第16話 侵入 -Through the Gate-

・1・


 アーロンから教えてもらった場所は、玉選館だった。

 ユウト、アリサ、タカオ、そしてロシャードの四人は都市を回るリニアトレインに乗り、玉選館前で降りる。さらにそこから長いエスカレーターで上まで登っていき、ようやく校門の前まで到着した。ここまでの道のりはタカオと一緒だったので迷うことはなかった。

 問題はここからだ。

 タカオは昔の学生証をかざす。門をくぐるためにはこれが必要なのだ。

 ピピ。

 けたたましいエラー音が鳴る。

 画面には『ACCESS DENIED』の文字が。

「ま、当然と言えば当然か」

 タカオは納得した。

 予想していたことだが、すでにタカオの学生情報は消去されていた。もう手元の学生証はただのゴミクズだ。

「さっき学園から出ようとした学生を一人眠らせて奪ってきたカードもありますが?」

 アリサは別のIDカードを差し出す。

「今さらっとこの子すごいこと言わなかったか?」

 アリサは首を傾げる。

「他人の学生証……か。たぶんダメだと思う。あれのせいでな」

 タカオが指さした先。天井には数台のカメラが取り付けられていた。

「……カメラか」

 それぞれのカメラが認識した学生証を元にデータベースを使って多角的な顔認証を行う。つまりは他人のカードは使えないということだ。他にも数種類のセキュリティが存在する。おそらくはタカオの知らないものもあるはずだ。一学園とはいえ、ここより優れたセキュリティはそうはない。何重にも張り巡らされた壁。まさに鉄壁の要塞と言っても過言ではない。

「ではどうする?」

「そこでこれよ」

 ロシャードの言葉にタカオは得意そうに答えた。タカオはポケットから野球ボールくらいのキューブを取り出した。

「何だ、それ?」

「あのアーロンってやつからいい物貰ったんだ。これは人工的に裂け目ゲートを開く道具らしい」

「ゲートを……」

「つっても、十秒くらいらしいけどな」

 セントラルはゲートを……いや、その先のあの真っ白な世界のことまで知っているのか?

「なるほど、ゲートをワームホールとして使うということだな?」

 ロシャードは納得する。

「そういうこと。アリサちゃんの情報通りなら行けるはずだ」

 アリサの話ではこっち側の世界と向こうの世界は、ほぼ同じ座標に存在するらしい。向こうの世界からこっちの世界へ任意の場所にゲートを開けば正確な座標とはいかないが中に入れるかもしれない。

 これは賭けだが、分の悪い賭けではない。少なくとも向こうでの数メートルの移動が海に放り出されるようなことになる心配はない。幸いにも玉選館の敷地は広い。何とかなるはずだ。

 こっちには正攻法で入る手段もなければセキュリティを破れる技能もない。このキューブだけが文字通り唯一の突破口だった。

「じゃあ、やるぞ?」

 タカオの声に三人は同時に頷く。

 タカオはキューブを起動する。キューブは形を変え、アンテナのようなものが展開される。そして次の瞬間、バキッっという破砕音。ユウトたちの目の前でゲートが開いた。

「行こう」


・2・


「……グっ……ああああああああああああああああああああああ!!」

「キャハハ♪」

 寮内の秘密の一室。学園案内用のパンフレットにはただの部屋と部屋の間の何もない壁だ。

 ここは奏音が教師を洗脳し作らせた防音使用の特別な一室だった。彼女はここを「プレイルーム」と呼んでいる。文字通りここは彼女の遊び場で、ここではどんなに泣き叫んだところで外には伝わらない。

 奏音は目の前で苦しみもがくミズキを見て笑っていた。その左目は妖しく赤く光っている。


「ねぇどんな気分? 自分の最悪の思い出を延々と体感させられる気分は」


「うっ……さい……黙れ……」

 ミズキは目隠しで何も見えないが、目の前にいるであろう奏音に向けて憎悪の視線を向ける。

「アハッ!」

 その視線を感じ取ったのか、奏音は心地のいい身震いをする。

(いいねいいね。その強さ。ますます砕きたくなっちゃう)

 今ミズキの脳内では、彼女の過去のトラウマともいうべき時間。彼女が全てを失った、その時に訪れた心がグシャグシャに壊れそうになった瞬間を延々と繰り返していた。

「グッ……やめ……だっ……」

 拒絶、喪失、嫌悪。

 濁流のように流れ込む黒い感情。

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

 もう何回謝っただろうか? 何回繰り返しただろうか?

