国取りの計

大陸北部にある、ドニック王国。

北は海、東はニウレ大河が横たわり、西と南でホルン王国と国境を接する。


ニウレ大河は、大陸を東西に二分するような河であり、大陸北部では流氷が漂っているため、余り船は出せない。


そのため、ドニック王国が交易する相手は、大概ホルン王国となる。


だが、大陸最大のラグマ王国に対抗する力が欲しいホルン王国は、国土を拡げるために、しばしばドニック王国への侵攻を試みる。


このため、刃物を腹に突き付け合いながら握手をしている、と両国の関係は言い表されることが多い。


ホルン王国の国土と人口は、ドニック王国の約三倍。


国力の差は歴然だが、ドニック王国は侵攻を跳ね返し続けていた。


大きな理由は二つあると言われている。


ドニック王国には、精強を誇る魔法兵団がある。


外敵はホルン王国だけであり、戦力の大半を国境に集中できる。


もう一つの理由は、ホルン王国南にあるラグマ王国にある。


両国の国境には天険レボベル山脈があり、簡単には攻め込めないだろうが、ラグマ王国は領土拡大を目論んでおり、ホルン王国としては油断できない。


南はラグマ王国に備え、西の島国ヘリクとは友好関係を維持し、東のドニック王国には侵攻を企む。

それが、ホルン王国の現状だった。


ホルン王国とドニック王国の国境を争う戦力は、拮抗している。

その分、緊張感に溢れていた。


越境の際の身体検査は、入念に行われた。


その後も、数日に渡りうんざりするほどの入国審査があった。


警戒されるのも、仕方ないかもしれない。


ルーアたちは全員が、武装しているか魔法使いである。


ルーアとテラントは外国の元軍人であるし、デリフィスも傭兵である。


大陸南部の山中で暮らすヨゥロ族はこの辺りでは珍しく、ティアは敵対もしているホルンの国籍である。


それでもルーアたちは、他の旅人たちよりもまだ短い期間で解放されたようだ。


もしかしたら、ドニック王国の英雄であり世界最高の魔法使いドラウ・パーターの孫娘、というユファレートの肩書きが、効果を発揮したのかもしれない。


入国審査は、国境付近にあるアヨシラという村で行われた。


村だというが、ルーアの眼には街の規模に見えた。


ユファレートの説明によると、ドニック王国では、暮らしている一般市民の人数により、街か村かに区別されるという。


アヨシラの村は人が多かったが、ほとんどが軍関係者のようだった。


広大に見えるのは、村の周囲にも軍営が連なっているからだろう。


戦地に近いためか、アヨシラの村の空気は重々しく、見るべき娯楽もない。


入国審査が終わるとすぐに、ルーアたちは村を後にした。


向かうは北東、ドニック王国王都ミムスローパ。


ユファレートの祖父であるドラウ・パーターがいる。


そして、この国のどこかにハウザードがいる。


ハウザードの師でもあるドラウ・パーターならば、ハウザードの行方を知っているかもしれない。


寒さに震えながら、ルーアは陰鬱に溜息をついた。


年が明け、今は一月。

ドニック王国では、もっとも寒く積雪量が多い月である。


夏は南国のラグマやズターエで汗塗れになり、冬は北国のホルン北部やドニックで鼻水を垂らしている。


成り行きとはいえ、それを考えると溜息をついてしまう。


周囲には、誰もいない。

溜息をつきまくっても、不快にさせることも気を遣わせることもない。


ルーアは、街道から外れた場所にいた。


眼の前には小川があり、水と氷が流れている。


旅の連れは街道に待たせており、茂みや雪に隔てられ姿は見えない。


しばらく旅に付き合ってもらっていたパナとは、オースター孤児院のあるロウズの村で別れた。


彼女の薬や医療の知識は確かであり、大いに助けられた。


今は、ホルン王国を南下する馬車の中だろう。


一陣の風があった。

茂みを越え、ひらひらと舞うハンカチ。

風に飛ばされたのだろう。


そして、茂みを踏み分け飛び出す人影。

ティアだった。


宙で翻るハンカチを俊敏な動作で見事に掴み取り、ルーアを見て、眼を丸くする。


「っ……!? きゃああああああっ!」


