勝者

グリアの側にいるのは、ヨーゼフとジャミンだった。


他にも多数の『コミュニティ』の構成員がミムスローパの街中に潜伏していたが、ドラウ・パーターの消耗と引き換えに返り討ちになっている。


ピサロスの臣下の大勢が『コミュニティ』に靡いていたが、余りグリアは信用していなかった。


追い詰められたピサロスと、颯爽と救いに現れる英雄ドラウ・パーターの姿を眼にすれば、また心変わりするかもしれない。


国家や王を裏切れるのだ。

『コミュニティ』やグリアを裏切れないはずがない。


大詰めの場面で、そういった完全に信用できない者たちを近くに置くのは馬鹿馬鹿しい。


城外で、暴徒たちを導く仕事でもさせておけば良かった。


玉座の間の扉が開いた。

入ってきたのは、ピサロス探索のために放っていた『コミュニティ』の兵士十二人。


王子であるキオエラは、大柄な兵士の肩に担がれていた。


未だに薬の効果が続いているのか、眠ったままのようだ。


縄で拘束されているピサロスは、床を引きずられていた。


ピサロスは、もう用済みだった。

いくらでも手荒に扱えばいい。


扉が、また開いた。

今度は、いくらか乱暴に。

衝撃波の魔力を漂わせ。


玉座の間に足を踏み入れる、艶やかな長い黒髪の少女。


微かに、グリアは笑った。


「まずは、ドラウ・パーターの孫娘か」


使命感が宿る眼差しで、杖を構えている。

ユファレート・パーター。


「ピサロスを奪われても構わん。だが、ユファレート・パーターは殺せ」


「はっ」


グリアの両脇に控えていたヨーゼフとジャミンが、駆け出す。


できれば人質にもなるピサロスの身柄を確保し続けたいところだが、位置が悪い。


ピサロスを捕らえている兵士たちは、グリアたちよりもユファレート・パーターに近い所にいる。


ユファレート・パーター一人に、兵士たちは蹴散らされるかもしれない。


それくらいの力量が、あの小娘にはある。


ヨーゼフもジャミンも、怪我の影響があった。

特にジャミンの左足の傷は深い。


本来の力を奮えないのならば、ピサロス確保を意識させるよりも、思い切り良く戦わせる方が、いい結果が出るとグリアは予想した。


奪われたら、また取り返せばいいのだ。


拘束されたピサロスは、平凡な身体能力のユファレート・パーターには大変な荷物となるだろう。


成人男性を担いで戦うのは、力自慢の者でも難しい。


兵士たちが、陣形を組む。


ヨーゼフとジャミンが二手に分かれ、兵士たちの左右に回る。


グリアは、足下の魔法陣を消した。


人の五感を狂わせる魔法を、玉座の間周辺の広範囲に展開させていたのである。


そんな魔法を使用したままでは、ユファレート・パーターの攻撃は捌けない。


祖父譲りのその才覚は、敵である『コミュニティ』にも伝わっていた。


この絶望的な状況で如何に戦うのか、見物である。


だがグリアは、ユファレート・パーターの背後にいるはずのドラウ・パーターを見ていた。


病など関係ない。

必ずドラウ・パーターは現れる。


このグリア・モートとドラウ・パーターの、最終決戦の幕が上がったのだ。


そして決戦開始を飾るのは、ユファレート・パーターの死である。


何人かの兵士が突撃を掛ける。

ヨーゼフ、ジャミン、ユファレート・パーター、三者三様の魔力が膨れ上がる。


濃い紫色をしたドニック王国宮廷魔術師のマントを翻し、グリアは手をユファレート・パーターに翳した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ユファレートの先を行く、グリア・モートの元への案内を買って出た宮廷魔術師が、いきなりよろける。


「どうしたんですか?」


口にし終えた時には、疑問は解消されていた。


眼が回る。

遠くの物が、眼前にあるように見えたりする。


(これって……)


魔力の波動を感じ、ユファレートは眼を閉じた。


魔法使いとしての感覚で、周囲を探る。


眼を閉じながら、辺りを見渡している錯覚をユファレートは感じていた。


遠くから自分の姿を眺めているかのような錯覚もある。


洗練された魔力が、周囲を覆っていた。


それが、こちらの感覚に作用し、狂わせている。


(こんな魔法があるのね……)


グリア・モートだろう。

さすがは、ドラウが認めた相手である。


魔法への抵抗の仕方を知らない者では、立っているのも辛いだろう。


ユファレートは、這わせるようにゆっくりと感覚を拡げていった。

魔力の流れを、読む。


力の源に、きっとグリア・モートはいる。


(……見つけた)


然程時間は掛からなかった。

洗練されているが故、読みやすくもある。


敢えて居場所を隠していないようにも感じられた。


だとしたら、それは自信の表れか。


誘いかもしれないし、罠を張っている可能性もある。


単純に、大規模な魔法のため、発生源である自身を隠す余力がないということかもしれない。


どのみち、ユファレートのやることは変わらなかった。


グリア・モートがいるであろう玉座の間を目指す。

警戒を怠ったりはしない。


「後は、わたしだけで行きます」


朦朧としつつある様子の宮廷魔術師に言った。

もう道案内はできないだろう。


うなだれる宮廷魔術師を置いて、先へ進む。


グリア・モートの魔力を、はっきりと感じる。


眼でなにかを見るよりも、余程知覚しやすい。


魔法を解除されない限りは、見失うこともない。


進むうちに、目眩のようなものは和らいでいた。


おかしな感覚に、体が慣れてしまったのか。


魔法から受ける影響には個人差がある。

ユファレートには余り効果のないものなのか。


機会があったら研究してみよう、そんなことを考えながら駆ける。


廊下が広くなった。

近いと予感した時、ユファレートは眼でいくつもの人影を見た。


十数人の背中。

近衛兵のような格好だが、違うだろう。


意味のないような呻きを、ユファレートは聞いていた。

そして、微かに漂う腐敗臭。


(『コミュニティ』……!)


その組織の戦闘員、兵士と呼ばれる死者たち。


縄で引きずられているのは、ドニック王国国王ピサロスだろうか。

公の場の式典などで遠目に見たことがあるだけなので、自信はないが。


巨躯の兵士が担いでいるのは、王子であるキオエラかもしれない。


ピサロスを逃亡させるために、王に扮装し成り済ましている別人かもしれないが、その辺りは深く考えなかった。


扉を開き、集団が消えていく。


グリア・モートの魔力を強く感じる。

おそらくは扉の向こうが、玉座の間。


時間がない。


反乱は既に十二分に起きた。

暴徒の波は、そのうちここまで押し寄せる。


グリア・モートにとっては、ピサロスを亡き者にする良い頃合いだろう。


駆け寄り、ユファレートは扉に杖を向けた。


冷静さを、いくらか失っているかもしれない。


わざわざ魔法を使わずとも、扉は開くだろう。


それでも、ユファレートは魔法を発動させた。

少なくとも、勢いはつく。


「ガン・ウェイブ!」


衝撃波が、扉をひしゃげ押し開く。

やはり玉座の間。

駆け込む。


振り返る兵士たち。

それ程の距離はない。


奥に、三人。


かなりの長身であるため、細身であることが強調される男、ジャミン。

色白で細目、小柄なヨーゼフ。


そして中央。


絶対の根拠はないが、断定してもいいだろう。

ドニック王国宮廷魔術師の証となる、濃い紫色のローブとマントを纏った、グリア・モート。


言葉を交わすことなどなく、戦闘開始だった。


ヨーゼフとジャミンが、左右に分かれる。


三方から魔法を浴びれば、更に不利となる。


「ライトニング・ボルト!」


電撃を放ち兵士たちの陣形に穴を穿つと、ユファレートは迷わず前進した。


魔法使いが接近戦を挑むのは、無謀かもしれない。


動き回りながら魔法を使うのを、得意としていない。


それでも、なによりもまずピサロスを救わなければ。


この人数を相手にするのだから、確実に守勢に回ることになる。


その前に、ピサロスの身柄を確保し、敵の人数を少しでも減らす。


「ル・ク・ウィスプ!」


走りながら次の魔法を発動させ、だが放たない。


生まれた無数の光弾を周囲に漂わせ、ユファレートは敵へと向かった。


狙い通り、いつ撃ち出されるかと警戒し、兵士たちの何人かが臆するのが伝わる。


このまま、床に転がるピサロスの側まで行き着くことができれば。


光の弾幕の向こうから、槍が突き出される。

短剣が投げ付けられる。


そこまで望み通りの展開にはならないか。


短剣は光弾に当たり弾かれるが、槍はユファレートの右の二の腕の肉をえぐっていった。


まだ、痛みは感じない。


ピサロスの元に駆け寄り、ユファレートは光弾を周囲に撃ち放った。


ユファレートとピサロスを囲みつつあった兵士たちを、貫いていく。


傷を負ったことで動揺はあるが、制御に狂いはなかった。


キオエラを担いだ兵士の体にも、穴が空いている。


キオエラの体が転がり落ちるが、もちろん魔法は当たっていない。


意識はないようで、目覚める様子もない。

薬でも飲まされたのだろう。


そして、痛みを知覚した。

右腕からというよりも、腹から競り上がってくるかのような感じだった。


覚悟はしていたが、息が詰まり身が強張る。


左右から、光線。ヨーゼフとジャミンの魔法。


痛みで意識と視界が霞んでいても、魔法は読み間違えない。


そして、正確に発動させてみせる。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁を張り巡らせ、光線を受け止める。


