プロローグ5

右手には、『蟲の女王』。

左手には、『インビジブル』。


『蟲の女王』の剣身から、紫色の光が消えた。


『インビジブル』の透明になっていた剣身に、薄黄色い光が戻る。

次いで、銀色に映る普通の剣身となった。


『蟲の女王』と『インビジブル』、この二種類の小剣の形状をした魔法道具が、ズィニアの武器だった。


『相変わらずの手並みだ、ズィニア・スティマ』


耳に響く、クロイツの声。


『最早、敵なしというところかな?』


「……ンなことねえよ」


『ふむ……』


廃屋の中に、ズィニアは一人だった。


床には、七つの遺体が転がっている。

今回の、標的だった男たち。


五人は、扱う武器はそれぞれだったが、かなりの使い手だった。


あとの二人は、並の魔法使いというところか。


七人を殺害するのに、五秒も要していない。

一人一秒と掛からない。


しかし、神経が擦り減ったのを、ズィニアは感じていた。


五人の使い手ではなく、二人の並の魔法使いにである。


それくらい、魔法とは特別で強力な力だった。


『『拒絶の銀』という名称の魔法道具を、発掘した』


「『拒絶の銀』?」


『形状は小剣。その刃で斬り付けた魔法と、魔法に準ずる力を、消失させることができる。限度はあるがね』


「……いいね」


『まさに、君のための魔法道具だと、私は思ったよ。まだ調整段階だが、いずれ、君に譲ろう』


「そりゃありがたい。いや、マジで」


『蟲の女王』も『インビジブル』も、クロイツに与えられた物だった。


それに、『拒絶の銀』とやらが追加される。


三種類の魔法道具、小剣を扱うことになるのか。


ただし、腕は二本しかない。

敵と状況によって、使い分ける必要性が出てくるだろう。


『さて、依頼だが』


「またかよ!?」


事もなげに言うクロイツに、ズィニアは顔をしかめた。


「たった今、一仕事を終えたばかりだぞ」


人使いが荒いのはいつものことだが、これは普段よりもさらに酷い。


『次の依頼、と言うよりも、最優先の依頼だな。他の依頼を進めていても、それを中断して、この依頼に取り掛かってもらっていただろう』


「……その、依頼ってぇのは?」


『マリアベルが見付かった』


「……ぅおい」


『彼女を捕らえて欲しい。できれば殺さず、そして絶対に、その肉体を傷付けることのないよう……』


「……待てって、クロイツさんよぉ」


一方的に進む話を、ズィニアは遮った。


「俺が、魔法使いを苦手にしてるの、知ってるだろ。しかも標的は、『魔女』マリアベルときた」


『世間では、『聖女』と呼ばれているらしいがね』


「ンなことはどうでもいい。相手は『魔女』。しかも、生け捕りときた。俺を、『最悪の殺し屋』って呼んだのは、あんただぞ。生け捕りなんて苦手なことを、苦手な相手にしろと?」