多分、今までに聞いたティアの悲鳴の中で、もっとも女らしかっただろう。


茂みを踏み越え街道へと戻っていく。


取り残されたルーアは、溜息をついた。


ティアの泣き声が聞こえ、更に溜息をつく。


小川で手を洗い、水の冷たさに溜息をつき、ズボンのチャックを閉め忘れていることに気付いて、溜息を重ねた。


人間である。

生きていれば、喉が渇くこともあり、水分補給をすることもある。


そして、人間には生理現象というものがあり、当然催すことがある。


周囲に公衆トイレなどと気の利いたものはなく、近くの茂みに入った。


用を足し、仕舞おうとしていたところで、いきなりティアが現れたのだ。


「……まあ、いいんだけどな、べつに……」


わざわざ他人と見比べたことはないが、見せびらかすようなものではなく、見られて困るような粗末さでもない。

多分、ごく標準だろう。


そして、男女混合で旅を続けているのである。


一つの部屋に、六人で雑魚寝をすることもあった。


ティアやユファレートのいぎたない寝姿を見たこともあるし、すっぴんを見たこともある。


こういったハプニングが起こり得ることも、理解している。


(けど、こう……男女逆転して起きるべきじゃないだろうか……)


例えば、ティアやユファレートが着替えているところを、うっかり目撃してしまうとか。


それに、納得いかない。


もしルーアがなにかを見てしまったら、罵詈雑言を浴び、物が飛んでくることだろう。


今回は見られた側だと言うのに、悲鳴に泣き声である。


どちらにせよ、男に非があるようではないか。

理不尽ではないのか。


溜息をつきつつ、街道に戻る。


ティアは、ユファレートに抱き着き胸に顔を埋めていた。


「うえぇぇぇん。ユファァァァ。変なもの見せられたぁぁぁ」


「……」


「眼が腐るぅぅぅ」


「……おい」


嘘泣きをしているティアに、ルーアは半眼を向けた。


「なに被害者面してんだ、痴女」


冷たく告げると、ぴたりと泣き声が止んだ。

くるりと振り返ってくる。


「誰が痴女よ!? あんな変なもの見せられて、あたしは……」


「……変言うな。普通だから」


「嘘よ! あんな変な……おえっ」


「……おい」


「とにかく! 病院に行った方がいいわ! 今すぐにでも!」


「……お、おまっ……言っていい冗談と悪い冗談があるぞ!」


「病気か……」

「病気だな」

「誰に移されたのやら」


「ンな訳あるかっ! お前らは黙ってろ!」


次々と呟くデリフィスとテラントとシーパルに、ルーアは腕を振った。


「オースター! お前なぁ!」


「いやぁ!? 近寄らないで!」


「てっめ……!」


「ま、まあまあ、ルーア」


宥めるように、ユファレートが割って入る。


「それで、ティア……」


そして、ティアの肩に手を置く。

やや頬を赤らめながら。


「どんな感じだったの?」


「……いや、あの……ユファレートさん……? なにを聞いて……?」


「んっとね……ごわっとしてて、ごりっとしてて……」


「……おい」


「でね、なんか曲がってた。ぐいんって」


「うおおおおいっ!?」


「いじりすぎか……」

「いじりすぎだな」

「いじりすぎですねえ」


「お前らは黙ってろって言っただろうがっ!」


再度三人に怒鳴り付け、ルーアはティアに詰め寄った。


「お前いい加減に……!」


「きゃああっ!? 変なのが近寄ってくるぅ!」


「変じゃねえ! 俺のはごく標準で普通だ!」


なんでこんなことを力説しなければならないのだろう。


「嘘! 嘘よ! 絶対変よ!」


「だからっ……!」


「だって……だって……!」


おろおろしながら『だって』を連呼し、決心したかのように息を吸い込む。


「チャーリーのと全然違う……!」


「あんなガキと一緒であってたまるかぁぁぁっ!」


おそらく、生涯最大の声量でルーアは叫んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「君は、『器』の完成に力を貸した。その罪は重い、ドラウ・パーター」


