誘い
声が、聞こえた。
少し低めで、荒々しい声。
耳に馴染んだ、だが久しぶりに聞く声。
男の手が緩む。
だが、拘束は外れない。
「はっ……! ははっ! 驚いたな……この世界に、干渉してきた!」
男は、笑っていた。
「そうか……そうだったな。あの男も、疑似とはいえ『ルインクロード』だったな。未だに、力はあるということか。クロイツの計画も、満更捨てたものではないな」
「……?」
呼吸困難になりながら、考える。
あのヨゥロと名乗った女性も、言っていた。
『ルインクロード』。
(干渉? 力?)
さっぱり意味はわからない。
誰になんの力があるか不明だが、シーパルを窮地から救うほどの力ではないということだ。
土壇場で頼るべきは、自分の力か。
(力……なら……僕にも、ある!)
そうだ。
なぜ、忘れていたのだ。
五歳の時から、片時も離れることなく傍らにあった力。
魔法。魔力。
シーパルは、声にならない叫びを上げていた。
破裂。男が、シーパルから手を離し飛び退く。
魔力を魔法として発動させる余裕はなかった。
即ち、制御を捨てた魔力の暴発。
危険な行為だった。
自分の体に、破壊の力が及ぶ可能性もある。
幸い、今回はそれはなかった。
地面に倒れ込んだのは、男の束縛から解放されたからである。
咳き込みながらも、思うように動かない体でシーパルは立ち上がろうとした。
体は動かなくても、頭は働く。
魔法は使える。
思い付く限りの破壊の魔法を、男に向けた。
(戦える……!)
だが。
「リウ・デリート」
一瞬で、破壊のために掻き集めた魔力が霧散する。
(そんな馬鹿なっ……!)
男は、魔力がない、魔法が使えない、追放されたヨゥロ族ではないのか。
それに、この力。
シーパルが圧倒されるほどの、解除の魔法の精度。
パウロに抵抗さえも許さなかった、ソフィアという女。
ユファレートを凌駕する、ハウザード。
あの二人に匹敵する、魔法使いなのではないのか。
「俺が、魔法を使えないと思っていたな」
悠然とした、男の声。
「だから、お前たちヨゥロ族は、愚かなのだよ。魔を、魔力を、魔法を真に理解していない。優れた魔法使いである、ヨゥロ族。その族長候補として、将来を有望されたお前にも、この程度の力しかない」
「……」
「体は動かない。頼みの綱の魔法も、通用しない。どんな気分だ? ん?」
「くっ……!」
「だが、安心しろよ」
男は、舌打ちしたようだった。
闇に、皹が走っている。
光の亀裂。
「思ったよりも、強烈な力だ。この世界から、お前を引きずり出せるほどにな……」
理解が、まだ付いてこない。
助かるということだけ、なんとなく悟った。
だが、まだこの世界から去る訳にはいかない。
シーパル・ヨゥロとして、残された唯一のヨゥロ族として。
男に、言わなければならないことがある。
◇◆◇◆◇◆◇◆
テラントはデリフィスを捜し、雪山を歩いていた。
ユファレートと二人である。
デリフィスは、戦闘の際に谷へ転落した可能性が高いという。
まずは、そこを目指すことになった。
当ては、ユファレートの記憶と方向感覚である。
つまり、当てはない。
「深い森とか、方位磁石が狂うって言うよね?」
ユファレートが、言った。
「……火山の近くとかの、溶岩の上にできた森とかでは、若干狂うこともあるらしいな」
「じゃあきっと、この辺りでは昔、活発な火山活動があったのね」
「……」
うんうんと頷くユファレートを、テラントは見つめた。
