第15-1話 本物の価値 -Shangri-La-

・1・


 アリサは誰にも声をかけず、シャングリラのバーを出ていた。

(……何やってるんだろう私)

 正直に言うとあの雰囲気は嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 タカオが場を仕切り、ミズキが手綱を持ち、ガイが優しく見守る。

 そしてユウトがいて――

「……ダメだ」

 あの場所にいると決意が鈍る。

 今までの彼女を構成する全てがチーズのように簡単に剥がれ落ちてしまう気がした。

 そんな自分にはもう生きる価値がない。それだけはダメだ。

 それにアリサにはあの場を離れたい理由がもう一つあった。それは――


『あらあら。青春は大事よ? あなたのような年頃からそんな考えは良くないわ』


「ッ!!」

 アリサは即座に声の方へ銃口を向ける。

 薄暗い路地の壁。そこに一匹のコウモリがぶら下がっていた。

「……何の用ですか?」

『用というほどではないのだけれど』

「ならさっさと消えてください」

 アリサはその場を去ろうとする。こうやって相手の心を乱して楽しむ。それがのやり方だ。

『私はこの街のあらゆる場所に目を持っているわ。だからわかるの』

「何が?」

 フフ。とコウモリが――その奥にいる者の声が笑った。

『あなたの知らないいろんなことが』

 話をするだけ無駄だ。アリサはそう思った。

『そんな私から今のあなたに最適なアドバイスを与えるなら、彼を殺すことをお勧めするわ。そうすればもうこれ以上苦しまなくて済むわよ?』

「……」

 そんなことできるわけがない。それでは何のために。

『まぁ私はあくまで傍観者。決めるのはあなたよ』

「用件はそれだけですか?」


『そうそう忘れていたわ。あなたがさっきいたお店。今大変なことになっているわよ?』


 アリサの動きが止まった。冷たい汗が流れる。


 そして弾かれた様に、来た道を引き返した。


『そう。それでいいわ。あなたはそうしなければならない。でなければわざわざ私が手を貸した意味がないもの。それに――』

 全てを知っているとはいえ、彼女の行動がどういう影響をもたらすのか、一番肝心なことは実のところわからない。


 変わらず予測通りの結果になるかもしれない。

 あるいはレールから大きく脱線するかもしれない。

 遠見アリサが起こす変革の全ては、遠見アリサの行動にかかっている。

 故にその行動には最大限の注意を払わねばならない。


 コウモリはその背中を見つめていた。


『安易な選択の先に、望む結果は待っていないものよ』


・2・


「……ん、んん」

 意識を奪われていたミズキは目を覚ました。

「……ここ、どこ?」

 そこは暗い場所だった。目が慣れてくるとそれが客間だとわかる。

 どこかのホテルの一室か? それにしてはやけに豪華だった。

 ミズキはフカフカの高級ベッドの中で眠っていた。

 中は暖かく、肌に当たるシルクはとても心地が――

「っ!!!!!!!!!!」

 ミズキは自分の今の状態に絶句した。

(ちょ……ッ!! 何で私裸ッ!?)

 ベッドの中のミズキは全裸だった。いったい誰に脱がされたのか。布団で体を隠し、辺りを見る。室内には誰もいない。

(私の服……)

 自分の服もなかった。

 テーブルの上には真新しい白い制服のようなものと、手紙が添えられていた。


『シャワーを浴びて支度を済ませたら、生徒会室へ』


 そう書かれていた。

「そうだ……私、確かあいつらに攫われたんだ」

 ミズキの頭の中で途切れていた点と点が結びつく。

 これは自分を攫ったあの男が書いたのだろうか?

 あの人を値踏みするような目をした男に自分の肌を見られたかと思うと、背筋がゾッとする。

「……くそっ!」

 だが仕方がない。着る物がない以上、この制服を着るしかない。

 ミズキは渋々シャワールームに入った。



「うそ……ぴったりだ」

 シャワーを浴び終わった後、ミズキは真っ白な制服に袖を通した。たった今水分を拭いたばかりの瑞々しい肌が衣服に擦れる。制服は広げてみると胸の校章に「玉選館」と書かれている。

(玉選館って、確かこの街でトップの学園の名前じゃ……何で私が?)

 訳のわからないまま、ミズキは部屋から出た。

 部屋を出ると、ここは学生専用の寮だとわかった。真っ白な光沢のある大理石調の廊下には数人の生徒が普通に歩いている。誰一人ミズキのことを気に留める様子もない。

(まぁ、これはこれでやりやすいか……)

 ミズキは迷わず出口を目指す。

 わざわざあんな奴らの言うことを聞く必要はない。このままタカオたちの元に帰るつもりでいた。

 しばらくすると、他の生徒が外に出て行く扉を見つけた。

(よしっ!)

