第11話 限界を超えて -Error-

・1・


「よし」


 アリサは洞窟内に仕込んだ爆弾を有線で爆破し、その様子を見ていた。

 思惑通り、天井の岩壁が崩れ、外から見ると地面がベコッと不自然に凹んだ様に見えた。

「これでヨルムンガンドの進行を止められる」


 アリサは反対側に見えるヨルムンガンドに視線を移す。


「……え?」

 思わず声が出た。

 巨魔の進軍は彼女の思惑通り止まっている。


 止まってはいるのだが――


「……ダメ」

 どこを向いている。

 そっちはダメだ。だってそっちには……。


 伝えなければ。早く彼に。

 アリサは喉が潰れるほど、あらん限りの声を振り絞って叫ぶ。


「逃げてぇぇぇぇっっ!!」


・2・


「何だ今の爆発は?」

「……アリサだ。やったみたいだな」

 タカオの声にユウトが答える。


 時間は稼いだ。

 彼女は言った通り、爆弾を起爆してくれた。


「みんな、早くここを動こう。途中にある廃墟ならどこかにゲートがあるはずだ」

「……おい」

 ガイの言葉で、みんなが止まった。

 ガイは恐る恐る指を指して言った。


「あのデカいの……?」


 その時初めて気付いた。

 周りが恐ろしく静かだということに。


 その直後、一条の光がユウトたちの遥か上空を飛んで行った。

「っっっっ!!」

 遅れてくる風圧と熱気。それらは大地を抉る。


「みんな! 無事か!?」

 各々タカオの声に応える。ガイはその場でミズキを庇うように膝をつき、御影と夜泉はユウトの傍で倒れている。擦りむいた程度で大した怪我はなさそうだ。

 御影の用意した戦術武装は関節があらぬ方向にねじ曲がって、木に引っかかっていた。

 ヨルムンガンドが放った光線はユウトたちに当たりはしなかったものの、数キロ背後に見える山の端を抉るようにかすめた。

「……外したのか?」

 ヨルムンガンドの口元からは光線を撃った余韻なのか煙が噴き出ているように見える。しかしよく見てみると、そうではなく、煙の発生源は顎だった。何か強い衝撃を受けたのか、その口角は微妙にズレていた。光線が当たらなかったのはそのせいだろう。

「また来るよ!!」

 ミズキが叫ぶ。ヨルムンガンドの魔力が体内で再び高まるのを感じたのだ。


「……」


 夜泉は災厄封じの能力でもうわかってしまっていた。

 次。あの極大の光線からは逃げられない。どう足掻いても、回避しようのないほどの危機。

(残念。ここまでね……)

 彼女の心にあるのは諦念。百パーセントだとわかってしまうからこその諦めだ。

 そこに例外きせきが入り込む余地なんてない。

 彼女はそれを何度も体験している。今回だってきっとそうだ。


 できれば探し物を――見たかったものをこの目で確認したかった。

(……結局、どんなに抗っても結果は変わらないのかしら)


 ヨルムンガンドのブレスが吐き出される。

 光が全てを包み込む。


『Defender Overdrive!!』


「えっ……」

 光輪を召喚したユウトは、ありったけの魔力を注いで光輪の範囲を拡大させる。

「あああああああああああああああああああああああ!!」

 巨大な魔法の盾。

 ヨルムンガンドの破壊の一撃を受け止めている。


「……何を、しているの?」

 予想もしていなかった。理解できない。

 避けられない死を前にどうしてそこまで必死に抵抗できるのか。

 そんな満身創痍の体でどうして立てるのか。

 どうして心が折れない? 

 どうして――


「……わからないの?」

「え……」

 御影は夜泉の隣でそう言った。得意げに、けどどこか悲しそうに。


 百パーセントの確率を覆すことはできない。

 

 だけど。


 少年のその行動イレギュラーが。


 百パーセントを九十九パーセントにしたとしたら。


 彼女はその答えを知っている。

 今度は、あの時とは逆に御影が夜泉に挑戦的な笑みを浮かべる。

「そんなの――」


 もしそうだとしたら。

 

 きっと未来は変わる。


・3・


「あああああああああああああああ!!」

 叫ばずにはいられなかった。

 結界の魔法でヨルムンガンドの一撃を受け止る。山さえも軽く消し飛ぶ威力だ。それがどれだけ体に負荷がかかる事かは想像に難くない。

 全身のあらゆる部分が悲鳴を上げている。徐々に、ユウトの足が後ろへ押し出される。肩の傷口からは血が止めどなく吹きだし、指先の感覚が鈍くなっていた。

(クソッ! どれだけ続く? あとどれだけ耐えればいい?)

