忠誠の形

なにかを感じたらしいルーアが、足を止めた。


おそらく、ちょうどエスが告げた時刻になったのではないか。


ダンテ・タクトロスたちと遭遇するという時刻。


ほんの五十メートルほど先だろうか。


いきなり、痩身のダンテ・タクトロスが、女性と見紛うような外見のラフが、兵士十五人ほどが現れる。


ダンテの『影』は人の形状となって、ユリマと『氷狼の棺』を抱えていた。


「なっ!?」


何人かが呻く。


ダンテたちは全員、こちらを向いていた。


待ち伏せされていたということになる。


ダンテの『影』に、隠れていたのだろう。


首筋の辺りに、ティアは視線を感じて振り返った。


眼球が浮かんでいる。

ラフの『眼球』。


いつからかはわからないが、見張られていたのか。


ティアたちの周囲で、夜の闇が動いたような気がした。


「ちょっ……!?」


無数。

何十という『眼球』が、ゆらゆらと宙に浮かんでいる。


薄く引き伸ばされた『影』が、周囲を覆っていたのか。

『眼球』が隠されていたのか。


ダンテたちは撤退戦に慣れている。

そんなことを、ルーアは言っていた。

つまり、これがそういうことなのだろう。


「逃げろ!」


叫びと共に、ルーアに突き飛ばされた。


『眼球』が移動する。

舌打ちするルーアと、隣にいたユファレートを囲う。


ダンテたちは、まず二人を狙っている。


確かに、この二人になにかがあったら、もうダンテたちを止めることはできないだろう。


「……離れて!」


ティアは、パナとドーラを押すようにしてユファレートたちから距離を取った。


二人ならば、片方が『眼球』の破壊、片方が防御に徹すれば包囲から脱出できるはず。


ただ実行するには、近くにティアたちがいないことが条件になる。


『眼球』の破裂に、ティアやパナやドーラは防御する手段がなかった。


ダンテの『影』が、蠢き出す。


ユファレートたちには、瞬間移動の魔法で離脱する暇はなかっただろう。


『影』が『眼球』を叩き、連鎖する破裂を呼ぶ。


轟音。

土煙が舞い上がり、粉塵に二人の姿が覆い隠される。


「ユファ!? ルーア!?」


駆け出しかけて、なんとか踏み止まる。


(大丈夫よ、二人なら……!)


ユファレートが、ルーアが、そんな簡単にやられる訳がない。


それよりも、ダンテたちの次の攻撃に備えなければ。


激しい馬蹄の音が響いた。


ティアが見た先に、黒い毛並みの馬に跨がり、槍を携えたキュイの姿。


全く躊躇わず、ダンテたちへと向かう。


風上からの突撃だった。

あっという間に到達すると、兵士たちを蹴散らし、ダンテへと迫る。


「キュイさん!」


咄嗟に、ティアは動いていた。

ダンテたちの背後へ回るように駆け出す。


キュイが、敵を引き付けてくれていた。


今のうちに、ユリマを助け『ヒロンの霊薬』を奪わなければ。


ラフの掌から、光球が撃ち出され、キュイの胸の辺りで弾ける。

甲冑の前が飛んだ。


遠巻きに放たれた矢が、肩や腿に突き立つ。


キュイは、止まらない。

大勢に囲まれながらも、遮二無二暴れている。

槍の穂先を、ダンテへと向けた。


「ダンテ・タクトロス!」


大音声。


ダンテが、身をすくませて後退する。


キュイ一人に、ダンテもラフも、兵士たちも呑まれていた。


剣が、キュイの脇腹をかすめる。

槍がへし折れる。


それでも、キュイの勢いは衰えない。


黒馬が跳ねる。

折れた槍を、キュイが投げ付ける。

ダンテの頬をかすめた。


腰の剣を抜き放つキュイ。

ダンテが怯む。


剣が、ユリマと『氷狼の棺』を持つ『影』を斬り裂いた。


ユリマを左腕に、『氷狼の棺』を右の小脇に抱え、キュイは離脱していく。


「殺せ!」


ダンテの怒号。

矢が、火球が、背後からキュイを襲う。


全身に手傷を負い、両手が塞がった状態では、馬を操ることなどできないのだろう。


矢が、吸い込まれるようにキュイの背中や尻に命中する。

火球が、黒馬の脚下に着弾した。


キュイが、馬を降りた。


黒馬が、脚を折る。

その体には、幾本もの矢が突き刺さっていた。


殺到する兵士たち。


ユリマと『氷狼の棺』を地面に置き、キュイが剣を構えた。

まだ、眼が死んでいない。


「ファイアー・ウォール!」


二種の声が響き渡った。

力強い声が。

凜とした声が。


キュイと兵士たちを遮り、業火が巻き起こる。


そうだ。

最高の魔法使いの孫娘が、最強の男の弟子が、あの程度で死ぬ訳がない。


キュイの奮戦に眼を奪われ、全然気付かなかった。


『眼球』の破裂を防ぎ、その後飛行の魔法で、ティアたちとは逆から回り込んでいたのだろう。


炎の壁に足止めされたダンテたちに杖を向けた、ユファレートの姿。


抜き身の剣を担いだ、ルーアの姿。


「お前ら少しは空気読んで、すっこんでろよ。か弱い女の子が、かっこ良く助け出されたところだぞ」


ふてぶてしい面構えで、ルーアがそう言う。


(……大丈夫!)


ユファレートは、こういう時のルーアは、絶対に負けない。


「パナさん、ドーラさん! 行きましょう!」


ユファレートとルーアに、ダンテたちは任せていい。


ユリマとキュイの安全を確保するために、炎を避けてティアは二人の元へ向かった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


矢が、自分にも馬にも突き立つのを、キュイは感じていた。

肉の焼ける匂いがする。


火球を、完全にはかわせていなかった。

馬の後ろ脚が、焼け爛れていた。


「……よく、ここまで走り抜けてくれた」


語りかけて、キュイは下馬した。

馬が脚を折り、横たわる。


また発作が始まったのか、口の端から血が流れ出ているユリマを、キュイは地面に下ろした。

『氷狼の棺』も置く。


向かってくる、ダンテたち。

十数人はいるか。


体中に手傷を負っている。


左肩、右太股、背中に二本、それに臀部、五箇所に矢が刺さっていた。


斬られた脇腹も、魔法が命中した胸も痛む。


だが、まだ戦える。

キュイは、剣を構えた。


声が聞こえた。

力を象徴するかのような声が。


炎が吹き上がり、ダンテたちを遮る壁となる。


(……ああ、本当にすごいな、彼らは)


アスハレムでも、そうだった。

心から感嘆したものだ。

彼らは、たった六人で、何十人もいたラシィ・マコルの一味と相対し、倒したのだから。


知恵を振り絞っただろう。

運にも恵まれただろう。

だがなによりも、純粋なるその力で。


三人、駆け付けてきた。

ティアという少女に、パナというヨゥロ族の薬師、ドーラという熊のような大男。


「大丈夫ですか、キュイさん!?」


「……私は平気です、ティアさん。それよりも、ユリマを」


「……わかりました」


ドーラがユリマを抱き起こし、ティアがその口許を拭う。


「……ユリマに、『ヒロンの霊薬』を」


「……いいんだね?」


聞いてくるパナに、肩越しにキュイは頷き返した。


意味は、わかっている。

全ての責任は、自分が持つ。

罪も、背負う。

もう、決めたことだ。


『氷狼の棺』が開けられ、詰め込まれた女性の小指ほどの瓶の一つを、パナは取り出した。


衰弱したユリマでは、飲み下せないかもしれない。


荷物から注射器を取り出し、鮮やかな緑色の液体を、瓶から移していく。


「……なんでですか……なんで……なんで……?」


泣きじゃくるユリマの腕に、パナが注射を打つ。


炎の向こうでは、戦闘が始まっているようだ。

爆音が轟いている。


もう、キュイの体はろくに動かない。

それでも、構えは崩さなかった。


ユリマが、泣いている。

母親の死を聞いた時以来に見る、少女の涙、そして感情だった。


(良かった……)