 走ってそこまで行き、ミズキもドアノブ手をかける。

「楽勝、らく……ッ!!」

 逃げれると確信していたミズキの動きがそこで静止した。

「な、んで……」

 鍵はかかっていない。それはさっき生徒が出て行くのを見て確認している。


 なのに。


 


「ダメだよぉ~。ちゃんと命令は守らないと」

 後ろから少女の声がした。

「アンタは……」

 神座奏音が背後から声をかける。ずっと見張られていたのか?

「部屋は気に入ってくれた? ベッドもフカフカでいいでしょ。気持ちよかったのはわかるけど、あんまり遅いから迎えに来たよぉ」

 口ぶりから察するに、自分を部屋に入れたのは彼女のようだ。

「……アンタ、私に何をしたの?」

 今はドアノブを回せないだけでなく、体が全く動かない。

「私とあなたは同じ種類の能力だからわかるんじゃない?」

「クッ……」

 どうやら無意識下で彼女のマインドコントロールを受けているらしい。

(命令はさしづめこの校舎から出るなってところか……)

 精神系魔法の使い手であるミズキの精神に、意識がなかったとはいえ介入してくるほどだ。奏音の精神操作は並みのレベルではないのは明らかだ。

「じゃ、行こっか」

 奏音は笑顔でそう言った。



 寮と本館を繋ぐ通路を通り、エレベーターで五階を目指す。

 そこは一際華やかな場所で、奥には明らかに他とは違う厳格な扉があった。

「ここだよ」

 奏音はその扉を難なく開ける。

「お、なかなかいいじゃねぇか。馬子にも衣装だな」

 中にいたリーがミズキの格好を見てそう言った。

「えへへ。私も可愛いと思うよ」

 奏音はミズキに後ろから抱きついてきた。

(……うっとおしい)


 部屋の奥は全面ガラス張りで、そこからは海が見える。

 奥の大きめのデスクに神座凌駕は座っていた。

「やぁ。あんまりうるさかったからここまで運ぶ間、君の意識を奪わせてもらったよ。気分はどうだい?」

「……最悪」

 凌駕はその答えを聞いて微かに笑う。

「そうか」

 カシャン。

 鎖のような音が室内に響き渡った。

「……ッ!!」

 凌駕の足元には血だらけの飛角が横たわっていた。まだ微かに息がある。暴力的なまでの魅力を放っていた彼女の体は全身ズタズタにされ、その手足には鎖が巻き付いている。

 そんな彼女の悲惨な姿をミズキは見ていられず、思わず顔を背ける。

「あぁ、これか。なかなかどうして手こずらされたよ。異常なまでの超速再生、人間を超えた身体能力……そして魔力を喰らう力。まるで魔獣だ」

「けどバカだよな。こいつ誰とも知らないチビを庇うために自ら盾になってよぉ」


 飛角との戦いは熾烈を極めた。

 心を読む程度は目を合わせればできるが、一度直接触れなければ操ることのできない奏音はもちろん、相手の力を削ぎ落とす凌駕の魔法も飛角を捉えきるまでにはいかなかったのだ。

 唯一直接戦えるリーでさえ、竜巻や真空カッターを拳で吹き飛ばすデタラメさには舌を巻いた。


 魔力を物質として捉える力。


 彼女の前では魔力でできたものは、その特殊性よりも先に一つのオブジェクトとして認識される。そしてそれは物質である以上必ず破壊できる。

 目に見えないものを触れ、破壊できる。それが飛角の魔法だ。加えて魔力を百パーセント力に変えることのできる体。その動きは人間をとうに超えていた。

 だがそれでも決して飛角の優勢だったわけではない。リーの攻撃を防げたとしても、神座凌駕に近づけば、その能力で瞬く間に無力化されてしまう。彼女にとっても時間稼ぎをするだけで手一杯だったのだ。

 そんな時、一人の少女が危険な戦場に現れた。

 その少女の虚ろな目、そしてその奥で怪しく笑う少女かのんを見て飛角はすぐに操られていることを理解した。

 それは飛角という人間を知っていたからこその作戦なのか。はたまた単に気まぐれで思いついたのか。それはわからない。

 だがそれは飛角に決定的な隙を作らせるには十分すぎた。

 目の前の小さな命を見捨てるわけにはいかない。

 自分のせいでその人生を摘むことなどあってはならない。

 守らなければならない。飛角はそんなある種の呪いを受けてしまった。

 彼女は少女の盾となり、その身を削り、抉られ、そして再生を繰り返す。痛みには慣れている。常人ならばすでにショック死してもおかしくないレベルの激痛に耐えた。耐え続けた。

