歳月の重み

「なんで俺らだけ外なんだよ……」


鼻を啜りながら、ルーアはぼやいた。


「しかも、オースターと一緒だし」


「……なんか文句あんの?」


「時間が余計に掛かるのが嫌なんだよ」


寒いのだ。

厚着をするのも限度がある。


北国出身のティアは、割りと平気そうだが。


「すまないね」


遅れて、ドラウが庭に出てきた。

手には、鳥の羽を象ったような派手な柄の剣を持っている。


貴族の館の壁などに飾られる、装飾用の剣に見えた。


「一人ずつ相手をするのが、面倒になってね」


「おい……」


「冗談だよ」


ひょいとドラウは肩を竦めた。


「一人は、すぐに終わりそうだからね」


それは俺だろう、とルーアは思った。


ストラームとランディの教えを受けてきたのだ。


自分を完璧などとは間違っても思わないが、そこまで目立つ欠点もないはずだ。


それに比べ、ティアなどは弱点だらけである。


寒いのは不満だったが、素直にドラウに会うことにした。


なにをしようとしているか、わかるからである。


長く生きた者として、『コミュニティ』と戦い続けた者として、ルーアたちを教え導こうとしている。


今後の戦いに向けて、装備や能力の強化は、確かに必要だった。


そしてドラウ・パーター。世界最高の魔法使いと呼ばれている男。


べつにストラームよりも上だとは思わないが、彼の視点ならではの発見や発想があるはずだ。


「まず、ティア。君は、小剣を遣うね?」


「あ、はい。えと、遣い慣れているのを無くしちゃったので、買い替えたんですけど……」


孤児院の家族たちに金を工面してもらって、街で新たに購入していた。


テラントやデリフィスが見立てたので、大きな間違いはないだろう。


ルーアも剣を失ったので、新しく買っていた。


これまで遣っていた物よりも、わずかに重い。


年齢と骨格からして、まだ筋力も腕力も上がるはずだ。


ちなみに、ルーアは金銭的には全く困っていない。


一般市民の月収は、平均して二十万ラウ前後と言われている。


『バーダ』隊員に与えられる給料は、それよりも遥かに多い。


基地の二階にある空き部屋を宿舎代わりに使い、基地にいれば食事も用意される。


生活費というものが、ほとんど掛からない。


たまの休日に、遊んで金をばらまくということも、ルーアにはなかった。


遊びで金を使うという発想が、まず無かったと言っていい。


休日は、朝から晩までストラームかランディにしごかれていた。


国家に仕えていたため、税金で取られることもない。


よって、『バーダ』隊員だった二年半の給料は、ほぼ手付かずの状態だった。


それが、今のルーアの旅の資金になっている。


「ティア、これを遣ってみないかい?」


ドラウが、あの派手な剣を鞘から抜く。


銀の剣身から光が零れ、やはりルーアには、装飾用の剣に見えた。


「それって……」


「魔法剣だよ。銘は、ええと……『フラガラック』、だったかな」


「魔法剣!」


驚くティアの横で、ルーアは抗議しそうになった。


魔法剣など、ティアに扱えるのか。


ティアに渡すくらいなら俺に、と思ったのである。


だが、『フラガラック』とやらを見て、抗議は取りやめた。


剣としては短い。

小剣サイズだろう。


もちろん扱えるが、好きな長さの武器ではなかった。


「使い方を、見せるね」


ドラウが『フラガラック』を振り上げる。


同時に、体内から魔力を引き出しているのをルーアは視た。

無色透明に色彩された魔力。


ティアの眼には映らないだろうが、魔法使いであるルーアには視える。


それが、『フラガラック』の剣身に絡み付き。


ドラウが、魔力を解き放ちながら振り下ろす。


まるで斬撃が飛んだかのように、衝撃波が突き進み積もった雪が吹き散らされていく。


「……これが、『フラガラック』の力だよ」


(……なぁ~にが)


しれっと言うドラウに、ルーアは半眼を向けた。

とんだペテンである。


魔力を、なにかに付与する。


魔法の一種で、攻撃にも防御にも応用できる。


それを斬撃として放つとは、さすがに偉大な魔法使いらしく、器用なものだった。


わざわざそんな真似をするよりも、即座に撃ち放つ方が楽ではあるが、相手にとっては時間差攻撃をされたくらいの意味はあるだろう。


特に、魔力の視えない、つまり魔法使いではない者が相手の時には、有効な手かもしれない。


(……で、なんのつもりだ、この爺さん?)


今放たれた斬撃は、魔法であり魔法使いの技術によるものである。


『フラガラック』とやらの力ではない。


そもそも、魔法剣であるかも疑わしい。


「い、今のって、あたしにもできるんですか?」


「もちろんだよ。やってごらん」


やや興奮気味に言うティアに、好々爺よろしくドラウが頷く。


なんのつもりなのか。

ルーアは、無言で二人を観察した。


これは魔法剣だよ。手本を見せてあげよう、ほら。わあ、すごい。練習すれば使えるようになるよ。売ってあげよう。


立派な詐欺である。

ペテンでイカサマである。


『世界最高の魔法使い』ドラウ・パーターは、その名と魔法の腕を利用した詐欺師なのか。


(まさかな……)


ユファレートの祖父である。

さすがにそれはないと思いたい。


意図を探るべく、ルーアは観察を続けた。


ティアは、『フラガラック』を振り回している。


やがて、疲れたのか動きを止めた。


「……出ない」


当たり前である。


「もっと落ち着いて」


ドラウの助言。


胡散臭いものを見る眼で、ルーアは老人を見つめた。


「自分の中から、力を引き出すように」


「……自分の、中から?」


「君は、ザイアムを見た。彼が、『ダインスレイフ』を振る姿を。斬撃を飛ばすところを。それを、思い出しながら振りなさい」


ザイアムの名に、ついルーアは胸を押さえた。


シーパルやユファレートの治療のお陰で、もう痛みはない。

視力も回復した。

それでも時々、疼く感じがする。


「あの人、みたいに……」


すっと眼を細め、ティアが『フラガラック』を振り上げる。


ゆらりと、湯気のようなものがティアの手首の辺りから立ち昇るのを、ルーアは見た。


(……って、おい!?)