「……ちなみに、方位磁石が狂うって言っても、一、二度らしいぞ。部隊を率いてた頃、そういう森や山で山岳訓練をしたことがあるが、特に大きな問題はなかった」
「……」
「ついでに言えば、今は方位磁石を持ってな……」
「北と南って」
ユファレートに遮られる。
「いつも逆向きよね?」
「……まあ、そりゃ、な……」
「それは、まるで背中合わせの二人みたいなもので」
「……」
「でも、決していがみ合っている訳じゃないの。きっとほんとは、肩を並べて歩きたいはずなの」
「……要するに、道がわからなくなったんだな……?」
「そうかもしれないわ」
「……」
テラントは、息を吐き捨てた。
「戻ろう」
道を外れ、見知らぬ森を奥深くまで行くのは危険だった。
記憶を辿り、先程ユファレートと出会った場所まで戻る。
もう、何時間歩いたか。
ユファレートが魔法で周囲の空気を暖めてくれていたが、それがなければ凍死してしまうかもしれない。
ただ、風は弱まっていた。
戦闘が行われた場所までは、戻れた。
ここから、谷の上に登れる道もわかる。
ロウズの村まで帰ることもできる。
道を外れることは、やはり危険だった。
「……上に行こう」
ユファレートの方向感覚が当てにならない以上、デリフィスを捜し出すのは難しい。
闇雲に動いては、自分たちが遭難してしまうかもしれない。
谷の上に戻るのを選んだのは、高い所は見晴らしが良い、あるいは見つけられるかもしれないと、実に浅はかで安易な考えが働いたからである。
「テラント……」
「おう」
谷の上、ユファレートが呟く。
テラントも、とっくに気付いていた。
待ち構えていた、兵士たち。
その数、十二、三ほどか。
率いているのは、顔の痣からしてアルベルトだろう。
(……罠か?)
対峙し、まずそう思った。
他に、魔法使いが三人いたはずだが、見当たらない。
「気をつけろよ、ユファレート」
「うん」
今のユファレートなら、細々と口にしなくても、言外の忠告まで察してくれるだろう。
アルベルトの指示で、兵士たちが散開しようとする。
魔法道具を抜き、テラントは雪を蹴立てていた。
囲まれる前に、こちらから仕掛けることだ。
迎え討たんと、兵士が二人、突出する。
遅い。
一人の武器を持つ腕を斬り飛ばすのとほとんど同時に、一人の首を撥ねていた。
腕を失った兵士の胸に光の剣を通し、蹴り飛ばして引き抜く。
「ファイアー・ボール!」
風を押し返すように、ユファレートの声が高々と響いた。
火球が、アルベルトへと向かい炎を撒き散らす。
アルベルトは、よろけながらも魔力障壁で直撃を避けたようだ。
だが、彼の周囲を固めていた兵士四人は、吹き飛ばされている。
(チャンス!)
戦力を小出しにして、どんな魂胆があるかわからないが、この部隊の指揮官であるアルベルトを討てば潰えるというものだろう。
兵士が五人で遮る。
すでに、陣形などない。
調子が悪い。
ズィニアとの戦闘で負った傷の影響が、まだあった。
それでも、この程度の連中に手こずる訳にはいかない。
首を傾け投擲された短剣をかわし、近接して首筋を光の剣で擦る。
不用意に跳躍した兵士を撥ね上げ、突き出された槍を強引に奪い取る。
テラントが振り回した長柄の武器に、三人の兵士は打たれよろけた。
踏み出す。交錯する際に、二人を斬り倒した。
影。大剣を振り上げた兵士の姿。
振り下ろすことはなかった。
短く吠えたテラントの光の剣が、肩から腹までを裂いていた。
大剣の重みか、仰向けに倒れる。
邪魔者は、倒した。
(アルベルトは……!?)
