三ヶ月後の光

シーパルが、目覚めない。

いや、必ず目覚める。

無理矢理にでも、叩き起こす。


ルーアは、シーパルの胸倉を掴み呼び掛け続けた。


なにか感じるものがあるのか、ティアやパナも止めようとしない。


「あんたら……」


開け放しにしていた扉から、リンダが飛び込んできた。


「止めんなよ……」


振り向かずに、ルーアは言った。


「……そうじゃなくて、これ」


リンダが、床に『地図』を置く。


「なんだよ……」


暗くて、よく見えない。

魔法で明かりを造り、『地図』を照らす。


ロウズの村の南にある二つの赤い点を、リンダは指していた。


『地図』の上を滑らせるように、右、東へ指を動かしていく。

そこにも、三つの赤い光。


「東へ移動してるみたいだけどさ……随分速いよ」


三つの赤い点を、ルーアは注視した。


確かに一つの点だけ、妙に移動が速い。


他の二つの点を、追跡しているように見える。


『地図』の縮尺を考えると、雪道を人の足で駆けている速度ではない。


「……ユファレート、か……?」


ユファレートが、飛行の魔法を使っているのではないか。


この悪天候で飛行の魔法を制御できる魔法使いは、多くはないだろう。


アルベルト程度の魔法使いでは、おそらく無理だ。


ティアも、『地図』を覗き見ていた。


「じゃあさ、他の二つはテラントとデリフィス?」


リンダが、ロウズの村の南にある二つの点の近くを、指でなぞっていく。


「こう……川が流れている。この辺は崖になっていて、ここが橋で……」


さすがに、地形は知り尽くしているようだ。


「多分、だけど。ユファレートちゃん、仲間と分断されてないかい?」


「……それで、独りで敵を追ってるって?」


リンダが、厳しい顔付きで頷く。


ルーアは、口許に手をやった。


「だとしたら、なにやってんだよってとこだけどな……」


危険過ぎる。

そんなにも、思い切りのいい性格をしていたか。

挑発にでも乗ったのか。


(俺じゃあるまいし……)


そういえば、ユファレートは過去にも似たようなことをした。


アスハレムで、『コミュニティ』にも警察にも追われているのに、ティアやシーパルを置いて、一人でハウザードに会いに行こうとしたのだ。


ユファレートと思われる点が進む先には、赤い点が二つあった。


そこから少し離れた場所にも、赤い点が二つ。


罠である臭いがした。


「……助けに行くぞ」


「でもさ……」


状況がわかったのだろう、ティアの顔は強張っている。


「この辺りって、山も険しいし、結構入り組んでるよ。あたしも、余り行かないとこだから、詳しくないし……」


ちらりと、ルーアはリンダを見た。


(この人は、まだ無理か……)


外を駆け回れるほど、回復はしていないだろう。


孤児院を守る人間が必要でもある。


同じ理由で、『地図』を持っていく訳にもいかない。


北に配置された敵部隊が、いつ南下しだすかわからないのだ。


「俺が、ユファレートの魔力を感知すれば……」


言いながら、内心ルーアは舌打ちしていた。


魔力を感知するには、ある程度近くまで行かなければならない。


感知できたとしても、大まかな位置しか掴めない。


「シーパルなら……」


呟いていた。


シーパルならば、初めて足を踏み入れる山の移動にも、苦労することがない。


ルーアよりも広範囲の魔力を感知できて、ルーアよりも正確に魔法の発動位置を割り出すことができる。


シーパルだったら。


ルーアは、またシーパルの胸倉を掴んだ。


「シーパル……! 俺の声、聞こえてんだろ? もう、起きてんだろ?」


冷たい体を、揺さ振る。


「ユファレートが、ピンチだ! 助けに行くぞ! お前しかいねえ! お前の力が必要だ! 起きろ!」


三ヶ月だ。三ヶ月が過ぎた。

もう、飽きるほど眠っただろう。


だから、好い加減眼を覚ませ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


光だ。闇がひび割れ、熱い光が差し込む。


(……ああ、そうか)