湯気、いや、白い光だろうか、『フラガラック』に絡み付き。


ティアが、掛け声と共に振り下ろす。


雪上を、光が走った。


「あ。できた」


「ちょっ……」


「うん。いいね」


「ちょっ……」


「でも、ドラウさんの時と、色が違いますね」


「ちょっ……」


「ああ、それは……個人差があるみたいだね」


「ちょっ……」


「へえー、そうなんですかぁ」


「ちょっと待てぇぇい!」


叫んで、ルーアはティアに詰め寄った。


「『あ。できた』、じゃねえよ! そんなんでホイホイあんなのが出せてたまるか! 貸せ!」


無理矢理、『フラガラック』を奪い取る。


「フーちゃん!」


ティアがなにか言っているが、それは無視。


ルーアは、『フラガラック』を振り上げた。


(なんだって? 落ち着いて力を引き出す?)


ドラウが言った言葉を思い出す。

つい魔力を引き出してしまい、ルーアはそれを霧散させた。


ドラウは確かに魔法を使ったが、ティアは違う。


装飾用の剣にしか見えないこの『フラガラック』には、なにかがあるのだ。


(……で、ザイアムと『ダインスレイフ』を思い出しながら……)


簡単だ。

三年間、あの男を見てきたのだ。


(……振る!)


『フラガラック』を振り下ろした。


剣としてなかなかの斬れ味なのか、綺麗に空気が裂けるのを感じる。


そして。


ティアが、口元に手を当てた。


「ぷすっ。なにも出ない。ルーア、ださっ」


当然ながら、衝撃波も光も出ない。


「ええいっ!」


ルーアは、『フラガラック』を地面に叩き付けた。


「あたしのフーちゃんが!?」


ティアが、『フラガラック』に駆け寄る。


「……さっきからなんだ、そのフーちゃんてのは?」


「『フラガラック』だから、フーちゃん」


「いや、それはわかるが……」


なんかこの女は、精神年齢の上下動が激しいような。


兄も姉も弟も妹もいる。

甘えることもあれば、面倒を見ることもあっただろう。

そのせいかもしれない。


「いや、そんなことはどうでもいい! 爺さん!」


ルーアは、今度はドラウに詰め寄った。


「あれはなんだ!? あんた、なにをした!? 一体どんなトリックで……」


友人の祖父である。

年配者である。

目上の者であろう。


だが、頭の中から礼儀というものはすっ飛んでいた。

それくらい、取り乱していた。


「べつに僕は、『フラガラック』の扱い方を説明しただけだよ」


「嘘付け! あんなぼんやりとした説明で、あんなもんが出せてたまるか!」


視界の隅では、ティアがあの光のようなものをずばずば出している。


威力としては、たいしたことはないだろう。


落ちている木の枝を折るのが精々のようだ。


「それやめろ! なんだそれ!? あれか!? 斬新な芋虫を食べたのか!? 副作用か!? デリフィスも出せんのか!?」


「もう! さっきからうるさい!」


「納得いかねえんだよ!」


「なんでよ!? ルーアだって魔法使えるじゃない! あたしにも必殺技の一つくらいあってもいいじゃない!」


「魔法とそんな訳のわからん技を一緒にするな! 魔法が使えるようになるまで、どれだけ苦労したか……」


魔法を使えるようになるまで、誰だろうと何ヶ月もの訓練が必要になるだろう。


魔法使いを名乗れるくらいにまで、自在に魔法を扱えるようになるには、さらに何年もの訓練を重ねなければならない。


魔法は特別な力かもしれないが、得るまでに莫大な時間を消費しているのだ。


そういうことを、喚いていく。


「その技の飛距離と威力を、記憶しておくんだよ。加減もできるようになりなさい。余り使い過ぎるのは、体の毒だ。今日のところは、これくらいにして」


「はーい」


ルーアの言葉など聞こえないかのように、二人で話している。


礼を言って、ティアは屋敷に戻っていった。


「僕は、ちょっとトイレに行ってくるから。少し待ってて」


そう言って、ドラウも玄関に行く。


「納得いかねえぇ……」


庭に一人残されたルーアは、雪に膝と掌をついて呻いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアは、足取り軽やかに部屋へと戻っていく。


