兄の横顔
ここアスハレムでは、メインストリートになるのかもしれない。
馬車が十数台は並べそうな、広い通り。
その中央を儀式の行列は通っているのだろうが、野次馬の人集りに遮られ、ユファレートたちにはまったく見えなかった。
今は、儀式の行列は動いていないようだ。
ここからは、馬で移動するらしい。
野次馬の会話で、それを知った。
馬のいななきが聞こえる。
「ねえ。全っ然見えないんだけど」
ティアが不平を口にする。
「シーパル、視力いいよね? どんな感じ?」
「透視できるわけではないので……」
「んー……」
ティアが、きょろきょろと辺りを見渡す。
ユファレートも、釣られて周囲に眼をやった。
街の中央にほど近い。
大きな建物が多いが、特に眼を引くものがある。
王宮と、その周辺にいくつもある、軍事基地となる無骨で巨大な建造物。
ティアが、威圧感のある軍事基地の一つを指差した。
「ねえユファ、あの上からなら、よく見えそうじゃない?」
「見る前に、確実に捕まるけどね……」
「さっさと取り壊せばいいんだ……」
サンが、いつもよりも低い声音で呟いた。
軍事基地は、外敵に備えるためにあるのではなく、市民の反乱を鎮圧するために設置されたものだった。
築かれたのは、前王の時代。
魔王とまで呼ばれた、暴君ミド・アラエル。
圧政により、いつ市民が反乱を起こしてもおかしくない状態だったという。
「市民へ向けての軍事基地なんて、ほんとズターエ王国の恥だよ。前王の人となりをよく顕している……」
「……サン?」
普段の爽やかさからは考えられない、はっきりとした嫌悪感を込めたサンの横顔。
ティアが顔を覗き込み声をかけると、彼は苦笑した。
「なんて、アスハレムの市民になったばかりの俺が憤ることでもないか……。しかも、前王の治世の時代に生きてないのに」
歓声が上がった。
儀式の参加者が、馬上の人となったのだ。
国旗が翻る。
きらびやかな衣装が、日を照り返し眼に眩しい。
八王国すべてから要人が集結しているだけあって、壮大な行列だった。
ラグマ王国などは、大陸最大の国力を誇示するかのように、三百人は参加しているようだ。
ユファレートは、自然と母国であるドニック王国の旗を捜した。
あった。
思わず、苦笑してしまう。
小国らしく、とでも言えばいいのか、行列の端にこぢんまりとしていた。
十人ほどだろうか。
遅れて、一人が馬に跨がる。
「え……?」
すべてが、凍りついたような気がした。
時間さえも。
あれだけ野次馬で騒がしかったはずなのに、静寂の中に放り込まれたようだった。
取り落とした杖が路面に跳ねて転がる音だけが、妙に脳の中に響く。
馬に跨がった男の、その横顔。
長い黒髪。
優しくて、でも精悍な顔。
四百メートルは離れている。
(でも、わたしが見間違えるはずないよね……)
ずっと、恋い焦がれていたのだ。
夢の中でさえも。
「お兄ちゃん……」
「え?」
呆然としながら呟くと、杖を拾ってくれたティアが呟き返した。
ユファレートは、走り出しかけて、前にいた人にぶつかった。
野次馬が多過ぎる。
ユファレートは、強引に掻き分けて、前に出ようとした。
腕を、シーパルに掴まれる。
「離して……」
「駄目……です。ユファレート……」
シーパルの声はかすれていた。
「離してよ! お兄ちゃんがそこにいるの!」
「えっ……? ハウザードさんが!?」
ティアが、眼を細める。
「だから……行かないと」
「彼がいます!」
珍しいシーパルの怒鳴り声。
焦燥が伝わってくる。
「わからないんですか!? ズィニア・スティマがいる!」
ヨゥロ族特有の青白い肌。
それが、いつもよりも青冷めている。
ハウザードの隣に、確かに小柄な人影が見える。
ユファレートには、それがズィニアだと断定できなかった。
「これ以上近付くのはまずい! いえ、きっともう気付かれている! ここは危険だ……離れますよ!」
「でも、お兄ちゃんが!」
シーパルが、歯噛みをするのがわかる。
「ティア! サン! 移動します! 手伝ってください!」
「え!? え!?」
「早く! このままだとみんな殺されます!」
「う……うん。……ユファ、行こう」
「でも……!」
シーパルに、力強く引っ張られる。
ユファレートを引きずるようにして、彼は走り出した。
