エピローグ5

寒い季節となってきた。


暖炉の熾の前で、彼は地図を見ていた。

ホルン王国北部の地図である。


王都の東、ドニック王国との国境近くの村に、小さく印がつけられている。


彼は、細く息をついた。


この地域一帯にいる、『コミュニティ』の構成員に配布された地図だった。


と、物音を聞いて彼は顔を上げた。

緩慢な動作で、剣に手を伸ばす。


「……面倒なことだ」


低く呟くと、彼はのろのろとこの小さな山小屋を出た。


ここは、ホルン王国北部の地にある山中。


まだ九月だが、すでに冬の気配が濃くなっている。


誰が建てたのかわからない、丘の上のこの山小屋で、彼はしばらく暮らしていた。


丘から眺められる景観に相応しくない連中に、溜息をつく。


武装したホルン王国の軍隊に、山小屋は取り囲まれつつあった。

五百人はいるだろうか。


「面倒だ……」


有名過ぎるのだ、世界を三度破滅から救ったという、英雄ストラーム・レイルは。

一挙手一投足が世間の注目を集める。


そして、目立ち過ぎる。


放っておいたら勝手に伸びた彼の黒髪は、腰まで達する。


鍛え上げられた肉体に、二メートルほどの長身。


彼は、麓の街へ食料を調達してきただけだった。


顔を隠し、街に滞在したのはほんの小一時間というところだった。


それなのに、こうして追っ手がやってくる。


「……なんの用だ」


部隊を指揮しているらしい、派手な甲冑を着た馬上の男に、彼は尋ねた。

男は、勝ち誇った顔をしている。


この程度の連中、と彼は思った。


その気になれば、どれだけ訓練された部隊だろうと、近付く前に察することができた。


それをしなかったのは、気を張り続けるのが面倒だったからだ。


身を守るために、気を使う必要などない。


誰であろうと、何人であろうと、彼には届かないのだから。


「愚問だな」


馬上の男が言った。

包囲が、狭まりつつある。


「貴様が何者か、調べはついておるのだ。『コミュニティ』最高幹部の一人……」


男の口上を、彼は途中から聞き流していた。

やはり、そういう用件か。


彼は、鞘から剣を抜き払った。


大振りの剣の形状をした、魔法道具『ダインスレイフ』。


『魂喰い』、『知ある魔剣』などの別称のあるこれは、現存する剣の形状の魔法道具としては、最高の代物だろう。


柄から伸びた管が、彼の腕に突き刺さる。


不思議と、痛みも出血もない。

だが、なにかを吸い取られていくような感覚はある。

それは命か、あるいは魂か。


『ダインスレイフ』の剣身が、赤く染まる。


馬上の男の口上は終わっていた。

剣を抜き、彼へと向ける。


「放て!」


それを合図に、無数の矢が、光球が、火球が、彼を襲う。


彼は、『ダインスレイフ』に意志を流し込んだ。


それだけで発生した力場が、矢も魔法も弾き飛ばす。


『ダインスレイフ』を頭上に掲げた。


「……死にたくない者は、逃げるがいい」


こんな連中の命に、興味などない。


振り下ろす。


発生した剣圧が、正面にいた何十人かを押し潰していった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


彼にとってはただの自衛、攻め寄せてきた軍隊にとっては、一方的な殺戮か。


それが終わり、彼は山小屋へと戻った。


床に置いたままの、地図に眼をやる。


印が付けられているのは、ロウズの村。


ついに本格的な標的となったか、オースター孤児院が。


「……なんの用だ、クロイツ?」


山小屋の隅の人影に、彼は気付いた。


学者のような雰囲気の男。

『コミュニティ』の頭脳、クロイツ。


ただ、実体ではなく幻影のようなものだろう。


当人は、ソフィアと共に、未だビビラの地下迷宮にいるはずだ。


「地図は、見てくれたようだね」


「オースター孤児院を、落とすつもりか?」


「ああ」


「また、リンダに返り討ちにされるだけではないのか? いつものようにな」


東のドニック王国には、ドラウ・パーターがいる。


オースター孤児院は、その側面援護を受けていた。


何人もの『コミュニティ』の構成員が、オースター孤児院を攻め、逆に命を落としていた。


「君には、連絡がいってなかったかな? ドラウ・パーターには、現在ハウザードがついている。それに、『百人部隊』。ドラウ・パーターは、身動きが取れんよ」


「……」


ならば、リンダは耐え切れないだろう。


ドラウ・パーターとストラーム・レイルは、オースター孤児院が落ちるのを指をくわえて見ていることしかできない。


「……今のオースター孤児院に、それだけの価値があるとは思えんな」


「あの娘が旅に出ている現在、確かにない。だが、敵の拠点に成り得る所は、落とせるうちに落とすべきだとは思わないかね?」


「……」


「リンダ・オースターは、最後の最後まで抵抗するだろうな。彼女は強い。だが、多勢に無勢というもの。結果的に、苦しみを長引かせることになるだろう」


「……なにが言いたい?」


「君が動けば、彼女やその子供たちを、楽に死なせてやれるのではないかね?」


「……」


彼が黙すると、クロイツは鼻から息を抜いた。


「私が知る限り、君の欠点は一つだけだ。何事も、面倒臭がる」


「……私が知る限り、お前の欠点は二つだけだ、クロイツ。雨の日に、なにもしない。誰よりも巨大な力を有しておりながら、自分のできることを人任せにしようとする」


「私は、こう見えて忙しいのだよ」


「ならば、他の者を使え。私は、気が乗らない」


クロイツには、いくらでも部下がいるはずだ。


「ああ、そうそう。他の者と言えば、ズィニア・スティマが殺されてしまったよ」


他愛のない世間話を口にするように、クロイツが言った。


「……なんだと?」


驚くべきことではあるが、有り得ないことではない。


誰だって、死ぬ時は死ぬ。

殺される時は殺される。


「一体、誰に?」


「テラント・エセンツという。現在、ティア・オースターと行動を共にしているよ」


「ティアと……」


「ズィニア・スティマを失ったことは、確かに痛恨ではある。だが、彼の代わりを務められるだけの戦闘能力がある者は、いる。例えば君なら、ズィニアの穴を埋めて余りあるだろう」