後方から眺めていたドラウを待ち伏せしていたかのように扉が開き、ユファレートが部屋から出てくる。


窓から、庭の様子は見ていたのだろう。


「……あの剣って、普通の剣よね?」


「うん。そうだね」


『フラガラック』という銘で呼んでみたが、出任せである。


それらしく見える剣を、ドラウが見つけただけだった。


ただ、剣身はしっかりしたものである。


斬れ味はなかなかだろうし、耐久性に優れた剣だった。


「じゃあ、あの光が……」


「ティアの力の一端、ということになるね」


「……」


ロウズの村で、ティアは一度あの力を使っている。


無意識下のことだろうが、体は記憶していたのだろう。


思いの外あっさりと、その力を引き出すことができた。


「彼女の力はね、言うなれば、中途半端になんでもできる力だよ」


「……なんでも?」


「今は斬撃の形にしかできないだろうが、傘のように拡げて盾とすることも、傷を癒すこともできるようになるだろう」


「そんなことまで……」


『天使』にも『悪魔』にも、破壊や防衛、修復などの力がある。


おそらくティアも、同じことができるだろう。


「あとはユファ、お前が導きなさい。お前の言うことなら、あの子は素直に聞くだろうし」


「うん……」


「ただし、最初は余り使わせ過ぎないこと。有限の力かもしれない。魔力のようには回復しないかもしれないからね」


莫大な力である。

そして、ティア・オースターという『器』は、余りに小さい。


力を小出しにすることしかできないだろう。


それでも、使い続ければいつかは枯渇するかもしれない。


ある日突然、使えなくなるかもしれない。


「それともう一点、『ヴァトムの塔』の力と結合した彼女の力は、おかしな変化をした」


「おかしな?」


「その力の本質は、おそらく……エスの力に非常に近い」


「エスさんに? それってどういう……」


「僕にもよくわからないな。なにか意味があるのかもしれない。お前が、注意深く見守ってあげなさい」


そして、ドラウはユファレートの肩を叩いた。


「それと、トイレに行きたいというのは、本当なんだ」


「あ、はい」


少し慌てて、ユファレートが道を開ける。


廊下を歩きながら、ドラウは考えた。


エスに近い力。

ならばティアにも、重要な役割があるのかもしれない。


敵を倒すとか、誰かを守るといったことではなく、ティア・オースターにしかできない何か。


(彼女を導くのは、僕じゃない、ね……)


役割を自覚するのは、いつになるか。


雪が落ちる音を聞きながら、ドラウはそれを考えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアはショックを受けているようだった。