 ブレスが吐き出されて三十秒は経過したか。ついには左手の籠手さえも何か嫌な音がし始めた。

 このままではこっちが先に折れる。

(やってみるか……)

 まだ希望はある。

 ユウトは一縷の望みをかけ、最後の可能性を――メモリーを取り出す。


 これはさっき作ったガイのメモリーだ。


 仮面の魔法使いは二つ同時にメモリーを使ってみせた。あいつの魔法が本当に理想写しだとするならば――

 

 きっとできるはずだ。


「おおおおおおおおおおおおお!!」


 ユウトは新たにガイのメモリーを差し込む。半ば突き刺すように。強引に。


『Error』


「あがぁぁぁぁぁ!!」

 絶叫にも似た声が上がる。燃えるような痛みが全身に駆け巡る。だが盾だけは消さない。死に物狂いでユウトは意識を保つ。

「ユウト君! もうやめて! これ以上はあなたの体が!」

 後ろで夜泉が叫ぶ。

(まだっ……だ!!)

 ここで諦めたらみんな死んでしまう。

 そんなことはさせない。許さない。

 どんなに辛くても、どんなに痛くても。


 みんなが死ぬよりマシだ。それは間違いないことなんだ。


 だから前にかざした手はまだ下げない。どんなに無理でも逆転できる可能性がわずかでもあるならやめていい理由にはならない。

(あいつはできたんだ! 俺だってやってやるさ!)

 再びメモリーを差し込んでいく。


『Error』


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 痛みに対して麻痺しているはずの体にもわかるほどの激痛。

 吐き出されるメモリーをユウトは強引に押し戻す。


『Error』


 もう一度。


『Error』


 まだ。


『Error』


 まだだ!!


『ErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorErrorError』


「いっけええええええええええええええ!!」

 最後の力を振り絞ってメモリーを差し込む。


『Heat』


 炎の拳銃がユウトの右手に収まる。


 今、ユウトの中で二つの魔力が入り乱れている。

 綱渡りのような完璧なバランス。どちらが強すぎてもダメなのだ。


 ユウトは無言で光輪の中心にめがけて最大火力をぶち込んだ。


『Heat Overdrive!!』


 さながらジェットエンジンのように、後ろから強烈な押される力を得た光輪は、徐々にヨルムンガンドのブレスを押し返す。


 そして。


 ついに。


 爆発。ヨルムンガンドの顔面を粉砕した。


 ブレスを押し戻されたヨルムンガンドは、眼前の爆発を受け、その巨躯を傾ける。極大の光は空を突き刺し、空間さえも歪めた。


 天に穴を穿つようにゲートが開く。


 そしてついには仰向けに倒れてしまった。


「……やったのか?」

 タカオはそう言った。

「いや、まだだよ。でもしばらくは動けないと思う」

 なら今のうちに逃げないと。

「……お疲れ様でした」

 御影はユウトの肩を支えようとする。

「あぁ……みんな、怪我は――」


 ゴフッ……!?


 吐き気が襲う。胃の底からドロドロとしたものが逆流してくる。すぐに手で口元を塞ぐが、指の間から流れ出る。抑えきれない。


 血。


 体が自分の物ではないような急激に襲ってくる脱力感。

 

 全身から力が抜け、ユウトの体はその場で崩れ落ちた。

 代償はあまりにも大きかった。


「ユウトさん!!」


 声が。消えゆく意識の中、御影の必死な声が聞こえた。彼女がこんなに叫ぶ姿を今まで見たことがない。

 それ以上は覚えていない。ユウトの意識はそこで完全に途切れた。


・4・


 目が覚めたらそこは病室だった。

 しばらく自分に起こった事態を思い出そうと頭をひねったが無意味だった。


 ここはレヴィルも運び込まれた病院で、病院の先生が診察に来たときは、


「この前までは君がお見舞いに来ていたのに、今度は君が僕の患者か。よっぽどここの病院のベッドが恋しいと見える」


 と言われてしまった。


 あの後ミズキがお見舞いに来て、いろいろ教えてくれた。

 ヨルムンガンドは結局倒せなかったこと。

 最後に天を穿った光線が、ゲートを通ってイースト・フロート上空を飛んでいた無人衛星を打ち落としてしまったこと。ニュースでも見たが、これに関しては他国からの攻撃だとか、デブリが当たっただとか様々な憶測が飛び交っていた。

