導く者

久しぶりに戻ってきたユファレートは、ハウザードのことを聞きたがったが、ドラウは取り合わなかった。

知るのは、まだ少しだけ早い。


ユファレートと旅人たちには、家に宿泊する代わりに、庭の雪掻きをするように言った。

魔法は禁止である。


六人がスコップを遣う姿を、ドラウは居間から見ていた。


一人は、長い赤毛を振り乱しながら、明らかに不平不満を口にしている。


昼下がり。

雪を全て浚い終えるのは、夕刻になるだろう。


居間には、ドラウ以外にも人がいた。


雪掻きは、全身を使う。

雪を運ぶ六人を、丸縁眼鏡の奥で光る、小さな眼で観察している男。


手元の紙に、六人の体型などを細かに書き留めている。


簡単にデッサンも描いているようだ。


緑を基調とした衣服を着こなす小太りの男は、前のめりになって、テラントとデリフィスを注視していた。


もう一人、浅黒い肌をした大男がいる。


手には無数の小さな火傷が染みのようにできている。


首や頬にも、古い火傷の跡があった。


彼は、デリフィスの長大な剣を凝視している。


三人は、服の仕立て屋と武器屋、鍛冶屋だった。


それぞれの分野で確かな眼と腕を持つ、商人や職人たちである。


ユファレートたちを充分に観察して、三人は出ていった。


入れ替わりのように、給仕で雇っている女性たちが屋敷を訪れる。


六人をできるだけ持て成すように告げて、ドラウは出掛けた。


ユファレートたちと食卓を共にすると、その時に色々と聞かれるだろう。


まだ話せないことがある。

個別に話した方がいいことがある。


はぐらかすよりも、会話を避けることをドラウは選んだ。


出掛けたついでに、魔術師組合に顔を出した。


余り意図はない。


魔術師組合の組合員にとって、ドラウ・パーターの存在は特別で、発言の影響は大きいだろう。


世界最高の魔法使いなどと呼ばれているのだ。


ドラウが魔法を教えた者も、少なくはない。

顔を覚えてもいないが。


魔術師組合は、『コミュニティ』側に傾き掛けているという。


ちょっと顔を出し、適当に会話をする。


それだけでも、傾きを直す効果があるかもしれない。


何人かには、圧力を掛けることにもなるだろう。


それが良い方向に転ぶかは、わからないが。


魔術師組合を後にして、ドラウは帰路についた。


途中で食事を採るつもりだったが、どうにも食欲がない。


最近は、そういうことがよくある。


無理に口にすると、すぐに吐き出してしまうのだ。


水が流れる道を歩きながら、考える。


まずは、誰と会話をするか。

ユファレートからでいいだろうか。


孫には、ドラウの全てを継いでもらう。

魔法使いとしての力も、技術も。


すでに継いでいるも同然だった。


旅立つ前から、基礎は出来上がっていた。


あとは、日々の積み重ねと実戦の中で育つ。


魔法使いとして教えることは、もうなくなっていた。


屋敷も、屋敷にあるドラウの所有物も、ユファレートのものとなる。


財産は、かなりのものとなっていた。


ユファレート一人なら、一生遊んでも使いきれないほどの額である。


『世界最高の魔法使い』、『英雄』などといった肩書きは凄まじく、大学などでちょっと講義をするだけで、笑ってしまうくらいの金を貰える。


蓄財するつもりはなかったが、いつの間にか溢れ返っていた。


墓の中に持ち込んでも、仕方がない。


財産譲渡の手続きなども、全て終わらせていた。


ドラウが死ぬと同時に、ドラウのものは全てユファレートのものとなる。


ユファレートが、ドラウよりも先に死ななければ、だが。


なにもない状態で消える。

それでいいとドラウは思っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


棚に置ききれなくなった本を床に積み重ねていたら、いつしか足の踏み場もない状態になっていた。


部屋が足りない。

もっと増築しておけば良かったと、後悔してみる。


後悔ばかり繰り返した人生だった。


ドラウの自室である。


夜も更けてきているが、ユファレートを呼んだ。

部屋の中央に立たせる。


自分は椅子に腰掛け、ドラウは孫娘を眺めた。


魔法を使わせる。


胸の高さ、上へ向けたユファレートの掌の先に、光球が生まれる。


本が多い部屋である。

そして、本は燃える。


魔法が暴発すれば火の海になる危険性もあるが、ユファレートにその心配は不要だろう。


「うん……」


孫娘の魔法の出来に満足しつつ、だがそれを過剰に表面には出さないよう気を遣いながら、ドラウは小さく頷いた。


「次、速度重視で」


「はい」


ユファレートが返事をするとほとんど同時に、光球が消え失せ、すぐさま新たな光球が生まれる。


我が孫ながら、鮮やかなものだった。


