第19話 告白 -Only I wish is with you-
・1・
「……何か言い残すことはありますか?」
早朝。
「俺は、悪くないと思うんだ……。一応怪我人だしお手柔らかに……お願いしたい……んだけど?」
そういう吉野ユウトは自分がとても不利な状況にあることを理解していた。何せ自分でも自分の言葉に説得力がないことを自覚しているほどなのだから。
「……何か言い残すことはありますか?」
御影は機械のように再び死刑宣告の言葉を口にする。
「お願いだからそれ以外の言葉を喋ってくれ!!」
事の始まりは、昨晩ナース服でユウトを看病すると現れた飛角だ。彼女は一通りユウトの看病を済ませるとそれで満足したのかユウトのベッドで眠ってしまったのだ。当然怪我人であるユウトに彼女を抱きかかえて移動させるなんて事は出来るわけもなく。さらには絡みついた彼女の肢体がユウトを束縛する。かといって一緒に寝るわけにもいかない。結局ユウトは朝まで一睡もせず飛角の横でベッドに横になっていた。
それを朝早くお見舞いに来た御影に目撃され、今に至るのである。
「これには事情が……」
「……No。どうせ夜中に彼女が『看病』と称して入り込んできたんでしょう?」
「……」
ユウトの反応を見て、御影はため息をつく。
「むにゃむにゃ……ん、ん〜〜。おはよう、ユウト」
「え、あ、おはよう」
気持ちよさそうに爆睡していた飛角が目を覚ました。
「
とんでもないことを言い出した。
「は? お前、何言って……はっ!?」
「……チッ」
(舌打ち!? マズイって……なんかこっちすごく睨んでるんだけどォォォォ!!)
まるでゴミ虫を見るような御影の視線が痛い。
そんなことは御構いなしに、飛角は潤んだ瞳をユウトに向けている。
「……何してくれてやがるんですか?」
「ん……えっと、誰だっけ?」
飛角は御影を覚えていなかったようで首を傾げた。
「鳶谷御影だな」
相変わらず花瓶に刺さったままの魔法のステッキ☆ことロシャードは言った。
「あぁ……」
飛角は合点がいったようにポンと手を叩き頷く。
「それよりユウト。どうだったね? 私の添い寝は。こんな美人のお姉さんと一緒に寝れる機会なんてなかなかないんだぞぉ」
ユウトの上に重なるような形で迫り、頬をつついて飛角は呟く。
「ちょっ……起きたならいい加減ベッドから降りろ!? 御影、見てないで助け……」
「……」
それを黙っていた見ていた御影は何を思ったのかガサゴソと鞄の中に手を突っ込み始めた。
「?」
この行動にはさすがに飛角も注意を向ける。彼女は取り出したものを持って隣のベッドに行き、カーテンを閉めた。
そして二分後——
何やら布ずれのような音がしたかと思うと、シャーっという気持ちのいい音と同時に彼女はその姿を現わす。
「え……」
「ほぉ」
飛角が興味深そうな目で見るその先には同じくナース服姿の御影がいた。飛角の真っ白いものとは違い、薄いピンクのナース服だ。
「……ここからは私が看病します。ご存知、私はその道のエキスパート。私以上の適任はいないでしょう。ということでさっさとそこをどきなさい」
御影が飛角を両手でベッドから押し出そうとする。
だが——
ポヨン。柔らかい弾力。
少女の手のひらに収まりきらない圧倒的質量が立ちはだかった。
「ふふーん。おっぱいバリア〜」
飛角が自身の圧倒的なアドバンテージを武器に、御影を挑発する。
(……カッチーン)
二つの双丘を目の前にしてこの世の理不尽に殺意を覚える御影。とりあえず恨めしそうに軽く揉みしだいておく。だが悲しいかな。無駄に強い弾力とその身からは想像できない強靭な体幹の強さのせいで彼女をベッドから押し出せない。
諦めた御影は次なる手段に移る。目の前の女はただのオブジェか何かと認識することにした。
「……まずは熱を測りましょう」
シュッと手品のようにどこからか取り出した体温計をユウトの脇に差し込む為に、御影はユウトの上着を脱がしにかかる。
「お、いいね。私も手伝うよ」
