追っ手ではなく

ティアが、昨日や今朝歩いた道とは違う。


サンは、人目のつかない通りを選んでくれているようだった。


さすがに地元の人間だけあって、地理に明るいのだろう。


サンの家に辿り着いたのは、正午の少し前だった。


年季の入った二階建てのアパートの一階。


雑木林に包まれ、日当たりが悪い。

近くには寂れた商店街がある程度で、人通りも少ない。

家賃が安価なのも納得だった。


そして、今のティアたちにとっては、いい隠れ家となる。


人目につきにくく、接近してくる者に気付きやすい。


「狭い所だけど……」


サンが、苦笑しながら鍵を開けて、ドアノブを掴む。


その手を、シーパルが押さえた。


「待ってください……」


目深に被った帽子の下で、眼つきを鋭くしている。


ティアとユファレートも、帽子で顔を隠している。


「この生臭い香りは……毒を撒かれている……? まさか、先回りされて……」


「本気で言ってる分、傷つくのよね……」


ティアは、肩を落とした。


サンが、苦笑を深くする。


「ティアが、食事を準備しようとしてくれて……」


「あ、ああ、なるほど……」


なぜ納得する。


「と、とにかく中に……」


サンを先頭に、中へと入っていく。


無駄な物がない質素な部屋。

元々、一人暮らしを前提としてサンが見つけた家である。


四人だと、かなり部屋は狭苦しかった。

そして、湿気で蒸している。


「あっつ……。ちょっと着替えるから……」


「うん」


孤児院にいた頃は、夏場や風呂上がりに、兄たちが上半身裸でうろうろしているのを何度も見ている。


今更、兄同然であるサンの着替えを見てもなんとも思わないが、一応ティアは背を向けた。


しばらく前に、ユファレートやシーパルに注意されたばかりだし。


早くも、サンが服を脱ぎ捨てる音がする。


「わ、わたしは外で待ってますね」


あまり免疫がないユファレートが、そそくさと外へ逃げ出す。


「ああっ! まだ乾いてない!」


サンの声が響く。


そういえば、今朝洗濯をしたばかりだった。


「他に服ないの?」


「全部洗ったんだよ……」


サンは、あまり服を持っていない。


バイト暮らしの身分では、贅沢はできないのだろう。


「僕が乾かしますよ」


「ああ、ありがとう。いいなぁ、魔法は便利で」


「万能ってわけじゃないですけどね」


サンとシーパルのやり取り。


風が吹く音がする。


ティアは、変装のため被っていた帽子を脱ぎ、額を拭った。


「あたしも着替えたい……お風呂入りたい……」


ティアも汗をかいていた。


ユファレートとシーパルは、冷気で体を包んで汗一つかいていないのに。


「入っていいよ」


サンの声。


「着替えがないの!」


汗で湿った服を再度着るのは、抵抗がある。


「サンも気が利かないよねー。帽子だけじゃなくて、着替えも買ってくれれば良かったのに」


「女物の服を買うとか、俺にとっては罰ゲームだ……」


風が止まった。


「こんなもんでどうでしょうか?」


「ああ、充分だ! ありがとう」


早速着込む音がする。


もう振り向いても問題ないか。

そう思った時、玄関の扉がノックされた。


「ユファ?」


部屋へ戻るのに、またノックをするだろうか。


(……追っ手?)


その可能性が頭を過ぎり、一瞬身構える。


「いいよ、ティア。俺の客だから……」


ノックの調子だけで、誰が来たかわかるらしい。


シャツを替えたサンが、珍しく厳しい表情で横を通り過ぎ、玄関を途中まで開く。


「あら……サン。仕事だと思ったけど、話し声がしたから」


声は、女性のものだった。


「……今日は、休みを貰ったんだ」


「そうなの。ああ、これつくりすぎたから、良かったら食べて」


「うん。ありがとう……」


サンが、鍋を受け取る。


会話は、どこかぎこちなかった。


恋人かとも思ったが、隙間から覗けた少しやつれた顔は、四十代に見える。


こういった印象を持つのもどうかと思うが、人生に疲れ果てているような雰囲気を感じた。


(あ、そっか……)