普通に発動させても、そこいらの魔法使いより、遥かに速くユファレートは魔法を発動できる。


速度重視にしても、素人目には変化がわかりにくいだろう。


わずかな違い。

その微少の変化が、時に命を救う。


力に幅があるというのは、大きな意味を持っていた。


「次は、威力重視で」


ユファレートが、小首を傾げる。


「……どのくらいで?」


「……ほどほどに」


威力を上げ過ぎると、余波だけで本が傷んでしまう。


「じゃあ、ほどほどで」


同じことの繰り返しのように、光球が消えて再度生まれる。


威力は大幅に上がり、だが速度はほとんど落ちていない。


唸り声を上げそうになった。

よくぞここまで己を鍛えたと、手放しで褒め讃えたくなる。


素質は、確かにあった。

そして、素質は重要だろう。

だが、素質だけでこの域までは絶対に到達できない。


ストラームのような、絶対的な天才であってもだ。


幼い頃から、ユファレートには魔法に触れさせてきた。


呑み込みが早く、応用することもすぐに覚えた。


だからこそ、基礎を徹底的に叩き込んだ。


強靭な魔力がある。

莫大な魔力容量がある。

多彩な魔法を使える。

少し学べば、応用力もふんだんに付くだろう。


だからこそ、基礎がしっかりしていなければならない。


恵まれた才能は、日々のたゆまぬ鍛練と反復で培われる基礎の元でこそ、真に輝く。


ユファレートと同年代で、ユファレート以上に基礎力がある者は、まずいないだろう。


それだけのものを、ユファレートは培ってきた。


「うん」


ともすれば、表情が崩れそうになってしまう。


それくらい、孫の成長はドラウにとって歓喜だった。


魔法という力に、ずっと正面から向かい合ってきたのがよくわかる。


まあ、年頃の娘が、女性が好みそうなものに興味を示そうとしないというのも、いくらか不安ではあるが。


「そのまま維持して」


「はい」


光球は、燦然と輝く。


「……ハウザードは、街の外にいるよ」


不意を衝いてみた。


「……えっ!?」


実にわかりやすく、ユファレートの平静がひび割れる。


それでも、光球はまったく揺るがなかった。


これもまた、基礎がしっかりしているからだろう。


ただし、実戦でも魔法を維持していられるかは疑問だった。


それくらい、実戦の緊張感とは独特のものだった。


どんな戦闘の達人だろうと、共通して言えることである。


「あの、御祖父様! もういい!? いいよね?」


ふっと光球を消失させて、ユファレートは詰め寄ってきた。

積み重ねた本が、蹴り崩される。


「お兄ちゃんは……!」


「ユファ」


静かな声で、ドラウはユファレートを止めた。


「ハウザードの所へは、僕も一緒に行くよ。けどその前に、力を貸して欲しい。この国を、守るために」


話していく。


ドニック王国の現状を。

いつ国を乗っ取られても、おかしくない状態であることを。

グリア・モートという、魔法使いのことを。


「そんな……」


告げられた事実に、ユファレートが絶句する。


それを、注意深くドラウは観察した。


これ以上真実を伝えて、ユファレートは堪えきれるだろうか。


それでも、話さなくてはならない。


明日があるとは限らないのだから。


「ティアのことを、どう思う?」


唐突な質問だと、ユファレートは感じただろう。

戸惑いが伝わってくる。


「どうって……」


「深い意味はないよ。思うままに、答えればいい」


「……友達」


「うん」


「ティアがいなかったら、わたし、旅を続けられなかった。辛い時は、必ずティアが側にいてくれた。ずっと支えてくれた。わたしの、一番の友達……」


「……そうか」


つい、微笑んでしまう。


当人が聞いたら、大喜びでユファレートに抱き着くことだろう。


「だったら、これからもずっと友達でいてあげなさい。彼女が、例え何者であっても」


「……御祖父様?」


「お前が、彼女を支えてあげなさい」


「う、うん。……えーっと……」


少々口が重く感じる。

ユファレートも、なにかを感じ取っているようだ。


「二年間ティアと旅をして、どうだった?」


「え、えと、さっきから質問が抽象的なような……」


「ティアに、おかしなとこはなかったかい?」


「え? ティアは、普段から普通におかしいよ」


「いや、そうではなくてね……」


あっけらかんと言うユファレートに、頭を抱えそうになってしまう。


「あー、わたしは、ティアのあれが気になるかな……」


「……うん?」


「なんて言うかね、ティアって、危なっかしいって言うか、危険を顧みないと言うか……」


眉根を寄せて、言葉を捜している。


「怖いもの知らず? じゃなくて、なんだろ? 危ないって理解してて、怖いって感じてて、でも、逃げなくて……。まるで……」


声が尻窄みになっていった。