気持ちはよくわかる。

魔法使いとして、なにかを否定されたような気分だろう。


精神的に立ち直るのを待つつもりはなかった。


怪我をしていようと平常心を失っていようと、敵は容赦をしてくれない。


ドラウはルーアを立たせると、ユファレートたちと同じことをさせた。


光球が生まれる。

威力としては、悪くないだろう。


だが、微かにドラウは眼を細めた。


「もう一回」


光球が消え、また生まれる。


「もう一回」


ほんのわずかだが、ルーアから苛立ちのようなものを感じた。

忍耐力がない少年である。


それでも、ルーアは魔法の解除と発動を行った。


「もう一回、今と全く同じようにやってごらん」


光球が消え、全く違う発動速度で威力も精度も異なる光球が生まれた。


「……全然なってないね」


小さく溜息をつき、ドラウはルーアに聞こえるよう呟いた。


「……なってるだろ」


「なってないね。一発ごとに全ての面で誤差がでている。だから、安定しない。まったく、ストラームの奴め……」


予想はしていたが、予想よりも少年は未熟だった。


「ストラームが、なんなんだよ……?」


「君がどう思っているか、まあ見当はついているが……ストラームは、師としては未熟だよ。君のような、凡人の師としてはね」


「……なに言ってんだよ。ストラームだぞ。ストラーム・レイル。ストラームが未熟な訳……」


「あいつは、特別だよ」


「わかってるよ」


「わかってないね」


鋭くドラウは否定した。


「一を教えて一を理解するのを凡人とするならば、十を理解できるのが天才だろう。ストラームは、天才の中でも特別だ。一を教える前から、百のことができる」


「……」


「そんなあいつだからこそ、理解できないのさ。なんでこんな簡単なことが、他の者にはできないのだろう、と」


凡人を理解しようと、努力しただろう。

理解したつもりにもなっただろう。


だが、ドラウに言わせれば全く理解していない。

できるはずがない。


ストラームと凡人では、最早別の生き物と言ってもいいくらいの隔たりがあった。


完全に理解できるはずがないのだ。


ドラウ・パーターという男が、女性の感情や心の変化を完全に理解できないように。


周囲の者にも、問題があった。


エスが捏造したものも含む噂や伝説で、誰もがストラームを英雄だと思う。


特別な存在だと思いながら接する。


なかには、神であるかのように崇める者もいるだろう。


ストラームが行うことなのだから、正しいと。


それは違う。


戦闘者としては、ストラームに並ぶ者などそうはいないだろう。


絶対かもしれない。

戦闘の場においては。

だが、それ以外の場では違う。


ストラームにも、わからないことはある。できないことがある。


「……待てよ」


ドラウから眼を逸らしながら、ルーアが言った。


きっと思い出しているのだろう、これまでの訓練を。


「確かに俺の基礎力は、完璧には程遠い。ストラームは、基礎を重視しなかった。でもそれは、俺が剣と魔法を併用して戦うからだ」


「ふむ」


「普通よりも、複雑な戦い方になる。咄嗟の判断や、経験、様々な応用……。だからストラームは、俺により実戦的な訓練を……」


「だがそれは」


静かに、言葉を滑り込ませる。


「基礎を疎かにしていいという理由にはならない」


「……」


ルーアが、声を詰まらせる。

絶句に近いだろう。


「確かに、ストラームの訓練で得たものはあるだろう。逆境における精神的な強さ、土壇場での閃き、君の言う判断力。得難いものだ。だがそれも、基礎あってのことだよ」


「それは……」


「ランディ・ウェルズに、感謝することだ」


「え……」


テラントは言った。


ルーアの剣士としての基礎はしっかりしている、と。


体捌きなども、含まれているだろう。


その教えがなければ、とっくにルーアはどこかで死んでいた。


「おそらくランディ・ウェルズが、剣士としての基礎を君に叩き込んだ。違うかい?」


「……」


「君の幸運は、ランディ・ウェルズという男が師だったこと。そして君の不幸は、ランディ・ウェルズが魔法を使えなかったことだよ」


たった二年半の訓練で、テラントほどの剣士に認めさせるだけのものを、ルーアに仕込んだ。


ランディ・ウェルズは、弟子を育成するという点で、間違いなく天才だった。


「君は、なぜ僕の話を聞こうと思った?」


「なんでって……」


「短期間で、とてつもなく能力を向上させてくれる。『ダインスレイフ』のような、とてつもない武器を授けてくれる。そんな期待はしなかったかい?」


「……」


図星とまではいかないが、まったくの的外れでもないだろう。


『英雄』ドラウ・パーターだから、『世界最高の魔法使い』だから、特別なことを教えてもらえる。


少なからず、そんな意識があったはずだ。


要らぬ肩書きだと、つくづく思う。


いっそ邪魔でさえあった。


「僕が君に教えられるとしたら、魔法使いとしての基礎だよ」


「……基礎」


「そしてそれは、何ヶ月も何年も掛かって、実を結ぶものだ」


「何年もって……」


「意外かい? ユファやシーパルも、今の力を得るために、十数年と基礎を学んだはずだが」


「けど、そんなに敵は待ってくれない」


「確かにね」


風が強い。

ドラウの背中を押すような風だ。


風に逆らい、少年は立っていた。


「あんたの言う通りにやれば、俺は強くなれるのか?」


「少しはね」


ただ、爆発的に進化することはない。


基礎がなってないとはいえ、ルーアは魔法使いとして一流の腕を持っている。


急激に成長する未熟な時期は、とっくに過ぎていた。


「それは、ストラームを超えるような、ザイアムやソフィアに勝てるような強さなのか?」


「まさか」


愚かな質問だった。

ルーアもわかっているだろう。


「基礎をマスターしたくらいじゃ、ストラームのような天才には届かないよ。ザイアムやソフィアもまた然り。彼らも、ストラームと同じ人種だからね」


「それじゃ駄目なんだよ……」


唾棄するように、ルーアは言った。


「そんなのじゃ、駄目なんだ……俺は……」


それを、ドラウは静かに見つめていた。


おそらくルーアは、過去のことを思い出しつつあるだろう。


知ったはずだ。

一時的にとはいえ、ザイアムやソフィアにも劣らない、巨大な力を手にしたことを。

だから、求める。


「悪ぃけど、あんたの教えは、俺には合わないと思う」


「そうか」


無理強いをするつもりはなかった。


学ぼうという意欲がなければ、教えても吸収しない。


ルーアにとってストラームは、尊敬する存在だろう。


それを否定された気分にもなったはずだ。


「俺よりも、さ……ユファレートやシーパルがいるだろ? あいつらの方が……」


「ユファやシーパルには、もう教えることはないよ。そして、君が一番伸び代がある。これは、悪い意味でだが」


基礎が未完成である。

それは、改善できる。


それには、ルーアがその気にならなくてはならない。


「あんたの教えだと、時間が掛かり過ぎる。無駄になると思う」


「そうかもしれないね」


「俺は俺のやり方で、道を捜すよ」


「わかった」


ルーアが、屋敷に戻る。

風が強い。

暗くなってきた。

冬は、日が沈むのが早い。


ルーアが拒むのは、予想していたことだった。


ルーアにとって、ストラームは絶対なのだから。


だが、彼も馬鹿ではない。

考えるはずだ。

そして比べるはずだ。

自分と、ユファレートやシーパルを。


魔法使いとして、あらゆる点で劣る。

自覚しているだろう。


そして気付くはずだ。

最も劣っているのは、基礎的な能力だということを。


その後どうするかは、ルーア次第だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


夕食の後、ルーアはすぐに部屋に戻って横になった。


この部屋にも、無数に本が置かれていた。


ドラウは余り整理は上手くないのか、本棚で逆さまになっている物もある。


昨日は全く気にならなかったが、今日は妙に苛々した。


そういうことは、ルーアも大雑把であるはずなのに。


(違う……か。違うよな)


逆さまの本に苛立っているのではない。


ドラウの指摘。

自分の未熟さなど、よくわかっている。


隣に、ユファレートとシーパルがいたのだから。


だが、ストラームの指導を受けてきたのだ。


ルーアなりに、強くなってきたつもりだった。


ドラウの言うことが正しいのもわかる。

だが、時間が掛かり過ぎるのだ。


基礎ができるまで、何ヶ月何年と掛かるという。


ルーアにとっての数年は、『コミュニティ』にとっての数年でもある。

もっと他の方法はないのか。


「まったく、君には呆れ果てたな」


「……!?」


ルーアは跳ね起きた。


夜であり、明かりは消していた。

寝台で、仰向けになっていた。

そこへ、いきなり枕元に、白い姿のエスが出現したのだ。


「……お前は、ほんと現れ方を考えろ……」


「そんなことはどうでもいい。今日ほど、君を愚かな子供だと思ったことはない」


「……あん?」


いつになく厳しい口調である。

怒りさえも感じるような気がした。


「なぜ、ドラウ・パーターの教えを受けようとしない?」


「……ンなの俺の勝手だろ」


エスの溜息。

吐く息が白いのは、寒さのせいなのか。


「魔法使いを育てるということについて、ドラウ・パーター以上の存在はいない。ユファレート・パーターを見よ。彼女はまだ十九歳だぞ。それにも拘わらず、すでに魔法使いとして最高に近い力を持っている」


「……」


「なぜハウザードは、ドラウ・パーターに師事したのか。少しは考えたまえ」


「……うるっせえな」


「ドラウ・パーターは、この街で生まれた」


「……なんだよ、いきなり」


「黙って聞きたまえ」


「……」


ここまで押しの強いエスは、初めてだった。


「生まれつき、普通よりは強い魔力を持っていた。だが、父親は平凡な魔法使いでしかなく、ドラウを充分に導くことができなかった。貧しかったため師につくこともできず、制御力がまだ未熟だったドラウは、ある日力を暴発させた」