「……興味ないな」


クロイツから視線を外し、彼は荷造りを始めた。


またそのうち、ホルン王国の軍が攻めてくるだろう。


ここに留まるのは、得策とはいえない。


とはいえ、また途中で面倒になり、荷造りも投げ出してしまうような気もする。


「ザイアム」


名を呼ばれたが、彼はクロイツを無視した。


「そう遠くない未来、この地に、ティア・オースターとルーアが来る」


「……」


「会いたくはないかね? 君にとって、彼らは……」


クロイツが、滑らかに口を動かす。


頑なに、彼はクロイツを無視し続けた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


テラントがズィニア・スティマと決闘を行っていることを、ルーアは知らなかった。


デリフィスだけは、なにかを感づいていたようだ。


行軍の演習中の部隊が、決闘の地を通り掛かり、死んだズィニアと死にかけたテラントを発見したという。


父親の館に運ばれたテラントは、全身を斬り刻まれていた。

だが、応急処置はされていた。


斬り落とされた体の部位もあるようだが、それも繋ぎ合わされていた。


かなりの腕前の魔法使いが、テラントを発見した部隊にいたのだろう。


回復魔法の実力は、ユファレートよりも上かもしれない。


なぜそれ程の腕を持つ魔法使いが、行軍の演習などに付き合っていたのかはわからないが。


翌日になっても、テラントは眼を覚まさなかった。


父親が、夜のうちに何度か様子を見にきた気配があったが、ルーアは気付かない振りをした。


まあ、面倒な親子関係なのだろう。


来訪者があった。

この館の主人であるテラントの父親ではなく、ルーアたちにである。


ラグマ王国執務官の、ジェイク・ギャメだった。


客として訪れたというので、仕方なくルーアとティアで応対することになった。


ユファレートとパナとドーラは、別室でテラントとシーパルを看ている。


デリフィスは、つまらなそうな表情で部屋の隅にいた。


ジェイクは、出された飲み物に手を付けずにいる。


「……ずるいよな、あんた」


『ヒロンの霊薬』を手に入れられるはずだった。


だが結局は、この男の掌の上で、ルーアたちは利用されていただけだった。


追跡部隊に、『メスティニ病』患者の娘がいるという兵がいたのも、偶然ではないのだろう。


「あなた方のお陰で、キュイは助かりました。ルシタ殿も。そしてあなた方は、ラグマの子供たち九十九人を、ユリマを含めれば百人を、救ってくれました」


ジェイクの口調は、静かだった。


「ですが、この国にいる限り、私たちはあなた方を監視しなければならない。恩を仇で返さねばなりません」


「……」


『ヒロンの霊薬』を求めていた。

そして、ラグマ王国内にある『ヒロンの霊薬』は、ラグマ政府の物である。


「この国を、出ていっていただきたい。それが、互いのためだと思います」


わかっている。

だが、当てがなかった。


西のズターエも、北のホルンも、北東のザッファーも、ラグマ王国の隣国は全て、『ヒロンの霊薬』を政府が管理していた。


ラグマ王国を出ても、なにか展望が開ける訳ではなかった。


「……あのさぁ、ルーア、ちょっといい?」


遠慮がちに、ティアが声をかけてくる。


「……ん?」


「あたしね、ここんとこずっと考えてたことがあるんだけど……」


ティアは、ここ数日、暇さえあれば地図を見ていた。

今も、地図を手にしている。


「……なんだよ?」


「えっとね……えーっと……」


なにやら考え込み、いきなりユファレートを呼び出した。


隣室から、テラントの治療で疲れきったユファレートが顔を出す。


「……なぁに?」


「ユファってさ、長距離転移の魔法の改良をしてるとかって言ってたじゃない?」


(おい……)


ティアに、胸中でルーアは突っ込んでいた。


ユファレートに魔法の話題を振ると、彼女は一日中でも話し続ける。


長距離転移の魔法のアレンジは、もう何ヶ月も前からユファレートが取り組んでいる研究だった。


やはりというか、疲れきっていたユファレートの表情に、生気が戻る。


「それがなに?」


「それって、遠くの他の国に飛んだりできないの?」


「できる訳ないじゃない」


ユファレートは、まるで説教するかのように腰に手を当てた。


「いい、ティア? 長距離転移って、そんな便利な魔法じゃないのよ。精々何十キロ先に転移するのが限界で。わたしが取り組んでいるのはね、長距離転移って、個人用の魔法じゃない? それを、他者にも影響を及ぼせないかっていう研究なのよ。転移できる距離はうんと縮まるけど、それでも四人くらいまでなら術式の対象に……って、あれ?」


ベラベラと回転し始めたユファレートの舌が、止まる。


ティアが、難しい表情で考え込んでいた。


「どうしたの、ティア?」


「オースター?」


「うん……」


ティアは、テーブルに地図を拡げた。


大陸の地図が記載されたページである。


「ユファ、ちょっと来て。デリフィスも」


難しい表情をしたまま、二人を呼ぶ。


「……あたしは、大まじめだからね」


前置きすると、ジェイクをちらりと見遣った。


「えっと、あたし、ずっと考えてたんだけど……このままこの国にいてもね、シーパルを助けることはできないと思うの」


「ンなことわかってるよ」


『ヒロンの霊薬』を手に入れたくても、ラグマ政府はルーアたちを注視しているだろう。

当てもない。


「つっても、どこに行けって言うんだ。ズターエだろうとホルンだろうとザッファーだろうと、『ヒロンの霊薬』を手に入れるのは……」


「あるのよ」


ティアに、遮られる。

彼女の言葉には、はっきりとした確信が込められていた。


「そこへ到着しさえすれば、確実に『ヒロンの霊薬』を手に入れることができる……」


「……どこだ?」


「……シーパルの眠り、パナさんの話じゃ、二ヶ月くらい眠り続けられるってことだけど、もし……もしよ、もっと長く……もっと何ヶ月も続けられるとして。……ううん、それがシーパルを助けられる前提条件になるけど……」


