プロローグ7

屋敷を、少年は庭から見上げた。


広大であるが、荘厳な雰囲気はない。


ただの一軒家が、ひたすら大きくなった、という感じだった。


相当の部屋数があるはずだが、暮らしているのは二人のみ。


ドラウ・パーターと、幼い孫娘だけのはずだ。


多数の部屋は、物置の体を為していた。


魔導書や歴史書、その他、分野を問わず大量の書物がある。


部屋によっては、様々な魔法道具も置かれている。


ドラウが制作した物もあるだろう。


怪し気な液体から、不思議な輝き方をする鉱物、用途不明のガラクタにしか見えない物まで転がっている。


人の出入りは激しい。


ドラウ・パーターとその孫娘の身の回りの世話をする使用人。

書物を読みにくる者。

多額の礼金と引き換えに、魔法を教わりにくる者。


魔法道具を借りにくる者。

政府の人間らしき者もくる。


屋敷の様子や訪れる人々を、少年は直接見た訳ではなかった。


師のクロイツが、映像で見せてくれたのである。


クロイツほど、ドラウ・パーターを評価している者はいないだろう。


ドラウ・パーターは、平凡な天才に過ぎないはずだった。


だが、積み重ね続けた努力と工夫で、ストラーム・レイルと比肩する者になった。


彼の洗練された魔法には、美しささえ感じる。

創意工夫に溢れている。


彼こそ、真の魔法使いと言えるだろう。


なによりも素晴らしいのは、その育成能力。


魔法使いを育てることについて、彼以上の存在はいない。


剣を教えることについて、ランディ・ウェルズ以上の存在がいないように。


事あるごとに、クロイツはドラウ・パーターを褒め称えた。


そのドラウ・パーターだが、なかなか弟子を取ろうとはしない。


魔法がどれだけ危険な力か、熟知しているからだろう。


そして、クロイツの手により、弟子が尽く殺されていったからだろう。


教えを請いに来た者には、誰にでも教えられることを、誰よりも丁寧に教えて帰している。


少年は、庭を見回した。

雇われの庭師により、綺麗に手入れされている。


ドニック王国の短い春。

青々とした芝生。

花壇には、色取り取りの花が鮮やかに咲き誇っている。

花の名前など知らない。


日溜まりの中で、少年は待った。

師クロイツの指示である。

ドラウ・パーターから、学ぶようにと。


殺すつもりか、と少年は思った。

ドラウ・パーターは、少年が何者かすぐに悟るだろう。


将来的に、自分たちの最大の敵になる者を眼の前にして、どういう行動にでるか考えるまでもない。


それでも、少年は従った。

師であるから。

クロイツの言葉だから。


ドラウ・パーターの教えは、『器』を完成に近付けるとクロイツは考えていた。


少年は、自分がなんのために育てられているか、知っている。


人格は、求められていない。

人間性も、判断も、思考も、想いも、不要なものだった。


ただクロイツの望み通り、肉体を育てればいい。


玄関の木製の扉が開いた。

屋敷の中にいながらにして、少年に気付いたのだろう。


穏やかな雰囲気の男。

肌や白くなった頭髪からして、中年を経て、初老に差し掛かっていると言えるだろう。


柔らかい表情。

他人を圧するような空気はない。


事前に知っていなければ、ストラーム・レイルと並び称される者とは思わなかっただろう。


ドラウ・パーターが歩み寄り、少年を見つめた。


深く包み込んでくるような眼差しだ、と少年には感じられた。


「……君は?」


声も、穏やかなものだった。


「ハウザード」


少年は、名乗った。


「あなたの、弟子にしてください」


ドラウ・パーターは、直に少年の正体に気付くだろう。


すでに気付いていても、おかしくない。


殺されに、ここに来たようなものだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


なぜだろう、とハウザードは考える。


なぜドラウ・パーターは、ハウザードを弟子に迎え入れた。


『ルインクロードの器』だと、気付いたはずだ。


師や友人の仇のようなものだろう。

なぜ、破壊しようとしない。


ドラウ・パーターならば、まだ未熟なハウザードを壊せるはずだ。


『コミュニティ』との長い戦いは、ドラウ・パーターから息子や弟子たちを奪った。


そしてハウザードは、自分で言いたくはないが、『コミュニティ』にとっての至高の作品であるはずだ。


憎くないのか。

壊したくはないのか。


今まで習ったことは一旦全て忘れなさいと、ドラウ・パーターはまず言った。

そして、基礎から教えてくれる。


教育は一つ一つ丁寧であり、当たり前の基礎が、なぜか真新しく斬新なものに思えた。


教育と同時に、まるでなにかを注ぎ込んでいるかのようだった。


それがなにか、ハウザードにはよくわからなかった。


形が明瞭ではない、なにか。

多分、感情のようなもの。


わかるはずがなかった。

不要なものだと、クロイツには言われてきたのだから。


ドラウ・パーターの孫娘であるユファレート・パーターは、ハウザードのことを兄弟子だと思っているようだ。


ある種のなにかを込めて、接してくれる。


