王との会談

ダンテ・タクトロスたちは倒したが、『ヒロンの霊薬』を手にすることはできなかった。


だがデリフィスは、憔悴しきったルーアたちを、責める気にはならなかった。


誰もが懸命だった。

それでも、報われないことはある。


ダンテを倒し、キュイが捕らえられ二日が過ぎた。


今デリフィスたちは、テラントの両親が暮らす館で世話になっていた。


親と上手くいっていないのか、テラントの両親が姿を見せることはほとんどない。


一度だけ父親の方が、デリフィスたちが借りている部屋の近くまで来たが、それだけだ。

隻腕の偉丈夫だった。


ルシタは、どうしているのか。

キュイが捕らえられた翌日、テラントがキュイの館へ向かいルシタと会話をしたようだが、内容までは聞いていない。


政府に拘束されるなどはしていないようだ。


五千を超える『ヒロンの霊薬』が、『メスティニ病』患者のために投与された。


これで、救うことはできなくなったのだろうか。


シーパルは、眠り続けたままだった。


日に日に痩衰えているようでもあり、なにも変化がないようでもある。


ユファレートは、暇さえあればシーパルの脈を確認していた。


まるで、習い性のようになっているようだ。


ティアは、難しい表情で地図を眺めていることが多い。


『ヒロンの霊薬』を入手することを、諦めた訳ではない。


全員で情報を集めている。

こういう時にもっとも役に立ちそうなエスは、姿を現さない。


『ヒロンの霊薬』があるとの情報が、二件。


だが、一件はデマであり、もう一件は近隣の村にあるという情報だったが、すぐに軍に回収されてしまった。


シーパルを助けることは、できないのか。


「このハンカチの刺繍、ミスリル銀だ……」


コップに付着した水滴を拭おうとしたティアが、言った。


ミスリル銀は、黄金よりも高価である。


「ほんとにいいとこの子供なんだね、テラントって……」


テラントの父親は、親衛隊隊長だったはずだ。


戦争で左腕を失ってからは、王子の剣の指導係である。


名家といってもいいのかもしれない。


ズィニア・スティマが決闘を望んでいると、テラントには伝えてある。


テラントの妻マリィ・エセンツについての、エスやズィニアと話したことは、言わなかった。


憶測の域を出ていないからである。


テラントに変化はない。


今のところはだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「あ」


インクを机上に零し、テラントは声を漏らした。


「やれやれ……」


ハンカチで拭き取る。


「あ」


ミスリル銀で刺繍された高価なハンカチだと気付き、また声が漏れる。


べったりと粘着したインク。

染みになるのは確実だろう。


「……まあ、いいや」


一言で済まし、テラントはペンを手にした。


羊皮紙に、ペン先を走らせる。

手紙を認めている最中だった。


王子へ。


共に、父の元で剣の修練を積んだ。


年齢も近く、身分の差を越えて友人関係にあったといっても過言ではないだろう。


ただし、マリィの仇を討つための旅に出てからは、一切の関わりがない。


王との会談を、テラントは望んでいた。


といっても、いきなり王と会える訳がない。


王子に、仲介してもらう。


現在のテラントは、流浪の身である。


それでも、元ラグマ王国の若き常勝将軍と呼ばれたテラント・エセンツからの手紙ならば、ほぼ確実に王子まで届くだろう。


そして、ほぼ確実に王子から王へと伝わる。


どうしても、王と会う必要があった。


ズィニア・スティマが、決闘を望んでいる。

勿論、決着はつける。


だが、その前にどうしてもやらなければならないことがある。


手紙を書き終え、テラントはペンを置いた。


