予兆
集落を包む柵に寄り掛かり、夕日に照らされた遠くの山並みを眺める。
この時刻になると、鮮やかな深緑が赤みがかってくるのだ。
(……また無駄な時間を過ごしたな)
一応、留まる理由はある。
東にある街クカイまでの道が、土砂崩れで通行止めになっているのだ。
復旧作業が終了するまで、まだあと数日かかるらしい。
クカイ、そこから北のザッファー王国を通り、リーザイ王国に帰国する予定だった。
他のみんなにも、そう伝えてある。
だが、ストラームの指令。
ハウザードを殺せ。
彼は現在、ズターエ王国にいるらしい。
ラグマ王国の西だった。
現在地のレボベルフアセテ地方からすれば、南西になる。
南のラグマ王国王都ロデンゼラーを経由し、ズターエ王国を目指すことになるだろう。
リーザイとは、逆方向となる。
みんなに不審に思われるのは避けられない。
ロデンゼラーへは、今すぐにでも出発できる。
ユファレートが慕う兄弟子を、殺害しないといけないのだ。
できれば、一人きりで行動したい。
ズィニア・スティマがレボベルフアセテ地方にいる間は、テラントたちはこの地に留まるだろう。
問題は、ティアとユファレートだった。
どうやって、彼女たちと別れるか。
不自然な形はまずい。
一度疑われたら、ごまかすことはできないような気がする。
他にも、考えなければならないことがある。
ズターエ王国へ行き、ハウザードを殺さなければならない。
だが、理由も知らずに、ストラームの指令通りに殺していいのか、という疑問がある。
「なに、たそがれてんの?」
いきなり、背後から声をかけられた。
「……シーナか」
彼女は、そばかすがある顔に笑みを浮かべ、ルーアと同じく柵に寄り掛かかった。
「ここ、そんな気に入った?」
「え?」
「さっきから、ずっとここにいるから」
「……そうだっけか」
べつに、理由などない。
ただなんとなく、ここで考え事をしていただけ。
シーナは、一人だった。
「リィルは?」
「お、気になるかね? あたしの愛くるしい妹が」
「……いや、そういうわけじゃねえけど」
シーナとリィルの姉妹は、一緒に行動することが多い。
シーナ一人だと、なにか違和感があった。
「リィルは、畑仕事手伝ってるよ。あたしはサボりだ」
「また、あれか? 『リィルと一緒なんて、やだよ』か?」
「そう。それそれ」
ケタケタ笑う。
シーナはいつも、悪戯っぽい顔をして言い、リィルをからかう。
だが結局は、二人で行動するのだ。
「……一人って珍しいよな? なんかあったか?」
「べっつにー」
シーナは、柵に背でもたれるように体の向きを変えた。
「集落のみんなにお願いしてたの」
「お願い?」
「リィルの誕生日が近いから。みんなで祝ってもらえないかなって。あと、これからもリィルを宜しくと」
「わざわざ言わなくても、ここの人たちなら、祝ってくれそうだけどな」
よそ者のルーアから見ると、集落の三十四人の結び付きは、驚くほど強い。
全員で、手を取り合って生きている、という印象を受ける。
誰か一人風邪を拗らせるだけで、大騒ぎである。
「それでも、お願いしたかったの……」
遠くを見つめる。
シーナの横顔が、どこか淋し気に見えた。
「シーナ……?」
「ルーア君はさ」
シーナが、唐突に明るい声を上げた。
いや、いつも通りなのか。
「リーザイに行くんだっけ?」
「ああ……、まあ、多分そうなるかと……」
予定が変わるかもしれない。
だが、シーナにそれを言っても、意味はないだろう。
「リィルも、連れてってくれない?」
「……なに言ってんだか」
ルーアは困惑した。
いきなり、なにを言い出すのか。
「リィルがルーア君のことどう想ってるのか、わかってるでしょ?」
「……まあ、わかってなくもないかもな」
「リィルは、いい子だよー。優しいし、家事万能だし、将来、絶対美人になるし、あたしみたいに」
自分の顔を指して笑う。
冗談めかして言っているが、リィルを同行させろという部分は、本気だろう。
眼の光でわかる。
だから、本気でルーアは応えた。
「無理だ」
「あら……」
「これまで、散々危険な目に遭ってきた。それこそ、死んでもおかしくなかった。多分、これからもそうだ。そんな旅に、あんな小さな女の子、連れていけるかよ」
「危険な目か……、でも、ティアちゃんたちとは一緒よね?」
「あいつらには、それぞれ理由があって付いてきている。けど本当は、俺は一人でいるべきなんだと思う」
「ふーん……」
「それに……」
リィルは連れていけない。
いけるわけない。
「リィルは、俺たちと話す時よりも、あんたと一緒の時の方が、楽しそうだ」
それが、連れていけない最大の理由。
「……けど、いつまでも一緒にいれるとは限らないじゃない?」
「……なあ、それって、どういう……」
「あー、べつに深い意味はないのよ。ただ、誰にだって、いつなにが起こるかわからないじゃない? それにさ……」
また笑う。
冗談を言う時の顔だ。
「リィルにいつまでも付き纏われると、あたしも彼氏を作れないのだ」
「……」
ルーアは、シーナの顔を見つめた。
冗談と本気を混ぜて、なにかを隠しているような気がした。
シーナは柵から離れて、肩をすくめた。
「リィルを連れてって、というのは、けっこう本気で言ってたり」
「だからな……」
「だからさ、もうちょっと考えてみてよ」
やはり笑いながら、シーナは立ち去っていく。
その影が、夕日で伸びてゆらゆら揺れた。
なにか、見落としているような気がした。
シーナは、もっと他のなにかを伝えたいのではないか。