血生臭くなった空気を吸いながら、アルベルトを捜す。
逃げ出していた。
ユファレートが放った電撃が、従う兵士を撃ち貫く。
テラントは、思わず吹き出してしまった。
アルベルトの行く手を遮る、分厚い剣を抜いた男の姿。
デリフィス。
きっと、戦闘の気配を感じ取ったのだ。
それはいかにも、デリフィスらしい。
疲労のためか、いつもよりもさらに険しい表情。
一閃。
剣で裂かれ、空気が唸る。
デリフィスとアルベルト、両者の空隙が歪んで見えた。
アルベルトが魔法で、力場を生み出したのだろう。
だが、デリフィスの渾身の斬撃が魔法を破壊し、アルベルトの体が宙を舞う。
剣には、相当の鬱憤が込められていたようだ。
下り坂とはいえ、アルベルトは優に十メートルは転がった。
呻きながら起き上がったアルベルトの左腕は、肘の辺りがおかしな曲がり方をしていた。
力場で守られたのか肌は裂けていないが、明らかに折れている。
相当なダメージがあるはずだが、アルベルトはまた逃げ出した。
なかなかの根性。というよりも、死の恐怖に必死になっているだけか。
デリフィスの一撃で、かなり距離が開いてしまった。
「もちょい力加減しろよな!」
言いながら、追い掛ける。
ユファレートが放つ電撃は、魔力障壁に防がれた。
雪のせいで、思うように足が前に出ない。
アルベルトに最も近い位置にいるデリフィスも、それは同様だろう。
なかなか追い付けない。
「任せて!」
飛行の魔法で、ユファレートが頭上を越えていく。
前方に、崖があるようだ。
アルベルトが吊り橋を渡り、ユファレートも続く。
「おい……」
デリフィスが呻いた。
ユファレートが通るのを見計らっていたのだろう。
崖の向こう、吊り橋を支える柱の陰から兵士が現れ、橋を切り落とす。
分断されてしまった。
崖は、七、八メートルはあるか。
この足場では、飛び越えることはできそうにない。
「ユファレート!」
「大丈夫!」
ユファレートの返答は、力強かった。
敵は、左腕を折ったアルベルトと兵士の二人のみ。
疲労しているとはいえ、ユファレートの敵ではないだろう。
ユファレートならば、戦闘終了後に崖を魔法で越えて、合流もできる。
折れた腕を押さえ、アルベルトがユファレートを睨む。
風下にいるテラントたちの所まで、荒い呼吸が聞こえてくるようであった。
ユファレートが、油断なく杖を構える。
「……私たちの作戦を、教えてやろう」
(……なんだ?)
唐突なアルベルトの台詞。
テラントは怪訝に思った。
作戦を敵に明かし、なんの利点があるのか。
まさか、その代わり見逃せなどと、愚かなことを言うつもりか。
「オースター孤児院への、超遠距離からの魔法狙撃だ」
「……嘘ね」
しばらく思考した気配の後、ユファレートは断言した。
「オースター孤児院は、御祖父様の張った防御の陣で守られているわ。あなたたちに、遠距離からそれを破れるだけの威力は出せない」
ユファレートと同じく、テラントも嘘だと思った。
そんなことができるなら、最初からすればいい。
「そうだ……。私たちには、無理だ。だが、彼ならば……」
「……彼?」
アルベルトが、にやりとする。
「ハウザードだ、ユファレート・パーターよ」
「……え?」
「ハウザードによって、オースター孤児院は消滅する」
「お兄ちゃん……ハウザードが……?」
「おい……!」
意思があるかのように眼に入ってくる雪に瞬きをしながら、テラントは声を上げた。
逆風だ。声は届くのか。
届いたとして、ユファレートの耳に入るのか。
アルベルトが、無事な右腕を上げた。
呆けたユファレートとの間の地面に、火球を叩き付ける。
視界を奪い、死角を衝くつもりか。
いや、雪煙の向こうに、駆け去るアルベルトと兵士の姿が見えた。
「まっ……待って……!」
「ユファレート!」
テラントは制止の声を上げたが、ユファレートは飛行の魔法を発動させ、アルベルトたちを追い掛けていた。
「くっそ、あの馬鹿……半天然……!」
テラントは、吊り橋を支えていた柱に拳を当てた。
間違いなく、罠だ。
誘いの罠。
崖。飛び越えられそうにない。
追うことができない。
遠距離狙撃など、ないに決まっている。
わざわざこちらに伝える意味はないし、できるならば始めからすればいいのだから。
アルベルトは、嘘をついた。
稚拙な嘘。
誰も騙されないはずだった。
唯一、ユファレートを除いて。
ハウザードだ。
ユファレートの中では、大きな存在なのだろう。
もしかしたら、祖父であるドラウ・パーターよりも、親友であるティアよりも、ユファレートの代わりに倒れたシーパルよりも。
ハウザードの名前が、ユファレートから冷静な判断力を奪った。
(くっそ……!)
