一本の矢
二百で、二万五千の軍勢に敵うはずがない。
叩き潰されずにすんでいるのは、デリフィスが率いる傭兵団を、敵が甘く見ているからだろう。
視界の隅で目障りに駆け回っているだけの存在でしかなく、警戒の中心にあるのは防壁に拠るミムスローパ守備隊と、居もしない山の伏兵である。
傭兵団を潰そうと陣形を崩せば、防壁や山から横腹を衝かれることになると考えている。
傭兵団に対しては、申し訳程度に軍を動かすだけだった。
だから、ここまで押し潰されずに持っている。
たいした成果は上げていない。
敵中を、ただ必死に逃げ回っているだけのようなものである。
少なくとも、敵の指揮官の眼にはそう映っているだろう。
ノクセという者が、ミムスローパ守備隊の四百を率いて傭兵団に協力を申し出てきた。
国境に送られるような精兵とは違うが、曲がりなりにもドニック王国正規軍である。
反乱軍へ与えられる圧力は、五倍になったと言っていいだろう。
それでも、二万五千を揺るがすほどのものではない。
何時間戦い続けてきたのか。
北国ドニックでは、日が沈むのが早い。
あと一、二時間もすれば、空は夕闇に染まり始めるだろう。
相手をしているのは、主に反乱軍の前衛だった。
敵の本陣は、ずっと先にある。
目測だが、歩数で八百ほどは離れているか。
そこまでに、何千という敵が溢れている。
三千ほどだった本陣は、二千ほどになっていた。
一千は、傭兵団に当てるために本陣から離したのか。
目障りな連中を潰す気になってきたのだろうか。
馬を失ったのか、ハンクが己の足で駆けていた。
敵の騎兵を払い落とし、馬だけをハンクに渡した。
「悪ぃ!」
吐く息は荒く、鞴のようである。
限界を超えている。
傭兵たちは、特にだ。
剣を振って合図を出し、騎馬隊を一つにした。
敵の本陣。八百歩。何千もの敵。
一気に迫ることなど不可能だった。
逃げ回りながら、デリフィスは敵の前衛の背後、本陣の前を剣で指した。
「これより、全軍で敵中を突破し、敵の前衛と本陣の間に陣を敷く」
「……」
ハンクが絶句する。
敵の真っ只中に橋頭堡を築くようなものだ。
全方位からの攻撃に曝されることになる。
「……勝てるのか?」
「わからん。だが勝つ」
「……へっ」
不敵にハンクが笑う。
ここで逃げ出すような腰抜けならば、最初からデリフィスの話に乗りはしない。
傭兵たちは、全員がそうだろう。
負ければ、死。
ミムスローパを守れば、栄誉が待っている。
伝令を、歩兵隊とノクセが指揮するミムスローパ守備隊に出した。
先頭で、デリフィスは馬を駆った。
すぐ背後には、ハンクがついている。
矢。剣を遣い払い落とす。
敵がくる。
デリフィスが剣を振ると、頭上を越えていった。
駆ける。前衛を突き破った。
前衛と本陣の間で、手綱を引く。
ハンクはついてきていた。
騎馬の傭兵たちも、ノクセが率いるミムスローパ守備隊も。
歩兵たちは、やや遅れていた。
敵が迫る。
前からも、後ろからも、左右からも。
牽制のため、前面に騎馬を並べた。
指揮はハンクである。
ノクセの部隊には、後方に陣を組ませ、歩兵隊を収容させた。
集まった歩兵たちには、堅陣を組ませる。
ノクセの部隊を三つに分け、左右にも回した。
デリフィスと歩兵隊を、騎馬隊とノクセの部隊で囲んだ陣となる。
敵の本陣。見える。
あと三百歩か、三百五十歩か、四百歩か。
煌びやかな鎧に身をつつんでいる。敵の指揮官。大軍に守られている。
ハンクを呼んだ。
腰の弓を奪う。
かなりの剛弓である。
矢は、一本だけ残っていた。
「俺を守れ」
それだけ言って、デリフィスは敵の指揮官を見据えた。
弓を引く。
陣に衝撃が走った。
左右の陣と敵の先頭が、接触したのだ。
後方。反転した敵の前衛がぶつかってくる。
ハンクとノクセが巧みに兵を動かし、凌いでいた。
それでも、もって数十秒だろう。
敵の指揮官だけを見つめる。
矢。当たるはずがない。
いや、当たる。
デリフィス・デュラムだ。
呟く。
戦うことしかできない。
戦場で、できないことなどない。
敵の指揮官。他の者は見えない。
矢を、放っていた。
