プロローグ6

オースター孤児院のテラスにあるテーブル席に、リンダはいた。


コーヒーを運んでくれた娘を手で追い払い、頬杖をついて、対面に座る大男に眼をやる。


太く逞しい手足。

しなやかさを失うことなく、鋼のように鍛え上げられた肉体。


初老の域に差し掛かりつつあるはずだが、衰えは感じられなかった。


むしろ、若かりし頃よりも、一回り体が大きくなったのではないか。


ただし、頭髪の半分ほどは白くなっていた。


髭は、理由がない限りは三日に一度だけ剃る。

それが、この男の昔からの習慣だった。

無精髭の長さからして、今日は二日目か。


髭にも白いものが見えて、リンダはにやりとした。


「なんだかんだ言って、あんたも随分老けたねえ、ストラーム」


男、ストラームは、カップから口を離し苦笑した。


「私も、五十七になったからな」


「そうだねえ……もうそんなになるんだねえ。老ける訳だ」


「ふっ……。そう言うお前も、昔と比べ随分と……」


「……あん?」


「……いや、なんでもない」


眼を泳がせるストラームに、リンダは身を乗り出した。


「『随分と』……なんだい、ストラーム?」


「……随分と……昔のままに、美しい」


ストラームの言い方が、大分おかしいような気がして、リンダは半眼になった。


視線から逃げるように、ストラームが庭に眼をやる。


年が明けたばかりだが、この地方のこの時期にしては珍しく、今日は雪が降っていない。


リンダに命じられて、大きな子供たちは庭の残雪を掻いていた。


小学校は冬休み期間であり、小さな子供たちも家にいる。


過ごし方は思い思いだった。


居間で本を読んでいる子供もいれば、寒空の下、庭を駆け回っている子供もいる。

大きな子供たちの手伝いをする子供もいる。


リンダと血の繋がりがある子供はいない。


だが、このオースター孤児院で暮らす者は、乳飲み子だろうと成人だろうと、分け隔てなくリンダの子供だった。


「……ここは、いい所だな」


呟くように、ストラームが言った。


「そうかい?」


毒気を抜かれた気分になって、リンダは座り直した。


ストラームの視線を追う。


雪掻きをする子供たち。

遠くの白い山並み。

冬の空。

庭を走り回る子供たち。


「……人らしい生活が、送れるのだと思う」


「……」


なんとなく、リンダは沈黙した。


ストラームに、寂しさを感じ取ったのだ。


思えば、この男ほど人らしい生活を送っていない者も、そうはいないのではないか。


ストラーム・レイルとドラウ・パーターにリンダが救い出されたのは、彼女がまだ十歳の頃だった。


その時から二十代半ばの頃まで、ストラーム・レイルの恋人と自称して、彼に付き纏い共に旅をした。


実際に、恋人同然だったこともある。


もし子供ができていたら、とは度々思うことであった。


ドラウ・パーターのように、ストラームは旅をやめたのだろうか。


人らしい暮らしを、送らせることができたのだろうか。


ある時から、リンダはストラームと距離を取るようになった。


いくら鍛練しようとも、ストラームのような絶対的な強さを得ることはできない。


自分の存在が、いつか彼に破滅を及ぼすと感じたのである。


ストラームとの旅をやめたことを、後悔することもある。


ストラーム・レイルを本当に理解しているのは、リンダとドラウ・パーター、それに、彼の部下であるランディ・ウェルズくらいのものだろう。


人を駒としてしか見れないエスなど、論外だった。


ストラームが、どれだけ苦悩しているか。


四十年前は、師と友人を失った。

二十年前には、託された友人の息子を守れなかった。

そして今回は、ライア・ネクタスを死なせた。


生き残ったストラームは、世界を三度救った英雄に仕立てられている。


彼は、想像を絶する苦痛に苛まれているだろう。


ずっと側にいて、支えるべきではなかったのか。


「……ちょっと説教」


沈黙を破り、リンダは椅子に深く身を沈めた。


「あんたに言うのは、理不尽だってわかってる。あんた以上に、力を尽くした者はいないだろうさ。でも、あんたに言うよ」


テーブルを、強くもなく弱くもなく、ただ音が響くように掌で叩く。


「なにやってんだい、ストラーム。あんた以外の誰が、最悪の事態を避けられた?」


そう、最悪の事態が起きてしまったのだ。


四十年前も、二十年前も、最悪の事態だけは避けられた。


だが今回は、リーザイ王国王都ミジュアで、破滅は起きてしまった。

ミジュアの第九地区は消滅。

何万人が、何十万人が死んだのか。


「違う……」


ストラームが、呻く。


「今回は違うんだ、リンダ……」


「なにが違うってんだい」


「『コミュニティ』にはすでに知られている。だから、隠す必要もないから言ってしまうが……ライア・ネクタスは、まだ生きている」


リンダは、眼を見開いた。


「……なんだって?」


「今回は、ネクタスの血を引く者と、『ルインクロード』の衝突ではなかった。過去にないイレギュラーだと、エスも言っていたな。私もエスも、予測しえない事態だったのだ」


「システムが……歪んだ……?」


あの、忌まわしいシステムが。


「歪ませた張本人は、今、私の下にいる」


「……どうするつもりだい?」


「まだ、わからん。もしかしたら、今すぐ存在を破壊するべきなのかもしれない。だが、私はこうも思う」


もったいつけるつもりはないだろうが、ストラームはコーヒーを口に流し込んだ。


「……なんだってんだい?」


「システムの歪みは、過去にも幾度かあったらしい。だが、自然と、あるいはエスの手で修復されていった。歪めるだけでは、足りない」


眼を、鋭くする。


エスにも、クロイツにも聞かれていることは承知だろう。


「私は、システムを根こそぎ破壊したい。そして彼こそが、私やドラウ、ランディの意志を継ぐ者ではないかと思う」