二人分の魔法の圧力に、体が軋む。


光が弾け散ると同時に、生き残った兵士たちが向かってくる。


「フレン・フィールド!」


力場を周囲に発生させ、押し返す。


再び、左右から光線が放たれた。


すかさず魔力障壁の魔法に切り替える。


やはり、守勢に回ることになった。


力場の魔法では、光線を曲げたり拡散させることはできても、熱や衝撃を阻めない。


魔力障壁の魔法は、物理的な干渉には脆い。


敵の攻撃に合わせ、いちいち魔法を切り替える必要がある。


ジャミンが左足を負傷していなかったら、防御しきれなかっただろう。


彼は、魔法を使うだけでなく接近戦も熟せる。


五体満足ならば、剣を遣ったはずだ。


激しい攻撃に耐えながら、ユファレートはグリア・モートに最も意識を向けていた。


魔力を引き出し、膨張させている。


いつでも強力な魔法を放てるということだった。

だが、その状態を維持している。


殺せるだけの隙を作れば、即座に魔法を放ってくるだろう。


老練で、嫌な戦い方をしてくる。


ヨーゼフやジャミンの魔法、兵士たちの接近を凌ぎながら、常にグリア・モートを警戒しなければならない。


それは、ユファレートの精神を疲れさせた。


グリア・モートは魔法を発動させ掛けているだけで、疲労を感じることはないだろう。


おそらく、ユファレートだけでなく、他の者のことも意識しているのだ。


次の戦闘のことを、考えている。

魔力を温存し、次なる相手に全力を奮えるように。


グリア・モートへの警戒、これまでの疲労、負傷と出血、敵の魔法、突進、様々なものがユファレートを蝕んでいく。


防御魔法が、間に合わなくなってきた。


左手に持ち替えた杖の先に、投擲された短剣が突き立つ。


接近してきた兵士を、力場でなんとか払いのけた。


ヨーゼフとジャミンは、立ち位置を変えつつある。


兵士たちの間から、ユファレートを狙うつもりだろう。


魔法と近接する兵士たちの両方を、同時に防がなければならなくなる。


グリア・モートの魔法は、常にユファレートの方へ向いている。


限界か。

今度は、痛みに襲われる覚悟ではなく、殺される覚悟を持たなくてはならない。


「逃げよ……」


足下で息子と転がるピサロスが、呟いた。


眼が、もう充分だと語っている。

見捨ててくれと。


「何者かは知らぬが、よくやってくれた。もういい。逃げてくれ」


「……」


苦戦の最大の原因は、動けないピサロスとキオエラにある。


「……わかりました。御側を離れさせていただきます」


ただし、ほんの一時だけ。


兵士たちが向かってくる。


剣が届く前に、ユファレートは瞬間移動の魔法を発動させた。


ユファレートは、壁の向こう、玉座の間の外へと転移した。


四方からの攻撃から解放されて、膝をつく。

消耗が激しい。


すぐ側の壁が、光の奔流により消し飛んだ。


ヨーゼフやジャミンではなく、グリア・モートだろう。

二人の魔法とは、質が違う。


身を屈めていたユファレートに命中することはなかった。


三人の魔法が入り乱れていたのだ。


魔力の残滓が絡み合っている。

いかに優秀な魔法使いでも、魔力を読み転移先を正確に知るのは難しい状況になっている。


ユファレートは身を起こすと、壁に空いた穴へと杖を向けた。


「ヴァイン・レイ!」


お返しの光の奔流が、玉座の間で輝き荒れ狂う。


ヨーゼフやジャミンは、魔力障壁で直撃を避けたようだ。


兵士たちの大半は、消し飛んでいる。


グリア・モートは、最初から狙っていない。


この距離では、通用しないのはわかりきっている。


すぐに瞬間移動の魔法を使用し、ユファレートはピサロスの元へと戻った。


「フォトン・ブレイザー!」


響き渡る、ヨーゼフとジャミンの声。


魔力障壁を斜めに発生させ、ユファレートは二条の光線を上へと逸らした。


下手をしたら頭上が崩れ生き埋めになるが、魔力障壁の強度を抑えられるため、消耗はわずかで済む。


崩れた壁や天井が、周囲に落ちる。


ユファレートにもピサロスにもキオエラにも被害はない。


運が良い。

だから、まだ耐えられる。


兵士たちが迫る。


「ヴォルト・アクス!」


電撃が、床から兵士たちの体を駆け上がり焦がす。


人数が減っている。

だから、反撃ができた。


魔法を感知し、魔力障壁を展開させる。


衝撃の負荷が、ユファレートの体に叩き付けられる。


もう、立ち上がる力も残っていない。

魔力障壁は、維持し続けた。


「なぜ、そこまでして……」


呻くピサロスに、ユファレートは微笑み掛けた。


「大丈夫です、陛下」


今、この国の命運を背負っている。

過言ではないだろう。


「必ず、来ます」


ドラウが、みんなが。

それまで、希望を繋ぐ。


何度も魔法が叩き込まれる。

耐えた。


意識が途切れたこともあっただろう。

それでも、魔力障壁は維持した。


背後に回ったヨーゼフの光線が、強度の落ちた魔力障壁を突き破り、ユファレートの背中を灼いた。


限界か。


意識が、飛び掛ける。

いや、確かに飛んだ。


ふと気付くと、敵の攻撃が止んでいた。


魔力障壁は、意識を失っても展開したままだった。


何度も呼ばれた。

名前ではなく、愛称で。


一番の友達に、支えられていた。


「ティア……」


やっぱり、来てくれた。


もう一人、側にいる。


ジャミンには剣の切っ先を、ヨーゼフには右の掌を、グリア・モートには視線を、ユファレートには背中を向けて。


長い赤毛が、連発された魔法の影響で生まれた熱い気流に、揺られている。


防寒着は脱ぎ捨てられ、いつもの黒いジャケット姿になっていた。


動きに支障が出るのだろう、ロウズの村でも最後は着ていなかった。


「ルーア……」


なるほど。


この男は、こういうタイミングで助けに来てくれるのか。

ティアが、参ってしまう訳だ。


「……ガキが、粋がるものだな」


ヨーゼフが、言って嗤う。


(ルーア……)


ユファレートは、立ち上がろうともがいた。


ルーアでも、この三人を同時に相手をしては勝てない。


だが、ティアに抱き留められる。


「ユファ……。ここがユファの国だってこと、わかってるから……」


優しく言って、すくりと立ち上がる。


「後は、あたしたちがユファの分も戦うから。ユファは、自分と王様たちを守って」


見上げる。

腰の『フラガラック』と銘打たれた小剣を抜いた、ティアを。


「じゃあ、お願い……」


立つこともできない。

それでも、魔力障壁でピサロスやキオエラを守るくらいはできる。


後は、二人に任せよう。

ティアとルーアならば、ユファレートが育ったこの国を、きっと守ってくれる。


腕の傷を押さえ、二人の背中をユファレートは見つめた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


火球を放ち、ルーアは玉座の間に躍り込んだ。


簡単にヨーゼフに防がれるが、それでユファレートへの攻撃は止んだ。


不意の乱入者に対して、グリア・モートたちはまず身を固めることを選択したらしい。


たいした脅威ではないと判断したら、即座に攻勢に出てくるだろう。


グリア・モート、ヨーゼフ、ジャミン、それぞれにルーアは構えた。


背後では、ティアがユファレートに呼び掛けていた。


すぐ近くには、高価な衣類に身を包んだ中年と少年が転がっている。


ドニック王国の王と王子である、ピサロスとキオエラだろう。


ピサロスは縄で縛られ、キオエラは眠り込んでいた。


グリア・モートにヨーゼフにジャミン、三人の魔法使い。


死体に戻り転がる、十以上の『コミュニティ』の兵士たち。


これだけの相手から、ユファレートはたった一人で王族たちを守っていたのか。


さすがにもう戦う力は残ってないか、床にへたり込んでいた。

それでも、弱々しいながら杖を構えている。


ルーアの半歩後方には、ティアがいた。


「三対二だが?」


余裕を持った表情を、ヨーゼフはしている。


確かに厳しい状況だった。


ティアの剣が、どこまでグリア・モートたちに通用するか。

ただの足手纏いになる可能性もある。


「いや、実質三対一ではないか」


嘲るヨーゼフを、ルーアは一瞥した。


その一瞬を狙い澄ますかのように、正面のグリア・モートが魔力を膨れ上がらせる。


「フォトン・ブレイザー」


真っ直ぐ、意外なまでに単純な力押しを初手に打ってきた。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁で受け止めるが、たたらを踏む。