 実際にはまだ始まって二時間ほどしかたっていない。その間に彼女の脳内では彼女にとって人生最悪の瞬間が数千、数万回繰り返されていた。しかもそれはただの経験としてではない。その瞬間の絶望がダイレクトに心を蝕む。当然ミズキを守る物は何もない。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 溺れそうなほどの涙を流し、喉は懺悔の言葉を出し尽くし枯れた。だがそれらの行為は決して彼女を助けてくれない。あの時感じた以上のドス黒い負の感情がミズキを襲う。

「んー結構プロテクト固いなぁ。ねぇ、もう諦めちゃいなよ? ミズキンの意思がいくら鉄のように強くても、打ち続けられたらいつかは折れる。もう時間の問題だよ?」

 奏音は両手を縛られ悪夢にのた打ち回るミズキの頬を優しく撫でる。

「あ……」

「わざわざ苦しむことないじゃん? もう楽になっちゃいなよ」


(……諦めれば。楽になれる?)


 悪魔じぶんがささやく。

 もう十分耐えた。いっそ壊れてしまいたいという欲望が心の隅に生まれる。


(……もうこの感覚を一度たりとも味わいたくない)


 きっとそれは誰もが持ち合わせる黒い感情。

 みんなそれらの凶器を隠し、信頼という名の麻酔をかけて日常を過ごす。

 人の心が流れ込むということはその麻酔がないに等しい。それこそ針を飲まされるような感覚。想像したくもない。

 人間の心とは思っている以上に脆い。ガラスのハートとはよく言うが、実際には飴細工のほうが正しい。

 拒絶は彼女の視界を奪い、嫌悪は胸を刺す。

 一度であれほどまでに心が砕けそうになった。

 全てが嫌になって。

 全てがどうでもよくなって。

 全てに期待しなくなった。

 死にたくなった。


(……嫌だ。もう嫌だ)


 裸になった自分の身体こころを黒くて粘着質な何かが掴んで離さない。下へ、下へ引きずりこもうとする。

 肌を這いずり絡みついてくる。

 堕ちたらもうきっと戻ってこれない。


(……苦しい)


 いくらミズキの自我が強くても、迫る情報の濁流は彼女の意識を鈍らせる。溺れている人間に正常な判断なんてできるわけもない。

 いや、一つだけ選択肢はある。


(……もう、あき――)


 その時不意に、眩しいくらいの光が差し込む。まるでモーセの伝説のように濁流をかき分ける暖かな光。

 脳裏に少年の顔が浮かび上がった。


(あ――)


 その少年は笑っていた。

 その少年の周りではいつも誰かが笑っていた。

 その少年の隣で自分が笑っていた。


「……そうだ」

「え?」


 ――思い出した。 


 ミズキは血が出るほど思い切り唇を噛み締め、沈みそうだった意識を強制的に覚醒させる。

「ッ!?」

(確かにあれは私にとって死ぬほど最悪な結果になった。……けど、間違いじゃない。間違いにはさせない。でなきゃ、私はアイツらに出会ったことさえ否定してしまう)

 一番つらいのは過去のトラウマではない。

 誰かに悪口を言われ、拒絶され、輪から排出されることでもない。


 


(……そうだ。私は、私は後悔なんてしてない!!)


 ミズキはその光に手を伸ばす。

 その瞬間、脳内のイメージに亀裂が走る。

「イッ……!」

 奏音は一瞬、流れ込んだ情報のバックファイアで怯んだ。

 額に一筋の汗が流れ出る。

「……へぇ、なかなかやるじゃん。でも……ッ!?」

 カチャ。

 背後で鉄の音がした。

「そこまでです」

 その音が何の音で、自分がどういう立場なのか、奏音はすぐに理解した。

 普段の彼女なら敵意に敏感だ。すぐに気づく。それでも一瞬、ミズキの反撃で全てのセンサーを閉じてしまった。いや、それでもこの場所で彼女の背後をとれるはずはないのだが……。

「おっかしいなぁ……どうやって入り込んだのかな?」

「……その声は」

 ゲートを抜け、奏音の背後で遠見アリサは銃を構えていた。


・3・


「だあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ユウトとタカオは複数の生徒に追いかけられていた。

 どいつもこいつも目から生気を感じない。おそらくこの学園内全ての人間はあの三人の支配下にある。奏音の魔法で外敵を見つけたら速やかに捉えるように無意識下に刷り込まれているのだろう。そういう意味では自分たちがゾンビ映画で真っ先にやられるキャラのように思える。

