疑問の共有

その男は、いきなり剣を抜いて振り回す。


なにかを斬っているわけではない。


ただ、虚しく空を斬るのみ。

少なくとも、シーナの眼にはそう映った。


剣は短い。

それを、背中に二本背負い、腰の後ろにも一本。


合わせて三本の剣を、男は持ち歩いていた。


小柄で両腕が長く、まるで手長猿のような体格である。


左耳に小さな傷があり、よくそれを弄っている。


湿気が多い日は痒くなる、と言っていた。

冷える日は疼く、とも。


ズィニア・スティマ。

二日前の夜、いきなり家に訪れた男は、そう名乗った。


会ってはいけない人と、会ってしまった。

そう感じた。


戦いという分野について素人であるシーナでもわかる。


戦闘を、すごく得意にしている人。


それは、リィルの命の恩人であり集落の客人でもあるルーアたちにも言えることだろう。


でも、ズィニアから受けた印象は、ルーアたちとは少し違う。


例えば、伝説上の存在である竜や巨人と出会ったら、同じ気持ちに襲われるのかもしれない。


「ったく、しつこい……うざい……」


剣を振るのをやめて、ズィニアがぼやく。


シーナにはよくわからないが、意味のある行動なのかもしれない。


振る剣は、いつも同じだった。

銀の刀身。

それは普通のことだが、なぜか色が気になった。


ヤンリの村は、大小三百以上の集落で成り立っている。


それぞれの集落は、代表者の名前を冠することが多い。


シーナたちが暮らす集落の代表者は、ジンという名前である。


だから、他の集落の者からは、ジンの集落と呼ばれている。


現在シーナたちがいるここは、ジンの集落から北東、スラの集落という。


二十人くらいが暮らす、小さな集落。


「じゃあ、始めるか……ゴーン」


「……あい…………」


ズィニアが呼び掛けると、その男は現れる。


ゴーンという名前らしいが、それ以外はよくわからない。


まともに会話を交したことがないのだ。


両肩が、異様に膨らんでいるように見える。


実際には、なにか得体のしれない物がへばり付いていた。


ピンク色の、蜂の巣のような形状のなにか。


「やれ」


「あー……い……」


両肩の、蜂の巣のような物が痙攣する。


すると、おかしな所に放り込まれるのだ。


灰色の、靄に包まれたような世界。


ついさっきまで眼前に拡がっていた、スラの集落の風景はない。


「次、転送」


「……あいあい」


風を切る音と共に、次々と人が、灰色の世界に現れる。

スラの集落の住人たち。


夜も遅い。

起きていたのは数人だけだった。

彼らが騒ぎ出し、それで数人が起き、また困惑する。


それも仕方ないだろう。

いきなり、見知らぬ訳のわからない所に放り込まれたら、誰だって混乱する。


夢でも見ているのではないかと、思うだろう。


「よし、もういいぞゴーン。避難してろ」


「……あいっす」


ズィニアの指示通り、ゴーンが消える。


「……おい」


「……わかってるわよ」


シーナは、上半身の衣服を捲り上げて、背中を露出させた。


そこに、なにがあるかはわかっている。

魔法陣が描かれているのだ。


「……悪ぃな、ほんと」


なんなのだろう、このズィニア・スティマという男は。


時折、情けをかけるようなことを言う。


やっていることは、脅迫なくせに。


昔、お前がやったことを知っている。

従え。さもなければ、妹を殺す。

付いて来い。さもなければ、妹を殺す。

自殺するな。もし自殺したら、妹を殺す。


そんなことを言うくせに、一日だけだが時間をくれた。

みんなに別れを言う時間が欲しいだろう、と。


助けを求めようか。

長い赤毛の、どこか拗ねた顔付きの男の顔が浮かんだ。


だが、その考えはすぐに打ち消した。


きっと勝てない。

なぜかそれを、呪いたくなるほど悟ってしまう。


彼と、その仲間、六人掛かりでも勝てない。


そして、リィルが殺されてしまう。


ズィニアの小剣が、背中に刻まれた魔法陣に触れた。


『君のその力は、魔法とはちょっとだけ違う』


昔会ったあの人は、そう言った。


『旧人類の魔法、とでも言えばいいかな。超能力、特異体質、なんて呼ばれ方をされていた』


そして、背中に魔法陣を施してくれた。


力を、封印してくれる効果があるらしい。


だが、ズィニアの小剣に触れられると、その封印が弱まる。


肌から、黒い霧のようなものが滲み出てきた。


シーナは、自分の体を抱きしめた。


それは、生命力を枯渇させる、毒のようなものだという。


触れたものを、少しずつ蝕み、ぐずぐずに腐食させる毒の霧。