汚い字だ。

読み返し、テラントは苦笑した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


城の地下牢に、キュイはいた。

暗く、静かである。


やることがないので、キュイはひたすら考えた。


ルシタは、両親は助かるのか。


ユリマはどうなった。


テラントたちは、どうしているのだろう。


シーパルを助ける術は、残っていないのだろうか。


ユリマの代わりに、なんの罪もないロデンゼラーの子供が死ぬことになる。


その子は、どんな気分で今を過ごしているのか。

その両親は。


足音が響き渡り、キュイは顔を上げた。


「ギャメ執務官……」


地下牢に降りてきたのは、ジェイクだった。

供の一人もつけていない。


「キュイ、あなたの刑が確定した。今それを、ここで読み上げる」


「はい」


キュイは、居住まいを正した。

拡げた書類に遮られ、ジェイクの表情は見えない。


ジェイクが、朗々とキュイの罪状を読み上げていく。


『ヒロンの霊薬』を、私情により使用した。

国家反逆罪となる。

裁判など行われることなく、死刑だった。


「ただし、罪人キュイには、これまでの功績がある」


ジェイクが、言葉を区切る。

キュイは、祈るような気分だった。


「よって、今回は特例として、親族までその累は及ばないものとする」


「……」


ほっと、キュイは息をついた。


恩赦が下された。

これで、ルシタと両親は死ななくてすむ。


特例を出すために、ジェイクはどれだけの苦労をしただろう。


王の信頼は厚い。

ジェイクの言葉ならば、王が耳を傾けるだろうとは思っていた。


それでも、かなりの人数を説得して回らなければならなかったはずだ。


寝る間もなかったのではないか。

地下牢に降りてきた時に見えた表情は、疲れきっていた。


「三日後、中央広場にて斬首刑が執行され、首は、城門にて一週間晒される。異議があるなら、今のうち申せ」


「ありません」


キュイは、頭を下げた。


「家族を、許していただける。寛大な処置に、感謝致します」


「そうか……」


書類を畳む音に、キュイは顔を上げた。


ジェイクの頬は、涙で濡れていた。


「お前は馬鹿だ。とんでもない大馬鹿だ、キュイ」


「そうだな、ジェイク」


同じ村で育った、旧くからの友だった。


泣いてくれるのか、自分のために。


「一つだけ伺いたい、ギャメ執務官」


「……なんだ?」


「ユリマは、どうなりますか?」


それだけが、気掛かりだった。


病を克服しても、ユリマには身寄りがなく財もない。

そして、まだ十歳だった。


「ラグマ王国で生まれ、ラグマ王国で育った者だ。その不幸に気付かなかったのは、政府の怠慢でもある。政府が、責任を持って保護しよう。当面は、私が面倒を見ることになった。彼女が拒まなければ、養子として迎えるつもりだ」


「そうか……それは良かった……」


ジェイクなら、安心してユリマを任せられる。

これで、思い残すことはない。


「……他に、聞きたいことはないか?」


「ありません」


「そうか……」


ジェイクが、背中を向けた。


「……さらばだ、キュイ」


「……ああ。さらばだ、ジェイク」


足音が、地下牢に響く。

穏やかな心で、キュイはそれを聞いていた。


穏やかな心で、人生を振り返る。

懸命に生きた。

そして、人に恵まれた。


テラント・エセンツという男の下で、戦うことができた。


最上の妻と生きることができた。


未熟な自分に、部下たちはついてきてくれた。


素晴らしい馬にも巡り会えた。


そして、自分のために涙を流してくれる友がいる。


これ以上を望むのは、贅沢というものだろう。


(ルシタ……)