ユリマは、ずっと感情を表に出さなかった。


失ってしまったのではないかと思ってしまうほどに。


それが、感情を見せてくれた。

例え涙混じりだとしても。


それが、ただ嬉しい。


「なんで……助けてくれるんですか……!? わたし、酷いことキュイおじさんに言ったのに……!」


言っていいのだ。

ユリマから両親を奪ったのは、自分なのだから。


まだ十歳の少女に、寂しい想いをさせているのは、自分のせいなのだから。


助けるのは、当然のことだ。

弱い者を、武器を持たぬ者を、幼い子供を助けられなくて、なにが軍人か。

男だと胸を張れるのか。


それが例え国を裏切る行為だとしても、悔いはない。


思うことは色々とあるが、口が上手く動かなかった。


こういう時は、饒舌な者が羨ましくなる。


語ることが、あまり得意ではないのだ。


それに、キュイの声は野太い。

泣きじゃくる子供を、安らかな気分にさせる声ではないだろう。


「……私は、軍人だからな」


だから、それだけをキュイは言った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


二度、ラグマの兵士たちに誰何された。


堂々と、テラント・エセンツだと名乗った。


名前だけは、全員知っているようだ。

顔を知っている者もいた。


名前を聞いて、殺気を漲らせたテラントに道を開けない者はいなかった。


キュイの館に辿り着く。

おそらく、午後九時くらいだろう。


エスが、ルーアたちがダンテ・タクトロスと遭遇すると予告した時刻でもある。


ルシタは、まだ無事だった。

戻ってきたテラントに、驚いた表情をしている。


ちょうど、キュイと入れ替わった格好になるのかもしれない。


ルシタに館にいるよう告げて、テラントは外に出た。


遠く四百メートルほど離れた所だろうか、星明かりの下、人が二人動くのが見えた。

それが、すぐに消える。


エスが言うには、ルシタを狙っているのは、トンスと兵士が十七人だということだった。


あの辺りに、大人数が姿を隠せる障害物はないはず。


大方、魔法で地面に穴を空けるでもして、そこに潜んでいるのだろう。


キュイの館を訪れる者がいたため、偵察に出した、というところか。


今までルシタを襲わなかったのは、キュイの部下たちの存在に尻込みしているのか、キュイ一人が援軍に加わっても問題ないと考えたか。


どちらにせよ、ルシタの側の脅威を放置する訳にはいかなかった。


(……つっても、どうするかな)


一人で相手をするのは、無謀だった。


兵士だけならともかく、トンスがいる。


遠距離から強力な魔法を放たれたら、為す術がない。


キュイの部下たちに援護を頼もうとすれば、トンスは吹っ切れるかもしれない。


そうなれば、テラントがキュイの部隊の元へ向かう前に、いきなり攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

それは、ルシタが危険だった。


独りで戦わなければならないのなら、できれば不意を衝きたい。

テラントは、自分を嗤った。


こちらが独りだと、トンスたちは認識しているだろう。


そんな相手に、不意打ちなどできるものか。


なにか、武器が欲しい。

独りでも戦えるよう、自分の戦闘力が跳ね上がる武器が。


いななきが聞こえた。

馬小屋にいるキュイの愛馬のロンが、睨み付けているのではないかというような眼で、テラントを見つめている。


鼻息が荒く、地面を蹄で強く掻いていた。


「なんだ……?」


導かれるような気分で、テラントは馬小屋に向かった。


ロンは、興奮している。


気性がおとなしい馬だと思っていた。


いい馬だが、戦場を駆け回るのは向いていないのではないかと感じさせるほどに。


キュイが不在の時は、いつもルシタが世話をしている。


彼女の穏やかさの影響を受けたのだろう、と勝手に思っていた。


だがもしかしたら、これこそがロンの本性なのかもしれない。


首筋に触れた。

熱い。

熱が、掌から伝わっている。


この馬は、理解している。

これからテラントが、どういった戦いに臨もうとしているのか。


血走った眼。

乗れ、と言われているような気がした。


馬小屋から出し、鞍を載せてテラントが跨がっても、ロンは拒絶する様子を見せない。


大きな馬という訳ではない。

それなのに、これまで跨がったどの馬よりも、力強さが伝わってくる。


やはり、この馬はわかっている。


「よし……!」


テラントは、ロンの葦毛の馬体を叩いた。


「俺たちで、お前の主人の一番大切な女と、帰る家を守るぞ」


ロンが、またいなないた。

駆け出す。

テラントを振り落とすつもりではないか、というような勢いだった。


瞬く間に、トンスたちとの距離が半分になる。


そこで、テラントは手綱を引いた。


地面に空いた穴から、トンスと兵士たちが出てくる。


まだまだ魔法使いが優位な距離。

それなのに、トンスは仕掛けてこない。


たった独りで、とでも思っているのだろう。

舐められているのがわかった。

暗いが、嘲笑する顔が見える気がした。


そのまま舐めてろ、口の中だけで呟く。


わざわざ、敵に実力を発揮させてやる必要などない。


こうして馬上で敵と対峙すると、軍を率いていた時を思い出す。


あの頃は、無敵だった。

最強の部隊を率いていた。


たった十八人。

世界最大のラグマ王国の若き常勝将軍テラント・エセンツとその部隊ならば、容易く踏み潰せる。


魔法道具から光が伸びる。

それを、振り上げた。


この程度の敵に、作戦などいらない。

下す命令は、一つだけでいい。


「皆殺しにしろ」


ロンが駆ける。


矢や火球が正面から飛んでくる。

ロンはそれを避ける。


逃げるのではなく、前に出ながら回避している。


テラントが手綱を操る必要もなかった。


矢にも、破裂する魔法にも、全く怯えを見せない。


手綱から、闘志が伝わってくる。

こんな馬は、初めてだった。


無意識のうちに、テラントは雄叫びを上げていた。


敵とぶつかる。

次の瞬間には、敵中を突き抜けていた。


首が九つ、宙を舞った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


炎の壁が、高く燃え盛っている。

ユファレートと協力して放ったものだが、思いの外の火力だった。


しばらくは、消えることはないだろう。

炎の壁を回り込まれる前に、倒す。


ダンテがいる。

自らの『影』を従えて。


ラフの右腕からは、『眼球』が転がり落ちていた。


兵士は、十五人ほどか。

キュイの奮闘により負傷者は多いが、致命傷を負っている者はいないようだ。


キュイが、倒すことよりもユリマを助け出すことだけを重視したからだろう。


こちらは、ルーアとユファレートのみ。


ユファレートは、隠せないほど疲労していた。


無理もない。


早朝に、襲撃があった。

ルーアとティアがキュイの館を出た後にも、戦闘があったという。

そして、ズィニアの強襲。


城の近くでは、トンスによる遠距離狙撃を受けた。

その際、左手を負傷もしている。


ラフとトンスの罠に嵌まった時は、みんなを助けてもいる。


いくらなんでも、戦闘を繰り返し過ぎだった。


ユファレートに掛かった負担は、相当なものだろう。


「……まだ、全然平気だからね」


気丈にも、ルーアの思考を見透かしたようなことを言う。


だが、顔色が悪く、肩で息をしていた。

明らかに、無理をしている。


ルーアは、両手で持っていた剣の柄から、右手だけを離した。


ユファレートが万全ならば、前衛に徹する。


しかし今は、剣も魔法も駆使して、一人で全員を相手にするつもりで戦うしかないだろう。


敵を引き付けるつもりで、ルーアは二歩、ユファレートの前に出た。


兵士たちが、展開していく。


正面に十人ほどか。

四人が前に出ている。

残りは、第二段として殺到してくるだろう。


右手に六人。

これは、背後を取る動きもしてくるはずだ。


左手には、炎の壁がある。


「行けぃ!」


ダンテの号令と共に、兵士が動き出した。


ユファレートが、正面に杖を向ける。


「フォトン・ブレイザー!」


空間を貫き突き進む光線に、かわしそこねた一人が弾かれる。


貫通性のある魔法に、後続にも乱れが出ていた。


ルーアは、突っ込んだ。


早めに、前に出ている兵士だけでも倒さなければ。


右手方向からくる敵に、囲まれることになる。


体勢が崩れている兵士の首筋に、剣を叩き込む。


反撃を潜り抜け、耐刃ジャケットの表面で刃を滑らし、左右に剣を遣って斬り倒していく。


(ダンテは?)


