残酷なまでの才能の差

正午。テラントが、マリィと暮らした館。


あの日の火事により、当時の面影は失われていた。


館の土台部分が、わずかに残っているだけだ。


夜半から、雨が降りしきっていたらしい。

今も、小雨がぱらついている。


館の土台部分に腰掛け、ズィニアがいた。

傘など差しておらず、全身が濡れそぼっていた。

テラントの姿に、嗤う。


「……よお」


「……待たせたか?」


テラントも傘を差してはいなかったため、体が濡れてはいるが、ズィニアほどではない。


大分前から、ズィニアはここにいたのではないのか。


「気にすんな。どうせ暇人だ」


いとも気楽に立ち上がる。


「さて、生憎の天候だが……」


ズィニアは、ぬかるんだ地面を踏み締めた。


「雨天により延期ってこたねえよな?」


「当たり前だろ」


悪天候は、悪くはないとテラントは思っていた。


ズィニアは強い。

全てにおいて、テラントを上回る。


格が上なのは、ズィニア。

格が下なのは、テラント。


決闘するに当たり、まずはそれを認めた。


認めることで、戦い方は変わってくる。


格下の者が、まれに格上の者に勝利する時がある。


そのような番狂わせは、どういった時に起こり得るか。


様々な状況が考えられるだろう。

悪天候は、その状況の一つだろうとテラントは思っていた。


戦争だろうと戦闘だろうと、悪天候の時は波瀾が起きやすい。


小雨が降りしきり、足下がぬかるんだ状態では、百ある力のうちの百を発揮することは、絶対にできない。


テラントは勿論、ズィニアにも当て嵌まる。


眼でものを見て、耳で聞き、手で武器を持ち振るい、足で地面を蹴る人間である以上、絶対のことだった。


大事なのは、万全の時に比べて、どれだけ実力を欠けさせずにすむか。


欠けがズィニアよりも小さければ、それだけ実力差は縮まる。

番狂わせを起こしやすくなる。


「……そういや、あの日もこんな天気だったな」


ズィニアが、暗い空を見つめて言った。


「……そうだったな」


ズィニアと初めて会った日、そして、マリィが殺された日。

あの日も、こんな空模様だった。


「確認だけさせてくれ」


と、ズィニアが自身の左耳を摘む。


「あの日、俺の耳に傷を付けたのは、お前……だよな?」


「ああ……」


ヤンリの村で再会した時、ズィニアはテラントのことを覚えていなかった。


あの時は、憤怒に身を任せた。


「……オッケー。確認終了っと」


今は、肩をすくめるズィニアを見ても、頭に血が昇らない。


黒い感情が、腹の中にあるだけである。


怒りを思い出すのは、簡単だ。

マリィの殺された時の様子を、思い浮かべればいい。


だがテラントは、それをしなかった。


怒りが沸き立つと、感情に身を委ねてしまうだろう。


それでは、勝てない。

嫌というほど、四ヶ月前に実感した。

この男は、格上だ。


「……じゃあ、始めますかね」


ズィニアが、小剣を抜く。

それに合わせて、テラントも武器を抜いた。


左手に剣。

右手に魔法道具。それから光が伸び、剣の形状となる。


ズィニアの両手にも、魔法道具。


左手に、『拒絶の銀』。


右手に、紫色の刃をした小剣。

シーパルが昏倒する原因となった魔法剣。


「まだ、紹介したことがなかったな。こいつの銘は、『蟲の女王』という。その能力は、お仲間を見ればわかるだろ?」


頭に血が昇りかけたが、なんとかテラントは感情を抑制した。


シーパルが死んでいたら、抑えることはできなかったかもしれない。


ズィニアが、『蟲の女王』の紫の刃をテラントに向ける。


「かすっただけで、お前の負けだ」


「……」


息を吐き、乾いた唇を舐める。


両手に小剣を構えたズィニアに、隙はない。


テラントにも、隙はない。

少なくとも、鏡に映した時の自分自身に、テラントは隙を見出だせない。


だが、四ヶ月前の対戦では、ズィニアは仕掛けてきた。


テラントには感じられない隙が、ズィニアには視えているのだろう。


感知できない隙を衝かれると、対応が遅れる。


意識の外側から攻撃がくるような感覚なのだ。


その状態で『蟲の女王』を振られたら、完全にはかわせないだろう。


だから、こちらから誘う。

隙を見出だされる前に、隙を見せる。

自分でもわかる、誘いのための隙を。


右腕を、わずかに下げた。

体の左側にできる、わずかな隙。


見逃さず、ズィニアの体の軸がかすかに前に傾く。


(くる……!)