さすがに一撃が重い。


そして、なんとなくわかった。

探られている。


ルーアの反応速度、対応の仕方、魔法使いとしての力量、あらゆる能力を、単純な力をぶつけることにより計った。


グリア・モートに少し遅れて、ヨーゼフとジャミンも腕を振り上げる。


ティアが素早く短剣を抜き取り、ジャミンに投げ付けた。


魔法を中断し、剣で叩き落とすジャミン。

その拍子に、よろけた。

左足の傷は、相当深いらしい。


ルーアは、ティアを突き飛ばした。


腕を上げたのはフェイントか、ヨーゼフが飛び跳ね横に回り込んでいたのだ。

『悪魔』の足を振る。


剣を叩き付けるが、斬れない。

硬質な物に弾かれる手応え。

なかなか頑丈である。


斬り付けられた反動を利用し、跳ねて距離を取る。


ティアが跳ね起きる。


「オースター!」


ルーアは、ジャミンを指した。


これだけの実力者たちを、一人で三人は相手にできない。

ティアに、誰か一人は引き付けてもらわなくてはならない。


あのジャミンという男は、強い。

テラントとシーパルを同時に相手にして、死ななかったのだ。

同じことをルーアができるかは、少々疑問だった。


だが、左足を負傷している。

歩くのがやっと、と見た。


軸足にすることもできないだろう。


剣士としての技術は、死んだも同然である。


勝てとまでは言わないが、ルーアがグリア・モートとヨーゼフを倒すまでの間、引き受けてくれれば。


ルーアは、次の魔法を放とうとしているグリア・モートに突撃した。


魔法使いとしての能力が上の相手と、遠距離での魔法の撃ち合いはできない。

ヨーゼフもいるのだ。


ユファレートたちから離れることになるが、彼女はまだきっと、自分やピサロスたちを守る力を残している。


それが尽きる前に、決着を付ける。


グリア・モートの周囲に、無数の光弾が浮かぶ。


「ル・ク・ウィスプ」


同じ魔法をルーアが使用する時よりも、遥かに弾数が多い。


魔法を使わずに防ぐことは不可能。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁を、普段よりは薄くなるがその分広く展開させた。


おそらく、様々な軌跡で光弾はルーアを襲うはずだ。


だが、光弾は魔力障壁の一点を集中的に叩いた。


読みを外したのではなく、ルーアの魔法を見て咄嗟に制御したのだろう。


光弾と相殺し、魔力障壁が砕ける。


衝撃に、ルーアの前進は止められた。


膨ら脛や背中に力を込めて、後退することを拒む。


グリア・モートは、次の魔法の準備を進めている。


足を、前に出した。


遮る者がいる。

飛び跳ね前方に回り込んできたのは、ヨーゼフ。


まさか顔を斬り裂かれたことを忘れた訳ではないだろうが、接近戦を仕掛けてきた。


敢えて接近することが虚を衝くと考えたか、なにも考えていないのか。


おそらくは、グリア・モートのことを考えての行動か。


今この場で戦闘をしている者たちの中で、最も優秀な魔法使い。


その力を存分に奮われたら、こちらに勝ちの目はない。


そして、ユファレートもシーパルも、ドラウでさえも、もう戦う力を残してはいない。


対抗できる魔法使いはいない、ということだった。


だから、ヨーゼフの行動は理解できる。


わずかな時間前衛を務めれば、この上なく強力な後衛であるグリア・モートが、決着を付けてくれる。


わずかな時間だけ。

少し戦い、すぐに離脱する。

だから、それ程の危険はない、と。


(馬鹿が!)


ルーアは、剣の柄を握り締めた。


覚悟が、違う。


グリア・モートという、ドラウが認める程の魔法使い。

『悪魔憑き』でもある。

ついでに、ヨーゼフもいる。


一手誤るだけで、死ぬ。

それだけの覚悟をして、ルーアは前に出ている。

気楽に立ち塞がるな。


半身を捩る。

踵落としの要領で振り下ろされるヨーゼフの『悪魔』の足が、耳元を掠め過ぎた。


光が点る掌を向けてくる。


それもかい潜る。


足は前へ。

ヨーゼフの足の間に、踏み出す。


接近戦の、更に内側。

肩がぶつかるくらいの接近戦。


体当たり気味に突き出したルーアの剣は、ヨーゼフの心臓の位置を貫いていた。


乱暴に蹴り飛ばし、返り血を浴びながら剣を引き抜く。


倒れたヨーゼフの向こうに、腕を突き出しているグリア・モートが見えた。

掌の先に、闇が揺れている。


(この魔法は……!)


受けることはできない。

回避するしかない。

タイミングを誤れば、終わる。


「ギルズ・ダークネス!」


グリア・モートの声が高々と響くと同時に、ルーアは瞬間移動の魔法を発動させた。

転移先は、前。


背後で闇が空間を侵食しているのがわかる。


咄嗟に発動させた瞬間移動では、たいした距離を転移できていない。


間合いは、まだ開いている。


高度な魔法を使用した影響で目眩を感じながらも、ルーアは足を動かした。


距離を詰める前に、グリア・モートの姿が消える。


瞬間移動の魔法。

転移先は、ルーアの左、簡単には接近できない距離。


「これは……」


老人らしいしわがれた声。


「ドラウ・パーターに備え魔力の温存を、とも言ってられないな」


グリア・モートは、ヨーゼフを見ていた。


心臓を貫かれ、もう動かない。

『悪魔憑き』の中には、脳や心臓を破壊されても死なない者もいるが、ヨーゼフにそこまでの生命力はなかったようだ。


おそらくヨーゼフは、『悪魔憑き』となってから接近戦を熟せるようになった。


なかなか奇怪な動きをしてくれたが、それでもルーアが対応できない程のものではなかった。


その強さは、魔法使いとしての本質を奪う強さと言えるかもしれない。


弱くなった訳ではない。

だが結果的に、ヨーゼフは魔法使いとしての実力を発揮できないまま、死んだ。


ともあれこれで、二対二となった。


なかなか良い距離で、ティアはジャミンと対峙していた。


一発は魔法を発動される距離。

その一発をかわせれば、接近戦に持ち込める。


ジャミンとしては、左足を引きずっている状態で接近戦はしたくないだろう。


不用意に魔法を使えない。


ティアの方は、魔法をかわさなければならない。


だから、自分からは仕掛けられない。


そのため、互いに膠着していた。


「仕方あるまい」


グリア・モートの呟きに、ルーアは意識のすべてを老人へと向けた。


来る。

多分、奥の手のようなもの。


察した。

魔法使いとして優れているため忘れてしまいそうになるが、グリア・モートは『悪魔憑き』である。

なんらかの能力を利用した攻撃がくる。


止め具を外し、グリア・モートがマントを捨てた。


ドニック王国宮廷魔術師を意味する、紫紺のマント。


同色のローブを、突き破るものがある。


黒く、そして鈍く輝く甲虫の足のようなもの。


それが四本、グリア・モートの両の脇腹と腰の後ろから生えている。


人の足と合わせ、六本の足で体を支えていた。


生える箇所が違うだけで、ヨーゼフと近い状態である。


なんとなくそれは、剣で簡単に折れるものではないように見える。


接近戦もできるようになったということだろうか。


だとしたら、ますますヨーゼフに近い。


『悪魔』の足が床に突き立ち、複雑に動く。


(まさか……!)


それがなにかわかってしまい、ぞっとする。


四本の足が描くのは、四つの魔法陣。


制御力強化と発動速度強化、そして威力強化の魔法陣が二つ。


瞬時と言っていい間に描き上げる。


やはり、ヨーゼフなどとは違う。

自身の最大の長所を、更に強化してきた。


魔法使いであるグリア・モートが、強靭な肉体の持ち主であるとは考えにくい。


その小さな弱点も、『悪魔憑き』になったことにより生命力が増して、消失した。


眼が潰れてしまうような強烈な光が、グリア・モートの前に生まれる。


「ヴァイン・レイ!」


城全体を揺るがす程の光の奔流が、解き放たれる。


これは、回避するしかない。


瞬間移動の魔法で、逃げた。


転移先で躓くルーアの横を、光の奔流が突き抜けていく。


(マジかよ……)


複数の魔法陣を同時に生成する。

それは、難解な数式を複数同時に解くようなものだろう。


グリア・モートは、すでに次の魔法陣を描き終えていた。


制御力強化が一つと、発動速度強化が三つ。


「ブレイジング・ロー!」


異様な速度で、炎の槍が放たれる。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁を拡げるが、瞬間移動を使用した直後である。

たいした強度もなく、容易く貫かれる。


そして、尖った炎がルーアの左肩を砕いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアは、ジャミンを凝視していた。


ほとんど右足だけに体重を掛けているようだ。


剣は右手に。

だが、左足の負傷からして、思うようには振れないだろう。


(近付きさえすれば……)