『影』が、周囲を蠢いているのはわかるが、闇夜の烏で動きが非常にわかりにくい。


ラフの右腕からは、『眼球』が転がり続けている。


魔法攻撃を仕掛けてこないのは、味方を巻き込むことを恐れているからか。

今のところは、おとなしい。


ルーアは、後方に跳躍した。


前の敵は陣形が乱れているため、その気になればまだ何人か倒せるが、右手から来る兵士たちがユファレートに迫っていた。


ユファレートは、後退しながら魔法を放つはずだ。


そこを、側面からルーアが突撃する。


そう予測していたが、ユファレートは動かなかった。


魔力を、身体から引き出している。


「グランド・ジャベリン!」


大地から無数の錐が突起し、兵士二人を貫く。


かわした四人は、大地の錐を避けてユファレートに接近しようとしている。


兵士にしては、動きがかなり良い。

間に合わない。


「逃げろ!」


ユファレートは、まだ動かなかった。


持続性のある魔法のため、地面から次々と槍が生えていたが、それが止まり掌から炎が伸びる。


「バン・フレイム!」


炎の鞭がしなり、大地の錐を崩していく。


異様なまでに、魔法の切り替えと発動が早い。


砕け降り注ぐ破片に、兵士たちがたたらを踏む。


「ファイアー・ボール!」


そこに、ルーアは火球を放った。

爆裂する炎に、兵士たちが消し飛ぶ。


「ルーア!」


ユファレートが、鋭く警告を発する。


ダンテとラフの姿が消えていた。

魔力の波動からして、瞬間移動の魔法で炎の壁の向こうに行ったのだろう。


『影』や『眼球』の動きはフェイントで、『ヒロンの霊薬』を奪い返しにきたか。


ルーアが舌打ちしている間に、ユファレートは次の魔法を発動させていた。


「リウ・デリート!」


炎の壁の一部が消失し、道ができあがる。


「行って!」


言いながら、ユファレート自身は兵士たちへ杖を向ける。

あと五人か。


わずかな逡巡が生まれる。

前衛なしで、純粋な魔法使いであるユファレートは戦えるのか。


だが、ルーアは炎の壁の間を走り出していた。


ユファレートの横顔に、背中を押された気分になっている。


背後から、魔力の力場の波動が伝わってきた。


投げ付けられた剣でも、払いのけたのだろう。


ユファレートの戦い方が、大幅に変化していた。


戦闘が始まってからずっと、立ち位置が変わっていない。


それは、混戦の中で異常なことと言っていい。


戦闘中に足が動かないのは、素人のすることである。


今のユファレートを、戦闘の素人と同等に扱えないだろう。


ユファレートの戦い方が変わった。


アスハレムの出来事に起因しているのかもしれない。


あの街で、ユファレートは兵士に追いかけ回され、不覚を取った。


動き回りながらの魔法の連発は、かなりのペースで体力と魔力の消耗を誘う。


だから、足を止めて魔法に専念する。


攻撃も足止めも、防御も回避も迎撃も魔法で行う。


理論としてはわからなくもない。

実践できる者は、そうはいないだろう。


図抜けた魔力容量と発動速度、そして精度が求められる。


身体能力は平凡、だが、魔法使いとして非凡な才能を持つ、ユファレートならではの戦い方なのかもしれない。


ともかく、敵は二手に分かれたのだ。


守るべき対象がある以上、こちらも分担しなければならない。


炎の間を、走り抜けた。

視界が開ける。


炎に照らされ、キュイがいた。

全身に傷を負い、もう立つこともやっとだろうに、まだ剣を構えている。


背後で、ティアも小剣を抜いていた。


さらに後方に、ユリマを抱き抱えるパナと、庇うように太い両腕を拡げているドーラ。


ダンテとラフは、ルーアの方を向いていた。


(だと思ったよ!)


『ヒロンの霊薬』を狙う素振りを見せて、追ってきた者の不意を衝く。


撤退戦に慣れているダンテたちが相手なら、当然予測できる戦法だった。


『影』が槍のように鋭く、あるいは針のように分散してルーアを襲う。


後退してかわし、剣を振るい捌いた。


「上!」


ティアのよく通る声。


頭上から、ゆらゆらとラフの『眼球』が降りてきていた。


ダンテの『影』の針が、それを貫く。

『眼球』が破裂する。


「っ!?」


まだ距離があったため、たいした衝撃はない。

それでも、眼が眩んだ。


ティアの警告がなければ、至近距離で喰らうことになっていたかもしれない。


歪む意識の中、魔力の波動を感知し、ルーアは魔力障壁を展開した。


「ファイアー・ボール!」


ダンテとラフが、同時に火球を放つ。


魔法使いとしての力量は、ルーアと同程度だろう。


二つの火球が破裂する衝撃に抗えず、ルーアは地面を転がった。


(きっつ……!)


『影』に『眼球』。

魔法使いとしての実力もある。


どちらか一人だけでも苦戦するだろう。


それなのに、二人で連携して攻めてくるのだ。


ティアが前に出ようとして、キュイに止められていた。


ダンテもラフも、変則的な攻撃を仕掛けてくる。

ティアでは、見切れないだろう。


おまけに、生命力に溢れる『悪魔憑き』である。


相打ちに持ち込むこともできないはずだ。


ラフの右腕からは、『眼球』が生まれ続けている。


ダンテの『影』が薄く伸び、それを覆い隠しつつあった。


夜で見えにくいが、ルーアの周囲を『影』が取り囲んでいる気配がする。


いつ、どこから攻撃がくるか、読み切れない。


勘と経験を総動員するしかないだろう。


「ルーア! 一人そっちに行った!」


兵士が炎の間を通り、身を起こしたルーアに向かってきていた。


ユファレートが炎の鞭を振るい、兵士三人を搦め捕っている。


迫ってきた兵士を剣で薙ぎ倒し、ルーアはまた魔力障壁を発動させた。


再度火球が破裂して、衝撃に膝を付く。


周囲の『影』が、うねり向かってきた。


こめかみを狙う『影』の槍を、返した剣で払い、足下を打つ『影』の鞭を、跳躍してかわし。


「……!」


薄く視界を覆っていた『影』のカーテンが開き、いつの間に配置されていたのか、無数の『眼球』が現れルーアを睨む。


視野の外、背後や左右からも殺意を感じた。


すでに、『眼球』に包囲されている。


『影』の針が、『眼球』を貫く。


四方からの破裂は、魔力障壁では防ぎきれない。


全方位に張り巡らすには、時間を要する。


ルーアは、瞬間移動の魔法を発動させた。


ただ逃げるだけでは、遅かれ早かれ二人の攻撃に押し潰される。

一か八か、転移先はラフの背後。


以前も使用した手ではあるが、決定的に違うことが一つ。


今回は、ルーアが圧倒的に劣勢だった。


その局面からの反撃は、ラフの虚を衝くことになっていた。


振り向き様に魔法を放とうとするが、遅い。


ルーアは、剣を振り抜いていた。

ラフの胸を裂くが、手応えが軽い。


瞬間移動の影響で、平衡感覚を失っている。

それが、手元を狂わせた。


呻きながら後退するラフ。

そこで、ルーアは気付いた。


(ダンテは……?)


いない。

回転する視界で、姿を捜す。


「……ルーア! 後ろ!」


ティアの声が飛ぶ。

反射的に、身をよじった。


『影』が、腕を振り上げているように見えた。


槍はなんとか剣で払うが、針が耐刃ジャケットに突き立つ。


そして、死角に『影』が回り込んでいたのだろう。

衝撃を、後頭部に感じた。


「……っ!?」


倒れ込む。

土の匂い。血の味。


ティアの声が聞こえた。

状況がよくわからない。


それでも、手足を突っ張るようにして地面を叩き、ルーアは身を転がしていた。


振動が伝わってくる。

ルーアがいた場所が、魔法でえぐり取られていた。


魔力障壁を発動させた。

衝撃に吹き飛ばされる。


朦朧とする意識と血で汚れた視界の中、『眼球』が近付いてくるのをルーアは見ていた。


立ち上がるが、膝が折れる。


『眼球』を狙い、『影』が放たれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


兵士の最後の一人に、ユファレートは手こずっていた。

上段からの剣を、上手く遣う。

単純に魔法を放っても、かわされる。


「フレン・フィールド!」


発生した力場に、兵士の突進速度が鈍る。


それでも、力場を突破し近接してきた。


上段からの剣を、一点に集中させた力場で防ぐ。


反撃を警戒してか、兵士が後退する。


そして下がりながら、空いた左手を腰の後ろに回していた。


大振りなナイフを投げ付けてくる。

それも、力場で弾いた。


また、兵士が踏み込んでくる。

これまでになかった、下からの斬撃。


兵士の動きを、全て見切った訳ではない。


身体能力の勝負になったら、負けるだろう。


動かない。

攻撃も防御も、全て魔法で行う。


そう決めると、今まで以上に魔法を滑らかに発動させることができた。


下段からの剣も、受け止める。

いや、力場を操作して押し返す。


「エア・ブリッド!」


体勢が崩れ掛ける兵士の足下に、風塊を叩き込む。

それで、完全に崩れた。


杖を振り上げた。


「ライトニング・ボルト!」


電撃が伸び、兵士を撃ち焦がす。


ユファレートは、息をついた。

なんとか兵士は、全員倒せた。


(あとは……)