呼び止めようか、そう思ったが、シーナの背中はそれを拒絶しているような気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
斬撃を弾き返されて、ルーアは舌打ちした。
相手は、癖のある黒髪を長く伸ばした、長身の男。
ランディ・ウェルズ。
彼は、ごく自然体で木剣を構えていた。
ルーアは、短く気を吐き斬り掛かった。
得物は、やはり木剣。
手の痺れと共に木剣が弾かれる。
まるで、岩に斬り付けたかのよう。
そうかと思うと、今度は柳の枝のように、ランディはしなやかに受け流す。
ランディは、ほとんど立ち位置を変えていない。
ルーアだけが、ランディの周りで跳ね回っている。
右、と見せかけて左、と見せかけてやはり右からの斬撃は、簡単にランディに弾かれた。
それは、計算のうち。
反動に逆らわず、ルーアは身を低くした。
ランディとは、身長差がある。
そこから、さらに低い位置からの攻撃。
ランディにとっては、死角となる。
「!?」
ランディが、初めて反撃に転じた。
木剣を振り下ろしてくる。
ルーアは、背後に跳躍した。
だが、不様に尻餅をついてしまう。
額に、痺れたような感覚。
汗が出た。
当たってはいないが、かわせたわけでもない。
寸止めだった。
もしランディが木剣を振り抜いていたら、頭蓋は砕かれていた。
ランディは、嘆息した。
「……早く、私くらい超えてくれ」
「……魔法解禁していいならな」
「それで得た勝利に、お前が満足できるなら」
「ちっ」
ルーアは立ち上がり、尻についた埃を払った。
訓練場は、清掃が行き届いているとは言い難い。
「……べつに、いいだろ、あんたが上で」
「どうして、そう思う?」
「あんたは副隊長。俺は隊員。……順番通りじゃねえか」
「お前が超えてくれないと、私は安心して……」
ランディはそこで言葉を区切り、頭を振った。
「なんだよ?」
「……もし、私の身になにかあったら」
「やめろよ。縁起でもない」
ランディが、優しい眼をした。
「万が一の話だ。……もし、私の身になにかあったら、お前がストラームの力となり、助けてくれ。そして、ライアを支えてやれ」
「はっ!」
ルーアは嗤った。
「あの絶対無敵なストラームが、俺なんかの助けを必要とするかよ」
さらに嗤う。
「ライアを支えろって? やめてくれよ。鳥肌が立っちまう。俺も、あいつもな」
「ルーア、知っているか?」
「なにをだよ?」
「ライアの父親は、二十歳で死んだことを」
「あー……なんか、聞いたことはあるな」
ライアが生まれる前、母親の腹の中にいる時に、死んでしまったらしい。
「では、ライアの祖父も、二十歳で死んでしまったという話は?」
「へぇ……それは初耳。すげえ偶然だな」
「ああ……。凄い偶然だ……」
ランディが、不意に咳込んだ。
最初は軽く。それが、段々と激しくなる。
吐血するのではないかという勢いで。
「……大丈夫か?」
「……ああ」
「風邪か?」
「……そのようだ。まったく、歳はとりたくないものだ」
ランディが、口許を拭う。
「老け込むほどじゃねえだろ」
まだ、四十歳くらいなはずだ。
「ルーア」
「なんだよ?」
「お前はよく、『死ね』、『殺す』、そういう言葉を口にするな?」
「それが、どうした?」
「できれば、遣うな」
「なんでまた?」
「本当に、人を殺せる力があるからさ。それも、たやすくな。そこいらの子供が、気軽に口にするのとは、訳が違う。重みが違う。殺さなくてもいい者まで、殺してしまうぞ」
「それは、言葉遊びみたいなもんだろ?」
「かもしれん。べつに強制はしないがな」
ルーアは、腰に手を当てて溜息をついた。
「わぁーったよ。できるだけ、口にしない。これでいいか?」
ランディは、小さく笑った。
また、咳込む。
「風邪引いてんだろ。部屋で寝てろよ」
「そうしよう」
だが、立ち去る間際で、ランディは足を止めた。
「ルーア、自覚しろよ」
「なにを?」
「お前が、ストラームと私の……」
眼付きを、鋭くする。
「意志を、継ぐ者だ」
◇◆◇◆◇◆◇◆
暗い。
だが、真っ暗闇ではない。
窓の外の夜空には、無数の星が輝いている。
日付は変わっただろう。
だが、夜明けはまだ遠い。
そんな時間。
(……変な時間に眼ぇ覚めたな)
昔の夢を見た。
昔というほど昔ではない、過去の夢。
(……なんで、そんな夢を見たんだか)
あれはたしか、ランディがバーダ第八部隊を去る、前日のこと。
懐かしい。それ以上に、気持ちが変にざわつき落ち着かない。
彼は多弁だったが、肝心な核心部分は、なにも言わなかった。
自分の病気のこと、妹のこと、もう、長く生きられないこと。
不意に、女の顔が浮かんだ。
ろくに手入れをしていない栗色の髪。
大雑把で、陽気で。
そばかすが目立つ顔。
シーナ。
もしかして、夕方に会話した時の彼女も、あの日のランディと同じだったのではないか。
言いたいことがあって。
だが、言えないことがあって。
やはり、無理にでも聞き出すべきではなかったか。
ランディの変化に、気付けなかった。
そして、悔やまれる結果だけが残った。
(……朝になったら、ちょっと行ってみるか)
もう少しだけ眠ろう。
ルーアは、眼を閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
言伝はない。書き置きもない。
その日、シーナは。
集落から、その姿を消した。
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