弾けた。

ズィニアの足下が、両者の間の小雨が。

瞬時に間合いを詰めてくる。


テラントは、迎え撃つために光の剣を振るった。


だが、『拒絶の銀』に斬り飛ばされる。


そのまま手首を翻し、突きを繰り出してきた。


左手の剣で、受け止める。


ズィニアの右手が、動いた。

『蟲の女王』が、テラントの左前腕を撫でていく。


骨まで痺れる感覚。


手応えに違和感を覚えたのだろう。

ズィニアの挙動に、わずかな乱れが出る。


剣を握る痛む左腕に、力を込める。


右手の魔法道具に、意志を流し込む。


狙いは、ズィニアの右手、『蟲の女王』。


再度伸びた光の剣が、ズィニアの右手の甲をかすめる。


『蟲の女王』を握る手に、緩みが生じる。


ズィニアの表情が変わった。

殺気が強まり、テラントは身をよじった。


痛みを感じる。

『拒絶の銀』が、脇腹を削っていったところだった。


構わず両手の剣を振るい、『蟲の女王』に叩き付ける。


ズィニアの手から、『蟲の女王』がすっぽ抜け、茂みの中へと消えていく。


ズィニアが、後ろへと跳ぶ。

常人の倍は跳躍して、間合いを外した。


自分の空になった右手と、テラントの左腕を見比べている。


「……さてと、どういうことかな?」


「俺は、こう見えても、実は結構セレブなんだよ」


言いながら、テラントは肩をすくめた。


その動作で、負傷具合を確かめる。


傷の深さ次第で、ズィニアはすぐに仕掛けてくるだろう。


左腕は痛むが、骨に支障はないだろう。

問題なく、剣を振れる。

脇腹も、致命傷ではない。


「母親の趣味なんだが、ハンカチを集めることでな。それも、ミスリル銀が刺繍されたハンカチだ。苦労したよ。家中からハンカチを集めて、ミスリル銀を一本一本抜いていって……」