「……まるで?」


「……まるで、死にたがっているみたいな……」


ドラウが促すと、ユファレートは呟くように言って唾を呑み込んだ。


「なんて、まさかね! あ、あれかな。自己犠牲の精神に溢れているというか……」


「それは……」


言葉は、溜息と共に出た。


「彼女が、どこかで理解しているからだろうね。自分が、他人の自己犠牲により生かされているということを。だから、自分の身を犠牲にすることも、厭わない」


「……?」


「これから、僕の知っていることを、全部話す。辛い話かもしれないが、受け止めて欲しい」


それは、この世界の話。

この世界の造り。

この世界を縛るシステム。


ハウザードの生まれた理由。

ティアとルーアに、なにがあったか。


師は、全てを破壊しようとした。

だが、成し遂げられなかった。

そして、ドラウとストラームに託した。


二人で、誓った。

自分たちの時代で、全て終わらそうと。師の無念を晴らそうと。

それは、叶いそうにない。


理解しているから、ストラームはランディ・ウェルズと共に、『バーダ』第八部隊で次代の若者たちを育成したのだろう。


ドラウもまた、託さなければならなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


長い話だった。

目眩を感じて、ユファレートは額を押さえながら廊下を歩いた。


(なによ……それ……)


信じられないような、祖父の話だった。


祖父以外の口から聞いていたら、まず信じなかっただろう。


(だって……そんなの……)


廊下を進む。

夜の暗さが、更に心を掻き乱した。


「……ユファレート?」


台所から廊下に出てきたシーパルに、声を掛けられた。


部屋の飲料水が切れたのだろう、水差しを持っていた。


「……どうしたんですか? 真っ青ですよ」


「……え……う、ううん。なんでもない。ちょっと、疲れてるだけ」


「ああ、きっと旅の疲れですね。ゆっくり休んでください」


「うん、そうするわ……。ああ、シーパル。御祖父様の部屋に行って。話がしたいって」


きょとんと、自分の顔を指すシーパル。


「僕とですか?」


「うん。御祖父様の部屋、わかる?」


「ええ、まあ。さっき部屋に入るとこ見ましたから」


「じゃあ、お願い」


「部屋にこれ置いたら、向かいますよ」


水差しを軽く振る。

水が跳ねる音と、外の風が窓を叩く音が、ユファレートの心に波紋のように響いた。


自室に戻り、靴も脱がずにシーツに潜り込む。


ドラウの部屋と同じく、本が溢れた部屋。

大半が魔導書である。


散らかり狭苦しいので、ティアは別室だった。

それで、助かった。


今は、どんな顔をしてティアを見ればいいのかわからない。


祖父から、聞かされた話。


(そんなの……ティアもルーアも……救われないじゃない……)


シーツに包まり、ユファレートは震えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「いいね」


ドラウは、素直な感想を口にした。


ユファレートの次に部屋に呼んだ、ヨゥロ族の青年シーパル。


ユファレートと同じことをさせてみたが、非の打ち所がない。


才能ある若者が、驕ることなく努力を重ねてきたことがよくわかる。


防御魔法なども使わせてみたが、完璧な出来だと言えた。


魔導の道を先駆した者として、なにか助言するつもりだったが、特に思いつかない。


それは、ユファレート相手にも言えることだった。


「君は、今まで通りでいい。このまま、自分を磨き続けなさい」


シーパルが、子供のような笑顔を見せる。


ドラウ・パーターの名前は、ヨゥロ族にも伝わっていたらしい。


ヨゥロ族の者には、魔法使いとして素晴らしい素質を持って生まれる者が多いが、このシーパルはその中でも少し特別だろう。


ユファレートにも劣らない才気。


魔法使いとしての能力は、ほぼ互角だろう。


二人とも万能型でありながら、わずかに違いがある。

それがまた良かった。


攻撃魔法の威力とバリエーションはユファレートが上、回復と防御の魔法はシーパルの方が勝る。


ユファレートもシーパルも、互いの存在が良い刺激になるはずだ。


このまま順調に成長してくれれば、近い将来、二人ともドラウのことを超えてくれる。


「君は、特に回復と防御の魔法を得意としている。自覚もしていると思う。だけど、それだけでは足りないよ」


「僕に、足りないもの……。それは、なんでしょうか?」


真摯な姿勢で聞いてくる。


こういう者は、増長して鍛練を怠ることなど、まずない。


「君自身も含め、君たちを守り、癒す。それは、君が中心になってやらなくてはならない。君が、君たち六人の要だ。その自覚を持ちなさい。君が死ねば、他の五人も死ぬことになる」


