第28話 双子の竜 -Luna & Nana-

・1・


「……空が」

 ユウトはぱっくりと巨大な口を開けた空を見上げ、喉を鳴らす。

「……ありえません。あんなに大きなゲート……記録にもない」

 普段感情を表に出すことが少ないレーシャですら吸い込まれそうな空に戦慄していた。しかし、鎧姿のアーロンは違った。

「……ボサっとしてる暇はねぇぞ。もしあれがゲートってなら、それはつまり――」

 アーロンは先を見ていた。ゲートの向こう側から押し寄せてくるであろう脅威を。先ほどまで笑顔を絶やさなかった燕儀ですら、刀を下段に置き居合いの構えを取った。


 全員が空を凝視する。


 数秒。音のない時間の後、それは見えた。

 真っ白な用紙についた黒い無数の点。それが何なのか考えるまでもなかった。

「来た!」

「ッ!!」

 燕儀の声と同時にアーロンが地を蹴り飛翔する。

「出し惜しみはしねぇ! 最初から全開で行く!」

 そう宣言して、アーロンは左腕に装着しているネビロスリングに差された鍵を一度回した。


『Execution』


「おら、くらいやがれ!!」

 右拳に集中した極大の魔力が淡い光を放ち打ち出される。それが隕石のように落下してくる魔獣の群れの一体に衝突した。

闘士の咆哮ファイターズ・クライ!!」

 次の瞬間、魔力の塊を受けた魔獣の体が爆発した。それだけではない。その爆発は近くにいた他の魔獣をも巻き込み、連鎖的にその範囲を広げていった。一瞬で真昼の空が赤く染まった。


 ネビロスリング・モデル『Gusionグシオン

 

 超近接型に設計されたその降霊武装の能力は使用者と同じく単純明快だった。殴った対象に自身の魔力を蓄積させ、爆発させる魔法。ただそれだけだ。単純ゆえに新型の腕輪の力で強化されたその力は圧倒的だ。


「……何て、力だ」

 デタラメにもほどがある。ユウトは無意識に拳を握りしめていた。


 しかし相手の勢いはそれ以上だった。

「博士! 今のでどれだけ削れた?」

 通信越しに夜白の声が応答する。

『うーん。イースト・フロートの対空レーダーで確認できただけで約二千。今ので百匹は撃ち落としたね。でもまだまだ——』

「たかだか二千だろうが!!」

 アーロンは続けざまに拳を空の敵に放つ。しかしそれでも爆煙を抜け、アーロンの横を数体の魔獣が通り抜ける。

「チッ! そっち行ったぞ嬢ちゃん!!」

「オッケー!」

 燕儀が右手が空を泳ぐ。その指先から呪詛のようなものが尾を引いていた。

「ッ! 何でッ!?」

 刹那は目を見開く。それは御巫家が古くから扱う「呪術」というものだった。刹那も微力ではあるが治癒術を使うことができる。

 本来、魔力というものは多かれ少なかれ誰でも持っているものだ。命の源とも言い換えられる。それを操り、「魔法」にまで昇華させるのはある種の才能と言えるかもしれない。だから「魔法」は才能故に底が見えず、絶えず進化を繰り返す。

 だが「呪術」は違う。いわば定式化され、簡略化された魔法。やろうと思えば誰でも使うことができる。定められた手順を踏み、必要な媒体を通して発動させる術式だ。大昔から人々の間で行われていた儀式や祭事も同じ理屈に基づいている。

 無論、魔法に比べれば、呪術の力は遥かに弱い。だが燕儀の場合、媒体になっているのは伊弉諾。それを取り込んだ自身の体そのものなのだろう。そうなると話は変わってくる。

「行くよ」

 呪詛は糸のように伊弉諾の刃に絡まる。そして一閃。

 神速の居合いによって放たれた火炎の斬撃は纏った呪術の力を得て分裂する。一つ一つが刃の形を取り、幾万もの斬撃が逆さにした雨のように魔獣の群れに襲いかかる。アーロンの取り残しも含め、病院に落下しようとしていた全ての魔獣がただその一閃で爆散した。


