間章・第5話 揺るがぬ意志 -Unbreakable HERO-

・1・


 ギヂリッ! と嫌な音が鳴った。


 タカオにはその瞬間が永遠のようにも感じられ、ビリビリとした感触が少年の右手を刺す。

 全てはこの瞬間のためだった。

 言葉を出すことも許されず、口の中に生暖かい液体が飛び散るのを感じながら、久我山の巨体は真後ろに吹き飛んだ。それと同時に操られていた少年二人が崩れ落ちる。

「……悪いな」

 片方には岩が当たったらしく頬が腫れ、口から血を流して伸びていた。岩が直撃した方はもちろんだが、もう一人の無傷の少年の方も意識はない。

 ミズキは精神拘束にはそれなりに意識を割くと言っていた。タカオの一撃でそれが解かれたのだろう。おそらく囮を引き受けながら拘束を解除して回っているガイとミズキの方にも同様の変化が起こっているはずだ。


「……や……くはっ……やってくれたなクソガキがぁぁぁぁ!!」

 歯が折れたのか、口から血を流し久我山が怒号をあげた。まだ上と下の感覚が麻痺しているのか足元がおぼつかない様子だが、その猛獣のごとき眼差しはしっかりとタカオを捉えて離さない。

「なっ、何だ!?」

 その時タカオは異変に気づいた。久我山の周囲で風が逆巻いている。

(風!? だけどあいつの魔法は——)


「死ね!」


 音が消えた。

 次の瞬間、久我山の周囲から特大の烈風が生まれた。それは指向性を持ち、一直線にタカオを目指す。

「ッ!?」

 とっさに体への直撃は避けたが、右腕が暴風に飲み込まれる。

「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 無数の風の刃がタカオの腕を切り刻む。すぐに右腕を魔法で硬質化させたが、後少し反応が遅れていたら腕が細切れに切断されていたかもしれない。

「……ッ! あ、な……何で……それは、あの子の……」

 風の魔法。双子の姉妹の——妹の方が持つ魔法だ。

「……増幅器にはギアが二段階あってな。まだテストされてない未完成機能みたいだがこの際何でもいい。お前で試してやるよ」

 久我山の左目がこれ以上ないほどに赤く光を放つ。

 もう一段上の増幅。それが久我山に新たな力を与えていた。見ると、久我山の背後に複数の人影が浮いているのが見える。タカオはそれが何なのかすぐに理解した。

「……てめぇ……一体どこまで!」

 それは久我山に首輪をつけられたはみだしの住人だった。

 木になる果実のように。あるいは絞首刑台で首を釣った罪人のように。

 意識のない彼らは久我山の背後でまるで部品のように宙を浮いていた。そしてすべての鎖は主である久我山の背中に集約している。

「これが俺の隷属の首輪スレイヴ・サインの次の段階ステージ

 首輪を通して個々の魔法さえも支配する。文字通り彼らは久我山にとって魔法を打ち出すための部品と化していた。


「タカオ!」


 背後から声がした。ガイとミズキだ。

「急にみんながこっちに飛んで……って何あれ!?」

「二人とも離れろ!!」

 久我山が手のひらから水の弾丸を打ち出す。

(狙いはミズキか!?)

 タカオはミズキを庇うように水弾の直線上に割って入る。背中に直撃するが直前で硬質化が間に合ったおかげでダメージは少ない。だがそれでも衝撃は体に響き、体力は大きく削られる。

「……お前」

 ガイが久我山を睨む。普段は何を考えているかわからない彼だが、この時ばかりは怒りを目に見えて感じた。ガイは手元で集約させた炎を久我山に放つ。

「忘れたのか? お前の魔法はもう対処済みなんだよ! バカが!!」

 再び水の魔法。今度は鞭のように形状を与え、炎を叩き消す久我山。さらに今度は風の魔法に切り替えてミズキとガイを吹き飛ばす。

「きゃあああああああ!!」

 バキィ! っと柱の折れる音。ガイはミズキを庇うように抱きかかえて何とか守った。

「……ぐっ」

「ちょっとアンタ!」

 しかし代わりにガイは頭を打ったのか額から血を流している。ミズキは慌ててガイを抱きかかえた。


「すげぇぜ……最高にイイ気分だ! もうこいつらを使必要もねぇ! 俺は最強の力を手に入れた!」

 久我山は両手を広げ、自分の全能感に酔いしれる。

「なぁ皆城ォ。命乞いしてみろよ?」

「……あ?」

「今の俺にはこのクズどもの能力を最大限に有効活用できる力がある。殴るしかできねぇお前じゃあもう勝てねぇことはよく理解できるはずだ。惜しかったなぁ。さっき魔法を使って俺を殴ってりゃあそれで終わってたかもしれねぇのによ。まぁ、そんな状態じゃまともに使えねぇか。ハハハ!!」