自覚したのは、半瞬後だった。
敵の指揮官に、命中するはずだった。
偶然だろう。
指揮官に馬を寄せた兵に、矢は当たった。
外れた。
だが、届いた。
当たるところだった。
敵の本陣に、さざ波が起きた。
揺れる。
敵全体が、動揺した。
たった六百に、二万五千の軍を率いる大将が討ち取られる寸前になったのだ。
勝機。
デリフィスは、弓を捨て剣を天に突き付けた。
腹から、声を上げる。
「続け!」
剣を振り下ろす。
駆ける。
ハンクが続く。騎馬隊が、ミムスローパ守備隊が、歩兵隊が。
左右と背後から攻め立てられていたが、前衛を突破していた分、前は空いていた。
敵の本陣。二千の敵。
敵へ迫った。
背後からは、敵に迫られている。
だが、圧力が弱まった。
ミムスローパの防壁の門が開いている。
新たに出撃する、一千ほどのミムスローパ守備隊。
一本の矢は、敵軍だけでなく防壁まで揺り動かした。
もう、後ろは振り返るな。
前だけを見ろ。
先頭で駆けた。
誰も、デリフィスについていけない。
束の間、デリフィスは単騎だった。
単騎で、二千の敵の中に飛び込む。
遅れて、ハンクが馬を乗り入れる。
騎馬隊が、ノクセが率いるミムスローパ守備隊が、歩兵隊が続く。
背後から圧力。
敵から追撃されている。
だが、更にその背後を出撃したばかりのミムスローパ守備隊に衝かれている。
追いながら追われる形となり、背後の敵が混乱しているのが伝わる。
敵の指揮官。見える。
殺し尽くせ。
叫んだ。
邪魔する者を、斬り払っていく。
六百で固まり、指揮官へ迫った。
弱兵ばかりの反乱軍の中でも、本陣だけはまともに戦える者を集めていた。
だが、一本の矢で揺れている。
敵の指揮官に、届く。
待っていろ。
しかし、敵の指揮官は背中を向けていた。
腰抜けめ。
六百の突撃に、二万五千の指揮官が逃げ出した。
山が動くかの如く、二万五千が退いていく。
六百とミムスローパから出撃したばかりの一千で、二万五千をとにかく押しまくった。
二キロほど後退させたが、敵の指揮官は討てなかった。
すぐ逃げ出す腰抜けでなければ、首を取ることができていた。
デリフィスは追撃をやめさせ、ミムスローパの街の防壁まで全軍を退却させた。
加わったばかりの一千はともかく、六百は限界だった。
特に傭兵たちには、駆けながら倒れる者も出てきている。
デリフィスも、満身創痍だった。
反乱軍も、動けない。
懸命に態勢を立て直しているところだろう。
ノクセを通じて、一千を率いた部将たちが挨拶にきた。
傭兵たちの戦い振りを、ずっと見ていたのだ。
六百の周囲を、一千で囲ませた。
戦い続けた六百は、敬意を表されなければならない。
二万五千が、崩れたのだ。
立て直し再び進軍するには、早くても一日は掛かる。
デリフィスたちも、疲れきっていた。
ざわめきが起きた。
まさか、新手だというのか。
西の地平に、一万ほどの軍影が見えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
城への潜入は、容易かった。
方々で混乱が起きているのだ。
魔法も炸裂している。
ドラウが光を屈折させ姿を隠す魔法を使用しても、誰も気付かない。
壁に凭れながら、城の内部を進む。
歯を舐めて唾液を出し、それを呑み込んだ。
胸の息苦しさが、少しましになる気がするのだ。
グリア・モートと正面から戦う力は、残っていない。
彼ほどに魔法を熟知した者なら、微弱な魔力の波動も感知するだろう。
姿を隠し接近することもできない。
遠距離からの狙撃。
ドラウが考えているのは、それだった。
ただ遠距離から魔法を放っても、グリア・モートに通用するはずがない。
ユファレートとその仲間たち。
最初にグリア・モートと接触するのは、誰になるか。
彼らだけではおそらく、グリア・モートとその部下たちに勝てない。
人数が違い過ぎる。
それでも、注意を引くことはできる。
グリア・モートから、遠距離狙撃に対応するだけの余力を奪ってくれれば。
『君には本当に感心するよ』
エスの声。
(……諦める訳には、いかないだろう?)