『やはりあの女……』

 刀に戻った伊弉諾はもう半分の自分を完全に取り込んだ少女を見て舌を巻く。まるで自分の手足のように神炎を操るその姿は、もはや伊弉諾自身だと言っても過言ではなかった。

(だが——)

「……」

 そこで伊弉諾は刹那の様子に気づいた。彼女は奥歯を噛みしめ、その手はわずかに震えていた。

『ふん。気に病む必要はないぞ主様。あの娘は主様とは違う方法で余の半身を使っているにすぎない』

「……」

『どうした?』

「……もしかして慰めてくれてる?」

『な、何を言うか愚か者!』

 そう言う伊弉諾の声はわずかに裏返っていた。

『……だが、わかっているな?』

「……ええ」

(……人の身には余る力だ。いずれは返してもらわねばな)

 きっといずれ自分は姉と戦うことになる。しかし——

 剣の稽古でも一度も彼女に勝ったことがない。呪術も含め、刹那以上に伊弉諾を自由に使いこなしている。

 どう切り出しても勝てるイメージを想像できないことに刹那は苛立ちを覚えた。

 目の前で華麗に舞う燕儀。地に膝をつく刹那。


 自分に彼女より勝るものが一つでもあっただろうか?


 自分もようやく一歩前に進めたと思った矢先に、さらにその遥か先を見せつけられた気分だ。


「もういっちょ!」

 燕儀はもう一度さっきの斬撃を繰り出す構えに入った。



?」



(上ッ!?)

 燕儀の背筋に電気が走った。構えたまま背後に飛び退くと、一秒前に自分がいた場所に赤く光る結晶が二本、交差するように突き刺さっていた。

 それは血のように赤く、槍のように鋭い。それが何なのかはわからない。ただ一つわかるのは、それがとんでもなく硬く、そしてもし当たっていれば命はなかったということだ。

 その槍の上に二つの影が舞い降りる。

「あら人間のくせになんて素早いのかしら」

「猫みたいだゾ?」

「女、の子?」

 褐色の肌に燃えるような赤い髪。よく似た二人の風貌はパッと見双子の少女だ。だがトカゲのような尾に背中にしまった翼。そして何よりそれぞれ一本ずつ持つ巨大な竜を思わせる剛腕。それらは彼女たちが人間ではないと断言できる十分な要素だった。

 ここに来て新たに姿を現した知恵を持つ魔獣。

「ルナ、ナナ! お前たちここで何をしている。お前たちの仕事はヨルムンガンドの監視——」

「はっ! あんなデカブツとっくの昔にくたばったわよ」

「ジョヤ……ジョウ……ヤク……ジョウジャク?」

 ルナとナナ。そう呼ばれた二体はロウガを小馬鹿にしたように返した。

「それにしてもニンゲンの体になるのって難しいわね。なんだか大事な部分が出ちゃってる感じでスースーするわ」

 ルナは両手を上げて背伸びをしてみせる。

「丸出しだゾ?」

 やっと流暢に言葉が出てきたかと思うと、隣でとんでもないことを平気で口走るナナ。

「……ナナ。あんたもうちょっと言葉を……って、アンタは食べた人間の数が少ないからこんなもんか」

 彼女たち、ロウガも含め過去に食べた人間の知識を元に言語を理解していた。


「……そ・ん・な・こ・と・よ・り♪」


 ルナは左右非対称の両腕をパンッと合わせると、

「ご主人様ーーーーーー♡」

 と叫んでワイアームに飛びついた。

「会いたかったですご主人様ぁ。突然姿をお消しになってルナは……ルナはとっても寂しかったですぅ」

 猫撫で声でワイアームに擦り寄るルナ。それだけ見るとまるで人間の少女のようだ。

「はむはむ……ご主人、元気カ?」

 ナナも続く。ワイアームの角をはむはむと甘噛みしていた。

「ルナ……それにナナも。変わりないな」

 彼女たちを宥めるその姿だけはかつてのガイと同じに見えた。


「……ガイ。ねぇガイなんでしょ!?」


 ミズキが叫んだ。

「やめようよ。……タカオが、死んじゃいそうなの。ねぇ、いつもみたいに力を貸してよ!」

 彼は集団の中でも決して目立つ存在ではなかった。しかしそれは決してその他大勢の一人というわけではない。眩しいほどに皆を照らす存在だったタカオの後ろでガイという青年は常に寄り添い、彼を手助けしていたのだから。今までどれだけ彼に助けられてきたか数えることはできない。