「僕が、要……」


「だから、ズィニア・スティマを相手にした時のような不覚は、もう許されないよ?」


ドラウは、笑った。

シーパルも、苦笑する。


エスから、なにがあったかは聞いていた。


ユファレートからの手紙にも、書かれていた。


「孫を助けてくれて、ありがとう」


ドラウは、ヨゥロ族の青年に頭を下げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


二本の剣を壁に立て掛け、ドラウは一息ついた。


知人の武器屋が、テラントとデリフィスの骨格と筋肉の付き方を考慮して、厳選した代物である。

今朝になって、届けられたのだ。


老いたドラウの腕では持ち上げられず、物質転送を用いて運んだのだった。


部屋を訪れたテラントを、招き入れる。


寒いのは苦手なのか、何枚も服を重ねて着ているようだ。


「俺に用があるということですが」


ラグマの若き常勝将軍と呼ばれた男。


だらし無く立っているように見せて、隙がない。


「君の当初の旅の目的は、妻の仇を討つことだった。今は、真実を知ることにある。そう考えていいかな?」


「……ええ。まあ……」


曖昧に頷く。


彼はラグマの将軍の地位を捨て、旅に出た。


それから、三年が経つ。


最初の二年は、なんの手掛かりも得ることができずに、不毛に過ぎた。


激変したのは、ルーアの背後にいたエスと知り合ってからだろう。


ズィニアの名を知り、出会い、敗れ、再戦し、勝利した。


妻の仇を討ち、テラントの旅は終わるはずだった。


だが、ズィニアが妻の仇ではないかもしれないという可能性を突き付けられ、旅を続けることになる。


そして、ロウズの村で妻マリィは生きていると聞かされた。


「マリィ・エセンツか……」


「……俺は、ルーアがマリィを見たという場所に行きました。けど、なにも痕跡を発見できなかった……」


「生きているよ」


「……え?」


「君の妻、マリィ・エセンツは生きている」


「……確かですか?」


「確かだよ。エスは、一度接触している」


「あの野郎……」


テラントが、凶悪に唸る。

本来なら、エスとは協力関係にあるはずだ。


「気持ちはわかるが、恨まないであげなさい。接触は、つい最近の話だ」


それまで、エスもマリィが生きているという確証を持てなかったようだ。


「マリィは、今、どこに……?」


「どこかな……。エスと接触したことにより、『コミュニティ』にも生存を知られた。彼女は、ずっと『コミュニティ』から逃亡してきたからね。これまで以上に、慎重に行動していることだろう。エスも、見失ってしまったようだ」