男が、シーパルへ手を翳した。

力がシーパルの体を貫き、四肢を千切り飛ばす。

だが、なんの痛痒もなかった。


男が、舌打ちする。


「……僕は、もう目覚めていた。もう僕は、ここにいない」


「そうだな……」


声が聞こえていた。

今だけではない。

ずっとだ。

三ヶ月の間、ずっと。


彼らの声がなければ、自分を見失っていた。


思い出した。

眠りについたのだ。死ぬ寸前に。

それでも、死ぬはずだった。

例え、時間の流れを遅らせたとしても。


毒は徐々にシーパルの体を蝕み、緩やかな死を迎えていたはずだ。


だけど、この声が聞こえた。

彼らがいた。


三ヶ月の間、彼らは懸命に。

シーパルの肩を掴んでいた死を、彼らが振り払ってくれた。


「……もう去れ、シーパル・ヨゥロ。目障りだ」


「去ります。敢えて、あなたの名前は聞きません」


聞いたところで、意味はない。


この世界の生き方を、シーパルはわかっていない。


記憶の残し方も、わかっていないだろう。


目覚めると同時に、ここで起きたことは忘れてしまう。


もう目覚めたようなものだった。

この世界に、指一本だけなんとか引っ掛けている状態。


完全に目覚めることを、シーパル自身が拒んでいた。


言わなければならないことがある。


「また、会いましょう」


「もう、会うことはない」


男の口振りには、ありありと口惜しさが含まれていた。


「『コミュニティ』との闘争の中で、お前は死ぬ。ザイアムがいる。ソフィアがいる。『百人部隊』、『悪魔憑き』、万の兵士たち。そして、ハウザードは真の力を得る。お前は、俺の前に立つことはない」


「そうでしょうか……?」


一人では、きっと無理だ。

だけど、彼らがいる。


「ヨゥロ族が、あなたになにをしたか……僕なりに、わかっているつもりです。本当は、なにもわかっていないかもしれませんけどね。今度、その事についても、ゆっくりと話しましょう」


男の顔は、見えない。


「あなたが、僕の同胞に手を掛けたことについても」


「……」


「僕は、シーパル・ヨゥロ。僕が、最後のヨゥロ族族長です。いずれ、雌雄を決しましょう」


男の顔は見えない。

だが、感情ははっきりと伝わってくる。


憎悪。


シーパルは、向けられる感情から逃げることなく、男をしっかりと見据えた。


闇が砕け、光がシーパルを包んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ゆっくりと、本当にゆっくりと、瞼が開かれる。