どんな状態だろうと、この国を諦める気にはならない。
戦うことをやめたら、終わってしまう。
『いや、そうではない、ドラウ・パーター。間もなく、ハウザードとルインが接触する』
(ハウザードが……)
『彼の目的が、読めたよ。そして、君の目的も。ようやく合点がいった。君がなぜ、師のように、家族のように彼と接していたのか。彼に、なにを仕込んでいたのか』
(……)
答える気にはならなかった。
(師の、ように……?)
違う。
(家族の、ように……?)
違う。
(仕込んだ……?)
違う。そんなことではない。
ハウザードという少年が、孤独だった。
少年の孤独を、消し去ってやりたいと思った。
ドラウにも、同じような時期があったのだから。
魔法を暴発させ、両親を殺め、孤児院に引き取られ。
みなから恐れられ、孤独だった。
似た境遇のストラームがいて、二人になっても、やはり孤独だった。
二人で、一つの孤独を共有していただけだ。
だが、あの人がいた。
ドラウとストラームを引き取り、親として守り、師として導いてくれた。
ドラウとストラームは、孤独ではなくなった。
支えてもらった。
あの人のように、ハウザードという少年から孤独を消し去りたかった。
そこに、打算などない。
師のように、ではない。
家族のように、ではない。
師であり、家族である。
それは、今でも変わることのないことだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドラウの屋敷を出て、庭と繋がる林をハウザードは歩いた。
除雪装置がミムスローパの街にはあるが、恩恵は道でしか受けられない。
まだ少年であるハウザードには、雪が積もる林の中を歩くのは一苦労だった。
夕暮れの林の奥で、なにかが動いた。
逃げていく。
宛てがわれた部屋にいた時に、ふと窓から林を見ると、人影が見えたのだ。
それで、なんとなく林に入った。
逃げていったのは、誰だろう。
追う気にはならなかった。
用があるなら、また来るだろう。
『コミュニティ』の者だろうか。
あの組織は、ハウザードがおかしな気を起こさないか心配しているはずだ。
クロイツの部下かもしれない。
クロイツならば、遠くにいるハウザードを見ることができるだろうが、それでも人を送ったりしそうだ。
ストラーム・レイルの仲間である可能性もある。
あの英雄と呼ばれる人は、きっとハウザードのことを壊したくて仕方ないはずだ。
「寒い……」
ハウザードは呟いた。
寒いのは、苦手だった。
体が震える。
すると、なぜか無性に怖くなる。
一人ぼっちであるかのような気分になるのだ。
不意に、肩を叩かれた。
振り返ると、ドラウがいた。
外出したハウザードに気付き、追ってきたのだろう。
言葉は無く、安堵の見え隠れする表情でドラウは頷いた。
ドラウの痩せた、だが大きく暖かい手に引かれ、屋敷へと戻る。
玄関口では、ユファレートがそわそわと歩き回っていた。
ハウザードとドラウの二人がいなくなったことで、不安に駆られたのかもしれない。
別に、ちょっと外に出ただけだった。
散歩ほどの時間も経過していない。
それでも、心配したのだろうか。
今度はユファレートに引っ張られ、居間に連れていかれた。
ドラウが雇う給仕たちが、食事の準備を始めている。
いつもの席に座らされる。
まだ、夕食まで時間があるのに。
ハウザードの席。
冷え性であるハウザードのための、一番日当たりの良い席。
もう暗いから、余り意味はないけど。
でもその席は、なぜか暖かく感じられた。
雪で少し濡れた頭を、ユファレートがタオルで拭いてくれる。
なんだか恥ずかしくなり自分ですると言ったが、ユファレートは許してくれなかった。
にこにこしている。