炎の壁は、もう消えている。

代わりに、別の魔法の影響で生まれた炎が、夜の闇の中を舞っていた。


ダンテは、無傷か。


ラフは、胸の辺りの衣服が破れ血が流れているが、深手ではなさそうだ。


倒れ込んでいたルーアが、立ち上がる。

だが、すぐに膝をついた。


頭部からの出血が、顔を汚し首筋にまで流れている。


『影』が、『眼球』が、ルーアに迫る。


「ヴァイン・レイ!」


ユファレートが放った光の奔流が、それらを呑み込む。


ダンテとラフが、こちらを向いた。


ルーアが、なんとか立ち上がる。


ダンテたちを睨み返しながら、ユファレートはルーアに歩み寄っていった。


「……まだ、戦えるわよね?」


睨み合いながら、ルーアに聞いた。


「……誰に聞いてんだよ」


ルーアが、剣を振った。


「ルーン・エンチャント」


剣身に、光が宿る。


「……そっちこそ、まだへばってないだろうな?」


「平気よ」


本当は、体が重く立っているのも辛い。


それに、偏頭痛を感じ始めていた。


これは、魔力が枯渇しつつある時に起きる、ユファレートの体質だった。


「……どうしようか?」


「……あいつらは、連携が上手い。引き離して、一対一に持ち込む」


「わたしは、どっちを相手にすればいい?」


「オカマの方を頼む」


「うん」


オカマかどうかは置いといて、ユファレートはラフに意識を向けた。


『悪魔憑き』の二人。

ダンテは変則的、ラフは破壊的な能力を有している。


ユファレートにとっては、ラフの方が対応しやすいだろう。


ルーアが、額を袖で拭う。


『影』と『眼球』が揺らめく。


ユファレートは、杖を掲げた。

生まれた炎が、凝縮した後膨張していく。


「ヴァル・エクスプロード!」


大火球が破裂して、『影』も『眼球』も吹き飛ばした。


魔力障壁を発生させて防いだダンテたちが、衝撃でよろめくのが見える。


ルーアが駆け出した。

頭部の負傷のためか多少足を縺れさせながら、それでもほとんど速度を落とさず、大火球の影響で渦巻く熱波の中を走っていく。


空の右手を上げた。


「フォトン・ブレイザー!」


光線が、ダンテとラフの間を貫く。


二人の間にできた空間に潜り込むようにしながら、ルーアは魔力が篭った剣を振るった。


後退しながら『影』で捌くダンテ。


ラフが、ルーアに掌を向ける。


「ライトニング・ボルト!」


そうはさせじとユファレートが放った電撃を、ラフは飛び退りかわした。


右腕の『眼球』が動き、ユファレートを見つめてくる。


ルーアは吠えながら、ダンテに斬り掛かり続けていた。


ラフとの距離は、かなり開いている。


(これで一応、一対一の形はできたけど……)


懸念はある。


割とあっさり、ダンテとラフを離れ離れにすることはできた。


それはつまり、ダンテたちは連携を取ることに固執していないということだ。


一対一にも同様に自信があるということの、裏返しに思えた。


ラフが、ユファレートに正対する。


向き合うラフは、やはり女のように見えた。


爆音が轟く。

ルーアとダンテが魔法を撃ち合っているようだが、もう見る余裕はない。


ラフが、腕を上げる。


もし距離が近ければ、まず言葉を交わしたのかもしれない。


そんなどうでもいいことが、杖を上げたユファレートの頭を過ぎった。


「ヴァイン・レイ!」


同時に、光の奔流を放ち合っていた。

破壊と破壊が、ぶつかる。


わずかにユファレートが押しているか。


だが、ラフの元に到達する前に、効果を失い光の奔流は消失した。


単純な魔法使いとしての地力は、ユファレートの方が優る。


しかし、圧倒できるほどの差はない、ということである。


そしてラフは、『悪魔憑き』だった。


右腕から転がる『眼球』が、左右からユファレートに向かってきていた。

近付かせるのはまずい。


「ル・ク・ウィスプ!」


光の弾丸が、右から来る『眼球』をまず破壊していく。


「えっ!?」


次いで、左から来る『眼球』を撃とうとして、ユファレートは戸惑いを覚えた。


『眼球』の移動速度が上がった。

人が軽く走るほどの速さから、蛇が這うような速さに。


「ライトニング・ボール!」


ラフが撃ち出した光球が、『眼球』の一つに着弾した。


(物質転送の魔法……)


自分の体の一部のようなものであろう『眼球』を、物に見立てて転送させてきた。


なかなか、意表を衝いてきてくれる。


ユファレートは、目眩を感じた。

限界が近い。


ラフも疲労して見えた。

魔法を使い過ぎなのか、『眼球』を作り出すことは体力を消耗することなのか。


杖を両手で握り締めた。


ラフの腕からは、また『眼球』が生まれ続けている。


正面から魔法で攻撃しても、押し切れない。


そして、ラフの攻撃は読み切れない。


次は、どういった手で攻めてくるか。


ラフの周囲を、大量の『眼球』が埋める。

その一部が、消失した。


また、物質転送の魔法か。

魔力の流れを読む。

今度の転移先は。


(……上!)


見上げた。

頭上に現れた、ユファレートを見下ろす無数の『眼球』。


「ル・ク・ウィスプ!」


ラフの、光の弾丸を放つ声。


範囲の広い魔法である。

正面から向かってくるだけではなく、頭上の『眼球』にも当たる。


攻撃が、二方向からくることになる。


魔力障壁を広く展開すれば、防げる自信はある。


だが、その後の反撃をする暇があるか。


消耗した状態でこれ以上守勢に回るのは、非常にまずい気がする。


決心を固めた。


(全部、魔法で……!)


防御も、そして回避も。


「フライト!」


飛行の魔法で、離脱する。

背後で、『眼球』が破裂した。


飛行の魔法を持続し、弧を描く軌跡で、ユファレートは徐々にラフに接近していった。


再びラフが放った光の弾丸は、しかしユファレートを捉えきれない。


「逃がすか!」


『眼球』の転移。

ユファレートの飛行の魔法の進行方向を包み込むように。


このままぶつかれば、当然衝撃で『眼球』は破裂する。


ユファレートは、飛行の魔法を解除した。


ラフの、勝利を確信した表情。

掌に、光が煌めく。


飛行の魔法は、制御が難しい。

解除直後に、次の魔法は使えない。

普通の魔法使いならば。


でも、ドラウ・パーターなら、ハウザードなら。


(……わたしなら、できる!)


