傷
それを聞いたのは前日、外を走り回る子供の一言だった。
先生と同じ髪の毛だ。
シーパルを見て、そう言った。
ヨゥロ族特有の、緑色の頭髪。
シーパル以外のヨゥロ族が、ヤンリの村のどこかにいる。
パウロは、一族全員殺されただろうと言っていたが、そんなはずはない、とシーパルは思い続けていた。
たとえ何者だろうと、大勢であろうと、何百人といたヨゥロ族全員が、揃いも揃って殺されるとは考えられない。
逃げ延びた者が必ずいたはずだ。
先生とやらの居場所は、村人に聞くと簡単に知れた。
現在いる集落から、東にある別の集落への道。
その途上に住居を構えているらしい。
徒歩で、三、四時間くらいはかかってしまうか。
往復することを考えると、気楽に行ける距離ではない。
逸る気持ちを抑え、昨日は道順を確認するだけに留めた。
そして今日、エスという男が、久しぶりに姿を現した。
リーザイ王国に仕える、情報を司る者。
以前エスは、自身のことをそう紹介した。
彼に、調査を依頼しようか。
ヨゥロ族が、なぜ滅ぼされなければならなかったのか。
本当に、生き残りがいないのか。
誰の指揮で、何人で。
そして、ヨゥロ族の秘匿とは。
いくつもの疑問。だがシーパルは、自分の中だけに押し殺した。
エスは、テラントの妻を殺害したというズィニア・スティマと、ユファレートの兄弟子であるハウザードを捜索中である。
あまり余裕はないだろう。
そして、テラントやユファレートのような強い気持ちが、自分の心の中にあるとは、シーパルには思えなかった。
テラントは、復讐のために地位も名誉も捨てた。
ふざけた言動を取ることが多いが、誰よりも激しい感情を内に秘めている。
仇の居場所を知っていると、偽の情報を売り付けようとした情報屋を、殺しかけたことがあった。
シーパルとデリフィスが押さえこまなければ、実際に殴り殺していただろう。
その復讐心は時に隠し切れなくなり、周囲の者を焦がす。
荒れ狂う。
そんな時にテラントの側にいられるのは、話し掛けることができるのは、デリフィスくらいなものだった。
もしデリフィスがいなければ、テラントは復讐の念で、自分の身をも焦がし堕ちていた。
ユファレートの過去については、詳細は知らない。
だが、ハウザードという男の行方を切望しているのはわかる。
女としての感情を抱いているのは間違いないだろう。
ハウザードを捜すためだけに、まだ十八歳の少女が世界を回っているのだ。
生半可な覚悟でできることではないだろう。
二人と比較するとどう考えても、決意や決心、覚悟が足りない。
だからまずエスには、ズィニア・スティマとハウザードを見つけ出すことに専念してもらいたい。
先生とやらの所へ続く道は、平坦でほとんど一本道だった。
迷う心配はない。
順調に進めていた。
この分だと、予想よりも早く辿り着けるかもしれない。
単調に足を前に送りながら、脳は思考だけに費やした。
真実を知りたいと、漠然とは思う。
なぜヨゥロ族は、滅ぼされたのか。
秘匿とやらのためか。
何者の手によって。
だが、知ったところで、とも思う。
元々、ヨゥロ族の在り方に疑問を持っていた。
パウロと族長の地位を巡り、争いたくなかった。
それが、一族を出た理由。
だが、そんな理由がなくとも、一族の考え方に付いて行けず、いずれは出奔することになっていただろう。
ヨゥロ族に対して、希薄な感情しか持ち合わせていないのではないか。
生まれ育った一族に対して、あまりに薄情なのではないか。
真実を知ったところで、テラントのような激しい復讐心を、パウロのような使命感を持てるのか。
先生が住むという家が見えてきた。
薬師をしているらしい。
薬草を蒸したり湯に漬けたりするため、いつも煙が家から立ち昇っているという。
それが、目印となった。
空へ昇る煙を見ながら、ふとシーパルは気付いた。
きっと、真実を知りたいのではなく、真実を知った時に、自分の心がどう動くかが知りたいのだ。
逃げ延びたヨゥロ族ならば、きっと真実に近い所にいる。
家の前では、男が上半身裸になって薪を割っていた。
髭面の、熊のようなという形容がぴったりの、筋肉隆々の大男である。
こちらに気付いて、作業の手を止めた。
シーパルの顔、そして頭を、無遠慮な視線でじろじろと眺めている。
「……ヨゥロ族か」
ぼそぼそと口を動かした。
横手から物音がした。
見ると、薬草らしき草を詰めた籠を取り落とした女がいた。
青白い肌、そして、短く刈り込んだ髪の毛は、緑色をしている。
ヨゥロ族である。
右眼の下から、頬を通り顎先まで、かなり深く、そして古い傷の跡があった。
「……パウロ……?」
ヨゥロ族の女は、驚いたように呟いた。
シーパルは、パウロとは従兄弟になる。