責めていることを隠すような、エスの口調だった。


居間の暖炉の熱で煽られた白い姿は、蜃気楼のように不安定である。


「『器』、か……」


誰もが、ハウザードをそう見る。

エスもストラームもリンダも、『コミュニティ』の者たちも。


「僕は、そんなつもりはないね」


ドラウは、湯の注がれたコップを口に運んだ。

冷えた体に、熱が通る。


春は遠い。

老いた体には、寒さが堪える。


一人の少年と出会った。

少年だった時の、ハウザード。


独りきりだった。

庭に独りで立っていた、という意味ではない。


周りに人がいないだけでなく、少年は内側、心の中でも独りきりではないかと思った。


少年が何者かは、すぐに気付いた。


そんなことよりも、少年は孤独であると感じられた。

それが、心に染みた。


エスが、椅子の背凭れを引く。

窓から光が差し込む、居間で最も日当たりが良い席。


「……そこには、座らないでくれ」


意図せずに、口調が鋭くなる。

眼付きも鋭くなっているだろう。


「……これは失礼した」


肩を竦め、エスは隣の椅子に座った。


ユファレートが、家にいる間いつも座る席。


「『器』は、破壊せねばならない」


「……難しいね」


ドラウは言った。


「今のハウザードに攻撃を届かせられるとしたら、僕かストラームかユファか……。それに、ハウザードの近辺はクロイツが眼を光らせている」


ハウザードが破壊されることを、クロイツは最も警戒しているだろう。


なんらかの対策がされていると考えた方がいい。


「ハウザードへの攻撃は、他の打つ手を全て封じられた時の最終手段とした方が、賢明だと思うよ」


「……『器』の破壊が困難ならば、『中身』の破壊を試みるべきかな」


「……『中身』の居場所を掴んだかい?」


「……見せてあげようか」


脳に小さな刺激を感じて、ドラウは眼を閉じた。

瞼の裏に、人の顔が浮かぶ。


おそらく十代後半の男。

柔らかそうな黒髪。

前髪が少し長いか。


はっとするような美形だが、どこか冷たい印象を受ける。


特に、切れ長の眼か。

瞳に暗い光がある。

月の光で照らされた、氷のような輝きだった。


「……この少年が?」


「去年、ドニック王国宮廷魔術師となった。公式では十八歳とされているが、実年齢は幾つだと思うかね?」


「……さあ?」


「四歳だよ」


「……」


生まれたのは、四年前となる。

『コミュニティ』のボスが死んだ年。


「急激な勢いで肉体が成長しているようだ。まるで、ライア・ネクタスに対抗する力を得るかのように」


「それは……」


まるで、システムが歪みを修正しようとしているようではないか、とドラウは思った。


腐ったシステムは、未だに世界を縛ろうとしているのか。


「名前は、ルイン」


「……ふざけているね」


もしくは、馬鹿にしているのか、挑発か。


「私は、もう一点気に喰わない。彼の存在を、今朝いきなりあっさりと掴んだ。どう思うかね、ドラウ・パーター?」


「……誘い。罠。偽者」


『中身』らしき者を見せ、ドラウたちの注意を向けさせる。


ハウザードへの意識を、逸らそうとしていないか。


「私も、偽者ではないかと疑った。真の『中身』は、別にあるのではないかとな。『コミュニティ』の内部を、洗い直したよ」


「それで?」


「該当するそれらしき人物はいなかった」


「……クロイツなら、完璧に隠すくらいはしそうだけどね」


「だが、隠した痕跡まで完璧に消すことなどできない。力の質も、『ルインクロード』と酷似している。これらの事実から、彼が『中身』であることはほぼ確定なのだが……」


ドラウは、眼を開いた。

瞼に浮かぶルインの顔が気になって、考えが纏まらなかったのだ。


『ルインクロード』の『中身』としか思えない少年。


それならば、ハウザードと並ぶ『コミュニティ』の重要人物となる。


それを、簡単にエスに掴ませたのか。


そして、わざとらしい名前。


偽者を用いて撹乱させ、誘い、罠に嵌めようとしているとしか思えない。


本物としか思えないような少年。

だが、偽者としか思えないような扱い。


本物ならば、簡単には倒せないだろう。