(さっきの獣みたいな雰囲気とは全然違う。言葉も話してる。だからきっと——)

 昔から、ミズキはガイの思考だけは読めなかった。それがわずかな希望を持てる理由。その声はどこか弱々しく、この状況が夢であってほしいと願っているようだとは気づかずに。

 最悪の想定は無視した。

 思わず反射的に声をあげてしまったのは、目の前にちらつくその希望を打ち砕かれるのが怖かったからだ。

 今はただ、ガイの言葉が欲しかった。

「……」


「あ? ガイ? 誰それ?」


 しかしその声に反応したのは双子の姉妹の姉・ルナだった。まるで虫けらでも見るように、ミズキたちに視線を送る。その視線にミズキは真っ向から対抗する。

「……何よ……ガイから、離れて……」

「テメェ、人様の主に変な名前付けただけじゃなく離れろだァ?」

 ルナは巨大な右腕を持ち上げる。人一人の体を簡単に鷲掴みにできそうな、人間の少女とは遠くかけ離れた異形の腕を。

「死ねよ虫けら」

 少女の手のひらに開いた穴から巨大な火柱が打ち出された。

「クッ……」

 ユウトは両足に力を入れる。前へ、重みを感じる体を投げ出す。

(手持ちのメモリーは……クソッ、ダメか!)

 前の戦闘でもう手持ちのメモリーは底をついていた。すぐ側の人間から生み出している余裕は当然ない。

 ユウトは動けないミズキたちの前に出た。

「「「ユウト!」」」 「ユウトくん!」

 空で迎撃しているアーロンはもちろん、構えていた燕儀でもこの距離は間に合わない。

(籠手を盾にしてッ!!)

 頭の中で大盾を構築し、ユウトは理想写しの籠手を思い描いた盾に変換する。

 基部鋭化カーディナル・エッジは器を構築する力に過ぎない。メモリーを取り込んでいない器でどれだけ耐えきれるのか。最悪、ユウトは自分を盾にしてでもみんなを守る覚悟を決めていた。

 迫り来る暴虐の熱波にユウトは目を瞑る。



 その時——


 

 ユウトの目の前の地面に一本の剣が刺さった。その剣は両側に刃のついたツインブレードと呼ばれる珍しい武器だ。

 ツインブレードは光を発し、盾となる。ルナの火柱を受け、その軌道を空へとずらした。

「何、が……」


「相変わらず体張るねぇ。ま、だから放っておけないんだけどな」


 背後から声が聞こえた。

 その声はユウトにとっての日常。振り向かなくても誰だかすぐにわかった。


「……冬、馬」


「よっ」

 西洋の騎士を思わせる黒い鎧。しかし魔力で編まれているからなのか、その洗練されたフォルムとは裏腹にどこか騎士とは違う妖しさを感じてしまう。


 その降霊武装を身に纏っていたのはユウトの親友・宗像冬馬むなかたとうまだった。


・2・


「冬馬! どうしてお前が!?」

「悪いが話は後だユウト。こっちもいろいろ予定が狂って立て込んでてな。まずはその原因を叩かせてもらう」

 冬馬はそう告げると先ほど投擲した自分の得物を掴む。

「アーロン、橘。お前たちは上から来るのを片付けろ。回収班は女王クィーンの回収を急げ」

 指示を出された二人は無言の返事の後、空の魔獣の蹂躙を再開する。同時にエクスピア・コーポレーションのものだと思われる数台のトラックが到着した。そしてこの場でもう一人、エクスピア側の人間であるレーシャが冬馬に駆け寄る。