「……No。邪魔しないでください」
「ちょっと。おい……待てっ!?」
少年の言葉を無視して、ベッドの上で女同士の壮絶な戦いが始まった。
「それで——」
抑揚のない冷たい声。その声の主の口が開く。
「どういう状況か説明していただけますか?」
ニッコリといつものように白いブラウスに黒いジャケットを着ている少女・
彼女の前でナース服姿の二人は正座している。何故かユウトもベッドの上に正座させられた。腕に刺さったままの点滴はさながら罪人を繋ぐ鎖のようだ。
「私たちはただ看病してただけだよ?」
「……Yes。その通りです。あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
さっきまで敵同士だった二人は、共通の敵を目の前にして一致団結していた。
「……はぁ。ならどうしてユウトさんが昨日よりやつれてるように見えるんですか?」
「「……」」
がしかし、その同盟もアリサの前であっけなく砕け散った。二人とも言い返せない。何せ看病とは名ばかりで、やってることは互いに自分の気持ちを純粋に、物理的にぶつけていただけなのだから。
「もういいです。あとは私が——」
「ユウ。おはよう」
ガラッと病室のドアが開き、同級生でユウトの隣に住む少女・
伊紗那は病室にユウト以外に三人の少女(うち二人は何故かナース服)がいることを確認すると、困ったような顔をした。
「えっと……」
「では私はこれで」
さっきまでの雰囲気はどこかへと行き、アリサは持ってきた花をロシャードが刺さっている花瓶の横に置くと、そそくさと病室から出て行った。
「あっ……」
伊紗那は何か言いたげな顔をしたが、それ以上は何も口にしなかった。
彼女はユウトの方に目を向ける。
「ユウ。大丈夫?」
「あぁ、問題ないよ。もう体は動くし。ほらこの通り」
ユウトは肩を回してみせる。
「……そっか」
「毎日悪いな」
ユウトの言葉に伊紗那は静かに首を横に振る。
実際、ルーンの腕輪の力もあって治りは早い。しかしそれがあったとしてもユウトの回復速度は常軌を逸していた。先の戦いで神経がズタズタになっていた右腕でさへ、昨日は医者に「君は何か人体実験でも受けてるのかい?」と言われるほど通常ではありえない早さで好調に向かっているらしい。念のため後一週間は入院と言われているが、退院する頃には右腕は完全に元に戻っているだろうという話だ。
伊紗那が来てから、ユウトの表情が目に見えて和らいだように見える。
「……なんだかこの辺がモヤッとします。イラッとします」
御影は自分の胸元に軽く手を当てて言った。
「なんか、通じ合ってるオーラが眩しいんだけど。イラッとするね」
飛角もそう答えた。
「お前たち……正直すぎないか……」
完全に蚊帳の外な二人を見て、持ち主に忘れ去られているロシャードはそう言葉を漏らした。
決して自分や飛角に対して差をつけているわけではない。ユウトがそんなことをしないのは彼女自身よく知っている。だとすると——
「ねぇ……鳶谷さん。ちょっといい?」
「……Yes。なんでしょう?」
伊紗那の言葉に御影は答えた。
彼女は言った。
「あの……ちょっとでいいの、ちょっとの間だけ、飛角さんと外にいてほしいの」
「……」
「……ダメ、かな?」
御影は少しビックリしたような顔をしていた。伊紗那の声に我に返った御影は言葉もなく思わず頷いた。
そのままロシャードを花瓶から取り出し、飛角の首根っこを掴んで、ギャーギャー言うのを御構い無しに彼女は部屋から出て行った。
扉が閉まる最後の瞬間まで、彼女の瞳は伊紗那を捉えて放さない。
仄かに赤い頬。
ユウトを見つめる潤んだ瞳。
わずかに感じた違和感、とまではいかなくても、いつもと何か違うその雰囲気の正体を探るために。
(……想定していませんでした。まさか彼女があんなことを言うなんて)
薄々理解しているその違和感の正体。ふと、脳裏に一つの可能性が頭をよぎった。
・2・
「んでさ、どうしてユウトの方にはいっぱい女の子がお見舞いに来るのに、俺のところにはお前だけなんだよ……」