テラントは、左腕の袖を捲った。

何重に巻き付けられた、ミスリル銀の糸。


ミスリル銀の強度は、鋼も上回る。


糸の状態でも、束にすれば『蟲の女王』を受け止められた。

一度だけだったが。


手甲などを仕込めば、ズィニアは誘いを見抜いただろう。


ほとんどちぎれたミスリル銀の糸の束を、テラントはむしり取った。


「……そういうことか」


いくらか皮肉気に口許を歪めるズィニアを、テラントは見据えた。


「俺は、考えたよ。お前に勝つにはどうすればいいのか、すっげえ考えた。お前は、強い、ズィニア・スティマ。全てにおいて、俺を上回る。無傷で勝てるなんて、思わない」


テラントは、『蟲の女王』が転がっていった茂みへと眼をやった。


そこから見つけ出すのは、骨が折れるだろう。


『蟲の女王』をズィニアが捜し出したら、遠慮なく背中に剣を叩き付けさせてもらう。


「で、あの魔法道具、『蟲の女王』か。あれはちょっと、反則過ぎだろ。かすっただけで、致命傷なんてな」


ズィニアは、無言で右手の指を動かしている。


傷の状態を確かめているのだろう。


「どうすれば、お前から『蟲の女王』を失わせられるか。勝つために、まずそれを考えた」


「けど、俺にはまだ、これがある」


ズィニアが、もう一本の魔法道具を抜いた。


剣身が薄黄色に輝き、次いで消える。


『インビジブル』。

不可視の刃。


「引き換えとしては、どうかな。その傷、浅くはないだろ?」


テラントの脇腹は、すでに血で染まっていた。


「左腕、握力がまともに残っているか?」


「いいさ、そんなの、どうでも」


「……なに?」


「全部斬らせてやるって言ってんだ、ズィニア・スティマ。皮も、肉も、骨も」


「……命さえ残れば、それでいいってか?」


「いや、命もいらない。命も、お前にやるよ。その代わり、お前の命をもらう」


テラントは、一歩前に進んだ。


「お前さえ殺せれば、俺はもう、なにもいらない」


「いいねえ……」


ズィニアが、笑った。


「奪えるもんなら、奪ってみな」


両者同時に、地面を蹴る。


そして、交錯した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


剣を交える度に、傷が増えていく。


それは、四ヶ月前の対戦の時と同じだった。


違う点がいくつか。


前回は、ズィニアが『拒絶の銀』と『インビジブル』の能力を解放した途端に、決着がついた。


今回は、最初から魔法剣の力を使い続けている。

それでも、軽傷で済んでいた。


『拒絶の銀』は、光の剣で受けることができない。


『インビジブル』は、眼に見えない。


だが、それにも拘わらず、受ける傷は前回よりも浅い。


斬撃を互いに受け流し合い、間合いを取った。


(……差が縮まった? いや……)


実力差は、相変わらず残酷なまでにある。


これは、慣れだろう。


前回は、ズィニアの情報が全くないに等しい状況でぶつかった。


ズィニアの剣に、対応ができなかった。


今は、違う。


ズィニアの剣筋を、知っている。


前回の対戦で、散々体感した。

そして見てきた。


あれから四ヶ月。

毎日毎晩、イメージした。

ズィニアに勝つために。

殺すために。


その長くしなる両腕から、繰り出される斬撃を。


おそらくズィニアは、左右の手足の長さがわずかに違う。


それが、こちらの感覚を狂わせる。

それも、イメージし続けた。


今、毎日磨いたイメージが、活きている。


体に受けた、無数の傷。

いずれも、致命傷にはほど遠い。


こんな傷なら、何十でも何百でも何千でも受けてやる。


それだけ、ズィニアと交錯しているということだ。


ズィニアの命に届く瞬間が、必ずある。

見逃すな。


剣と剣が、火花を散らす。


腕力でもズィニアが勝る。

後方に弾かれて、テラントはたたらを踏んだ。


ズィニアが踏み出す。

だが、わずかにぬかるみに足を取られている。


きた。チャンスが。


放った斬撃が、ズィニアの鼻先をかすめかける。


今のは、惜しい。

もっと深く踏み込め。

もっと速く、鋭く。


踏み出し、繰り出す。

ズィニアの顔面を貫くための、突きを。


ズィニアの首から上が、回転したように見えた。


捉えたつもりの剣が、虚しく空だけを貫く。


体を回転させながら、ズィニアはかわしていた。


テラントの、腕の外側に回り込んでいる。


後頭部と背中を向けた、一見無防備な姿。


だが、腕の外側にいるため、瞬時に攻撃できない。


寒気がした。


なにかが、くる。


ぬかるみに足を取られたように見えたのは、ズィニアの誘いか。


なにがくる。


下。背中を向けたままの体勢からの斬撃。

『拒絶の銀』が光る。


左手の剣で受け止めた。


視界が陰る。

背中を向けたまま、どういう関節と筋肉の柔らかさをしているのか、今度は頭上からの『インビジブル』による斬撃。


光の剣を擦っていく。


(また訳のわからん技を……!)


跳びのいて、間合いを取る。


未知の技。

目茶苦茶な体勢からの、目茶苦茶な攻撃。

それでも、受けきった。


対峙する。


(俺は、強くなっている……)


必ず、届く。

ズィニアの命に。


ズィニアが、後方に大きく跳躍した。


ふっと、全身の力を抜く。


「いやあ……なんか、あれだ……」


ズィニアの、自然体の構えは変わらない。

ただ、力だけを抜いている。


「お前の、狙いはわかった。そんな戦い方で、勝てると思ってるのか?」


「……」


答えなかった。


テラントの狙いは、一撃必殺。

きっと来る、ズィニアの命に届く瞬間に、必殺の斬撃を入れること。


「……そんな血塗れになって、俺を殺せる時まで持つかよってとこなんだが、どうにも嫌な予感がした」


さらに、ズィニアが距離を取った。


テラントがにじり寄ると、また一歩下がる。


(なんだ……?)