勝機はある、多分。


問題は、いかにジャミンの魔法をかい潜るか。


対峙し、動かない。

いや、動けない。

動くことで隙が生じるような気がした。


地鳴りのようなものがした。

熱された鉄板で、なにかを焼くような音。


ルーアかグリア・モートが放ったものだろう。

光が、近くを通り過ぎる。


一瞬奪われる視界。

ジャミンも、それは同様であるはず。


ティアは横に跳び、懐から短剣を取り出した。


覚えているジャミンの位置に、投げ付ける。

まともに移動できる足ではないはずだ。


先程よりも更に体の近くを、光線が走り抜ける。


ジャミンの魔法だろう。

光の軌跡からして、短剣は撃ち落とされた。


視界がはっきりとする。

ジャミンがいた方へ、ティアは『フラガラック』を向けた。


「……!?」


いない。見失った。

あの足では、そう速く移動できないはず。


混乱しながら、ジャミンの姿を捜す。

視界が陰るのを感じた。


速く移動することは、できないはず。

魔法を、使わなければ。


飛行の魔法だろう。

長身のジャミンの体が、ティアを踏み付けるように降ってくる。

剣の切っ先を、下に向けて。


ティアは、身を翻した。

布地を引き裂く音。


床を転がり、立ち上がり。

すぐ側で炎が破裂し、ティアはまた床を転がった。


ジャミンも、倒れ込んでいる。


立て続けに炎が炸裂した。


グリア・モートの魔法だろう。

ルーアならば、ティアを巻き込むような魔法の使い方はしない。


今度は、視界が炎に染まる。

床を這い、いくつもできあがった瓦礫の一つに、身を隠す。


「つっ……!」


痛みに、ティアは顔をしかめた。


ジャミンの剣が、当たってしまった。

左膝の上を、斬られている。

相当に深手のようだ。


厚い防寒着が斬り裂かれていた。

それがなければ、足の半ばまで断たれていたかもしれない。


(まずい……!)


出血もまずいが、足が遣えるという唯一ジャミンに勝る利点を、失ってしまった。


瓦礫の陰から、窺う。

苦労しながら、ジャミンが立ち上るところだった。


やはり、左足はまともに動かせないようだ。


鋭い眼付きで、ティアを捜している。


顔を引っ込ませ、ティアは瓦礫に背中を預けた。


(どうしよう……)


この足では、魔法の良い的になる。

見付かったら、おしまいだ。


背後の瓦礫が砕け、ティアは身をすくませた。


見付かった。

息遣いが聞こえてしまったのだろうか。


そう思ったが、勘違いだった。

砕かれたのは、別の瓦礫のようだ。


緊張が、感覚をおかしくしている。


体が震えた。

歯が、がちがち音を鳴らした。


指を噛むようにして口を塞ぎ、息を殺す。


怖い。

命のやり取りをしている時は、いつもそうだった。

敗北が、背中にある。


不規則な足音が、目茶苦茶になった玉座の間に響いた。


呻き。ピサロスのものだろうか。


見ると、ジャミンが足を引きずりながら、ユファレートたちの方へ進んでいた。


(ユファ……!)


多分、ユファレートには戦う力が残っていない。

それでも、ピサロスとキオエラを背中に隠し、杖をジャミンに向けていた。

立ち上がることもできないのに。


(あたしに、もっと力があれば……)


『フラガラック』の柄を握り締める。

斬撃を光と為し飛ばす魔法道具。


ジャミンも、そんな武器がティアにあることは知らないだろう。

不意を衝ける。


でもあれには、たいした威力はない。

肌を浅く斬り裂ける程度だろう。

それでは、倒せない。


(もっと、強い力を……)


落ち着いて。

ドラウの言葉を思い出す。


そして、付け加える。

もっと落ち着いて。そして、もっと集中して。


ザイアムという大男の戦いを見た。

あの人みたいに、強い斬撃を。

ルーアを一蹴した、シーパルでさえも一度受け止めるのが精一杯だった、あの力を。


思い出して。思い浮かべて。


剣を振り上げる、ザイアムという大男の姿。


急に、視野が白むのを感じた。

緊張の余り、気を失いそうになっているのだろうか。


ザイアムが、剣を振り上げている。


(あれ……?)


小さな家の、小さな庭で。

ティアの隣には、赤毛の少年が。


これは、いつの出来事だろう。

なにかを思い出しそうになっている。


音がして、ティアは現実に引き戻された。


ユファレートが、杖を落としている。


その指が震えている。


ジャミンになにかをされた訳ではない。


杖を持ってもいられないくらいに、疲れている。


(あたしが……!)


ティアは、瓦礫の陰から飛び出した。

足を引きずり、足音を立てて。


ジャミンが、振り返る。

剣を持たない左手を突き出した。

光が輝く。


ティアは、『フラガラック』を振り上げた。


(あたしが、戦うから……!)


動けなくなるまで戦った、一番頑張ったユファレートの分まで、戦う。


ユファレートのことも、ユファレートの守りたいものも、守る。


そのために、力を。

もっと大きな力を。


「フォトン・ブレイザー!」


高らかに響く、ジャミンの声。

向かってくる光線。


『フラガラック』が、頭上で輝くのを感じた。


振り下ろす。


斬撃が、光となって撃ち出された。

ドラウの屋敷の庭で出したものとは違う、力強く、まばゆい光。

光線とぶつかり、互いに弾ける。


「なんだと!?」


驚愕に歪むジャミンの顔。


ティアは、出血する左足で踏み出した。


それを軸に、『フラガラック』を振り上げる。

飛ぶ斬撃が、ジャミンを襲う。


魔力障壁で受け止められた。

だが、ジャミンはよろめいている。


ティアもまた、足下が覚束ない。


体が熱い。

毛穴という毛穴が開き、汗が吹き出る。

二発。それが、今の限度か。


声にならない叫びを上げて、ティアは駆け出した。


ジャミンは、体勢を崩している。

予想外の攻撃に、動揺もしているだろう。


今しかない。


一歩進むたびに、左足の傷が開いていくような気がした。


別にいい。

全部終わった後、きっとシーパルかユファレートが完璧に治してくれる。


ジャミンは、魔法を放たない。

ティアが使った技を、警戒してのことかもしれない。


片足がまともに動かないジャミンでは、魔法に頼らなければ防御できないのだから。


接近戦。


両手に剣を持ち変え、ジャミンが斬り掛かってくる。


体勢を更に崩し、前のめりに、渾身の斬撃を放ってくる。


身長差のため、頭上から剣を落とされるかのような感覚だった。


ジャミンの剣に突撃するくらいのつもりで、ティアは『フラガラック』を掲げた。


ジャミンの渾身の斬撃に対するは、矛盾しているが、捨て身の防御だった。


ジャミンの剣を受け止め、だが潰されそうになる。

体格差が有り過ぎる。


完全に押し潰される寸前、ティアは左手を『フラガラック』から離し、懐に入れていた。

残された最後の武器を取り出す。


『フラガラック』の能力は、ジャミンの脳裏に強く刻み込まれただろう。


これのことを、忘れさせるほどに。


ジャミンの体とぶつかり、剣に押し潰され、ティアは床に倒れた。


転がり間合いを拡げ、すぐに立ち上がる。


追撃はこない。


ジャミンは、自分の脇腹を見つめていた。

そこに突き刺さっているのは、短剣。


肉を貫いていく感触はあった。

硬い物に当たる感触はなかった。


肋骨に阻まれることもなく、丁度その間を通ったようだ。


短剣を抜き取り、ジャミンが傷口に掌を翳す。


淡い光が点る。

治癒の魔法だろう。

しかし、光は敢え無く霧散した。


がくりと、ジャミンが膝を付く。


致命傷であるようだ。

治癒の魔法を発動させることもできないくらいの。


「……小娘に、殺されるか……私が……」


「……それが、悔しい?」


「……いや、そうでもないな」


微かに、ジャミンは笑った。


「……私が戦った女は……男の陰に隠れるような女ではなかった……それだけのことだ……」


ジャミンは、前に倒れた。


(勝った……)


身震いがした。

吐き気に、口を押さえる。


久しぶりに、人を殺してしまった。


死体だった兵士とは違う、ちゃんとした人を。


(覚悟、してたわよ!)


みんなの旅に付いていけば、こういうことがあると。


これから先も、同じことが起きるかもしれない。


みんなの後ろにいるだけのつもりはないのだから。


多分、人を殺めることには一生慣れない。


また、吐き気を感じることになるだろう。


そして、この事は一生忘れない。

忘れるべきではないのだろう。


ティアは、頭を振った。


自分の行為に苛まれている場合ではない。

まだ戦いは続いている。


(ルーアは……!?)