どうする。
そして、どうなる。
ユファレートが、いつ冷静な思考を取り戻せるか。
罠を、自力で突破するかもしれない。
アルベルトたちを、すぐに捉えるかもしれない。
アルベルトは、負傷しているのだ。
「……どうする?」
デリフィスに聞かれ、テラントは左右に眼をやった。
大地の亀裂は、どこまでも続いているように見えた。
「……オースター孤児院に、戻るぞ」
余り迷うことなく、テラントは言った。
すぐに、デリフィスと引き返す。
わざわざ細かい説明をしなくても、わかるだろう。
これまでは、ユファレートが魔法で暖めてくれた。
戦闘で気持ちが高ぶっていた。
鎮まると同時に、寒さを強く感じた。
寒さを凌げる場所へ行かなければ、危険だった。
それに、このままでは追跡することができない。
オースター孤児院には、『地図』がある。
『地図』を見れば、ユファレートの行く先もわかるだろう。
現地人も、多くいる。
向かうための道筋も、わかるというものだ。
(場所がわかってから行っても、いかにも遅いだろうがな……)
自分の舌打ちが、はっきりと聞こえた。
風は、また少し弱まったようだ。
朝が近い、とテラントは感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
デリフィス・デュラムが生きていたという予想外の事態もあったが、アルベルトは良くやっている。
負傷し、兵士に肩を借りなければ歩けないようだが、それでもユファレート・パーターを上手く誘導していた。
ザイアムが指定した崖には、ジャックとガンジャメが待ち伏せている。
ザイアムは、崖の近くの林の中で地べたに座り、うたた寝をしていた。
サミーは、呆れながらそれを眺めていた。
『ダインスレイフ』の力が働いており、ザイアムの身体は力場に包まれている。
それが、雪も寒気も寄せ付けないのだ。
地面も乾き、固まっているようだった。
だからといって、こんな所でよく眠る気になるものだ。
アルベルトから、時折念話で連絡が入る。
ユファレート・パーターは、重度の方向音痴だった。
そして、こちらは地理を知悉している。
簡単に、撒くことができているようだ。
距離を空けたところで、アルベルトは骨折した左腕の治療をする。
魔力の感知に長けたユファレート・パーターに、すぐに位置を知られる。
そして、また撒く。
その繰り返しで、徐々にアルベルトはこちらへと向かっていた。
今のところ、上手く事は進んでいるようだ。
ユファレート・パーターに、辺り一面を破壊してアルベルトを炙り出すような真似はできないだろう。
崖で、ユファレート・パーターを捕らえるか倒すかする。
ルーアは、オースター孤児院に向かったようだ。
ならば必ず、『地図』を見るはず。
人を印す赤い点の動きで、敵を追い掛けていることはわかるだろう。
そして、仲間の危機を知る。
ルーアならば、その後どう動くか。
崖まで、助けにくるのではないか。
サミーは、自嘲気味に苦笑した。
敵が、想定通りに行動することを期待して、計画を立てている。
実に稚拙な計画。
こんなものは、作戦といえないのだろう。
仕方ないではないか、と思う。
失敗作としてこの世に生を受け、中途半端な能力しかなく、研究室に閉じこもって生きてきたのだ。
実戦経験など、ほとんどない。
この地域にいた有能な指揮官は、次々とリンダ・オースターに潰されていった。
それで、サミーに指揮権が回ってきた。
ザイアムがきてようやく重責から解放されると期待すれば、彼は不可解な指示だけを出して、サミーに指揮権を与える始末。
おまけに、クロイツの計画まである。
うとうととしているザイアムの後ろ姿に、サミーは嘆息した。
アルベルトから、連絡があった。
あと二時間ほどで、目的地に到着するということだった。
逃走と潜伏を繰り返しているので、移動は遅々としたものである。
朝になっていた。
到着は、午前九時頃になるか。
そして、ザイアムが動く。
誰にも対抗できない絶対的な力が、ユファレート・パーターもルーアも破壊する。
崖ではなく、処刑台だな。
サミーは、呟いた。
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