それも、ハウザードにはよくわからなかった。


でも多分、ドラウ・パーターが注いでくれているものと同種のものだ。


歳月は、少年を青年に変えた。

二人から向けられるものは、変わらない。

クロイツからは与えられなかったものだ。


短い春。

庭で昼食を採ることがある。


なぜと尋ねると、たまにはいいだろうと言って、ドラウ・パーターは微笑んだ。


楽しいじゃないか、と。

いい思い出になるではないかと。


暖かく柔らかな日差し。

日溜まりの中。


庭には、亡きユファレートの母親が残した花壇がある。


この季節、様々な種類の花が咲く。


綺麗だな、と素直に思った。

不要な感想だ。


ドラウ・パーターが、花一つ一つの名を言ったことがある。


名前以外は詳しく知らないようだ。


義理の娘が残した花壇だ。

なにかしらの思い入れはあるかもしれない。


ユファレートは、花より魔導書といった感じだった。


思い出になる、とドラウ・パーターは言った。


なぜだ。


ドラウ・パーターは、ハウザードが何者か知っているはずだ。


近い将来、消滅する者だと。

人格も記憶も消え去り、『器』だけが残る。


思い出を残すことに、意味はないはずだ。

なぜ、思い出を作ろうとする。


魔法の教育は、毎日毎夜行われた。

基礎も応用も、叩き込まれた。


ドラウ・パーターは、自分の全てをハウザードに受け継がせようとしていないか、と感じられた。


ユファレートへの教育とは、少し違うようだ。


ユファレートには、基礎の反復を徹底的にやらせている。


揺るぎない基盤ができあがりつつある。


いずれ応用を覚えはじめたら、短期間でとてつもない魔法使いになることだろう。


土台となる基礎力が、巨大である。


並の魔法使いとは、一軒家と城ほどの、土台の違いがあるはずだ。


教え方は異なっていても、同じものが込められている。


厳しい教えの中に、必ず優しさがある。


教育とはこういうものなのだろう、とハウザードは思った。


同時に、不思議にも思った。


孫娘だけでなく、敵であるはずのハウザードにも、分け隔てなく優しさを込めてくれた。


まるで、師であるかのように。

まるで、家族であるかのように。


なぜだ。


ユファレートも、ドラウ・パーターと同じものを向けてくれる。


まるで、本当の妹であるかのように。


二人の元を、去る日がきた。

ハウザードは、魔法使いとして、有りとあらゆる面でドラウ・パーターを超えていた。

もう、教わることはなにもない。


いや、そんなことはないか。

人が人からなにかを学ぶことに、終わりなどない。


なぜか、去りがたいとハウザードは感じていた。


なにも言わずに去るつもりだったが、ドラウ・パーターは庭に出てきた。

初めて顔を合わせた、庭だ。


引き止められはしなかった。

ハウザードが去らなければならないことに、気付いていたのだろう。


お前は、僕の弟子だ。ドラウ・パーターは言った。


例えどれだけ立場が違っても、例え何者だとしても、お前はずっと僕の弟子だ。


無言で、ハウザードは屋敷を後にした。


師として、家族として、そして妹として。


彼らは、ハウザードに愛情を向けてくれたのではないか。

注いでくれたのではないか。

ハウザードは、そう思った。


だが、それになんの意味がある。

ハウザードという存在は、なくなるのだ。


記憶も、思い出も、『器』に注がれた愛情も、全て消え失せる。


それでも、覚えていよう。

二人から、与えられたものを。

あの三人の時間を。


永遠に記憶することはできないとしても。

せめて、『器』が空になるその時まで。


短い春。

ゆっくりと流れる時間。

日溜まり。

青々とした芝生。

庭には、花が咲き誇り。


語るドラウは、どこかしたり顔で。


そして隣には。


いつも、ユファレートがいた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


夢を見ていた訳ではない。

思い出していた。昔のことを。


ハウザードは、眼を開いた。


荒野である。

大地はぐずぐずに腐り、草木は枯れ果て、空には暗い雲が渦巻き、風は生暖かく木霊のように鳴り響いていた。


そして、大気に充満する破壊の魔力、『天使』の力、『悪魔』の力、人の力。


ドニック王国王都ミムスローパの遥か東、人気のない山中にて、『ルインクロード』と『ネクタス家の者』が衝突した。

四十年以上前の出来事である。


山は消し飛び、地面は削れ、発生した力は瘴気となり今でも一帯に澱んでいる。


およそ、人が生活できる環境ではない。


普通の人間が足を踏み入れれば、数分と持たず心身に異常をきたすことだろう。


ハウザードがこの地に滞留して、どれ程の月日が流れたか。


時間の概念を失いつつあった。


眠ることはなく、風雨に打たれ、腐敗した空気を喰らい、灰色に染まった雪で喉を潤す。

肉体が、痩衰えたりはしない。


瘴気がこの体を磨き、清めていく。


この力に、耐え抜けるようにならなくてはならない。

内に留められなければならない。


『器』は、完成間近だった。


(もう、時間がない……ドラウ……ユファ……)