ハウザードも、穏やかな気分になっていた。
見える所にドラウとユファレートがいる。
それが、ハウザードの気持ちを満たしてくれる。
ずっと三人でいられることはない。
いつか、『コミュニティ』へ戻らなければならない時がくる。
だけど。
願わくは、今この時間が。
少しでも、少しでも長く。
◇◆◇◆◇◆◇◆
眼を開く。
腐った大地が、どこまでも続いているかのようだった。
充満する瘴気。
元々は、破壊の魔力である。
これが、あらゆる魔法を阻害する。
よって、この地への転移などは難しい。
例え、クロイツのような魔法使いであってもだ。
遠方から覗き見ることもできないだろう。
この地の影響を最小限に抑えることができるとしたら、瘴気で磨かれた『器』を持つ者か、あるいは。
ハウザードは、眼を細めた。
歪む大気の向こう、小さな人影。
(あるいは、瘴気に非常に近い存在か……)
破壊の魔力を充満させた、張本人。
遠く、小さな人影が消えた。
ハウザードのすぐ近くへと転移する。
長い前髪の少年。
「……ルイン」
知ってはいる。
口を利くのは、初めてとなるはずだ。
「ハウザード。よくぞ……」
ルインが、喜色を浮かべる。
「よくぞ完成させた。私のために……」
「……」
寄ってくる。
手を、上げた。
「もらうぞ、その『器』」
胸に触れられた。
と、その手が沈み込む。
ハウザードの中に、入ってきているのだ。
悍ましい。
だが、快感に近いものもある。
ハウザードの中で、ルインが拡がる。
奪おうとしている、この『器』を。
ハウザードという存在は、失われる。
充満する瘴気。
クロイツでも、見えないはずだ。
今、ここで起きている出来事は。
(クロイツ、にも、見られていない……)
消えていく。
自分自身が。
それでも、ハウザードはルインの腕を掴んだ。
ハウザードと繋がっている、その腕を。
「捕まえた……」
「……ハウザード……?」
「今、私とお前は一つだ。この状態なら、絶対に外さない……」
この瞬間のために、ドラウから力を受け継いだ。
『器』に成れるほどの、ハウザードという者の素質。
ドラウ・パーターの教え。
鍛え続けた、強靭な魔力。
『ルインクロード』さえも、破壊してみせる。
そして、未来を残す。
ドラウとユファレート、二人の未来を。
「……そうか。やはり裏切るか、ハウザード」
「……いつまでこの世界に居座るつもりだ。もう充分生きただろう? 消えろ。旧人類が残した災厄め」
引き出していく。全ての魔力を。
零距離から、破壊の力を叩き込む。
ルインの体が、蒼い炎に包まれた。
一つになっている、ハウザードの体も。
「……そうか。共に滅びるつもりか、ハウザード」
「……どうかな? 私は『ルインクロードの器』だ。耐えきれるかもしれないな」
全身に亀裂が入っているかのような激痛が、ハウザードを襲う。
「……滅ぶ? 滅びるのか、私が? お前が、私を滅ぼすというのか、ハウザード?」
「ああ、滅びろ、ルイン。……いや、お前はルーアと呼ぶべきなのか……?」
ルーアという少年については、調べた。
興味があったのだ。
ハウザードとマリアベルの存在がなければ、あの少年が『器』となっていたのだから。
似ている、と思った。
ハウザードには、ドラウとユファレートがいた。
同じようにあの少年には、ザイアムとティアという少女がいた。
だからあの少年の気持ちは、よくわかる。
自分の存在を犠牲にしてまで、ティアという少女を救った。
よくわかる。
空っぽでしかない者の、家族となってくれたのだから。
二人のためならば、自分の存在と引き替えにしても、『ルインクロード』は破壊してみせる。
ルインが、笑っている。
蒼い炎に包まれ、存在を弱めながらも、笑っている。
もっと、出力を上げろ。
滅ぼせ。