 そしてあの日を境に、逆神夜泉が姿を消したこと。刹那の話だと、どこか別の学園に移るとかで学園にももういないらしい。


「結局、何一つしてやれなかったな……」

「あら、そうでもないわよ?」

「っ!?」


 聞き覚えのある声。いつの間にか覚えてしまったその透き通った声の主は、月夜の光に照らされながら、ユウトを見つめていた。


「……逆神」

「ごきげんよう」


「……もう面会時間終わってるんだけど」


「むぅ……」

「痛い……」

 夜泉はユウトの頬を引っ張った。

「まったく……雰囲気が台無しじゃない」

 夜泉は両手を抱えてプンスカ怒っている。


「なぁ、さっきのそうでもないってどういう意味なんだ?」

「言葉の通りよ。私が見たかったものは……いえ、あってほしいと願ったものは確かにこの目で見た。だからもう……満足よ」

「……そっか」

「あら、何を見つけたのか聞かないのね?」

「聞いてほしいのか?」

 ユウトはあの時廃屋で見つけた一枚の写真を思い出す。あれは写真立なんかじゃなかった。

 カルテだ。

 文字はほとんどかすれていたし、読む暇もなかったが、カルテには夜泉の写真が写っていた。

 それがどういう意味を持つのか。

 別に教えてくれなくてもいい。

 彼女が満足しているのであればそれでよかった。


「ふふ。あなたのそういうところ、私は大好きよ」


 夜泉はユウトに静かにすり寄り、そして抱きついた。

「お、おい。だから冗談は……」

「冗談じゃない……って言ったらあなたは受け入れてくれるのかしら?」

 夜泉の銀色の髪が月光に照らされ、その瞳はこっちを見つめてくる。

「それは……」

 その顔を見て、おかしくなったのか夜泉はクスクス笑う。

「冗談よ。まだ全然治ってないんでしょう? だから私の魔力をあなたにあげる。このまま寝ていいわよ」

 夜泉は小さく、しかし透き通った声で歌を歌い始める。

「これ、なんて歌なんだ? すごく……いい気分だ」

「これは生者をいざな死者の歌レクイエム

「えっ……俺、もしかしてこれから死ぬの?」

 夜泉の手がユウトの髪を優しくなでる。冷たい指先が額を掠める。うん。確実にいざなわれている。

「ふふ。どうかしら? あなたはそれだけの無茶をしたでしょう?」

「はは……。次からは気を付けるよ」


 体が楽になる。眠気が襲う。

 緩やかに。

 歌という麻酔をかけられ、子守歌と共にユウトは夜泉の腕の中で眠りに落ちた。


・5・


 病院から出て、夜泉は誰もいない裏路地へと足を運ぶ。

 まだ日が昇るには時間がある。月明りが夜道を照らす。まるで夜泉の向かう先を指しめしてくれているようだ。

 とは言っても、こんな時間にこんな場所に来るのは彼女くらいのものだ。


 いや――もう一人いる。


「こんばんは。仮面の魔法使いさん」

「……」

 そこには相変わらず無口な理想の写し手が佇んでいた。


「……もういいのか? 夜泉」


 そしてもう一人。

 壁の隅に背を預けた男が夜泉に問う。彼とは先日神社で会っている。

「あら、桐島きりしまくん」

「……」

「えぇ……探していたものは、見つけたから……」


 あの時、御影が言った言葉を思い出す。


『そんなの――わかる訳ないじゃない』


「……ふふ」

 わかる訳ない……か。それもそうだ。彼女の気持ちが少しだけ理解できた。


 わからないから、知りたくなる。

 わからないから、触れたくなる。

 わからないから、愛おしい。


 そう。最初から理屈は破綻していた。

 まさかあんな頭カチカチ科学者に愛を説かれる日がこようとは。


「どうしてやつをわざわざ分界リンボに招き入れた?」

 桐島と呼ばれた男は夜泉に問うた。

 分界が危険な場所だとわかっているからこそ、今回仮面の魔法使いは単独でユウトたちの前に立ち塞がったのだ。

 彼らを分界から追い出すために。

「そうね……余計な邪魔が入らないから……とか、未練とかまぁいろいろあるけれど、半分は私の悪戯心かしらね。だってぬるい試練を与えたって意味がないじゃない? 私が彼の敵になったって五秒で手籠めにされちゃうのがオチだもの」

