魔法使いと亡霊
「わかりやすくていい……」
剣を抜きながら、テラントが前に出る。
ユファレートも同感だった。
隣にいるシーパルもそうだろう。
ティアたちと別行動をし、魔術師組合へ向かう道すがら。
時刻は零時を回った頃。
遮ったのは十人以上の男たちだった。
警官たちでも、暴動している市民たちでもない。
微かに鼻につく腐敗臭。
荒れ果てた肌。
『コミュニティ』の兵士である。
争いはあちこちで起きている。
市民と市民が殺し合っている場面もあった。
戦闘になっても目立たない。
『コミュニティ』の兵士たちをただの一般市民と周囲は勘違いするかもしれないが、正当防衛を主張するのは難しくない。
武器を手に、襲い掛かってきているのだから。
正面から向かってくる者。
左右に展開する者。
三方から攻めてくるか。
テラントが踏み出し、右腕を振った。
槍の柄ごと、兵士の体を叩き割る。
いつもの魔法道具は、ユファレートの祖父ドラウに預けてある。
借り物の剣だと言うが、なかなかの斬れ味のようだ。
「ライトニング・ボール!」
シーパルが放った光球が、右から迫ってきていた兵士を弾き飛ばし。
「ライトニングボルト!」
ユファレートが撃ち出した電撃が、左の兵士二人を貫く。
市民や住居に被害が出ないように調整しなければならないため、派手な魔法は使いにくい。
テラントの斬撃で撥ね飛ばされた兵士に、後続の足が止まる。
シーパルの光球が、更に一人を倒した。
その時点で、すでに兵士たちは逃げ腰になっていた。
混乱の中に紛れていく。
無理には追えない。
市民に犠牲が出ることになる。
「いくぞ」
剣を収めたテラントの言葉に、シーパルと二人頷く。
苦戦はしなかった。
それは、三人揃っていたからだ。
ホルン王国北部でオースター孤児院を攻めてきた兵士たちとは違い、挙動は滑らかだった。
それだけでも、グリア・モートが入念な準備をしてきたことが窺える。
魔術師組合を目指した。
騒ぎが大きい所には、できるだけ近付かなかった。
病院の裏を通った。
負傷者が、続々と搬送されているようだ。
表通りの方は、もっと混雑しているだろう。
手伝いたいと思ったが、テラントに止められた。
病院に運び込まれているのだ。
一国の首都だけあって、ミムスローパは医療施設も設備も充実している。
魔法医も、少なくはない。
手伝わなくても、助かる者は助かる。
暴動を止めることを、優先するべきなのだろう。
それが、死傷者を減らすことになる。
テラントがいてくれて良かった。
ユファレートやシーパルだけなら、治療の手伝いに向かっていただろう。
暴動は、更に激しくなっていた。
放火などもされている。
炎が、闇に絡み付いているように見えた。
悔しさに、身が震える。
生まれ育った街なのだ。
故郷が、目茶苦茶にされている。
進むうちに、静かになってきた。
魔術師組合が近い。
静かなのは、この辺りに争いがないからだ。
商人組合と、なんらかの取り引きがあったのだろう。
すでに、協力の約束をしたのかもしれない。
魔術師組合の門は閉ざされ、武装した魔法使いたちが見張りに立っていたが、張り詰めた様子はない。
襲われる心配がないとわかっているのだろう。
ユファレートたちがすぐ近くに来るまで気付かないほど、緊張感がない。
「……あなたたちは?」
問われて口を開きかけるテラントを、ユファレートは制した。
「わたしは、ユファレート・パーターです」
「ユファレー……では、あなたは……」
ドラウ・パーターの孫娘として、ユファレートの容貌も名前も、ミムスローパの魔法使いたちには知れている。
「祖父ドラウ・パーターの使いとして参りました。組合長に会わせてもらえませんか?」
見張りたちが、顔を見合わせる。
「ですが、時間が時間ですし……」
「それは、出直せという意味でしょうか?」
怒りを隠さず、ユファレートは言った。
腹が立つ。
魔術師組合組合長は、組合本部の内部に住居となる部屋を持ち、家族共々生活しているはずだ。
安全圏から、この街の混乱を眺めるつもりなのか。
「あなたたちの眼や耳は飾りですか? 事態は一刻を争います。今すぐ、組合長に取り次ぎなさい。さもなくば、魔術師組合は王家から離反したと見做します。これは、祖父ドラウ・パーターの発言ととってもらって結構です」
また、見張りたちが顔を見合わせる。
遠慮がちにユファレートに視線を向け、そして一人が建物の中へ入っていった。
シーパルに肩を叩かれる。
それで、いくらか気持ちが落ち着いた。
待つ。数分か、数十分か。
苛立っているユファレートには、数時間にも感じられた。
見張りだった者を引き連れ建物から出てきたのは、三十代半ばほどの小男だった。
細い眼に、白い肌をしている。