数人掛かりでないと動かない重厚な扉が、何年かぶりに開くように。


言葉を失い、ルーアはシーパルを見つめた。


さぞかし、間抜け面をしていることだろう。


と、ティアに横に突き飛ばされる。


「シーパル! シーパル! あたし、あたしだよ! わかる!?」


シーパルの目玉が、動く。


「……もちろんじゃないですか、ティア」


三ヶ月ぶりになるのか。

もっと、ずっと長い間、聞いていなかったような気がする。


その声は、弱々しく、穏やかで、だけど芯は強くて。


寝台の縁を掴んでいたティアが、へなへなと腰を抜かした。


笑っているのか泣いているのか、よくわからない声が聞こえてくる。


パナは、ぽかんと口を半開きにしていた。


しばらくして、その表情のまま這うように寝台に近付き、シーパルの脈や体温を測りだした。


尻餅をついた姿勢で、ルーアはそれを眺めていた。


「くっ……」


込み上げてくるものがある。

それが、喉を震わせる。


衝動に耐え切れなくなり、ルーアは座り込んだまま、なぜか大笑いしていた。

孤児院中に響いただろう。

人が動く音がする。


外は白み始めていた。

もう、起きている者もいるだろう。


特にシュアは、みんなの朝食の準備等あるため、朝が早いはずだ。


シーパルは横になったまま、ぼんやりとした眼差しをルーアに向けている。


「なんじゃ、生きてたのか、お前」


なかなか、衝動が収まらない。


「にしても、なんで俺の声で起きるんだよ。こういう時は、可愛い女の子の声に反応するのが相場だぞ」


シーパルは、苦笑したようだった。


「なんだか、凄く寒いですね……」


意識を失った時は南国ラグマで、目覚めた時は大陸北端である。


シーパルの感覚としては、夏から一日で冬になった、という感じなのではないだろうか。


「防寒着を。あと、水も」


部屋に顔を出してきたシュアやミンミに、リンダが言った。


シーパルは、視線を彷徨わせている。


「ここは……?」


「オースター孤児院。あたしの家だよ、シーパル」


ティアが鼻を啜りながら、顔を上げる。


「……オースター……孤児院……。…………は?」


まあ、そういう反応をするだろう。


「ユファレートが危険なんだ、シーパル」


「……ユファレートが?」


「俺たちは、ユファレートを助けにいく」


「僕も……」


シーパルが身を起こそうとするのを、パナが押し止める。


動ける訳がない。

三ヶ月、眠り込んでいたのだ。

手足は萎え、筋力も落ちているだろう。


「僕も、行きます……」


「三十分だ」


ルーアは、言った。


「三十分だけ、待ってやる。状況を説明するのに、それくらいは掛かるだろうからな。三十分で、動けるようになってくれ」


我ながら、目茶苦茶な要求だった。


三十分で三ヶ月を取り戻せ、と言っているのだから。


「状況説明は、移動しながら聞きます……」


パナの手を押し返し、シーパルが身を起こす。

それどころか、立ち上がる。


マジか、とルーアは呟いていた。

動けるはずがない。

普通ならば。


周囲の時間が、ゆっくりと流れている。


眠り続けるシーパルを見て、ユファレートがそう言ったことがある。


三ヶ月が経過した。

シーパルの体感時間としては、どうなのだろう。


(ヨゥロ族、か……)