血の臭いに目眩を感じながら、ティアはルーアの戦闘に眼をやった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


咳き込み、ドラウは口を押さえた。


掌が、鮮やかなまでに赤い血で染められる。


視界が暗くなった。

頭の芯に、痺れのようなものがある。


膝を付き、ドラウは強く眼を閉じた。

動悸が治まるのを待つ。


しばらくして、ドラウは眼を開いた。


視界は、明るさを取り戻していた。


血を、ローブの腰辺りになすり付ける。


黒い布地であるため、そう目立たないだろう。


ドラウは、城の廊下にいた。

眼前には、壁。


この向こうは、玉座の間だった。

グリア・モートがいる。


爆音が、ずっと響いていた。

戦闘中だった。


相手をしているのは、魔力の波動からしてルーアか。


「……エス、映像と音声を」


息を整えつつ、呟く。


脳にちくりと刺激があり、ドラウはまた瞼を閉じた。


浮かび上がる光景がある。

魔法を放つグリア・モート。

なんとか防いでいるルーア。


左肩を負傷していた。

黒いジャケットが焦げ付き、肌は焼け爛れ生々しい。

左腕は動かないのか、力無く垂れ下がっていた。

剣は右手に持っている。


ユファレートとティアもいるが、戦闘に参加する力は残されていないようだった。


ピサロスとキオエラは、二人の背後にいる。


ルーアとグリア・モートの戦闘で発生する魔法の余波から、ユファレートが三人を守っていた。


ルーアだけが、グリア・モートと戦っている。


おそらく、ルーアは勝てない。

剣も魔法も高い次元で扱える彼は、どんな状況だろうと柔軟に対応できる言わば万能型であるが、そういった者は、なにか一つに特化した者に弱い。


テラントやデリフィスのような剣士に接近されたら、ルーアは勝てないだろう。


ユファレートやシーパル、そしてグリア・モートのような魔法使いに距離を取られたら、やはり勝てない。

すでに負傷もしている。


勝利を期待してはいない。

ただ、グリア・モートを一時引き付けてくれれば。

第三者の魔法に反応できないほど、戦闘に没頭させてくれれば。


壁越しに、ドラウがグリア・モートを狙撃してみせる。

この手で、決着をつけてみせる。


気を静め、瞼の裏のグリア・モートをドラウは睨んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


左肩を、炎が撃ち抜く。


痛みに顔を歪ませ悲鳴を上げるよりも、ルーアが優先したのは剣を確保することだった。


失えない。

勝機は、接近戦にある。


衝撃に転倒させられながらも、立ち上がった時には右手に剣を持ち変えていた。


ルーアは、左利きだった。

だが、右手でもそれなりに剣を扱える。


痛みは顔に出さず、悲鳴は噛み殺して、ルーアは剣をグリア・モートに向けた。


グリア・モートの『悪魔』の四本の足は、また魔法陣を描いていた。


発動時間の非常に短い、簡易型の魔法陣である。


威力強化、制御力強化、あと二つはグリア・モートの体に隠れよく見えないが、おそらくは範囲拡大の効果の魔法陣。


「ル・ク・ウィスプ」


百発近い光弾が生まれる。


全てをかわすことはできそうにない。


横に駆けながら、ルーアは飛行の魔法を発動させた。


体の近く、主に背後を光弾が貫いていく。


グリア・モートの『悪魔』の足は、休むことなく魔法陣を描く。


範囲拡大の魔法陣が三つ、制御力強化の魔法陣が一つ。


「フレイム・ハース」


熱波が、グリア・モートを中心に放たれる。


これは、魔法を使っても範囲外まで逃げられない。


飛行の魔法を解除して、ルーアは魔力障壁を発生させた。


熱波が魔力障壁を叩き、空気が焦げ付いた臭いが鼻をつく。


完全にとまではいかないが、防ぐことができた。


グリア・モートの魔法の影響で、玉座の間のあちこちで炎が巻き起こっている。


「ルーア!」


ティアの声。

左足が、鮮血に染まっている。


足下には、ジャミンが倒れていた。


(俺よりも、先に倒したのかよ……)


「ユファレートのとこにいろ」


告げて、ルーアはグリア・モートを見据えた。


負傷したティアの足では、魔法をかわせない。


ティアを庇いながら戦える相手ではない。


ユファレートなら、ティアを守ってくれるだろう。


ティアが側にいることで、気持ちの入り方も変わる。


それは、きっと良い方向に転がるはずだ。


(倒したんだな、ジャミンを……)


グリア・モートとヨーゼフを倒し、それからジャミンの相手をするつもりだった。


ティアがジャミンを倒してくれたのならば、焦って速戦に持ち込む必要はない。

戦い方を変えられる。


描かれる魔法陣。

発動速度強化、制御力強化、威力強化が二つ。


光線を、ルーアは跳んでかわした。


(……距離を保つことだな)


ある程度の距離を置いた状態ならば、発動速度を短縮されようと、範囲を拡大されようと、ごまかしが利く。


回避することも受けることもできる。


ただしそれは、防御に徹するということだった。

反撃はできない。


迂闊に近付いたら、強化された魔法に押し潰される。


距離を保ち、防御を固める。

倒すためではなく、時間を稼ぐための戦い方だった。

援護は望めないのに。


炎や光が、魔力障壁を揺るがす。

いつもより魔力を多く消費することによって、魔力障壁の強度を上げた。


いつまでもは持たない。

時間を稼いで、なにか展望が開けるのか。


ただ嬲り殺しになるだけではないのか。


(……違う! なにかがある!)


歯を軋ませ、ルーアは耐えた。


なにかがある、なにかが引っ掛かっているのだ。


それが、逆転の鍵になる気がした。


グリア・モートの戦型を攻略する、なにか。


強化された光の奔流に、魔力障壁は破砕された。

床を転がり、次の魔法をかわす。


防ぎきれなくなってきた。

このままでは、なにかに閃く前に押し切られる。


ルーアは、前に駆け出した。


反撃を、グリア・モートが怯み、攻撃を躊躇ってしまうほどの痛烈な反撃を。


グリア・モートが、落ち着いた様子で掌を向ける。


魔法が放たれる前に、ルーアは瞬間移動の魔法を発動させた。


転移先を読もうとしただろう、グリア・モートが怪訝な顔をする。


これはフェイント。


魔力の感知できない者、そして、並の魔法使い相手には使えない。


グリア・モートのように優れた魔法使いが相手でなければ、効果のないフェイント。


優れた魔法使いであるからこそ、他の者よりも一瞬早く魔力を感知できる。


瞬間移動の魔法を使用したと理解できる。


そして、転移先はどこかと探ってしまう。

それは、反射運動に近い。


グリア・モートの表情に、戸惑いが生まれる。


その間に、ルーアは距離を詰めていった。


瞬間移動の魔法を使用した。

そのルーアが、消えることなく真っ直ぐに向かってくる。


魔力を読める感覚から得る情報と、視覚から得る情報が一致しない。


それが、グリア・モートが戸惑った理由。


ルーアは瞬間移動の魔法を使用し、そしてその場に転移した。


グリア・モートのような魔法使い以外には、ただ突進してくるようにしか感じられなかっただろう。


間合いを、潰した。

接近戦。


魔法陣を描く暇はない。

地力の勝負となる。


ルーアの剣が、グリア・モートの魔法による防御を突破できるか。


そして、グリア・モートの魔法攻撃を、ルーアが魔法で防げるか。


『悪魔』の足が二本、ルーアの頭部目掛け跳ね上がるが、鈍い。


軽く剣で流し、ルーアは手首を返した。


繰り出した突きが、防御に回された『悪魔』の足の間を通る。


微かな手応え。

剣の先が、グリア・モートの額に触れた。


だが、頭蓋に達する前に反発があった。

力場が、剣に絡み付いている。


突きを逸らされた。

グリア・モートの額の皮を裂いていくが、浅い。


眼のすぐ上を剣が通っていったはずだが、グリア・モートはしっかりとルーアを見ていた。


傷を負うことまで許容し、最小限の魔力で防御した。


抱き込めるまでの距離に、ルーアを呼び込んだ。

当然、ここから攻撃がくる。


グリア・モートの手の先で電撃が弾けていた。


「ルーン・シールド!」


咄嗟に身を翻すが。


「ヴォルト・アクス!」


電撃が、魔力障壁ごとルーアを包んだ。


「かっ!?」


直撃はしていない。

だが、体を貫く衝撃にルーアは床に倒れた。

全身が痺れ、息が詰まる。


剣の柄で床を叩き、ルーアは転がった。


光球が床をえぐるが、狙いにずれが出ている。


グリア・モートは、額を拭っていた。

血が、眼に入ったのだろう。


立ち上がろうとしたが、膝が震えた。


張り巡らせた魔力障壁ごと、今度は炎が包み込んでくる。


熱が、体の水分を奪っていく。

強烈な魔法に、魔力が絞り上げられていく。


(強い……)