「魔術師組合組合員の、ヨーゼフと申します」
もったいつけるような仕草を交え、恭しく自己紹介をする。
「組合長は?」
「中でお待ちですよ。あなたも、どうぞ中へ」
「……」
話し合いに応じるつもりか、罠があるのか。
唾を呑み込んでから、ユファレートは頷いた。
数歩進んだところで、背後に見張りの者たちが割り込む。
テラントとシーパルを、遮っているのだ。
「規則により、夜九時以降は、組合員以外の方が建物に入ることはできません」
丁寧に、ヨーゼフが言う。
この街に暮らしてきたユファレートは、一応魔術師組合に所属していた。
ドラウの元で修業を行っていたので、組合を訪れることはほとんどなかったが。
「ユファレート・パーターさんはともかく、あなた方は組合員ではありませんね?」
「それは……」
シーパルが、言葉を詰まらせる。
「ドニック王国魔術師組合に、ヨゥロ族の組合員はいません。そちらの方に至っては、魔法使いでさえもなさそうだ」
テラントの鍛え上げられた体躯に腰の剣を見て、魔法使いだと思う者はそうはいないだろう。
「でも……」
シーパルは、喰い下がる理由を捜しているようだ。
ユファレートたちを分断しにきているように思える。
もしそうなら、罠である可能性が非常に高い。
「……いいよ。シーパルたちは、先に行って」
だがユファレートは、そう言った。
明確に、商人組合とは口にしなかった。
ヨーゼフや見張りの魔法使いに聞こえる。
魔術師組合と商人組合が結託しているのは、まず間違いないだろう。
今のところ、商人組合が暴動の中心である。
商人組合を止めれば、魔術師組合も動けなくなるかもしれない。
「ユファレート……」
「大丈夫だから」
いざとなれば、長距離転移の魔法で家に帰ることができる。
先程の襲撃は、家を出てしばらくしてからのことだった。
多分、外に見張りがいたのだ。
家を制圧されている可能性もある。
その場合は、家に転移するのは危険であるが、おそらく大丈夫だろうとユファレートは考えていた。
無人の屋敷を押さえることに、余り意味はない。
そんなことに人員を割くくらいなら、もっと混乱が増長するように人を配置する。
『コミュニティ』の目的は、ユファレートたちを倒すことではなく、ドニック王国を自分たちのものにすることなのだから。
シーパルの肘の辺りをテラントが掴み、ユファレートのことを見つめてきた。
互いに頷く。
そして、シーパルとテラントは東へ駆け出した。
(わたしも、必ず追うから)
胸中で、去り行く二人に呟く。
道は、適当に誰か捕まえて、案内してもらえばいいだろう。
「それでは、中に」
恭しくヨーゼフが言う。
含み笑いが混ざっているように、ユファレートには聞こえた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドラウ・パーターと名乗れば、閉ざされた門さえも開く。
ミムスローパの街の外、街道を見下ろせる丘陵で、ドラウは待った。
計算に狂いがなければ、そろそろのはずだ。
(来たかな……?)
いくらか視力の衰えた眼を細め、地平を見遣る。
軍勢の姿。
明かりを消していないのは、奇襲を仕掛ける意思がないことの表れだろう。
総勢二万。
だが、二万の軍勢が完全に一塊になって進軍することはないだろう。
いくつかの部隊に分けるはずだ。
最低でも、前軍と後軍くらいには分ける。
ミムスローパ付近は反乱軍にとっては敵地であり、奇襲を警戒して本隊は先鋒から離すはずだ。
地方で盗賊団とやり合った程度の経験しかない者に、兵法を無視して進軍するだけの度胸がある訳がない。
見える軍は、二、三千に思えた。
まずはこれを蹴散らし、本隊と合流させる。
部隊の収容と再編成には、手間が掛かる。
元が混合の軍ならば、尚更である。
半日は時間が稼げるはずだ。
「エス」
静かに呼び掛ける。
『……なにかね?』
気怠そうな、エスの声。
「指揮官と副指揮官のデータの転送を」
『私は今、クロイツにより能力の大半を封じられている。すまないが……』
「できないとは言わせないよ」
泣き言など聞きたくはない。
「君は、クロイツ以外の二十四人を喰らった。クロイツに力を封印されても、まだまだ余力があるはずだ」
『……』
「全力を尽くすと、君は言った。半端な協力でドニック王国が奪われるような事態になったら、僕は君を許さないよ」
エスの本体がどこにあるか知っている。
残された時間と引き換えに、エスをこの世から消滅させることも不可能ではない。
脳に刺激を感じた。
映像が頭に浮かぶ。
三人の男たち。
指揮官に、二人は副指揮官だろう。
三人の軍勢における位置、そしてドラウとの距離まではっきりと表示される。
音声まで、耳に響いた。
(届く……!)