オーバ・レセンブラとして、ハウザードとして、世界的犯罪者となった。
もう、二人の元へは戻れない。
それでも、二人は居場所を残してくれている。
二人の未来のために、壊せ。
ルインが、力を注ぎ込んでくる。
瘴気のような、意味を消失させるような、そんな破壊の力。
ハウザードという中身を、消しに掛かっている。
先に滅びるのは、『器』か『中身』か。
(私は、覚えている……)
二人から掛けられた、一つ一つの言葉を。
些細な出来事も。
この程度で消えてしまうような、柔な思い出ではない。
意識を蹂躙されながらも、ハウザードは叫んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
騒ぎのどさくさに紛れて城へ侵入したルーアとティアを待っていたのは、エスだった。
その案内で、グリア・モートの元へと向かう。
外では、日が傾いていた。
遠くの喚声と廊下に響くルーアたちの足音が、不協和音を奏でる。
「……なんかさ、誰にも会わないね」
逆にそれが不安なのだろう、ティアは表情を曇らせている。
「人と会わない道を選んでいる」
また怪しい能力を発揮しているのか、エスが言った。
白い背中に、ルーアは半眼を向けた。
「ほんと、なんでもありだよな、あんたって……」
「そうでもない。現在私は、ほとんどの力を封じられている状態だからな」
「……封じられて?」
「クロイツにより」
(……クロイツ)
微かな電流が体を通ったような気がした。
少しだけ記憶している、その存在。
問題は、顔を合わせた場所と時間だった。
ミジュアの第九地区、街が壊れた日。
聞き覚えがない名前なのか、ティアは走りながら器用に小首を傾げている。
「思うように、能力を使用できない。複数の能力を併用することも難しい。殺害される寸前のピサロスを、グリア・モートの元から逃亡させたが、そのために使用していた能力も解除した」
「それって……」
「やがてピサロスは捕らえられ、グリア・モートの前に引きずり出される」
「なあ。俺たちに構うよりも……」
「立ち止まるな」
エスの声が鋭くなる。
「計算した。いくら私が支援しようとも、遅かれ早かれピサロスは捕らえられる。君たちを一刻も早くグリア・モートの元へ連れていくことが、ピサロスのためになる」
「……他の連中は?」
「最も先行しているのは、ユファレート・パーターだ。彼女がピサロスを助けることを、私は期待している。だが、グリア・モートにはおそらく勝てまい」
「……」
「六十年以上修練を積んできたグリア・モートにも、魔法使いとして劣っていない。だが、相性が悪い」
「『悪魔憑き』、だったな……」
グリア・モートは『悪魔憑き』。
その情報は、ドラウから得た。
生身の人間とは、耐久力に違いがあり過ぎる。
「そしてなにより、ユファレート・パーターは連戦となる。対してグリア・モートは、万全の状態で迎え撃つことができる。ヨーゼフやジャミンといった者たちも、合流する。ユファレート・パーターだけでは勝てない」
「ユファ……」
ティアが呟いている。
「あとの奴らは?」
「テラント・エセンツとシーパル・ヨゥロは、戦闘不能となった」
「……なんだと……?」
前を行くエスが、軽く振り返る。
立ち止まるな、と言いたいのだろう。
「死亡した訳ではない」
「ドラウの爺さんは?」
「……彼は、遅れる」
『期待はするな。ドラウ・パーターに、戦う力は残っていない』
その台詞は肉声とは異なり、直接脳で響いた。
ティアを横目で見てみるが、聞こえてはいないようだ。
ドラウの病気のことは、孫であるユファレートも知らない。
ティアに聞かせないようにしたのは、エスなりの気遣いかもしれない。
「だから私は、君たちの案内を優先している」