まさか、逃げ腰になっているというのか。


嫌な予感がする、と言った。

危険を感じているのかもしれない。


「俺のことを、強いと言ったな、テラント・エセンツ?」


「ああ……」


「光栄だね。俺も認めるよ。お前は、強い。だから、誤解はするな」


(……誤解?)


「俺は、お前を舐めていた訳じゃない。これまでも、充分本気だった。戦い方を変えるが、そこんとこ理解してくれや」


総毛立つ。

まさか、まだズィニアにはなにかあるのか。

これ以上のなにかが。


「できれば使いたくなかったが、強いお前が相手じゃ仕方ねえ。……歯ぁ喰いしばれ。けつの穴しめろ。気合い入れろ。眼ぇ凝らせ。一撃で死ぬなんてつまらん終わり方するなよ?」


(なん……だ……?)


なにがくる。


ズィニアが、前傾姿勢となった。

その小柄な体が、一瞬膨れ上がったような気がした。


破裂音。地面を蹴ったのか。


見失う、ズィニアの姿。


咄嗟に、防御を固める。


「……!?」


衝撃が、体を貫く。


一瞬だけ見えた。

突進してくる、ズィニアの姿。


気がついた時には、テラントの体は宙を舞っていた。


何メートルも弾き飛ばされて、ぬかるんだ地面に叩き付けられる。


(ズィニアに……撥ね飛ばされた……?)


まるで、暴れ馬に人が撥ねられるように。


衝撃で全身が痛むが、それでもテラントは立ち上がった。


(今のは……)


ズィニアがいる。

先程まで、テラントがいた場所に。


その足下を、テラントは見ていた。

普通のブーツである。


以前、『ヴァトムの塔』の屋上で、ダリアンという男と戦った。


ブーツの形状の魔法道具を利用して、高速移動しながら攻撃を仕掛けてきた。


あれよりも、今のズィニアは速かった。


魔法道具に頼らず、己の脚力のみで。


「感心感心。ちゃんと、初撃は防いだな」


ズィニアが、また前傾姿勢となる。


「続けていくぜぇ……!」


突進してくる。

前。剣を向ける。


「!?」


見失った。


背後から、衝撃。

また、撥ね飛ばされた。


後ろに回り込まれていたのか。

背中の肉を削り取られていた。


(速……過ぎる……)


その上、フェイントや技を織り交ぜてくる。


魔法道具に振り回されていたダリアンとは違う。


「よーし、調子が出てきた。次はもっと上げるぞー」


姿を捜している最中に、声だけ聞こえた。


左。

弾き飛ばされた直後に、右からの衝撃。


まったく違う方向から、ほぼ同時に攻撃がきた。


下からの斬撃に、突き飛ばされる。


視界が回転する。

地面を転がっていた。


「ぐ……あ……!」


腹から胸までが斬り裂かれていた。

肘を立て上体を起こす。


ズィニアが、離れた所から見下ろしていた。


(強い……)


致命傷を避けるのが、やっとである。


ダリアンなどとは、桁が違う。

あれは、速いだけだった。

そして単発の攻撃だった。


ズィニアの剣撃には、技術が凝縮されている。

連続で斬りつけてくる。


『拒絶の銀』は、光の剣で受けることができない。

『インビジブル』は、見えない。


(強すぎる……)


こんな攻撃、防ぎきれる訳がない。


(なんで……)


なぜ、この動きを最初からしなかった。


ズィニアが、小雨に打たれ佇んでいる。


肩で息をしていた。


「そうか……」


できれば使いたくない、というようなことを言っていた。


こんな動きに、人体が耐え続けられるはずがない。


転がるテラントに追撃をかけられなかったのは、そのためだろう。


(勝機は……ある!)