思考を声にはしない。


荒野にて立ち枯れした木のように佇むハウザードの元に、近付く者がいる。


くすんだ短い赤毛を逆立て、快活な笑顔を浮かべた二十代半ばの男。


鍛えた肉体は、首飾りや指輪、派手なベルトで飾り立てられているが、これは当人の趣味ではない。


耐魔の効果がある魔法道具だろう。


それを幾重にも装備し抵抗力を上げなければ、常人はここをまともに歩くこともできない。


「よう、ハウザード」


「……ウェイン」


ウェイン・ローシュ。

まだ若いが、『コミュニティ』最強の部隊である『百人部隊』の隊長だった。


もっとも、隊員を率いることはほとんどない。


実質の指揮は、副隊長である者が執ることが多い。


別に、隊員たちとの関係が悪い訳ではない。


ウェインは単独で暴れることを好み、他の者もそれでいいと考えているようだ。


隊長など柄ではないと普段から公言しているが、副隊長である者や隊員たちに請われて、能力者たちを率いることとなった。


実力は凄まじい。

そして、単独行動を好むだけあって、如何なる状況にも無難に対応できる万能性があった。


魔法使いとしての力量は確かで、剣も巧みに遣い熟す。


格闘術も習得しており、特殊能力も持っている。


とにかく弱点の見当たらない男だった。


総合力という点では、ハウザードよりも遥かに上である。


勝るとしたら、『コミュニティ』ではソフィアくらいなものか。


人付き合いも上手く、ウェインを嫌っている者は組織内に余りいないだろう。


ハウザードも、嫌いではなかった。


両利きで二本の小剣を遣うことが多いためか、よくズィニアを思い出してしまう。


そのズィニアは、しばらく前に死んだ。


「今日は、別れを告げに来た」


ウェインの少し低い声は、よく通り耳に残る。


人を率いるに相応しい声なのかもしれない。


「別れ?」


「クロイツの指示でな、隊員たち共々、この国から離れる」


「……わざわざ、それを言いに?」


充満する瘴気で、飛行の魔法などは使いにくい。


ここまで来るのに、かなりの歩行を強いられただろう。


「寂しいこと言うなよ、ハウザード。最後かもしれないだろ?」


「……そうだな」


次に会う時は、『コミュニティ』のボスであるハウザードかもしれない。


それは、もうハウザードではなかった。


「ドニック王国を出て、どこへ行く?」


「次の指令は今のとこないが、ホルン王国北部になるかな」


ザイアムがいたはずだ。


「……ノエルか?」


「おう」


ノエルは、ザイアムの唯一といっていい真の弟子である。

大体は、ザイアムの近くにいる。


ユファレートと行動を共にしているルーアも、ザイアムの弟子かもしれないが、意味が全く異なる。


ルーアのことは、少し調べた。

なかなか才気溢れる少年のようだが、ザイアムやストラーム・レイルの下では伸びないだろう、と思えた。


そういう類いの才能ではないのだ。


ドラウ・パーターやランディ・ウェルズのような平凡な天才に指導されれば、その才は開くかもしれない。


ザイアムやストラーム・レイルは、最初から完成された天才である。


ノエルもまた、彼らと同種の人間だった。


ザイアムに唯一認められた剣士でもある。


単純な剣術だけならば、ズィニアよりも上かもしれない。


ズィニアの剣は、正道だった。


その体格、特に腕の長さの影響で、正道の剣筋が相手には邪道の剣筋に映る。

それが、ズィニアの強みの一つだった。


ノエルは、対極である。

剣筋、体捌き、呼吸の仕方さえも全てが邪道だった。


誰よりも上手く人を殺せるのがズィニアならば、誰よりも上手く人を斬れるのがノエルだろう。