 だが最後には凌駕の魔手が容赦なく飛角を襲い、最後の砦も意味をなさなくなる。


「そろそろ仲間の居場所を吐け」

 凌駕は倒れた飛角に近づいてそう言った。

「……ハハ……今、は営業時、間外だよ……出直しな……カハッ!」

 飛角は無理に声を出したせいか、血を吐き出す。その血が凌駕のズボンの裾にかかった。

「ッ!!」

 ガッ。っと凌駕の爪先が飛角の腹部に食い込む。

「ガハッ……!! アァ……グッ」

 呻き声を上げ、壊れたおもちゃのように飛角はその場で動かなくなった。

「にぃに。あんまりその女に近づかない方がいいよ? 力は奪ってもそいつは人間じゃない。魔力を与えればすぐに動けるようになる。完全に殺しきるには魔力を枯渇させるしかないんだから」

「わかっている」

 凌駕はそれ以上飛角への興味を失ったのか、今度はミズキの元へ近づいてきた。

「……私をどうするつもり?」

 ミズキは凌駕を睨む。

「もしかして君は自分が連中のための人質だとでも思ってるのかい?」

(……違うの?)

 凌駕は吹き出して笑った。リーもつられて笑っている。いったい何がおかしいというのか。

「別に彼らに強い興味はないよ。私たちの今の目的はワイズマンズ・レポートの被験者の抹殺。君はそのついでだ。精神系の魔法保持者は貴重だからね。その力、我々が有効に使ってやろう」

「何で私がアンタらに……っ!!」

「はーい動かな~い」

「くっ……」

 奏音の命令一つで、ミズキは指先一つ動かすことができない。

「気が強いお前でも、こうして縛れば可愛いもんだ」

 リーはミズキの髪の毛を無遠慮に撫でる。

 サラサラの髪の毛が、指の間をすり抜けていく。

「……ペッ!」

 ミズキは唾を飛ばす。

 だが常時発動型のリーの風の防壁はそれすら通さない。飛ばした唾はあらぬ方向へ飛んで行った。

「今夜は可愛がってやるからな?」

「ダーメ。ミズキンは私のだよ」

 奏音は勝手にあだ名をつけて、自分のおもちゃを取られまいとミズキに抱き着く。

「あ? 俺が先に目を付けたんだぞ?」

「リーは私に一つ借りがあるでしょ? いいからステイ」

「……あれは」

 奏音の言葉にリーは悔しそうな顔をする。

「大丈夫。先に私が遊ばせてもらうだけだから」

 奏音はミズキの前へ出て屈んで、その目線を合わせてくる。

「実はね、もうあなたのこと八割くらいは掌握してるんだぁ。ミズキンのことはもう何でも知ってるよ? あなたがどんな人生を送ってきて、何に傷ついて、誰が好きなのか……とかね」

「ッ!!」

 気持ち悪い。あの時そう言ったかつての友人の言葉が今理解できた。自分だけの大切なもの、大切な領域に土足で触られた、そんなとても嫌な気分だ

「私ね、精神系の魔法使いとは何度かやったことがあるんだぁ。みんな体は操れても最後の自我のプロテクトだけはすっごく固いの。でもね――」

 奏音はミズキの額に自分の額をくっつけて、相手の目に自分の目が映りこむようにして言った。


「そんな子を堕とすのがたまらないんだよねぇ」


「……!?」

 その目はさっきまでは感じ取れなかった狂気にも似た光が灯っていた。

「あの敵対心丸出しだった強い瞳が犬のように従順になるのなんて……もうサイッコーッに快ッ感!」

 思い出すだけで体を震わす甘美な思い出に奏音は自分の体を抱きしめる。そして言った。

「恐怖、苦痛、快楽。ミズキンはどれが好みかな? もちろん抵抗してもいいよ? そういうのも含めて一つずつ心の鍵を開けていくの。丁寧に丁寧に追い詰めて……そうしたら最後にはみんな自分から心を開いてくれるんだよねぇ」

「この……下衆がっ……」

「ハハ」


 正直に言うと怖くてたまらない。肩の震えを、足の震えを悟られないように気丈でいなければならない。

 目の前にいるこいつらは獰猛な肉食獣と変わらない。

 でもきっとタカオたちが助けに来てくれる。その希望さえあればミズキは決して折れない。

(……タカオ)

 だから。

 今はそれまで耐えることしかできなかった。


・3・


 目を開けると、天井のランプの明かりに思わず目を逸らした。

「……」

 ベッドの右側では伊紗那が静かな寝息を立てていた。両手でユウトの右手を握っている

(……ずっと見ててくれたのか?)

