間章・第2話 悪魔の取引 -Demon's Trade-

・1・


 次の日、またお客が来た。

「お、賽鐘。さっそくうちの常連だな。コーヒー飲みに来たのか?」

「違うわよ! 今日はそんなんじゃなくて……その……アンタたちだけじゃ経営全然ダメそうだから……手伝ってあげ……る」

 ミズキの声がどんどん萎んでいく。

「そっか~。じゃ、頼むわ」

「軽ッ!?」

 あっさり了承されてしまった。人と関わることを異常なまでに避けてきた彼女にしてはかなり勇気を出して紡ぎだした言葉だったが、肩透かしを食らったような気分だ。

「もっとないの!? こう、面接とか。試験とか。私、赤の他人なのよ? それに私には人に誇れるようなものなんて……ない、し」

「う~ん、そんなこと言われてもなぁ。ちょうど女の子の人員欲しいと思ってたし、お前は悪そうな奴には見えないしな」

「……」


 どうしてそんなに簡単に――


「ガイもいいだろ?」

「俺は問題ない」

 ガイも静かに頷いた。

「ってことでうちは問題なしだ」

 タカオはミズキに手を差し伸べた。

「……ッ……」

 ミズキはその手を恐る恐るそっと取った。

 しかしここでミズキはあることに気付く。


「……ん、ちょっと待って。何でが人員募集してんの?」


 それも女の子限定。

「……」

 これでもミズキは断られることは想定してここまで来たのだ。

「……何で黙ってるのよ?」

 ミズキはタカオを一瞥した後、ガイにも視線を送る。

「?」

 しかしガイは「俺は知らない」とでも言うような表情だ。嘘ではない。

「アンタ、私に何をさせる気?」

 ミズキがより怪しむような目でタカオを見た。 

「いや、いやいやいや違うし! ちょっと賽鐘にはうちの看板娘になってもらおうとかそんなこと思ってないし!」

 慌てて手を振るタカオのポケットから一枚の紙が落ちた。

「ん? 何これ……」

「……ヤバッ」

 ミズキはそれを拾い上げる。どうやら写真のようだ。それを見て――

「な、ななな、なな……」

 どんどん顔が紅潮していく。

 写真にはフリフリのドレスを着た女の子がタカオの座る席で給仕をしているところが写っていた。スカートの丈は無駄に短く、胸の上部分は大きく開いている何とも挑発的なデザイン。

「違うんだ! これは敵情視察みたいなもんで。それは中心街の方に最近できたレストランだ。今人気だから参考までに写真を貰っただけだ」

「……」

 もうゴミでも見るような目だった。

「それにその衣装だとお前じゃサイズ的に――」

「うっさいわこのバカ――――――!!」

「フグォ!!」

 ミズキの斜め四十五度から鋭角に走る拳がタカオの脇腹に突き刺さった。



「ミズキ~まだ~?」

「うるさい! 着替え中に声をかけんな! デリカシーないの!? それに馴れ馴れしく名前で呼ぶな!」

 奥の物置の中から怒号が聞こえた。

「別にいいじゃん。これから俺ら、同じ店を背負う仲間になるわけだし」

「なら余計にデリカシー考えて!!」


 しばらくしてミズキが戸を開けた。

 白いシャツに薄い水色のエプロン。長かった髪は後ろでまとめている。今まで前髪で顔の半分以上が隠れていたこともあり、ここまでじっくりと彼女の顔を見るのはタカオもガイも初めてだった。

「へ~。似合ってるじゃん」

「あぁ」

 二人は偽りない賛辞を贈る。

「あ、ありがとう……」

 ミズキはモジモジしながらも礼を言った。

「よし。うちにも花がついたことだし、早速開店しますかね」


「ちょっと待って。今から緊急会議に入るわよ」


「……へ」

 ミズキが急にタカオを止めた。

「言ったでしょ? アンタたちだけじゃ全然ダメそうだから手を貸してあげるって」

「失礼な! うちのどこがダメだって――」

「全部」

「……はい」

 即切られた。

 ミズキはため息をついて、そして言った。

「提供できる品は一品だけ。しかもたいして特別でもないのに相場を無視した値段。誰も来るわけないでしょ」

「でも生活を成り立たせていくためには……」

「だからまず客が来るようにするのが先でしょ?」

 ミズキの言葉にタカオが押し黙る。ただ生活すいきるだけなら、贅沢という贅沢をすべて切り離して、極限まで散財を防ぐことは可能だ。賞味期限切れで廃棄された食材だってやりようによっては腹を膨れさせることができる。贅沢は敵なのだ。