「……若」

 するとレーシャの携帯端末が鳴った。

「レーシャ。回収班の指示を頼む。概要は今夜白が送ったはずだ」

 レーシャは素早く任務内容に目を通す。その後彼の言葉に改めて頷き、走り出した。


「おォ? 何だかニンゲン、いっぱいだゾ?」

「……鬱陶しい。まるでネズミね。ナナ、全部食べちゃっていいわよ」

「ほいナ!!」

 ルナの言葉を受けてお菓子を目の前にした子供のようにナナが目を輝かせる。その体からは想像できない凄まじい跳躍力で回収班に合流しようとしていたレーシャに飛びかかった。

「いただきマウス!」

「ッ!?」

 ナナの異形の左腕がレーシャに襲い掛かろうとしていた。


 しかし腕が彼女に届く前に、真横から飛んできた光の斬撃がナナの体を弾き飛ばした。


「ナントッ!?」

 冬馬だ。冬馬の持つツインブレードが光を蓄え、それを放出したのだ。

「待て待て、お嬢ちゃんの相手は俺だぜ!」

 冬馬の追撃は続く。刹那でさえ目で追いきれない高速を超えた光速。宙を舞うナナの体に光刃が縦横無尽に襲い掛かる。


 ネビロスリング・モデル『Belialベリアル』。


 その能力は光。だがもちろんただ光るだけの魔法ではない。

 その真に恐るべき能力はだ。


 本来であれば大規模施設を用意しなければ運用さえできない核融合を冬馬はその身一つで自在に操ることができる。つまり光とは熱であり、エネルギーなのだ。アニメや小説など、SFロボットの世界観で言うところに『ビーム兵器』と言えば想像しやすいかもしれない。


「ガァァァァァァァ!!」


 轟音をあげてナナの体が地面に叩きつけられる。超高温の刃で落下地点からはジリジリとした焼け付いた音と煙も上がっていた。

 対して冬馬はゆったりと地面に着地する。だがその息は少しだけ荒い。

『冬馬、あんまり連続してその魔法は使わないほうがいい。理論上無限に近いエネルギーを生み出せると言っても、君の体力は無限じゃない』

 夜白が無線越しに語り掛けてきた。

「わかってる。まぁ……心配しなくてもまだ行けるさ」

『急ごしらえだ。まだまだ調整が必要か。無理はしないでくれ』

「あぁ」

 体は確実に悲鳴を上げていた。

 これでも人並み以上に鍛えている方だが、戦闘機のパイロットと同等かというとそんなことはない。素人がジェット機で全方向からGをかけられて平気でいられるはずがない。それと同じだ。


 一方、刹那は遠くでその光景を観察していた。

(確かに威力はすごい。完全に戦闘用に研ぎ澄まされてる感じ。でもあれだけの魔法をどうしてこうも連発できるのかしら? 特に空で戦ってるアーロンはそろそろ魔力切れが起きてもおかしくないはずなのに……)

 アーロンは未だにあの爆裂魔法を放ち続けていた。もし自分があの規模の魔法を行使したら、いったいどれだけ息が続くだろうか?

 共通するのは左腕に装着された機械的なフォルムの謎の腕輪。ルーンの腕輪ではない。

「……やったか?」

 ユウトが目をこらす。落下点には今だ粉塵が舞っている。


「イタイゾー!」


「ッ!?」

 粉塵の奥から間の抜けた声が聞こえてきた。ナナは体から煙を上げるも、何事もないように元気に立ち上がった。手ごたえはあった。だがあれだけの攻撃を受けたその体には傷一つ見当たらない。