 認識が甘かった。

 もはやここは学園ではない。一つの国となっていた。

「タカオ! もう少し出る場所考えれなかったのか!?」

「知るか! まさか全校集会のど真ん中に出るなんて思わねぇだろ!! クソッ、アリサちゃんとあのロボまでどっか別の所に飛ばされちゃうし……」

 アリサとは同じゲートをくぐったはずなのにはぐれてしまった。

 運がいいのか悪いのか、ユウトとタカオは玉選館の敷地内には入る事が出来た。だがそこは全校集会の真っ最中。凌駕達三人を除いた教師含め全生徒がいたのだ。

 今二人は全生徒&教師に追われている。


「二人とも! こっちだ!!」


 少し離れた場所に出たロシャードが、体育館のドアの前にいた。

「ユウト! あそこに逃げ込むぞ!」

「あぁ!」

 タカオの指示で、ユウトは全速力で館内に飛び込んだ。タカオも続けて滑り込み、ロシャードはすぐにドアを閉め、電子ロックをハッキング。鍵をかける。

「囲まれる前に反対側の出口から――」


「よぉタカオ。予定通りここまで来てくれたなぁ。嬉しいぜ」


 館内に響く声。その声の主は見なくてもわかる。それはタカオにとって因縁深い相手。間違えようがない。


「……リー・アーウェル」


 アウスヴェーラの幹部の一人。リー・アーウェルはそこにいた。背後には一人の女子生徒を付き従えている。

「心配しなくても外の奴らはここには入ってこねぇよ。少なくとも俺がここにいる間はな……ククク」

 リーは余裕の態度を見せる。何かしらの手を使って学園内に入り込むことは予想済み。タカオたちがここに来ることは全て計算の内。携帯ゲームで連続コンボを決めたような爽快感に似ているだろうか。あまりに簡単に思った通りに事が運んだものだから気分がとてもいい。

「ユウト、ロボット。先に行け。打ち合わせ通りこいつは俺がやる」

「……大丈夫なのか? やつがここで健在だということは、飛角は……」

 彼女はおそらくやつらの手に落ちたと考えるべきだろう。

 あの時命令とはいえ彼女を置いて逃げたことをロシャードは今でも悔いていた。本来であれば命を持たないただの鉄の塊である自分こそがあの場に立つべきだったのだ。だがあの場において飛角以上に拮抗できる戦力がなかったのも事実。例え二人で戦ったとしてもレヴィルを守りながらの戦いはマイナスにしかならなかっただろう。彼女を下したということは相手が相当の力を持っているのは明らかだ。

 元々宇宙空間で作業できるよう設計された人型マシンだ。ルーンの腕輪の実験でその用途から少し外れているとはいえ、対人兵装を積んでいるわけではない。ロボット漫画によくあるような指先が機銃になったりするようなギミックはないのだ。だからレヴィルを連れていた以上彼女が足止めし、ロシャードが逃げることは最良な選択ではあった。

 それでも。

(待っていろ……必ず助ける)

 ロシャードは彼女を救わなければならない。

 どんなにだらしなくても。どんなに怠け者でも。

 たとえぐーたらの権化であろうとも。

 彼女は管理者マスターなのだから。


「絶対、勝てよ」

「あぁ」

 タカオはユウトの声に応えると、リーを正面に見据えながらユウトたちの道を確保する。

 二人が体育館から出ると、改めて目の前の敵を見た。

 あの時と同じ、他者をゴミのように見る目だ。

 タカオはポケットから銀の腕輪を取り出す。これはガイのルーンの腕輪だ。重症の彼の腕から取ってきたものだ。

(お前の分の仇は打つ)

