ロデンゼラーの郊外、南西門を通り山中へ至る道の途上に、キュイの館はある。


キュイにとっては、ユリマ以上に、妻であるルシタの存在は大きいだろう。


ユリマに続いて、ダンテたちがルシタに手出しをしてくるかもしれない。


様子を見に行った。


館は、静かだった。

日は沈み、辺りは暗い。


キュイの愛馬のロンが、馬小屋に繋がれている。


他の者を外で待たせ、テラントは館へと入っていった。


すぐに、ルシタが出迎えに現れる。


声を聞き付けたのか、キュイも奥から姿を見せた。


テラントは、胸を撫で下ろした。


「……二人とも無事か」


「将軍……」


キュイは、剛直さを窺わせる硬い表情をしていた。


「ユリマが攫われたとの連絡がありました。まことでありましょうか?」


「事実だ」


「そうですか……」


キュイは唇を噛み、拳を震わせた。


「私には、待機命令が出ました。部下も、しばし預けることになりました……」


「ま、安心しろ。ユリマは俺たちが助けるからよ。お前は、ルシタと家を守ることを考えてろ」


「……敵の首領は、ダンテ・タクトロスという者らしいですね」


「そうだ」


「『氷狼の棺』を持っていた、との報告を受けています」


「……」


キュイが、真っ直ぐにテラントの顔を見つめてくる。


「将軍、まさか……」


「キュイ、なにも気付かなかったことにしてくれ。一日だけでいい」


「なりません……! それは……」


「……キュイ」


融通の利かない男だ。

昔からそうだった。


「私は、ラグマ王国副将軍として……」


「邪魔はするなよ。立ち塞がる者は、誰であろうと叩き潰す。それが、お前であってもだ」


テラントは、キュイに背中を向けた。


呻き声だけが、聞こえてきた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


テラントが出ていった後も、キュイは動くことができなかった。


ルシタが気遣い声を掛けてきても、まともな返事ができない。


どうすればいいのか。


待機命令が下された。


そして、自分は軍人であるはずだった。


軍人として、ラグマ王国に忠誠を誓った。


だから、動く訳にはいかない。

ユリマが拉致され、危機に陥っていてもだ。


命令には従う。

疑問は差し挟まない。

それが、軍人としてあるべき姿なはず。


それで本当にいいのか。


ユリマから、両親を奪った。

この上、ユリマを見捨てるのか。


テラントたちは、ダンテ・タクトロスを追跡しているようだ。


ユリマを助け、『ヒロンの霊薬』を奪い、友人とユリマの命も救おうというのだろう。


その意図に、気付いた。


そして、『ヒロンの霊薬』の私用は、ラグマ王国では許されてはいない。


軍人ならば、止めなければならないのではないか。

なぜ止めなかった。


期待していないか。

ユリマの病を、癒してくれると。


そのために、テラントや彼の仲間たちが、犯罪者になろうとしているというのに。


軍人であるはずだった。

だが、感情としてはどうなのか。


ユリマを、救いたくはないのか。

テラント・エセンツと、共に戦いたくはないのか。


『ヒロンの霊薬』の私用は、国を裏切る行為だった。


反逆罪であり、累は親族にまで及ぶ。


自分だけでなく、ルシタも、義理の両親も、死罪となる。


そして、『メスティニ病』に苦しむ子供を、死なせることになる。


どうすればいいのか。


部下たちが、状況の報告に度々現れる。


ダンテ・タクトロスの一味は、ゆっくりとだが着実に、南西の山へと近付いていた。


何度か軍が接触しているようだが、全て突破されている。


自分が部下を率いれば、きっと止められる。


だがそれは、明確な軍令違反。

自分だけでなく、部下たちにも処罰が与えられる。


ロデンゼラー南西部守備隊の総指揮官に、指揮権は奪われていた。


部下たちは、現在の配置から動くなと命令されてから、ずっと放置されているようだ。


そして、部下たちの誰もが、キュイの受けた待機命令に納得していないだろう。


どうすればいいのか。


(私は、どうすれば……)