自分自身の体には、あまり影響はない。

今のところは。


完全ではないけど、耐性があるから。


魔法陣を施してくれたあの人は、そう説明してくれた。


もう一人、影響がない人物がいる。


ズィニアが剣を振り回すと、彼の周囲だけ霧は消えた。


でも、集落の人々は。


強制的に、こんな逃げ場のない所に連れてこられて、抵抗する手段のない、無力な人々。


「ごめっ……ごめん、なさい……」


嗚咽のような声が出た。


黒い霧に包まれて、住人たちが悲鳴を上げる。


いくら耳を塞いでも、その阿鼻叫喚の声は鼓膜を震わす。


リィルを、失いたくない。

この力で、両親を、生まれ育った集落の人たちを死なせてしまったあたしを。


それでも、お姉ちゃんと呼んでくれた。

慕ってくれた。


あの子がいたから、生きることができた。

笑顔になることができた。


だから、リィルだけは死なせたくない。


けど、だからと言って、他の人たちを死なせていいわけがない。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


謝って許されることではない。

それでも、謝ることしかできない。


やがて、悲鳴が途切れるようになってきた。


弱々しい苦悶の声だけが、微かに聞こえる。


黒い霧も、少しずつ消えていった。


魔法陣の力が、戻ってきたらしい。


「まったく、嫌な仕事だ……」


ズィニアが呻いた。


「けど、まあ……次、行くぞ」


(次……?)


次があるのか。

いつまで、こんなことを続けないといけないのか。


(……助けて……)


助けを求める資格などないことは、わかっている。


けど、どうしようもないのだ。

逆らう力などない。

自殺することも許されない。


(お願いだから……誰か……)


助けてよ。


◇◆◇◆◇◆◇◆


シーナがいなくなった。

昨日のことである。

リィルが目覚めた時には、もう家にはいなかったという。


最初、集落の住人は、楽観していた。


基本的にマイペースなシーナは、気まぐれな行動をよくとる。


これまでにも、ふらりといなくなることが、度々あったらしい。


そのうち戻ってくるだろう。

口々にそう言い、リィルを落ち着かせようとしていた。


だが、夕方を過ぎ、夜になっても、シーナは戻ってこなかった。


リィルだけは、初めから顔を蒼白にしていた。


デリフィスたちが宿代わりに宿泊している家に来て、なにかを言いかけてやめた。


実の姉の姿がなくなれば、それは動転するだろう。


みんな、その程度にしか感じていなかったようだ。


リィルはなにかを隠している。


そう感じたのは、おそらくデリフィスだけだ。

みんな、どこか鈍くなっている。


テラントは仕方ないだろう。

長年捜し求めていた妻の仇に、あと一歩というところまで迫っているのだ。


シーパルも、大分前から考え込む姿をよく見るようになった。


ユファレートも、エスが訪れた辺りからそわそわしている。


それはおそらく、もう少しでズィニア・スティマが見つかりそうだから。


兄弟子だという男も、近いうちに見つかるかもしれない、とでも考えているのだろう。


ルーアも、ぼんやりとしていることが多くなった。


ティアも、シーナがいなくなる前日だったか。シーパルと二人で戻ってきた日から、少しおかしい。

妙にシーパルに気を遣っていた。


リィルの慌てぶりを不審に思ったのは、デリフィスだけだ。


一日が経過し、今日になっても、シーナは戻ってこない。


さすがに、集落全体が騒然としてきた。


只事ではない、と感じ始めたようだ。


捜索隊が組まれた。

主に森や山を捜しているようだ。


野生動物に襲われた、負傷し、身動きがとれなくなった、その辺りが、可能性としては高い。


集落の住人が、総出で捜している。


近隣の集落にも、連絡が回っているようだ。


ルーアは、エスを呼んでいた。

シーナの居場所を尋ねていたが、わからない、という返答だった。


おかしいと感じたのは、デリフィスだけのようだった。


やはり、みんな頭が回らなくなっている。


デリフィスたちも、捜索に加わった。


正直、意味があるとは思えなかった。


地元の人間が捜索に当たっているのだ。


土地勘のないよそ者が、都合良く見つけるなどということが、あるのだろうか。


なにより、エス。

あの男が、普通でないことはわかる。


情報にかけては、並ぶ者はいないのではないか。


そのエスが、見つけられないと言う。


それを、デリフィスは冷静に、おかしいと思った。


(……冷たい男だ、俺は)