「……」


「幸い死者は出なかったが、負傷者は出た。その件で街に居づらくなった一家は、この国を去りホルン王国北部へと移り住んだ」


なぜ外国にまで行くのか、と一瞬疑問に思ったが、ルーアはすぐに自己解決した。


素質がある子供ならば、国が預かると言ってきてもおかしくない。


そしてドニック王国には、魔法兵団がある。


息子が戦争に連れていかれるのを、ドラウの両親は嫌ったのではないか。


憶測だが。


「彼らが新たに暮らすことになったのは、『火の村』アズスライ」


確か、鍛冶が盛んな村である。

そして、風習として土葬ではなく火葬である。

だから、『火の村』として知られている。


「ところが、そこでもドラウは力を暴発させ、今度は両親を死なせてしまった」


「なっ……」


「だからだろうね。彼が弟子たちに徹底的に基礎を教えるのは」


「……べつに俺は、今更魔力の暴発なんて失敗はしねえよ……」


また溜息をつくエス。


「ドラウは孤児院に預けられることになった。そこで出会ったのが、彼だ」


エスの話は続く。


「彼?」


「ストラーム・レイル」


「……」


「二人とも、幼くして強力な魔力を持っていた。そして、制御が未熟だった。孤児院では、孤立していたな」


ストラームにも、そんな時代があったのか。

初めて聞く師の話だった。


「だが、二人にも居場所ができた。孤児院を訪れた旅人が、二人を引き取り、師となり、制御法を教えた。その者は、ライア・ネクタスの祖父の師でもあった」


「ライアの、祖父?」


意外な名前に、ルーアは声を上げた。


ストラームに師がいたことも、変な感じがした。


いや、魔法使いなのだから、師がいて当然だが。


師の師というのが、想像できない。


「二人にとっては、兄弟子になるな。そして、友でもあった。だが……」


「……」


ライアの祖父は、二十歳で死んでいる。

父親も、二十歳で死んでいる。


「『コミュニティ』との戦いで、死んだ。二人の師も、殺された。そして二人に託された、ライア・ネクタスの父になる者も、殺された」


「殺された!? 『コミュニティ』に!?」


それは、知らなかった。

ライアからも、なにも聞かされていない。


「やがて、二人は別行動を取るようになる。ドラウは、一人でも戦い続けた。だが、息子まで失い、弟子まで殺されていった」


「……」


「『コミュニティ』と戦い続けてきた彼が、『コミュニティ』と戦う君を、どんな想いで導こうとしたか、理解できるかね? 彼の何十年という歳月の重みが、わかるか? わからないだろうな。わかってたまるか、とも思う。君のような、若造に」


「……うるせえな」


ルーアは寝台の上で、胡坐をかいて頬杖をついていた。


年齢のよくわからない、中性的なエスの顔を見上げる。


「エス、あんた何歳なんだ?」


「君よりは年上だ」


「あっそ……」


「……ドラウ・パーターは、あと三ヶ月ほどで寿命が尽きる」


「…………はぁ!?」


いきなりの台詞に、頬杖を崩してしまう。


「天命だ。病を患っている。持ってあと三ヶ月」


「待てよ! 待ってくれ! そんなの、初耳だぞ!」


「それは、彼は君に言ってないからな」


「……このこと、ユファレートは?」


「知らない」


「……」


呆然としていた。


痩せているとは思っていたが、老人だからと気にしなかった。


歩き方はしっかりしていたし、物言いは明晰で、眼に力もあった。

病だと、全く気付かなかった。


「なんだよそれ……」


「君にわかるか? 戦い続けた彼の、何十年という時間の重みが。残された三ヶ月という時間の重さが」


「……」


「もう一度、その頭でよく考えることだ」


「なんで、俺なんだよ……」


伸び代があるから、とドラウは言った。

だが、残り三ヶ月しかないのだ。


ユファレートはどうするのだ。

話したいことが、いくらでもあるだろう。


それなのに、出会ったばかりの赤の他人を、導こうとしたのか。


残されたわずかな時間を割いてまで。

どんな想いで。


そのドラウに、なにを言った。


俺には合わないと。

無駄になると。


(馬鹿か俺は……! なんであんなことを……!)


確かにルーアに欠けているものを、ドラウは埋めてくれようとしていたのに。


エスは、いなくなっていた。


部屋の中で、ルーアは唇を噛んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


朝になった。

といっても、朝日は顔を出していない。


北国の冬の朝は、なかなか明るくならない。


それでも、ドラウは起きているだろうと思った。

老人は朝早く起きるものだ。


ルーアは、庭に出た。

今日も、飽きることなく雪は降っている。


ドラウが、庭の中央にいた。

いるような気がしていた。

いてくれると、思っていた。


まだ暗い庭に、穏やかな表情で佇んでいる。


「おはよう」


「……ああ」


ちゃんとした挨拶もできない。

それを恥じた。


なんとなく、やり直すこともできない。

タイミングを外した感じだった。


挨拶は諦めて、ルーアは聞いた。


「あんたの言う通りにやれば、俺は強くなれるんだよな?」


「……少しはね」


「時間が、掛かるんだよな?」


「掛かるね。君次第で、多少は短くなるだろうが」


「それで強くなっても、ザイアムやソフィアには勝てないんだよな?」


「勝てないね。だけど……」


「……だけど?」


「もう少し、ましな負け方ができるようになる」


「……上等だ」


ルーアは、笑った。


「俺に、魔法を教えてくれ」


ドラウが微笑む。穏やかに。


「ああ。いいよ」


微笑みながら、頷く。


それに、慌ててルーアは手を振った。


「ああ、いや、待ってくれ。今のは無し」


髪を掻きむしる。


(この期に及んで、どんだけ馬鹿なんだ、俺は!)


