間章・第3話 魔女の涙 -Break the Chain-

・1・


 一週間が経過した。


「おせーな。久我山センパイ」

 タカオは自分の店で久我山の到着を待っていた。

 リクとアヤノに聞いたのは、久我山とのコンタクトの取り方だ。

 久我山は裏社会の商人。普通に大通りに店を構えてお客を待っているような人間ではない。会う方法を知っている人間だけが彼の元に辿り着けるように巧妙に仕組まれている。タカオはリクの指示で何の変哲もないサイトから、特定の手順を踏み、特定のルートを通ることで、久我山の裏サイトに到着した。 

 そこにはありとあらゆるものがリストに名を連ねていた。

 『とある企業の人員名簿』から『極秘開発中の最新技術のデータ』まで。何でもござれだ。

 久我山の居場所は誰にもわからない。それこそいつ誰に狙われてもおかしくないような男だ。客として会うしか方法がない。

 タカオはそこで一つ買い物をした。

 今日はその受取日。久我山本人と直接取引をすることになっている。ここまで取り付けるのにかなり苦労した。


 ガランっと、店の扉が開いた。

「よぉ待たせたな。なんだよ客いねえじゃねぇか。ちゃんとやっていけてんのか?」

 入ってきた巨躯の男・久我山灰司は片手をあげて周囲を見渡すと、フレンドリーにタカオに話しかけてきた。ガイは普段と変わらずカウンターに。ミズキは久我山の登場にわずかに肩を震わせる。

「なんか今日は気持ち悪いくらいにフレンドリーっすね」

「ハハハ。まぁこないだは確かにムカついたが、客となれば話は別だ。お互い、良い取引にしようぜ」

 久我山は銀のアタッシュケースをテーブルの上に置いた。

「……」

 タカオはケースをまじまじと見る。これがどうやら注文した品らしい。

「へへ。じゃあ確認してくれ」

 久我山はゆっくりとした手つきでケースを開けた。

 中に入っているのは二つの銀色に輝く腕輪。


 ルーンの腕輪だ。

 

 一瞬、ミズキが何かを言いたそうにしたが、結局何も言わなかった。

「二つ?」

「そいつは最近入ってきた新作だ。特に新しい機能はないが、性能は旧型より一回り上ってところか。好きな方を選びな」

 久我山が片方を指さしてそう付け加えた。

「へぇ」

 骨董品でも扱うかのように腕輪を見ているタカオに久我山は話しかけてきた。


「お前のこと、調べたぜ後輩。お前、玉選のリストから消されてるみてぇじゃねぇか?」

「……」

 さすがの情報収集能力というべきか。

「なぁ、何があったんだ?」

 タカオは久我山を一瞥する。そして言った。

「やだなぁセンパイ。そこまで調べたんなら当然知ってるでしょ?」

 この男が知らないわけがない。これはタカオの心を抉るためのただの遊びにすぎないのだ。

「……ふん。まぁな。随分厳重に隠蔽されてはいたが」

 この手の揺さぶりがきかないことを理解したのか、久我山はあっさりと白状した。


「リー・アーウェル。また随分とめんどくさいヤツとやり合ったもんだ。同情するぜ」


「……ッ」

 その名に一瞬タカオの手が止まる。


(あいつ……)

 ガイの側で静かに二人を見ていたミズキは怒りで小さく肩を震わせる。

 。つまり久我山はミズキ以外からも情報を入手していたということになる。久我山はミズキが裏切ることはないにしても、多少の手心を加えることは想定していたのだ。

「……あんたがあいつに腕輪を売ったのか?」

 タカオはあくまで冷静に聞いた。が、その言葉にはわずかな怒りが含まれているのを久我山は見逃さない。

(フン。さすがに無視はできねぇか)

