行間4-2
およそ二年前。
ミズキと出会うよりも前だ。
その出会いは、雨の日だった。
玉選館を去ってすぐの頃、行く当てもなく彷徨っていたタカオは、まるで吸い寄せられるように足を踏み入れた「はみだし」の、そのとある片隅で、ボロボロで倒れていた青年を見つけた。
『……おい……大丈夫か?』
『……』
反応がない。
何で声をかけたのかわからない。
今思えば、大切な友達を奪われ、居場所を奪われた。あの時の何もできなかった弱い自分をただ否定したかったからかもしれない。
このちょっとした「人助け」が、自分の心を軽くしてくれるんじゃないか? と。そう思った。
正直縋るような思いだった。
タカオが来る前の当時の「はみだし」は、統率感などまるで無く、完全な無法地帯だった。日中は通りに人っ子一人見当たらない。逆に夜になるとあちこちで火を炊き、精気の抜けたような少年少女たちが蛾のように炎に群がる。
みんな、ここで……この街で居場所を失った者たちだ。
何かに裏切られ、何かに追い詰められ、何かに絶望した。
それは単なるイジメかもしれない。
あるいは短絡的衝動に突き動かされ、犯罪を犯してしまったから。
夢が重荷に変わってしまった者もいるはずだ。
それは本人の能力不足などでは決してない。
誰もがそうなり得る人間の「負の習性」と言ってもいい。
そこに理由などなく、ある日突然世界の誰かに降りかかる「不幸」だ。
今回それが、タカオだっただけの話だ。
そしてたとえそれがほんの小さな出来事であったとしても。
人の運命は簡単に折れ曲がる。
積み上げてきたものなどいとも簡単に崩れ去る。
だからきっと目の前の青年もそうなのだろうと、この時のタカオは疑うことさえしなかった。この場所にいること事態が答えなのだ。
ある意味仲間に近い親近感さへ覚えた。
そういった人間が何故かここには集まる。まるでこの場所は初めからそのために作られたとでも言うように。
タカオは青年の方を揺すり、息を確認する。
『よし、息はあるな』
思った以上に外傷がひどい。全身が痣で青くなっている。よっぽど酷い仕打ちにあったのだろうか。このまま雨の中に置き去りにしたら確実に死んでしまうだろう。
『とにかく、どっか屋根のあるところに運ぶか……』
『……ん』
青年は目を覚ます。体が温かい。見ると広げられたダンボールがかけられている。同じように下にも引かれている。
ダンボールの保温性については今では珍しい知識でもなんでもない。下と上。両方のダンボールから温かみを感じた。
青年は自分が横になっているのだと把握する。
『あ、起きたか』
タカオが青年に声をかけた。
びっくりした青年は体を起こした拍子に思いっきり頭上のコンクリートに頭を当てた。
『ッ!!』
『おいおい気をつけろよ。ここ狭いんだから』
『ここ……は?』
『土管の中だけど?』
タカオは答えた。
『?』
『いやだって誰も家の中に入れてくれないんだよ。まったく、薄情なやつらだ。そもそもお前らの家じゃねぇだろ……』
「はみだし」には至る所にこう言った工事用の機材が散乱している。この土管もきっと下水道工事か何かが行われる予定だったっものがそのまま放置されたのだろう。
『ま、結果オーライってやつだ。雨はしのげるし、なんか秘密基地みたいでいいだろ? 隙間風に目を向けなければ……寒い……』
タカオは一方通行で流れる風に凍えながらそう言った。
『ほら、温まるぞ?』
『……これは?』
青年は目の前に出された温かい缶を見て首を傾げる。
『何って……コーヒーだけど?』
『こー……ひー……?』
それは「はみだし」のはずれにある自販機で買ってきたものだ。
青年はまるで初めて見るもののように見回し、蓋を開ける。そしてチロチロと少しずつそれを飲んだ。
『……苦い』
『ま、コーヒーだからな』
『けど……温かい……』
『コーヒーだからな』
しばらく無言の時が続いた。コーヒーで体は温まった。口からは白い吐息が出てくる。
青年はまじまじとタカオの顔を見ている。
『……え、何?』
初めはその手のご趣味をお持ちな方なのかと焦った。助けたことで変な情が湧いたらどうしようと。
さすがに耐えきれなくなったのか、タカオが喋った。
『……』
しかしもう一度青年を見ると、また違った意思をくみ取れる。
——どうして見ず知らずの自分を助けてくれたのか?
長い前髪で隠れていて表情はわかりづらいが、今の状況から目の前の青年が本当は何を言いたいのかタカオは理解できた。
『……別に、目の前で倒れてる人間がいるのにそのまま素通りはできない。ただそれだけだぞ?』
——違う。本当は全部自分のための行いだ。全部、言い訳だ。
しかしそう答えたタカオの声音は幾分楽になっていた。ちょっとした笑みを見せる余裕すらある。
――偽善。でも悪ではない。
そもそも偽善とは「善」を偽るという意味ではない。
自らのために「善」を行使するという意味だ。
自分の「
だからこそ、タカオの心は束の間の平穏を得られた。
『……君の、名前は?』
『俺は、タカオだ。皆城タカオ。あんたは?』
『俺は……わからない。俺は……誰だ?』
記憶喪失。その言葉はタカオの胸にズキリと刺さる。
(……こいつも相当ひどい目にあったのか)
体の傷といい、記憶喪失といい……。
よく似ている。
『なら記憶が戻るまで、俺が名前をつけてやるよ。ほら、名前がないと色々味気ないだろ?』
これがタカオとガイ。二人の最初の出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます