灰色の世界

ジュノの集落は、ジンの集落から南東の方角だった。


シーパルのために書き置きを残し、全員で向かっていた。

リィルも連れている。


戦力を分ける余裕はない。

それならば、側にいてもらうのが一番安全な気がした。


敵が待ち受けているのはわかっているが、ろくに作戦を立てることもなく向かっている。


時間がない、とシーナが言ったのだ。


ティアとリィルには、ずっと手を繋がせている。


全員の体を、ユファレートが張った魔力の膜が薄く包んでいた。


これで、強制転移はおそらく防げる。


戦闘があるだろうと予想できていながら、備えているのはその程度のことだけだった。


ゴーンに、攻撃を当てられる気がしない。


ユファレートと二人掛かりで、かすりもしなかったのだ。


シーパルが加わっていたとしても、おそらく結果は変わらなかった。


ゴーンは、後回しにするしかない。

先に、他を潰す。

ゴーン自体の火力は、零に等しい。


そして、シーナ。

救うことができるのか。

シーナの力を封印できそうか、とユファレートに尋ねたが、彼女は沈痛な面持ちで首を振った。


もし、シーナがその力で誰かを、村人を傷付け殺してしまうのならば。


もし、その力で彼女の心身が、さらに傷付き苦しむことになってしまうのならば。


ルーアは、シーナの憂いを帯びた表情を思い出していた。


(……どうする……?)


最悪の事態の時、どうするべきか。

わかってはいる。

実践もできる。

それだけの力がある。

だが、気持ちを固めることは難しい。


時間が欲しい。力が欲しい。

切実に、ルーアはそう思った。


誰も彼も救うことができるだけの力が。


飛び切りの奇跡が起きるのを、待てるだけの時間が。


そして。


ジンの集落を出発して、五時間近くは経過したはずだ。

日付は、とうに変わっている。


敵は、準備万端だろう。

ジュノの集落を背後に、月明かりに照らされたゴーンがいた。


「……よう……こそ……」


相変わらずの、たどたどしい喋り方。


ルーアは、剣を抜いた。


「……お前だけか?」


「まさかぁ……」


笑いながら、次々と兵士を転移させる。


「ちょっと……」


思わず、という感じでティアが呟いた。


多い。

総勢で四、五十人はいるだろう。


「俺たちで壁になる。魔法で一掃しろ」


テラントが言って、デリフィスと前に出た。


兵士が大勢いても、なんとかなる。


リィルと手を繋いでいるティアは、思うように戦えないだろうが、テラントとデリフィスという壁に、ユファレートという大砲があるのだ。


(……シーナは?)


ルーアはそれが気になった。

兵士の中に紛れていないかと、眼を凝らす。


「ルーア! まずいわ!」


ユファレートが、悲鳴染みた声を上げた。


おそらく、兵士に隠れたゴーンを中心に、直径数百メートルはある魔法陣が展開する。


何時間もかけて作製したものだろう。


発動を阻止することはできたはずだ。


だが、兵士の多さに、ゴーンへの注意を怠ってしまった。


(……なにがくる!?)


ある程度の見当はつく。

術者はゴーンなのだ。


そして、視界が切り替わった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


(……なに、ここ?)


いつの間にか、片膝をついていた。


ユファレートは、杖を手に立ち上がった。


灰色の地面。

灰色の空。

灰色の靄に包まれた世界。

周囲には、誰もいない。


(……強制転移)


対策はしていたはずだ。

それでも、問答無用に転移させられた。


おそらく、あの巨大な魔法陣による魔力の増幅。


そして、転移先がこの灰色の世界限定で、実現できたことだろう。


魔力が充満した世界。

この魔力の性質は、ゴーンのそれだった。


あの『悪魔憑き』の力は、この灰色の世界では跳ね上がるだろう。


広大だった。

どこまでも拡がっているように感じられた。


だが、幻覚のようなものだろう。

無限に拡がる世界などない。


この世界は、人為的に創造されたもの。


有限の力しかない人に、無限の世界を生成できるわけがない。


空間を、疑似的に歪めている。

世界にたゆたう魔力で、ユファレートにはそれがわかる。


(……問題は、一人きりってことよね)


多分、みんな同じような状態だろう。


ばらばらになったこちらに対して、敵がどう仕掛けてくるか。

考えるまでもない。


早目に脱出するか、誰かと合流しなければ危険だった。


適当な方向に、衝撃波を放ってみる。


どこまでも飛んでいき、やがて見えなくなった。


手応えも、なにかに当たり反響する音もない。


足下に、同じ魔法を叩き込んだ。

灰色の地面に穴が空くが、また灰色の土が見えるだけだった。

穴も、すぐに埋まる。


(どうしよう……)


魔法しか、取り柄がない。

そして、魔法使いでなくては、突破できない状況だろう。

自分で、なんとかしなくては。


(……ルーアなら)


彼ならどうするか。

こんな所にいきなり放り込まれて、ルーアが大人しくしているはずがない。


ユファレートと同様に、魔法を放つくらいはするだろう。

その魔力を感知すれば。


眼を閉じ、意識を空間に浸透させていく。


感じるのは、灰色の世界に満ちている、ゴーンの魔力ばかり。


しばらくユファレートは待った。

焦りはある。

もう、ルーアはやられてしまったのではないか。

だが、その思いはすぐに消した。


ルーアには、祖父のドラウや兄弟子のハウザードと、同じ印象を持っている。


どんなに不利で絶望的な状況でも、結局死なない男。


そして、微かにだが、灰色の世界では異物のようなルーアの魔力を感じた。


広い湖に砂粒が落ちた程度の、微かな魔力の波動。


「見つけた!」


ルーアの魔力は、個性が強い。

一流の魔法使いだろう。

それにしては、基礎能力は平凡だった。


だが、応用力と実戦的な魔法の扱いに優れている。


雑でムラがある、強靭な魔力。

基礎訓練よりも実戦的な訓練を重視してきたのだろう。


ユファレートとは、正反対だった。


祖父であるドラウは、ユファレートに基礎の反復を徹底してやらせた。


そのため応用力がつかず、四ヶ月前はシーパルにあしらわれたのだが。


基礎がしっかりしているからこそ、こうしてルーアの魔力を探知することもできる。

それほど遠くではない。


やはり、空間が歪められている。

もしくは、空間認識能力を狂わされているか。


ユファレートは、瞬間移動の魔法を発動させた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


いきなり、訳のわからない所に移動させられていた。


一面が灰色の世界。

そこで、テラントは一人だった。


さっきまで隣にいたデリフィスも、他の連中もいない。


一人で、兵士たちと対峙していた。


ざっと数えてみたが、十数人というところか。

二十人はいない。


外には、四、五十人はいた。

三分の一以上はここにいる。


都合がいい、とテラントは思った。


数日前まで村人だった相手に、感情を殺して戦うことは、ティアやユファレートにはできないだろう。


可能なだけ引き受けるつもりだった。


テラントを取り囲むように、兵士たちが陣形を変える。


わざわざ待ってやるつもりはない。


端から、まずは三人を斬り倒した。


死体として新しいためか、これまでに対戦した兵士よりも、挙動は滑らかだった。


だが、もしかしたら兵士には生前の身体能力や経験が影響するのかもしれない。


只の村人が、鍬や鎌を振り回しているだけの、未熟な戦い方だった。


一人を鍬ごと叩き伏せ、背後に回った二人を斬り、投げ付けられた鎌を弾き、喉に光の剣を突き立てる。


あと、十人ほどか。

テラントは、吠えて剣を振り上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「フォトン・ブレイザー!」


光線が、灰色の地面をえぐっていく。

だが、すぐに再生していった。


「どうなってやがる……」


空も地も、灰色の世界。

そこに、灰色の靄が立ち込めていた。


まるで、悪夢の中にでもいるような居心地。


「ルーアさん……ここって、一体?」


「わかんねえ」


不安そうな顔をしてティアの手にしがみついているリィルに、ルーアは短く答えた。


ティアは、落ち着いて見える。

おそらく、内心では激しく動揺しているだろう。

だが、気丈にもそれを隠していた。


リィルがパニックを起こさずにすんでいるのは、ティアがしっかりとした表情をしているお蔭だった。


「……おやぁ……」


間の抜けた声。

両肩にピンク色の塊を付けた『悪魔憑き』ゴーンが、睨みつけた先にいた。


「……君ら二人は……くっついてたから……仕方ないとして……」


ゴーンは、ぼんやりとした視線をティアとリィルに向けた後、ルーアを指差した。


「……なんで……君が……いるのさ……?」


「……てめえが転移させたんだろうが」


「うん……まあ……そうなんだけどさー……」


小首を傾げる。


「……そうかぁ……。君らってさ……別人なのに……同じなんだね……」


「……なにを言ってる?」


「……だから……一緒くたにしちゃったんだ……納得……」


「……会話成り立たせるつもりねえんなら……」


ルーアは、ゴーンに掌を向けた。


「最初から話しかけんな」


魔法が当たるとは思えない。

だが、ゴーンの意味不明な戯言を聞くのは癪に障る。

戦闘が始まれば、少しは口数が減るだろう。


ゴーンに対しては威嚇にもならない魔法を放とうとした時、他者の魔力を感じた。


「ルーア! ティアも、リィルも!」


瞬間移動の魔法。

転移してきたのはユファレートだった。


「ユファ!」


「……あーあ……また増えちゃったよ……」


ティアとゴーンが、対照的な声を上げる。


「ユファレート……ここって、なにかわかるか?」


ゴーンから眼を離さず、ルーアは聞いた。


ユファレートの魔法に関する知識と分析力は、かなりのものである。


「……多分、あのゴーンって人が造った世界じゃないかしら」


「世界を造る? ……馬鹿馬鹿しい」


「現実を見て。……そうね、世界って言うと語弊があるわね。空間、と言うべきかしら」


「ンで、そこに俺たちを閉じ込めてくれたと……」


ルーアたちの会話に、ゴーンはにやついている。


「ルーア、気をつけてね。この充満した魔力……。きっと何年間も……もしかしたらもっと長い期間、ここに魔力を蓄えていたのよ」


「魔力の貯蔵庫ってか」


「ほとんど無尽蔵の魔力と考えた方がいいわ」


「……大体正解……だけど……」


ゴーンの手の中に、剣が出現する。


「……この世界を創造して……管理しているのは……俺じゃない……。導師……さ……。俺は……借りただけ……」


「導師?」


ルーアの問いに、ゴーンは答えずに腕を振った。

十数の人影が転移される。


「そんな……」


「やめてよね……」


ユファレートとティアが、次々と呻く。


転移されたのは、十歳かそこらの子供がベースの兵士たち。


(この野郎っ……!)


怒りが湧き上がる。

ルーアは、なんとかそれを押し殺した。


「オースター。リィルから離れるな。ユファレートも……下がってろ」


一歩前に出た。


「俺がやる」


こういうことは、人を殺し慣れた人間がやるべきだった。

その方が、苦悩も後悔も少なくてすむ。


「……そういうわけには、いかないわよ……」


ユファレートは、下がらなかった。


「わたしだって、無関係じゃないんだから……ルーアだけに押し付けられないわよ。それに、一人じゃ危険よ」


ゴーンの狙いは、剣を持ったことではっきりした。


瞬間移動で接近戦を仕掛けてくる。


「無理はするなよ……」


兵士が展開する。

ルーアは腕を振り上げた。


「……!」


いきなり、すぐ真横に、体勢を低くした兵士が出現する。


両の手に、しっかりと握り締められた大振りのナイフ。


「ライトニング・ボルト!」


間一髪。

ユファレートが放った電撃が、兵士を貫く。


「ファイアー・ボール!」


内心では冷や汗をかきながら、ルーアは火球を打ち出した。

破裂し、三人ほどを巻き込む。


「……瞬間移動してきた奴、迎撃頼む」


震える杖の先を見ながら、ルーアは言った。


ユファレートの方が、正確で迅速な対応ができる。


「……わかった」


今度は二人、転移してきた。

それを、すぐさま光球で撃つユファレート。


ルーアは、再度火球を放った。

何人かの兵士が、炎に呑まれる。


さらに一人が、ユファレートの魔法で吹き飛んだ。


兵士たちの足が止まった。

彼らにも、人格があるのだ。

生前の、子供の時の意識が残っているのかもしれない。


まだ、戦闘を熟せる年齢ではない。


「……なかなか……思う通り……事は進まないよね……」


ゴーンの姿が消えた。

ユファレートの頭上。

剣の切っ先を下にして。


ルーアが剣を振りかけた瞬間、またその姿が消える。


同時に、ルーアも体を反転させていた。


背後から斬りつけてきた、ゴーンの剣を受け止める。


すぐに、ゴーンは転移した。

かなり離れた位置に現れる。


「……今のは……ちょっとびっくり……。よく対応できたね……」


「舐めんな、素人が」


テラント、デリフィスを、そしてストラーム、ランディを知っているのだ。


いくら瞬間移動を駆使しようと、接近戦において、ゴーンに彼らの剣以上の攻撃ができるわけがない。


ゴーンが早いのは、あくまでも空間系統の魔法発動速度のみである。


その斬撃まで早くなるわけではない。


「……思ったよりも……めんどくさい奴……。まあ、いいや……」


兵士たちが消える。


「……どうせ……君たちに……ここを脱出する手段なんて……ないんだ……。死ぬまで……ここにいればいい……」


それは捨て台詞か、はたまた勝利宣言か。


ルーアたちを残し、ゴーンも消えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


灰色の空間。

灰色でないのは、二人のみ。

デリフィスは、地面に座り込み自分の体を抱きしめているシーナを見つめた。


「シーナ……」


「……デリフィス、さん……?」


憔悴しきった表情で、シーナは呟いた。


「ここに来たのは、あなたね……。良かった、あなたで……」


「……どういうことだ?」


「だって、あなたやテラントさんは、必要だったら相手が誰でも殺すことができそう。なんて、あたしが勝手に思っているだけなんだけどね……」


シーナが、苦しそうに顔を歪める。


ルーアの話では、右腕の肘から先が、自身の力で傷付いている、ということだった。


今は、首にまで火傷のような症状は拡がっている。


火傷は、体表面積の何割以上で生命の危機だったか。


四割だっただろうか。


(……嫌な奴だな、俺は)


こんな時でも、冷静だ。

冷静に、シーナがあとどれくらい生きることができるか、計っている。


「シーナ、その通りだ。俺は、例え親しい相手だろうと、その気になれば斬れる。我ながら、冷たい奴だと思うが」


「あたしにとっては、それは優しさよ……」


シーナは、無理矢理に微笑んだ。


「お願い。もう誰も、傷付けたくない。あたしを……殺してください」


「それを、ルーアには?」


「言ったわ」


「それで?」


「……怒られちゃった。あはは……」


「そうか」


殺してやること。

それが、救いかもしれない。

だが。


「シーナ、残酷なことかもしれないが、もう少しだけ耐えてくれないか?」


「これ以上生きたってさ……」


「まだ、諦めるな。なにかに縋り付いてみろ」


「なにかって……?」


「なんでもいい。リィルでも、ルーアでも……奇跡でもいい」


斬りたくはない。

シーナ以外は、誰もシーナの死を望んではいないではないか。


「あたしは、もう……誰も死なせたくないの……」


「安心しろ。誰かを死なせる前に、楽にしてやる。だから、それまでは諦めるな」


シーナは、体が痛いのが苦しいと言っているのではない。


誰かを傷付けることを恐れている。


シーナは、また微笑んだ。


「あなたは、冷たくなんてないわ……」


二人だけだった空間に、次々と男たちが送り込まれてくる。


元は、猟師だったのだろうか。

十五人ほどの、弓に矢を番えた兵士たち。


一斉に、矢を放つ。

デリフィスは、それをかわし、あるいは剣で叩き落としていった。


次の矢がくる前に、一気に間合いを詰めていく。


今は、些か気が立っている。

手加減はできそうになかった。

元々、するつもりもないが。


蜘蛛の子を散らしたように逃げ出す男たちを、斬り倒していく。


間合いを取った兵士が、また矢を放つが、苦し紛れだった。

当たるはずもない。


七人斬った。

数えるだけの余裕はある。


力を押さえることができなくなったのか。


その時、シーナの体から黒い霧が発生した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


二人の首を、ほぼ同時に撥ね飛ばす。


兵士たちは、最早戦意を失っているようだった。


するするとテラントから離れていった。


ゴーンに転移されたのだろう。

その姿が消える。


「……意外と、呆気ないな」


わざわざ分断させておいて、この程度なのか。


残った問題は、この訳のわからない空間から、どうやって脱出するか。


灰色の世界が、どこまでも続いている。


「……これは、待ちか?」


魔法が使えるユファレートが、ルーアが、なんとかしてくれるのを待つしかないのか。


不意に、風を感じた。

湿気を多分に含んだ、生暖かい風。

夜の香り。


灰色の世界に、ぽっかりと穴が空いていた。


心臓が跳ね上がる。


穴から、灰色の世界に足を踏み入れる、男。


小柄で、異様に腕が長い。

手に持つ小剣。

左耳の傷。


「は、ははは……」


自然と、笑いが漏れた。

体が、震える。


これは、歓喜だ。


「やっと……やっとだ……」


あれから、二年以上が過ぎた。

それは、気が遠くなるほど長い時間だった。


「会いたかったぜぇ……」


以前と、あまり代わり映えがない。


ズィニア・スティマ。


忘れるはずがない、その姿。


獣の息遣いがした。

自分の息遣いだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ドーラとパナは、ラグマ王国王都ロデンゼラーに旅立っていった。


そこでしか購入できない、薬や薬草があるらしい。


見送りもそこそこに、シーパルはジンの集落へと戻った。


切羽詰まった状況だったのに、みんな送り出してくれた。


感謝しなくてはならないだろう。

お蔭で、今は気持ちがすっきりしている。


今後、ヨゥロ族としてどうあるべきか、見えた気がした。


ジンの集落で借りている家には、誰もいなかった。


代わりに残されていたのは、書き置きである。


内容は主に、シーナについてのことだった。


彼女が持つ、力のこと。

村人たちを、死なせてしまったこと。

ズィニア・スティマに、脅迫され利用されていること。

次は、ジュノの集落を襲うこと。


読み終えると同時に、シーパルは書き置きを握り潰していた。


信じ難いことだが、事実だろう。

みんなが、こんな悪質な冗談を言うとは思えない。


夜も遅かったが、住民にジュノの集落への道筋を尋ね、すぐにシーパルは出発した。


みんなは、一、二時間前に出発したようだが、急げば追い付けるかもしれない。

一行には、リィルがいるのだ。


ジュノの集落へ向かう間、シーパルはパナの言ったことを繰り返し思い出していた。

パウロが遺した言葉である。


ヨゥロ族の力の真髄は、時間と空間、封印と解放にある。


幼い頃の記憶が蘇った。

物心ついた時にはもう、シーパルは魔力というものを知覚していた。


実際に魔法を扱えるようになったのは、五歳の時。


その一ヶ月後から、パウロと共に、おかしな訓練を受けるようになった。


まず、二十一回分の食料が用意された洞窟に閉じ込められた。


一切の光がないそこで、乾パンをかじりながら、シーパルは孤独に時間の経過を待った。


一週間後、太陽の光を浴びた時、泣き出してしまったことを覚えている。


別の洞窟にいたパウロも、泣いていた。

まだ、五歳だったのだ。


一日中、外で立っていろ、と言われた。


なにもせずに、だが、全てを把握しろ、と。


風が、どう吹くか。

木が、何本生えているか。

葉は、何枚なのか。

鳥がどの方角から飛んでくるか。

蛇は、どちらへ這っていくか。

蟻が、どこで行列を作っているか。

何匹で。


戦闘訓練のようなものも受けた。

教官の立場の者が、攻撃魔法を放とうとする。


防御魔法を使うことは、禁じられた。


回避することも、許されない。

防ぐ手段は限られた。

相手の魔法が完成する前に、解除する。

魔力自体を封印する。


冬になると、さらにおかしなことをやらされた。

また洞窟に閉じ込められる。

今度は、食事もない。

動くな、ただひたすら眠れ、と言われた。


体温を低下させて、代謝活動を低下させろ。

ヨゥロ族は、それができる。

その状態で、冬を越せ。


要は、冬眠である。

飲まず喰わずで、ただ眠り続け時間の経過を待つ。


シーパルは、それを二ヶ月行った。


これらのおかしな訓練は、なんだったのか。


やがて、シーパルは訓練を課されることはなくなった。


パウロだけが、訓練を受け続けた。


「時間と空間……、封印と解放……」


声に出し呟き、シーパルは立ち止まった。

ジュノの集落の前である。


巨大な魔法陣の跡があった。

戦闘が行われた痕跡はない。

誰の姿も見えない。


この魔法陣は、ゴーンが発動させたのだろう。


ルーアとユファレートには、魔法陣を生成する暇などなかったはずだ。


ゴーンの姿を思い出し、頭に浮かべた。


桃色の塊を両肩に乗せた、空間系統の魔法に秀でた男。


(……みんなを転移させた? そうだとしたら、一体どこに?)


シーパルは、足下の魔法陣に触れた。


微量に残された魔力の残滓を読んでいく。


よくわからない。

わからないが。


(……なんだろう、この感じは?)


体に纏わり付く湿気。

圧迫してくる空気。


魔法陣とは違う、なにか巨大な魔力。


(別の魔法が、今も発動中……?)


魔法陣の上。

他に誰もいない。

だが、きっとみんなここにいる。


シーパルは、眼を閉じた。


「時間と空間……封印と解放……」


昔受けた訓練を思い出す。

ただひたすら突っ立ち、どこになにがあるかを把握する訓練。

空間を読む作業。


手を伸ばした。

なにもない。だが。


「……歪められた空間……」


みんな、ここにいる。

囚われている。


(……解放、できますかね?)


全てを解除できなくてもいい。

ほんの一部だけでも、解除できれば。


この歪められた空間に、穴を開けることができる。

侵入できる。


「……空間……と……解放」


その歪められた空間に、シーパルは自分の魔力を混ぜ合わせていった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


黒い霧が、ゆっくりと拡がっていく。


邪魔な兵士を斬り倒し、デリフィスは霧を避けて移動した。


矢が飛んでくる。

叩き落とした。


(まずいな……)


霧と矢と。

徐々に、逃げ場が限られてきた。


四人がまとまっている所へと、デリフィスは突っ込んでいった。


矢を番えていた二人を、まず斬り飛ばす。


二人が弓を捨てクリスを構えるが、もちろん相手ではない。

剣で両断していった。


その間にも、霧は周囲を包んでいく。


残った兵士が、黒い霧に身を焦がしながら、一斉に矢を放った。


あまり身動きがとれない。

できるだけ剣で弾き、最小限の体捌きでかわし。


「……!」


矢の軌道上。

その先に、シーナがいないか。


足を止めて、その矢を左肩で受けた。


「くっ!」


この程度の連中に、負傷させられるとは。

不甲斐無さに、腹が立つ。


身を低くして、デリフィスは霧を潜った。


シーナや兵士たちから距離を取る。


剣を両手に構え直した。

左肩は痛むが、剣を支えられないほどではない。


ガラスが割れるような音がした。

灰色の空間に、亀裂が走っている。


次いで、波が引くような音と共に、空間に穴ができあがる。


シーパルが、覚束ない足取りで、灰色の空間へと入り込んできた。


額に汗の玉をびっしりと浮かべ、虚ろな瞳をして。


「シーパル!」


デリフィスが駆け寄ると同時に、シーパルは床に手をついた。


「フレン・フィールド」


生じた魔力の力場が、黒い霧を押し退けていく。

矢も、弾き飛ばしていた。


「シーパル、どうやってきた?」


力場を突破して果敢に接近してきた兵士を斬り倒しながら、デリフィスは聞いた。


「説明は、ちょっと難しいですが……」


力場に接触した霧が、火花を散らしながら消失していく。


「脱出、できるか?」


「コツは掴んだつもりです」


「頼む」


「脱出と言うよりも、この空間自体を破壊します」


デリフィスは、剣を兵士たちへと向けた。


シーパルの魔法が完成するまで、時間を稼ぐ。


「時間と空間、封印と解放……」


シーパルは、なにやらぶつぶつと呟いていた。


魔力が、その身に収束していく。

魔力が見えないデリフィスにも、それが感じられた。

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