではないか?

「……何言ってるんだよ燕儀姉さん。友達が……仲間が死にそうなんだッ! お願いだ。さっきの姉さんの力があれば……ッつ!」

「却下」

 ユウトの額を燕儀の指が弾く。声色はいつものままだが、発せられる言葉は非情だ。

「私、これでも今は傭兵だからね。タダでこの体は差し出せないよ。まぁユウトくんは特別だけどね」

「……冬馬。そうだあいつもだ! 何であんな所に? ここがエクスピアならいるんだろ? 会わせてくれ」

 冬馬自身は関係ないと青子は言った。しかしそれなら何故だ?

 あの場にいた理由はわからない。魔獣と渡り合える力を持っていた理由もわからない。

 だがあいつなら。

 と、ユウトは思った。

「う~ん。かわいい弟の頼みは聞いてあげたいけど……あーん! お姉ちゃんは辛いな~」

 当然だが雇われの身である彼女にそんなことを決める権限はない。そもそも悩む必要もないのである。

「だったら自分で……」

 ここから出る。

 もう何度やったかわからない慣れた仕草で、左腕に意識を集中するユウト。


 しかし、異変は起こった。


「ッ!?」

 魔法を発動しようとした瞬間に全身が凍り付く。

(まただ……これは、ガイと拳を合わせた時のあの感覚……)

 まるで心臓を鷲掴みされているような。胸のあたりで何かがつっかえたような異物感。

「よっと」

 その隙に燕儀は指先から呪詛を紡ぎだす。あっという間に刹那と同じ拘束術式が完成してしまった。

「……くっ!」

「フフン♪ どうしたのかな? あ、もしかしてまだ治ってなかった? それならもう一回私と寝る?」

「……何で姉さんがその術を使えるのよ?」

 通常、御巫で呪術の訓練を始めるのは十四歳くらいからとなる。呪術は文字通り一歩間違えれば体への反動も大きい。そのためある程度の体力と耐性をつける必要があるからだ。十歳で孤児院を追放された燕儀が使えるはずがない。しかも彼女が扱うのは刹那が使うような簡易治癒術とはわけが違う。体を縛るこの鎖は御巫でも上位の者しか使うことのできない『神結かみゆい』と呼ばれる高等術式の一つだ。

「私、実はあの宝物庫には結構頻繁に忍び込んでたんだよね。その時ついでにいろいろ覚えたんだ」

 基点となっているのは体内に取り込んだ伊弉諾だろう。そこから呪詛を生成している。実は刹那は呪術があまり得意ではない。もともと持ち合わせていた魔法という才能のせいか、強すぎる魔力で呪術が安定しないのだ。だから彼女の場合は、彼女の魔力に耐えれる加工を施した霊札に術式をストックしておく必要がある。これにはレースでレーシングカーを使うか、自転車を使うかというくらいの差がある。馬力が全然違うのだ。


「お願いだから行かせてくれ姉さん! 俺は」

 ユウトは皮膚が裂け血が出るほど力いっぱい呪詛を引き千切ろうとするが、そもそもそんなことで壊れるようなものではない。

「守ること。誰かのために自分の身を投げ出すことを厭わない。ふ~ん。なるほどやっぱりそういう解釈スタンスにしたんだ。それが今のユウトくんにとっての生きる意味なんだね」

 燕儀は少し俯いてそう呟いた。その顔は心底嬉しそうで、そして少しだけ寂しそうだった。

「どういう――」

「……じゃあさ」

 燕儀は拘束したユウトの耳元に口を近づけて囁いた。



「私が本当に助けてほしいって言ったら、ユウトくんは私のことも助けてくれる?」



 その言葉は――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る