接近したのに、跳ね返された。


この男もまた、ドラウと同じなのだろう。


魔法使いとして、ルーアよりも遥かに訓練を重ねている。


戦闘者として、経験も積んでいる。


積み重ねた歳月。

それは、ルーアの中にあるものよりもずっと高く、だからいくら跳んでも届かない。


炎が破裂して、ルーアは床に叩き付けられた。


『悪魔』の足が描く魔法陣。

威力強化が三つ、そして制御力強化。


「フォトン・ブレイザー!」


「ルーン・シールド!」


かろうじて魔力障壁を張るが、光線に砕かれる。


床をまた転がりながら、ルーアは笑った。


見えた。

やっとわかった。

何に引っ掛かっていたのか。

グリア・モートの戦型を破る閃き。


「ドラウ・パーターは……」


すぐには、立ち上がれない。

身は起こす。


「もうすぐ、死ぬんだろ……」


ティアとユファレートがいる。

だが遠い。

ルーアの呟きが、届くことはないだろう。


「訓練を積み重ねて、独りで戦い続けて……ずっと……!」


未熟なルーアを、導いてくれた。

それは、忘れられない。


「耐えて! 苦しんで! 粘りに粘って!」


グリア・モートの『悪魔』の足が、魔法陣を刻む。


『悪魔憑き』になっても、グリア・モートは自分を見失わなかった。


魔法使いとしての力を、最大限活かす戦型を磨いた。


「これが、あの人の最後の戦いになるかもしれないんだろ……?」


それは強力で、応用に富む。


そして、一つだけ揺るぎない決まり事がある。


絶対に必要なことであり、故に弱点にもなる。


「だったら、あの人の最後の戦いを、俺たちが勝ちに導く! ドラウ・パーターを、勝者にする!」


孤独に戦い耐え抜いた偉大なる魔法使いドラウ・パーターの生涯は、勝者として終わらなければならない。


グリア・モートの掌の先で、炎が膨張していく。


足下に拡がる魔法陣は、三重の威力強化、制御力強化。


かわせない。

まだ、立ち上がることもできないのだ。

受け止めることもできないだろう。


ルーアは、剣を持ったまま腕を振り上げた。

柄から、床に叩き付ける。


「ガン・ウェイブ!」


そして、叫び声を上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「そうか……」


呟いて、ドラウは苦笑した。


グリア・モートを狙撃するつもりだった。


だが、やめた。


エスの能力のお陰で、ルーアとグリア・モートの戦闘を見ることができていた。


そして、言葉が聞こえた。


勝ちに導くと。勝者にすると。


そんなことを考えてくれていたのか、あの少年は。


「だったら、グリア・モート程度、一人で倒してもらわないとね……」


少年は自覚しているだろうか。

ザイアムに育てられ、ストラームに導かれ、ランディ・ウェルズに鍛えられ、ドラウに教えを受けた唯一の存在だと。


いつか、気付くのだろうか。

ドラウから、ストラームから、リンダから、ランディ・ウェルズから、託されていることを。


ルーアの叫び声が、響き渡った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


発動速度重視、そして制御力重視で放った衝撃波が、床を走る。


一瞥しただけで、グリア・モートは掌の先の炎を膨張させ続けた。


衝撃波が自身に届くことはないと分析したのだろう。


その分析は正しい。

グリア・モートまで、衝撃波は届かない。

届く必要はない。


グリア・モートは、四つの簡易魔法陣を駆使する戦い方をする。


威力を強化し、発動までの時間を短縮し、効果範囲を拡大する。


様々な組み合わせがあるが、共通点が一つだけあった。


魔法を、より強力にして放つ。

それは、制御下に置くことが困難になるということと同義である。


そのためだろう、グリア・モートの足下には、必ず制御力強化の魔法陣が拡がっていた。


より正確には、左斜め前に描かれている。


それを、左脇腹から生えた『悪魔』の足が踏んでいた。


触れなければ、魔法陣の恩恵は受けられない。


ルーアが狙ったのは、それだった。


衝撃波が、制御力強化の魔法陣が輝いている床を削り取る。


狙い通りにいったのは、偶然といえる。


ルーアに、魔法陣だけを撃ち抜くような制御力はない。


だが、狙った。

狙ったからこそ起きた偶然だった。


あるいは、ドラウ・パーターの元で魔法制御力を意識して過ごした二日間に、少なからず意味があったのかもしれない。


制御力強化の魔法陣を失い、炎が揺らぎ歪に膨らむ。


威力を三重に強化されたその魔法は、グリア・モート自身の制御力だけで抑えられる許容を超えていた。


炎は、撃ち出されることなく破裂した。


おそらく、グリア・モートにとっては何十年ぶりになるであろう、魔法の暴発。


自身が生み出した炎に巻かれている。


後方へ跳びすさるが、肌を灼いていた。


その時には、床を叩いた反動を利用してルーアは立ち上がっていた。

爪先に力を入れ、足下を蹴る。


魔法が暴発したばかりである。

グリア・モートは、すぐには魔法を使えない。


次の魔法を放たれる前に、接近できる。


そして、一度は剣を振れるだろう。


四本の『悪魔』の足を向けてくるが、今更そんなもの脅威ではない。

格闘術を遣える様子もない。


四本の足をかい潜り、ルーアは剣をグリア・モートの肩口に叩き込んだ。


鎖骨が砕け、肉がちぎれていく感触。


剣を振り切り、ルーアはよろけた。


常人ならば致命傷にもなる深手を負わせたはず。


だが、グリア・モートは『悪魔憑き』である。


この程度では死んでくれない。


あと一振り。

それで決める。


グリア・モートが、掌を向けてきた。

光が煌めく。


かわせ。


体を傾け頭部の位置をずらし、照準を外した。


光線が、前髪を焦がし突き抜ける。


かわした。

あと一回、剣を振れ。

それで、グリア・モートの首を撥ね飛ばす。


無我夢中で、剣を水平に振った。

手応えがない。

かわされたか。


グリア・モートの姿を見失っていた。


どこへ逃げた。

どこから、反撃の魔法がくる。


なにかに躓いた。

床に倒れた、グリア・モートだった。


血が溢れる傷口を押さえ、苦悶に顔を歪ませ喘いでいる。


呼吸が早く短くなり、顔色が失われていく。


死んでいく人間の、それだった。


「……なんで……?」


『悪魔憑き』であるはずのグリア・モートが、この程度の傷で死のうとしているのか。


「……『悪魔憑き』……と言っても……元が……死を間近にした老いぼれではな……」


「……そういうことか」


『悪魔憑き』になれば、生命力が増加される。


それは、足し算ではなく掛け算のような増え方なのだろう。


元々の生命力が少なければ、その分増加量も減る。


「……あんたは強かった。あんたがあと十歳若ければ、負けたのは多分俺だった」


ルーアが疲労で掠れた声で言うと、グリア・モートは血を吐きながら笑った。


「……つまらないことを言うなよ……小僧……。十年前……私は魔法使いとして……今よりも未熟だった……」


「……」


「……つまらないことを言って……己の勝利を霞ませるな……。お前が……お前たちが……」


足音がした。


グリア・モートの眼から、光が失われていく。


「……勝者……だ……」


虚ろに眺めるは、ルーアの背後に立ったドラウ・パーターだろう。


グリア・モートの呼吸が、止まった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


地平に現れた軍が、波のように押し寄せてくる。


デリフィスは、素早く部隊を小さく固まらせた。


勢いを付けた軍勢を相手にするには、拡がらないことだ。


だがその軍は、反乱軍へと向かっていた。


何条もの光が放たれ、反乱軍を襲う。


(……味方?)


翻る旗は、ドニック王国のものだった。


ドニック王国正規軍ということになる。


だが、どこから現れたのか。

この近辺の正規軍は、ミムスローパ守備隊の五千だけのはずだ。


「……あの青い軍装は……魔法兵団ですね」


馬を寄せてきたノイクが、遠い軍勢に眼を細めながら言った。


ドニック王国の魔法兵団は、世界でも屈指の精強さを誇る。


ドニック王国に、同数で太刀打ちできる軍はない。


一万の魔法兵団にとっては、二万五千の反乱軍など物の数ではないだろう。


反乱軍は、早くも散り散りになっていた。


「どういうことだ……?」


魔法兵団は、ホルン王国との国境に配置されていたはずではないのか。


ミムスローパまでは、数日は掛かる。


事前に事が起きることを、予見していたとでもいうのか。


そして、国境の守備はどうするのか。


ホルン王国が見逃すことはないだろう。


深追いはせずに、魔法兵団はミムスローパまで退いた。


「俺たちの活躍が、霞んじまったな……」


ハンクが頭を掻く。


「そんなことはない」


魔法兵団の力は圧倒的ではあったが、それも間に合ったから奮えたのである。


二百の傭兵が堪えなければ、魔法兵団到着前にミムスローパの防壁は突破されていた。


市民の犠牲は更に増し、ピサロスは殺害され、ミムスローパは陥落していた。


「俺たちの背後には、ドラウ・パーターがいる。必ず手柄を王に認めさせる」


言って、デリフィスは気付いた。


ドラウだけではない。

もう一人、背後にいる。


魔法兵団へ使者に出ていたノイクが戻ってきた。


「間違いなく、国境の守備をしていた魔法兵団です。それも、全部隊が帰還しているようです。魔法兵団を統率するエスリナ将軍自ら指揮を執り、一万ほどは街の暴動を抑えに向かったとのこと。更に三万が、後続としてこちらに向かっています」


魔法兵団五万。

それは、反乱軍の十万や二十万を軽く蹴散らせる戦力だった。


「待てよ! 国境はどうなる?」


「それですが、ハンク殿……」


「ホルン王国の軍が、国境から退いたか」


静かにデリフィスは言葉を挟んだ。


ノイクが驚いた顔をする。


「その通りです、デュラム殿。まだ理由は定かではありませんが、ホルン王国の軍は撤退しました。それで、魔法兵団は救援に来れたのです」


「……デリフィス。これもお前の作戦か?」


「いや。俺がやったことではない。だが、できそうな奴を一人知っている」


エス。間違いなく、あの男だろう。


あの男が、ホルン王国の軍を撤退させた。


どういう手を使ったのかまでは、わからないが。


「……とにかく、これで……守れたんだよな?」


自信なさ気に、ハンクが聞いてくる。


デリフィスは頷いた。


「そうだ。反乱は終わる。そしてハンク。お前と、お前に従った傭兵たちの活躍がなければ、反乱は成功していた。良かったな。これでお前たちは、ドニック王国の英雄だ。王と会う時は、精々礼を失さないよう気を付けろ」