女性が誰か、思い当たった。


サンは、再会したと言っていた。

その後も、何度が会っていると。

この女性が、幼いサンを捨てたという母親なのだろう。


「あら、お友達かしら? こんにちは」


女性が、ティアたちの存在に気付く。


「あ……ええと」


なんと言えばいいのか。

あなたの息子の妹です、などと言えるはずもない。


「こ、こんにちは。えと、あたしたちは友達で……えと、ティアっていいます。こっちはシーパル……」


女性が微笑む。


「あらそう。わたしはエミリアといいます。ティアさん、シーパルさん。サンと仲良くしてあげてね……」


「もういいだろ!」


サンが、声を荒らげた。


「用が済んだら、もう帰ってくれ!」


鍋を置くと、エミリアを突き飛ばすような勢いで、玄関から離れさせる。


「……あれ?」


扉が大きく開き、ティアはそれに気付いた。


「ユファは?」


姿が見えない。

ティアは慌てて外へと飛び出して、辺りを見回した。

やはり、ユファレートの姿はない。


「ユファ……」


青冷めてしまうのがわかる。


「エミリアさん! ここに、髪の長い、あたしと同じ歳くらいの女の子、見ませんでした!?」


「えっ……さあ……?」


キョトンとした表情で、首を傾げるエミリア。


ティアは部屋へ駆け戻ると、シーパルの腕を掴んだ。


「どうしよう、シーパル!? ユファがいなくなっちゃった!」


「ええっ!?」


「きっと、ハウザードさんのとこ、行ったんだ……! どうしよう!?」


「ちょっと落ち着いて、ティア」


宥めるように言って、シーパル自身も深呼吸をした。


「行き先がわかっているなら、なんとでもなるでしょう。合流することだって……」


「シーパルは、ユファのことなにもわかってない! ユファが、一人で目的地に行けるわけないじゃない!」


「そ、そうなんですか?」


「筋金入りの方向音痴なの! ユファなら、道に迷ってそこの窓から入ってくるミラクルを起こしてもおかしくないわ!」


「そんなにひどいんですか……?」


「ひどいのよ!」


「ティアの料理と、どっちが……」


「うるさい!」


ティアは怒鳴って、頭を抱えた。


街を一人で出歩くユファレートを捕まえることは、至難だった。


目的地がわかっていても、どこへ向かうかわからない。


「ああ、でもさ、ティア」


サンが口を挟む。


「街には、乗り合い馬車だってある。お金さえ払えば、誰だって目的地に行けるよ」


「そっか……!」


アスハレムほどの街になれば、公共交通用の馬車は充実している。


ならば、やはりハウザードの元を目指せば、ユファレートを見つけ出せるのだろうか。


「……って、あれ……」


ふと、足下の床に落ちている物にティアは気付いた。


拾い上げる。


ユファレートの財布。


「ドジっ娘か!?」


当人に聞こえるはずもないが、ティアは思わず全力で突っ込んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


みんなには、悪いことをしたと思う。


せっかく安全そうな場所まで逃げたのに、と落胆させてしまっただろう。


心配をかけることにもなるだろう。


でも、これだけは譲れない。


ハウザードに会えるのだ。

そのためだけに、ユファレートは旅を続けてきたのだ。


多分ティアたちは、追ってくることができない。


それは、ユファレートが方向音痴だと思い込んでいるから。


どこへ捜しにいけばいいのかわからない、と困惑していることだろう。


(失礼しちゃうわよね)


べつに、方向音痴というわけではないのだ。


ちょっとだけ、地図を見るのが苦手なだけ。


ユファレートは、商店街にあった、街の地図となる案内板を見つめた。


サンに案内されている間も、道は頭に入れてきた。


方角や目印になる物を意識して歩いていた。

記憶力には、割と自信がある。


地図上の、通るべき道を眼でなぞった。


(大丈夫。覚えた)


