第21話 顕現 -Re_awakening-

・1・


 バキバキッ!!


 ガラスが割れるような音。何もない空間が裂ける。

 ゲートが開いた。

 その侵入者はやってきた。


「ふむ。ここが此度の世界か……」


 男の声だ。

 声の主はゲートをくぐり、地に足をつける。

 男は全身で呼吸をするように両手を大きく広げ、色のついた世界を見渡す。


「……美しい」


 そう一言つぶやいた。


 その男は筋骨隆々な体をしていた。

 その男は二本の刀を持っていた。

 その男は


「誰だ? 俺を呼ぶこの声は……」


 声が聞こえた。

 ゲートを越え、世界を超えて。

 男は自分を呼んだ者を探す。


「……フッ。そう遠くはないはずだ」


 一歩。その足を踏み出す。

 全身を覆う毛。

 狼のような相貌。

 あるいは獲物を狙う野生の目を持って。


 その男は——魔獣だった。


・2・


「ハイハイハイハイ」

 分界リンボからの侵入者。

 それ自体は別に珍しくはない。しかし今回は少し訳が違った。緊急事態だ。

 薄暗い研究室でモニター越しにこの事態を見ていた白髪の研究者・神凪夜白かんなぎやしろは慌ただしく手を動かしていた。しかしその表情には少しの焦りも見えず、むしろ楽しそうだった。


 夜白はすでに街中の交通・警備管理システムを掌握、侵入者が想定しているエリアから出ないように、また一般人がそのエリアに入り込まないようにありとあらゆる警戒網を構築している。あらかじめ各システムにバックドアを仕掛けておいたのが功を奏していた。掌握はボタンひとつで簡単にできる。

 別に被害を最小限に抑えようとかそういう殊勝な考えに基づいて行動しているわけではない。こと今回に至ってはそうする必要があった。


「博士。僕にご用ですか?」


 歌うように透き通った少年の声が聞こえた。

「やあシンジくん」

 夜白は振り向かずに来訪者の声に応えた。

 シンジ。礼儀正しそうでお洒落な私服姿の美少年だ。年齢はユウトやタカオと同じくらいといったところだろう。今は名目上、夜白の部下ということになっている。


 彼に関してはエクスピアの人間でも知る者は少ない。謎の多い少年だ。

 姓は無く、シンジという名前はコードネームとしての役割が妥当と言える。


 名前も。

 戸籍も。


 この街で生きるために必要な情報は全て夜白が用意したものだ。

 彼もまた近々発足される対魔獣部隊のメンバーに選ばれる人物だった。

「変わりないかい?」

「はい。それはもう。おかげさまで」

「それは何よりだね。なら早速で悪いけどひとつ頼まれてくれるかな?」

 シンジは軽くお辞儀をする。

「何でしょう?」

「あぁ、ちょっと可及的速やかに確保してもらいたい個体ブルーメがいるんだ。特別なやつさ。できれば誰にも見られないようにね」

「と、言うとそいつのことですか?」

 シンジは画面に映る、先ほど侵入してきた人狼型の魔獣を指差す。


「いや、アレは招かれただけだよ。僕たちが狙うのは


 その言葉と同時に、魔獣を映していた画面が砂嵐に変わった。どうやら複数あったカメラが全て破壊されたようだ。

「どうやらなかなか高い知性を有しているようだね」

 夜白は口の端を吊り上げる。ワクワクしている時の顔だ。少なくともシンジの目にはそう見えた。

「楽しそうですね、博士」

「フフ。あっちも非常に興味深くはあるんだけどね。今はこっちが先だ」

 夜白はシンジに対象に関するデータが入った携帯端末とテーブルの横に置いてあった銀色のアタッシュケースを差し出した。

「これは?」


「先日実践テストができてね。一足早いけど使ってみるといい」


 ケースには『Nebiros』という文字が刻まれている。

 シンジは中身を確認してニヤリと笑う。

「了解しました」

 仰々しいお辞儀をして、シンジは研究室から出て行った。


 シンジが部屋を去るその姿を見送った夜白は一言だけ。

 まるでゲーム開始の宣言をするように呟いた。


「さて……女王クィーン争奪戦のスタートだ」


・3・


 刹那は無造作に並ぶ「はみだし」の建物の屋根を高速で飛び、気配のした方へ向かっていた。

(……さっきの、街の方から?)