「デリフィス、あんたの指揮があればこそだ」


「知らんな。俺は見学していただけだ」


ドニック王国で起きた反乱は、ドニック人であるドラウ・パーターやハンクたちの尽力により終焉する。


そこに、ザッファー人であるデリフィスの名前が連なる必要はない。


政治的な話になる可能性がある。

政治的問題に発展する可能性もある。


ザッファー政府がデリフィスの名前を利用することだって考えられる。


自分の名前がそんな使われ方をするのは、御免だった。


『英雄』などという肩書きなどいらない。


剣を振って生きてきた。

これからも、そうであればいい。


デリフィスは剣士であり、傭兵だった。

それ以上でもそれ以下でもない。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「いたなら手伝ってくれよ……」


恨めし気な眼差しのルーアに、ドラウは微笑んだ。


「今、到着したところでね」


「あっそ……」


ふて腐れたような顔になり、床に座り込む。


すぐ側には、グリア・モートが倒れていた。

もう、動くことはない。

ルーアは、勝ったのだ。


グリア・モートが脱ぎ捨てていた紫紺のマントを、ドラウは拾った。


これは、ドニック王国宮廷魔術師の証である。


ユファレートとティア、そしてピサロスとキオエラの元へ、ドラウは向かった。


ユファレートは、傷だらけだった。


ティアも、左足を負傷している。

ユファレートが、治癒の魔法を使い血を止めていた。


懸命に戦った。

ユファレートもルーアもティアも。


この場にいないテラントやシーパル、デリフィスもそうだろう。


「ここまでは、終わったね……」


「そうだね。ここまでは、終わった」


ユファレートの頭を、軽くドラウは撫でた。


この戦いの真の終わりはどこか、ユファレートはよくわかっている。


ピサロスの前で、ドラウは跪いた。


「御無事でなによりです、陛下」


「ドラウ・パーター……すまぬ、助かった……私は……」


弱々しいピサロスに、ドラウはかぶりを振った。


責任をピサロスは感じているだろう。


反乱が起きている原因は、自分にあるのではないかと。


多くの人民が争いに巻き込まれ、命を落とした。


「陛下、お願いがございます」


「……なんだ?」


「私を、臣下にしてください。そして、宮廷魔術師に任じてください」


「……」


戸惑う様子を、ピサロスは見せた。

だが、すぐに表情を引き締めた。


ドラウには、意図がある。

そして、そのことをピサロスは察しただろう。


「よかろう、ドラウ・パーター。貴公を、臣下として迎える。そして、宮廷魔術師の位を授けよう」


「謹んで、拝命いたします」


「公の場での任命は、しばらくできそうにないが……」


「今は、これを身に纏うことをお許しいただけるだけで、充分であります」


濃い紫色のマントを、ドラウは両手に持った。


「……よい。許可しよう」


「ありがとうございます」


ドラウは、マントを羽織った。


本来はローブとマントで一体であり、止め具などはグリア・モートの元にある。


ドラウは、首の前でローブの端を結んだ。


余り様にならない格好かもしれない。


「このたわけた騒動を、鎮めて参ります」


ドラウは立ち上がった。


ユファレートとティアは、心配そうに見つめている。


二人に微笑んでから、ドラウはルーアの所へ戻った。


ルーアは、肩の治療をしながら気怠そうな眼差しを向けるだけだった。


この少年は、元々軍属だったはずだ。


そのためだろうか、おそらく理解しているのではなく、感じ取っている。


この場における戦いは終わった。

もう自分の出番はないと考えているだろう。


反乱と暴動は続いている。

だが、核であるグリア・モートを失った今、敵ではない。


彼らは民である。

ドニック王国の民であり、ピサロスの民である。


殺す対象にするべきではない。


ドラウは、グリア・モートの死体の襟首を掴んだ。


力場の魔法を使用しながら、引きずっていく。


(さて、どこがいいか……)


廊下に出て、歩き、考える。

暴動する民は、どこまでピサロスに迫っていたか。


『正門でいいだろう』


声がした。エスのものだ。


(正門?)


随分遠い。

城の守備隊は、思ったよりも強固な抵抗をしてくれたようだ。


暴動する民の人数と勢いに、すぐに押し潰されるのではないかと心配していたが。


『押し潰される寸前だった。だが、暴動の勢いは著しく衰えた。やはり、帰還した魔法兵団の存在は大きいな』


(……帰還? 魔法兵団が?)


ドラウは、立ち止まり聞いた。


『そうだ』


あっさり肯定するエス。


『街の外の反乱軍のことは、気にしなくていい。魔法兵団に対抗する力などない』


「ふむ……」


呟いて、ドラウは歩を進めた。


エスは、以前手を打ったと言っていた。


魔法兵団を帰還させるということが、それに当たるのだろう。


国境に配置されていた。

戦線を放棄したのだろうか。

いや、まさか。


ホルン王国の軍が、国境付近から撤退した。

あるいは、ホルン王国と和平がなった。


ピサロスの現状からして、おそらくは前者だろう。


なぜ、ホルン王国の軍は退いたのか。

エスの仕業なのは間違いない。


どうやって。


(……『ヴァトムの塔』、かな?)


去年起動したが、十万六千二百五十二分の一のエネルギーしか使用されていない。


つまりまだ、兵器として利用可能だということだ。


『……君の鋭さ、洞察力、分析能力には、空恐ろしささえ感じるよ』


どうやら図星らしい。


ホルン王国は、ドニック王国の支配を望んでいる。


それは、南の大国ラグマに対抗する力を持つためだった。


『ヴァトムの塔』は、ラグマ王国との国境近くの街ヴァトムにある古代兵器だった。


現存する古代兵器としては最大級のものであり、もしホルン政府が自在に扱えるようになればどうなるか。


事実上、ラグマ王国がホルン王国に侵略することは不可能になる。


『ヴァトムの塔』の起動については、基本的なところまでしかホルン政府も解明できていなかったはずだ。


全てを解析しているのは、クロイツくらいなものか。


『そう……。だがクロイツは、レオンなどという者に、『ヴァトムの塔』の真の操作法を伝えた。もっともレオンは、理解しきれていなかったようだが』


(……そしてそのレオンから、君は情報を盗み出した?)