タカオは別の階の病室のベッドに入院していた。彼もまた、アウスヴェーラの幹部の一人であり、そして彼にとって因縁深い相手でもあった男・リー・アーウェルとの激戦をくぐり抜け、見事勝利を勝ち取ったのだ。
もうほとんど傷は癒え、あとは包帯が取れるのを待つだけの状態だ。全身切り傷や打撲でボロボロ、骨も数箇所折れていたが、なんとかここまで回復した。
「それ、私に対して超失礼じゃない?」
タカオの横で、水に濡らしたタオルを絞っている気の強そうな少女・
「そんなこと言うなら私もユウトのところに行こうっと」
「はぁ!? ふざけんな! ……すみませんミズキ様どうか腰を下ろしてください何でもしますからぁぁぁ!!」
そっぽを向くミズキにタカオは全力で謝った。もはや恥も外聞もない。
「いやだってよぉ、そう思っちゃうだろ? 男のロマン的に。つーか、他のメンバーも薄情すぎだろ。俺一応これでもリーダーだぞ? 偉いよ?」
「みんなは仕事があるでしょ。あ、でもガイへの面会はいっぱいいたような……」
「……リーダーとは」
タカオはベッドの上で体育座りをして、打ちひしがれていた。
「ホラ、そんなつまんないことはどうでもいいから……こっち、背中向ける。包帯も、変えてあげるから……」
ミズキが少しだけ顔を赤くしてタカオに催促する。
「お、おぅ……」
ミズキは濡れたタオルで、まだ塞がりきっていない傷口には細心の注意を払いながらタカオの背中を拭き始める。
「「……」」
しばらく二人は無言の時を過ごした。それがただ単に集中しているからなのか、それとも別の感情があるからなのかはわからない。
タカオはふと今朝の出来事を思い浮かべる。
***
実はもう一人、ミズキよりも前にこの病室を訪れた少女がいた。
彼女の名前は
「皆城くん。具合はどう?」
良子は本当に心配そうに言った。下ろした髪はそのままだが、眼鏡をかけ、雰囲気はタカオが知っている頃の地味目の女の子に戻っていた。
「あぁ、まだ自由には動けねぇけど大丈夫だよ」
タカオは元気に笑ってみせるが、彼女の表情は暗い。
「……ごめんね。元はといえば私のせいで……私、どうやって償えばいいか……私があなたの人生を狂わせて——」
「それ以上言うな」
「ッ!?」
タカオは良子と言葉を遮った。良子は少年を怒らせてしまったのかと危惧したが、目の前の少年はそんな危惧を吹き飛ばしてしまうほどの満面の笑みを見せてくれた。
「俺は後悔なんてしてねぇよ。確かにみんなハッピーな最良な道を通ってきたわけじゃねぇけど……それでも俺はここに来るまでの道のりを間違いだったとは思ってない」
初めの目的は確かに良子を、大切な友達を助けることだった。これは友達である自分にしかできないことだと思っていた。
しかし、「はみだし」での月日を重ねるうちにタカオの周りには人が集った。輪ができた。新たに大切なものができた。それを否定することなんてできない。
どんなに効率的でなくても。
どんなに無駄な労力だと言われても。
不合理も矛盾も全てひっくるめて、強引にでも正解にしてみせる。
ガイがいて、ミズキがいて、みんながいる。
この道が間違いだったはずはないのだから。
「いいじゃねぇか。俺も、お前も結果的にはみんなここにいる。上手く行かないことだらけの人生の中でこれ以上望むのは贅沢ってもんさ」
その言葉で、その偽りなき笑顔で。
少女の心を掴んで離さなかった最後の
「……うん!」
「おう」
「ところでこれからどうするつもりなんだ? 玉選館はあんなだし」
玉選館学園は現在封鎖中。表向きには実験失敗による大規模な事故が原因ということになっていた。なので生徒は現在学園にはいない。神座たちもその後どうしているのかわからない状況だ。しかし海上都市最上位の頭脳が外部に溢れるこの状況を他の学園が見逃す訳はない。ここぞとばかりに各学園が破格の好条件で勧誘をしている。当然良子もそのスカウトを受けているはずだ。
「私ね、この街を出ようと思ってるんだ」