もしかしたら、リーザイ王国へ向かったのではないかとドラウは考えていた。


ストラームに匿ってもらうのが、最も安全だろう。


ストラームも、マリィ・エセンツほどの魔法使いに味方をしてもらえれば、心強いはずだ。


マリィ・エセンツは、リーザイ王国にいた時間も短くはない。

地の利も得ている。


「君の元を去った後、彼女はルーアの近くにいることが多かったようだ」


「……ルーアの? なんで?」


「……その辺は、彼女から聞きなさい。君自身の手で、彼女を取り戻してね」


テラントは、額の上、髪の生え際の辺りを押さえた。


「取り戻す……」


「君の妻は、極端なやり方をする女性だね。『コミュニティ』とズィニア、そして君の眼を欺き、自分を死んだことにした」


「俺は、致命傷を負った妻を見ました……」


「マリィ・エセンツは、優れた魔法使いだよ。特に、幻影などの魔法は得意で、それに掛けては並ぶ者はいないだろう。葬儀に参加した者たちにも、幻を見せたのだろうね」


「いえ……。葬儀は行いませんでした。俺たちは、結婚を反対されていましたから。俺の手で棺に入れて、俺だけで埋葬しました……」


もしかしたら、それもマリィ・エセンツは計算していたのかもしれない。


「ロウズの村で、半死のルーアの元にデリフィスを誘導した時も、かなり極端なやり方をしている」


敵のふりをして、デリフィスに追跡させたのだ。


「……なにを言いたいんですか?」


「いやなに。彼女を取り返すには、君も極端なことをしなければならないのではないか、と思ってね」


「……極端なこと?」


「例えば、彼女を苦しめ続けている、何万人で構成されているかもわからない、『コミュニティ』という組織を潰す、とかね」


「……」


窓の側にも、本を積み重ねている。


薄暗い部屋の中で、テラントは獰猛に眼を光らせた。


「さて、君たち六人の旅が少しでも快適になるよう、耐魔の魔法陣をミスリル銀の糸で刺繍した服をプレゼントすると言ったら、君は快く受け取ってくれるかな?」


「涙を流して受け取りますね、俺は」


「もう一つ、君の持つ魔法道具を、僕に数日貸してもらえないかな?」


テラントが、腰のベルトに手を当てる。


「……こいつを?」


「『カラドホルグ』。それには、もう一段階上の状態がある」


「……無銘の剣だと、聞かされましたけどね」


「魔法道具としては、下位の物だからね。銘を喪失しかけるのも、無理はない」


「下位か……」


テラントが、腰から『カラドホルグ』を抜き机に置く。


ドラウは、手に取り眺めた。

機能制限を解除する方法があるはずだ。


魔法道具の解析には、数ヶ月ほど要するのが普通だが、事前にエスから『カラドホルグ』のデータは与えられている。


それ程の時間は掛からないだろう。


「上の状態ってことでしたが……」


「天を裂き、大地を砕く……というような、過剰な期待をされるのは困るかな。少し斬れ味が良くなる程度だと思う」


「まあ、それだけでもありがたいですよ」


「しばらく、そこにある剣を遣えばいい」


壁に立て掛けた二本の剣を、ドラウは指した。


鞘から抜き、テラントが剣身を見つめる。


「……いい剣だ」


「賃借した物だ。できれば、折らないで欲しいね」


「……折れた時は、弁償しますよ」


「プレゼントだと、言っただろう?」


テラントは、部屋を見渡した。

部屋よりも、屋敷全体を見ようとしたのかもしれない。


ドラウは、金に困ってはいない。


「……では、遠慮なく」


「ああ、遠慮は必要ないよ。君にも、ユファレートは助けられているからね。礼を……」


「礼は、言わなくて結構ですよ。俺たち全員が、彼女の魔法には助けられていますから」


「そうか……」


つい、微笑んでしまう。


テラントは、剣を腰に提げた。

さすがに、様になる。


「一つ質問だが」


剣士として、これ程の男もそうはいないだろう。


「君の眼から見て、ルーアは剣士としてどうだい?」


「素晴らしいですよ。基礎が、しっかりとしている。五年後、十年後には、俺に追い付いているかもしれませんね」


「その前に、君やデリフィスには、剣でストラームを超えてもらわなくてはならないがね」


「ストラーム・レイルですか……」


遠くを見るような眼で、テラントが呟く。


「英雄。そして、ルーアの師、か……」


「……」


「師としても、優れていたのでしょうね。ルーアの剣を見れば、よくわかる」


「どうかな……」


「……ん?」


「いや、それよりも、昼食後来るよう、デリフィスに言ってもらえないかな?」


「ああ、構いませんよ。けど……」


立て掛けられたもう一本の剣に、眼をやる。


テラントが手にした剣に比べると、大振りな剣身だった。


「デリフィスの奴は、俺みたいに素直ないい子ちゃんじゃないですよ」


おどけた口調のテラントに、ドラウは苦笑した。


テラントは、妻の仇討ちのために、将軍の地位も捨てた。


今、妻を取り戻すために旅をしている。


妻のためと思えば、誇りも捨てられるだろう。


他人の援助も、拒まずに受けられる。


だが、デリフィスはどうなのか。


鍛えた肉体。

磨いた、剣の技術。


剣士としてのプライドがあるだろう。


耐魔の防具や魔法強化された武器など、不純だと考えるかもしれない。


「まあ、話してみるよ」


デリフィス、そしてその後に控えているルーア。


この二人が問題だと、ドラウは思っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアは、焦っていた。


(なにやってんだよ、ユファレート……!?)


朝食の席で見掛けた時から、様子がおかしいとは思っていたのだ。


食事を終えると、沈んだ表情で部屋に戻り、以降閉じこもっている。


なにかがあったのだろうが、それは自分の役割を放棄してしまうほどのことだというのか。


誰しも、役割を持っている。


みなの治療を率先して行うのはシーパルだし、敵へ真っ先に斬り込むのはテラントとデリフィスである。


ユファレートが役割を投げ捨て、見張りを怠ったため、破滅が縦横無尽に撒き散らされることになった。


(くそっ……!)