違うだろう。


あと、三ヶ月の命なのだ。


ユファレートがいる。ストラームがいる。リンダがいる。


他にも、友人や知人がいくらでもいるはずだ。


彼らに、残したい言葉があるはずだ。

語りたいことがあるはずだ。

伝えたい想いがあるはずだ。

いくらでも。


それを、いくつか諦めろ、と言っているのだ。


赤の他人のルーアのために、残されたわずかな時間を割いてくれと言っているのだ。


生意気で無礼なことを言ったガキに、穏やかに微笑んでくれているのだ。


頼み方というものがあるだろう。


直立した。


「お願いします。俺に、魔法を教えてください」


真っ直ぐにドラウの眼を見つめ、そしてルーアは頭を下げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


光線と光線がぶつかり合う。

それが、少しずつドラウに迫っていた。


「ほらほら。僕を殺す気かい?」


「くっ……」


光の向こうで、ルーアが歯噛みをする。


実際には、かなり威力を絞っているので、直撃したところで死ぬことはないだろう。


軽く火傷をするかもしれない、という程度だ。


初めは、威力が拮抗していた。

というよりも、ルーアが放った光線の威力に、ドラウが合わせた。


長時間魔法を持続させているうちに、ルーアの魔法は徐々に出力を上げていった。


意識してのことではない。

力を安定させるということが、できていないのだ。


ドラウは、全く出力を変えていない。

だから、押されている。


「ちょっと……待てよ……」


呻いて、ルーアが出力を戻そうとする。


だが、下げすぎである。


ドラウの魔法がルーアの魔法を撃ち砕く。


「どわっ!?」


しゃがんだルーアの頭上を、光が貫いていった。


「こんなブレてたのか、俺は……」


座り込んだまま、呟いている。


「僕の方は、どうだった?」


「凄かった……。喋っている時も、腰を叩いている間も、まったく威力が変わらなかった……」


「それだけ見えていたなら、最初にしては上出来だよ」


ルーアが、溜息をつく。


「落ち込む必要はないからね。欠点を自覚すること。それから、眼を逸らさないこと。大事なのは、そこだよ」


「ああ、わかった」


訓練が始まってしばらくは堅苦しい話し方をしてきたが、やめさせた。


自然体の状態か、程よく緊張感を持った状態が、学ぶには最も適している。


この少年が特別に礼儀を損ねているとは、ドラウは思わない。


口にする礼儀と、心で想う礼儀は違う。

リンダの言葉である。


ルーアは昨日、ドラウの申し出を断った。


だが今朝には、頭を下げて教えを請いにきた。


相手を尊重しなければ、できないことだろう。

大人でも、それは難しい。


「君はこれまで、力を安定させずに魔法を使っていた。威力や発動速度の違い、狙いの誤差などがあったはずだ。時にそれは、相手の虚を衝くこともあっただろう。だがそれは、本来狙ってやるものだ。君は、本能だけで戦うタイプではないだろう?」


「……ああ。違う、と思う」


「狙った時に狙ったことをできないというのは、大きいよ。巻き込みたくない周囲の者に、害を与えてしまうこともあるだろう」


「ああ」


「誤解はして欲しくないが、いつも決められた通りに魔法を使え、と言っている訳ではないからね。場合によっては、制御の箍を外すべき時もあるだろう」


制御しきれなくなってでも、威力を引き出さなければならない時もある。


おそらく、敵も味方も、自身も含め場が混乱する。


ストラームが教えたものが役立つのは、その後だろう。


「制御の箍を外す時を、間違えないようにね」


必要以上に消耗してしまう。

暴発の危険もあった。


最悪の時の切り札以外では、使うべきではない手である。


口を酸っぱくして言うべきことかもしれないが、敢えてそれ以上ドラウは言わなかった。


口数を減らすことが、相手にものを考えさせるきっかけになることもある。


ルーアは、若いわりには絶望的な状況に陥ったことが何度もある。


地獄のような光景を見たことがある。


暴発した力に、何万、何十万という人々が消えていくところを、目撃した。


本来なら禁じるべき攻撃手段かもしれないが、ルーアと彼の周囲の者たちを取り巻く環境を考えると、禁じ手さえも使わなければならない時があるはずだ。


「ル・ク・ウィスプ」


無数の、正確には六十の光の弾丸が生まれる。


ドラウの家は周りをだいたい塀で囲ってあるが、一部分だけは林と繋がっている。


木の幹に、一発の光弾を命中させた。

威力は抑えていて、枯れ木を倒すことはない。


次弾を、寸分の狂いもなく同じ所に着弾させた。


その次も、その次も。


そして、ドラウは残りの光弾を全て同時に撃ち放った。


イメージ通りに様々な軌跡を描き、光弾が幹の表面で弾けていく。


できた焦げ跡は、親指の爪ほどもない。


「同じように、やってごらん」


「……」


唖然とした様子のルーアが、頷く。


いくつもの光弾が生まれた。

一つ一つ、威力が違う。

それは、ルーアも気付いただろう。


光弾が、ドラウがつけた焦げ跡から、掌の大きさくらいは離れた場所に着弾した。


「……」


「続けて」


「ああ……」


次の光弾も、まったく違う場所に命中した。


ルーアが、舌打ちをしかけたのがわかる。


「苛立たない。焦らない。最初は、僕もできなかった。ユファも、ストラームだって。君がここまで制御を意識したのは、多分初めてだろう? どれだけ外れてもいいから、続けて」