「あなた」


今まで側で見守っていてくれたルシタが、口を開いた。


「あなたは、なぜ軍人になろうと思ったのですか?」


「私が、軍人になった理由……?」


「あなたにとって、軍人とはなんですか?」


「私は……」


暮らしていた村が、盗賊団に襲われた。

キュイが、まだ只の村人だった時だ。


王都から軍隊が出動し、村に駐留することになった。


村人の誰もが、それを歓迎しなかった。


以前同じようなことがあり、その時は村の若い娘たちが乱暴をされたのだ。


抗議した村長を含め、何人かは殺された。


みんな、そのことを覚えていた。


だが、その男が率いていた部隊は、以前村に来た部隊とは全く違った。


規律は整っていて、村人に一切乱暴を働かない。


村人を安心させるためか、村を出歩く時は、兵士たちは集団にならなかった。


将も兵も、穏やかに村人と接する。


盗賊団が攻めてきた。

あっという間に、軍によって打ち砕かれる。


それを、キュイは呆気に取られて眺めていた。


任務を終えた部隊が、王都に帰還する。


感謝の品などは、受け取ろうとしなかった。


礼の言葉だけを、ただ穏やかに聞いていた。


その部隊を率いていた将軍の名前は、テラント・エセンツという。


「……私は、きっとテラント・エセンツのようになりたった」


だが、テラントはあっさりと将軍の地位を捨て、軍を離れた。


軍人としての誇りよりも、国家への忠誠よりも、もっと大切なものがあったからだろう。


「私は、あの人のように……弱き者を……武器を持たぬ者を……守れる男になりたかった……」


今、ユリマを見捨てようとしている。


それが、求めていた軍人としての姿なのか。


だが、ユリマを救えば、ルシタや義理の両親を死なせることになる。


「あなたのしたいように、されていいんですよ」


ルシタは、きっとキュイの苦悩に気付いていた。

そういう女だ。


決して出過ぎた真似はせず、優しく心を包んでくれる。


「……私の決断一つが、お前や、義父や義母の命を奪うかもしれないのだぞ?」


「軍人に嫁ぐことを決めた日から、覚悟はできています。父や、母も」


「そうか……」


キュイは、ルシタを軽く抱き寄せた。


「お前は、本当に……私には過ぎた妻だ……」


すぐに、ルシタを離す。


やはり、失えない。だが。


「少し、用事ができた」


「はい」


薄暗い屋内で、ルシタの瞳が揺れて見えた。


「行ってくる」


「いってらっしゃい、あなた……」


外は、暗かった。

だが、自分の家の周りくらい、石ころが転がる位置まで把握している。


馬小屋へ向かった。

ロンの鼻先を撫でる。


王から与えられた馬だった。

初めて見た時は、体が震えた。

これ以上の馬に、生涯出会うことはないだろうと思った。


跨がると、心が少年の時のように躍る。

そして、生に執着してしまうだろう。


だから、もう乗ることはできない。


報告のためだろう、また部下がやって来た。


外へ出ていたキュイに、少し驚いたようだ。


下馬した部下の肩を、キュイは叩いた。


「すまんが、馬を借りる。私の馬は、痛めた蹄が癒えたばかりなのに、今朝駆けさせ過ぎた」


「はっ!」


「部隊の元へ向かう。お前は、徒歩となるが」


「走ります。私は、先月まで歩兵でした」


「そうか。すまんな」


馬に、鞭を入れた。

軍営までは、一駆けである。


到着すると、キュイはすぐに部将を集めた。


「この地を、守れ。これは、私からの最後の命令だ」


何人か、顔色を変えた。


「キュイ副将軍、私たちも、お供致します」


「ならぬ。お前たちは、軍人だ。それを肝に命じよ。軍人は、民のためにあれ。今朝のマナ族の進攻で、怯えている民もいるだろう。彼らのためにも、ここを守護するのだ」


「副将軍……」


「私は、お前たちに上手く接することができていなかったと思う。そういうことが、下手でな。他の部隊よりも、必要以上に厳しい訓練を課した。付いてこれない者は、打ちもした。それでも、お前たちは誰一人、性根を曲げなかった」