焦ったルーアが飛び込んだのは、シーパルが借りている部屋だった。


机を挟み、シーパルとデリフィス。

地図を拡げていた。


二人とも椅子に腰掛けていた。

部屋には椅子が一脚しかなかったはずだから、わざわざ持ち込んだのだろう。


瞬時に察したらしいデリフィスが、即座に腕を組み寝たふりをする。


ルーアは、なにかドラウ・パーターに言われたらしく、妙に上機嫌なシーパルの肩を掴んだ。


魔法の練習で手一杯になりがちで運動不足に陥りやすい、実に魔法使いらしい狭い肩幅。


「頼む、シーパル! 助けてくれ! あいつが来る!」


「まさか……!」


シーパルが、息を呑む。


「助けてくれ! 一生のお願いだ!」


「一生のお願い!?」


シーパルの両肩を掴む手に、力を込める。

想いよ届け、とばかりに。


「シーパル! 俺たち、友達だよな!?」


「友達……」


はっと、胸を衝かれたような表情をシーパルがする。


拳を、ふるふると震わせた。


「もちろんですとも、ルーア! 僕たちは、友達です!」


「だったら、俺を助けてくれ! 俺には、お前の力が必要なんだ!」


「わかりました! ここは僕に任せて、ルーアは隠れてください! みんなを守り、癒す……それが、僕の役割です!」


「……頼む!」


ルーアは、寝台の下に潜り込んだ。


狭く埃っぽい空間で、『ふ。単純な奴め』とほくそ笑む。


ルーアが隠れてすぐだろう。

間一髪、部屋に入ってくる者がいる。


「……あれ? ルーア、いない……。ねえ、シーパル。ルーアは?」


「え……さっき見掛けたような……どこかに行きましたねえ……」


(よし、いいぞ!)


シーパルは、余り嘘が上手くない。


だから、嘘は付かずにぼんやりとしたことを言っている。


これで、ぼろが出ることはないだろう。


友情の力で、今、最大の危機を乗り越えようとしている。


「えーっ。味見してもらおうと思ったのに。あ、じゃあさ、シーパル代わりに……」


「ああ、ティア。ルーアなら、ベッドの下に隠れてますよ」


友達ってなんだろう。


「ええい、くそっ!」


ルーアは寝台の下から這い出て、シーパルを指差した。


「お前は後でシチューに沈める!」


「なぜっ!?」


「あ。ルーア」


奴、まあティアが、なにかを盛った皿を手に、ルーアに詰め寄ってくる。


「あたしね、今回は頑張ったの」


頑張るな。


「作ってみたんだけど」


なぜ作る。


「これまでさ、偶然としか思えないような信じられない不運が働いて、たまにちょっとだけ料理に失敗したじゃない?」


「たまにちょっと……?」


「でね、今回はそういうことがないように、お菓子作りに挑戦したんだけど」


「……いや、飯も菓子も作ったことがないからよくわからんが、菓子作りが料理よりもハードル低いとは限らない訳で……」


「なにぶん初めてだから、味見してもらおうと思って」


「うん。まずい」


「せめて食べてから!」


「いや、だって……それ、なんだ……?」


皿の上の物を、ルーアは指差した。


なにかの病気なのではないかというくらい、動悸が早くなっている。


ティアが、にこりと微笑んだ。


「クッキー」


「クッキー!? クッ……!? クッキィィィイィィィッ!?」


「驚き過ぎよ!」


「斬新な芋虫!」


「ざんしっ……違う!」


夏場の下水溝のような悪臭を放ちながら、親指サイズまで肥大化した芋虫が、絵の具の黒で一晩コトコト煮込まれ、爪ほどのナイフが無数に生えてきたら、こうなる。


卵黄や小麦粉や砂糖やバターで、一体どうやったらこんなものを。


「ほら。試食試食」


「くっ……」


間合いを詰められ過ぎた。


テラントやデリフィスに鍛えられているだけあって、ティアのすばしっこさは侮れない。


張り倒す前に、斬新な芋虫を口に捩込まれてしまう。


「……煙が出てないし、なにを作ったか把握している。これまでよりもマシなのか? いや、それは早計な考えだろう。方向性が変わっただけで、威力は相変わらずと見た方が……」