光弾を、次々と放っていく。


狙い通りに命中しない。

幹から外れるものもあった。


全て撃ち終えても、ドラウがつけた焦げ跡に当たることはなかった。


「今度は、上空に向かって放って」


「……なんで?」


「いいから」


「あ、ああ……」


ルーアが、空に手を翳した。


「ル・ク・ウィスプ」


無数の、正確には二十八発の光弾が、空へ撃ち出された。


ドラウは、後方に大きく跳躍した。


「ル・ク・ウィスプ」


ドラウが発動させた、速度と加速度重視の二十八発の光弾が、ルーアが放った光弾全てに着弾して破裂させる。


「自分が動き回りながら、動く標的全てを正確に撃ち抜く。これが、基礎の完成型の一つだね」


「……」


ぽかんと、ルーアは口を開いていた。


「こんなことが、俺にできるようになるのかよ……?」


「ユファができるようになったのは、六歳の時だったかな。七歳にはなっていなかったと思う」


「……やっぱ、才能が……」


「それは違うよ」


即座に否定する。


「ユファは五歳の時には魔法が使えたな。確かに普通の子供よりも少し早いが、特筆するほどのことでもない。最初は、当然今の君よりも制御力がなかったさ」


「……」


「だけど、一日に何百回と同じことを繰り返した。それを毎日毎日、一年以上、つまり何万回、もしかしたら十万回以上繰り返して、できるようになった」


それは、決して早くはない。


「才能じゃない。才能でできるようになったんじゃないんだよ。同じようなことだが、何度でも言うよ。今、君に必要なのは、地味な基礎を、地道に反復し、日々持続していくことだ」


「……わかった」


訓練になると、意外とルーアは素直だった。


ストラームやランディ・ウェルズに厳しく鍛えられてきただけあって、根性もありそうだ。


昨日は苛立つそぶりも見せたので、忍耐力がないのだろうと思ったが、ドラウの勘違いだった。

短気なのは性分だろう。


ぶつくさ文句を言いながらも、やるべきことはやる、というところか。


「さあ、続けよう」


手を叩いて、ドラウは言った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


寝台に、倒れ込む。

ドラウによる訓練の一日目が終わった。


「だっる……」


疲れ方がおかしい。

消耗した魔力量以上の疲労感だった。


密度が濃い訓練だったとはいえ、ここまで疲れるものなのか。


食事中に、眠り込みそうになるほどだった。


普段どれだけ体を鍛えていても、慣れない運動をしたらどこかが筋肉痛になる。


それと似たようなものなのかもしれない。


慣れない魔法の使い方が、ルーアを疲弊させている。


ドラウによると、今までよりも制御に集中している分、神経から疲れが出ている、ということだった。


それは、慣れれば克服できる、滑らかに魔法を発動できるようになり、無駄な魔力の消耗も抑えられる、とも言っていた。


今は、信じるしかない。


何一つ、ドラウの手本と同じようにはできなかった。


(ユファレートやシーパルは、できてるんだよな……)


ただ、いきなりはできなかったはずだ。


毎日毎日反復し、一年以上掛けてできるようになった。


(一年、か……)


ユファレートたちと出会ったのは、一年以上前だった。


凄い魔法使いだと思った。

ドラウ・パーターの孫にヨゥロ族、才能が違うからだ、と結論付けた。


そうではないのだろう。


ルーアとは違い、彼らには積み重ねたものがあった、ということだ。


ルーアの未熟な点を、当然二人は気付いていただろう。


口を挟んでこなかったのは、ストラーム・レイルの弟子という看板があったからか。


基礎よりも応用を重視した育て方なのは、なにか考えがあってのことだろう。


『英雄』ストラーム・レイルなのだから、と。


(一年……)


もし一年前からドラウが教えてくれていることを続けていたら、今とはまったく違う魔法使いルーアだったのだろうか。


無為に過ごしてきたつもりはないが、それを考えると一年を無駄にしたような気持ちになってしまう。


それでも今日、一歩目を踏み出したのだ。


ドラウが六十年以上行ってきたことを、ルーアも実行したのだ。


(六十年と、一日か……)


まだ、ドラウ・パーターが積み上げたものの、二万分の一くらいの高さしかない。


そんなことを考えながら、ルーアは眠りに落ちた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


『フラガラック』の力を使い過ぎないように、とドラウに言われた。


本当は色々と試してみたいのだが、ドラウの言葉ならば従った方がいいのだろう。


ドラウの屋敷に来て、四日目の午後。


ティアは、窓からテラントとデリフィスの手合わせを眺めていた。

見るのも勉強である。


二人とも、本気で殺す気ではないかというような激しいぶつかり方をする。


いつものことであり、生傷も絶えない。


遠くから見る分には、二人の剣が理解できるようになってきた。


実際に向かい合うと、また別だろうが。


横では、ユファレートとシーパルが話し合いながら魔法を使っている。


二人はいつも試行錯誤して、新しいなにかを得ようとしている。


別の場所では、ルーアが熱心にドラウの話に耳を傾けていた。


(真剣な顔しちゃって……)


ルーアにとって、ドラウとの出会いはとても大きなことだったのだろう。


ほとんど一日中、ドラウからなにかを聞いているような気がする。


相当きつい訓練なのか、夕食を採るとすぐに眠っているようだ。


(絶対マゾよね……)