妻に恵まれた。

そして、部下にも恵まれた。

心から、そう思う。


「私のような者に、よくこれまで付いてきてくれた。お前たちは、他のどの部隊の、どの兵にも劣らん。これから先、どの部隊に配属されようと、胸を張れ」


一礼して、キュイは馬に跨がった。

副将軍、と何人かが口にする。


キュイは、馬を駆けさせた。


これでいい。

手塩にかけた部下たちだ。

軍令違反など、させる訳にはいかない。


ダンテ・タクトロスたちの居場所は、これまでの報告で、大体見当が付いている。


かなり先を行かれている。

おまけに夜道だが、問題はない。

必ず追い付いてみせる。


この辺りは、何度も行軍に使っているのだ。


自分の守備地域の地形くらい、覚え込んでいる。


ユリマ。

あの幼い少女から、両親を奪った。


せめて、その罪滅ぼしくらいはしなければ。


それでも、助けられないのかもしれない。


ユリマ。テラントの友人のシーパル・ヨゥロ。『メスティニ病』に侵された、子供たち。

誰か二人は、必ず死ぬのかもしれない。

それでも、やれるだけやる。


罪を、テラントたちに負わせるつもりはない。

それは、この身が受ければいい。


賭けをしよう。

ルシタと、義父と義母の命も掛かった賭けを。

負ける訳にはいかない賭けだ。


馬に、また鞭を入れた。

夜道を、キュイは疾駆した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


目指したアジトは、すでにラグマの軍に制圧されていた。


脱出ルートである水路も、封鎖されている。

そして、争った様子はなかった。


やはり、ダンテ・タクトロスたちは南西の山へ向かっているのだろうか。


自分で選択したことだが、デリフィスは落胆した。


このところ、大詰めになると、いつも蚊帳の外になっているような気がする。


今更引き返しても、全てが終わった後だろう。


デリフィスは溜息をついて、地図に眼を落とし、足を動かした。


ロデンゼラー西地区に、気になる場所があった。


別に今向かう必要はない。

後日でも構わないはず。


それでも、どうしても気になった。


テラントやルーアたちは、今頃必死でダンテ・タクトロスを追跡しているのだろう。


それに比べると、実に楽をしている。


(……シーナは、俺が斬るべきだった)