仮に倒せたとしても、本物とは限らない。


「……ルインか」


少年の、整った顔立ちを思い浮かべる。


「側に付いているのは?」


「『百人部隊』は去った。これは、不測の事態をクロイツが警戒しているからだろう。現在ルインに付いているのは、グリア・モート」


「彼か……」


昔から『コミュニティ』に仕える魔法使い。


ドラウたちが『コミュニティ』と争い始めた頃からいた。


年齢も近かったはずだから、六十は超えている。


何度か戦い追い込んだこともあるが、とどめまでは刺せなかった。


手強いという印象が残っている。


二十年以上前からドニック王国政府に潜り込み、宮廷魔術師に就任している。


今は、強力な魔法使いというだけではなく、『悪魔憑き』でもあるはずだ。


「『百人部隊』と共に、撤退してくれればいいものを……」


ドラウも、グリア・モートと正面から一対一で戦って、必ず勝てるとは言いきれない。


「クロイツから知らされていないということはないだろう。きっと、見たいのだよ。完成した『器』を」


言うエスの白い顔を、ドラウは一瞥した。


ハウザードのことを、『器』という。


だが、本当にそうなのか。

『器』だとして、それは空なのか。


「『コミュニティ』の、第二の目的は?」


気を取り直し、ドラウは聞いた。


真の目的を隠すため、または敵の注意を拡散させるため、ちょっと派手な騒動を起こす。


『コミュニティ』の、昔からのやり口だった。


ハウザードの完成が第一の目的だろう。


それ以外にも、なにか仕掛けてくるはずだ。


「ここ、ドニック王国の現状。長年暮らしている君には言うまでもないが、組合の力が非常に強く、政府の力は弱い」


「ああ」


ドニック王国は、他国との貿易が余り上手くいっていない。


その分、国内での物の流通が盛んだった。


商人たちは横の繋がりで結び付き、商人組合は力を持ち、それがいくつも国中に点在している。


傭兵組合というものもあり、これも力を持っていた。


ホルン王国から度々攻め込まれる。


兵力で劣るドニック軍では、傭兵たちも重要な戦力である。

そして、人数も多い。


正規軍の兵士と比べれば収入は安定しないが、傭兵は手柄次第では一攫千金も夢ではない。


正規軍の兵士ならば、逃亡や裏切りは死により罰せられる。


傭兵ならば、厳しい軍規に縛られることもない。


そして、魔術師組合。

ドニック王国の最大戦力は魔法兵団であり、大抵の者が魔術師組合と少なからず関わりがある。


商人組合や傭兵組合、魔術師組合は、三大組合とされていた。


他にも様々な組合があり、政府に要求を出している。


政府は、組合のことを考慮しながら政策を進めていた。


三大組合にそっぽを向かれたら、国が崩壊し兼ねない。


もっとも、国が潰れては組合も終わりであるから、譲るべきところは譲っているようだ。


政府と組合の間では、いつも微妙な駆け引きが展開されている。


政府内部にも、様々な派閥があった。


これは、王に絶対的な力がないからだった。


軍の大半は、ホルン王国との戦線に出動している。


王都の戦力は薄く、つまり、王は軍事力を背景に政治を行うことができない。


そのため、王を軽んじて権勢を振るう大臣などが生まれる。


そして、魔術師組合を背後に、政府内で権力を上げていく宮廷魔術師たち。


外側からも、政府は力を削られていた。


軍が国境に張り付いた状態なため、他の地域が手薄になり、賊などが出没する。


撃退するために、各地の貴族や豪族は、私兵を雇う。


このため、地方が力を持ち、地域によっては独立したようになり中央政権に圧力を掛けている。


様々な利権と思惑が複雑に絡み合った国。

それが、ドニック王国といえた。


ドラウもその気になれば、一勢力となれるかもしれない。


ストラームほどではないが、エスが手を加えたせいで様々な伝説が独り歩きしている。


名声がある。


魔術師組合や魔法兵団、宮廷魔術師の中には、ドラウから教えを受けた者も多数いる。

弟子だとは思っていないが。


もしドラウが一声上げれば、結構な人数が集まるのではないか。


これ程統治が難しい国家も、そうはないだろう。