もどかしい喋り方に、ルーアは苛々と頭を掻いた。


「どこだって聞いてんだよ、オースター」


ユファレートが、はっと表情を変える。


ティアが、頷き地図を指した。

大陸の北端、ホルン王国の北部。


「……あたしの家、オースター孤児院がある、ロウズの村」


「……」


「ルーアには、前に言ったよね? 村で、ヒロンの実を栽培してるって。『ヒロンの霊薬』も、自分たちで製造してるから……」


「無茶だ」


デリフィスが、短く呟く。


「……そうだな、無茶だ」


ルーアも同意した。


現在地は、大陸南部のラグマ王国。

ティアが指すロウズの村は、大陸最北端に近い。


大陸を、ほぼ縦断しなければならない。


ラグマ王国とホルン王国の国境には、険阻極まりないレボベル山脈がある。


「仮に、都合良くシーパルの眠りが、三ヶ月四ヶ月と続くとしても、無理だ。途中にはレボベル山脈もあるんだぞ。どう考えても、半年以上はかかる」


「でも、昼夜兼業で向かえば……」


「だから無茶だっての。俺たちは、普通の人間だぞ」


普通の人間である以上、必ず休息も睡眠も必要となる。


昼夜兼業で何ヶ月も移動し続けるなど、不可能だった。


「船を使えば……」


黙ってルーアたちのやり取りを聞いていたジェイクが、口を挟んだ。


ロデンゼラーを通る運河を、北になぞっていく。


それは海へと繋がり、さらに北へ航路を執れば、ホルン王国だった。


「レボベル山脈を避けることができます。それだけでも、一月は縮められるのではありませんか?」


「でも、それでも……」


「あなた方には、恩があると私は言いましたね? 本気でロウズの村へ向かうというのならば、協力いたしますよ」


「……協力?」


「快速船を、準備いたしましょう。これは、船底の形が通常と違いましてな。水を良く切り、普通の船よりずっと速い」


ルーアは、一度みなへ眼をやった。


ジェイクの説明を、聴き入っているようだ。


「北の海は流氷が漂っているので、船で行くには限度がありますが、それでもヴァトムの街辺りまでは行けるでしょう。そこから北は、平野が拡がっています。移動はずっと楽になる。馬車を購入し、御者をみなさんで交互に勤めれば、昼夜兼業の移動も無理ではありますまい。四ヶ月ほどで、ロウズの村に行き着けないでしょうか?」


デリフィスの唸り声が聞こえた。


「問題もあります。快速船は、揺れる。一般の乗客を乗せるものではない。はっきりと申し上げれば、軍船です。そして、我が国とホルン王国は、良好な関係にあるとは言えません」


どんな対応をされるか、わからないと言っているのだ。


軍船である。

いきなり砲撃されることも、有り得ないことではないだろう。


「それでも、あなた方がロウズの村を目指すならば、私は全力で協力いたしますよ」


そうジェイクは締め括った。


全員で、顔を見合わせた。


難しい挑戦となる。

だが、可能性はある。


「可能性が、あるなら……」


やがて、ぽつりとティアが呟いた。


ユファレートとデリフィスも頷く。


「そうだな、その通りだ、オースター……」


ティアの言葉が、全てだった。

例えわずかだとしても、可能性があるのならばしがみつく。


このままラグマ王国にいても、シーパルは助からないのだ。


「オースター孤児院か……」


ロウズの村。

まだ見ぬ遠いその地の情景を、束の間ルーアは思い描いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ラグマ王国は、世界最大の国家である。