 ユウトは少しだけホッとする。伊紗那には大した怪我はなさそうだったから。あれだけの出来事があったのに、大した怪我がないのは奇跡に等しいかもしれない。もし神様がいるなら、感謝しないわけにはいかないだろう。

 包帯でグルグル巻きになった右腕はわずかに指を動かしても感覚がない。麻痺しているのか。伊紗那の手の感触は感じられず、チクチクとした痛みだけがある。何だか変な気分だ。


「起きましたか?」


 アリサが伊紗那とはベッドの反対側に座っていた。

「よかった……」

 アリサは安堵の溜息を吐く。

「あの……」

 アリサは両手でユウトの左手を包んでいる。こっちの手には感覚がある。彼女の温かさがダイレクトに伝わってくる。

「……ッ!!」

 アリサも気付いたのかすぐに手を離した。

「……彼女、ずっとあなたの手を握っていたわよ」

 ちょうどドアを開けた御影がそう言った。

「なっ!! こ、これは、その……怪我が悪化するおまじないです!」

「えっ!?」

「ユウトさんはいっそのこと大怪我をして、病院のベッドに縛られてればいいんです」

 アリサはそう言ってそっぽを向いてしまった。

「ハハハ……」


「……目が覚めたようですね」

 御影はユウトの額に冷たい手を当てて熱を測る。

「……OK。傷口の消毒は終わっています。熱もありません。このまま安静にしていれば問題ありません。手に痺れはありますか?」

「あぁ、ちょっと右手が」

「……そうですか」

 御影は少しだけ暗い顔をする。

「みんなは?」

「……少し前にあのオートマトンがレヴィルさんを抱えて戻ってきました。彼とタカオさんはレヴィルさんとガイさんの側にいます。御巫さんは足の傷口が原因で発熱を起こして寝込んでいます。大事ではありませんが、しばらくは動けないでしょう。ミズキさんは……」

 ユウトは思い出す。

(そうか……あいつが……)

 ギギっとベッドが軋む音がする。ユウトは上体を持ち上げる。まだ体を少し起こすだけでも全身に痛みが走る。

 アリサと御影は慌ててユウトの体を支えた。

「ちょっと! 何してるんですか!? 大人しくしてください」

「悪い、でも……行かなきゃ……」

「……No。それは得策とは言えません。魔法を奪われた今のあなたに何ができるというんですか?」

「……」

 何も言えなかった。

 それでも動かずにはいられなかった。不安や焦りを消す方法をそれしか知らないからだ。


 カラン。

 店の扉が開く音がする。その音に全員の体が思わず強張る。

 入って来たのは強面のガタイのいい男だった。

「……アンタは」

 その顔にユウトは覚えがある。

 ユウトは学園で、廃工場で、そいつと対峙した。


「よっ! 元気そう……じゃないな。店もひでぇ有様だ」


 突然の来訪者。

 中央情報局セントラル局長。アーロンが店に入って来た。



「……なるほどねぇ」

 御影から事の経緯の説明を受け、アーロンはうんうん頷く。

「まぁ、こっちでも何があったかはおおよそ掴んでるんだけどな」

「……なら私が説明した意味は?」

「ノリだよノリ」

「……この男とは合わない気がしてきました」

 御影は額に手を当てて言った。

「まぁそう気を落とすなよ嬢ちゃん」

「……嬢ちゃん」

 御影は心外だという目でアーロンを見る。

「お前らを襲ったやつらはな、『極限の希望アウスヴェーラ』と名乗っている集団だ。お前らと同じで魔獣退治を自主的にやっているチームだ。構成員のほとんどが強力な魔法持ちってことはこっちでも掴んでいるが、まぁこちらの仕事に関わらなければ、俺らは文句を言うつもりはねぇ。魔獣を駆逐したところで犯罪とは言えねぇしな。むしろ俺たちの仕事が減って助かる」

「……Auswählアウスヴェーラ。……選別、ですか」

 御影は顎に指を当ててそう言った。どうやらドイツ語らしい。

「問題はやつらが魔獣以外のものをターゲットにし始めたことだ」

「……ワイズマンズ・レポート」

 ユウトはそう呟いた。

 凌駕は飛角とロシャード、そしてレヴィルまで狙っていたはずだ。


「やつらは我々のことをこの街の汚点だと言っていた」


 ガイたちが休んでいる部屋の扉が開き、ロシャードがそう言った。

「汚点?」

(どういう意味だ?)