 別角度からの揺さぶりに対する確かな手応え。久我山は心の中で舌なめずりをした。

 誰だって考える。あの男リーの持つ腕輪の出所が目の前の男なのではないかと。そうだとしたら、タカオにとっては仇も同然だ。今すぐにでも殴りかかってしまいそうだ。

「おっと顧客の情報は言えねぇぞ? 守秘義務ってやつだ。こういうもんを売ってるとなればなおさらな」

 久我山は釘を刺した。だが反応から察するにやはり何かを知っているようだ。

「まぁ一つ言えることがあるとすれば、ヤツが使う魔法は人を操る系統のものではないってことくらいか」

「……ッ」

 この場で嘘をつくメリットはない。おそらく本当だろう。

 つまりは他にもリーと組んでいる魔法使いがあの学園にはいるということだ。人の心を操ることのできる魔法使いが。



「さて、商品の方はいかがかな?」

「一応聞くっすけど、偽物って可能性は?」

 タカオは久我山に聞いた。だが久我山は笑い飛ばす。まるで心外だという風に。

「ハハハ! おいおい、こちとらこの商売長いんだ。俺はいつだって本物しか売らねぇよ。信用第一なんでね」

「……」

 信用。この男には最も似合わない言葉だとタカオは心の中で思った。

 久我山という男が支配するはみだしを歩く中で、その人物像も徐々に見えてきた。

 この男は誰も信用なんてしていない。

 どんな些細なことでも口約束だけでは終わらせない。

 約束を違えれば地獄の底まで追いかける。

 機械のように情を持たず、淡々と処理していく。

 それはここら一帯に住む人間きゃくを見れば嫌でもわかる。

 魔法は人によってありようは様々だが、久我山の鎖はおそらくここから形成されている。


 形のない『信用』は信用に値しない。『支配』し、繋ぎ留め、縛る強固な鎖。

 それこそが真の『信用』とでも言うように。


「問題ないっす」

 タカオは腕輪のチェックを終え、了承した。そもそも良し悪しなんてわからない。深く考えずに新しい方を選んだ。

「よし。なら早速会計……と言いたいが、少しばかりお前の店に貢献してやろう。おいそこの、コーヒー二つだ」

 注文を受けたガイが急いでコーヒーを淹れ、ミズキがそれを運ぶ。まず久我山の前に一つ。そしてタカオの前に一つ。

「俺のおごりだ」

「そりゃどうも」

 タカオはカップに指をかける。

(ククク、まさか俺とこうして交渉するところまで持ってくるとは思いもしなかったがまぁそれはいい。それならそれでお前の死に様を楽しませてもらうとするぜ)

 すでにガイはミズキの洗脳で手中に収めている。毒はタカオのカップに入っているはずだ。

(……まだ、まだ笑っちゃいけねぇ)

 一緒に暮らす親友の手で訳も分からずに死んでいく。その瞬間に対する期待を喉のところまでで押しとどめる。

 久我山はミズキが自分を裏切るとは露ほども考えていない。


 


 久我山の『隷属の首輪スレイヴ・サイン』には、任意で対象の魔法を弱体化させる力もある。完全に無力化こそできないものの、その支配権を奪う能力の特性上、無意識下に暗示のようなもので行動に制限をかけることができるのだ。

 仮にここでミズキが自分を裏切ったとしても、彼女には何のメリットもない。むしろその時は鎖が解け、自身の能力の暴走に押しつぶされて勝手に自滅するだけだ。


 まず久我山は出されたコーヒーを啜る。当然、毒は入っていない。

(さぁ舞台は全部整った。あとはお前が幕を降ろすだけだ)

 ここでは自分こそが頂点だ。すべての人間を鎖で繋ぎ、飼い慣らしてきた。誰にもナメた口はきかせない。刃向かう奴には死をくれてやる。もちろん自分の手は汚さない。その行為は同等の相手にするものだ。昔からよく言うだろう。『喧嘩は同じレベル同士でしか起きない』と。


 タカオがカップに指を通す。


 タカオ以外の誰も指の一本すら動くことを許されない。

(安心しろお前の死は無駄にはしねぇよ。お前の死を見せしめに、ここの支配はさらに強まる。ゴミどもに残ったわずかな希望の一欠片まで完全に壊してやる)


 カップを徐々に口へと近づける。


 その瞬間を前にポーカーフェイスの悪魔が耐えきれず笑みをこぼす。

 そして。

 そして。

 そして——



「ダメェェェェェェェェェェェェ!!!!」



 その声は突然響いた。


・2・


「!?」

 真横からミズキが急に声をあげた。あとほんの一秒足らずで唇に触れようとしていたタカオのカップがピタリと止まる。

 体は勝手に動いていた。

 ミズキは恐怖という見えない鎖を引き千切ったのだ。

(ッ!? コイツ……)

 久我山が驚愕する。

(わかってる。こんなことをしてただで済むなんて思ってない……でもッ!)

 ミズキはタカオのカップを奪い取って、それを勢い良く飲み干した。


!)