ふと、そう思った。


ヤンリの村、灰色の結界のようなものに閉じ込められた時のことだ。


シーナと、二人きりになった時間があった。


他人を傷付けることを恐れるシーナに、殺してくれと頼まれた。


だがデリフィスは、断った。

まだ、可能性があるのではないかと思えたからだ。


そして告げた。

誰かを死なせてしまう前に、斬ってやると。


結果的に、シーナを斬ったのはルーアだった。


デリフィスといえば、無駄にズィニア・スティマを追っただけだった。


ルーアは、今でも気に病んでいるだろう。


デリフィスが斬っていれば、どうだったか。


きっと、ほとんど引きずることはなかった。


ルーアの心の負担も、ずっと軽いものになっていただろう。


アスハレムでは、小役人のような男と、言い争いをして終わった。


今は、戦闘とは無関係な場所をうろついている。


デリフィスは、足を止めた。


進む夜道に、浮浪者のような出で立ちの男が佇んでいる。


ような、というのは、ただの浮浪者とは思えないような雰囲気が男にあったからである。


つい、デリフィスが立ち止まってしまうほどに。


ただ、危険は全く感じられない。


「……どうも。デリフィス・デュラムさんですね?」


「……何者だ?」


誰何すると、男は笑った。

汚い歯だ、とデリフィスは思った。


「テラント・エセンツの旦那には、よくしてもらってますよ。情報屋でさあ。みんなには、『ゴミ捨て場』なんて呼ばれてますね」


「そうか、お前が」


テラントが所持していた、ロデンゼラーに潜む『コミュニティ』のメンバーについての、正確な資料。


それを売ったのが、この『ゴミ捨て場』という情報屋だった。


「……俺に、なにか用か?」


「いやぁ……用ってほどでもないですけど。この先に、なにがあるかご存知ですかい?」


「ああ」


もう、入り口はすぐそこである。

墓地が、あるのだった。


テラントと初めて出会ったのは、戦場だった。

一騎打ちをしたのだ。

その決着は、まだついていない。


再会は、そこの墓地にある、テラントの妻マリィ・エセンツの墓前だった。


テラントは、そこで涙を流していたのだ。


「……なにもありませんよ」


「わかっている」


なにもないのだ。


それでもなぜか、行ってみようという気になった。


「用は、それだけか?」


「……ええ、まあ、そうですねえ……」


ならば、ここで会話を続ける意味はない。


デリフィスは、歩き出した。

だが、なにかが引っ掛かり、『ゴミ捨て場』の横を通り過ぎるところで、また足を止めた。


「……お前は、誰だ?」


「誰って……だから、言ったでしょう? 『ゴミ捨て場』という……」


「いや、そうではない……」


遮り、デリフィスは『ゴミ捨て場』を見つめた。


この男の雰囲気を、知っている。

姿形は全く異なる。

話し方も、声も。


だが、あの男の姿が頭に浮かんだ。


「……エスか?」


『ゴミ捨て場』が、眼を見開いた。

口許だけで笑う。


引き攣っているようにも見えた。


「……台無しだよ、デリフィス・デュラム」


表情が変わった。

声も、話し方も。


「自覚したまえ。君たちは、『コミュニティ』に注目されている。無論、私も。私たちの接触は、『コミュニティ』に更なる警戒を与えるのだと」


次いで、姿形も変わっていった。

浮浪者の格好をしていた男が霞み、白い頭髪、白い肌、白い衣服、年齢がよくわからない中性的な顔へと変貌する。


闇の中に浮かび上がる、白い姿。


「……やはりお前か、エス」


「陰から君たちに協力してきたつもりだが、まったく……」


「それは、気が利かなくてすまなかったな」


「この会話も、遅かれ早かれクロイツに聞かれるだろう」


「クロイツ?」


聞いたことがある名だった。


誰の口から聞いたか。


ズィニアだったか。


「『コミュニティ』の、頭脳とも言うべき存在だよ。覚えておくといい」


白いエスの姿は、闇を拒絶するようでもある。


「それにしても、君は面白いな」


お前にだけは言われたくない、思ったが、口にはしなかった。


思考しただけで、エスには悟られているかもしれない。


「つまらない男だと、言われることが多いがな」


「それは、君のことをきちんと理解できない愚か者の言い分だな」


「つまらない男だと、自分でも思っている」


「テラント・エセンツは、『ゴミ捨て場』が私だと、見抜けなかった。ルーアも、見抜くことはできないだろう。それどころか、クロイツやストラーム・レイルも」


エスが、眼の奥を光らせた。


「なぜ、君はわかった?」


「さあな。わからん」


正直に、デリフィスは言った。


「強いて理由を上げるならば……」


「上げるならば?」


「……勘だろう。それだけだ」


エスが、肩まで揺さ振り笑った。


「勘か……。愉快だな。同時に、ひどく不愉快だ。そんな身も蓋も無い理由で、見破るとは」


「そんなことよりも、聞きたいことがある」


「シーパル・ヨゥロを救いたければ、『ヒロンの霊薬』を得ることだ。この近辺にある『ヒロンの霊薬』は、二箇所に集められている。すなわち、ロデンゼラーの王宮と、ダンテ・タクトロスの元だな。王宮の『ヒロンの霊薬』を入手することは、君たちには不可能だろう」