 タカオはすでに自分の腕輪がある左腕にガイの腕輪を通した。

「ハッ! 腕輪を二つにして力二倍ってか?」

 リーは馬鹿にしたように笑う。

 実際二つ付けても変化はない。それを凌駕たちはすでに検証している。

 タカオ自身もそんなつもりはない。これは単なる願掛けだ。

「ミズキはどこだ?」

 リーの言葉を受け流し、まずタカオはそれを聞いた。

「さぁな。せっかく俺のペットにしようと思ったのに奏音の野郎が横取りしやがった。チッ……廃人になったらつまんねぇだろうが」

「……何をするつもりだ?」

 タカオの声が低くなる。怒りで握られた拳からは血が滴る。

「さぁな。あいつの悪趣味は理解に苦しむ。さっさと助けねぇと嫌なもん見ることになるぜ?」

「テメェ……」

 タカオは金剛の右腕デクス・ダイアモンドを発動する。右腕が一回り大きくなり硬質化。鋼の拳がリーを襲う。

「テメェ見てなかったのかよ?」

 リーの顔面十五センチ手前でタカオの拳が何かにぶつかる感触があった。

 風の防壁だ。そして次に来るのは――


「バーーーンッ!!!!!!」


 圧縮された竜巻が破れた防壁の膜から一気に解放される。カマイタチ。その言葉が一番近いだろう。もはや鋭利な刃と化した烈風がタカオ襲う。


「おいおいつまんねぇぞ!! たった一発でダウン……ッ!?」


 リーの言葉が詰まる。

 目の前には依然タカオがいた。

(何っ……!!)

 おかしい。烈風を浴び、血を撒き散らしながら宙を舞っているはずだ。自分の魔法に絶対の自信があったからこそ目の前の光景が信じられなかった。

(何でぶっ飛ばねぇ!?)


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


(しまっ……)

 タカオの拳が烈風を切り裂いた。


・4・


 ユウトとロシャードは生徒会室を目指していた。何故そこかというと、ロシャードが学園の監視カメラをハッキングして、おおよその位置を割り出したからだ。ついでにコピーした学園内のマップと照らし合わせると、その範囲の中心にあったのが生徒会室だった。

「あそこだ」

 階段を駆け上がり、奥に見える厳かな雰囲気の扉を開く。

 中は学園の一室にしてはやけに豪華で広々とした空間だった。


「ふん、来たか」


 神座凌駕は奥の椅子に腰かけこちらを見ていた。

「飛角!!」

 凌駕から少し離れた場所に鎖で手足を縛られ、血塗れた無残な姿で倒れている飛角を見つけた。ロシャードはすぐに彼女の元へ駆け寄る。

「これは……」

 周辺には煌く破片。彼女のルーンの腕輪は粉々に破壊されていた。

「腕輪が……」

 彼女の顔は真っ青になっていた。時折見せる苦しそうな表情が彼女に何が起こっているのかを物語っていた。

「初めから腕輪を破壊すれば済む話だったんだ。レポートを読んだがその女の臓器は腕輪の力で調和を保っている。腕輪さえ破壊すればあとは勝手に自滅する」

「……貴様」

 ロシャードは怒りで体を震わせる。

「安心しろ。次は貴様の番だ。粉々に砕いてあの世でそいつに会わせてやろう」

 凌駕の左手が光を灯す。

 だが、そこで凌駕の前に少年が立つ。

「ん?」

「……やらせないぞ」

 凌駕はその強い意志の瞳が気に食わなかった。

「性懲りもなくまた私と戦う気か? もう貴様に戦う術はないだろう?」

「俺は戦いに来たんじゃない。奪われたものを全部取り返しに来ただけだ」

 ユウトはそう返した。

「ほう」

 正直、魔法を奪った時点でユウトの心はとうに折れたと思っていた。この手の人間は力への執着が強い。それは凌駕が何度も見てきたことだった。しかし、目の前の男の瞳には確かな闘志がある。魔法を奪われてなお、まだ勝つ気でいる。実に腹立たしい。


「だけどお前が立ち塞がるっていうなら、俺は俺の全力でもってお前を倒す!!」


 ユウトは背中にかけていた木刀を取り出した。

(……魔力、装填ブースト)

 木刀に魔力を流し、強度を上げる。これで金属バット程度の強度は得たはずだ。今までの戦いで積み重ねた経験はユウトにここまでの力を与えていた。他者の力を借りるでもない。純粋な自分自身の力。

「ここに来た以上何か策があるとは考えていたが、どうやら期待外れだったようだ。まさかその木刀で私と戦う気か? たかが魔力操作程度で私を倒せると本気で思っているのか?」

 凌駕は失笑する。

 何も無策で来たわけじゃない。ユウトは答えた。

「お前の力はその手で触れたものをただ剥ぎ取るものだ。ならお前が俺から何かを奪う前に、防げばいい。武器を持っている俺のほうが一歩有利だぞ。その左手自体には攻撃力はないんだからな」