 思えば、

 魔法が制御できなくなったあの日から、何度も何度も死ぬことを考えた。

 人を操ること。それに安心を覚えるようになってから、何度も何度も死ぬことを考えた。


 けど、できなかった。


 初めは誰しもが思う純粋で単純な願いだった。

 人と違う何かが欲しくて。普通でいたくなくて。それに憧れて。


 だが『特別』は『異端』でしかなかった。


 魔女。そうかつての友人は自分に言った。

 今の自分を見てみろ。全くその通りだ。人の心に勝手に踏み込み、荒らし、挙句殺そうとした。薄汚い魔女だ。

 こんな自分は死んだほうがいい。みんなのためにも。何より自分自身のためにも。

 何度もそう思った。


 けど、やっぱりできなかった。


 とめどなく脳内に入り込んでくる負の思念を断ち切るには。

 平気で人を操る魔女になってしまった自分を止めるには。

 それしかないとわかりつつも。けれど、


 怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて。


 怖くて仕方がないのだ。結局、自分にはその勇気すらもない。


 けどこの少年のためなら。


 別にかっこよくもなければ何も特別なところなど一つもないむしろ頼りなくデリカシーに欠ける勘違いヒーロー野郎のためなら。

 何故か一緒にいると心が温かくなるこの人のためなら。


 体が動いた。


 損得感情じゃない。これはもっと単純な気持ち。

 何よりも死んでほしくなかったから。

(……ごめん、な……さい)

 視界が涙で揺らぐ。

 これは自分で蒔いた種。自分が受けるべき正当な罰だ。本当はこんなこと言う資格もない。

 それでも――



「テメェ……ッ!」

 ミズキの予想外の行動に久我山が怒りで肩を震わせる。野獣のような眼光でミズキを睨んだ。だが今の彼女にもうそんなことは関係ない。どうせもう終わるのだから。

「……ザマァみろ」

 振り向きざまに、最後にずっと言ってやりたかった言葉を吐いてやった。

「お、おい……賽鐘、どうしたんだよ? お前コーヒーそんなに好きだったのか? 何も俺のを取らなくても……」

 タカオを何か可哀想なものでも見るような目でミズキを見ていた。


 カチン。


「はぁ!?」

 思わず声が出た。でもすぐにわかった。毒を盛られてるなんてタカオは知りもしないのだ。だが……それでも一世一代の決意で飛び込んだのに何とも緊張感がないというか。何か考えていたものと大きく違う反応にミズキはイライラした。

(この男は……ッ! 人の気も知りもしないで……って、あれ?)

 そこまできてようやくミズキは違和感に気付いた。


「あれ……何ともない」


 確か話では即効性の強力な毒だったはずだ。もうとうに意識を失っていてもおかしくはない。だが体は変わらず自由に動く。どこも異常はない。

「……何、で?」

 ミズキはガイを見た。びっくりした顔で自分を見るミズキにガイは首を捻る。

 確かにあのときミズキはガイに魔法を使った。彼の無意識下に久我山に言われた通りに命令を刻み込んだ。発動条件は久我山の注文だ。間違いない。自慢でも何でもないが、今までこれを失敗したことはない。

 なのにどうして……。

 ミズキはもう一度喉、胸、お腹と手を当てる。だがやはりなんともない。痛みも吐き気もない。

 床に崩れ落ちているミズキの元にタカオも座り込む。自分の顔をマジマジと見て、そして言った。

「トイレか?」

「フン!!」

「ブフォッ!?」

 タカオの溝うちに拳がねじ込まれる。

「な、に……しやがる、この暴力女!」

「うっさいわね! 女子にそんなこと聞くな!」

 だがそう言う彼女は思わず笑みが溢れていた。

(何でかわからないけど、私……死んでない?)

 ガイに自分の魔法がきいていなかった。そうとしか考えられない。思えば初めて二人に会った時も流れ込んできたのはタカオの感情だけだった。ガイの心が、記憶が流れ込んできた覚えがない。タカオの物珍しさについ気にも止めていなかった。

 いや、今はそんなことよりも——

(私、今……安心、してる……?)

 生きてることがこんなにも嬉しいと感じたのはたぶん初めてだ。


「……ふざけるな」


 悪魔の声が少女の心臓を掴む。

「ふざけるなこの役立たずが!!」

「ッ!? あ、ガッ……!!」

 急にミズキが苦しみ始めた。

「賽鐘!?」

 苦しみもがくミズキの変わりようにタカオは驚く。考えられる可能性は一つ。タカオは少女の首元を捲った。

(……鎖の痣ッ!)