「えっ……」
「田舎のおばあちゃんのところに行こうかなって。高校も近くにあるみたいだし」
「でも……お前……」
その答えは考えていなかった。今は休学状態とはいえ、玉選館の肩書きは相当なものだ。その一言だけで周囲から引く手数多の金のチケットなのだ。それを彼女は捨てると言っている。タカオの時とは違う。自らの意思で。
「いいの。ずっと前から頭のどこかで考えてたことだから。私には、この街は向いてないんだって」
「……」
おそらくそれは紛れもない彼女の本心なのだろう。あの時わからなかった彼女の心。今のタカオにならそれが理解できた。
「でも、ここに来てよかったとは思ってるよ。皆城くんに会えたんだから」
「三枝……」
「だからもう、私に縛られなくてもいいんだよ」
良子はタカオを優しく抱きしめた。その感触があまりに優しく、温かかったものだから、思わず目頭が熱くなる。
(あぁ……そうか、たぶん俺って——)
「じゃあ私、もう行くね」
「あの、さ……」
「ん?」
「もう少しここにいてくれよ……同じ病院にいる友達の方には女の子がいっぱい見舞いに来て看病までしてくれてるってのに、俺の方にはいないんじゃあ、その……なんだ。格好がつかねぇ」
タカオは言いにくそうに頬をかいて言った。顔も少し赤い。言うまでもなくそんなのは彼女をもう少しだけここに留めるための建前だ。自分の中にある感情がタカオにそうさせていた。
良子は少し嬉しそうな顔をして、そして言った。
「イヤ」
「ガーン!」
きっぱり断られた。
彼女はわかっている。これ以上自分がここにいるのは蛇足でしかないことを。過去を完全に断ち切ることなんてできない。自分という存在が未だ少なからずタカオを縛っているのは明らかだ。それは彼女が望むところではない。
それに——
「その必要はないんじゃないかな? ……皆城くんを思ってくれてる人はちゃんといると思うよ?」
「えっ……」
「なんでもない。落ち着いたらメールするね」
少女は背を向ける。ただしこれは「逃げ」ではない。ほんの少しの間距離を置くだけだ。お互いにもっと強くなって、胸を張ってもう一度出会うために。
最後に見た彼女の笑顔は今でも覚えている。何か完全に吹っ切れたような顔だった。それはタカオがずっと取り戻そうと……いや、見てみたいと思って足掻き続けてきたものだった。
***
「ガイの容態は?」
「たぶん……かなり悪い。集中治療室に入れられたとは聞いてるけど、まだ面会謝絶だって」
治療費についてはなんとかなりそうだった。ユウトの保護者であるちっちゃな教師・
ガイはリーの魔法を直に受け、瀕死の重傷を負った。タカオが持つ彼の腕輪を返そうにも会えないのだからどうしようもない。
(いっそ今夜忍び込むか……)
そう考えていたタカオの頭をミズキが軽く叩いた。
「変なこと考えない?」
「……読んだ?」
ミズキの魔法は人の心を読むこともできる。過去の出来事がきっかけであまり積極的には使いたがらないが、仲間のためというのなら話は別だ。最近は少し過去との折り合いもついてきた。
「読まなくてもわかるっつーの。ガイの腕輪、もう壊れてるんでしょ? そんなもの渡したってどうにもならないよ。アンタはまず自分の怪我を治すことに集中して」
ミズキは呆れたような顔をして言った。彼女はそのままナースステーションで受け取っていた包帯をポケットから取り出した。
「早く、またみんなでお店再開しないといけないんだから」
ミズキはそう言った。その瞳は、心は、もう後ろを向いていない。
タカオは素直に強いなと思った。
「……悪かったな。助けに行くのが遅れて」
タカオは唐突にそう口にした。それは今日までずっと言えなかったことだった。連れ去られた仲間を助けに行ったのに、自分の過去の因縁と対峙した。挙句、彼女は一人で助かってしまったのでもうなんとも言えない。むしろ逆にこっちが救われたまである。
「何? 何でもしてくれんの?」
「いや、何でもは……イッ、デ……ッ!?」