次の魔法を発動させた。

より高度な、瞬間移動の魔法。

転移先は、ラフの左。


「馬鹿なっ!?」


驚愕したラフが、眼を見開く。

早過ぎる、思考を表情が物語っていた。


「ありがと」


礼を呟いた。

ラフの驚愕は、ユファレートにとっては賛辞なのだから。


そして、呟きを引き金に、魔法を放つ。


ラフとの間には、無数の『眼球』がひしめいている。


ルーアには、無理なようだ。

だが、ユファレートにならばできる。


爪ほどの風塊が、『眼球』の隙間を通り抜け、ラフの顎に命中する。


「お……?」


脳を揺さ振られ、ラフの膝から力が抜ける。


さすがに、飛行と瞬間移動の魔法の連続使用直後は、すぐに魔力を大量放出できない。


だから、これは時間稼ぎ。

時間稼ぎも、魔法で行う。


ユファレートは、距離を取るため背後に跳躍した。


最後くらいは、足を遣ってもいいだろう。


『眼球』が破裂しても、巻き込まれない距離。


杖の先の空間が軋み、光が生まれる。


ユファレートにとっては、初めての経験となる。


多くの『コミュニティ』の兵士を倒してきた。

彼らは、人間ではない。


死体に擬似的な生命が宿り、動いているだけ。


アスハレムでは、遠距離狙撃で軍事基地の上層部を吹き飛ばした。


古代兵器の一種である『ジグリード・ハウル』の側には、『コミュニティ』の構成員の一人である、トゥという男の焼死体が発見されている。


それを聞いた時は、血の気が引いたものだ。


だが後日の調査で、『ジグリード・ハウル』か自身の魔法の暴発か、死因が別にあることがわかった。


まだ、人を危めたことはない。


このラフは、『悪魔憑き』である。


だから、人間ではないと自分に言い訳することはできる。


けど、そういうのはもうやめる。


ここでユファレートが負ければ、ルーアも敗れる。


ティアもキュイもパナもドーラもユリマも、殺される。


そして、シーパルも助からない。


命を奪うことを自覚して、ラフを倒す。


それくらいの覚悟がなければ、どこかに消えたハウザードは止められない気がした。


「……ヴァイン・レイ!」


光の奔流が、ラフの上半身を消し飛ばした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


半数を倒したところで、すでに敵は混乱していた。


散発的に矢が放たれるが、狙いを外していることが多い。


テラントは、ロンを敵の中に躍り込ませた。

光の剣を兵士の体に振り下ろす。


また、矢が飛んできた。

今までになく鋭い。


他の兵士と交戦中とはいえ、テラントがかわしきれないほどの勢いである。

テラントの額を、切り裂いた。


「……ちっ!」


兵士にも、ごく稀に、武器の扱いがかなり巧みな者が混ざっていることがある。


左右から飛び掛かってきた兵士を、斬り飛ばす。


垂れ流れた血が、眼の中に入ってきた。


頭部への衝撃に、軽く目眩を感じる。


ロンが、猛烈な勢いで駆け出した。


血で汚れた視界の中にいる兵士は、先程矢を放った者だろうか。


弓ごと、その体を叩き割っていた。


ロンが、また駆け出す。

テラントは、葦毛の馬体に身を委ねた。

移動と回避はロンに任せる。


テラントは、敵を殺すことだけに集中していた。

あと、負傷した右腕を吊したトンスと、兵士が五人か。


散を乱し逃げ惑う兵士を、ロンが追いかけ回す。


背中に、光の剣を叩き込む。

地面に、血が染み込んだ。


兵士の体が、テラントの頭上よりも高く撥ね上がった。


こいつらを生かしておいては、またルシタに危害を加えようとするだろう。

一人残らず殺し尽くせ。


背中を向けて逃げ出したトンスを守ろうとしていた兵士も、斬り倒した。


夜。胸が悪くなりそうな血臭が充満している。


兵士は、全員倒した。

トンスだけが、飛行の魔法で逃げている。


ロンが、風のように駆ける。

見る間に、その距離は詰まっていった。


逃げきれないと悟ったか、トンスが飛行の魔法を解除する。


振り向き様に無数の光の弾丸を放つが、その時にはすでにテラントは、ロンから飛び降りていた。


なにも乗せていない馬を全力で駆けさせると、とにかく速い。


回避しにくい魔法も、ロンはかわしていた。


着地に、腰まで痺れる。

目眩に、足が縺れる。

それでも、テラントはトンスに接近していた。


強張った表情をしながら、トンスが左手を向ける。


だが直後には、テラントの光の剣により掌を斬り裂かれていた。


悲鳴を上げて、腰を抜かすトンス。


額の血を拭いながら、テラントは光の剣を突き付けた。


「まっ……待ってくれ!」


引き攣った金切り声に、テラントは溜息をついた。


「おいおい……。ここまできて、命乞いなんてするんじゃねえぞ。萎えるわ」


生かしておくつもりはない。

この男は、『コミュニティ』の構成員だった。

改心するとは思えない。

組織の命令があれば、また誰かを傷付け殺すだろう。


それがまた、テラントの周囲の人々なのかもしれないのだ。


光の剣を振り上げた。

貧弱な身体能力である魔法使いのトンスには、かわすことのできない距離。


「妻と娘がいるんだ!」


トンスの叫び。


嘘だろうと思いつつも、テラントは腕を止めた。

ほんの、一時だけだ。


「娘の誕生日は?」


「…………え?」


戸惑うトンス。

その眼が泳いだ。


「……に、二月二十二日だ!」


「そりゃてめえの誕生日だろ」


『ゴミ捨て場』改めエスから買い取った資料には、トンスの誕生日まで記載されていた。


同じ数字が並ぶ日だったので、たまたま覚えていたのだ。


「嘘が下手な奴で良かったよ」


テラントは光の剣を振り下ろし、トンスの頭蓋を叩き割った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


『影』は、それほど強固なものではない。


魔力を篭めた剣ならば、斬ることも受けることもできる。


ルーアの手に負えないほど、速い訳でもない。


しかし、その自在な攻撃が厄介だった。


形としては、ルーアが押してダンテが後退していた。


『影』を斬り裂きつつ、距離を詰めていく。


魔法は、無闇に使わなかった。

ダンテも魔法を使える。

それに備えなければならない。


死角に、『影』が回り込んでいるのを感じた。

身を翻し剣で払う。


頭部の傷の痛みに、意識が傾ぐのを感じた。


見逃さず、ダンテが『影』を拡げる。


無数の針となって打ち出された。


「ルーン・シールド!」


後退しながら、魔力障壁を発生させて受け止める。


ダンテが上げた掌の先に、光が点った


「フォトン・ブレイザー!」


光線が、魔力障壁を叩く。


「ぐっ!」


弾き飛ばされた。

足の裏で地面を擦りながら、バランスを取る。


距離が開き、また対峙。


何度か繰り返されていることだった。


(うっぜ……)


とにかく、様々な攻撃を仕掛けてくる『影』の対応が面倒だった。


魔法で吹き散らそうにも、躊躇いが生まれる。


ダンテも魔法使いである。

魔法の撃ち終わりを狙われては、かなり危険だった。


なんとか接近しても、『影』と魔法を併用した攻撃に押し返される。


『影』が蠢いた。

無数に分かれ鞭のようにしなり、ルーアの足下を叩いていく。


横に走り避けた。


『影』は、執拗に足下を狙ってくる。


ルーアは、剣で払いながら前に進んだ。


(セオリー通りなら、そろそろ……)


『影』が、槍のように鋭く尖る。


来た。


足下ばかり集中的に攻撃し、意識をそちらに向かせてからの、上体への一撃。

だが、今度は読み切った。


身を低くしながら、ルーアは剣で『影』の槍を受け流した。

空いている手を、地面に付く。


「グランド・ジャベリン!」


大地が隆起し、いくつかの錐となってダンテを襲う。


『影』が塊となって受け止めダンテを守るが、よろけるのをルーアは見ていた。


(……チャンス!)


大地の錐と『影』を回り込み、走り出す。


ダンテが、腕を振った。

衝撃波が大地の錐を破壊し、砕けた破片がルーアに向かってくる。


腕で眼を隠しながら、ルーアは後退した。


破片が体を打つが、騒ぐほどの痛みはない。


またダンテがよろめくのを見て、ルーアはにやりとした。


「ざまあねえな。てめえの能力で、てめえの足下が見えなくなるなんてな」


大地の錐がかすめたのだろう。

ダンテの左の腿に、血が滲んでいた。


ダンテが、ルーアを見つめてくる。

意外と、冷静な眼差しだった。


「……ストラーム・レイルの弟子か。なるほど、手強い。だが、すまんな」


と、上空を見上げる。


「すでに、決着はついたも同然だ」


ダンテからは注意を外さず、ルーアも空を仰いだ。


「……!」


星がない。

こちらが気付かないうちに、空を『影』が薄く覆っていたようだ。


周囲で、『影』が渦巻いている気配もする。

そして、迫ってきていた。


「ルーン・シールド!」


『影』に圧迫するような攻撃性は感じられなかったが、黙って押し包まれる訳にもいかない。


頭部を負傷した状態で、正確に瞬間移動の魔法を制御できる自信はなかった。


魔力障壁を張り、力尽くで突破する。そのつもりだった。


だが、魔力障壁が砕かれる。

外からだけではなく、内と外両方の圧力により。


先程、耐刃ジャケットに突き立った『影』の針が、魔力障壁に突き刺さったのだ。


『影』が、覆いかぶさってくる。


「影は闇だ、ルーアよ。いや……」


ダンテの声が、聞こえてきた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「くだらねえな……」


ダンテの『影』に捕らわれた、ということなのだろう。


闇の中で、率直にルーアは呟いた。


ティアから事前に聞かされていた、病院での出来事。


医者や看護師、患者たちが、外傷もなく倒れ錯乱していたという。


ダンテの仕業だというのは、ほぼ間違いないだろう。


外傷がないのならば、内側を攻撃された。

心を攻められた。

例えば、なにか幻覚でも見せられたのではないか。


そう当たりを付けていたが、余りにも予想通りだった。


闇の中で、何人もの人々が現れては死んでいく。

知っている顔もあった。


頭部が破壊され、脳がはみ出す。

裂けた腹部からはらわたが零れ、地表に落ちる。


累々と並ぶ屍。


酸鼻極まりないが、ルーアの心はほとんど動かなかった。


全身が痛む。

体中の毛穴という毛穴に、針でも突き刺さっているのではないかという痛み方だが、それにも動じなかった。


(これは幻覚だろ……)


眼球がない女性が、顔の全ての穴から血を流しながら抱き着いてくるが、冷徹にルーアは払いのけた。


幻覚を、甘くは見ていない。

幻覚で、人の心を壊すことは可能だろう。

殺すこともできるかもしれない。


打ち勝つには、意思を強く持つことだ。


一般の医者や看護師には難しいことかもしれない。


しかしルーアは、これ以上の地獄を見たことがある。


これ以上の痛みを、苛烈な訓練の中で味わってきた。


「ダンテ・タクトロス」


闇と死者に埋もれながら、ルーアは呼び掛けた。


「こんなんで、俺を壊せると思ってんのか?」


『俺は、お前の闇を知っている、ルーア』


ダンテの声が、どこからともなく響いた。


『……いや、レヴィスト・ヴィールよ』


「……!?」


狼狽するのを、ルーアは感じた。


それは、ルーアの元々の名前。

知っている人間は、ごく少数に限られているはず。


不意に闇と死者の群れが消え失せ、ルーアは狭い部屋の中に突っ立っていた。


なにもない部屋。

出入り口の木製の扉以外は、文字通りなにもない。

窓も照明も、家具もなにもない。


淡く光を放つ、灰色の床と壁と天井が、ただ繋がっている。


「ここは……俺が……」


レヴィスト・ヴィールが、幼少期の大半を過ごした部屋。


なにもない部屋だが、人はいた。

灰色の壁に腕組みをしてもたれた、病的に痩せ細った赤毛の女。


口元には、薄い笑み。


そして、こちらに背を向けている、筋骨逞しく髪を刈り上げた男。


なにかに跨がり、拳を叩き付けている。

殴打されているのは、誰だ。


男の陰から、赤いものが見えた。

あれは、髪の毛か血か。


毎日、死すれすれの任務を熟していた彼らは、精神に異常をきたしていた。


そして、たまにこの部屋に来ては、こうして。


「……やめ……ろよ、おい……」


ふらりと、ルーアは一歩進んでいた。


ダンテに割られた頭が、鈍く痛む。


扉が、激しく音を立て開かれる。

その音を、ルーアは覚えていた。


二メートル近くある大男が、灰色の部屋に入ってくる。


(ああ、そうか……)