『……だが君以外に、マリアベルに対抗できる者はいない』


「いくらでもいるだろうがよ……」


ズィニアは呻いた。


自分と同等に近い実力、あるいはそれ以上の戦闘能力の持ち主たちの顔が、次々と浮かぶ。


「てか、あんたが行けばいいだろ。あんたなら、マリアベルを捕らえることも簡単にできるはずだ」


『私は、エスに見張られている。大きくは動けん』


ズィニアは舌打ちした。


「……じゃあ、ソフィア」


『彼女は、リーザイに潜伏中だ。側近たちと共にな』


「……ザイアム」


『彼が、私の依頼をまともに聞いてくれるとは思えないね』


「ザイアムの弟子の……」


『彼は、ザイアムに心酔している。師が断ることを、受けてはくれないだろう』


「ハウザード……は無理か」


ハウザードとマリアベルは、言わば同じ存在だった。


『うむ。二人をぶつけたらなにが起こるか、この私でも予測はつかない』


「えーっと……あんたの懐刀の……」


『ヨゥロ族に当ててある』


「……そうだ、あいつらがいるじゃねえか! 『百人部隊』の隊長と副隊長! あの二人なら……」


『マリアベルの相手は、少し荷が重いだろう。それに『百人部隊』は、ドラウ・パーターに備えなければならない』


「……ちくしょう」


『君しかいないのだよ、ズィニア』


「……失敗しても、ケチは付けるなよ」


『仮に失敗しても、文句は言うまい。ハウザードがよく育ってくれた。マリアベルの存在意義は、薄れつつある』


「じゃあ、ほっとけばいいじゃねえか」


『それでも、是非とも押さえておきたい存在だ。そうだろう、ズィニア?』


「ちっ」


ズィニアは舌打ちした。


同意した、とクロイツは見做しただろう。


「……マリアベルの居場所は?」


『地図を送る』


クロイツの言葉と共に、脳に小さな刺激を感じた。

画が、頭に浮かんでいく。


ラグマ王国の地図。王都ロデンゼラーの地図。街の郊外の風景。白く真新しい、二階建ての家。家の見取り図。女の姿。


淡い金髪の女だった。


清楚な雰囲気なのに、背筋をぞくりとさせるような色香も漂わせている。


「マリアベル……」


『現在は、テラント・エセンツの妻として、生活を送っている。マリィ・エセンツと名乗っているな』


「……テラント・エセンツって、誰だっけ? 聞いたことあるような、ないような……」


『ラグマ王国切っての将軍だよ。『若き常勝将軍』などと呼ばれている』


「魔法は?」


『使えない』


「じゃあ、どうでもいいや」


ズィニアは乱暴に、頬についた返り血を拭った。


「期限は?」


『一刻も早く。我々に居所を掴まれたことを、近日中に彼女は察知するだろう。そうなれば、又ぞろ姿をくらましてしまう』


「だな」


『頼むよ、ズィニア』


「へいへい……」


そして、クロイツの通信が切れた。


「『魔女』マリアベル、か……」


廃屋の中、孤独に呟く。


強力な魔法使い。

それでも、戦って殺せる可能性はある。


それは、相手がクロイツやソフィアやザイアム、ストラーム・レイルであってもだ。


ズィニアは、最悪の殺し屋なのだから。


だが、生け捕りにしろという。

肉体に、傷一つ付けることなく。


「……ま、ミスっても文句はないんだよな」


難しい仕事になる。


『魔女』マリアベル。

彼女は言わば、ハウザードのような存在だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


あまり大人数だと、目立ち過ぎる。


包囲する前に、マリアベルに気取られてしまうだろう。


ズィニアは、特に動きのいい兵士を、十二人選抜した。


おそらくは、使い捨ての駒となる。


二人一組で動くことを、徹底して覚え込ませた。


クロイツから直接脳に送られた家の見取り図は、実際に図にしてみた。


ラグマ王国の将軍にしては、質素な住居である。


玄関、裏口、リビングの窓が二箇所、別室の窓。


一階で人が出入りできる場所は、それくらいか。


玄関以外に、二人ずつ配する。


庭には、四人置く。

これは、二階から脱出された場合を考えてのことだ。


ズィニアは、玄関から侵入する。


マリアベルは、どうするだろうか。

脱出を試みるだろうか。


全ての出入り口は、兵士が塞いでいる。


如何に『魔女』マリアベルといえど、不意を衝かれてしまっては、無音で倒すのは困難だろう。


脱出先がわかれば、そして兵士たちが一瞬でも足止めしてくれれば、追い付ける自信がズィニアにはあった。


決行の日。

小雨が降りしきる朝だった。


マリアベルの夫らしい男が、王宮への出仕のためか、家を出る。


余程腕に自信があるのか、従者もなく一人だった。


馬に跨がり去り行く後ろ姿を見送り、ズィニアは指示を出した。


兵士たちが散開し、持ち場へと向かう。


使用人などはいないはずだった。

家の中にいるのは、『魔女』マリアベルただ一人。


ズィニアは、慎重に玄関へと向かった。


急に、目眩を感じた。

寝不足のためだろうか。


これまでで、最も難しい任務となる。


緊張のためか、昨夜はなかなか寝付けなかった。


柄を触り、『インビジブル』の位置を確かめる。


『蟲の女王』は使えない。

抜くこともまずいだろう。

これは、加減することのできない、必ず殺してしまう武器だ。


『インビジブル』も、威嚇程度にしか使えないか。


傷付けることは禁じられている。

素手で取り押さえるしかない。


ズィニアは、玄関のドアノブに触れた。


また、目眩。


「……!?」


そしてズィニアは、驚愕に眼を見開いた。


クロイツから送られた映像で、家の造りは内部まで詳細に把握している。


だから、ここがどこかすぐにわかった。


(……なんだ……?)


リビングのほぼ中央。


そこに、ズィニアは突っ立っていた。


ドアノブに触れていたはずだった。


それがなぜ、リビングにいるのだ。


正面に、玄関の扉が見える。

訳がわからない。


熱かった。

見回すと、家中に火が付いている。


窓の外に、兵士が呆然と立っていた。


手に、慣れ親しんだ重量がある。


抜いた記憶などない。

それなのに、左手には『インビジブル』。

右手には、今回は抜かないと決めていた、『蟲の女王』。


『蟲の女王』の紫色の刃が、血で曇っている。

誰の血だ。


足下に、女が倒れていた。

淡い金髪の、美しい女。


マリアベル。

胸に、深い刺し傷。


死んでいる。

誰に殺された。俺か。俺が殺したのか。


(……一体、なにが……?)


玄関の扉が開け放たれて、ズィニアははっとした。


誰もいない。

だが、なにかがそこにいる。


(……なんだ?)


視えない。

獣の息遣いだけが聞こえる。


獣がいる。

眼に視えない、無色透明の獣。


獣が駆け出した。

それを感じて、ズィニアは横に跳んだ。


痛み。ほんの微かな痛み。左耳か。

透明の獣の、牙か爪が掠めたのか。


戦慄。恐慌。


跳んだ勢いのまま、ズィニアは窓から脱出していた。


留まるのはまずい。

本能が全力で、警鐘を鳴らしている。


完全に罠に掛かっていた。

そして、その罠がなにかもわからない。


大きな渦に呑まれているような気分だった。


ズィニアは逃げ出した。

兵士たちに、退却の指示を出す余裕もない。


ただひたすら駆けた。駆け続けた。


透明の獣が追い掛けてくるのではないかという恐怖に、心は支配されている。


そして、マリアベルの家が豆粒ほどにしか見えないくらいまで逃げて、ようやくズィニアは立ち止まった。

丘の袂、一本の木に寄り掛かる。


(……なにが……あった……?)


いつの間にか、リビングにいた。

いつの間にか、家に火が付いていた。

いつの間にか、小剣を抜いていた。


いつの間にか、マリアベルが死んでいた。


「……死んで……殺した? 誰が? 俺が?」


しばらく待った。

兵士たちは、誰一人としてズィニアの元に戻ってこない。


左耳に、傷。

実地で血を流したのは、初めての経験だった。


雨が、少し強くなっていた。


『蟲の女王』は、剣身を妖しく紫色に輝かせている。


雨で流されてしまったのか。


刃はもう、血で曇ってはいなかった。

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