「……」


リンダがテーブルから掌を離すと、くっきりと手形が残っていた。


知らず知らずのうちに、掌は汗でびっしょりだった。


「ふぅん……」


掌を服に擦りつけながら、リンダはストラームの脇に眼をやった。


「ところで、その子はなんだい?」


今の今まで敢えて触れなかったが、ストラームの隣の席に、短く茶色の髪をした少女がいた。


まだ十三か十四か。


なかなか愛らしい顔立ちをしているが、表情というものが全くなかった。


なにもない一点を、円らな瞳で見つめている。


ずっと、無言だった。


たまに、瞬きをする。

薄い胸が動くことで、呼吸をしていることがわかる。


それらの微かな動作がなければ、人形が置かれているものと勘違いをしたかもしれない。


瞬きと呼吸をしているように見えるよう、特殊な細工をした人形だと言われたら、信じてしまうかもしれない。


少女が人間だと、リンダはかろうじてわかった。


「……まさか、あんたの子供じゃないだろうね、ストラーム?」


言い方に、少し女が出てしまった。

年甲斐もなく、みっともない。


「違う」


即座に否定したストラームは、少し慌てているようだった。


嘘はついていない。

顔を見れば、それはわかる。


昔から、なぜかストラームの嘘だけは見抜けた。


「この子は、第九地区にいた……」


「へえ……」


生き残ったというのか。

『ルインクロード』が発動した地にいて。


普通ではない、ということだった。


「それで、あたしにどうしろと?」


「お前に、預かってもらいたい。このオースター孤児院の子供として、育ててくれ」


「ドラウの方がいいんじゃないかい?」


第九地区で生き延びた少女。

『コミュニティ』が、失念するとは思えない。


あの組織に狙われたら、守り通す自信がなかった。


「ドラウの元には、ハウザードがいる」


「……そうだったね」


なにを考えているのか、ドラウは次の『ルインクロード』の器を弟子として育てている。


これこそ、すぐにでも破壊するべきだろう。


ストラームも、そう考えているはずだ。


だが、ドラウに扱いを任せている。


ドラウには、なにか考えがあるのだろう。


戦い方は異なっても、ストラームもドラウも『コミュニティ』を敵にしていた。


『ルインクロード』で生き延びた少女と、次の『ルインクロード』。


引き合わせれば、なにが起こるか見当もつかない。


「それにだ……」


ストラームが言った。


「この子のことを調査したところ、意外なことがわかった。お前の、再従兄弟の娘だ。つまり、遠い親戚になる。昔のお前と、よく似ているじゃないか」


「あたしの、遠い親戚?」


身動きしない少女に、リンダは眼をやった。


確かに、髪の色は同じだった。

意識して見ると、幼かった頃のリンダと、似てなくもないような気もする。


「……なるほど道理で、超絶に愛くるしい訳だ」


「ドラウには、側面援護をさせる」


ストラームが丸っきり無視して話を進める。


少女は、全くの無反応。


「名前は?」


「ティアという」


「ティア……ティアね。じゃあ、今日からあんたは、ティア・オースターだ」


名前を呼んでも、ティアという少女は身じろぎ一つしない。


「ねえ、この子って、まるで……」


ティアから眼を離さずに、リンダはしばらく言葉を捜した。


「空っぽ……みたいだね……」


やがて思い付いた単語は、それだった。


人の形をした、がらんどうななにか。


リンダは、ティアにそういう印象を受けた。


「空っぽか……そうかもしれん」


ストラームが、溜息をつく。


「今、この子は、心も感情も記憶も、体と繋がっていない」


「……なんだいそりゃ?」


呻きながら尋ねる。


「……もうしばらくしたら、エスが到着する」


「……エスが」


反射的に、嫌悪感で顔を歪める。

あの男が、どうにも昔から好きになれない。


「そうしたら、この子の心と感情と記憶を、体と繋げよう。ただし、記憶だけは改変する」


「記憶を改変て……」


「彼との暮らしの記憶を消し去り、代わりにオースター孤児院で育った記憶を与える」


「彼? システムを歪めた奴かい? 待ちなよ、そんな……」


「他ならぬ、彼自身の望みだ。ティアではなく、ティア・オースターとして、新しい人生を歩んで欲しいと」


「……」


「お前の子供たちの記憶も、いじらねばならんな」


「……待ちな」


睨みつける。


「そんなこと、させる訳ないだろ」


「……小さな子供だけだ。来たばかりの少女を、昔から孤児院にいた姉として接する演技など、できないだろう?」


「待ちなって言ってんだ!」


「危険は、なにもない。記憶が少し変わるだけだ。頼む、リンダ。私は、彼の望みを叶えたい」


ストラームが、真っ直ぐに見つめてくる。


「……本当に、危険はないんだろうね?」


「ない。約束する」


「……」


嘘はついていない。

それが、リンダにはわかる。


リンダは、頭頂部を苛々と掻いた。


了承する、などと口にしたくない。


それでもストラームは、了解を得たと思っただろう。


「すまん」


ストラームが、頭を下げる。


眼を逸らすために、リンダはティアに視点を移した。


ティアは、相変わらずの無表情で無反応。


「第九地区の生き残り、か……」


「そうじゃない……」


ストラームが、顔を上げる。


やはり老けた、とリンダは思った。


いくつかの深い皺。


「生き残りじゃない……生き残りじゃないんだ……」


「……」


それはきっと、ストラームの苦悩の分だけ増えたのだろう。


「この子はな、彼の時間と命を借りて、今、生きている」


ティアの表情は、最後まで変わることがなかった。

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