 今は漠然と方向だけがわかっている。

 さっきの叫びにも似た重圧発生以降、目立った気配は感じない。もう一度同じことが起これば、さらに場所を絞れそうなものだが。

(でもこの方向……)

 刹那の中で一瞬、考えたくない予想がチラついた。


 しかし、脅威は眼前だけではなかった。


 まるで獰猛な獣に睨まれたかのような、全身から汗が噴出すほどプレッシャー。

「ッ!?」


 それは背後からやってきた。


 高速で振り下ろされる二つの斬撃を、刹那は咄嗟に磁力のバリアを生成することでガードした。だがそれでも殴られたかのような強力な衝撃に刹那の体は為す術もなく地面に叩きつけられた。

 ボールのようにバウンドし、はみだしでは珍しくもないスクラップの山に突っ込む刹那。

「がはっ……な、に……!?」

 幸い磁力の力のおかげで鋭利な破片が彼女の体を突き刺すようなことはなかった。むしろクッションの役割を果たしている。


 屋根の上に見えたのは、二つの足で人間のように立つ狼。魔獣だ。

 今まで見てきたどのタイプとも異なる。

 そして一番の違いは、

(……刀)

 その魔獣は武器を持っていた。異常発達した体の一部というわけでもない。紛れもない、あれは人工物だ。そして魔獣が纏う威圧感。

 直感だが、あれはその道の達人が醸し出すものによく似ている。


「お前がこの世界の戦士か?」


 その魔獣はそう言った。

(魔獣が、喋った……!?)

 その瞬間、直感は確信へと変わる。

 道具を使い、人の言葉を喋る。

 間違いない。


 知性があるのだ。


「……」

「……フン。まあいい。答えずともやることは同じだ」

 再び、先ほど以上の重圧が刹那を襲う。

「くッ!!」

 刹那は素早く両手を合わせる。普段は体内に封印している妖刀・伊弉諾を召喚し、自身の雷を纏わせ正面から弾丸のように突進する魔獣と相対した。


 ガギン!


 刀と刀がぶつかる音。紙一重で相手の二本の得物を刹那は受け止める。

「ほう。人間の割にはなかなか速いではないか」

 一瞬、その獣の口が笑みを見せる。

 だが一瞬だ。続けて魔獣の回し蹴りが刹那を襲う。これは背後の壁に電気で吸い付くように移動することで衝撃を最小限に抑えた。

「あん、たは……」

(ヤバい。こいつ……)

 一度剣を交えただけで刹那は理解した。相手の剣の技量は自分と同じかそれ以上だということを。

 つまりは圧倒的に不利だということを物語っている。

 スピードも。

 パワーも。

 魔獣であるが故に人間の比ではない。おまけに武器の数でも負けているときている。

(落ち着いて。相手は魔獣。なら倒せない道理はないわ。考えろ私!)


「刹那さん!!」


 魔獣の背後から声が聞こえた。

「リク! アヤノ!」

 リクは魔獣に向かって何か小さなものを投げつける。同時にリクの左の瞳が魔法発動の影響で赤く光る。アヤノも魔法を発動する。


望郷の瞳ザ・デイドリーム!」

幻想怪奇ファントム・サーカス!」


 リクが投げたものはネジだった。廃棄処分になった車から頂戴したものだ。このネジは車をくみ上げるための一パーツにすぎない。


 しかしリクはその車の原型を


 空中を飛ぶネジの回りには徐々パーツが集まり始め、次第に大きくなる。ついには魔獣の眼前に一台の車が現れる。

 そしてアヤノの魔法、幻想怪奇ファントム・サーカスは任意の対象を相手の意識から外す力だ。魔獣には今自身に迫り来る車が見えていない。それを感知する術はない。

 これは即席の連携技。

 これで倒せないことを二人は重々承知していた。魔獣がこの程度でどうにかできるような相手なら今頃二人は前線に立っている。

 これは刹那のために隙を作るための一手でしかない。

((もらった!!))