『そうだ』


レオンという者については知らないが、ユファレートたちが去年ヴァトムで巻き込まれた事件と関わりがある人物だろう。


『ヴァトムの塔』の精密な操作法を、エスはホルン政府に売った。


ドニック王国への侵略を控えるように取り引きして。


ホルン政府は、勝敗の不確かな侵略戦争よりも、ラグマ王国からの防衛に絶大なる威力を発揮するであろう『ヴァトムの塔』の情報を得ることを選んだ。


『他の部隊を残し、まずは魔法兵団が国境より帰還した。率いているのは、ザジ・エスリナだ』


「エスリナ将軍か……」


魔法兵団を統率する、ドニック王国きっての有能な将軍である。


宮廷魔術師であるマヅ・エスリナは弟であり、兄弟揃ってピサロスへの忠義に厚い。


『マヅ・エスリナは、『ジグリード・ハウル』を止めようとして、グリア・モートに殺された。無念だっただろうが、それは兄であるザジ・エスリナにより晴らされる』


「そうか……。マヅ・エスリナ殿は……」


惜しい人物を亡くした。

ピサロスは、また忠義の士を失った。


『私としても、今後のためマヅ・エスリナには生きていて欲しかった。だが、仕方あるまい』


「仕方ない、か……」


『そして、私が最も生きていて欲しいと思うのは、君だよ』


「……もうしばらくは、死なないであげるよ」


ユファレートは気付いているようだが、戦いはまだ終わらない。


グリア・モートは死んだが、暴動はまだ続いている。


なにより、この国の東部にいるハウザード、そしてクロイツ。

ルインも、どこかにいる。


廊下の途中に、テラントとシーパルが座り込んでいた。


ひらひらとテラントが右手を振る。

左腕に負傷の跡があった。


シーパルは、右腕を怪我している。


そして、二人とも疲弊していた。


「俺たちもグリア・モートを捜してたんですけどね。魔法が炸裂する派手な音がしなくなった。決着がついたと思ってたんですけど……」


テラントは、ドラウが引きずるグリア・モートの遺体を見ていた。


「そうだね。決着はついた。この通りね」


「あの、それで、他のみんなは?」


「みんな無事だよ、シーパル。ユファも、ルーアも、ティアも。勿論陛下や殿下も」


「そうですかぁ……」


シーパルが、ほっと安堵の溜息をつく。


「あとは、反乱と暴動だけど……」


テラントが、ドラウが進む方を向く。


「なんか、騒ぎが遠ざかっているんだよな……」


テラントとシーパルは、ここで暴徒たちを喰い止めるつもりだったのだろう。


「放っておいても、暴動はそのうち治まるかもしれない。ただ、早く鎮静化するに越したことはない。詳しくは後で話すよ」


テラントとシーパルを残し、ドラウは廊下を進んだ。


『間もなくだな。ここからは、『英雄』ドラウ・パーターの仕事だ』


「『英雄』、か……」


『君により、黒幕のグリア・モートは倒され、反乱は鎮まる。そして、国は救われる。かくして、またドラウ・パーターの伝説が一つ生まれる』


「……」


『英雄』扱いされるようなことは、なにもしていない。


グリア・モートを倒したのは、ルーアだった。


ユファレートやその仲間たちがいなければ、ピサロスは殺されていた。


「……彼らの方が、余程『英雄』の名を冠するに相応しい。エス、君もだ」


表に出ることは決してないだろうが、エスの活躍がなければ反乱は成功していた。


エスがホルン政府と交渉しなければ、魔法兵団は帰還できなかった。


ミムスローパは反乱軍により陥落し、ピサロスは殺害されていた。


『反乱鎮圧の影に、リーザイ政府の者がいたら、ドニック王国の民は手放しで喜べない。なにかが引っ掛かってしまう。だが、これがドニック王国が生んだ『世界最高の魔法使い』ドラウ・パーターならばどうだ』


「……」


『ドラウ・パーターにより、悪のグリア・モートは成敗された。たった二百のドニック人の傭兵たちは、二万五千の反乱軍に立ち向かった。ドニック王国が誇るエスリナ将軍率いる魔法兵団は、反乱軍を蹴散らし暴動を鎮めた。多くのドニック人が拍手喝采するだろう』


「……まあ、もうしばらくの間だからね」


長くても、あと二月というところか。


それで、重い荷物を降ろすことができる。


エスに利用されるのも、あと少しだった。


守備隊の一部が守る正門が見えてきた。


ドラウが纏う紫紺のマント、そしてグリア・モートの遺体に、察しの良い者は声を上げている。


門を開かせ、ドラウは外に出た。

正門から城の庭は見下ろせる。


守備隊は扇状に陣を敷き、暴徒たちを跳ね返していた。


攻める者も守る者も、どちらもドニック人である。


ドラウは、上空に手を翳した。

風が破裂する。

舞い散る雪が吹き飛び、まるで天候を操作しているように人の眼には映っただろう。


多くの視線が、正門から現れたドラウに集まった。


「ドラウ・パーターだ!」


いくつか声が上がる。

あるいは、エスが発生させた声かもしれないが。


紫紺のマント。

それをドラウが身に纏う意味は、みんなわかるだろう。


「ドニック王国第二十二代国王ピサロスの臣ドラウ・パーターが、諸君らに問う」


ドラウの声が、庭中に響き渡った。


エスの能力だろうが、みんなドラウの魔法だと思うはずだ。


「此度の反乱の首謀者は、陛下への恩を忘れ、抹殺せんと謀ったのは、宮廷魔術師であるグリア・モート」


グリア・モートの遺体を、ドラウは掲げた。


見える者には見えるはずだ。

腹や腰から生えている、人間のものではない足が。


「見よ。禁忌の呪法に手を染めた、この醜悪な姿を。これが、忘恩の犬の末路だ」


多くの者がざわつく。

『悪魔憑き』のことを知る者など、そうはいない。


「諸君らに問う。諸君らが仕えるのは、戴くのは、ピサロス陛下か、それともグリア・モートか?」


グリア・モートの死体を、足下に投げ捨てる。


「陛下に忠誠を誓う者は、武器を収めよ。グリア・モートの意思に従う者は、私の前に出よ。陛下に代わり、このドラウ・パーターが相手をしよう」


宣言して見渡す。


武器を捨てる音がする。

跪く者も現れる。


しばらくして、城の庭に突入してくる部隊が現れた。

魔法兵団が到着したのである。


その時には、守備隊に歯向かう者はいなくなっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


左肩の傷を魔法で癒しながら、ルーアはぼんやりとしていた。


少し離れた所で、憔悴した様子のピサロスに、なにやらユファレートは語りかけていた。


足を引きずりながら、ティアがやって来る。


かなりの深手に見えたが、もう歩けるまでに回復したらしい。


理由は定かではないが、女は治癒魔法の効果が高い。


「これで解決するのかな……?」


「さあ? するんじゃねえの」


これだけの反乱に巻き込まれるのは初めてなため、確かなことはなにも言えない。


ただ、反乱軍は核とも言えるグリア・モートを失った。


自然と終息に向かうものではないだろうか。


それに、ドラウ・パーターというドニック人なら誰でも知っている英雄が、ピサロスに味方するのだ。


エスも、裏側であれこれ手を回すに違いない。


この国の騒乱は治まり、ピサロスは玉座に座り続けることになる。


ピサロスとしては、苦しくて堪らないだろう。


グリア・モートの策略だが、反乱は間違いなく起きた。

多くの人命が失われた。


きっと、生涯ピサロスは苛まれる。


それでも、耐えてもらわなくてはならない。

せめて十年。


ユファレートとピサロスの側に、キオエラらしき人物が横になっていた。


睡眠薬でも飲まされたか、まだ起きる気配はない。


十年もあれば、この幼いキオエラも成人する。


王としての心構えを叩き込むことができる。


今ピサロスが玉座を離れれば、幼いキオエラを利用しようという第二、第三のグリア・モートが現れることになる。


(まあ、そこまでは知らないけどな)


敵がいる。


剣と魔法を用いて戦う。


他人のためにルーアができるのは、そこまでだった。


国の、それも他国の未来までは背負えない。


そういう難しい問題は、ストラームやドラウのような『英雄』と呼ばれる人物が背負ってくれる。


ドラウは今また、背負おうとしてくれているのだろう。


「大変だよな、英雄様は……」


呟くと、ティアがじっと顔を見つめてきた。


「……なんだよ?」


「ルーアもさ、結構すごいと思うけど。グリア・モートって人倒したのも、ルーアだし」


「ユファレートが頑張って、最後を掠め取っただけだけどな」


たまたま、そういう役が回ってきただけだった。


少し流れが変わるだけで、その役は他の誰かに回っていた。


だから、威張ることでも偉ぶることでもない。


「……そういうのって、ルーア、無欲だよね」


「……そうか?」


「こう……英雄願望みたいなのはないの?」


「まったくない」


「なんで?」


「……俺は、ストラームを見てたからな」


外を少し出歩くだけで、大騒ぎになる。


いきなり、名を上げたい腕自慢に決闘を申し込まれたりする。


見も知らぬ他人に命を狙われることもある。


言動の一つで記事にされたりする。


公園などでは、像が立てられている。


かなり恥ずかしいらしく、ストラームは心底嫌がっていた。


「プライベートなんて皆無だからな。英雄と書いて、晒し者と俺は読む」


「そんな嫌なんだ……」


壊滅に近い状態の玉座に間に、入り込んでくる集団がいた。


ピサロスの反応からして、近衛兵たちらしい。


今までなにをしていたと思うが、まともな近衛兵であればあるほど、ピサロスの側にはいられなかっただろう。


グリア・モートにより遠ざけられていたはずだ。


取り敢えず、ルーアは安心した。


これで、ピサロスは安全になったといえるだろう。


反乱や暴動も、ドラウやエスがきっと鎮めてくれる。


(……ん?)


ユファレートの横顔を見て、ルーアは訝しく感じた。

気を緩める様子を見せない。


これから、真の戦いが始まる。

そう語っているかのような横顔だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


自身が生み出した蒼い炎に、ハウザードは包まれていた。


蝕むような激痛が、全身を駆け巡る。


それでも、ハウザードの肉体は傷一つ付かない。


これが、『ルインクロードの器』だった。


自分の存在が、ドラウとユファレートに迷惑を掛ける。

未来を奪う。

そんなことはわかっていた。


だが、これまでなにもできなかった。


自分を破壊することもできないのだ。


だが。


ハウザードは、考えるようになった。


『器』の破壊が無理ならば、『中身』を消失させてしまえば。


どちらかが失われた時点で、『ルインクロード』を超える『ルインクロード』は成立しなくなる。


ハウザードに腕を掴まれているルインが、全身を崩しながら笑っている。


内側から、ハウザードを蹂躙している。


意識を喰らおうとしている。

内部から攻め立てられ、『器』に亀裂が走るのをハウザードは感じた。


さすがに『中身』だった。

このままでは、先にハウザードが消滅してしまうかもしれない。


「残念だったな、ハウザード。消えるのは、お前のようだ」


「そうかな……?」


限界だった。

限界の先に、別の限界があることをハウザードは知っている。


限界の状態から、更に力を捻り出す方法も習ってきた。


二人からは、様々なものを与えてもらった。

『器』は、とうに満ちている。


「……ルイン。どうやら私は、ただのハウザードではなかったようだ」


「……?」


「ハウザード・パーターなのだろう。きっと、な」


蒼い炎の勢いが増す。

静かに静かに燃え上がり、なにもかもを崩していく。

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