ユファレートは頷くと、自信を持って歩き出した。


一応、警察に追われている身である。


幻影の魔法で、ちょっとした変装をしていた。


周囲の人には、ティアと同じような格好をしているように映るはずだ。


ティアのように、臍を出したりはできないが。

スカートも、膝の下までにした。


魔法使いは、他者の魔法が感知できる。


幻影の魔法を使っていたら不審がられるだろうが、その対策も抜かりない。


魔法の構成をちょっと変化させて、冷気放出の魔法と同じ波動にした。


この時期、暑さを凌ぐため、自身を冷気で包む魔法使いは珍しくもない。


欠点は、実際には冷気の魔法が発動していないこと。


ローブを着ていては、暑くて仕方ない。


なにもしていなくても汗をかく。

歩けばもっと汗をかく。


汗のかきかたを、他の魔法使いが見たら怪しむかもしれないが、冷気の魔法が苦手なら有り得ないことではない。


ルーアなどは、いくら教えても微調整ができなかった。


汗をかきながら歩くこと、数分。

見たことがある風景。


「……あれ?」


先程まで見ていた案内板の前に、ユファレートは戻っていた。


「な、なんで……?」


確認しながら進んだはずなのに。


「どこで間違えたんだろ……?」


頭の中で地図を回転させて、実際の地形に当て嵌める。


(現在地がここで、宿がこっちで……あれ? サンの家って、どこだっけ?)


段々と、混乱してきた。

変な汗が流れ出てくる。


「もしかして、道に迷ったのかな?」


声をかけてきたのは、警官の制服を着た男性だった。


普通に考えればただの警官だが、先程の襲撃の件がある。


ユファレートは、緊張した。


「さっきも、地図を見てたみたいだけど……」


ただの親切で声をかけたように思える。

下心なども感じない。


だが、今は警察にも追われている。


あまり会話を続けるのは不安だった。


「ああ、いえ、もうわかりましたから、大丈夫です。えへへ……」


愛想笑いをしながら、案内板と警官から離れる。


不審には思われていないようだ。


ユファレートは、息をついた。

心臓が高鳴っている。


普段なら、警官に道を尋ねることもできるのに。


(……そうよね)


はたと足を止める。


(道をわかる人に、聞けば……ううん、案内してもらえばいいのよ)


客を乗せて走る営業用の馬車が、こんな寂れた商店街にも何台か並んでいる。


人が良さそうな初老の男性が御者台にいる馬車を、ユファレートは選んだ。


「どちらまで?」


「『フォンロッド・テスター条約』の儀式を見たいんですけど、場所わかりますか?」


「ええ、もちろん」


「じゃあ、そこまでお願いします」


「はいはい」


馬車が動き出した。


これで、ハウザードの元へと向かえる。


ユファレートは安堵の溜息をついた。




財布がない。


その事実にユファレートが気付いたのは、目的地に到着してからだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「ああもう、ユファ! なにやってんのよ!?」