その国王ベルフ・ガーラック・ラグマは、覇者に最も近い存在だろう。


それにしては、寝室は質素なものだった。


幼い頃から、ベルフは華美な装飾など好まなかった。


大人となり、王の身分となっても、それは変わらなかったということか。


一国の王である。

暗殺などを警戒しているということもあるのかもしれない。


余りにも広大で豪奢な寝室だと、警備の者の負担も増すだろう。


ベルフは、寝室に若い側室を伴うことが多い。

だが、今夜は一人のようだ。


それを見計らい、エスはベルフの寝室に侵入した。


すぐに、ベルフは寝台から身を起こした。


「……まったく、貴様とクロイツくらいのものだぞ。私の寝室を自由に出入りできる者は」


「そうだろうな」


声は、寝室の外に控える従者や護衛たちには聞こえない。


室内の音声が、室外では無音に変換されるように設定していた。


例えベルフが断末魔の悲鳴を上げようとも、絶対に外へは聞こえない。


「……それで、エスよ。貴様は、こんな夜更けに私の寝室に侵入して、なにをしたいのだ?」


「シーパル・ヨゥロが、死のうとしている」


「……シーパル・ヨゥロ?」


ベルフが、眉根を寄せる。

やがて思い出したか、大仰に頷いた。


「ああ……あのルーアとかいう小僧の、守護者か」


「そうだ」


シーパル・ヨゥロを救うことは、その気になればできた。


なにかと引き替えに、ラグマ政府から『ヒロンの霊薬』を得ることは、エスにとってはそれほど難しくない。


だが、少し迷ったが、結局エスはそれをしなかった。


興味を持ったのだ。


眠り続けるシーパル・ヨゥロは、果たしてなにを夢見るのか。


あのヨゥロに、どこまで近付くことができるのか。


このまま死ぬとしたら、所詮はそれまでの器だったということだ。


「この上、ルーアからテラント・エセンツを失わせたくない」


テラント・エセンツの価値は、エスの中で更に上がっている。


彼は、ズィニア・スティマに勝利した。


あの最悪の殺し屋と正面から殺し合い、生き残ることができる者が、他に何人いることか。


圧倒的な戦闘能力の差があったはずだ。


それでも、勝ったのはテラント・エセンツだった。


おそらく、その勝利を予感していたのは、この世でデリフィス・デュラムくらいのものだろう。


「なにを言いたい、エス?」


「テラント・エセンツを、諦めて欲しい」


「そういう訳にはいかん」


ベルフの表情が、険しいものになる。

さすがの気迫だった。


「あれほど卓越した指揮能力がある者を、私は他に知らない。エセンツを譲ることはできんな」


「なぜ、そこまでテラント・エセンツの力を必要とする?」


「この世界を、統一するため」


「世界を統一して、なんとする?」


「同じ法の下で、民は生活することができる」


ベルフが立ち上がり、腕を拡げた。


「努力する者、才能ある者が認められる世界だ。才能なき者も、惨めな生活を送らずにすむよう取り計らおう。今の倍は、世界を豊かにできる自信が、私にはある。私の下で、世界は生まれ変わるのだ」


「……やはり、テラント・エセンツを譲る訳にはいかんな」