これは、あの日か。

ルーアが、初めてストラーム・レイルと出会った日。


ストラーム・レイルに、救われた日。


男も女も、さすがに歴戦だった。

咄嗟に戦闘態勢をとる。


だが、次の瞬間にはストラームの剣が閃き、二人を斬り伏せていた。


「……あ……れ……?」


また、ルーアはよろけた。


鋼のように鍛え上げられた肉体。

それでいて、しなやかさも感じさせる太い手足。


ストラーム・レイルだった。

それなのに。


「ストラーム……じゃ……ない……?」


若過ぎる。


当時のストラームは五十代後半で、頭髪の半分は白く染まっていた。


だがこのストラームは、肌の張りからしても、三十前というところだろう。


髪は黒々としていて長く、腰の辺りまであった。


ストラームは、ここまで髪を長く伸ばしたことはない。


「……なんだ?」


わからない。

頭が痛い。


(こいつは……)


「ザ……!」


その名前を、呼び掛けた。

そこで、いきなり視界が弾け飛んだ。


激しい頭痛に、眼を覆うように額を押さえる。


熱い。

灼熱の空気に、肌が痛む。

ルーアの体から、急速に水分を奪っていく。

口内に舌が張り付き、喉や肺が絞られたように引き攣る。


眼を開くと、外に放り出されていた。


知っている。

この地獄の光景は、知っている。


灼熱の空気。

破壊し尽くされた街並み。

充満する破壊の魔力。


魔導災害により壊滅した、リーザイ王国王都ミジュアの、第九地区。


その爆心地に、彼はいた。

彼だけが、生き延びた。


長い赤毛の少年が、肩を震わせそこに座り込んでいた。


抱きしめているのは、壊れた少女。


壊れた『ティア』。


少年が叫び声を上げる。


「ダンテ・タクトロス!」


同時に、ルーアも叫び声を上げていた。


「ざけた真似してんじゃねえ! 出てこい!」


背後で、なにかが動く気配がした。

剣を強く握り締め、振り向く。


「……助けて……」


女がいた。

自分の能力を制御できずに、両腕も首も、顎先まで肌が焼け爛れた女が。


「……シー……ナ……」


ルーアは、愕然としていた。

構えた剣の先が、冗談のように震えている。


また、気配がした。

また、背後。


振り返った先に、剣を振り上げた男がいた。

癖のある髪を長く伸ばした、巨漢。


剣を振り下ろす。


飛びのいたルーアのいた空間を、唸りを上げて斬り裂いていった。


「ランディ……!」


踏み出してくる。

斬撃。

両手に持った剣で、受け止めた。

背中まで痺れが伝わる。


ルーアを弾き飛ばし、だがランディは追撃をかけられなかった。

剣を構えたルーアに。


(ああ、そうだよな……)


急速に、平静を取り戻していく。

自分で自分が滑稽になるまでに、動揺していた。


ランディが踏み込む。


最初の斬撃を受け流し、次の斬撃をルーアはかい潜った。


剣を跳ね上げ、無精髭が生えたランディの顎を叩き割る。


『なっ……!?』


伝わってくる、ダンテの動揺。


ルーアは、シーナへと突進した。


「……助けて……」


呟き。


「……ごめん」


ルーアも呟いて、シーナの肩から腰までを斬り裂いた。


『なんだと……!?』


「……なにを驚いてんだか」


思い出す感触。

掌の痛み。


「トラウマ突けば、俺が戦えなくなると思ったか? だとしたら、あいにくだな」


言いながら、ルーアはダンテの姿を捜した。

周囲に見えるのは、闇のみ。

死者の群れも、灰色の部屋も、男や女も、ストラームも、赤毛の少年や『ティア』も、ランディやシーナの姿もない。


「ランディは、最強だ……」


動揺していたルーアが、その剣をかわせるはずがない。


「ストラームは、あんなに若くなかった……」


不完全過ぎるのだ、ダンテが見せる幻覚は。


「そんなもんで、俺を壊せると思うな……」


頭痛は、消えていた。


ダンテの姿は見当たらない。

声も聞こえない。


(ったく……つまんねえ罪悪感なんて持つんじゃなかったな……)


倒し、奪い、罪をなすりつける予定だった。


それに、少なからず罪悪感を覚えた。


いくら相手が『コミュニティ』の構成員とはいえ、あんまりではないかと。


つまらないことを考えたものだ。


こいつは敵だ。

敵に容赦するな。


(……どこだ、ダンテ・タクトロス!)


闇の中を捜し、そしてルーアは、ふと闇の一点を見つめた。


姿は見えない。

声も聞こえない。

だが、この先にダンテがいる。


根拠も脈絡もなく、いることがわかった。


腕を上げる。


「ヴァイン・レイ!」


最大出力で放った光の奔流が、闇を吹き散らし、『影』に穴を空けた。


荒れ狂う光にダンテの姿は見えないが、確かにいる。


展開する魔力障壁の波動を感じた。


周囲の『影』が、音もなく崩れていく。


どうやら、ドーム状に拡がってルーアを閉じ込めていたようだ。


仰向けに倒れた、ダンテがいる。


足の負傷の影響もあるのだろう。

もがいているが、なかなか立ち上がれないようだ。


ゆっくり、一歩一歩ルーアは近付いていった。


(頭を、カチ割られてて良かったな……)