ティアは、こめかみに両手を当てて、頭を振っていた。


ユファレートが今どの辺りにいるか、付き合いが長い彼女でも、予測し切れないという。


「困りましたねえ……」


シーパルは呟いた。


今は、ティア共々警察に追われている身分である。

当てもなく捜すのは危険だった。


サンも、難しい顔で思案している。


エミリアという女性は、帰るタイミングを逸したのか、戸惑った表情でまだ玄関口にいた。


サンの対応からして、身内のような気がした。


年齢的には、母親辺りが当て嵌まりそうだ。

顔立ちも、どことなく似ている。


ただ、たしかサンはティアと同じ孤児院育ちだったはずだ。


となると、なにか複雑な事情があるのかもしれない。


どこか、知的な雰囲気のある女性である。


シーパルの持つ短槍と、ティアの腰にある小剣をちらちら見ていた。


「あのさ、シーパル……」


ティアが、深刻そうな顔をした。


「あの人が……ズィニアって人がいたんだよね? ハウザードさんと一緒に……」


「一緒かどうかはわかりませんが……。僕は、直接ハウザードという方を知りませんから……」


山中で生まれ育つヨゥロ族には、視力が良い者が多い。


シーパルも、その例に漏れなかった。


そして、あのズィニアを見間違えるはずがない。


遠距離で気付けたのは僥倖だった。


もし気付かずに行列に近付いていたら、と考えると、肌が粟立つ。


すぐに気付けたのは、以前のヤンリの村の出来事が影響しているのかもしれない。


ヨゥロ族の真髄について、聞かされた。


それから、妙に感覚が鋭敏になったような気がする。


宿の部屋に閉じこもっていても、誰がどこにいるのかわかるような気がするのだ。


気のせいかもしれないが、その感覚がなかったら、ズィニアの存在に逸早く気付けなかったのではないか。


禍禍しい気配だった。

しばらく前に出会った、ソフィアという女を思い出したものだ。


「なんでエスは、ハウザードさんを見付けることができなかったのかな……?」


ティアの疑問は、シーパルも感じていた。


儀式の参列者は、随分前から新聞等に取り上げられていた。

世間に露出しているのだ。


名前を変えていたとしても、あのエスならもっと早くに見付けられるのではないか。


「なんで、ズィニアと一緒だったんだろ……? ううん、一緒って決まったわけじゃないけど……」


ティアの疑念がなにか、シーパルもわかっていた。


「ルーアって、このところ様子おかしかったよね? なんか隠しているみたいな……」


「そうですね……」


ルーアは、『コミュニティ』と深い因縁があるようだ。


ズィニアは、『コミュニティ』のメンバー。


それが、ハウザードと一緒にいたとしたら、それはなにを意味しているのか。


「ユファは、その可能性をまったく考えてなかったみたいだけど、もしかして……」


「ティア……」


「やだ……やだな……。あたし、嫌な想像ばっかりしてる……」


「ティア、まずはユファレートを捜す方法を考えましょう」


嫌な想定をするよりも、ユファレートと合流し、安全を確保する。


まずはそれを優先するべきだろう。


シーパルは、外へと視線を送った。


短槍を持つ手に、力を込めた。


以前よりも鋭くなった感覚。

それが告げる。


(誰かが、いる……!)


そして、こちらを見張っている。


シーパルは、外へと飛び出した。

通りの左右に、複数の気配。

右が、より危険。

それを、肌で感じる。


シーパルは、通りの右へと短槍の穂先を向けた。


「そこにいるのは、誰です?」


静寂。


ティアも小剣を抜き、警戒しながら外へと出てくる。


そして。


「……やたらと勘の鋭い奴だな」


観念したのか、短い髪を逆立てた、尖った顎の男が姿を見せた。


身の熟しからして、戦闘訓練を受けているだろう。


腰のベルトに、何本もの短剣を差している。


男の背後、そして通りの左に、『コミュニティ』の兵士が四人ずつ控えていた。


「やっぱり、『コミュニティ』ですか……」


兵士は、いつもの黒装束。

それが、引っ掛かった。


シーパルが敵の立場ならば、間違いなく警官の格好をさせる。


そのせいで、シーパルたちは警察に追われることになったのだから。


今回黒装束なのは、なにか特別な理由があるのか、もっと単純に、準備が間に合わなかったのか。


「ティア、入口を守ってください。二人を頼みます」


アパートは、雑木林に包まれている。


シーパルの感覚に間違いがなければ、そこに敵はいない。


通りの右の男と兵士をシーパルが抑え、左からの敵をティアに防いでもらう。


それで、サンとエミリアを守れるはずだ。


いずれは裏へと回られるかもしれない。


その時は、陣形を変える必要もあるだろう。


「早かったですね、随分……」


いずれ、追っ手がくるのはわかっていた。


だが、変装してからここまで、ほとんど人目に付かずに移動できたのだ。


もっと時間を稼げると思っていた。


「さてと……予定が狂ったな。なんで、お前たちがここにいる?」


男が、そんなことを言った。


(……僕らの、追っ手じゃない?)


ならば、狙いはなんだ。


「まあいい。二人だけか? ならば、ついでに始末させてもらう」


男を追い抜くようにして、兵士たちが接近してくる。

通りの左からも。


「ティア!」


「わかってる!」


ティアがどこまで踏ん張れるか一抹の不安があるが、シーパルの眼前にも敵がいる。


兵士の背後で、男が動いた。

飛んできた短剣を、短槍で払い落とす。


そこまでは鋭くない。


「フレン・フィールド!」


シーパルが発生させた魔力の力場が、接近しようと迫っていた兵士たちを押し返す。


だが、それでも向かってこようと前傾姿勢となる。


シーパルは、魔力の力場を消し去った。

兵士たちがつんのめる。


「ヴォルト・アクス!」


接近戦用の電撃魔法が、特に体勢を崩していた二人を消し炭にする。


二人は、後方に避けていた。

シーパルも、それに合わせて後退する。


数秒間だが、時間を稼げたはずだ。


(ティアは……!?)