「はっ!!」


 だが、車は魔獣の目の前で十文字に両断される。四つに分かれた鉄くずは背後で爆散した。

 二人の連携攻撃は簡単に切り捨てられてしまった。

「何で……」

 アヤノは愕然とした。人間では今のは絶対に回避できない。どんなに日頃から周囲を警戒している人間であっても、認識できないものを避けることなどできはしないはずだ。

 人では感じることのできない何か。エコーロケーションのような頭ではなく体で感じる、野生だけが持つ感覚がそうさせたというのか。

「この程度の小細工……どうやらこの世界の戦士は相当質が悪いようだ」

 呆れたような声を出す魔獣。

 スッと。魔獣はうちわを扇ぐように刀を振るう。次の瞬間それとは真逆に暴風にも似た斬撃の波が押し寄せる。

「こ、の!!」

 刹那は伊弉諾の刀身に雷を集中させ、特大の一撃を放つ。


 暴風と雷。


 わずかな拮抗の後、打ち消しきれなかった暴風が三人を襲う。

「きゃああああ!!」

「うわぁぁぁぁ!!」

 吹き飛ばされるアヤノとリク。

 刹那はかろうじて刀を支えにその場で耐えた。

 だが、立ち上がれるだけの力は残っていない。刀にすがりつくような形でこちらへ歩を進めてくる魔獣を睨む。


(……勝て、ない)

 

 心のどこかでそう呟いた自分がいる。


 御巫刹那は決して魔法使いとして弱くはない。

 腕輪の力に頼らない天性の素質。魔に関する知識。彼女が持つ妖刀も含め、その力は他の誰よりも強大だ。

 しかし。

 それでも。

 パワーもスピードも技術でさえも。

 何一つ勝利を掴むだけの要素をこの場で見出せない。


 圧倒的なまでの理不尽な暴力一つでさえ抗えない。


「貴様は少しはやるようだな。だが、まだ足りない……どうした? 立ってみせろ。もし俺を満足させれないのなら——」


 魔獣は片手を上げ、


「死ね」


 刀を振り下ろす。

(ダメッ……!!)