お陰で、昇り過ぎた余分な血は、怒りと共に流れ出てくれる。


キレることもなく、冷静でいられる。


もがくダンテの姿を見ても、冷静に。


冷静に。


「……いつまでもチンタラ寝てんじゃねえよ、チンカスが!」


喉が裂けるほどに、ルーアは声を張り上げていた。


「ぶっ殺してやるから、とっとと立ち上がれぇ!」


ダンテの姿に、掌を重ねる。


もう、我慢の限界だった。


これ以上、待ってはいられない。


「……ヴァル・エクスプロード!」


魔力の残量を考えず、ルーアはまた最大出力で魔法を放っていた。


大火球が、ようやく立ち上がったダンテの前で、壁のように収束した『影』を吹き飛ばし、張り巡らせた魔力障壁に亀裂を走らせる。


防御全ては破壊しきれないか。


ならば、もう一度。


「ヴァル・エクスプロード!」


再度放った最大出力の大火球が、破裂して大地を激震させる。


今度こそ、『影』も魔力障壁も砕いていた。

ダンテが、後方に転がる。


「くっ……!」


大魔法を最大出力で連発した影響で、魔力が枯渇している。

膝が震える。


ダンテが、立ち上がろうとしていた。


チャンスだ。

今行くしかないだろ。


膝を殴り付けて自分を叱咤し、ルーアは走り出した。


破裂した大火球の影響で、炎と熱波が渦を巻いている。


これしき。

あの地獄に比べれば、水風呂に入っているかのようなものだ。


破壊の魔力の中を駆け抜けた。

迫る、立ち上がったダンテの姿。


収束する『影』。

それを、魔力を篭めたルーアの剣が、斬り裂いていく。


だが、途中で止められた。

『影』の一部分が、鉄塊のように凝固している。


ルーアは剣を捨てて、頭を低くして『影』の下に潜り込んだ。

見上げるダンテの顔。


残った魔力を、全て集めろ。

それを、こいつに叩き込んでやれ。


動きを読まれていたか、ダンテの掌がルーアの顔に向く。

光が集っていく。


口が動いた。


「フォトン……」


ダンテの方が早い。

ルーアには、大魔法を連発した影響がまだ残っている。


だからなんだ。


決まった魔法の形なんて、いらない。

距離計算も、制御も考えるな。

ダンテを殺すために余分な手順は、全てすっ飛ばせ。


ただ、魔力を破壊の力に。

ただ、魔力を武器に。


掌にかき集められた魔力が、炎と化し膨張する。


炎が、真っ先に思い浮かんだ破壊のイメージだった。


炎が、剣の形に収束する。


剣が、真っ先に思い浮かんだ武器のイメージだった。


「ブレイ……」


ダンテが、光線を放とうとする。

その前に、ルーアは炎の剣を振り上げた。


ダンテの体を剣が斬り裂き、炎が焼き尽くしていく。


倒れ込みそうになった。


まだだ。


ダンテは『悪魔憑き』だ。

もっと攻撃を叩き込め。


もう、剣も魔力も残っていない。

拳を、握り固めた。


手を痛める可能性も、炎が燃え移る危険性も無視して、ダンテの顔の中心に、ルーアは全力で拳を打ち込んだ。


もんどり打って倒れるダンテ。

それに、ルーアは飛び掛かった。

ブーツの踵を、ダンテの胸に叩き込む。


骨が砕ける感触。

それが、心臓や肺に突き刺さる感触。


足首の痛みに、ルーアは倒れ込んだ。

くじくくらいはしただろう。

拳も痛む。


近くに転がっていた自分の剣を見つけ、杖代わりにして立ち上がった。


全身を炭とされ、心臓と肺を損傷したダンテの口から、血が溢れている。


いかに生命力に満ちた『悪魔憑き』といえども、これは助からないだろう。


命を奪った。

その感慨が、急速にルーアを冷ましていった。


「……とどめ、欲しいか?」


わざわざ、必要以上に苦しめるつもりはない。


すぐに楽になりたいのなら、そうしてやる。


「……いらん、な……」


ダンテが、血を吐きながら言った。

すでに、死の色が濃い。


「……放っておいても……これは……すぐ死ぬ……」


「ああ、そうかい」


座り込みたい。

それを、ルーアはなんとか我慢した。


「なんせお前ら『悪魔憑き』は、あとどれくらいで死ぬか、俺たち普通の人間にはよくわかんねえからな」


多分に皮肉を込めて言うと、ダンテは口の端を上げた。


「……そうか……貴様は……『悪魔憑き』を否定するのだな……」


「当たり前だろうが」


ルーアは、血の混ざった唾を吐き捨てた。


「人間やめるとか、馬鹿じゃねえの」


「……だが……力を得ることができる……」


「それに、人間をやめるほどの価値はないって言ってんだよ、俺は」


剣を収める。

普段は気にならない鞘を擦る音が、妙に耳障りだった。


「俺だったら、死んでもおかしくない人体実験に身を投じるくらいなら、死ぬほど訓練を受けることを選ぶね。人並みの才能があれば、取り敢えず俺程度には成れる」


「……そうか……『悪魔憑き』を否定するか……」


「否定するさ。お前ら『コミュニティ』がすることは、なんだってな。『悪魔憑き』も『兵士』も、馬鹿なこととしか思えない」


「……そうか……否定するか……『悪魔憑き』も『兵士』も……」


と、ダンテの眼に光が宿る。


狂気的な光が。


「……その言葉……必ず後悔する日がくる……」


ダンテが、笑い出した。

気が狂れたかのように。


(……なんだ……?)


ダンテの死にかけながらの哄笑に、ルーアは心がささくれるのを感じた。

胸がざわつく。


ダンテが、顔を傾けた。


視線の先。


ラフに勝利したのか、ユファレートがいる。


魔法の明かりの下で、キュイの傷を癒していた。


疲れきって意識を失ったのか、ぐったりとしたユリマがいる。

パナが、ドーラがいる。


そして、ティアがいた。


なぜか、わからないが。

ダンテは、ティアを見て嗤っている。

それを、感じた。


(……なんだ……?)


ざわつきが止まらない。

はっきりしていることが、一つ。


今すぐ、この哄笑を止めなくては。


ダンテの顎を踏み砕くために、ルーアは痛めた足を上げかけた。


そこで、哄笑が止まる。

ダンテは、事切れていた。


「……なんだってんだ……?」


怒りを振り下ろす場所を失い、ルーアは呻いた。


「……なんだってんだ?」


もう一度呻き、足を引きずりながらみんなの元に向かう。


ティアだけが、ルーアの方へ駆け寄ろうとしていた。


(……なんであいつは、オースターを見て嗤った?)


ティアには、なにもない。

少なくとも、ダンテに嗤われなければならないことは、なにも。


(あいつは……ただ普通の女だろ……)


両親は、幼い頃に失ったらしい。

そのため、オースター孤児院で育てられた。


ユファレートと友人となり、その兄を捜すために、孤児院を飛び出した。


そして、フレンデルでルーアと出会い。


(……あの時は……驚いたな……)


余りにも、『ティア』とそっくりだったから。


死んだはずの『ティア』が、実は生きていたのかと思ってしまうくらいに。


だが、それだけ。


別に、ダンテに嗤われなければならないようなことはない。


ダンテ・タクトロス。

死んだ、ルーアが殺した、『悪魔憑き』だった男。


『悪魔憑き』を否定するのか、と言われた。


当たり前だ。


化け物になってまで得る力に、なんの価値がある。


『兵士』を否定するのか、と言われた。


当たり前だ。


あれ以上に死者を冒涜する行為はないだろう。


死体に擬似的な魂を宿らせ、兵隊として操る『コミュニティ』の秘術。


まるで、生き返ったかのように死体が動き出すのだ。


そんな連中を、肯定する気にはなれない。


また、頭痛を感じた。

額を押さえて、よろける。


ティアは、こちらに向かい続けていた。


あと少しで、触れられるほどの距離になる。


ティア・オースター。

『ティア』とそっくりな女。


死んだはずの『ティア』が、実は生きていたのではないかと思ってしまうほどに。


(……死んだはずの……『ティア』が……)


まるで。


生き返ったかのように。


動いて。


「……!」


爪で肌を突き破るほどに、ルーアは額を押さえていた手に力を込めた。


(俺は今っ……なにを考えた!?)


ティアと、なにを重ねた。


そんな訳がない。


愚かなことを考えた自分を殴り飛ばそうと、ルーアは拳を固めた。


殴れなかった。

殴り殺してしまうような気がしたのだ。


嘔吐しそうになった。


駆け寄ったティアが、ルーアの顔を覗き込む。

『ティア』と同じ顔で。


「ルーア、大丈夫? 顔色が悪いよ。早く頭の傷治さないと……」


なんでもない。大丈夫だ。

言おうとしたが、言葉を出せなかった。


代わりに、ティアの頬に触れた。


温かい。


「……え。な、なに……?」


温もりを感じる。


撫でていった。

頬を、耳を、髪を、首筋を。


「……ち、ちょっと……や……」


ティアは、体を硬直させていた。

それでも、肌は柔らかい。

少し汗ばんでいるのか、しっとりとしていた。


さらさらとしている髪が、指に絡み付く。


思い過ごしに決まっている。

間違いなく、ただの女だ。


この肌。頬。耳。髪。首筋。温もり。


拳。


「ぐっ!?」


夕方の時と同じくティアに殴り飛ばされ、ルーアは尻餅を付いた。

顎を押さえて呻く。


「……だからっ……なんでいきなり殴る!?」


「だからそれはこっちの台詞よ! なんなのよ! いきなり……手つきがやらしいのよ!」


「はぁ!? わっけわかんねえし!」


立ち上がろうとして、だがルーアは目眩を感じた。


「ちょっ……大丈夫、ルーア!?」


「大丈夫って、お前な……」


頭から血を垂れ流している人間の顔を、普通殴るか。


「大変! えと、どうしよう!? ……ユファ! ユファぁぁぁ!」


喚き立てながら、駆け戻っていく。

いつも通りの、騒々しさ。

いつも通りのティアだった。


(思い過ごし、だよな……)


ティアはティアだった。

それ以上でもそれ以下でもない。


ユファレートが、ティアに手を引かれ向かってきていた。


ラフを任せたが、新たな負傷などはないようだ。


キュイやユリマ、パナやドーラも無事なようだ。


そして、『ヒロンの霊薬』を手に入れた。


これで、シーパルを助けることができる。


この時までは、そう思っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアとユファレートに支えられるようにして、ルーアはキュイたちと合流した。


男たちが間近に現れたのは、そんな時だった。

馬に跨がった、十人の男たち。


中央に、袍を着込んだ二十代半ばの青年。


青年を囲むように、武装したラグマ王国の兵士たち。

魔法使い風の者もいる。

青年の護衛だろう。


(光を屈折させる魔法で、姿を隠していた……?)


普段ならば、ここまで近付かれる前に気付くことができる。


だが、戦闘に夢中で、尚且つ周囲に自分たちやダンテたちの破壊の魔力が充満している状況のため、男たちの魔力や気配を感知できなかった。


ラグマの軍も、ダンテたちを捜していた。


魔法の炸裂音を聞き付けてきたのだろう。


頭の隅では、魔法を使うと人を呼ぶことになると理解していたが、ダンテたちは手加減をして倒せる相手ではなかった。


「……ギャメ……執務官」


中央の男に向かってだろう、かすれた声で囁くようにキュイが言った。


(……こいつが)


ユファレートとデリフィスが、昼間に城の外で会ったという、『ヒロンの霊薬』の管理責任者、ラグマ王国執務官ジェイク・ギャメか。


その目的は、当然『ヒロンの霊薬』にあるだろう。


馬を降り、ジェイク・ギャメは進み出てきた。


「私たちもダンテ・タクトロスの行方を追っていたのですが、あなたが先に『ヒロンの霊薬』を回収してくださったのですね、キュイ副将軍」


「私は……」


ジェイク・ギャメが、ルーアたちにも視線を送る。


「民間の方々も、ラグマの王国のために、御協力ありがとうございました」


「……」


ティアとユファレートが顔色を変える。


(そういう……ことかよ……)