「ほう……」


「そんな些事のために、ルーアの守護者をやめさせる訳にはいかない」


「些事だと?」


ベルフが眼付きを鋭くする。

怒りは、伝わってこない。

ただ、怪訝に思っているようだ。


「世界を統べることが、些事だと言うのか、エスよ」


「私は、そう思う」


「ふむ……」


ベルフが、エスを見つめる。

心の内まで覗き込もうとしている。


「あの、ルーアという小僧のためか?」


「そうだ」


「あの小僧が、なんだと言うのだ。元バーダ第八部隊隊員か。なるほど、若い割には、かなりの戦闘能力の持ち主のようだ。だが、それがなんだと言うのだ。それだけの男ではないか」


エスは、笑みを浮かべた。


「その言葉は、ラグマ王国の調査能力の低さを露呈するようなものだぞ」


「……なぜ、そこまであの小僧に貴様が固執する? なぜ、ストラーム・レイルは弟子とした?」


「ルーアは、ストラーム・レイルの弟子ではない。ランディ・ウェルズの弟子だ。とは、ドラウ・パーターの弁だがな」


「……どういうことだ?」


「私にもわからん。だが、ドラウ・パーターのことだ。なんらかの意味はあるのだろうな」


ルーアは、確かにストラーム・レイルの弟子であるはずだった。


ドラウ・パーターは、ものの見方が、常人と大分違う。


そのため、彼の発言は理解されないことが多々ある。


「……ともかく私は、あの小僧にそれ程の価値を感じない」


「ならば、話してあげよう。彼の、ルーアの真実を。それで君は、テラント・エセンツを諦めてくれると思う」


エスは、語っていった。


ルーアが、何者であるか。

なにをしてきたか。


寝台の脇にあるテーブルから、酒瓶が転がり落ちた。

よろけたベルフが、倒したのだ。


物音を聞き付け、従者が扉を開く。


「陛下、どうなされましたか?」


「……よい」


酒瓶の詮が取れ、絨毯に染みを作っていた。


「すぐに片付けますので……」


「よいと言っておるのだ! 下がれ!」


ベルフの剣幕に、慌てて従者が退室する。


確認して、エスは身体の透過を解除した。


音声は無音となるようにしていたが、物音には手を加えていなかった。


ベルフがそこまで動揺するとは、思っていなかったのだ。


「……なんと言った、エス?」


「ちゃんと聞き取れなかったかね? ならば、もう一度話してあげよう」


たいしたものではないか、とエスは思った。


まだ、彼の真実のほんの一端を語っただけだ。


それだけで、この世界の覇者に最も近い男に、床に酒をぶちまけさせるような失態を演じさせたのだ。


お前たちの弟子は、たいしたものではないか。


なあ、そうは思わないか。


ストラーム・レイル、ランディ・ウェルズ。


そして、ザイアム・オースターよ。


「彼の、ルーア・オースターの元々の名前は、レヴィスト・ヴィール。そう……彼は前回の、『ルインクロード』だよ」


寝室の空気は澄んでいる。

真実は、まるで霊廟での言葉のように冷たく響き渡り、空気を震わせた。

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