「そうか」


「君たちは、すでに正しい選択をしている。もっとも、君はダンテ・タクトロスとの戦闘には参加できないだろうが」


「わかっている」


舌打ちして、デリフィスは歩を進めようとした。


「待ちたまえ。もう少し、私と会話をしようではないか」


「……会話?」


「君は、実に興味深い」


「……」


「この先にあるのは、墓地だ。なぜ、君は向かおうと思った?」


「……さあな。なんとなくだ」


墓地には、テラントの妻の墓がある。


「以前、ヤンリの村で、私と疑問の共有をしたことを覚えているかね?」


「……」


「なぜ、マリィ・エセンツは殺害されなければならなかったか。そもそも、マリィ・エセンツを殺害したのは、本当にズィニア・スティマだったのか」


「そういえば、そんなことを話したな。すまんな。正直忘れていた」


「ふむ」


エスが、顎に手を当てた。


疑問を持った状態で、テラントやズィニアを見てくれ。


確か、そんな要請を受けたのだった。


「改めて問おう。君は、あの一件について、どう思う? 感じたままに、勘で答えてもらって構わない」


「……」


テラント。ズィニア。


そして、マリィ・エセンツ。

テラントの妻。

そして、ズィニア・スティマに殺された女。


「鍵を握るのは、マリィ・エセンツだろう」


言うと同時に、墓地へ向かおうとしていた理由も、わかった気がした。


「それは、私が考えたことと同じだよ」


エスの笑みが、深くなる。


「だが彼女のデータは書き換えられていた。クロイツと、他ならぬ彼女自身の手によって。そのため、真実に至るまでに、大変な時間を要した」


「何者なのだ、マリィ・エセンツとは?」


「君が出した答えは、私が出した答えと同一である。だが、決定的に異なる部分もあるな」


デリフィスの質問には答えず、エスはそう続けた。


「私は、考えに考え抜き、その結論に達した。君は? ろくな情報もなく、理由も筋道も式もなく、一瞬の閃きだけで答えを導き出した。そういう者を、世間一般でどう呼ばれているか、知っているかね?」