 刹那は思いっきり目を瞑った。


 直後、落雷のごとき轟音が鳴り響いた。


 魔獣の刀は刹那には届いていない。むしろ振り下ろした魔獣の左腕は高熱でひしゃげ、黒く焼け焦げ、悪臭を漂わせている。


「おい御巫の娘。戦士が戦いで目を瞑るなど、恥を知れ!」


「えっ……」

 目を開けた刹那の目の前には一人の少年が立っていた。

 輝く金の瞳。右目は眼帯で隠れている。

 少女のように長い髪と中性的な顔立ち。

 白い装束を身に纏ったその姿はこの世のものとは思えないほどとても神秘的だ。

 少年の周りにはバチバチと未だ激しい雷流が走り、それらは無数の蛇のようにうねり狂い、魔獣を襲う。その威力は普段刹那が扱う雷の軽く十倍は超えていた。

「……ッ!!」

 魔獣は背後に飛び、それを回避する。

「何だ貴様……どこから出てきた?」

「うぬがごとき犬畜生に聞かせる名などない。失せろ」

 少年は一歩も引かずにそう言い放つ。あれだけの強敵を目の前にしてだ。

「ほう……」

 飢えた獣の瞳にはわずかな愉悦が垣間見えた。

 焼け焦げた腕は全く動かない。むしろ邪魔とさえ思えるその腕を、魔獣は自ら切り落とした。

 自分の腕をこうも簡単に焼きつくすほどの雷。考えるだけで魔獣は脊髄に冷たい何かが走るような感覚を覚えた。


 本能的な恐怖。


 おそらくあの雷を全身に浴びればただでは済まない。魔獣の本能はそう警告している。そう、あくまで生存本能は。


「ククク……」


 だが魔獣はそれさえも楽しんでいた。恐怖が悦楽へと脳内で変換されていく。

「どうする? 次は全身をビリッとするかのう?」

「いや、ここは退くとしよう」

 ここで前に出るのはさぞ楽しいかもしれないが、無謀だ。

 魔獣は自分の悪い癖を理解していた。そして自らを御した。まるで人間のように。

「だが、その前にもう一撃だけッ!!」

 ほんの遊びといった具合で、魔獣は内に抑えきれない分の興奮を吐き出すように、残った手に持つ刀で先ほどの暴風を生み出した。

 対する伊弉諾の対応は実に素っ気ないものだった。暴風をまるで飛んでいるハエをはたき落とすように無言で軽々と消し去ってみせた。


『ハハハ!! すごい。すごくいいぞ小僧! 我が名はロウガ。その姿、覚えたぞ。次はその首貰い受ける』


 風に運ばれてきた歓喜の声が辺りに響いた。

「……去ったか」

 後には何も残っていない。人狼の姿は跡形もなく消えていた。



 魔獣が消えた後、刹那はリクとアヤノの元へ急いだ。

「……よかった。気を失ってるだけみたいね」

 リクの頭を膝の上に乗せ、息を確認した刹那が安堵する。

「主殿」

 少年が刹那を呼ぶ声が聞こえた。聞きなれない呼び方に若干むず痒い気がしたが、そんなことは今は問題ではない。

 今はどうしても聞かなければならないことがあった。


「あなた……伊弉諾いざなぎなの?」


 わずかに、刹那は少年と自分の間に魔力によるバイパスが通っているのを感じ取れた。つまり少年は刹那にとってとても身近な存在ということだ。さらには見覚えのある雷。そして消えた刀。それらが少年の正体を物語っていた。


「うむ。余の名は伊弉諾。お主が此度のあるじ殿か?」


 少年、伊弉諾は答えた。

「まぁ……そういうことになる、わね」

 刹那は少し言い淀む。

 正直今までただの道具として扱ってきた。こういった例は過去に覚えがないし、ましてや主従の関係など考えたこともない。今の状況を理解できない。

 見たところ衣服や言動は相当異質だが、それでも人間の少年のように見える。

 伊弉諾はジロジロと刹那を見て、そして言った。


「何とも……頼りない面構えじゃな」


「……」

 しばらく静寂が場を支配した。

 伊弉諾の言葉を噛み砕き、飲み込むまでにやけに時間がかかった。

「は……?」

 だからそんな言葉しか出なかった。

「主殿は余を使うということがどういうことなのか理解していおるのか? 今は半身とはいえ一振りで千の魔を払う神の力だぞ? そもそも——」

 刀に説教をされるという前代未聞の事態。

「——先代ならばもっと余を……ってうぬはいつまで主殿の膝で寝ているのじゃ!」

 伊弉諾は刹那に膝枕されている格好になっているリクに触れた。

「ッ!? ヒギャアアアアアアアアアアア!!」

 弾かれたようにリクは起き上がる。

「えっ!? はっ!? えっ……?」

 何が何だかわからないといった具合であたりをキョロキョロ見回すリク。

「ちょっと! 乱暴なことしないでよ!」

「何を言っておる? ほれ、すっかり元気そうではないか」

「えっ……?」

 確かに決して少なくないダメージを受けたはずのリクはピンピンしていた。伊弉諾が何かしらの回復を施したのだろうか。何はともあれ本人が元気そうなのだからそれ以上何も言えない。

「と、とにかく……助かったわ。ありがとう。どうして人の姿をしているのかわからないけど、今はアヤノを店まで運ぶわ。伊弉諾、刀に戻って」

 刹那は伊弉諾にそう言った。


「嫌じゃ」


「……はい?」

 その意外な答えに刹那は今度は素っ頓狂な声を上げる。

「今代の主殿よ。今のお主に余を使う資格はない。よって、余は逃走しようと思う」

 いきなり家出宣言されてしまった。

「それではの」

「ちょっと!?」

 伊弉諾の元に極大の雷が落ち、その姿は文字通り稲妻のごとく一瞬で消えた。


『再びその手に余の力を欲するならば、資格を示せ。主殿』


 どこからか反響する少年の声はそう告げ、今度こそ気配が消える。

「もう……」

 プルプルと肩を震わせる刹那。

 魔獣に押し負け、刀に逃げられる始末。

 ありったけの感情を言葉としてぶちまけるのにそう時間はいらかった。


「何なのよもうーーーーー!!!!!!!!!!!!」


・4・


 伊弉諾は離れた場所に降り立った。

 ここはどこかの建物の屋上。自分が今立つ廃屋が立ち並ぶ場所と、目の前に広がる光鮮やかな街並み。一目でここが「はみだしこっち」と「学園都市あっち」の境界線なのだとわかる。