現王であるピサロスは、よくやっていた。


王位に就いたのは、十年以上前、まだ二十代だった。


名君・賢王とまでは言えないが、各勢力と上手く調和を図り、国を纏めていた。


「この国は、複雑だ。多くの勢力がある。そして『コミュニティ』は、それらに浸透している。魔術師組合、傭兵組合、商人組合は、すでに『コミュニティ』側に傾きかけている」


「……」


「『百人部隊』の相手をしていた君は、知らなかっただろうが」


確かに、戦闘で手一杯であり、政治の裏側にまで眼が向いていなかった。


「政府内も、すでに落ちた者は大勢いる。宮廷魔術師については、言うまでもないだろう?」


グリア・モートがいる。ルインも。


以前は、オーバ・レセンブラという名でハウザードもいた。


「各地方にも、『コミュニティ』に味方する勢力は多いだろうな。国境沿いの軍にも、『コミュニティ』の手は入っている。軍を返し王都に攻め込むことも、有り得なくはない。その上、去年の夏、ズターエ王国アスハレムの事件だ」


平和のための『フォンロッド・テスター条約』が結ばれるはずだったが、『コミュニティ』の妨害により破綻した。


ズターエ王国前国王ミド・アラエルの遺児、サン・アラエルを立て、反乱を指嗾し、各国の代表者たちを攻撃した。


世間への発表では、反乱の指揮を執ったのはズターエ王国宮廷魔術師ラシィ・マコルであり、協力したのがドニック王国宮廷魔術師オーバ・レセンブラとなっている。


あの一件で、ズターエ王国とドニック王国は諸国の信用を失った。


ピサロスの権威は失墜し、王としての権力は更に落ちた。


その気になれば、いつでもピサロスを王位から引きずり落とせるだけの潜在戦力が、『コミュニティ』にはある。


「グリア・モートは、第一王位継承者キオエラの教育係でもある。これらの事実から、君は『コミュニティ』がなにを狙っていると思うかね、ドラウ・パーター?」


「……」


グリア・モートが教育係に任命されたのは、『コミュニティ』からの圧力があったと考えるのが妥当だろう。


キオエラ王子は、まだ十歳かそこらだった。


判断力が完成されているとは思えない。


「……この国を、乗っ取るつもりか」


重く、ドラウは呻いた。


ピサロスを殺害か追放し、キオエラを王位に据える。


傀儡の王が出来上がる。

この国が、『コミュニティ』の国になる可能性は、かなり高い。


「……これは、『コミュニティ』第二の目的だと見過ごすこともできないね……」


頭が痛くなる話だった。

『ルインクロード』を完成させる訳にはいかないが、この国を奪わせる訳にもいかない。


「阻止できるかね?」


「阻止しない訳にもいかないだろう、エス」


「……『ルインクロード』は、『器』と『中身』が揃って完成となる。私の案だが、ピサロスを保護し、この国を救う。その際に、王宮にいる『中身』たるルインを破壊する。それが、『コミュニティ』の二つの目的を阻む一番の近道だと思う」


「……言うのは簡単だけどね」


グリア・モートがいる。

ルインの実力は未知数である。

クロイツが、なにを仕掛けてくるか。


組合や各地の勢力に、どう対処すればいいのか。


ドニック王国全土が、戦火に包まれ兼ねない。


「君なら、なんとかしてくれると期待しているよ。なにしろ君は、世界最高の魔法使い、英雄ドラウ・パーターなのだからね」


「……最大限の協力はしてもらうよ、エス」


「もちろん、全力を尽くすと約束する。君にとっては、最後の戦いとなるだろう。武運を祈るよ」


ゆらりと揺れて、エスの姿が消える。


ドラウは、温くなった湯を啜った。


重いものを背負わされている。

昔から感じていた。


世界最高の魔法使いの呼び名も、英雄の看板も、ただただ重いだけでしかなかった。


ドラウ・パーターは、年老いた一人の魔法使いでしかないのだ。


彼らならば、どうなのか。


湯を飲み干す。


まだ若い。

若過ぎるといってもいい。

そしてなにより、一人ではない。


全てを託する時が近付いていることを、ドラウは感じていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ドニック王国王都ミムスローパ。