「……」


「天才、だよ」


「やめてくれ」


即座に言って、デリフィスは顔をしかめた。


「当てずっぽうで言ってみただけだ。たまたま、それがお前の結論と同じだっただけ。そんなことで、天才呼ばわりされたくはない」


「もしかしたら君こそが、化け物を殺す存在なのかもしれんな。いや、少し違うか……」


「……」


訳がわからないことを言い出す。


これは、知能が違い過ぎるからだろう。


頭の作りが違うから、会話が噛み合わないことが往々にある。


「もう、いいか?」


会話に苦痛を感じるようになってきて、デリフィスはそう言った。


深く考えての行動ではないのだ。

マリィ・エセンツが眠る墓を、ちょっと見てみようと思っただけのこと。


夜の墓地。

薄気味悪いのかもしれないが、デリフィスには気にならなかった。


昔から、闇を怖いと感じたことはない。


そして。


「ほう……」


エスの呟き。

その前から、デリフィスは気付いていた。


肌がざわつく。


道の反対から、向かってくる者がいた。


小柄な体躯に、長い両腕。

ズィニア・スティマ。


なんのためか、土木工事で使われるようなスコップを担いでいた。


デリフィスたちに気付いていないことはないだろうが、そのまま向かってくる。


デリフィスは、剣の柄に手をやった。


ズィニアが、立ち止まった。

墓地の入り口の前で、デリフィスと向かい合っている格好である。


すでに、互いの間合いに入っていた。


ズィニアが、スコップを路面に突き立てた。


持ち手の部分に掌と顎を載せ、もたれる。


舐められているのか、絶対的な自信があるのか、無防備だった。


「……デリフィス・デュラム。それと、直接会うのは初めてか。エス、リーザイの亡霊。こんなとこでなにやってんだか」


「その疑問、そのまま返そうか。ズィニア・スティマ、最悪の殺し屋よ。こんな所に、なにをしにきた?」


「ダンテたちに邪魔者扱いされててな。やることがないんだよ。だから、暇潰しさ」


「暇潰しか」


「そう、暇潰しに、墓を暴こうと思ってな。マリィ・エセンツの墓を」


とんでもないことを言い出す。

だが、不思議とデリフィスは驚かなかった。


どこかで予感していたのかもしれない。

ここで、誰かと出会うことを。


エスの方が、ズィニアの言葉には反応していた。


「罰当たりなことを言い出すものだな」


「……罰当たり、なのかねえ?」


スコップにより体重をかけたのか、金属が軋む音がする。


「なあ、マリィ・エセンツの墓の下には、なにがあるんだと思う?」


「……それは、棺だろう」


「じゃあ、棺の中身は、なんだ?」


「……」


「……黙して答えずか、リーザイの亡霊よ。まあいいさ。嘘も冗談も嫌い、なんだよな? だったら、その沈黙は答えみたいなもんだ」


ズィニアは、スコップを担ぎ直した。


「答えがわかっちまった。まあ、手間は省けたが、また暇にはなったな」


立ち去ろうとしている。

それに気付いた時、デリフィスは一歩踏み出していた。


「やるか、デリフィス・デュラム。まあ、仲間の仇だからな、俺は。ダンテとの約束があるが、そっちが望むなら相手してやるぞ」


シーパルがまだ生きていることを、ズィニアは知らないのか。


「お前を、斬ることはできない」


「へえ……」


意外そうな表情。


「お前を斬るのは、別の者の役割だからだ」


「はっ!」


ズィニアが笑う。


「……テラント・エセンツか」


デリフィスは、頷いた。


「……あいつは、マリィ・エセンツにとって、なんだったんだろうな。最愛の夫? それとも……」


「それとも……?」


「……ただ、利用されていただけ?」


ズィニアが、スコップから手を離した。


けたたましい音を立て、路面に転がる。


「そろそろはっきりさせようか。あの男に、餌としての価値があるか否か」


凶悪な面構え。

思わず剣を抜きたくなるような笑み。


「また、前みたいに伝言を頼まれてくれねえか? テラント・エセンツに」


「……なにを?」


「そろそろ、決着をつけよう。日時も、場所も、そっちで決めていい。こっちは、俺一人。そっちは、まあ何人でもいいさ。俺は、一対一を望んでいるがな」


「……」


「決まったら、適当に情報屋にでも伝えてくれればいい。それで、俺にも伝わる。そいつは……」


と、エスを見る。


「都合の悪い情報は、捩曲げちまうからな」


「……」


エスは、沈黙。


都合が悪いというのか。

テラントとズィニアが果たし合うことが。


テラントが負けるとでも、思っているのか。


「伝言、頼まれてくれるか?」


「いいだろう」


デリフィスは、鷹揚に頷いた。


ズィニアの、満足気な表情。

そして、ゆっくりと夜道に消えていった。


「……本気で、テラント・エセンツとズィニア・スティマを戦わせるつもりかね?」


ズィニアが去った後、エスが呟くように聞いてきた。


「当然だ」


「テラント・エセンツは、敗れた。圧倒的なまでの実力の差を見せ付けられて。あれから四ヶ月。ズィニア・スティマが衰えたとも、テラント・エセンツが特別な成長を遂げたとも、私には思えん」