「お前やっぱりあいつに!」

「……グッ……あつ……!」

 首の鎖の痣が燃えるように熱く、そして絞まるような苦しみをミズキに与える。

「何笑ってんだミズキ! 道具は黙って言われたことだけやってればいいんだよ! しくじりやがってクソッタレが!」


 久我山がミズキに拳を振りかざす。


 だがそこにタカオが割って入った。


「ッ!? ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ミシリ、と久我山は自分の拳が悲鳴をあげる音を聞いた。まるで岩に思いっきり拳を叩きつけたような感じだ。拳が血で滲む。


「……それが……お前の、魔法か……」


 久我山は自分の傷ついた手を抱え、呻いた。


 黒く変色し、鋼の如き硬度を得た右腕。

 人体の一部を細胞レベルで変質させる形態変化。


 少年の左腕にはルーンの腕輪がはめられていた。

「……これが……俺の」

 これが自分の願いの体現。

 タカオは魔法を解いて久我山と向かい合う。

「久我山センパイ。どういうつもりっすか?」

「あぁ? 魔法を手に入れていきがってんじゃねぇぞ小僧!」

 久我山がタカオに向かって鎖を飛ばす。首に巻きつけて制御下に置くために。だがタカオはその鎖を眼前で掴み、容易に砕いてみせた。

「何ッ!?」

「お? 壊せた」

 タカオ自身も壊せるとまでは思っていなかったようだ。試しにミズキの首から伸びている鎖の破壊も試みるが、こちらは壊れない。

(コイツ……まさか!?)

 隷属の首輪には発動条件がある。それは使用者が対象よりも精神的に優位でいなければならないということだ。ペットにへりくだる飼い主がいないのと同じように、大抵の場合は、久我山の客は彼より精神的に下に位置する。たとえ法外な額であっても縋るしかないからだ。そしてそこに隙が生まれる。故に彼の魔手から逃れる術はない。


 だが目の前の少年は違った。


(コイツ……俺と対等でいるつもりなのか?)

 自分のことを微塵も恐れていない。あるいは逆に久我山自身が無意識にタカオを恐れたか。どちらにしても鎖で縛れないという事実は変わらない。

(チッ、それなら!)

「……えっ」

 急にミズキの両手が勝手に動いた。

(何これ!?)

 少女の両手がタカオの首を絞める。

「ぐっ……賽鐘、何を……」

「わ、私じゃないッ!」

 ミズキも知らない久我山の能力の応用。鎖で繋いだ対象の体を操る魔法の応用技だ。

 自分の意志でやっていることではないぶん、腕にかかる力に制限はない。ミズキ自身骨が折れそうなほどの激痛を伴いながら、少女の腕力とは思えない力でタカオの首を絞める。

「タカオ!」

 ガイが二人に駆け寄り、ミズキの腕を掴む。それでようやくタカオは万力のような締めつけからわずかな気道を確保した。

「アンタか……く、が……やまぁぁぁぁぁぁ!!」

 ミズキが怒号を上げる。

「わかってるはずだろ? 俺を裏切るということがどういうことか。そしてこうなることも」

 久我山が不気味な笑みを浮かべる。そしてさらにミズキが最も恐れていることを実行する。

「ッ……!!」


「なぁ小僧。?」


 ミズキの心臓が凍りついた。息ができない。

「賽鐘の?」

「あ……あぁ……」

 喋れない。久我山に制御されているのか。声が出ない。



「そいつの魔法はな、人の心を読み、干渉できる力だ。つまりずっとお前の情報をは俺に筒抜けだったのさ。そいつのおかげでな。ハハハ! どうだ? その女はお前から全てを奪ったヤツと同類ってことだ! そいつはお前が最も憎む魔法を持ってる女なんだよ!」



「ッ!!」

 タカオはミズキを見た。彼女が首を絞める手を緩めることは一向にない。

 目の前に覆いかぶさる少女はタカオから大切なものを奪った魔法使いと同類。人の尊厳さえも簡単に踏みにじることができる力を持っている。


(……だったら何でッ!!)


 彼女は両目からボタボタと涙を流しているのか?

 ごめんなさい。

 嫌いにならないで。

 失いたくない。

 と、子供のように泣きじゃくっているのか?