 木刀を持ってきたのは単に武器として使うだけではない。

 間合いの拡大。これこそが一番の目的だった。木刀の長さはおよそ一メートル。それだけの長さがあれば、相手に触れられることなく牽制できる。凌駕の腕の長さはせいぜい七十センチ前後。十分な距離を稼げるはずだ。学園に常備してある防犯用刺又のイメージに近い。

 そして当然必殺の一撃を喰らわせることもできる。

「フ、フフ……」

「……?」

 様子がおかしい。凌駕は顔を片手で覆う。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 突然凌駕が大笑いをした。

「何がおかしい?」

「本当におめでたいやつだな。ただ剥ぎ取る? 冗談はよせ。それだけが私の力だと本気で思っているのか?」

「何ッ!?」

 凌駕は左腕を前に出す。ルーンの腕輪ではない。その腕には赤い腕輪・タラニスリングが妖しく光を放つ。

「見せてやろう。これが本当の希望だ」


 ゴッ!!


 次の瞬間、ユウトの視界が文字通り反転した。 


・5・


 アリサは違和感に気付いた。

「っ!?」

 自分は神座奏音に銃口を向けているはずだ。

「フフ」


 


「……私に何をしたんですか?」

「ハハッ! 君、ここに来る途中でに触ったでしょ?」

「ッ!?」

 確かに触った。たまたま学園の外で見つけた生徒を。IDカードを盗むために。

(あの時か……)

「おかしいとは思わなかったの? あんなところに生徒がいるなんて。まぁあれはあなたたちが来ることがわかってたから偵察の役割を与えてただけなんだけどね。でもね、私の魔法は私の制御下にある人間を触るだけでも有効範囲に入るんだよ。まぁかかりが弱いからせいぜい動きを止めるくらいしかできないけどね」

 奏音はゆっくりと動けないアリサに近づき、彼女の胸元に軽くタッチする。


「でもこれで……あなたももう私のもの」

 

 奏音は満足げな悪意に満ちた笑みを見せる。

「さて。他の侵入者は……あと三人か。あなたにはその銃で仲間と戦ってもらおうかなぁ」

 奏音はアリサに背を向ける。学園内の彼女の支配下にある学生の意識から情報を集め、アリサの使い道について考える奏音。

「油断させて背後から撃つ……いやいや、せっかく可愛いんだし色仕掛けさせても面白いかも♪ 意識はちゃんと残してね。ねぇ、あなたはど――」


 ガンッ!!


 視界が真っ白になり、火花が散る。

「ガッ……!?」

 頭部に鈍い痛み。平衡感覚が一時的に狂う。

 アリサが彼女の持っていた銃の柄で奏音を後ろから殴打したのだ。

「な……んで……」

 少女の額から真っ赤な血がゆっくりと垂れ落ちる。

「えっ……え?」

 アリサの表情は予想に反して困惑一色だった。まるで体が勝手に動いたとでもいうように。

(彼女じゃない? でも私はそんな命令してない……)


「アンタさ、新しいおもちゃを見つけて私のこと忘れてんじゃない?」


「っ!? まさか……」

 奏音の洗脳は確かに強力だが、何らかの方法で自分の魔法を相手に直接触れさせなければならない。それは自分自身が相手に触る。もしくは自分の手駒でも構わない。

 だがミズキにそんな制約はない。彼女は人を操ることはできないが、感情に訴えかけて行動を促す術を持っていた。


 相違知覚アナザー・センスの応用。

 