「……だから?」


「……彼を、死なせるつもりかね?」


「……お前が心配しなくとも、テラントは勝つ」


デリフィスが断言すると、エスの姿が揺らいだような気がした。


「……なぜ、そこまで確信を持てるのかね?」


「……さあな。だが、強いて言うのならば」


風が吹いてきた。

ラグマ王国の夏も、終わろうとしている。


「……勘だろう」


やることがなくなってしまった。

シーパルの側にでもいてやるか。

デリフィスは、踵を返した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


空には薄く雲が立ち込め、合間から微かな星明かりが差し込む。


夜の闇は、逃亡するダンテたちにとっては味方だった。


そして、『悪魔憑き』としての能力。


ダンテの『影』は、ある程度まで引き伸ばせる。


夜に身を隠すには、うってつけだった。


ラフの『眼球』は、周囲の探索に向いている。


それでラグマ軍の陣を避け、包囲の薄いところを探って進んだ。


戦闘が避けられない場面では、『影』に隠した兵士たちが、不意打ちの役割を果たす。


ロデンゼラー南西にある山々までは、まだまだ遠い。


警戒しながらの移動は、亀の歩みよりも遅く感じられる。


焦れるところではあるが、ダンテはなんとか気を鎮めていた。


闇が晴れる前までには、山に到着するはずだ。


最も警戒するべきは、キュイとその部隊だろう。


手は、二重に打ってあった。


ロデンゼラー南西部の総指揮官のことは、知っている。


キュイと同じ副将軍だが、狭量である。

判断力もない。


キュイの知人の娘ユリマを人質にしていることを、兵士を送り込み伝えた。


思惑通り、キュイは動きを封じられたようだ。


念のために、トンスにキュイを見張らせている。


キュイは、部隊を率いてダンテのことを追おうとするかもしれない。


部下に軍令違反を犯させないために、単騎で追ってくる可能性もある。


個人の武勇も、キュイは優れていた。


だから、ダンテを追うように動いたら、トンスにキュイの妻ルシタを襲い、館に火を点けるよう指示を出してあった。


キュイは、追跡どころではなくなるだろう。


トンスには、兵士十七人を付けていた。


苛酷な任務だった。


任務を遂行すれば、キュイの部隊に殲滅される危険性が高い。


キュイが動かずとも、朝になれば他のラグマ軍に見つかるだろう。


捨て駒に限りなく近い。


トンスは、何度も失態を重ねてきたのだ。


この辺りで、少しは役に立ってもらう。


地力はあるのだ。

生き延びる可能性も、零ではない。


ダンテの側にいるのは、ラフと兵士が十五人。


それくらいなら、『影』で隠せる。


捕らえたユリマは、『サット症候群』という奇病だった。


手足はほとんど動かせないようだ。


血を吐いていたのは発作らしいが、それは薬を飲ませると治まった。


山に逃げ込むまでは、生きてもらわなくてはならない。


発作が治まったユリマは、最初は泣きじゃくっていたが、今はおとなしくしている。


というよりも、抵抗する気力もないようだ。


ダンテの『影』に抱えられ、じっとしている。


銀髪で肌が白い少女だった。


生きることを諦めているような眼だ。


ユリマを見て、ダンテはそう思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


闇の中を、押し黙ってルーアたちは進んだ。

息遣いだけが聞こえる。


魔法で明かりを作ることもできない。


ラグマの軍に見つかるのも、まずい状況だった。


彼らに出くわすことなく、着実に山へ近付いているダンテ・タクトロスに追いつかねばならない。


苦労しながら、移動の痕跡を捜す。


そこここに戦闘の跡があり、ラグマの兵士が調査していた。


息が詰まるような追跡が続く。


追い付けないのではないか。

ルーアは、不安を覚えた。

全員が、そうだろう。


足跡を、テラントが発見した。


「……多分、ダンテたちのだな。十五から二十。大分前のものだと思う」


「急がねえとな……」


「そうだ。急ぐのだ」


「……!?」


いきなり耳元、というか、もう耳の中から聞こえてきたのではないかというほど間近からの声に、ルーアは悲鳴を上げかけた。


ここで下手に騒げば、ラグマ軍に聞こえてしまう。


ティアやユファレートが、しゃっくりのような声を出す。


ルーアの苦労もお構いなしに、パナがはっきりと悲鳴を上げる。


ドーラも、パナの口を塞ぎつつ身構えていた。


「パナさん、静かに……! エス! お前なあ……!」


以前と同じく、唐突に背後にエスが現れていた。


暗い原野に、等身大の蝋燭のように突っ立っている。


「あまりにもいきなり過ぎるだろ……! いい加減心臓止まるわ……!」


大声を出す訳にはいかないので、感情をたっぷり込めて、ルーアは言った。


「いきなり、か。君たちにとってはそうかもしれんが、私はずっと君たちに協力していたつもりだ」


「……あん?」


エスが、すっとテラントの膨らんだ脇腹を指す。


「テラント・エセンツ。君が取り引きした『ゴミ捨て場』は、私だ」


テラントの懐には、『ゴミ捨て場』という情報屋から買い取った、『コミュニティ』の構成員についての資料がある。


「……あー……あー、はいはい……なるほど……道理で……正確過ぎるとは思っていたが……」


もそもそと口を動かし、呻く。

テラントも隠せないほど動揺していた。


「そこまで小声にならなくてもいい。あと十分七秒の間、この周囲七百五十六メートル四方には、ラグマの兵士は立ち寄らない。彼らに聞かれはしない」


多分、聞かれることを警戒して小声になったのではない。


ルーアは腰に手を当てて、溜息をついた。


「パナさんドーラさん、安心してください。石を投げたくなるくらい怪しいけど、こいつは概ね味方です……」


パナは腰を抜かしかけたらしく、ドーラがそれを支えている。


「……んで、エス」


「なにかね?」


「今までこそこそしていたお前が、なんでいきなり現れた?」


「私は、見張られている。だから姿を変えていたが、デリフィス・デュラムに見破られてしまった。『コミュニティ』にも、近いうちに知られるだろう。もう、姿を変える意味はない」