道に水が流れる街だと、ルーアは思った。


通りの端に台所の排水口のような物が延々と並び、そこから水が流れ続けている。


水が雪を溶かし、馬車の往来を可能にしていた。


北国の、それも都市ならではの備えなのかもしれない。


ロウズの村には、こんなものはなかった。


仕組みは、ルーアにはよくわからなかった。


地下に、水を送る機械のような物があるのか、それとも魔法なのか。


ユファレートに聞けば、どちらかはっきりするだろう。


べらべら喋り出したら、後者である。


興味が少しあったが、聞かなかった。


その辺りは、ほかの者も心得ている。


魔法について迂闊にユファレートに語らせたら、一日が潰れる。


ともあれ、雪が溶けているので、馬車を利用できた。


乗り合い馬車は利用客で混雑し列を為していたので、商人の馬車に声を掛けた。


ルーアたちは、ミムスローパの南西門を潜った。


ユファレートの生家、ドラウ・パーターの屋敷は、西門近くにある。


北へ用事があるという商人を掴まえ、少しの金と積み荷の護衛、幌に積もる雪を払うという条件で荷台に乗せてもらった。


ユファレートとの付き合いが長く、何度かこの街に来たことのあるティアに、道を案内してもらうため地図を渡す。


ユファレートが、むくれた。


彼女はこの街に入ってから、ティアの指示で深くローブのフードを被らされている。


ティアの話によると、ユファレートはミムスローパでは有名人らしく、見付かったら、一部の若い男たちが必要以上に騒ぎ出すことになるらしい。


まあ、その男たちの気持ちが全くわからないでもない。


「なんでわたしに地図を渡してくれないのよ」


「……」


その説明は、必要だろうか。


「わたしが案内するわよ。わたしの家へ行くんだし」


ティアから奪い、地図を睨み付け、そして唸り声を上げる。


旅人たちの指定がないから、馬車は漫然と北への道を走るだけだった。


「……ユファレート」


「う~ん……」


「逆さまにしても……」


「う~ん……」


「裏から見ても……」


「ルーアが苛める!」


ひしとティアに抱き着く。


自分が生まれ育った街の地図も見れないらしい。


「えっと……そこの通りを右にお願いします」


ユファレートに抱き着かれ困ったような顔で、道を覚えているのかティアが商人に言う。


馬車が右折した。

市場を通る道である。


なかなか活気に満ちていた。

いくつもの店が並び、人々で賑わっている。


商品に眼を向ける。


「衣料品、岩塩、干し肉、小麦、魚介類、冬野菜……」


この辺りは、食料品を扱う店が多いようだ。


「なんか作ってあげようか?」


「いや、いい」


振り返るティアに、即答する。


ちなみに、冬野菜などと口にしてみたが、なにが夏野菜でなにが冬野菜かもルーアには区別がつかない。


冬に店に並んでいるなら冬野菜だろ、という感覚である。


訓練と実戦の中で生きていた。

知識に偏りがあることは、自覚している。


(それにしても……)