すまないな。

一人にしてしまう。

私のことは、忘れてくれて構わないから。

お前は、お前の時間を生きてくれ。


地下牢は、暗く静かだった。


城の底から、キュイは独り、妻のことを想い続けた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


王から呼ばれたのは、手紙を城の門番に手渡した翌日だった。


王子も王も、即断したと考えていいだろう。


夜、迎えの馬車に乗り、テラントは城へと向かった。


公式な会談ではない。

城内で秘密裏に会うには、少しばかり顔と名前が知れ渡り過ぎている。


フードを被り顔を隠して、テラントは入城した。


案内されたのは、王が住まう王宮である。


それも、王宮の奥の居室、王にとっては自宅のような場所だった。


さらに奥には、王の側室たちが暮らしているはずだ。


ここまで立ち入りが許可されている者は、極少数に限られている。


男では、護衛と従者くらいのものだろう。


長らくラグマ王国に仕えていた過去のあるテラントにとっても、初めてのことだった。


奥から、王が姿を現した。


ベルフ・ガーラック・ラグマ。

世界最大、ラグマ王国の王。


ラグマ人に多い、金の頭髪。

角張った顔の輪郭に、高い鼻が秀でている。


直接会うのは、テラントが将軍だった時以来になるのか。


五十を過ぎているはずだが、老いは感じられない。


少し太ったかもしれないが、腹が弛んでいるという訳でもない。


以前のままの鋭い眼光で、ひざまずいたテラントを見下ろしている。


居室にいるのは、テラントとベルフ、ベルフの従者だけ。


護衛の一人が、部屋の外に控えているようだ。


一瞬、無用心ではないかとも思ったが、すぐにそうではないと気付いた。


従者の佇まいが、尋常ではない。

外の護衛も、同等の力があるだろう。


城は堅固な防護フィールドで守られているため、遠距離からの魔法攻撃も通用しない。


さすがに、王の身辺の警護に抜かりはなかった。


「……お久しぶりでございます、陛下」


テラントは頭を下げ、側に控える従者に向かって言った。


今のテラントは、平民の身分である。


直接王と口を利くなど、許されない。


「そうだな……」


ベルフ・ガーラック・ラグマの声が、部屋の壁に低く反響して、空気を震わす。


残暑で空気が蒸す外とは違い、魔法の力が働いているのか、居室は涼しい。

寒いくらいだった。


「三年ぶりになるか?」


「はっ……」


従者に顔を向ける。

ベルフ・ガーラック・ラグマが、言葉でそのテラントの動作を制した。


「直答してよい」


「……今の私は、一市民に過ぎず、陛下と口を利くなど……」


「ならば、今一度、今この一時だけ、貴様に将軍の位を与えよう、テラント・エセンツよ」


「はっ……」


顔を上げた。

ベルフ・ガーラック・ラグマが、厳しい眼付きでテラントを見つめている。

この王は、いつも腹の内を見透かすような眼で、部下と接する。


「陛下におかれましては……」


「挨拶はいらぬ。用件だけを申せ」


「……それでは」


テラントは、唾を呑み込んだ。

戦場や戦闘の場とは違う、独特の緊張感がある。

広い居室だというのに、閉塞感を覚える。


「本日は、キュイの助命をお願いするために参りました」


「ならぬ」


即答だった。


「キュイの行為は、反逆罪に当たる。処刑は、すでに決まったことだ」


「……キュイは、失うには余りに惜しい男であります」


「確かに惜しい。ならばこそ、尚更その罪を看過することはできぬ。わかるであろう?」


「……」


ラグマ政府は、『ヒロンの霊薬』を政府が管理するという政策を執った。

個人の使用は、反逆罪となる。


万能薬に最も近い『ヒロンの霊薬』の、管理・売買の全てを国が取り仕切るようになれば、莫大な利益を政府は得ることになるだろう。


是が非でも成功させたい政策なはずだ。


だからこそ、反発する民、取り分け商人や富豪を、これまで何人も処刑してきた。


ここで、部下であり副将軍であるキュイに情けをかければ、差別に民衆は不満を爆発させ、反乱が起きかねない。


キュイの死は、部下だろうと断固たる姿勢で処罰するという、見せしめになる。


政府の人間が処刑されることで、不満を募らせた民の溜飲を下げることにもなるだろう。


「……どうあっても、キュイを許しては頂けませんか?」


「くどいな、エセンツ将軍よ」


「……」


このままでは、キュイを救うことはできない。


部下を死なせてまで、ベルフ・ガーラック・ラグマは政策を推し進め、利益を得ようとしている。


国力を、増大させるため。

延いては、他の王国を圧倒するため。


つまり、未だにベルフ・ガーラック・ラグマは、野望を捨てていない。


付け込むとしたら、そこだろう。


「……陛下に、また別のお願いがございます」


「……なんだ?」


「妻の仇を、見つけました。その者と、私は決闘の約束を致しております」


「ほぉう……」


眼を細める。

わずかに、眉が動いた。


「その決闘に勝利し、妻の仇を討った暁には、私は次の目標を見つけられず抜け殻となってしまうかもしれません」


「……」


「その時は、陛下に目標を与えていただきたいのです」


「……なにを、望む?」


「再び私を、陛下の覇道を進む軍の端に、加えていただきたいのです」


「……」


大陸の制覇、そして、世界征服。

それを、ベルフ・ガーラック・ラグマは望んでいる。


そのために、欲しいはずだ。


戦場において未だ無敗、全戦全勝である『若き常勝将軍』の指揮能力が。

軍を統括できる男が。


テラントの意図に、気付かないベルフではないだろう。


取り引きを持ち掛けているのだ。

軍に戻ってやる、その代わり、キュイの命は助けろ、と。


「……キュイの軍権は全て取り上げ、庶民へ落とす。それが、最大限の譲歩だ」


長い沈黙を経て、ベルフ・ガーラック・ラグマはそう言った。


「……ありがとうございます」


テラントは、頭を下げた。


ベルフ・ガーラック・ラグマにとっては、言葉通りぎりぎりの譲歩だろう。


命は助ける。

だが、キュイは地位を失い、不名誉だけが残る。


民衆が、なんとか受け入れられる譲歩なのではないか。


(……すまんな、キュイ。これが、精一杯だ)