強い。だが、問題があった。


ノエルの顔は、常にザイアムの方を向いている。


ザイアムこそが至高なる存在だと考え、心酔している。


だから、他の誰の指揮も受けない。


狷介であり、クロイツやソフィアの指示にすら従わない。


ザイアム以外で対等に話ができるのは、ウェインくらいなものだった。


ザイアムとウェインの存在があるから、なんとか『コミュニティ』に留まっている、という状態だった。


「『百人部隊』は撤退か……」


クロイツの考えはわかる。


『器』の完成による不測の事態を警戒しているのだろう。


それに、『百人部隊』が巻き込まれることを恐れている。


さらに、ノエルのことも気にしている。


ノエルのような剣士を失うことは、『コミュニティ』にとって大きな損失であり、ウェインは繋ぎ止める鎖なのである。


ハウザードの周囲から『コミュニティ』の手勢が減ることは、ドラウやエスには都合が良いことだろう。


この機に、大きく仕掛けてくるかもしれない。


「まあ、それについては心配するな」


ウェインが喋るたびに、いくつもの首飾りが擦れて音を奏でる。


唸る風と混ざり、不穏な響きのように耳に届く。


「クロイツが来るはずだ」


「ああ」


「それに、多分……パサラも連れてな」


「……パサラも、だと?」


クロイツの懐刀のような男だった。


極秘に動いており、その存在を知る者は少数に限られる。


ハウザードも、パサラのことは余り知らない。


会ったこともあるような気がするが、記憶に霞みがかかったかのように、はっきりと思い出せないのだ。


だが、クロイツの指示でヨゥロ族を壊滅させたのはパサラだろうと、ハウザードは思っていた。


パサラのことは、ドラウもストラーム・レイルも、エスも完全には掴んでいないだろう。


それを連れてくるということは。


(ドラウを、潰すつもりか……?)


パサラの存在は、ドラウやエスの虚を衝く。


クロイツは、とうとう懐刀を抜く気になったか。


それとも、思わせ振りに脅威を知らしめるだけかもしれない。


抜いてしまえば、切り札の意味は薄れる。

対応しやすくなる。


懐にあってこそ、一際不気味であろう。


「『中身』は、どこに?」


「王宮にいるよ、ハウザード」


『器』もあれば、当然その中に入るべきものがある。


『器』と『中身』。

ドラウやエスは、どちらの破壊に出るか。

あるいは、両方か。

クロイツは、どう対処するのか。


それから、しばらくウェインと会話を続けた。


主に、組織の構成員の配置である。

見えてくるものがあった。


ウェインが、去っていく。


眼を閉じ、ハウザードは考えた。

クロイツの目論見、部下の配置、この国の有り様。


(……あわよくば、この国を乗っ取るつもりか)


眼を開いた時、ウェインの姿は見えなくなっていた。


また、ズィニアのことを思い出した。

ウェインと話したせいだろうか。


ズィニアは、友人だった。

性格が合うというよりも、なにかが共感していた。


ハウザードがズィニアのことを認めていたように、ズィニアもハウザードのことを認めていたと思う。


最後の会話を思い出す。

ズィニアは、怒っただろう。

謝ろうにも、すでにこの世に無い。


ズィニアのことも、間もなく忘れる。

ハウザードの存在は、失われる。


瘴気を含む風が、全身を撫でた。

破壊の魔力が、内臓を締め上げる。

瘴気が、体を侵食していく。


荒野に、ハウザードは独りだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る