 以前、分界リンボで魔獣・ヘルをコントロールした技だ。

 自身の感情を他者へ上書きし、誘導させる。

 洗脳とは少し違うが、彼女の敵意がアリサの脳に上書きされ、本能的に奏音を殴りたくさせたのだ。

 同じ精神系魔法所有者でも、いわゆる洗脳タイプと共感タイプの戦い。

 アリサはミズキを縛っている拘束具を撃つ。ミズキがそうさせる。弾丸が金具をへし曲げ火花を散らす。ミズキは壊れた金具を強引に引きちぎり拘束を解いた。

「痛ッ……当たってはないけど衝撃が……映画とかだと上手くいくのに。ごめんねアリサ。操るような真似して」

「い、いえ……」

 アリサは呆然としていた。

「ハハ……生意気だなぁ。でもそっちだって忘れてない? もうミズキンは私の支配下なんだよ!」

 奏音はミズキの体をまず抑えようとした。

 だが、アリサの銃口が奏音を向く方が早かった。

「ッ!? アリサちゃん、ミズキンを撃って! 足でも何でもいい。動けなくして!」

 奏音の腕輪が赤く輝く。赤く染まった瞳に睨まれアリサは自分の意志とは関係なく体が勝手に動く。その照準を今度はミズキに向ける。

「させるか!」

 ミズキも負けじと魔法を発動させる。奏音の洗脳の上から相違知覚をかけるように。

 いくら体の制御権を奪えても精神はまだ奪えていない。奏音がアリサの操作をやめ、ミズキの体を操ろうとすれば彼女を抑え込むことはできるだろう。だがそうしたら最後。アリサのコントロール権を向こうに奪われてしまう。それができるだけの十分な隙を作ってしまう。

「くっ……」

 一見すると二人の少女がただ睨み合っているようにしか見えない。そして二人の中心でアリサが銃をあっちへこっちへ向けているだけだ。

 アリサの体のコントロールをどちらが奪うかの勝負だった。

 まるで新品のぬいぐるみをを取り合う子供のような戦いが始まった。


・6・


 御影から連絡を受け、冬馬は彼女のアパートに来ていた。

「伊紗那。大丈夫か?」

 特に飾り気のない白を基調とした清潔感あふれる部屋だった。まるでオフィスのような印象を受ける。

 正面の椅子に伊紗那が座っていた。手元にはココアが置かれている。彼女は冬馬を見ると笑顔を作る。

「……うん。大丈夫」

 その表情が明らかに無理をしていることは見ればわかった。

「何があった?」

 伊紗那は少し躊躇いながらも言った。

「……神座くんと会ったの」

 その言葉だけで冬馬は理解した。恐れていた最悪の事態。吉野ユウトと神座凌駕の接触。二人のことをよく知っているからこそどういう結末になるかは容易に想像できる。

 伊紗那は魔法のことは言わなかった。それはたぶんユウトが望んでいないことだ。本人もいつか話すと言ってくれた。

「……Yes。ユウトさんは彼らと話を付けに行きました」

 一緒にいた御影が言った。

「……あのバカっ!」

 冬馬は御影の部屋を出ようとする。

「……待ちなさい」

 御影は冬馬を呼び止める。

「……あなたは彼女と一緒にいてください」

「でもそれじゃあ――」

「……もはや事態はあなたではどうしようもない所まで来ています」

「……」

 冬馬は押し黙る。御影がそう判断したのは魔法を持たない彼では凌駕たちに対抗できるはずもないからだ。それは火を見るよりも明らかだ。

「だがあいつの目的は俺たちのはずだ。あいつはずっと俺たちを勧誘し続けていた」

 せめてもの抵抗と言わんばかりの言葉。

「……なら尚更行くべきではありません」

 だが彼女は無情にも切り捨てる。

「ユウトさんが彼らの元へ行ったのはあなた方のためでもあるはずです。あなたはユウトさんの覚悟を無駄にするつもりですか?」

 奪われた魔法を取り返すことだけじゃない。それ以上にきっと彼なりの、この二人と一緒にいるためのけじめを付けたいのだと御影は考えている。


『本当はわかっているんだろう? 貴様は彼らの情けを受けているだけだと』


 凌駕があの時ユウトに対して放ったあの言葉はある意味真実なのかもしれない。それが間違いだと自分の手で証明したいのだろう。

 あの少年の中で、何においても大切な二人なのだから。

(……まったく、少し……いやかなり妬けますね)


「それは……なら鳶谷っちはどうするつもりなんだ?」

 冬馬は問う。二人の間で明らかに情報の差異がある。冬馬が知らない何か。彼女が何を知っているのかはわからない。だがこの場でわざわざ状況が悪化する嘘をつくような人間ではないことは知っている。

「……私は私のできることをやります」

「……任せていいんだな?」

 冬馬は最後の確認をする。御影はその言葉に黙って頷いた。

「……冷蔵庫の中身は勝手に使ってくれて構いません。私は研究所に向かいますので御用があれば端末に連絡をください。では」

 そう言って御影は部屋を出て行った。


 彼女も魔法を持たない人間だ。直接的に彼らを助けることはできない。だが間接的になら何かできるかもしれない。

 そしてその糸口はもう見当がついている。

(……件のFというサイト……少し調べてみる必要がありそうですね)

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