 クスクスと夜泉は本当に楽しそうに笑う。

「ずっと心配していたの……あんな終わり方になってしまったから。私たちでは乗り越えることができなかった災厄に、彼が立ち向かえるのかどうか……私は彼の本質が知りたかった。そして彼は見事にそれを見せてくれた。さすがにヨルムンガンドが出てきたのは予想外だったけれど、その困難さえも仲間と共に乗り越えてみせた」


 ただ、吉野ユウトの今が知りたかった。


 吉野ユウトかれが、その魂がこの世界でも生き続けているということを。何一つ変わっていないことを、この目で確認したかった。


 探していたのはかつての情景。焦がれたのは変わらない彼の真っすぐな瞳。


「……もう心残りはないわ」


 ピキッ。何か亀裂が入る音がした。それは決定的な何か。

「……っ!?」

 仮面の魔法使いは夜泉を気遣う素振りを見せるが、彼女はそれを制止する。

 夜泉は自分の体に起こっている変化を理解していた。


「あら……もう体を満足に動かす魔力もないみたいね」


 残り少ない魔力はもう彼のために使った。はじめから理解していた。魔力で動くこの体は、もう長くは持たないということを。夜泉はこれ以上ない最善の選択をしたと思っている。

「魔力なら俺が――」

「やめて!!」

 桐島の言葉を夜泉は強く拒絶した。

 正直、これからも自分があそこに……彼の隣に立っていれないことはとても口惜しい。けれど、

「それは……意味のない行為よ」

 だって。


 


 彼女はルーンの腕輪の力で強制的に死から引きずり上げられたただの人形。

 その体は生者とは違い魔力を作り出せない。

 死ぬことも、生きることもできない体。

 その魂は永遠に腕輪に囚われ続ける。

 もう死すら、彼女を救うことができない。


 そもそも今この瞬間喋っているのが自分かどうかも怪しい。もしかすると、逆神夜泉の魂はもうすでにそこにはなく、ここにいるのはその抜け殻かもしれない。


 でも、そんな永劫の闇の中でも。


 一つだけ信用できるものがある。一点の光がある。


 愛情だ。


 この愛だけは彼女に正しい道のりを指し示す。それだけで十分だ。


 とは言っても、もうその道も終点。


 御影の協力を得て、研究所から逃げ出してきた身だ。このまま捕まって、この死なない体が薬漬けにされるのも今となってはまぁいいかと思っている。


 すでに答えは得た。



 仮面の魔法使いは懐から静かにメモリーを取り出した。


『Cain』

 

 大剣をゆっくりと振り上げる。

 改めて見るその剣が、夜泉にはひどく美しく見えた。

 夜泉はゆっくりと、本当にゆっくりと仮面の魔法使いに向かって手を伸ばし、壊れたブリキの人形のように歩く。

「大丈夫よ……きっと大丈夫。彼には大切な人がたくさんいた……人と人との繋がりが……きっと、彼を強くする」

 夜泉は仮面の魔法使いの前に立つ。そこまで来てようやく魔法使いの大剣を持つ手が震えていることに気付いた。


「その剣なら私を解放できるんでしょう?」


 この剣には命を奪う力はない。

 天赦てんしゃつるぎ

 その名の下に、全ての罪は許される。

 斬った対象の罪を消し去り、あるべき姿に戻す力。


「……ごめんなさいね。あなたにばかり辛い仕事を押し付けて」

 夜泉は仮面の魔法使いの左手にある、理想写しの籠手に愛おしそうに触れる。


「……大丈夫。あなたならできる」


 そして。


 声にならない叫びの後に残ったのものは。


 ただ、銀色の腕輪が落ちる虚しい音だけだった。

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