ユファレートの後に続けるのは、ルーアとティアしかいないということだろう。
「できれば、戦闘前にユファレートと合流したいけどな」
「無理だ。ちょうどここからだが、わかるかね?」
「……?」
変な感じがした。
荒波に揺れる船の甲板にいるかのように、足下が安定しない。
視界も歪んでいた。
息苦しく、手足が痺れる。
「……なんだ?」
「グリア・モートの、オリジナルの魔法だよ。人体の感覚を狂わす類いのね。玉座の間の周囲一帯で発動されているようだ」
「……そんな魔法があるのか」
「彼もまた、一角の魔法使いということだ。ドラウ・パーターは、長年に渡りドニック王国の各地に魔法陣を仕込んできたが、グリア・モートもまた、決戦に備えあらゆる魔法を発動させる準備を進めていた」
「これは、グリアの所に辿り着くのも難しいな……」
ともすれば、自分がどこを向いているのかも、わからなくなりそうだった。
直線の廊下を歩くだけで、道に迷ってしまいそうである。
魔法の構成がいまいち理解できないため、解除することもできない。
「逆に、遠ざかることも困難だ。だから、ピサロスを城外へ逃がすこともできなかった」
「なるほどね……」
ピサロスを助けに行けないということは、殺しに行けないということでもある。
悪逆の王ピサロスを殺害するという手柄を、暴徒たちに横取りされることもなくなる。
「この魔法は、なんとか私が解析しよう。そして、君たちをグリア・モートの元まで連れていく。だが……」
「……そうか、ユファレートなら」
「そう。それが、ユファレート・パーターに追い付けない理由。彼女の魔法を解析する力は、魔法を使えない私よりも遥かに上だ」
ユファレートならば、すぐにこの魔法を理解する。
そして、正しい道を見付ける。
魔法の発生源、つまりグリア・モートの居場所まで探知できるだろう。
そうなれば、一直線に向かえる。
「……ねえ。ユファに待ってもらう訳には……」
「それでは、ピサロスが殺されてしまうな、ティア・オースター」
「あう……」
視界が歪み気持ち悪いのか、ティアは顔をしかめていた。
一層表情が険しくなる。
ユファレートが心配なのだろう。
(自分のことをもっと心配しろって思うけどな……)
夜も、ユファレートを迎えに行くため独りで引き返したりした。
城から、そして最も危険な存在であるグリア・モートから遠ざかる行為でもあるため敢えて止めなかったが、やはり危険は危険だろう。
側にいても、見えない所にいても、周囲の者を心配させる女である。
「解析が済んだ。付いてきたまえ」
「ああ」
「君は嫌かもしれないが、私の肩でも掴んでいた方がいいと思う」
「……そうだな」
微妙に抵抗したくなったが、素直にルーアは頷いた。
天井が降ってくる錯覚に襲われている。
エスの白い肩に、手を置いた。
体温がある。
それがなにか、奇妙なことに思えた。
(それにしても……)
ティアが、防寒着の裾を掴んでくる。
(こいつと突入か……)
ティアには悪いが、心許ない。
エスには火力というものがなく、ドラウには期待できないという。
テラントとシーパルは戦闘不能に陥り、デリフィスは街の外である。
ユファレートが健在のうちに戦闘参加しなければ、ルーア一人で敵全員を相手しなければならなくなる。
(まあ、それでも潰すけどな……)
街が壊されてから、まだ四半日ほどしか過ぎていない。
あの光景は、ルーアの脳裏に熱く残っている。
ミジュアの第九地区での体験を、嫌でも思い出した。
あの時は、なにもできなかった。
肩に置いたルーアの手を、エスが一瞥した。
体温が上がっているのを、ルーアは感じた。
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