エスは、自分の胸を撫でるような仕草をした。


「シーパル・ヨゥロを失うことは、好ましい事態とは言えない。だから全力で、君たちの支援をしよう。ただし、今の一時だけ」


「ん?」


「ラグマ国王ベルフ・ガーラック・ラグマに、協力すると約束した。君たちに協力するということは、彼に対する裏切り行為にもなる。いささか心苦しい。だから、一時だけだ」


「……」


心苦しい、という言葉に引っ掛かりを覚えた。


だが、一々追及している場合ではない。


「まず、ダンテ・タクトロスだが……」


エスが、眼を閉じた。

数秒して、腕を上げる。


「……この方角に、君たちが普段歩く速度で進みたまえ。それで、ラグマ軍に見つかることなく、本日の二十一時四分にダンテ・タクトロスと遭遇することができる」


ルーアは、エスが示す方向を見遣った。


山の頂きから、少しずれた位置を指している。


「もう一つ。君たちにとって、ラグマ王国副将軍キュイの妻、ルシタの死亡は敗北かね?」


「……ルシタさんの死亡だと?」


「彼女は現在、ダンテ・タクトロスの部下トンスと兵士十七人に、見張られている」


「……キュイがいるだろ」


テラントが言った。


「少し時間を稼ぐだけでいい。近くにはあいつの部下だっているんだからな」


「だが、キュイは館を出たようだ」


「なんで……!?」


「君たちに協力するため。そして、ユリマという少女を救うためだよ、ルーア」


「そうか……」


小さく、テラントが呟く。


「いや、けど、まずいだろ……」


ルーアは、意味もなく腕を振った。


「今すぐ、キュイさんに館に戻るように伝えてくれ!」


「だが、私は彼と面識がない。果たして私の言葉を信じてくれるだろうか?」


「……!」


言われて絶句する。


とにかく、エスの外見は怪しい。

ルシタが関わることだから、それでもキュイは信じるかもしれない。

信じないかもしれない。


「ついでに言えば、リーザイ政府に無断で、私はベルフ・ガーラック・ラグマに協力している」


エスは、リーザイ王国に仕える存在のはずだった。


ラグマ王国に勝手に協力することは、様々な不都合が発生することでもあるのだろう。


「ベルフ・ガーラック・ラグマは、話のわかる賢明な男だが、それでも可能な限り、ラグマ政府の関係者と接触したくない」


願望ではなく、キュイとの接触を拒否する意志を向けてくる。


「……いい。俺が戻る」


苛立ち混じりに、テラントが言った。


「……いいのか?」


「ここはラグマ王国だ。俺が一番、道に詳しい。お前らは、ダンテ・タクトロスを潰せ。ユリマを助けて、『ヒロンの霊薬』を奪え。いいな?」


「ああ」


ルーアたちが頷く前に、テラントが駆け出す。


ラグマの軍に見つかる恐れもあるが、元々この国の将軍位にあった。

ごまかしは効くかもしれない。


「それでは、健闘を祈るよ」


エスが、音もなく消え失せる。

それでまた、パナが悲鳴を上げる。


「……まあ、あれだ。なんか色々疲れたけど……行こう」


ルーアとティアとユファレート。

それに、パナとドーラ。

五人で歩き出す。


慌てて進む必要はない。

普段歩く速度で、とエスが言ったのだ。


「……それにしてもさ、やっぱあんたたちって、変だよね」


『たち』はつけないで欲しい。

パナの台詞に顔をしかめ、ルーアは進んだ。

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