「ちょっとナナ! 何やってるのよ?」

「ルナ。アイツ速いゾ? 目がクルクル~」

 ナナは言葉通り目を回していた。

「……今のでやられてくれないとか、お兄さんちょっと凹んじゃうんだけど。ただでさえいたいけな少女をいたぶるのは本意じゃないってのに」

「ショ、ジョ?」

 ナナは首を傾げる。

「知ってるわよ。まともなニンゲンって女子供には攻撃しないものなんでしょ? 争い事は好きなのに。変なの」

「キチク?」

 ルナは言った。それはまるで暗に「お前はまともじゃない」と言っているようだった。

「知ってるんだったらせめて本当の姿ってのになってくれないかな?」

 冬馬は試しに尋ねてみた。

「嫌よ。だってそれが狙いだもの」

 何を馬鹿なことを、といったようにルナは嗜虐的な笑みを浮かべる。

(……性格悪いなぁ)

「それにこの体、結構気に入ってるし」

「お気にだゾォ?」

 ルナがナナの横に降り立った。

「ナナ、次は私と一緒に行きましょう?」

「いいゾ?」

「というわけで優しい優しいお兄さん、今度は私たちが蹂躙してあげる」

「できればご遠慮したいんだが……」

「ダ~メ♡」

 二体の魔獣が左右の剛腕を振り上げる。


「そこまでだ。二人とも」


 しかし、背後から飛んできた声に姉妹の動きがピタリと止まる。

「……ジャタ」

「ウェー、トリ……」

 そこにはいつの間にかワイアームの横に佇む祭司のような姿をした鳥型の魔獣。ジャタというらしい。ジャタの言葉に二体は明らかに嫌そうな顔をしていた。

 ジャタは言った。

「お前たち、遊びはそこまでにしておけ」

「は? 何で私たちがアンタの言うこと聞かなきゃいけないわけ?」

 はぁっと嘆息してジャタは答える。

「ワイアーム様は覚醒してまだ間もない。お前たちはそんな我らが王を無視して狩りを楽しむというんだな?」

「うっ……」

 ルナは反論できず口ごもる。ナナは横で首を傾げていた。

「わ、わかったわよ!」

「終わリ?」

「ジャタ、その女は何だ?」

 ロウガはジャタが抱えていた少女について尋ねた。

「あぁ、これは――」



「……



「「!?」」

 静かな。だがしかし殺意にも似た怒りが言葉となって漏れ出た。

「ユ、ユウト……」

 少年から聞いたこともない声に刹那は思わず怯む。


「お前……どうしてお前が!!」


 傷口が開くのも構わず、ユウトは一直線に駆け出した。ジャタが抱える少女・伊紗那の元へ。

 だがそこへワイアームが立ち塞がる。まるで身を乗り出しているかのような捨て身のユウトの拳を軽々と受け止めた。


「ほぅ……そういうことか」

 今にも獲物を食い千切りそうな、非情に満ちた瞳。

 ジャタはそれを見てほくそ笑んだ。


「……どけよ、ガイ」

「……」

 殺意に満ちた眼光を前に、ワイアームは何も答えない。

 その時、ユウトの体が凍り付いた。

「なっ……!?」

 突然ユウトが膝をついた。うずくまり、苦しそうにのたうち回った。

「あ、ああああああああああああああああああああああああ!!」

 心臓が高鳴る。頭が割れそうだ。まるでこの世のありとあらゆる苦痛を一身に受けているかのような地獄の感覚。一瞬で前後不覚に陥る。


 何かが――流れ込んでくる。

 混じりけのない黒。純粋な悪意に満ちた何かが。

 

 ガイは足元で蠢くユウトを見下ろして、ただ一言だけこう呟く。

「……まさか、お前が背負うのか……」

「……な、にを……言って……」

 言っている意味がまるでわからなかった。そもそもこんな状態でまともな思考ができるはずもない。気を許せば体が破裂しそうだ。

 遠くで自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。

 いつまでたってもワイアームからの攻撃はない。今なら簡単にユウトの頭を踏み潰すことだってできる。

 ピンとの合わない視界。けれど視線は彼女いさなへと向けられていた。


 ユウトはただ手を伸ばす。


 いつでも。伸ばせば触れることのできた少女。当たり前のように側にいてくれた日常。それが今はこんなにも遠く感じる。


 薄れゆく意識の中で、少年の手は虚しく空を掴むのだった。

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