「アンタがここで店を開いたのは、ただお金を稼ぐ。本当にそれだけなの?」


「……それは」

 何故だか言葉に詰まった。店を開いたのはもちろんお金を稼ぐためだ。だが、ミズキの言葉が嘘だとも言えなかった。何か、自分でも意識していないもう一つの理由が本当にあるみたいだ。


「まずは最小のコストで最低限の品揃えをすること。そうね、二種類。軽めの和食と洋食。せめてこの二種類選べるだけでもいいわ」

 ここは豪華なレストランでも何でもない。質にこだわる必要はない。客に選ぶ楽しみを与えること。何か食べれること。そんな少し立ち寄ろうと思わせるだけの要素さえあればそれでいい。

「手際がいいな。経験があるのか?」

 ガイはミズキに尋ねた。

「……昔ちょっとだけ都内のファミレスで働いてたってだけよ」


 その他にもミズキはあれやこれやといくつか二人に指示していく。その時の自分ん表情が今までになく活き活きしていたことに彼女自身気づいていない。

「いい? とりあえずこの一週間でもう一度準備し直すわよ? 料理の方は私が教えてあげるから。……そこの無能店主! いつまでしょぼくれてんのよ。さっさと動け!」

 一瞬で、店のパワーバランスが塗り替えられた。


・2・


 それから数日後の早朝、タカオは昨日久我山に取り立てを受けていたリクという少年を尋ねていた。何軒目になるだろうか。ここに来るまで他にも久我山と取引をした人間を片っ端から回った。

 ちなみにミズキには内緒だ。おそらく自分がいないことに腹を立てているかもしれない。だがこれはこれで彼にとってはやるべきことの一つだった。

「……話によると、ここに工房があるらしいけど」

 ここは使われていない廃工場をリクが改修したワークスペースだ。電気はもちろんベルトコンベヤーなど当時の機器はさすがに動いていないものの、壊れた車やバイクを始め、ぱっと見何の部品かわからない怪しいものまで。ありとあらゆるスクラップが点在している。そこにまるで獣道のように道ができていたので道に迷うことはなかった。

 その奥で不自然に開けた場所。そこに廃工場はあった。リクは中にいた。

 リクは作業台の上に置かれた壊れた機材を眺めている。前後左右、上下に至るまでくまなくだ。


 が、


「……えーっと」

「ジーーーー」


 ジッと自分の作業を眺めていたタカオに気が付いたリクは、困ったような笑顔を見せる。

「あはは……すみません。何か御用ですか?」

「お構いなく」

 タカオは一切目線を動かすことなくリクにそう言った。

「はぁ……」

(ものすごくこっちを見てる……)

 構うなという方が無理な話である。

 リクの仕事は修理屋。壊れた機材の修復を生業としている。主に久我山の管理するルートから毎日のように送られてくる機材を直すことで収入を得ていた。先日からその量は倍に膨れ上がっていて寝る暇もない。

(車のエンジン、か?)

「えーっと、あ、あったあった」

 リクは一緒に送られてきた設計図に目を通す。

 五分ほど目を通すと、リクは一度深呼吸をしてエンジンの前に立った。

「……よしっ!」

 リクの左目が赤く発光した。

(……やっぱり、久我山の時と同じだ)

 タカオの脳裏にはあの時の鮮明な記憶が残っていた。

 魔法が発動した。リクの瞳に映ったエンジンは淡い光に包まれ徐々に修復、いや正確には壊れる前の状態に戻っているというべきか。三十秒ほどでリクの目の前には新品の状態に戻ったエンジンが鎮座していた。

「ふぅ……これで今日のノルマの半分っと……って、え!?」

 タカオがキラキラした目でこっちを見ていた。

「な、何――」

「すっげーーなお前!!」

 タカオはリクの肩を掴んで称賛する。どういう仕組みなのか? 何をしたのか? 自分にもできるのか? マシンガンのように質問が飛んでくる。

「あうあう……ありがとうございます……」

 前後に揺さぶられ頭を思いっきりシェイクされたリクが弱弱しく礼を言った。


「なぁそ……ホゲェッ!!」


 突然背後から刺さるような鋭いジャンピングキックを喰らったタカオはそのままリクと一緒にスクラップの山に突っ込んだ。

 スタッと綺麗に着地したその少女は怒鳴る。

「ちょっと! また久我山の使い? リクに何して……ってアレ?」

 背後からタカオに蹴りを加えたアヤノは、すっかり伸びてしまったその顔に見覚えがあった。昨日久我山と自分たちの間に割って入ってきた少年だ。アヤノは「マズった」という顔になる。