 確かに非人道的な研究ばかりなように思うが、少なくとも彼らは被験者であり被害者だ。

「まぁこれはあくまで想像だが、神座凌駕をはじめとするアウスヴェーラの幹部二人はどいつもその分野のエキスパートだ。それも玉選館ですら収まりきらないほどの化け物だと聞いてる」

 神座奏音は心理学をはじめとした生物の思考パターンとそれに影響する進化論。

 リー・ローウェルは海洋物理学のエキスパート。

 どちらもユウトたちと歳は変わらないのに、その道のトップに君臨している本物の天才だ。

「そんなやつらにとって、このイースト・フロートという街は一つのブランドみたいなもんだ。天才。加えて全ての技術が集約したこの街に独自のパイプラインを持っている。間違いなく世界中から引く手数多だろうな。そこにワイズマンズ・レポートなんていうわけのわからないもの、しかも明らかなマイナス要素が出てきちまったら、ブランドに傷がつく。表沙汰になる前に抹消するのはまぁ、当然だわな」

「そんな理由で……」

 ユウトは奥歯を噛み締めた。

 魔獣退治も、人を殺すのも、彼らにとっては同じ行為なのだ。

「まだ問題があるぞ。あの赤い腕輪だ」

 タカオが言った。

 タラニスリング。凌駕はそう言っていた。

「赤い腕輪か……。悪いがそっちについては情報がないな」

 あの腕輪からは何となくだが嫌な感じがした。その感触をユウトは知っていると思うのだが、何だかわからない。所有者の心を形にするルーンの腕輪とは違う、何か別の禍々しい感じだ。


「で? お前らはどうするつもりなんだ?」

 その言葉に、みんな押し黙る。そして、

「当然ミズキを助けに行く」

「俺だってそのつもりだ」

 ユウトはそう言って、タカオもそれに賛同する。

「ま、そうなるよな」


「まずはあいつらの居場所を突き止めて、それから作戦を練って――」


「……」

 アーロンは黙ってユウトの言葉を聞いていた。


「動けるのは俺とタカオだけだから――」


 ユウトは慎重に言葉を重ねる。

 今までみたいに真正面からぶつかるのはリスクが大きすぎる。ミズキを人質にでも取られたら本当に何もできなくなる。


「危険を最小限に避けるために――」


 失敗はできない。

 絶対に。


「それから、隙を見計らってあいつらがいない間に――」


「おい、何の冗談だ?」


「えっ?」

 その瞬間、アーロンの大きな拳がユウトの視界に飛び込んだ。

 バギッ!!

 鈍い音の後に、ユウトの体がボールのように飛んでいく。

「かはっ!!」

 グラス棚にぶつかり、落ちたグラスが音を立てて盛大に割れた。

「何を……!?」

「こっちのセリフだ馬鹿野郎!」

 アーロンは大声で激怒していた。

「さっきから黙って聞いてりゃ温い事ばかり言いやがって!! 危険を最小限? 隙を狙って? お前、一番大事なことが見えてねぇんじゃねぇか? あぁ!?」

「一番……大事な事……?」

 アーロンはユウトの前に立ち、告げた。


?」


 ユウトはその言葉で一瞬、思考停止した。

「力がねぇやつが、いくら小細工を弄したところで絶対にやつらには勝てねぇよ。お前が考えてる以上の策で返り討ちにあうのが関の山だ。だからお前は仲間の心配より先に、まず自分の心配をしやがれ!」

「……」

(……そうかも、しれない)

 頑張れば夢は叶う。

 頑張ればなんとかなる。

 そんな綺麗な理想は、神座凌駕という絶対的な希望の前になす術もない。

 こんな無力な自分では何もできない。それが現実だ。

「……でも、どうやって」

 ユウトは黄金の腕輪を見つめた。

「もし、お前がまだ真っ向から戦うのを諦めねぇっていうなら、俺がやつらの居場所を突き止めてやる」

「……えっ」

 アーロンはユウトの目を見ている。その瞳にあの時の闘志がまだ残っているのかどうかを問うている。

「どうしてそこまで助けてくれるんだ? アンタは敵だろ?」

「今回に限ってはまだ俺は上から何も聞いてねぇ。つまり、俺の管轄外だ」

 とは言うものの、彼の携帯には怖い部下からのおびただしい不在着信ラブコールが溜まっていた。

「俺は好きで動いてるんだよ」

 アーロンはヘヘっと笑う。そして言った。

「どうするんだ?」

 差し出される手。大きな手だ。

(そんなの……決まってる)

「まだ……終われない。俺はまだここで立ち止まる訳にはいかない」

 ユウトは目の前に現れた希望を掴んだ。

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