ティアとサンも続く。
シーパルは、とにかく人が少ない道を選んでいるようだ。
しばらく走り続け、人目のない路地裏で、ようやく息をついた。
「なあ……一体どういう……?」
事情を知らないサンが、息を切らせながら聞いてくる。
シーパルは、険しい顔を隠すように額を押さえた。
「待ってください……。僕もちょっと混乱しています。確実なのは、僕らが今、とても危険だということ」
「危険?」
「罠にかかっているも同然かもしれない」
ユファレートには、会話をしっかりと聞く余裕がなかった。
頭は、ハウザードのことで一杯になっている。
「シーパル。これからどうするの?」
ティアが聞いた。
「とりあえず、宿に戻りましょう。僕らだけでは危険だ。サン、道はわかりますか?」
土地勘のあるサンが、狭い路地裏の前後を見比べて、顔を引き攣らせた。
「これも……罠なのかな?」
挟み込むように駆け寄ってくる、十五人ほどの男たち。
みんな、緑色の制服姿だった。
ズターエ王国の、警官の制服である。
全員、武器を手にしていた。
帽子の下の顔の肌が、ぼろぼろに崩れている。
「サン、初めに言っておきますが、彼らは警官ではありません。人間ですらない」
警官ではない。
警官の格好をした、『コミュニティ』の兵士。
シーパルは、腕を振り上げた。
「ライトニング・ボール!」
光球が、兵士の体で弾ける。
「ユファレート!」
シーパルに怒鳴られ、ユファレートははっと我に返った。
今、襲われているのだ。
ハウザードのことばかり考えている場合ではない。
ティアから受け取った杖を、シーパルが光球を放った、敵が手薄な方へと向ける。
「ライトニング・ボルト!」
杖の先から電撃が伸び、兵士二人を焦がす。
「突破しますよ!」
魔法を放った方へ、シーパルが先頭になり走り出す。
背後から迫っていた兵士の剣を、ティアが小剣で受け止めた。
手首、そして顔を斬り付ける。
「フォトン・ブレイザー!」
シーパルが放った光線が、二人を貫く。
なんとかかわした兵士を、ユファレートは杖で差した。
「ル・ク・ウィスプ!」
無数の光弾が、兵士の体と路地裏の壁に穴を穿っていく。
連続の魔法に怯んだ兵士の間を、四人で駆け抜けた。
路地裏を出る。
大勢の住民たちの姿。
人々の隙間を、縫うように走っていった。
背後からは、追い掛けてくる警官姿の兵士。
「警官が殺されているぞ!」
住民から、悲鳴が上がる。
あるいは、さくらかもしれないが。
普通の人間だとは思えないほど、くぐもった声だった。
(……そういうこと)
追撃は、厳しくなかった。
あっさりと撒き、古い建物の中に身を隠す。
潰れた喫茶店というところだろう、住民の姿はない。
「これが目的ですか……やられましたね……」
シーパルが、唇を噛む。
住民たちには、警官を殺害し、逃亡した旅人たち、と映っただろう。
どの国の軍や警察にも、『コミュニティ』の手の者がいるらしい。
これで、『コミュニティ』と警察組織両方から追われることになる。
サンが、埃だらけの椅子を引いて、座り込んだ。
「えっと……どういうことなんだろう? 警官の格好をしていたけど……」
「あ……サン……えっと……」
ティアが、弁解するために口を開く。
脳を必死で回転させているのが、ユファレートにはわかった。
「えっと……説明は難しいんだけど、あの人たちは警官じゃなくて……ある組織の人たちなの」
「……組織?」
「すごく悪い組織なんだと思う。あたしも、よくわかんないんだけど……でも、これまでにも沢山の人たちが巻き込まれて犠牲になった。ヴァトムでも、ヤンリって村でも」
「……」
「あたしたちは、ずっと関わって、戦ってきたから。信じられないかもしれないけど……」
「……いや、ティアの言うことなら信じられるさ……。なにかとてつもない事情があるのも、想像はできる。でも、ちょっと気持ちを整理させてくれ……」
椅子の上で、頭を抱えるようにしている。
無理もない。
いきなり、剣を抜いた警官に追いかけ回されたのだ。
普通の生活を送っている人には、刺激が強すぎるだろう。
「シーパル、これからどうしようか?」
「そうですね、とりあえず……」
「わたしは!」
ティアとシーパルの会話に、ユファレートは割り込んだ。
「お兄ちゃんのところ、行かないと……」