ティアの小剣が、兵士の首筋を斬り裂く。

そして、剣と槍を弾き返した。


流れるような動きだった。

出会ったばかりの頃とは、まるで別人である。


さすがに、毎日のようにテラントやデリフィスに相手をしてもらっているだけのことはある。


さすがに彼らとは比べるべくもないが、武器の扱いだけなら、もうシーパルよりもずっと上だろう。


これならば、安心してもいいかもしれない。


魔力を感じて、シーパルは意識を自分の相手に戻した。

男の掌から、電撃が放たれる。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁が、それを遮る。

電撃に、たいした威力はなかった。


男の実力不足というよりも、加減しているような印象を受ける。


理由はわからないが、都合はいい。


あまり騒ぎを大きくしたくはない。


すでに、ちらほらと様子を見にきた住民の顔が窺えるのだ。


シーパルは魔法を切り替えた。

魔力の力場が、再度兵士たちの足を止める。


それを、シーパルは光球で狙い撃った。


これで、眼前にいるのはあと一人。


ティアが投擲した短剣が、兵士の胸元に突き刺さる。


「くそっ! けっこうやるじゃねえか!」


男が歯噛みする。


あと、敵は三人。

だが、シーパルは顔色を変えた。


警察の紋章が描かれた馬車が、男の背後から向かってきている。


かなりの勢いだった。

馬蹄が路面を蹴る音と、車輪が激しく回る音が響き渡る。


警察か、警察に扮した『コミュニティ』の新手か、どちらにしても面白いことにはならない。


「うおっ!?」


轢かれかけて跳び退いたのは、男の方だった。


そのまま、アパートの前を止まり切れずに通り過ぎた馬車から、二人が飛び出してくる。


「ルーア! デリフィス!」


男たちの姿に、ティアが安堵感からか歓喜の声を上げる。


なぜ二人が警察の馬車から出てくるのかわからないが、これで勝ったも同然だった。


「やっべ!」


兵士に斬り掛かるデリフィスを尻目に、ルーアがやや興奮気味に叫ぶ。


「予想的中すぎじゃねえ!? 俺すげえ!」


「……」


まるっきり無視して、デリフィスが兵士を叩き伏せる。


その勢いに怯んでこちらへと逃亡してくる兵士を、シーパルは光球で撃ち抜いた。


「ライトニング・ボルト!」


ルーアが電撃を放つ。

喚きながらかわす男。


「くそっ! くそっ! こうなったら……!」


なにやら、複雑に手を組み合わせる。


「ディレイト・フォッグ!」


高らかに男は声を響かせ、魔法の霧を発生させる。


「これは……!」


もしかしたら、男の得手としている魔法なのかもしれない。

かなり濃く厚い。


すぐには打ち消せそうになかった。


暴風を発生させて吹き散らす方が早いか。


だがそれだと、みなを巻き込むかもしれない。


男は、どう動くか。

逃げるか、向かってくるか。


まずは防御を固めるべきだろうか。


わずかな逡巡。

おそらく、全員が少なからず迷っただろう。


アパートの方から、爆音が響いた。

次いで、女の悲鳴、男の呻き。


「リウ・デリート!」


ようやく発動した解呪の魔法に、霧が消失していく。


そして。


「サン!?」


ティアの悲痛な叫び。


「おっと……動くな……動くなよー……」


打撃でも受けたか、腹を押さえてうずくまりかけているサン。


それを支えるようにして、アパートから引きずり出している男。


サンの首筋には、短剣が押し当てられていた。


おろおろとしているエミリア。


「馬鹿か、お前?」


ルーアが、ずかずかと男とサンへ歩み寄る。


「野郎なんざ人質になるかよ」


「やめて! お願いルーア!」


懇願するティアに、ルーアは苦々しい顔で舌打ちし、足を止めた。


ルーアの言動は、もちろんはったりだろう。


人質が効かないと思い込ませれば、荷物にもなるサンを、男は解放するかもしれない。


本当に効果がないのならば、問答無用で人質ごと男を魔法で攻撃すればいい。


ティアの反応で、人質が効果的だと男は悟るだろう。


兄が危機なのだ。

ティアは責められない。


「よし……そのままだ……そのまま……」


男は、じりじりと通りの中央へと移動していく。


先程とは逆の方向から、別の馬車が猛烈な勢いで向かってきていた。


警察の馬車の横を通り過ぎ、男たちの側で停車した。


御者台にいた、がっちりとした体格の老人が叫ぶ。


「よくやった、エラン! 退くぞ!」


「わかってんよ!」


(逃げる……?)