自分の体を苛めるのが、大好きなのだ。


だから、どんな厳しい訓練にも嬉々として取り組む。


真面目な横顔。

真っ直ぐにドラウを見つめているであろう、力強い眼。


動揺していることに気付いて、ティアは慌てた。

このところ、ずっとそうなのだ。


ルーアの隣にいる時、話す時、妙に心が揺れる。

いつの間にか、眼で追っている。


そして、度々思い出してしまうのだ。


あのザイアムという男が、オースター孤児院から去り際に口にした台詞を。


自分の気持ちが、よくわからない。


動揺していることをなんだか知られたくなくて、いつも平静を装っていた。


ルーアは、気付いていないだろう。バカだから。


『バーダ』の隊員になったのは、十四歳からだと言っていたか。


同じ年頃の者が、思春期真っ只中、青春真っ盛りの頃から、きっと訓練ばかりしていたのだ。


だから、そういうことにすごく疎い。


ティアが気持ちを持て余していることも、わからない。


ふと剣撃の音が途切れていることに、ティアは気付いた。


テラントとデリフィスが、じっとティアを見つめている。


異様に恥ずかしくなるのを感じて、ティアは窓を開いた。


怒鳴りそうになってしまうが、声量は押さえた。


「……なによ?」


「……なにを見惚れているのかと思ってな」


これはデリフィス。


「なっ!? 違っ……そんなんじゃなくて!」


「じれったいねえ。見てて苛々するわー」


テラントが、肩を回しながら言う。


「だから違うって!」


窓枠を叩きながら、抗議する。


その時には、二人はまた剣を合わせ始めていた。


借り物の剣を手に馴染ませたいらしく、昨日今日と頻繁である。


大声に驚いたのか、ユファレートとシーパルもティアのことを見ていた。


強風のお陰で、ルーアには聞こえていなかったようだ。


発生させた電撃を掌の間で弾かせながら、ドラウになにか聞いている。


「そんなんじゃないわよ……」


呟いて、ティアは窓を閉めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


城の中庭に、グリアはいた。


雪は積もらない。

地面に埋め込まれた管から水が溢れ出し、雪を溶かしていくのだ。


同じ物が街中の道路にあり、雪による交通の妨げを緩和していた。


ミムスローパの街の中央、城がある所が最も土地が高く、外側ほど低い。


元々、丘の上にできた城と街だった。


土地の高低差により、水は街の外へと流れていく。


ドニック王国の冬は長く、雪を溶かすためには膨大な水が必要となる。


それは地下水と、春から秋に掛けて施設に蓄えられた、雪解け水により賄われている。


各所に水を送るのは、旧人類が残した魔法道具の力により行われていた。


このような融雪装置は、ミムスローパ以外には世界のどこにもない。


つくづく、旧人類の力は偉大だと思う。


政府は、ミムスローパに少しずつ管を増やしていき、長い歳月を掛けて融雪装置を完成させた。


旧人類の偉大な力に、長い歳月。


「こんな所で、なにをしている、グリア・モート?」


「いえ……」


背後から声を掛けられ、苦笑しながらグリアは振り返った。


「今後のことを、少し……」


思考を遮られたことに、皮肉を感じてしまう。


(旧人類の力に、長い歳月か……)


「ルイン……」


少年がいた。


黒い髪。少し長い前髪。

顔立ちは整っているが、見惚れてしまうのではなく、背筋が凍ってしまいそうな美貌である。


グリアと同じく、ドニック王国宮廷魔術師であり、『コミュニティ』の一員でもある少年。


グリアは、軽く周囲に眼をやった。


会話が聞き取られる距離には、誰もいない。


宮廷魔術師としての地位はグリアの方が上だが、『コミュニティ』としては違う。


「セルミグラ領とインツァロ領が、反乱の兵を上げました」


セルミグラもインツァロも、ミムスローパ東南の地域である。


ミムスローパの街に少しずつ水が流れるように、国中に反乱の芽という毒を少しずつ染み込ませてきた。

それが二つ、実を結んだ。


「多くの組合が、反乱に同調するでしょう。計を実行に移す、良い機会だと思うのですが」


「……いいだろう」


ルインが、軽く頷く。


なぜ預けられたのだ、とグリアは思う。


クロイツから、多少の信頼を得ているのはわかる。


それは、ルインを預けられるほど大きいものだったのか。


ルインとハウザードは、『コミュニティ』の核となる存在だった。


魔法使いとして完成されたハウザードはともかく、未だ力が安定しないルインを、こうも容易くクロイツが側から離すのか。


ルインが消滅することになれば、全ての計画は頓挫するのではないか。


国取りの計に、よりドラウやエスの眼を向けさせるためか。

ハウザードを守るために。


(あるいは……)


ルインは、『中身』ではないのか。

疑念がグリアに付き纏う。


危険な匂いがした。


『百人部隊』は、ドニック王国から撤退した。


グリアもそれを考えたが、思い止まった。


国取りの計は、長い歳月を掛けてグリアが進めてきたものである。

今更、他人に任せたくない。


それに、見てみたい。

『器』が完成し『中身』が入った時に、なにが起きるのか。

力の頂点を見たい。


「反乱軍がミムスローパに到達するのは?」


「明後日になるでしょう」


「そうか。上手くやれよ、グリア・モート」


「はい」


ドラウ・パーターが動くのも、明後日になるか。


それとも、今日のうちからなにかやり始めるかもしれない。


魔術師組合には、度々圧力を掛けているようだ。


ドラウ・パーターは読みきれない。


いきなり、ハウザードを狙う可能性もある。


ハウザードの周囲はクロイツが固めているはずだが、それでも絶対とは言えなかった。


エスがいる。

ドラウ・パーターとエスの組み合わせは、脅威だった。


国取りの計は、おそらくグリアにとって、最大にして最後の戦いになるだろう。


そして、立ちはだかるのは、ドラウ・パーターである。


これまでに、何度か戦う機会があった。


勝敗は決していない。


互いに、長く生きたと思う。

グリアもドラウ・パーターも、六十をとうに過ぎていた。


決着をつけることになると、グリアは予感していた。

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