 伊弉諾。伝承ではこの世界の天と地を分けた存在の片割れだ。すべての大地は等しく我子であり、そこで産まれ出たものもまたすべて自身の一部である。

 しかし、海上都市ここはかつて彼が愛しき者と共に混沌から掬い上げた大地ではない。

 人間が一から想像した大地。


「人間が、神の真似事か……」


 別に咎めるつもりはない。子が親の背中を追うのは当然だ。

 問題は、


 伊弉諾は失敗したことだ。


 ことを彼は知っている。

 そしてその結末は凄惨なものだった。


『あら。珍しい。この事象は初めて見たわ』


 どこからか声が聞こえた。いや、どこからという表現は正しくないのかもしれない。この声は頭の中に直接語りかけてくる。

「その声、聞き覚えがあるぞ。……貴様、吸血姫か?」

 伊弉諾の目の前に一匹のコウモリが降り立つ。

『フフ。ざっと千年ぶりくらいかしら? あの人が作った刀に覚えられてるなんて、生きてれば面白いこともあるものね』

 クスクスと笑う声が聞こえる。


「初代魔道士ワーロックの下僕たる貴様がここにいて、余が受肉しているということは……やはりここは……」


『さて、今の私はあくまで観測者。気まぐれで若干の干渉はしているけど。さて……あなたはその結果なのかしら?』

「まぁなんだろうと構わぬ。こうして肉体を得たのだ。やれることはやっておく」

『あら? 御巫刹那に戦士の手ほどきでもするつもりかしら?』

「ブッ!? な、なななな何故余がそんなことを!」

 伊弉諾はものすごい剣幕でコウモリに話しかける。天地開闢の男神が小動物に迫る。見ようによってはかなりシュールな光景だ。

『だってあなた、主様主様って。認めてない割には何度も声に出してるじゃない? どれだけ好きなのよ? クスクス』

「うるさい!!」


 カタッ。と靴の音がした。


「ッ!?」

 背後に人の気配。気づくとコウモリはもうどこにもいなくなっていた。


「ありゃ、珍しい反応があったからそれを追ってきたんだけど……」


 声の主は紺のホットパンツに薄手のシャツ。その上から赤白チェックの長袖を肘までまくったお洒落な格好。

 ユウトや刹那にとって姉のような存在である少女。

 橘燕儀たちばなえんぎだった。


「余に何かようか? 人間」

 伊弉諾は鬱陶しそうに言った。しかし次の少女の言葉でその態度は一変した。


「おかしいな〜。君から刹ちゃんの伊弉諾の気配がするよ?」


「貴様……」

「ん?」

 燕儀は余裕の態度で笑みを見せる。

 伊弉諾は燕儀に対する態度を改めた。その中にあるよく知る気配を感じ取ったからだ。


「貴様……?」


 刹那が持っている伊弉諾は刀身が半ばで折れている。それ自体は御巫本家でも周知の事実。過去の文献にも大昔の戦いで折れてしまったという記述がある。しかし製造に関する一切が不明の妖刀ゆえに、修復は不可能とされていた。たとえ御巫の魔術・呪術を総動員しても結果は同じだった。


 そしてその妖刀の片割れ。切っ先の部分はある日を境に忽然とその姿を消したのだ。


 ちょうどその日はある少女が御巫本家の宝物庫に忍び込んだ日と同じだった。

「へぇ……それって、コレのこと?」

 燕儀は手のひらを天に向けると、そこからスゥーッと生き物のように黒い刀身が姿を現した。


 もう一つの伊弉諾。


「それは余のものじゃ。返せ、娘」

 伊弉諾は言った。しかし燕儀は、

「やだよ〜。だってコレはもう私の一部だもん。それにどんな方法を使ったって直せなかったんだから別にいいじゃない」

 直後、伊弉諾背後で雷が轟く。まるで龍のような形をとり、燕儀に襲いかかる。

 燕儀もすぐに戦闘体制に入る。

 内から取り出した完全な形の一本の刀。柄や鍔の造形は本来のものと違うが、その黒い刀身は紛れもなく妖刀・伊弉諾だ。

「ッ!?」

「よっとッ!」

 一振りで爆炎が炸裂した。


 轟雷と獄炎。


 二つの力は共に同じ神から生まれ出たものだ。

「余の炎。完全に取り込み、「折れた刃」という概念はもう捨てているか」

「ふふん。ここまでモノにするのに苦労したよ♪」

 燕儀はなんてことなさそうにそう返す。


 当たり前だが、刀は折れたままでは使えない。それは伊弉諾であろうと例外ではない。だから使えるようにするには工夫が必要だった。

 刹那の場合は折れた刀身を自身の雷の魔法で補完して使っていた。それは同じ雷という属性を持ち、かつ伊弉諾と親和性が高い刹那だからできる芸当だ。


 しかし燕儀はそうではなかった。彼女は伊弉諾を「折れた刃」として認識していない。己の溶鉱炉からだに溶け込ませ、必要とあらば鍛え、形を変える。手のひらから刃を出したければ出すし、十本の爪を全て短剣にすることだってできる。まるで火を扱う鍛冶屋のように必要な形を作り出す。