包帯の巻き終わったタカオの背中をバシンと平手打ちしたミズキの顔はどこか悪戯っぽい感じがした。
「ほら、終わったよ」
「お前……もう少し、手加減を……」
タカオはベッドの上で盛大に悶絶していた。
「うっさい。明日も来てあげるから大人しくしてるんだよ?」
ミズキはそっぽを向いて言った。
「……」
「い・い・わ・ね?」
「……はい」
・3・
彼の側にいた少女は静かにその場を去っていく。屋上から出ていく時に彼女の頬をつたる光る涙が一瞬だけ見えた気がした。
「はぁ……。何度やっても心が傷むねぇ」
冬馬は受け取った手紙をポケットにしまった。
(そろそろ着いた頃か……)
授業が終わり、伊紗那はいつも通りユウトのお見舞いに行った。
冬馬はというと、何とも古典的というか、下駄箱に入った手紙の主に会うためにここまで来た次第である。手紙に添えられたわずかな香水の香り。当然、次の展開も読めた。だからこそ踏み上がる階段一つ一つが妙に重い気がした。
学園生活の中で度々こんなことがある。女子に呼び出され、告白される。
『ずっと見てました』
その度にそんな言葉をもらう。
当然それは嬉しい。その言葉が真実であろうとなかろうと、よく知りもしない彼女たちが勇気を振り絞って紡ぎだした言葉を無下にはできない。
だがそれでも答えはいつも決まっている。
つまりはそれが彼のやり方だった。
「……ずっと見てた……ね」
果たしてどこまでが「見ている」のだろうか?
ふとそんなことを考えてみる。
いっその事、恋人でも作ればいちいちこんな思いをしなくて済むのだろうが、冬馬はそれをしない。きっと恋人という役割は、彼にとっての一番にはなりえないから。最後の最後で必ず裏切ってしまう。現にユウトが大怪我をして入院し、最近の伊紗那の思いつめた様子を見るだけで冬馬の心中は穏やかではない。今という時にわずかな亀裂が走ったことに対して恐怖している自分がいる。
こんな自分に特定の一人を決める資格はない。だから断り続けてきた。少なくとも二人の行く末を見届けるまではこの考えは変わらないだろう。
我ながら子供すぎる理屈だとは思う。何の得もなければ、ただのガキの意地っ張りと笑う者もいるだろう。それでも若干十数年生きた若者にとっては大きすぎる意味合いを持っていた。
(案外、一番損な性格をしているのは俺なのかもな)
「あーもう!! こういう時は学食で料理長に挑むのが一番だな」
気を取り直して冬馬も屋上から出ようとしたその時——
「ん?」
わずかに腕にかかる抵抗。クイッと誰かに袖を掴まれた。
「……イスカ、ちゃん?」
「……ん」
本日二人目のお客だった。
・4・
病室で二人きりになってから、伊紗那は一言も喋らずユウトのベッドの横で椅子に座っていた。
「えっと」「あの!」
二人同時に言葉を発した。そしてまた沈黙。
「……」
「……伊紗那?」
抑えていた感情が感極まったのか、伊紗那は涙を流していた。
「お、おい……どうしたんだよ?」
「ううん。怪我もだいぶ治ってきて良かったなって。本当に何でもないの」
伊紗那は涙を拭うと、いつもの笑顔をユウトに見せる。
(何でもないわけないだろ……)
この笑顔を守りたくて。
この笑顔に見合うだけの自分になりたくて。
ユウトは力を求めたのだ。
だけど。
(俺の……せいか……)
その結果がこの様だ。
以前、鳶谷御影にこう言われた。
『あなたは絶対に彼女を見ようとしないから』
その通りかもしれない。
もしも見てしまったら。認めなくてはならなくなる。彼女や冬馬が本当に自分に求めているのは、彼らを守れるだけの力を持った自分ではないということを。それは今までの自分をすべて否定しているようなものだ。
だからずっと目を逸らしてきた。ただ貰うだけの愛情はいらない。それは何かの拍子に砂のように手のひらから零れ落ちてしまうものだということをユウトは知っている。幼い頃にそれを身を以て体験してきた。
本当に失いたくないものだからこそ自分から楔を打ち、しがみつかなければならないのだ。
「あれ……?」