距離を計算して、ドラウはそう判断した。
足下に、魔法陣を展開させる。
何十年とこの国で生きてきた。
そして、『コミュニティ』と争い続けてきた。
有りとあらゆる事態を想定して、様々な仕掛けを準備し、対策を練ってきた。
ドニック王国の国土全域に、魔法陣はいくつも仕込んである。
魔法陣は、空の状態に影響を受ける。
月や星の位置は、申し分ない。
魔法陣が、蒼く強く輝く。
強化するのは、魔法の効果範囲、精度、最大速度、加速度。
威力は、人をなんとか殺せる程度まで絞る。
殺戮する必要などない。
威力を絞ることにより、魔力の温存にもなる。
辿るべき軌跡が、脳内にはっきりと描かれる。
これは、エスの力によるものだ。
『リーザイの亡霊』の助力があって初めて可能な、超遠距離からの超精密狙撃。
翳した掌の先に、空間を軋ませながら闇を拒絶する光が生まれる。
収束する。
「ティルト・ヴ・レイド!」
光が尾を引く。
それは、一条の光芒。
加速し、音速を超えて突き進む。
軍勢の中に、魔法使いがいるかもしれない。
魔法が放たれたと察知するのは、魔法が炸裂してからになるだろう。
つまり、初撃は防御も回避も、普通の魔法使いには絶対に不可能。
ソフィアの『邪眼』のように先を視る力か、ザイアムの『ダインスレイフ』のような防御力場がなければ、絶対に防ぐことはできない。
光芒が、指揮官の頭部を破砕する。
ドラウは休まなかった。
続けて、二発目三発目と光芒を放つ。
咄嗟の判断力がある魔法使いが相手にいたら、魔力障壁を発生させるはずだ。
それも、自分の周りだけだろう。
自身を危機に曝してまで、副指揮官を守る者がいるとは思えない。
それでも一応、今度は魔力障壁くらいなら貫けるだけの威力を込めた。
光芒が、副指揮官たちの上半身を消し飛ばす。
近くにいた者にも、害は及んだはずだ。
せめて死なないでくれ、とは思う。
それ以上は、情けを掛ける余裕もない。
「指揮官と副指揮官がやられたぞ!」
エスが、叫びのような音声を届けてくる。
ドラウは、背後に炎の壁を高々と発生させた。
演出である。
「あそこを見ろ! ドラウ・パーターだ!」
「ドラウ・パーターが、王都の防衛をしてるぞ!」
そして、退却の鐘が鳴り響いた。
おそらくは、エスの仕業だろう。
叫びも鐘も。
夜の闇の中では、指揮官と副指揮官たちが狙撃されたと完璧に把握できた者は、まずいなかったはずだ。
この距離で、ドラウ・パーターだと判別できるはずがない。
人など、米粒くらいの大きさにしか見えない距離だ。
退却の鐘は、指揮官の指示でしか鳴らすことはできない。
勝手に打つのは、明確な軍令違反である。
軍勢を恐慌に陥れ退却させるために、声と鐘の音を発生させた。
悲鳴を上げながら逃げていく。
そこで、エスが見せてくれていた映像は消えた。
肉眼で、退却していく部隊を確認する。
波が引くかのような勢いだった。
敢えて踏み止まるという者はいない。
(これで半日……もしかしたらもっと、時間を稼げたはず……)
ドラウは咳き込んだ。
口から流れ出てくるものがある。
ハンカチを取り出し、口元を拭った。
『……食道にできた瘤の一つが破裂したな。余り無茶はしないことだ。残された時間が、更に縮まることになる』
ハンカチが何色に染まったか、夜でもわかる。
ドラウは、それを捨てた。
こんな物、孫たちには見せられない。
志気に関わる。
「時間は、稼いだ……」
目眩を感じながら、ドラウは声に出して言った。
この間に、街の暴動を止める。
ユファレートたちが、どこまでやってくれるか。
街が落ち着いたら、グリア・モートを討つ。
反乱軍を退ける。
ハウザードを止める。
疲れていた。
ここまでの移動に、魔法も使用したのだ。
そして超遠距離からの超精密狙撃三連発。
それでも、十年前なら疲労を感じることはなかった。
やらなくてはならないことが、山ほどある。
疲れている暇などあるか。