 タカオの顔に少女の涙が雨のように降りかかる。


「……か……ら」

 微かに少年の声が聞こえた。

「あぁ?」

 そして力強く言った。


「だから……何だってんだ!!」


「ッ!?」

 その言葉に一番驚いたのはミズキだった。

 一瞬だけ指にかかる力が緩んだ。タカオはミズキを思いっきり抱きよせる。

「あ……」

 今まで感じたことのない『安堵』が少女を包み込む。

(……あったかい)


 少年は魔女の全てを知っても、変わることはなかった。


 彼女を縛る鎖にヒビが入る。


「確かにそんな力、使われてもわかんねぇし、触れられたくない部分にも簡単に入り込める。他人だって……思うがままだ。絶対に敵には回したくねぇさ」

 タカオは腕の力をわずかに強めた。


「でもお前は敵じゃない。今お前が流してる涙は本物だ。それくらい、俺にもわかる」

 

 もっと強く。


「お前はアイツじゃない」


 泣きじゃくる赤子をあやすように。


「だってお前は俺たちの仲間の『賽鐘ミズキ』だろ?」


「……ッ」


 そんな言葉をずっとかけて欲しかった。

 普通に。自分を特別扱いしない一人の人間と認めてくれるその言葉を。

 ずっと待ち焦がれていた。


「だったら俺はお前を絶対に見捨てたりしない」


 その瞬間、ミズキの首に巻き付いていた鎖が砕け散った。


・3・


「なん、だと……ッ」

 久我山の鎖がジャラジャラと音を立てて消滅していく。

 ミズキは解放された。それは彼女が精神的に完全に久我山から離れたことを意味する。

「やったな、タカオ」

 ミズキの体から力が抜けたことを確認すると、ガイはそう言った。

「あぁ。まぁ、何がどうなったのかはわかんないけどな」

「だが結果オーライだ」

「だな」

 二人は笑った。


「……ありえねぇ」


 久我山は自分の両手を見て呟く。

「俺の支配から……逃れる……だと?」

 今まで一人たりとも久我山の鎖から逃れた者はいない。自分は絶対の存在だと確信していた。

 全部目の前のあの少年のせいだ。何の変哲も無い普通の少年が『絶対』を揺るがす可能性を生み出してしまった。

 僅かな綻び。


「久我山センパイ」


「!!」

 タカオは再び久我山の前に立っていた。

「まだ腕輪の代金払ってなかったすよね?」

 その言葉に久我山は水を得た魚のように飛びつく。

「そ、そうだ! お前は俺に金を払わなければならない!」

 その事実は久我山を精神的に優位に立たせる最高の材料だ。久我山はタカオに請求書を突きつける。


 その額は実に一億。


(どうだ! 払えるもんなら払ってみせろ! お前が俺の上に立つなんて——)


「ま、払わないっすけどね」


「何!?」

 久我山は驚愕する。タカオは目の前で請求書を破り捨てたのだ。

「まぁ普通に考えて元学生が一億なんて法外な金を用意できるわけないし」

 だからこそだ。その条件だからこそ久我山が優位に立てるのだ。なのにタカオはいともあっさりとはねのけた。

「でもこのまま逃げたりはしないっすよ。ここはもう俺たちのホームなんで。だから勝負をしませんか? センパイ」

「勝負だと?」


「俺が勝ったら一億をチャラに。あと今までお前が縛ってきたはみだしの連中全員を解放しろ」


 タカオは堂々と言い放った。むしろタカオの方がタチが悪い。

「はぁ? 誰がそんな条件を飲むか! 例え飲んだとして、総額数百億をお前一人で背負う気か? そんなの割に合わな——」


「じゃあを賭けるよ」


「!?」

(こ、いつ……今、なんて言った?)

「その話、俺も乗ろう」

 ガイはアタッシュケースの中に残っている旧型の腕輪を手に取った。

「私……も」

 ミズキも真っ赤に腫れた目を擦り、フラつきながらも立ち上がる。

 二人とも、もはやチンケな鎖では縛れない自分の意志で一歩を踏み出した。

「お前ら……」

 久我山は理解できない。何がこいつらにここまでさせるのか。

「どうっすかセンパイ。俺ら三人の命。いくらくらいになりますかね?」

 ふざけている。例え三人の全ての臓器を売ったとしてもせいぜい一人か二人分の借金を補えるくらいだ。明らかに割に合わない。しかし、


(おもしれえ……)


 久我山はニヤリと笑う。今の彼にとって、金よりも何よりも目の前の三人の異物イレギュラーを排除できる絶好のチャンスに強い魅力を感じていた。


「いいだろう。その勝負受けてやる。契約成立だ」


 そうだ。


 鎖で縛れないものは、このはみだしには必要ない。

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