男、エランというのか。こちらの動きを止めるためではなく、逃亡のためにサンを人質に取ったのだろうか。


なにかおかしい。


逃げるだけならば、霧を発生させた時点で可能だっただろう。


サンを人質に取るのは、エランにとってもリスクがあったはずだ。


(目的は、僕らじゃない……? リスクを冒してでも、サンを人質に取る必要があった……?)


「サン……!?」


ふらふらと、エミリアがアパートの部屋から外へと出てきた。


サンを荷台へと押し上げるエラン。

その指先に、光が点った。


「!」


敵を前にしながら、反応が遅れた。


それは、思考に意識を費やしたためだろう。


それでも、自分に向かって放たれたのならば、どうにでもなったはずだ。


エランの指先から伸びた、一条の細い光線。


それは、エミリアの腹部を貫いた。


「はっ……!?」


信じられない、という表情で、傷口に触れるエミリア。

服に、血が染み広がっていく。


「エミリアさんっ!?」


悲鳴は、ティアのものか。

エミリアが崩れるように倒れる。


「ほら、助けろよ! お前たちなら、まだ助けられるだろ!?」


嘲笑混じりに言って、馬車へと乗り込むエラン。


「野郎っ!」


走り出す馬車に、ルーアが手を向けた。


「駄目! サンが!」


「くっ!」


ティアの言う通りだった。


遠ざかっていくとはいえ、直線的。


馬車のように大きな目標物ならば、魔法を命中させるのは、それほど難しくはない。


だが、サンも巻き込むことになる。

最悪の事態も起こりえる。


「ルーア、それよりも!」


シーパルは、エミリアへと駆け寄った。


幸い、即死するような傷ではない。


急所は外れていた。

いや、外されたのだろうか。


だが、内臓を損傷しているようだ。


早目に治療をしなくては、命取りになる。


シーパルだけでは、間に合わないかもしれない。


「ルーア! 手伝ってください!」


「わかってるよ!」


ルーアが、悔しそうに逃げ去る馬車を一瞥する。


警察の馬車が、追うためか向きを変えようとしていた。


「ルーアは体力の付与を! 傷口は、僕が塞ぎます!」


これだけの重傷ならば、肉体の修復はかなり難易度が高くなる。

シーパルが受け持つべきだろう。


回復魔法にかけては、ユファレートよりも上であるという自負がある。


「デリフィス! 追うぞ! 乗れぇ!」


警察の馬車の御者台にいた、スキンヘッドの大男が、野太い声で吠える。


デリフィスが、無言で頷き馬車へと向かう。


ティアが、その背中とシーパルたちを見比べる。

シーパルは、頷いて促した。


「ティアも、追ってください」


魔法の使えないティアでは、ここにいてもあまり治療の役には立たない。


敵は、少なくとも二人以上。

老人がどれ程の腕前かわからないが、デリフィスだけでは苦しい戦いになるかもしれない。


スキンヘッドの大男はデリフィスと知り合いのようだが、どこまで信用していいかわからない。


警察からは追われる身なのだ。


デリフィスとティアが、馬車に乗り込む。


乱暴に車輪が回りだし、サンたちが乗る馬車を追い掛け始めた。

あっちは、任せるしかない。


シーパルは、さらに回復魔法の出力を上げていった。


「あんたら……一体……」


血に塗れたエミリアと、八体の兵士の死体に、近寄ってきた住民が青い顔で呻く。


「私たちは、警察の者です!」


ルーアが、鋭く言った。


嘘となるが、警察の馬車から降りるところを、住民たちの何人かは見ているはずだ。


私服でも説得力はあるのかもしれない。


「みなさん、ご自宅の中へ! 鍵を掛けて、絶対に出ないように!」


「わ、わかりました!」


疑うことなく騙されてくれたようだ。

大慌てで家へと戻る住民たち。


エミリアが、治療するシーパルの手に触れてきた。


出血のためか、体温が下がった冷たい手。


その唇を震わせるようにして、呟く。


「お願い……お願いします……。あの子を……サンを……」


「仲間が救出に向かっています! 安心してください。絶対に助け出しますから!」


「お願いします……サンは……あの方と、わたしの……」


意識がまともにあるのか。

混濁した光の瞳から、一筋の涙が流れる。


助かるはずだ。

これまでに、何人も癒してきた。

助かる時の手応えだ。


それなのに、エミリアの表情に焦燥感が募る。


シーパルは手を休めることなく、傷付いたエミリアの体に魔力を流し込んでいった。

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