ドラウは、自分に言い聞かせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
珍しく、王の居室に召し出された。
長年ドニック王国に仕えてきたグリアにも、余り記憶にないことである。
深夜だが寝衣ではないピサロスに、グリアは膝をついた。
「このような時間に、いかがなさいました
、陛下」
部屋には、グリアとピサロスしかいない。
ピサロスはまだ三十代だが、肌は衰え五十くらいに見えた。
多くの勢力と、神経を削り付き合ってきた。
積もった心労が、外見にも影響を及ぼしている。
この十年で、かなり痩せた。
「……モートよ。セルミグラとインツァロの軍は、どうなった?」
「余り気になされますな、陛下。ミムスローパには、五千の守兵がおります。反乱軍ごとき、見事に撃ち破ってみせるでしょう」
「……民の暴動の方は、どうなっておる?」
居室からも、街に点いた炎は見えるはずだ。
「それも、気になされますな。じきに、鎮まることでしょう」
「モートよ……」
深く、ピサロスは溜息をついた。
「お前の狙いは、私であろう……」
「……なんのことでしょうか?」
冷笑を浮かべ、グリアは聞いた。
「これ以上、民を巻き込むな。これは、私からの最後の命令だ……」
間もなく殺されると、わかっているのだろう。
ピサロスが死ねば、国民の憎悪の対象は、キオエラ王子に移る。
キオエラはまだ若く、どこまで堪えられるか。
だがそれでも、一旦民心は落ち着くだろう。
キオエラへの愛情はあるが、それ以上に民のことを重んじる王だ。
だから、死ぬ覚悟ができる。
だがそれは、もう少し先の話だ。
この反乱は、もっと大きくなる。
街は荒廃する。
最高潮に達した時に、ピサロスには死んでもらう。
すでに、ピサロスの周りの者はほぼ全員手懐けてある。
グリアを討とうという忠義の臣もいたが、すべて返り討ちにした。
先々代の王の時代から、少しずつ王家の力を剥いでいったのである。
新聞社も情報屋も押さえてある。
王は悪でグリアが善という構図が、市民の頭の中にはできあがっている。
「モートよ……」
「なにも心配はいりません、陛下。あのドラウ・パーターも、反乱鎮圧のために協力してくれております」
「ドラウ・パーターが……」
「明日にでも、すべて終わるでしょう。陛下はなにも御心配なさらず、お休みください」
ピサロスは、このところ体調を崩していた。
精神的な疲れからだと、グリアは思っていた。
恭しく頭を下げ、グリアは退室した。
(ドラウ・パーターか……)
廊下を歩みながら、呟く。
そう、あとはドラウ・パーターなのだ。
あの男が、どう動くか。
だがドラウ・パーターとはいえ、今から局面を打破できるのか。
二万の軍勢の殲滅など、できないだろう。
精々、足止めまでが限度のはずだ。
多くの組合が、『コミュニティ』への協力を約束している。
その潜在的戦力は、二万どころではない。
ドラウ・パーターといえども、どうしようもないはずだ。
(最後は、私の勝ちだな、ドラウ・パーターよ……)
ドラウ・パーターは、病を患っている。
もう、長くないはずだ。
今回が、彼の最後の戦いになる。
グリアも、歳が歳だった。
何十年も掛けて計画したことが、実を結ぼうとしている。
終わってしまえば、充足感から心が枯れ果ててしまうような気がする。
だから、グリアにとってもこれが最後の戦いだった。
これまでに、何度もドラウ・パーターとは戦った。
魔法使いとして勝利したと感じたことは、ただの一度たりともない。
いつも、ドラウ・パーターの方が上手だった。
眼の上のたん瘤。
グリアにとってのドラウ・パーターは、まさにそれだった。
それでいて、嫌いではない。
同じ魔法使いとして、尊敬さえしている。
だが、今回だけは勝たせてもらう。
魔法使いとしては勝てなくても、謀略でなら勝てるのだ。
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