「ユファ……」
「ティアも見たよね? お兄ちゃんが……」
「ご、ごめん。遠すぎて、あたしには……」
「いたの! だから、行かないと……」
「あそこには、ズィニア・スティマがいます」
冷静さを取り戻したらしいシーパルが、言った。
「だったら尚更……お兄ちゃんが危険かもしれないじゃない!」
「止めても行くと言うのなら、これ以上止めません。その代わり、僕も付き合わせてもらいますよ。ティアも、そうでしょう?」
「うん」
「……!」
「もう一度言います。あそこには、ズィニア・スティマがいます。テラントがまったく歯が立たず、あなたとデリフィスとルーア、三人掛かりで傷一つ負わせられなかった男が。意味は、わかりますよね?」
「わ……かるわよ!」
殺されてしまう。
ティアもシーパルも。
そして、その過程で周囲にいる住民たちも。
「でも! でもやっと……!」
「あなたがいたと言うのなら、ハウザードはいたのでしょう。ズィニアが近くにいるというのは危険かもしれませんが、少なくとも、今は無事なのでしょう?」
「ユファ……居場所はわかったんだから、落ち着いたら会いに行けるわよ」
シーパルとティアが、慰めるように言う。
「うん……」
ユファレートは椅子を捜して、そこに座った。
悔しくて堪らない。
今すぐにでもここを飛び出し、会いに行きたい。
その感情を抑えるので必死だった。
(でも、今は駄目……)
なにがなんでもティアたちは付いて来るだろう。
もっと時間が経過してから、一人になってから。
それにしても、ハウザードはドニック王国の旗の元にいた。
母国の宮廷魔術師くらいは全員調べたが、ハウザードの名前はなかったはずだ。
別の役職に就いているのか、名前を変えているのか。
「これからについてですが……」
「宿に戻る?」
シーパルとティアが相談を始める。
「いや、それは危険でしょう。なんと言うか、僕らは目立ちます。特に僕が……」
旅のヨゥロ族など、そうはいない。
シーパルの緑色の髪と青白い肌は、嫌でも目立つだろう。
「宿は、もう突き止められている可能性が高いです……」
「それなら、ルーアたちは……」
「彼らはみんな、僕らよりもこういった状況に慣れているでしょう。信じるしかありません」
「そうだね……」
「差し当たっては、僕らがどうするかですが……どうしましょう……?」
困り果てた表情をする。
「俺の家に来ますか?」
サンが、顔を上げた。
「なに言ってんのよ、サン!」
「そうです。これ以上巻き込むわけには……」
「今更……もう、充分過ぎるほど巻き込まれているでしょう?」
サンが、苦笑しながら立ち上がった。
「それに、みなさんと違って俺は目立たない。あの短い時間じゃ、あまり住民の記憶には残っていないはず。俺の家なら、取り敢えずは安全でしょう」
「そうかもしれませんが」
「妹も危険なのです。指をくわえて、というのは、無理な話です」
「ティア……」
シーパルが、考え込んでいるティアを見た。
サンを更に巻き込むことになる。
だが、すでに『コミュニティ』や警察にサンのことを把握されている可能性もあった。
一人にさせるのも、危険ではある。
「じゃあ……お願いしようかな……」
「ああ」
爽やかに、サンが微笑んだ。
「じゃあ、みなさん案内しますよ。……ああ、でもその前に、変装かな? みなさん目立ちすぎる」
「そうですね……」
シーパルが、申し訳なさそうな顔をする。
「なにか買ってきますよ。この日差しだ。帽子や日傘を一般市民が購入しても、なにも不自然じゃない」
「気をつけてね、サン……。なにかあったら呼んでね。すぐ行くから」
心配顔のティアの頭に、サンが手を置く。
「大丈夫だよ。雑貨屋は近くにあるし。すぐに戻るよ」
サンが、建物を出ていく。
見送るティアを、ユファレートは羨ましいと思った。
まだ、近くで兄を心配できるのだ。
頭を撫でてもらうこともできる。
ハウザードの横顔。
あと少しだったのに。
(もう少し、だよね?)
きっと、すぐに会える。
そして、甘えさせてくれる。
話したいことが、一杯あるのだ。
ハウザードの横顔をより鮮明に思い出すために、ユファレートは眼を閉じた。
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