だから、冷静でいられる。

シーナの身を最も案じていないのは、デリフィスだろう。


彼女を、嫌いだというわけではない。


さっぱりとしていて明るく、異性からも同性からも好かれるだろう。


デリフィスは、あまりシーナと会話を交わすことはなかった。


ルーアとはよく話していた。

妹であるリィルが口下手らしく、橋渡しのような役割をしていた。


同性であるティアやユファレートとも、それなりに会話をしていたようだ。


明るい性格。だがその明るさは、陰を隠すための明るさではないか。


陽気に笑うシーナを見て、何度かそう思った。


「エス」


木立の中、呼び掛けてみる。

周りには誰もいない。


「……珍しいね。君が、私を呼ぶのは」


その男は現れた。

緑と土色ばかりの木立の中でも、なぜか浮いて見えない白い姿。


「と言うより、初めてだな」


呼び掛けに応じられるとは、思わなかった。


だが、応じられたのが、当然な気もする。


「用件は?」


「さあな」


デリフィスは、肩をすくめた。


「べつに、用があったわけではない」


「ふむ」


悪びれることもなく言ってみるが、エスも気を悪くしてはいないようだ。


「……聞きたいことを、今思い付いた」


「なにかね?」


「シーナは、見つかったか?」


「……いや」


「ズィニア・スティマは?」


「現在、捜索中だ」


「もし、俺がこれから姿を眩ますとする」


エスの思考を読むつもりで、その表情を見つめる。

読心術など使えないが。


「どれくらいの時間で見つけられる?」


「一時間とかかるまい」


「……」


見つめる。

エスは、揺るがない。


「……なにか、隠していないか?」


「誰にだって、人に言えない隠し事の一つや二つはあるだろう」


「そうだな」


デリフィスは、頷いた。


「質問を……聞き方を変えよう」


「ほう」


「なにか、俺たちに言いたいことはないか?」


エスが、すっと眼を細めた。


「なぜ、そう思うのかね?」


「なんとなく、だがな」


エスの表情に変化があった。

だから、確信できた。


「なにもないなら、俺の呼び掛けに応じることはないような気がする」


「……君の評価を改めよう」


ふと、教授と学生が向かい合う構図が頭に浮かんだ。


大学など、通ったこともないのに。


「君が真価を発揮するのは、戦場か、戦闘中のみだと思っていたが、違うな」


エスが、少しだけ笑った。


「私が思うよりもずっと、君は賢い。いや、鋭い。ランディを、思い出す」


「ランディ・ウェルズか……」


「君の言う通り、私は、君たちに言いたいことがあった。疑問が生じてしまった。疑問を、共有したいと思っていた」


エスは、自分の胸を撫でた。


「以前にも言ったが、私は少しばかり特殊だ。傷付くことはなく、傷付けられることもない」


「そうだったな」


それを、デリフィスはよく知っていた。


実際に、エスを剣で両断したことがある。


平然と、この男は佇んだままだった。


「存在の仕方が、違うのだよ。それは、君たちにある感覚が、私には欠けている、ということでもある。だからこそ、疑問を共有したい。君たちだからこそ、気付けることもあるだろう」