「なにをぶつぶつ言ってんのよ!? ほらっ!」


口に押し込んでくる気配を察知し、時間稼ぎのために、ルーアは指で斬新な芋虫をつまんだ。


ぞわ、と鳥肌が立つ。


「うおぅ!? なんだ!? カリッとした見た目なのに、ネバッとした触感!」


「いちいちうるさいのよっ! ほらほら、食べて!」


「くぅぅ……!」


逃げ場はないのか。


視線を走らす。


部屋の隅で、壁と同化しようとしているシーパル。


椅子で、こくりこくりとしているデリフィス。


異様なまでに、デリフィスは寝たふりが上手い。

完璧な狸寝入り。


そう。腹が立つくらい完璧な。


斬新な芋虫を、デリフィスの鼻の穴に入れてみた。


「……!?」


椅子ごとひっくり返るデリフィス。


ルーアは、額を拭った。


「ふぅ……。やはり、威力はこれまで通りか……」


鼻と口の周りを乱暴に掌で拭い、ゆらり……とデリフィスが立ち上がった。


「……死にたいらしいな」


「うるせえっ! いつも寝たふりで逃げやがって! お前が今味わった苦しみを、俺は毎度毎度喰らってんだぞ!」


「……表へ出ろ」


「あ? ……おもしれえ。お前とは、ガチでやりあったことがなかったな……。上等じゃねえか……どっちが上か、はっきりさせてやるよ!」


「言うまでもないが、負けた方が……」


デリフィスが、ティアの方、というか斬新な芋虫に眼をやる。


「ああ、わかってるさ……」


ルーアも、ティアを、というか斬新な芋虫に視線を向けた。


「そんなっ!」


盛大に勘違いしたのか、悲劇のヒロインを演じる舞台女優のような表情にティアがなる。


「二人とも、あたしのために争わないで!」


酒を飲んでもいないのに酔っ払ったのか、皿を机に置くと、胸の前で手を組み、自分に酔った台詞を吐いた。


ティアの勘違いが二点。


負けた方が諦めるではなく、負けた方が罰ゲーム。


ティアのために争うのではなく、斬新な芋虫のせいで争うはめになっている。


しかし、突っ込む暇などない。


机に置かれた斬新な芋虫。

ルーアもデリフィスも、見逃す訳がなかった。


ティアの手から離れた今しか、チャンスはない。


一瞬のアイコンタクト。

一瞬で伝わり合う、互いの意思。


確かに、一触即発の状態だった。

だが、それでも固く手を結ばなければならない時が、わかり合わなければならない時が、男たちにはある。


デリフィスが、跳躍した。

椅子も寝台も飛び越え、窓際に着地し、窓を押し開く。


ルーアも、動いていた。


「おっと、手が物凄く滑ったぁぁぁっ!」


皿を引っ掴み、斬新な芋虫ごと窓から外へ放り投げる。


「あーっ!?」


ティアの悲鳴と。


「すごく一生懸命だー」


シーパルののんびりとした声が重なる。


デリフィスと、また眼が合った。

ニヒルに笑っている。


きっとルーアも、同じように笑っているだろう。


拳を、軽く打ち合わせた。


「って、ルーア! 今の絶対わざとよね!? ねえ!?」


「バカだなぁ、オースター」


心からの笑顔を、ルーアは向けた。


「事故に決まってるじゃないか。不幸な事故。でもさ、よく考えてみろよ」


「……なによ?」


「その不幸な事故のお陰で、みんな幸せな気分になってるんだ。幸せを運ぶ斬新な芋虫は、最初から外にあったんだよ」


「訳のわからないことを言ってごまかさないで!」


「ふ。凶器を手放したお前など、怖くはないわ」


あっさりと、まあ一応怪我をしないよう、掴み掛かってくるティアを寝台に放り投げる。


「お前ら昼飯だぞ」


騒動に巻き込まれずにすんだからだろう。


ドラウの部屋から戻ってきたテラントが、安堵の表情で言った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