「……何で僕まで」

 巻き込まれたリクも目を回していた。



「ほんっっっとーにすみませんでした!! 昨日も助けていただいたのに私……」

 アヤノは深々と頭を下げる。

「いや、別にいいって。俺もつい興奮しすぎちまった」

 タカオもつられて頭を下げる。

「アヤノ、お茶が入ったよ。タカオさんもどうぞ」

 リクが奥からお茶を三人分用意した。タカオは遠慮なくそれを受け取るとリクに尋ねた。

「なぁ、さっきの……お前の魔法なんだよな? ルーンの腕輪の。どういう力なんだ?」

 リクはどう言ったものかと苦笑いで答える。

「あはは……僕の魔法は物を直す力です。とは言っても、頭で理解してるものや、原型を知ってるものしか直せないんですけどね。生きてる物も無理ですし。さっきのは初めて扱う物でちょっと大変でした」

(それってつまりさっきのエンジンの構造をものの数分で理解したってことか……?)

 タカオは驚愕する。当人は何の気なしに言っているがそんな簡単な話ではない。


 ふと、タカオはリクの首に鎖模様の痣があることに気がついた。

「その首の痣……」

 それはミズキから教えてもらった久我山の魔法によるものだ。アヤノにも同様の痣が見えた。

「あぁ……これ、知ってるんですね。はい。僕もこの腕輪を久我山さんから買ったので……」

 隷属の首輪スレイヴ・サイン。その刻印だ。ミズキの言う通り、久我山はこの腕輪を売り捌いている。そして購入者は一人の例外もなく首に鎖の痣が見えた。

「どうしてあんな奴から買ったんだよ? 他にもっといい方法だってあった——」


「方法なんてありませんよ。もう、僕にはこれしかなかったんです……この力に頼るしか。でなきゃ僕たちはこの場所にさえいられない」


 リクはそう言い切った。

「……」

 タカオはリクのその言葉に何も言えなかった。妙な重みを感じたのだ。

「何があったか、聞いてもいいか?」

「……はは、僕の話なんかたいしたものじゃないですよ?」

 リクはそう答えるが、タカオの雰囲気を察してか自らの過去を語り始めた。

「半年前に起こった爆発事故をご存知ですか?」

「あぁ、確かどこかの学園でかなり大きな爆発があったんだよな? 名前は確か——」


「西堂第三学園」


 リクは答えた。

 西堂第三学園。半年前まで学園だ。

「そう、それだ。確か運び込まれていた開発中の次世代燃料が誤って爆発した……だったか?」

「僕とアヤノはそこの生徒だったんですよ」

「え……」

 そんなはずはない。なぜなら――


 


 海上都市始まって以来最大の爆発事故。

 教師、生徒、他関係者含め死者約六百名。

 生存者なし。


 まだ記憶に新しいこの事故はこの街に住む人間なら誰でも知っている。

「表向きはそうなってますけど、あれはただの爆発なんかじゃない」

 リクは話すのも辛いのか、顔をわずかに歪める。それを見ていたアヤノがタカオに言った。


「私たちは見たんです。学園の中心にどこからともなくいきなり現れたを」


・3・


「……怪物?」

「あいつが現れてから一瞬で学園は火に包まれて地獄へと変わりました。そのあと何が起こったのかはわかりません」

 目を覚ました時にはすでに久我山の手下に運ばれ、二人はこのはみだしにいた。二人ともかなりの重症だったようだ。リクはそう話した。

 その時久我山は二人に説明した。


 学園での一件は上層部にもみ消された。ただの事故として扱われ、生存者は一人もいないことになっている、と。


「だから僕もアヤノも公的には死んだことになってるんですよ」

「そんな……じゃあ久我山は」

 二人を助けたというのか?