震える膝を押さえつけながら、立ち上がる。


「……気付いたか?」


ズィニアが、どこか虚ろな眼差しでテラントを見つめている。


「これをすると、体への負担が半端ない。確実に、寿命が縮むだろうよ。当然、いつまでもこの動きができる訳がねえ」


そうだ。

動きが止まるその時まで粘れば、勝てる。


「二時間」


「……なに……?」


「俺が、この動きを続けられる時間だ。二時間もすれば、俺の足は動かなくなる」


(……二時間……だと?)


テラントは、愕然としていた。


こんな速さで、二時間動けるというのか。


二時間、捌かなければならないのか。


「我慢比べといこうかあ……」


ズィニアが、消える。


肩の肉を削り取られた。

次いで、腿。


「あぐっ……!」


我慢比べではない。

ただの嬲り殺しである。


ズィニアが通り過ぎる度に、体のどこかが削り取られる。


耳が、詰まったような感じがした。


左耳か。

耳をちぎり飛ばされたようだ。


(あと……)


どれだけ耐えればいいのか。

何分が過ぎたのか。

まだ、何秒かしか経過していないのではないか。


右太股を、『インビジブル』が貫いた。

腹を蹴り抜かれる。


もう、何度目になるのか、弾き飛ばされた。


受け身も取れず、館の土台に叩き付けられる。


『インビジブル』で足を貫かれた際、骨まで砕かれていた。


他にも、数箇所骨折しているようだ。

そして、全身の裂傷。


(考え方が……甘いんだよ……)


折れた足で、立ち上がる。


土台に座り込むように低く構え、体重を預け体を支えさせる。


(甘すぎる……)