 タカオはさっきの一撃に魔法を発動していない。それほどまでに消耗しきっているのだと久我山は推測している。魔法はおろか、もう目の前の男にはもう一度自分を殴れるだけの力さえ残っていないのだと。

「みっともなく命乞いをしたら許してやらないこともないぜ? ここのクズどもと違ってお前はなかなかに使えるからな」

 言葉という名の毒蛇がタカオの喉元を狙う。無論、助ける気など毛頭ない。

 タカオは何も答えず黙って立ち上がった。もう息を吹きかけるだけで倒れてしまいそうな少年を、久我山は愉快そうに見ている。

「どうした? やっと——」


「……勘違いすんなよ?」


 タカオの目が真っ直ぐ久我山を捉える。

「ッ!?」

 一瞬。ほんの一瞬、久我山はその目に恐怖した。今度はそれを自覚するほどに。

「お前があいつらのことをクズ呼ばわりするんじゃねぇよ。それにそんなのは最強でもなんでもねぇ。お前は他人の才能をただ横から掠め取って真似してるだけだ」

「何ぃッ!!」

 タカオは血だらけの右手を前に突き出す。


「さっきのはミズキやガイ、そしてみんなの分だ。だから魔法は使わなかった」


 自分の魔法はあくまで自分自身の意志エゴの塊。きっと「気持ちを乗せる」っていうのはそういうことではないと思った。


「そして今度は——」


 開いた手のひらを強く握りしめると、タカオの左目が赤く染まった。右腕が黒く変色し、鋼と化す。


「今度は俺の分だ。お望み通りきっちり一発で決めてやるから覚悟しろ!」


 久我山は自分の頭が沸騰するのを感じた。

「なん……なんだ……」

 タカオが何をしようと想定内のはずだ。向こうの戦力、作戦、思考パターン、何を嫌がるのかさえ全部調べ尽くした。その上で完璧な対抗策を練り上げた。

 なのに言葉も、策も、支配の首輪もきかない。決して自分の思い通りにならない少年が目の前に立ちはだかる。

(何だ……俺は一体何を恐れている?)

「何なんだお前!! ふざけるな! あっちゃいけねぇんだよ……俺の支配に逆らうなんてことが!!」

 もはや恐怖が言葉として出てくるのさえ我慢ができなくなっていた。久我山がタカオに向かって支配の鎖を飛ばした。


「最初から言ってるだろ。俺はふざけてなんかねぇよ」


 タカオは言った。

「今までずっとここに住む多くの人間と対話し続けてきた。自分の魔法の意味も考え続けた。助けたいって思ったんだ。だから俺の中には覚悟がある。俺の全部を出し切ってお前をぶっ飛ばすっていう揺るがない意志が。相手を上辺だけ操って満足しているようなお前には一生理解できないだろうけどな」


 多くの意志なき『道具』をその手で行使する者。

 多くの揺るがぬ『意志』をその背に背負う者。


 両者が持つものは同じものであって全く異なるものだった。それを証明するかのようにタカオの掴んだ鎖が音を立ててあっけなく砕け散った。


 揺るがぬ意思。それが久我山が恐れていたものの正体。

(俺の支配が……届かない……!!)


 ダッ!! っとタカオは強く地を踏んだ。

 

「く、来るな!!」

 久我山があらんばかりの魔法を打ち続けるが、それがタカオにあたることはない。彼はすでに心の奥底で負けを認めてしまっている。


(今まで散々いろんな魔法を受けてきた……)


 どれも個性的で、強く、思いを感じた。


(だがお前からはそれが全く感じられない!)


 だから怖くも何ともない。


 もはや対抗する術は全て失われた。時間さえも遅く感じる。それはこの一撃で終わることをお互いに理解した証拠だ。

 気づけばタカオは久我山の目の前に立っていた。


 次の瞬間、久我山の顔面に再び、今度は文字通りの鉄槌が振り下ろされた。


・2・


「痛ッ……!! ま、待ってちょっと待って!!」

 店の中で、タカオが激痛による叫び声をあげた。

「我慢しなさい。右腕の痛みを抑えてあげてるだけマシでしょ?」

 包帯と消毒液を持ったミズキはタカオが逃げないようにがっちり腕を掴んでそう言った。

 タカオの右腕は裂傷も酷かったが、肩の打撲に加え腕の骨も折れていた。そんなタカオにミズキは一言ことわって、魔法を使って右腕の痛みを少しでも和らげるように暗示をかけた。即席の麻酔のようなものだ。それでも完全にとはいかないが。