ふと、ユウトは伊紗那がいつもと印象が違うことに気がついた。
「どうしたの?」
「前に俺があげたリボン……今日はつけてないんだな」
ユウトがアクアパークで伊紗那にプレゼントした水色の髪留めリボン。あの日以来、彼女はいつも大事そうにつけていた。それが今では当たり前のようになっていたからすぐに気がつくことができた。
少女の表情が固まる。サッといつもそこにあるはずのものに向かって思わず手が動いた。
「……ごめんなさい。気づかないうちにどこかに落としちゃったみたいで」
きっと何かの拍子に解け落ちたのだろう。
「お前は悪くないだろ。そういうこともあるさ。大丈夫。何だったら退院したらまた新しいのを買うよ」
「……」
伊紗那は本当に申し訳なさそうに俯いている。
本当にそこまで落ち込まなくてもいいのだが、早めに新しいのを買って安心させようとユウトは心に決めた。
「ねぇ……ユウ」
「ん?」
スッといきなりユウトの首に伊紗那の両腕が回りこんだ。ギュッと伊紗那は優しくユウトを抱きしめる。まるでその存在を確かめるように。
「え……っ!? 伊紗那? おい……」
いきなりのことに驚いたユウトは伊紗那をゆっくり押し返そうとした。だがそれより強い力が抵抗する。
「お願い。少し動かないで……」
「いや、でも……」
「……鳶谷さんの時は動かなかったでしょ?」
「うっ……」
あれは動かなかったのではなく動けなかったのだが、そんなこと彼女には関係ない。
ふわっと感じる柔らかい感触。とても暖かく、とてもいい匂いがした。徐々にユウトの体から力が抜けていく。こんなに近くで彼女を感じるのは学園の屋上以来か。
伊紗那は赤くなった顔を見せないように、ユウトの額に自分の額を押し当てる。超至近距離で彼女の吐息を感じた。視界には彼女の琥珀色の瞳だけ。ユウトも顔の感覚が麻痺したのではないかというくらいに緊張していた。
「……私、あの時ユウを送り出したこと後悔してる」
おそらく彼女が言っているのは、アウスヴェーラの本拠地に向かう前のことだろう。
「本当はあの時、例えユウに嫌われても止めるべきだったんじゃないかって……」
でもそれでは。
そうしなければきっと。
ユウトが行かなければ、おそらく飛角は死んでいた。
ユウトが行かなければ、ロシャードもまた破壊されていただろう。
タカオもミズキも、アリサだってどうなっていたかわからない。
そんなことは多くを知らない彼女にも容易に想像できた。だからこれはただの少女のワガママだ。大好きな人がこれ以上傷ついて欲しくないという純粋な願望だ。
「怖いの……ユウがみんなのために戦うことが。もしまた今回みたいなことがあったら、今度はユウが私や冬馬の前からいなくなちゃうんじゃないかって」
「……」
きっと少年は戦場に戻る。誰かのために。人を救うことそれそのものが、彼の存在価値になってしまっているから。
今まではそれでよかったかもしれない。それは世で言うところの善人に他ならない。
しかし魔法という力を手にした結果、守るものが増えすぎてしまった。伸ばした手は今やどんなに遠くても届く可能性を秘めている。
それが途方もなく怖い。
少女は潤んだ瞳でこちらを見つめる。ユウトは今にも吸い込まれそうな感じがした。
「ユウ……お願い」
わかっている。これはきっと卑怯な手だ。こんな形誰も望んでいないのかもしれない。自分さえも。
でもこんな気持ち、これ以上耐えられなかったから。
苦しい。痛い。そして胸が張り裂けそうなほどに愛おしいから。
一秒でも早く抜け出したくて。一秒でも長く一緒にいたくて。
だから少女は少年に呪いをかけることにした。
皮肉にもそれはもう一人の親友が望んでいたことだった。彼はきっとこんなシチュエーションは想定していなかっただろうが。
愚直なまでに進み続ける勇者に打ち付ける絶対的な楔。
「私と、ずっと一緒にいて……」
そして——
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