「俺を、選ぶのか?」


「立場上、ルーアを相談相手に選ぶべきかもしれないが……」


エスもルーアも、リーザイ人だった。


そして、二人とも国家に仕えている。

ルーアは表向きは、元軍人だが。


「今、ルーアはそれどころではないか……」


「やはり、君は鋭い」


エスは、満足そうに頷いた。


「疑問は、ズィニア・スティマについてだが、聞いてもらえるかね?」


「愚問だな」


ズィニア・スティマは、テラントの敵。


その男については、知れるだけ知っておきたい。


「では……」


エスは、もったいつけるように咳払いをした。


「最初に言っておく。気を悪くしないで欲しい。これは、戦闘の素人としての意見だ」


「わかった」


「私の中で、ズィニア・スティマは剣士として、君よりも上の存在だ。テラントよりも、ランディよりもな」


べつに、腹が立つことではなかった。


戦う時は、自分の方が強いと信じて戦う。

勝つつもりで戦う。


相手も、似たようなものではないのか。


そして、実際に戦ってみなくては、どちらが上なのかはわからない。


「だが彼は、あっさりと傷付いたのだよ。テラント・エセンツの最初の一振りに、簡単に負傷し、挙げ句の果てには、戦わずして逃亡している」


「……」


「不自然なことだとは、思わないかね?」


「……そうかも、しれんな」


「私は、……ああ、薄々気付いているとは思うが、私は、他者の浅い思考や記憶は覗くことができる」


とてつもないことを言っているが、もうこの男の能力については、なにができても驚かない。


「テラント・エセンツのあの日の記憶は、浅い所にあった」


それはそうだろう。

テラントが、あの日を思い出さないことはないはずだ。


「私は何度も、テラント・エセンツのあの日の記憶を再生した。そして、ふと気付いた」


エスが、声を小さくした。

誰かに聞かれるわけでもないのに。


「これから話すことは、テラント・エセンツには伝えない方がいい。彼のアイデンティティーが崩壊しかねない」


「……わかった」


一応は同意したが、必要ないことだとデリフィスは思った。


テラントほど、自己を確立している者も、そうはいないだろう。


全てを捨てて、一人の男を追い続けてきたのだ。


今更その意志が揺らぐはずがない。


「あの日、肌寒く、小雨がぱらつく朝。火の手が上がる自宅。黒装束の男たち。リビングの中央に、両手に小剣を持つ、ズィニア・スティマ。剣には血が付着していた。そしてその足下には、横たわり身動きしない、マリィ・エセンツ」


朗々と、まるで歌うかのようにエスは、テラントの記憶を読み上げていく。


「……気付かないかね?」


「……なにをだ?」


「実際には、テラント・エセンツは見ていないのだよ。マリィ・エセンツが殺される瞬間も、ズィニア・スティマが殺す瞬間も」


「……なにが言いたい……まさか、そんなことが」


「ああ、わかっている。状況からして、誰がどう考えても、マリィ・エセンツはズィニア・スティマに殺害された。だがそれでも、私は『もし』と考えてしまった。捻くれた考え方だとは思うが」


もし、マリィを殺したのが、ズィニア・スティマでないのならば?


それは、テラントのこれまでの復讐の旅を、根本からひっくり返すことになる。


「まさか……」


「『もし』、と考えると、次々と『なぜ?』が発生したよ。なぜ、マリィ・エセンツは殺されなければならなかった? 彼女は、自己を犠牲にしてまで、多くの人命を救っていた」


「……どんな高潔な人物だろうと、なにで逆恨みをされているか、わかったものではないさ」


「たしかにな。だが、逆恨みごときで『コミュニティ』が動くかね?」


「……」


「目的は、テラント・エセンツにあったのだろうか? 彼は生粋の軍人だった。国家にまで潜伏している『コミュニティ』にとっては、邪魔にもなろう。だが、彼は手出しをされることもなかった」


「……」


喉の渇きを、デリフィスは覚えていた。


「そもそも、本当に、ズィニア・スティマはマリィ・エセンツを殺害したのだろうか?」


「……もういい。あんたの疑問はよくわかった」


「……突拍子もない疑問だとは、自覚している。だが、君に話せて良かった」


「……なぜだ?」


「君が、最もテラント・エセンツに近い所にいるからさ。私と同じ疑問を共有した状態で、彼をよく見ていて欲しい。……これから会うかもしれない、ズィニア・スティマもな」


エスが、音もなく消えた。


デリフィスは、眼をつぶった。

エスが語ったことを、反芻してみる。


マリィはズィニアに殺されたと考えるのが自然だ。


捻くれた考え方。

突拍子もない疑問。

エス本人も、そう言っていたではないか。


だが、もしも。


「……疑問の共有か」


デリフィスは呟いた。


面倒なことをされたものだ。

まるで、鎖でがんじがらめにされているような気分だった。

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