 だがリクは首を横に振る。

「久我山さんは僕たちに偽の戸籍とこの腕輪を売りつけるために僕たち生き残りを攫ったんですよ。警察よりも、よりも先にね」

「あいつら?」

 もし警察に保護されていればそれなりの対処はしてくれるだろう。だがそれよりも早くもう一つのグループが動いていた。

 リクもアヤノもその正体は知らないようだ。


 ただ久我山のおかげで命拾いをしたのは事実だった。どこで入手したのか、久我山は当時の映像を見せてくれた。上空から取られた映像だった。そこにはリクたち以外にも数人の生き残りがいた。だが久我山の言う通りそこでは『証拠の抹消』が行われていた。

 白い防護服を着た謎の集団。あれはどう見ても警察なんかじゃなかった。彼らの後には何も残らない。かろうじて生きている者も、死んでいる者もすべて回収していった。本物の警察が到着したのはその数分後だ。当然、何も見つけることなどできはしない。

 もしあれが海上都市上層部の差し金だったとして、真実を知る二人が生きていると知られればどんな目にあうかわからない。少なくとも人道に反しているものであることは想像に難くない。

 久我山はそれを知った上でリクとアヤノを助けた。

 別に彼らでなくてもいい。それこそ二人は久我山の目にたまたま入ったに過ぎない。

 重要なのは自分以外の人間の末路を理解させ、彼らの逃げ道を完全に断つこと。

 自分の『客』にするために。


「……だから僕たちは久我山さんに縋るしかなかった。アヤノの分も含めて僕が全部を引き受ける形で彼と取引をしたんです」

 たとえ目を瞑りたくなるような莫大な借金ができるとしても。

 理由もなく理不尽に蹂躙された挙句、久我山の思惑に利用されるとしても。

 『存在』と『魔法ちから』があればまたやり直せる。いつかきっと。

 そうやって希望を胸に、悪魔と契約をしてしまった。


「……だけどアヤノにまで鎖が付いてしまうなんて」

 リクは拳を強く握り震わせる。

「いいよリク。頑張ってお金を用意できたら問題ないんだし」

「でもあの時僕が素直に罰を受けていたら——」

「それ以上言ったら怒るよ?」

「……」

 アヤノの強い言葉にリクは押し黙った。吐き出しそうな弱音を必死に我慢しているのは見ていればわかる。アヤノはそれを見て、しょうがないといった様子で優しく微笑んだ。

「しっかりしろ! リクは稼ぎ頭なんだから。私にはリクみたいなすごい力はないの。私にはその腕輪を付ける勇気も覚悟もなかったから……」

 アヤノはリクの左腕を手に取る。そして腕輪に優しく触れた。

「久我山がどうとかは置いといて、これのおかげで私たちは前に進めた。腕輪があっても望んだ力を得られるわけじゃない。そんな人を私はたくさん見てきたよ。なんの覚悟もなしに触れていい代物じゃないんだよ、この腕輪は」

 それはタカオも予想していた。もし本当に望んだ力が手に入るのなら、それこそ誰だって金を生み出す能力を欲するはずだ。借金で困る人間が出てくるわけもないし、それ以前に久我山が昨日の取り立て程度で満足するはずがない。しかしそんな者は一人としてここにはいないのだろう。


「たぶんリクの力は、『もう一度やり直したい』っていう強い思いがなんだと思う」


 理不尽に奪われた日常。その在りし日を思い夢想する。

 願わくばもう一度、と。


「私はそれを……一緒に生き残った者として知ってるから。だから断言できる。それは神様がリクに与えてくれた贈り物なんだよ。今は苦しくても、きっと最後にはリクを助けてくれる」

「アヤノ……」

「わかったらキリキリ働く!」

「……慰めてくれてるんだよね!?」


「……」

「……えっ!? あれ、何でタカオさん泣いてるんですか!?」

「……えっ」

 自分でも気づかないうちに涙が頬を伝っていた。

「あ、いや……何でもない。ほんと何でもないから」

 誤魔化すように声をあげ、湧き出てきた涙を拭う。

 

 胸のあたりが熱かった。


 何だか二人の互いを思い合うその光景を、ひどく懐かしく感じたのだ。

 自分のことよりも相手に親身に寄り添い思ってくれる。自分の知らない価値を教えてくれるそんな存在。

 今まで考えもしなかった。その存在がどんなに尊いものか、今ならわかる。

「……覚悟、か」

 きっとこの少年はタカオなど足元にも及ばないくらい真面目に生きてきたのだろう。守るために。何となく流され、何となく生きて、目の前の大切なものにさえ気づかなかった自分とは全然違う。