だが、命は助かるのだ。

命さえあれば、いくらでもやり直しはきく。


下げた頭に浮かぶのは、キュイやルシタ、そして共に旅をする者たちの姿だった。


旅が、終わる。


次にズィニアに敗れれば、今度こそ死ぬことになるだろう。


勝ったとしても、軍に復帰することになる。


もう、旅を続けることができない。


いつも無愛想な表情である、剣士の立ち姿が思い描かれた。


あいつがいたから、独りの旅ではなかった。


ルーアも、ティアも、ユファレートもいた。


復讐の旅のはずが、いつの間にか賑やかになったものだ。


そして、今、生と死の狭間をさ迷っているシーパルが。


旅に誘ったのは、テラントだ。

テラントが、ズィニアと関わらせた。

それなのに、助けてやることはできない。

他の仲間に、託すしかない。


軍属となれば、シーパルを助ける術を求め、各地を放浪することもできないだろう。


テラントでは、キュイを救うことはできても、シーパルを助けることはできない。


だが、それでも。


(……あとは、頼むぞ)


あいつらならきっと、シーパルを助けてくれる。


テラントは、しばらく頭を上げることができなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


キュイへの処罰が世間に公表されたのは、翌日のことだった。


反逆罪である。

軍からは追放、財産も全て没収、だが、これまでの功績に免じて命だけは許す。

そういった内容だった。


キュイは、地位も名誉も全て失う。

大切にしていた愛馬も失う。

庶民として、貧しい生活を送ることになるだろう。


それでも、大丈夫なはずだ。

一番大切なものは、失っていないのだから。


どれだけ貧しい生活だろうと、反逆者として世間からの風当たりがきつかろうと、側には必ずルシタが寄り添っているはず。


キュイの誠実さと粘り強さなら、いつか必ず失ったものを取り戻せる。


その日のうちに、テラントは情報屋と接触した。


もうこれ以上、先延ばしする必要はない。


キュイの処罰が、民衆に発表された。


ここから、やはり死刑にするとは、ラグマ政府も言いにくいだろう。


例え、テラントが敗れ死亡し、軍に復帰できなくなったとしてもだ。


ズィニアと決着をつける。

一人で戦う。

ズィニアが一対一を望んでいるのならば、それは当然のことだった。


剣士としての誇りは、テラントにもある。

剣士が一人で決闘を申し込んできているのならば、剣士として一人で応じる。

他の選択はない。


情報屋に、日時と場所を告げた。

明日の正午、場所は、ロデンゼラー西の郊外にある、テラントの館跡。


マリィと暮らした館、そして、初めてズィニアと出会った場所だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


目的は、ユファレート・パーターの命。

それを忘れた訳ではない。


だが、ユファレート・パーターに隙はなくなった。


常に、誰かと行動を共にしている。


『蟲の女王』の効力も、当然知られているだろう。


安宿で数日過ごしていたズィニアの元に、情報屋から連絡が入った。

テラント・エセンツからである。

ズィニアの目論見通り、一人で決闘に応じてくれるようだ。


これで、テラント・エセンツは殺せる。


ユファレート・パーターの周囲の者を殺害する。


遠回りではあるが、ユファレート・パーターの命から遠ざかってはいない。


そして、テラント・エセンツを殺せば、あるいは死の淵まで追い込めば、あの女が出てくるのではないか。


ユファレート・パーターよりも、ずっと前から標的だった女。


日時と場所を指定された。

明日の正午、場所は、ロデンゼラー西の郊外にある、テラント・エセンツの館跡。


ズィニアは、左耳の古傷に触れた。


テラント・エセンツが指定した場所。

そこは以前、マリィ・エセンツを生け捕りにするために向かい、そして、透明の獣と遭遇した場所だった。

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