ラグマ政府は、『ヒロンの霊薬』は全て政府が管理するとの声明を出している。

ここはラグマ王国領土。


ダンテたちから奪った『ヒロンの霊薬』も、ラグマ政府の物となる。


そして、シーパルのために『ヒロンの霊薬』を要求しても、拒まれている。


ルーアたちが『ヒロンの霊薬』を求めて動くとは、見当がつくだろう。

当然、警戒するはずだ。


ずっと、監視されていたのかもしれない。


ユファレートとデリフィスが、昼間ジェイク・ギャメと会った時から、ずっと。


ジェイク・ギャメは、ラグマ政府にとって重要な人物だろう。


『ヒロンの霊薬』の政策の中心人物であり、執務官でもあるのだ。


大っぴらに動くならば、もっと大部隊を率いているはず。


そもそも、戦闘の場に出ることもできないだろう。


ルーアたちは、ジェイク・ギャメの掌の上だったのかもしれない。


憶測に過ぎないが、ジェイクの知性溢れる横顔を見ていると、間違いないことのような気がする。


『氷狼の棺』は、ドーラが抱えていた。

兵士が、受け取ろうとする。


一瞬、ドーラは拒否する仕草を見せるが、ルーアは視線でそれを制した。


歯向かえば、問答無用で反逆罪である。

ドーラもパナも、死罪となる。


『氷狼の棺』が、兵士へ受け渡される。


ジェイクが、蓋を開き中身を確認し始めた。


「……九十九本しかないようですが」


眼を細めて、パナが抱えるユリマと、地面に転がる空の瓶を交互に見つめる。


「ダンテ・タクトロスでしょう」


咄嗟に言いながら、ルーアは全力で脳を回転させていた。


このままでは、シーパルを助けることができない。


「……なるほど、ダンテ・タクトロスが」


ジェイクが頷く。


「人質の少女が重病だとは、聞いています。山へ逃げ込むまでは、必要でしょうからね」


「……あるいは、変色しかけていたのかもしれません」


『ヒロンの霊薬』は、熱や湿気に弱い。


エメラルドグリーンをしているが、熱に当てるとこれが赤味を差してくる。


赤黒くなると、薬の効能は完全に失われるのだった。


「悪党にも、慈悲の心が残っていた、ということかもしれませんね」


ジェイクが、そう言った。


ルーアの嘘に気付きながらも、話を合わせている。

そんな気がした。


だとしたら、ルーアたちを害するつもりはないということか。


ジェイクが、手綱を引いた。


「待ってください!」


このまま行かせる訳にはいかない。


シーパルの命が懸かっているのだ。


『ヒロンの霊薬』を自分たちの物としなくては。


だが、どうやって。


(……手が、思い浮かばねえ……)


戦闘で疲れきった思考では、アイデアが浮かばない。

頭痛が、また酷くなってきた。


「……なんでしょうか?」


静かに、ジェイクが問う。


なにも、思い付かない。


「……一本だけでいい。『ヒロンの霊薬』を、私たちに譲ってください」


「できません」


迷うことなく、ジェイクは拒否する。


「そちらの方にはすでに言いましたが……」


と、ユファレートを一瞥した。


ルーアは、奥歯を噛み締めた。


「ですが……」


「現在、『メスティニ病』で苦しむ患者は、一万人を超えています。このままでは、七千人は助からないでしょう。政府が所持している『ヒロンの霊薬』は、五千本ほど。まだ、まったく足りません」


「わかっています。ですが……!」


「患者のほとんどは、子供です。彼らの未来のために、この『ヒロンの霊薬』は使わせて貰いますよ」


「……どうしても、譲っていただく気にはなりませんか」


「無論です」


「……ルーア!」


ティアの制止を無視して、ルーアは剣の柄に手をやった。


ジェイクの護衛たちが、身構える。


シーパルを助けるためには、やるしかない。


それも、倒すだけでは駄目だ。


今のルーアたちが、ラグマ軍よりも迅速に移動することはできないだろう。


倒すだけでは、他の部隊に連絡が行き、先回りされる。


確実に息の根を止めて、口を封じなければ。


相手は十人。


ルーアには、もう戦う力は残っていない。


それでも、譲れない。


ティアやユファレートに戦わせる訳にはいかなかった。


『コミュニティ』の構成員を相手にすることとは違う。


ジェイクもその護衛も、ただ国家のために、忠実に働いているだけなのだ。


いきなり、護衛の一人が飛び出した。


腰の剣を鞘ごと外し、足下に置く。


そのまま、膝と手を地面につけた。


「諦めてください!」


「なっ……」


切羽詰まった男の声に、ルーアは気圧されるのを感じた。


「この者には……」


落ち着いた声音で、ジェイクが口を挟む。


「十歳になる一人娘がいますが、『メスティニ病』を患っています」


「……」


「『メスティニ病』患者には、『ヒロンの霊薬』を投与される順番が定められていましてね。……ああ、順番がどうやって決まるかは、言えませんが。この者の娘の順番は、五千六十一。この『ヒロンの霊薬』を私たちが無事持ち帰れば、投与されることになるでしょう。ですが……」


男の呻きが聞こえた。


「もし一本でも奪われるような失態を犯せば、順番は飛ばされることになるでしょうね」


淡々と言うジェイクの言葉に、ぐらりと視界が傾くのをルーアは感じていた。


「……だから……なんだよ。……こっちだってな……仲間の命が……懸かってんだ。……譲る訳には……」


「存じております!」


男の叫び。


なにかに躓いたように、ルーアはよろけた。


「あなたたちの事情は、存じております! 仲間を想う気持ちも、痛いほどわかります! ですが、どうか……諦めてください! お願いします! どうか……」


唇を噛むと、血の味がした。


なにを迷っているのだ。

シーパルを助けると、決めたはずだ。


だったら、この男の想いを踏みにじり、ジェイクたちを殺し、奪え。『ヒロンの霊薬』を。


お願いします、とまた小さく聞こえた。

男の手の甲と指の間に、涙が落ちる。


「……っ!」


シーパルを助ける。

そのために、この男の想いも涙も、踏みにじればいい。


握り締めた拳が、震えた。


(……でき……ない……)


ルーアは、夜空を仰いだ。


(悪ぃ、シーパル……)


「……御理解いただいたようで、なによりです」


ジェイク自らが、男の手を取り立ち上がらせる。


全て、ジェイクの計算ずくだったのではないか。


ジェイクの言葉に勝ち誇った響きはないが、ルーアはそう思った。


よろけてしまう。


支えてくれたのは、全身を血で染めたキュイだった。


「……ギャメ執務官」


「……なんでしょうか、キュイ副将軍?」


「私の指示があればこそです」


「?」


「この者たちに指示を出したのは、私です。私の指示があったからこそ、ダンテ一味を討伐し、『ヒロンの霊薬』を回収することができた」


「……それは、大変な手柄ですね」


キュイは、ルーアたちの前に出た。


「手柄と、認めていただけるのですね?」


「当然でしょう。もっとも、決めるのは私ではなく王ですが」


「それでは、褒美として私の望みを聞いていただきたい。王に、口添えしていただけませんでしょうか?」


「……いいでしょう。『ヒロンの霊薬』を望む、ということ以外でしたら」


ジェイクの口調には、キュイの心情を探るような響きがあった。


キュイの後ろ姿に、ルーアは嫌な予感がした。


「妻と、両親の命だけは御容赦願いたい」


(まさか……)


キュイが言おうとすることを察して、ルーアは青冷めた。


ジェイクも、同様である。


「待て、キュイ副将軍!」


「『ヒロンの霊薬』を使用したのは、ダンテ・タクトロスではありません。この、私です」


誰もが絶句した。


ルーアは眼をつぶって、髪を掻き上げた。


なぜ、気付かなかったのだ。


キュイという男にとって、国を裏切るという行為が、どれだけ重たいことか。


ユリマを救うという理由で、なんとか自分を説得していたのだろう。


ダンテに罪をなすりつけるなど、キュイの性格からしてできるはずがない。


反逆罪は、親族にまで累が及ぶ。

ルシタや両親を守るために、手柄を主張したのか。


自分だけで、罪を償うために。

ユリマの代わりに、『メスティニ病』で死ぬことになる子供の命を、背負うために。


「……滅多なことを言うものではありませんよ、キュイ副将軍」


なんとか、という感じで、ジェイクが声を搾り出す。


「……今のは、聞かなかったことにしましょう」


「ジェイク」


呼び方を、キュイが変えた。

この二人は、旧くからの友人であるはずだった。


「頼む。これ以上私に、国を裏切らせないでくれ」


「……お前は馬鹿だ、キュイ」


ジェイクは、なにかを体内から捨てるかのように、深く溜息を付いた。


「……反逆罪である。キュイを、捕らえよ」


ジェイクの指示で、彼の護衛たちがキュイを囲む。


(……なんで)


頭が痛む。


(なんで納得しねえんだよ……。ダンテに罪をなすりつける、それでいいじゃねえか……)


国への忠誠が、それほどまでに重要なのか。

自分の命よりも。


「……ルーアさん」


縄を打たれても、キュイは抵抗する様子は見せなかった。


「私はもう、力にはなれませんが、シーパルさんのこと、諦めないでください。あなたが諦めたら、みんなの心が折れる。そんな気がします」


「……」


こんな時に、なにを言っているのだ。

他人の心配をしている場合か。

残されるルシタは、どうするのだ。


「馬鹿じゃねえの……」


なんて不器用な男なのだ。


堂々と連行されていくキュイに、ルーアは呟いた。

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