朝食を採りすぎたということにして、昼食は抜くことにした。


元々ドラウは少食であり、ユファレートも不審には思わなかったようだ。


別のことで、頭が一杯なのかもしれない。


痩せて、染みが拡がる老いた自身の手を、ドラウは見つめた。


医者によると、肺と食道にできものができているらしい。


もう、治すことはできない、ということだった。


魔法による外科手術で、痛覚は取り除いてある。

だから、痛みはない。

ただ、度々苦しくなった。


あと五年。

痛烈に、そう思う。


あと五年の時があれば、次代の若者たちも育つ。


それからならば、心置きなく死ねる。


だが、そこまでの時間は残されていないだろう。

あと何日。何ヶ月。


両手で持てるほどのミスリル銀を、部屋に運んだ。


ミスリル銀は高価であり、これだけでも一等地に一戸建てを建てられるほどの価値があるだろう。


鋼よりも硬く、だが軽い。

そして、耐魔の力を備えている。


鍛えた鋼と合わせれば、ある程度の魔法は弾き、斬り裂けるようになる。


訪れた知人の鍛冶屋には、廊下に待ってもらった。


デリフィスが、入室してくる。


「話とは?」


「……風邪を引いたのかい?」


デリフィスは、鼻を気にしていた。

押さえたり、摘んだりしている。


「いや、虫が……」


「虫?」


この季節に、まだ虫がいるのか。

虫に刺されでもしたのだろう。


「いや、気になさらず。それよりも、話を」


「……じゃあ、そうしようかな」


少し、デリフィスは不機嫌そうだった。


余り鼻の話題には、触れて欲しくなさそうだ。


「君の剣、ロウズの村で、少し傷めてしまったね?」


「……それがなにか?」


ドリ・クリューツという魔法使いとの戦闘で、光球を剣で受けている。

無茶な真似をするものである。

並の剣なら、砕けていた。


「しばらく、預けてみないか? 一度、鍛え直した方がいいと思う」


「……」


デリフィスが、鋭い眼で机上のミスリル銀を一瞥する。


「結構です。手入れは、怠っておりませんので」


テラントから、耐魔の効果がある服のことも聞いているだろう。


やはり素直に受け取る気はないか。


無理もない。

デリフィスという男は、力と技、己の肉体と剣一本だけで勝ち続けてきた。


だからこそ、誇りとこだわりがある。


耐魔の装備で身を固め敵を倒しても、勝利だとは思わないだろう。


それよりは、今のままで敗北を選ぶ男だ。


そしてデリフィスには、ユファレートやテラントのような強い旅の目的がない。


もし負ければ死に、旅が終わる。

それでいいと考えているに違いない。


「君は、なぜ彼らの旅に付き合っている?」


「……さあ?」


「……ユファやシーパルは、接近されても戦う術を持っている」


近接戦闘用の魔法がある。

そして魔法は、剣よりも汎用性に優れている。


接近戦に持ち込まれれば圧倒的に不利だが、それでも打開できる可能性がある。


「だが君は、高位の魔法使いに遠距離から狙撃をされたら、為す術もなく敗れることになる」


「……」


「今後、魔法に耐性のない君が、みなの足を引っ張る時も出てくるだろう」


「……要するにあなたは、俺に、あなたの孫たちと旅を続けるな、と言いたい訳か?」


「違うよ」


怒りに近い微妙な感情が漂っている。


「遠距離での魔法の撃ち合いなら、他の者に任せればいいさ。だが、君やテラントのような男でなければ、相手をできない者がいるだろう?」


魔法が使えないとはいえ、彼らのような剣士は、実に得難い存在だった。


「だからこそ、旅の途中に、つまらないことで君が欠けるような事態が起きたりしたら困るんだよ」


「……」


「君のその剣で斬れない者が敵として現れた時、君はそのまま負けてしまうのかい?」


「……剣で、斬れない者? エスのような?」


「いや、違う」


斬れない替わりに、エスには傷付けられることもない。

ある意味、最も安全な者だった。


「例えば、神や魔神のような」


「はっ……」


デリフィスが、小さく嗤った。


「いた方が面白いとは思います。だが俺は、神にも魔神にも会ったことがない。だから、いないと思う。あなたの心配は、杞憂です」


「そうだね、神も魔神もいないと思うよ。いるのはもっと質の悪い、元はただの人間だった分際で、神や魔神のように振る舞っている化け物のような者たちだよ」


「……?」


「テラント・エセンツという男でなければ、きっとズィニア・スティマは殺せなかった」


そういう意味で、テラントは自分の役割の一つを果たしたと言える。


「そして僕は、君以外の者が戦ってはならない者がいると思う」


あるはずなのだ。

このデリフィス・デュラムにしかできないことが。

彼だけの役割が。


「君は、化け物さえも斬れる者を、斬れる男になりなさい」


「……あなたの言っていることは難しすぎて、俺には理解しきれないな」


「旅を続ければ、嫌でもわかるよ」


ドラウは、机上のミスリル銀を撫でた。


「誤解しているようだが、どれだけ強化しようと、あくまでも剣は剣で、服は服だよ」


「……」


「例えば、光線が直撃したとする。肌が灼かれることを防げるかもしれない。だが、ハンマーで殴られたような衝撃はある。剣で魔法が斬れるといっても、それがどれだけ難しいかわかるだろう?」


飛んでくる矢を、素手で掴むようなものだろう。


それには、優れた動体視力や反射神経、勘や度胸が必要となる。


デリフィスのように、普段から肉体と技を鍛えている者でなければ、できることではない。


「根本にあるのは君だよ。君が君の体を操作して、君の武器を振る。戦い方が少し変わるかもしれないが。そこには、寒い日に上着を一枚多く着る程度の違いしかない」


「……上手い言い方をしますね」


「君の剣を、ミスリル銀と合わせ鍛え直す。弱い魔法は斬れるようになるが、限度がある。矢は斬れても、大砲の弾は斬れないようにね。その程度の、些細な変化だよ」




デリフィスが去った部屋で、ドラウは一人伸びをした。

疲れる男である。


武器屋が準備した大振りの剣は、デリフィスが持っていった。


デリフィスの剣とミスリル銀は、鍛冶屋が持っていった。


「あとは、彼か……」


最も時間が掛かる。

一日二日で解決する問題ではないだろう。


ドラウは、溜息をつきそうになった。

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