Epilogue EX

 数時間前。


「……ここ、は……うっ!」

 タカオに敗れ、気を失っていた久我山灰司は目を覚ました。冷たい空気が刃のように肌を刺す。

 ここはさっきまでいた場所ではない。どこか廃工場のようだと久我山は思った。光はなく。月明かりだけが内部を照らしている。

「……俺は、負けたのか」

 腕輪は破壊されていた。

 その時、闇の奥から声が聞こえてきた。


「やぁ。久我山くん。目を覚ましたんだね?」


 背筋が凍った。もちろん冷たい風のせいではない。

 久我山は声のする方に振り返った。

「……神凪かんなぎ……夜白やしろ

 そこには白髪に暗い色のコートを着た中性的な顔立ちの科学者がいた。

「……何の、用だ」

 久我山は敵意を出して言った。

「……ハハハ、酷いな。僕と君の仲じゃないか」

「ふざけるな」

 エクスピア・コーポレーション、しいてはその技術顧問である神凪夜白から、久我山は非公式でルーンの腕輪の仕入れをしている。つまりは商売仲間だ。だが久我山は夜白が嫌いだった。

 元々久我山が腕輪のブローカーを始めたきっかけは夜白が接触してきたからだ。通常、久我山の居場所は誰にもわからない。別に隠れているわけではない。気づけば隣にいるが、探そうとすれば見つけることができないのだ。それは『久我山灰司』という影武者。さらには何重ものダミーを張り巡らせて日常の中にその存在を溶け込ませているからだ。

 だというのに神凪夜白という人間はそれを小細工だと嘲笑うかの様にすり抜け、直接久我山の目の前に現れた。だから嫌いなのだ。


「敗北で気が立ってるのは理解するけど、そんなものに意味はないよ?」

「うるさい! 俺はまだ負けてねぇ! ……そうさ……負けてねぇんだよ。もう一度腕輪を手に入れてあいつらを——」


?」


「……あ?」

 夜白の澄んだ声が脳を揺らした。それで初めて気がついた。


 自分の左側の視界が変だということに。


「な、何だこれは!!??」

 自分の顔の半分が人ではなくなっている。左足もだ。爪は伸び、足は肥大化して靴を突き破っていた。明らかに人間のそれではない。

「可哀想に……増幅器の最後のギアまで使ってしまったんだね。見るに怪我をした箇所が異常に再生し始めていると言ったところか」

 夜白は興味深そうに久我山を観察している。

「……どういうことだ神凪!!」

「元々ルーンの腕輪は一つしか存在しないんだよ。僕が君に提供したのはただの複製品レプリカにすぎない。それもオリジナルの力の一割にも満たない劣化品だ」

 あの時ほど自分の無能さを実感した時はない。そう言いたげに夜白は額に手を当てた。

「だから複製品の腕輪にはもっと機能を拡張できる余地があるのはわかってたんだ。増幅器はそれを段階的に埋めるためのツールということだね」

 夜白は悪びれることもなくニコリと笑った。

「貴様……俺を騙したのか!?」

「騙したなんてとんでもない。僕は君に商品を提供しただけだよ。まぁとはいえ、増幅器でどこまで拡張すれば人体に変化をもたらすのか。こればっかりは実験するまでわからなかったんだけどね。久我山くんに感謝だ」

「神凪ィィィィィ!!」

 久我山が人間とは思えない恐ろしい跳躍力で夜白に飛びついた。それは人間ではない左足の脚力だ。

 鋭い爪が夜白の喉を抉る——そのはずだった。

「……なっ!?」

 爪は空を切り、久我山の体が跳躍の勢いを制御しきれず反対側の壁に叩きつけられた。

「がっ!! ……ホロ、グラム」

「まぁ念には念をね。ほら僕、戦闘は苦手だから」

「ああああああああああああああああああ!」

 久我山の雄叫びが廃工場の窓を振動させる。もう人間のそれではないことに本人は気づいていない。

「まぁそう怒らないでよ。僕は君の望むものを与えただけなんだし……おや?」


 カツン、と冷たい空気に音が響く。

 夜白の視線が久我山から新たな来訪者へと向けられる。


「……お前は」

 立っていたのは、長身でガタイはそこそこ良く、前髪で目は隠れてしまっているがどこか温和な雰囲気を感じ取れる少年……だったはずだ。少なくともタカオといた頃の彼はそうだった。

 敵である久我山を前にしているから当然なのかもしれないが、どうも様子がおかしい。

 だが今はそんなこと久我山にはどうでもよかった。

「ハハ……ハハハハハハハハ!! ちょうどいい。手始めにお前を血祭りにあげてあのガキに——」

 ギロッとガイが久我山を睨む。

「ッッッ!!」

 まるで心臓を直に掴まれたような気分だった。久我山の全身から汗が吹き出す。ガイはホログラムの夜白を無視して久我山に迫る。

「ふ、ふざけんじゃねえぞ! どいつもこいつも俺に舐めた口をききやがって! 殺してやる! 殺してやるぞクソガキが!!」

 久我山は砕ける程奥歯を強く噛む。そしてガイに人間を超えた速度で飛びついた。


 だが、大砲の弾と同等の威力と速度はあっけなく殺された。たった一本の腕に。


「ッ!!」

 ガイの右手が久我山の顔面を万力のように締め上げ空中で固定する。

(なんだこいつ!? この力……まるで……ッ!)

 そこまでだった。

 その瞬間、世界から「久我山灰司」という存在は消失した。

 ガイのが久我山の肉体を一瞬で喰らい尽くしたのだ。



「へぇ……君、もしかしてワイアームだったりするのかい? 半年前に分界リンボで僕たちが撃ち漏らしたあの」

 ガイは何も答えない。


 直接見るのは初めてだが、魔獣ブルーメを喰らう魔獣の存在に夜白は覚えがあった。

 半年前にエクスピアは分界に捜査隊を送った。だがその調査で思うような結果は得られなかった。何やら魔獣さえも軽々と撃退できる選りすぐりの熟練部隊は、たった一体の魔獣によって壊滅状態に追い込まれたという話だ。

 その魔獣の名はワイアーム。奇怪な右腕を持った魔獣だ。ワイアームに重傷を負わせることには成功したが、その後の行方は結局わからずじまいだった。


「ハハハハハハハハ!! まさか人間の姿を真似て人間社会に溶け込んでるなんてね! 面白い! 面白いよ! 君たちはどこまでも僕を飽きさせない!」

 夜白は本当に楽しそうに笑っていた。そしてこう言った。


「いいよ。君のことは見逃してあげる。早く君の居場所に帰るといい。もっと僕に見せてくれ。君がどこまで進化できるのか。その先を」


 その言葉を最後に宙を浮いていた立体投射装置が破壊され、白髪の科学者の姿は闇に消えた。




間章 エピソード・オブ・シャングリラ -The Hero with no brave- 完

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