ユファレートのように少しむくれてから、ティアは御者台にいる商人に向き直り、道を指した。


普段と変わらないティアに見える。


ロウズの村では、色々とややこしいことがあった。


今後、ティアとの関係が大きく変わってしまうような気がした。

だが、いつも通りである。


ティアがそれを望むのならば、それで良かった。


ルーアも、気持ちの整理がついていない。


ザイアムの言葉があったからではないかと、ルーアは思っている。


『良かったな。弟が、生きて戻ってきて』


ザイアムの意図は不明だが、多分あの台詞が、結果的にティアの感情になんらかの歯止めを掛けた。


「色んな物が売ってますねえ」


きょろきょろと見渡しながらのんびりと言うシーパルに、ルーアは我に返った。


いつの間にか、ぼんやりとしていた。


雪の中の街というのが、シーパルには目新しいらしく、ずっとそわそわしていた。


ズターエやラグマの街が雪に埋まることは、まずないことである。


「商人組合がしっかりしてるからね。どんな季節でも、市場は大賑わいなの」


ユファレートが説明する。


「ドニック王国は、組合の力が強いからね。魔術師組合とか、傭兵組合なんかもあるわ」


(傭兵組合……)


なんとなく、デリフィスに視線を向ける。


傭兵だと主張しているが、出会って一年、誰かに雇われている姿を見たことがない。


「挨拶とかしなくていいのか?」


聞いてみる。


仕組みがどうなっているのかわからないが、この国で傭兵として仕事をするのならば、許可を取る必要もあるかもしれない。


デリフィスは、少し考える仕草を見せ。


「……べつに、雇われる予定もないからな」


金銭的に余裕があるのか、そんなことを言った。


デリフィスの隣にいるテラントは、静かである。


寒いのが苦手なのか、北国に来てからおとなしい。

だが、それだけではないだろう。


マリィ・エセンツが生きているかもしれない。


他の者にも、それは言ったようだ。


さぞかし、みんな反応に困っただろう。


それぞれ頭は回る。

当然、疑問に思ったはずだ。


生きているとしたら喜ばしいが、なぜテラントの元から去ったのか。


テラントの胸中は、如何なるものか。


ルーアにはもう一人、気になる者がいた。

ユファレートである。


ハウザードへと、近付いている。

いつも通りに振る舞っているが、内面ではどうなのか。

平静を装っているだけだろう。


どう接するべきか迷ったので、ティアを見た。


ティアは、ユファレートの心の変化に人一倍敏感だろう。


多分、ユファレートへの触れ方を間違えることはない。


ティアは、いつも通りユファレートと接していた。


だから、ルーアたちもいつも通りでいいのだろう。

今のところは。


ティアの指示で、馬車を降りた。

ドラウ・パーターの屋敷までは、まだしばらく歩くらしい。


「オースター、なんで馬車で行かない?」


「だから、それだとユファが戻ってきたことがばれるでしょ。人目につかないよう、こっそり行くわよ」


ティアを先頭に、進み出す。


「……そんな騒ぎになるのか?」


「ユファってば、一時期ミムスローパの名物だったから」


「……名物?」


「外に出るたびに道に迷って、それでこの外見だから、すぐにナンパされて。で、魔法でぶっ飛ばしちゃうから……」


「……ああ」


なんとなく、その様子を思い浮かべることができた。


「『神出鬼没の爆弾娘』という、末代までの恥な二つ名が」


「それは恥ずかしいな……」


「ちょっとティア! それは言わないでって……ルーアもしみじみと言わないで!」


抗議するユファレートの後ろで、呻きが聞こえた。


デリフィスが口を押さえ、肩を揺らし、がくがくと膝を震わせている。


どうやら、おかしなツボの入り方をしたらしい。


会話の間にも、歩は進めている。

道には水が流れているためブーツが汚れてしまうが、雪に足を取られながら歩くよりも、ずっと楽だった。


しばらく歩くと言われていたが、五分と経過していないだろう。


ドラウ・パーターの屋敷が見えてきた。


屋敷というよりも、普通の家が増築をひたすら繰り返したというような、不格好な建物だった。


庭が広い。

雪で埋もれているが、花壇などがあるようだ。


庭で雪掻きをしている小柄な老人がいる。


「御祖父様!」


ユファレートが駆け寄り抱き着く。


(……てことは)


この老人がドラウ・パーター、世界最高の魔法使いということになるのか。


予想と随分違う。

庭の雪くらい、魔法で消し飛ばすようなイメージがあったが。


穏やかな、好々爺という雰囲気である。


ドラウ・パーター。

杖でも剣でもなく、スコップを持った老人だった。

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