 今も抗い続けている。今ある居場所を守るために。

(……俺は、逃げた)

 手に負えなかった。あれが魔法だとして、タカオには状況をひっくり返す力なんて欠片もない。

 いつか誰かが何とかしてくれると……そんな風に正義のヒーローが現れることを願った。その結果がこれだ。世の中、テレビのようなご都合主義は起こってくれない。そんなこと誰でも知ってるはずなのに。

 なんともかっこ悪すぎる。

 あの時。


 


 物語の主人公のような、その体一つで常に誰かを助けてしまう存在。

 自分の周りの世界くらい、自分で守らなくてどうするのだ? ご都合主義が起こらないならなおさらだ。

 タカオそんな夢のような存在になる資格をあの時放棄してしまった。本当に大切なものなら真っ先にもう一つの選択肢を選ぶべきだった。たとえそれがいかに無謀だったとしても。それが正しいヒーローの姿なのだから。

 もう自分は物語の主人公にはなれない。


 だが、


「……自分の流儀やりかたまで曲げるのは最悪の選択、か」


 ふと、そんな言葉が内から漏れ出た。

「……え?」

 


『ダメ。それじゃあ使えたことにならないでしょ? 自分で見て、触って、それで全部理解して初めて使えるって言えるんだから』



 これが彼女――三枝良子さいぐさりょうこの流儀だった。

 どんなにそれが不格好でも。

 どんなにそれが小さなことでも。

 たとえ結果が同じであったとしても、彼女はその信念を決して曲げなかった。それは勉学に限った話ではない。彼女の生き方そのものに浸透している。同じ時を過ごしてきたタカオにはそれが眩しく見えたものだ。

 だからだろうか。逃げてしまったのは。曲げられてしまった彼女を見るのがつらいから。


 どんな暗い絶望を前にしても、信念を持つものは灯となる。

 だからそれがどんなにちっぽけで、矛盾していて、自分本位なものであっても絶対捨ててはならない。


 タカオはリクをまっすぐに見据える。

 では自分の流儀とは何か?

 何が自分を動かすのか?その原点とは?

 あの時、三枝が無理やり連れて行かれそうになった時、体が勝手に動いていた。

 名前も知らなかったこの二人を見たときも同じだった。

(気に入らなかったんだ。理不尽に打ちのめされることが)

 それは人が持つ輝きをくすませてしまうから。自分にはないそれが蹂躙されるのを見ていられない。

 そう。それが。それこそが――


「……そうだよ。それでこそ皆城タカオ……俺だ!」

「え……あの……え?」


 困っている人がいれば体が勝手に動く。手を差し伸べる。そんな当たり前の正義。

 それを我儘や傲慢だと取られても構わない。実際そうなのだから。

 この流儀はかっこいい。まるでヒーローのようじゃないか。理由はそれで十分だ。


 ヒーローの真似事。


 つまりはそれがタカオの原点。

 それこそがこの心にかかったモヤの正体。

 一度は屈して曲げてしまった自分の流儀。最後まで貫き通せなかった後悔という名の鎖。

 でも今こうして自分と向かい合って、その鎖に触れることができた。

 もし、この鎖を引き千切ってもう一度やり直せるなら——

(……三枝、やっぱ俺バカだわ)

 フッとタカオは思わず笑みをこぼした。

 あまりに自然すぎて。あまりに当たり前のことすぎて。今頃になってようやく自分の奥底を理解した。今の自分を本当の彼女が見たらどう言われるか想像に難くない。


 ここに来るまで多くの人と出会った。言葉を交わした。半ば強引に。

 どいつもこいつも話してみると最初に感じた血の通っていない無感動な人間なんかじゃなかった。足掻いて足掻いて、何も考えずにただ立ち尽くす機械になることにみんな怯えていた。

 その出会いの中で共通していたのは、


 誰だって誰かの役に立ちたい。その思いだ。


 だがその純粋な気持ちを利用しているやつがいる。そいつがこの場所において「助け合う」という行為をデメリットに変えてしまっている。

 それがすべての間違いの始まりだ。


 ならば『皆城タカオ』がやることは一つだ。


(ぶっ飛ばす!)