どういう体の作りをしているのか。


三ヶ月ぶりに目覚めて、すぐに戦力になるのか。


ルーアは、壁に立て掛けてあったシーパルの短槍を掴んだ。


「……いけるか?」


「いけます」


「上等だ」


にやりとしながらルーアが放った短槍を、シーパルはしっかりと掴み取った。


「ちょっと、シーパル、まだそんな……」


「いいんだ、オースター」


止めようとするティアを、ルーアは手を振って黙らせた。


まったく無理をしていないということは、ないだろう。


虚勢を張っているだけかもしれない。


それでも、当人がいけると言っているのだ。


「シーパル。三ヶ月だ。三ヶ月、お前は眠り続けた」


「三ヶ月……」


「お前がいない間、俺たちがどれだけ苦労したか、わかるか? 生半可な働きじゃ、借りは返せねえぞ」


「必ず、満足してもらえる働きをしてみせますよ」


シーパルが、表情を引き締める。


ルーアは再度にやりとして、シーパルの胸を小突いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


フィル・アッキームという男がいた。


優れた魔法使いであり『コミュニティ』の幹部でもあった彼は、当時の組織のボスやクロイツにも、篤く信頼されていたという。


だが四十年以上前、まだ二十歳前の若造だったストラーム・レイルと戦闘を行い、敗死している。


悲嘆したクロイツは、彼を再現しようとした。


フィル・アッキームと、すでに死去していた彼の両親の遺伝子を調べ、九人ずつ、十八人の男女を選抜した。


魔法手術を十八人の男女に施して遺伝子操作を行い、フィル・アッキームの両親の遺伝子に限りなく近付けた。


綿密な計算により男女を組み合わせ、九人の子供たちが生誕する。


結論を言ってしまえば、実験は失敗に終わった。


九人の子供たちには、魔法使いとしての素養はあったが、いずれも平凡な魔力しかなかったのである。


九人のうちの一人が、サミーだった。


大きなザイアムの背中を、見つめる。


ストラーム・レイルという男がいる。


世界を三度救った英雄。世界最強の存在。最高の魔法使いにして、最高の剣士。


そして、『コミュニティ』にとって、最大の敵。


クロイツは、ストラーム・レイルという存在を再現しようとした。


ストラーム・レイルの毛髪を入手して、彼の遺伝子を解析し、彼の両親についても調査した。


『コミュニティ』の構成員から一人ずつ男女を選び出し、遺伝子を操作する手術を行い、二人に子を作らせた。


結論を言えば、実験は失敗に終わった。


生まれてきた赤子には、魔力がなかったのである。


結果論を言えば、ある意味実験は成功だった。


成長したその者は、魔力がなくとも異様な戦闘能力を有していた。


人間離れした身体能力と洞察力で、並み居る『コミュニティ』の戦闘員を訓練で打ち負かし、頂点に立った。


そして、『ダインスレイフ』に唯一認められる。


男の名前は、ザイアムという。


その後もストラーム・レイルを造り出す実験は続けられたが、サミーのように平凡な力を持つ者しか生まれなかった。


ザイアムだけが特別なのである。


アルベルトから、連絡があった。

上手い具合に、ユファレート・パーターを誘導できているようだ。


「……ザイアム」


呼び掛けると、こっくりこっくりと舟を漕いでいたザイアムの動きが止まった。


「ユファレート・パーターが、間もなくこちらへやってきます」


「ユファレート・パーターが……?」


肩越しに見てくるザイアムの視線に、サミーは後退りしたくなった。


「……ルーアは?」


「ルーア……は、ルーアも、おそらくは……」


流暢に言葉が出ない。

脇汗が、腰や肘にまで垂れている。


ザイアムの指示は、ルーアを連れてくることだった。


これでルーアが来なければ、どうなってしまうだろう。


ザイアムにより、サミーの首は引っこ抜かれるのではないか。


「……ルーアが来たら、起こしてくれ」


面倒そうに欠伸をして、興味を失ったかのように、ザイアムはサミーから視線を外した。

すぐに、うとうととし始める。


重い荷物をようやく降ろせた時のような心地で、サミーは崖の方を見遣った。


魔法による、爆音が聞こえた。

ユファレート・パーターの魔法である。


伝わる魔力の波動に、魔法使いとしての格が違うと痛感させられてしまう。


ユファレート・パーターは、紛うこと無き天才である。


いくら疲労しているとはいえ、ジャックとガンジャメ、負傷したアルベルトの三人で、倒すことができるのだろうか。


また、爆音がした。


ザイアムは、起きようとはしない。


◇◆◇◆◇◆◇◆


山中を、疾駆していた。


ヨゥロ族である。

山や森を、誰よりも速く移動できる。

雪が積もっていようと、関係ない。


山の中にいると、木々や大地が力を与えてくれるかのように感じる。


シーパルが意識を失ったのは、ラグマ王国の王都ロデンゼラー、キュイの館でのことだった。


目覚めたのは、遠くホルン王国の北部にあるロウズの村、ティアの実家であるオースター孤児院だった。


三ヶ月、眠り続けたという。

聞いた時は、愕然としてしまった。


仲間たちは、筆舌に尽くし難い苦労をしただろう。

シーパルを、目覚めさせるために。


仲間たちだけではない。


ロデンゼラーとヴァトムの兵たち。

大勢の人々が、助けてくれたという。


それを思うと、胸が熱くなるのを感じた。


ユファレートが、危機である可能性が高いという。


必ず、助ける。

彼女にも、多大な迷惑を掛けた。


ユファレートだけではなく、ルーアもティアも、テラントもデリフィスも、ティアの家族も、必ず守る。


回復魔法と防御魔法だけなら、誰にも引けを取らない。


三ヶ月間、守ってもらった。

その恩を、返す。


体は重かった。

それでも、足はいくらでも動く。


脚力は衰えていない。

まるで、眠っていた三ヶ月の間も、歩き続けていたかのようだ。


シーパルが、ユファレートの魔力の残滓を読む。

ティアが、道を教えてくれる。

ルーアも、しっかりとついて来ていた。


ユファレートの元へ、ほとんど最短距離を最速で向かえているはずだ。


前日は激しい風と雪だったらしいが、今は晴れ渡っている。


天気も、味方をしてくれている。


なぜ、ユファレートが敵に誘い出されているのか。

第一の標的にされているのか。


ズィニアは、執拗にユファレートを狙っていた。


そのズィニアは、テラントが倒したという。

一人で。


俄には信じられないことだった。

だが、事実なのだろう。


眠っている間に、状況が一変していた。


強烈な魔力の波動を感じた。

ユファレートの魔力。

近くで、彼女が戦っている。


必ず、助ける。


森が途切れ、視界が開かれた。

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