 完全に妖刀と融合した彼女は、もはや自身そのものが炎の力を司る伊弉諾だった。


「もしかすると、主様以上に余を使いこなしているかもしれんな」

「ね、だったら私のところに来ちゃいなよ? なかなかの好待遇でお出迎えしちゃうよん?」

 燕儀はそう持ちかける。

「ふん、戯言を。余は御巫に連なる者にしか靡かん」

「ちぇ。一応私も「さくら」の出身なんだけどなぁ。……勘当されてるけど」

 「さくら」は御巫家が運営している孤児院だ。

「ま、それなら力づくで君を頂いちゃうけどね。何でかわからないけどちょうど今刹ちゃんから離れてくれてるし。絶好のチャンス♪」


 燕儀がさらにもう一本伊弉諾を追加して構えをとる。伊弉諾もまた雷を束ねて剣を作り出す。

 両者が詰め寄るまでのカウントダウンが始まる。


 三、二、一……ッ!!


 しかし、その瞬間はけたたましい携帯の着信音で中断された。


「はいはーい♪ いつでもどこでも安くて安全。デリバリーソルジャー・燕儀ちゃんデース!」


 燕儀はすぐに携帯に出る。

 さすがの伊弉諾も燕儀の急な変わり身に呆気にとられていた。

 燕儀は二、三度頷くと携帯を切ってポケットにしまう。

 そして、


「ゴメーーン!! クライアントさんから急なお仕事入っちゃった! 続きはまた今度ね♪」


 そう言うと燕儀は廃屋の屋上から下に待機していたバイクに向かってピョンと飛び降り、そのまま嵐のように行ってしまった。


「何じゃったんじゃ、あの娘……」

 燕儀が向かった方向へ気配を探ってみると、どうやら数カ所でゲートが開いているようだ。

「あの犬の仕業か」


・5・


「あっ……あぁ〜。ま、こんなもんか」


 まるで風呂上がりのオヤジのように背伸びをする男性。見た目は二十代後半といったところか。首をポキポキと鳴らし、体に異常がないかとペタペタ触って確かめる。


 この男、全裸である。


 一切の恥じらいもなく、逞しい肉体を大きく伸ばす。


「おいそこの


「ん?」

 おそらく自分のことだろうと思った男は声のした方に振り向く。そこにいたのはいかにもガラの悪そうな男と女。

「こんなところで裸になってんじゃねぇよ! この変態野郎が!」

 ガラの悪そうな男は暇つぶしのおもちゃを見つけた程度のつもりなのだろう。裸の男をこれでもかと野次る。

 女の方は手で顔を隠しているが、指の隙間からしっかりと男を見ている。

「……」

 男は何も言わない。ただ二人を観察していた。

「おい、なんか言ったらどう——」


 バキッ。


 と、木材が折れるような乾いた音がした。

「は——?」

「ふむ、細すぎるな、は」

 ポイっと男はガラの悪い男からちぎった左腕を捨てた。

「がっ……がが……ガァァァァァァァァァ!!??」

「ひ、ヒロくん!?」

 女は傷口を押さえてのたうち回る男に駆け寄るが、すぐに背後の存在に体を強張らせた。


「なるほど、人間の姿を模してみたつもりだが重要なものが欠けていたようだ」


 片腕の男の名はロウガ。


 先ほど刹那たちと戦った知能を持つ魔獣だった。自身の体を変体させ、人の姿に寄せたのだ。分界に生息する魔獣が独自の進化を遂げているように、魔獣にとって体を作り替えることはそう難しくない。環境に適した最善の形を常に保つことができる。


「……その服、いただこう」

「えっ、やめて。キャアアアアアアア!!」

 女の絶叫が路地に響く。しかし表を走る車両の音でそんな音ですらかき消されていた。


「よし、こんなものだろう」


 ロウガの姿は裸にパーカーと女物のスカートという何とも奇妙な姿だった。だが本人は全く気にする素振りはない。ある程度肌さえ隠せればそれで服の役割を果たしていると思い込んでいる。


 立てかけていた刀を一振りすると、空間が裂けた。

 ゲートだ。

 そこから三体の魔獣・ヘルが出てくる。


「さて、今見つけてやるぞ。俺の花嫁よ」


 変体した変態は人間社会へと入り込んだ。

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