格上だと、認めたはずだ。

全てにおいて勝る相手だと。


これだけの攻撃に曝されて、なぜまだ生きているのか。


身を守っているからだろう。


なんのために。


生き延びるために。

命を守るために。

甘えた考えだ。


命もいらないと言ったはずだ。


それでも、守ることを考えている。

防衛本能が働く。


そんなもの、いらない。


本能も、意志も、技も、力も、今までに培ってきた全てを、ズィニアを殺すことに向けろ。


眼が、よく見えない。

血を流し過ぎたからだろう。

耳もよく聞こえない。


構わなかった。


必ず、ズィニアは接近してくる。


腕はズィニアの方が長いが、武器はテラントの方が長い。

間合いは、ほぼ同じ。

ズィニアの剣が届く距離は、テラントの剣も届く。


急所目掛けて礫の一つでも投げ付けられたら、それだけでテラントは殺されるだろう。


いや、攻撃するまでもない。

この出血なら、放っておいても間もなく死ぬ。


それでも、ありがたいことに必ずズィニアは接近してくれる。


強い、と認めてくれた。

そしてズィニアは、最悪の殺し屋であるが、同時に、誰よりも優れた剣士でもある。


認めた相手ならば、必ず最後は、手にした剣で斬り殺しにかかるはずだ。


ズィニアの呼吸が聞こえた。


来る。


正面から。

全力で、全速力で。


防御は捨てろ。

殺すことだけを考えろ。


次の一撃で、死んでいい。


その代わり、必ず殺せ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


テラント・エセンツは、もうまともに身動きが取れないようだ。


館の土台に身を預け、なんとか立っている。


それでも、ズィニアは気を抜かなかった。


ここから、剣を投げ付けるだけで殺せるだろう。

なにもしなくても、勝手に死ぬ。


だが、そんな勝利を求めてはいない。


ズィニアにも、剣士としての誇りがある。

必ずこの手で、斬り殺す。


そして、テラント・エセンツへの敬意もある。


かつて、この自分を相手に、ここまで戦い続けられた者がいたか。


呼び寄せるための餌だという考えなど、とっくに失せている。


誇りを持って、敬意を持って、全身全霊でテラント・エセンツを殺す。


なぜかわからないが、ふとハウザードの顔が思い浮かんだ。


アスハレムで気まずい別れ方をしたきり、会っていない。


この戦いが終わったら、クロイツに頼んで連絡を取ってもらうか。


そんなことを考えた自分を、束の間ズィニアは嗤った。

戦闘中に、くだらないことを。


「これで、決着だ」


聞こえているか怪しいものだが、ズィニアは言った。


大地を蹴り付け、全力で駆け出す。


無理な負担に、体中が悲鳴を上げる。


近接。


『拒絶の銀』と『インビジブル』を突き出す。


テラント・エセンツは、必ず防御するはずだ。


今の半死半生のテラント・エセンツが相手ならば、防御ごと打ち破れる自信がズィニアにはあった。


この男が、人であろうと獣であろうと、必ず防御をする。


何者にも、生存や防衛の本能がある。

それには、抗えるものではない。


防衛をまったくしないのは、人でも獣でもなく、ただのいかれた馬鹿だ。


刹那。


感じた。


この男は、防御をしない。

殺される代わりに、殺しにくる。


相打ちになると、ズィニアは悟った。


咄嗟に、小剣を引く。

それは、本能があるが故の防御。


三年前を思い出した。


透明の獣に襲われた時と、同じ感覚。


なにかが体を貫くのを、ズィニアは感じた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


鈍い音が響き渡り、テラントは弾き飛ばされた。


(……どう……だ……?)


ズィニアの命に、達したのだろうか。


宙を舞い、地面を転がりながら、受け身も取らずにそれだけを考えた。


手応えは、あったような気がする。


気がつくと、顔の側面を泥の中に突っ込んで倒れていた。


ズィニアを、殺すことができたのか。


体中が軋んでいる。


視界に映る右腕は、激突のためか手首からへし折れていた。


どこにいったか、魔法道具はない。


左手の剣も、根元から折れていた。


負傷具合や武器の損傷など、どうでもいい。

ズィニアは、どうなった。


身を起こそうと、テラントはもがいた。


声がした。

まだ潰されていない、右耳だけで聞いた。


「げっ……マジかよ……まだ生きてんのか……」


(……ズィニア……スティマ……!)


生きている。

届かなかったのか。


泥を踏み付ける足音がした。

無遠慮に近付いてくる。


もう、テラントが戦闘不能だと判断したのだろう。


当然だった。


腕は折れ、武器も失った。

もう、戦闘は終わったのだ。


普通ならば。


(……まだだ……!)


テラントは、眼を見開いた。

折れた剣を捨てる。


剣が折れたのならば、拳を固めろ。


腕が折れたのなら、喉笛に喰らいつけ。


俺は、まだ戦える。

立ち上がれ。


偶然だろう。

視界の隅に転がる、魔法道具を見つけた。

左手を伸ばし、掴む。


折れた手足で体を支え、テラントは身を起こした。


「……おいおい……マジかよ……」


呆れ呻く、ズィニアの声。


さっきよりも近い。

すぐ近くにいる。


立ち上がって、殺せ。


壊れた体に喝を入れて、テラントは立ち上がった。

魔法道具から、光を伸ばす。


眼前に、ズィニアがいる。

口の端から、血を垂らして。


「立ち上がるのかよ……あー……ムカつく……」


ズィニアの胸の中央に、穴が通っていた。

ぐらりと体が傾き、背中から倒れる。


「じゃあ……俺の負けじゃねえかよ……ちくしょう……」


呆然と、テラントはしていた。


膝が勝手に折れ、泥の中に座り込む。


魔法道具から、勝手に光が消える。


(……届いて……いた……?)