 見失いかけていた自分の進むべき道。だがもうタカオの瞳に迷いはない。

 やるべきことは決まった。

 それが本当に正解なのかはわからない。もしかしたらただ回り道をしているだけなのかもしれない。しかしこの道の先には確実に存在する。彼女が。

(へへ……、ちっとばかし遠回りになっちまうが必ずお前を取り戻してみせる)


 だが最短ルートだけが正解ではないことをタカオは知っている。あえて茨の道を行くことは、もしかしたら余計な手間がかかるかもしれない。けどそこで見つけた新たな問題もまとめて打ち砕くほどの気概がなくてどうする? だからこその回り道だ。


「リク、アヤノ。頼みがあるんだけど、いいか?」

「「?」」


 まずはここから、すべてをやり直してみせる。


・4・


「……」

「……」

 タカオがどこかへ行き、店内にはガイとミズキの二人だけだった。こうなってくると普段無口なガイは何を話していいのかわからない。タカオがどれだけ自分たちの中でムードメーカーとしての役割を果たしていたのかひしひしと理解した。

「ふぅ……」

 ミズキは店内の掃除を終わらせ、カウンター席に腰を下ろした。

「お疲れさま。コーヒー飲むか?」

「水でいい。客用の商品出しちゃダメでしょ。量多くないんだから」

「……わかった」

 心なしかガイはしょんぼりとする。それを横目で確認し、ミズキは自分の手の中にある小瓶の存在を確かめる。


 久我山に命令されたことは二つ。


 一つは皆城タカオという人間を調べること。ミズキの思考を読む魔法の前では、その人間の全てを知ることなど造作もない。徹底的に相手を調べつくすこと。これは久我山の常套手段だ。

 だが久我山に報告したのはあくまで表面上のことだけだ。性格・行動パターン。それらすべてを含めて『何の力も持たないごく普通の元高校生』。嘘偽りなくそう伝えた。

 触れなかった部分もある。怖いのだ。彼の最奥まで踏み込むことが。もし踏み込んで、知ってしまったら、あの時胸の奥が温かくなったあの感触がもうなくなってしまうのではないかと。知ってしまえば、もしそれがただの勘違いだとわかってしまったらというそんな恐怖があったから。勝手に頭に入ってくる情報に蓋をする作業はイライラ棒でもしているような気分で余計に疲れてしまった。


 そしてもう一つ。久我山に渡されたこの小瓶。中身は毒薬。それも相当強い毒だ。この毒をタカオに盛ることが二つ目の命令だった。それもガイを操り、仲間の手でそれをさせるというものだ。

 報告書をもとにこの程度なら自分が動く必要はないと判断したのだろう。

 久我山は絶対に自分の手を汚さない。たとえ自分が関与したとしてもその証拠を絶対に残さない。

 いかにもあの男が考えそうな手だ。だが、逆らえない。そしてその時が来てしまった。


 命令を実行するならタカオのいない今この時をおいて他にない。


 その気になればミズキの魔法は他者へ影響を及ぼすこともできる。

 魔法の応用。洗脳ほどたいしたものではないが、それに限りなく近いもの。『操る』ではなく、『その気にさせる』という言葉が適当だろう。だからこそ恐ろしい面もあるのだが。

 今まで何度か久我山の命令でこの力を人に使ってきた。それが許されないことだと頭では理解していても、久我山の命令が免罪符となる。たがが外れてしまう。

 それに使う度にミズキの心は少しだけ軽くなる感じがしたのも背中を押していた。自分の感情を他者に分け与えるその行為は、ミズキにとってはわずかばかり心を軽くすることと同義だった。言ってみれば友達に悩み事を相談するような感覚に近い。それほどまでに少女の心は破裂寸前だったのだ。


「お待ちどうさま」

 ガイが水の入ったグラスをミズキの目の前に置いた。

「……ッ」

 意を決する。

 ミズキは普段はチョーカーで隠している首の痣に少しだけ触れた。そしてガイの襟を掴んでグイっと彼を引き寄せた。

「うわっ!?」

 グラスの水が盛大に零れた。息を肌で感じるほどに二人の距離が縮まる。

「えっと……」

 ガイは若干頬を染めて、対応に困っていた。そんな彼を見て、ミズキは少しだけ微笑むと小さく呟いた。


「……ごめんなさい。私のこと、恨んでいいから」


「え……」

 その言葉の本当の意味を問う暇もなく、少女の瞳に赤い光が灯った。

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