「痛いもんは痛いんだよ……もうちょっと優しくで——」

「あんまり文句が多いと麻酔、切るわよ?」

 ニッコリと微笑むミズキ。

「……はい」


「そういえばガイがいないな?」

「そうね。いつも通り買い物に行ってくるって言ってたけど。ていうより今日あれだけのことがあったのによくいつも通りにできるわね」

 ミズキは呆れたように言った。彼女自身、もう気を抜けばその場で寝てしまうほどヘトヘトだった。

 時刻はもう夜の九時だ。あたりはすっかり暗くなっている。

「ま、あいつなら大丈夫だろ。それより俺たち今日は野宿になるんかなぁ……」

 タカオは上を見上げる。そこには特に綺麗でもない星空がこれでもかと広がっている。

 それを聞いてミズキが固まった。何かを思い出したように「あ……」と声を漏らす。

「……そういえば今晩、雨って言ってたような」

「「……」」

 ついに二人とも動かなくなった。


「まずいぞ! 治療なんてしてる場合じゃねぇ! さっさと直さねえと! 小屋! 小屋でいいか!? 屋根さえあればなんとかなる!」

 飛び起きたタカオは未だ残っている突き刺すような痛みに耐えながらも瓦礫を漁って使えそうな資材を探し始める。

「嫌よ! 小屋暮らしなんて!」

「贅沢言ってられっか! 雨風しのげりゃそれでいいんだよ!」


「お困りのようですね」


「「あ゛?」」

「ひぃ……」

 焦りのあまりものすごい形相で二人に睨まれたリクが疾風のごとき速さでアヤノの後ろに隠れた。

「……やぁ。リク、アヤノ」

 いつの間にか戻ってきていたガイが声をかける。

 アヤノはハハハと笑うと深々と頭を下げた。

「タカオさん、ミズキさん。ガイさん。この度は本当にありがとうございました」

「礼なんていいさ。結果的にお前らの仕事失くしちまったわけだし……」

「いえいえ、仕事なんてこれから何とでもできます。久我山がいなくなって、私たちはようやく前に進めるんです」

 リクもうんうんと頷く。さらにその後ろにははみだしの住人がぞろぞろと集まっていた。


「ガイさん! 手伝います」

「ガイさん。これはどこへ?」


 と言った具合に双子の姉妹に何やらやけに慕われている。他の住民も同様だ。見た所、みんな店の改修の手伝いにきてくれたようだ。

 それにしても……、

「……なぁ賽鐘、あれ何?」

 タカオは耳打ちでコソコソとミズキに訪ねた。

「アンタが久我山と戦ってる最中、私たちは操られてる人たちを起こして回ってたでしょ? たぶんそのせいじゃない?」

 目を覚ましたら自分を心配してくれる人がいた。覚醒直後で意識も朦朧としていたのももちろんあるだろう。

 つまりは彼、彼女たちの脳内には、


 ガイ=王子様(救世主)


 の構図が出来上がっていたのだ。まるで雛鳥のインプリンティングのように。

「……倒したの俺なのに」

「まぁ……しょうがないんじゃない?」

 クスクスとミズキは笑っている。


 別に礼を言われたかったわけじゃない。目の前で困っている人一人すら助けられないなら、奪われた親友を助けるなんて夢のまた夢だと思っただけだ。

 そしてタカオはそれを見事にやり遂げた。魔法ちからも手に入れた。

(……ま、いっか)

 だから満足だった。

「……それと……ミズキで、いい……」

「?」

 タカオは首を傾げる。

「名前! ミズキでいいって言ってんの! ……その……仲間なんでしょ? 一応」

 ミズキはタカオと目を合わせづらいのか、明後日の方向を向いてそう言った。

 その言葉の意味を理解したタカオは笑っていた。


「……わ、私は……ちゃんとわかってるから……タカオ」


「え? 何か言ったか?」

「な、何でもないわよ!」

 思わずキュッと包帯を強く閉めてしまった。

「……あ」

「イ゛ッ……!!」

 痛みでのたうち回るタカオ。

「ご、ごめん」


「タカオ」

 ガイが二人の元へ寄ってきた。

「何?」

「店の方はリクたちの協力ですぐに直せそうだ。明日からは大幅な改修工事に入る。店がもっと広くなる」

「……た、助かった」

 とりあえずこれで雨の中、野ざらしで夜を過ごすのは免れたわけだ。

「あともう一つ」

「?」

 ガイは人差し指を立てる。



「決めたよ。店の名前」


 

 いつもより少しだけ楽しそうに見えるガイは二人にそう言った。タカオとミズキは一度顔を合わせるとそれに耳を傾けた。


 それは全ての始まりにして終着点。誰もが羽を休める理想郷。


 なんだっていい。きっと言葉は違えど込めた思いは同じなのだから。



「店の名前は——————————————シャングリラだ」

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