ズィニアの胸に空いた穴を、信じられないような思いで見つめる。


「……お前が死ぬのか……ズィニア・スティマ?」


「はっ……!」


ズィニアが、笑う。


「自分でやっといて、なんだそりゃ……」


胸からも、口からも、血が溢れてくる。


「あー……マジムカつく……俺が……一番だったはずなのによ……」


「……」


「……七十八回……」


「……なにがだ?」


「お前の体に……俺の剣が触れた回数……。お前の剣が……俺に触れた回数は? ……たった二回じゃねえか……」


「……」


「それなのに……俺から死ぬ……。俺は……『最悪の殺し屋』なんて、呼ばれてんだぜ……。誰よりも……世界中の誰よりも……人殺しが上手いはずなんだ……」


死に行く眼で、テラントを見つめる。


「けど……違ったな……。お前が、いた……。ムカつくくらい……残酷なまでの……殺しの才能の差だ……」


「……お前、『悪魔憑き』ってオチじゃねえよな……? 胸に穴空いて……なんでいつまでも生きてんだよ……?」


「安心しろ……もう少しで死ぬ……。色々いじくられて……死ににくくできてるだけだ……」


「そうか……なかなか死ねないのか……。そりゃいい。できるだけ長く苦しんでから、死ね」


ズィニアが、くくっと喉を鳴らした。


「ひでえこと言う奴だな……まったく……」


「酷いもんかよ……。お前は……俺から奪った……マリィを殺した……」


「殺してねえよ」


絶え絶えだったズィニアの声が、この時だけははっきりと聞こえた。


「……」


ズィニアは、なにを言ったのか。

脳が、理解することを拒絶している。


「俺じゃねえ……俺は殺していない……」


「ふざけんな……」


あの光景が、思い浮かぶ。


血で曇った小剣を持つ、ズィニア。


足下に、胸から血を流し動かないマリィ。


「俺はっ……はっきり見たんだ……! お前が……」


「俺が殺したところを……見たか? 俺に殺されるところを……見たか?」


心臓が跳ねる音がうるさい。

頭痛を感じるほどだ。


「じゃあ……誰だってんだ!? お前じゃないなら、誰が……!?」


「そうか……知りたいか……」


ズィニアの表情から、生気が抜けていく。

死のうとしている。


「最後だ……特別に教えてやる……。聞いて驚け……」


死にかけのくせに、眼の光だけはしっかりしていた。


「デリフィス……デュラムだ……」


「……なん……だと……?」


体が、わななく。

ズィニアは、なにを言っているのだ。


「と、見せ掛けて……ルーア……」


「……」


「じゃなくて……やっぱ……俺?」


体から、力が抜けていく。

それなのに、左拳だけは硬い。


顔を叩き潰してやろうか。


「……最後までふざけやがって……もういいから、死ねお前」


「俺じゃねえ……」


まだ、戯言を続ける気か。

もしかしたら、錯乱でもしているのではないか。


テラントは、ズィニアを睨みつけた。


息を呑む。


「俺は……『最悪の殺し屋』だ……。殺したら……殺した感触があるはずだ……。腕にも……肩まで……それがなかった……。俺じゃ……ない……」


真っ直ぐにテラントを見つめ返す、ズィニアの眼。


自分の言葉を理解している、錯乱などしていない正気の眼。

意志を感じさせる、澄んだ瞳。


この男は、嘘をついてなどいない。

それを、テラントは悟った。


「殺して……ない……」


死のうとしている。


テラントは、ズィニアの胸倉を掴んだ。


「ふざけんな……! じゃあ、じゃあ誰がっ……マリィを……!」


ズィニアは、もう死んでいた。

それでも、テラントはズィニアの体を揺さ振った。


不意に、視界が急激に暗くなっていった。


ズィニアの隣に、テラントは倒れ込んでいた。


(ふざけんな……!)


ズィニアでないなら、誰がマリィを殺した。


誰が。


俺は今まで、なにをしていた。

マリィの仇でもないズィニアを何年も追い続け、シーパルを死の淵まで追い込んで、ズィニアを殺して。


泥の中で、体が冷えていく。


ぞっとした。


もうすぐ、死ぬ。


ズィニアと、相打ちになった。

マリィの仇ではない、ズィニアと。


嫌だ、死にたくない。


まだどこかに、マリィを殺した奴がいるのだ。


そいつを殺すまでは。

真相を確かめるまでは。


視界も、意識も、全てが真っ暗になる。


死ぬ。


失った意識で、なくなった左耳で、誰かの足音を聞いたような気がした。

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