顔はそれほどでもないが、体つきはよく似ていた。
見間違えることもあるだろう。
ヨゥロ族の女は、すぐに勘違いだと気付いたようだ。
関心を失った顔をすると、薬草を拾い集め、さっさと家の中に入っていく。
「待ってください!」
今、確かにパウロの名前を出した。
女は、なにかを知っている。
だが、大男が玄関で遮った。
「……通してもらえませんか?」
「……」
大男は、無言でシーパルを見下ろした。
太陽の光で、汗に塗れた体が光る。
どいてはくれないようだ。
やはり、テラントのようになれそうもない。
それを、シーパルは痛感した。
彼ならば、仇を討つためなら、立ち塞がる者には容赦しないだろう。
デリフィスやルーアも、目的のため必要ならば、腕力を用いることもあるだろう。
シーパルには、それができない。
体格もそうだが、性格が争いや暴力を望まない。
だから、シーパルは声を出した。
「見ての通り、僕はヨゥロ族です! 一族になにがあったか、あなたは知りませんか!」
「ドーラ!」
少しヒステリックな声が、家の中から返ってきた。
「そいつ、ぶん殴って追い払って!」
「……え?」
ドーラというのが、大男の名前だろう。
追い払えとは、どういうことなのか。
「パウロは、僕の従兄弟です! あなたは、彼のことを知っていますね!? 彼は……彼は……」
自分に、嘘をついていた。
シーパルはそれに気付いた。
パウロがなぜ殺されなければならなかったか、なにを背負っていたのか、そして、なにをシーパルに託そうとしていたのか、こんなにも強く知りたいと思っているではないか。
「彼は、殺されました! お願いします! 知っていることを、教えてください!」
家の中からは、なにも反応はない。
「パナ」
ドーラが、その容姿とは不似合いな優しい声で呼び掛ける。
「薬の調合に、あとどれくらいかかる?」
「……三時間くらいかかるね」
「だったら、先に少しだけでいい。話をしてあげなさい」
「……」
沈黙。
「パナ」
再度、ドーラが呼び掛ける。
なにかを壁に叩き付ける音が、家の中からした。
「……わかったわよ」
ふて腐れたような声。
ヨゥロ族の女、パナが、拗ねた眼つきをして出てきた。
「……あんた、誰だい?」
「……あ、これは失礼しました。シーパルといいます。シーパル・ヨゥロ」
「シーパル……」
パナが、考え込むような顔をする。
表情が変わるたび、傷がまるで生き物のように動いた。
「ああ……名家のお坊ちゃんかい」
多分に皮肉を込めて、パナが言った。
名家、になるのだろうか。
従兄弟のパウロの父親は、族長だった。
シーパルは、その甥になる。
一族の中で暮らす間、あまり苦労はしてこなかった。
「で、そのお坊ちゃんがなんの用だい」
「……さっき言った通りです。ヨゥロ族になにがあったか、教えてもらえませんか? 僕は、一族を離れていたので、わからないんです」
「あたしも同じさ。ずっとここに暮らしている。だから、なにがあったかなんて知らない」
「ずっと、ここに……?」
「捨てられたんだよ。あたしは、ヨゥロ族を追放されたんだ」
「あ……!」
ヨゥロ族では、魔力が弱い者は追放される。
「みんな殺されたんだってね。ま、そうだろうよ」
「……どういうことですか?」
言い方が、なにかおかしいような気がした。
パナが表情をしかめる。
失言を認めるようなものだった。
おそらく、感情が高ぶったための失言。
「……パウロがしばらく前に、生き残りを求めて来たのさ。みんな殺されたって言ってた」
「……あなたはその前に、そうだろうよ、と言った。それは、殺されるのがわかっていた、と言っているように聞こえます」
「……」
「なにか知っているなら、教えてもらえませんか? あなただって、同じヨゥロ族でしょう? なにも思わないはずはない」
「……同じ、ヨゥロ族だって?」
パナが、歯軋りをした。
「なにも思わないはずがないって……?」
憎悪の瞳で睨みつけてくる。
「ああ、思ったさ! ざまみろってね! みんな死んで、清々したよ!」
「そんな……」
絶句してしまう。
「同じヨゥロ族なら、なんであたしは毎日、魔力がないってだけで、大勢から殴られて蹴られた!? なんで捨てられた!?」
パナは、眼に涙を浮かべていた。
「この顔の傷はね、崖から突き落とされてできたんだ! ……あたしだって、女だ。だから、言ったんだ! 懇願したんだ! 治してくれって! そしたら、あいつらは……!」
腕を振り上げた。
シーパルに殴り掛かろうとしたのかもしれない。
ドーラが毛むくじゃらな腕でそれを遮った。
「お前もヨゥロ族なら、自分の魔法で治せ、そう言って、嗤ったんだ!」
唾が飛ぶほど叫ばれて、シーパルは尻餅をつきそうになっていた。
知らなかった。
シーパルがなに不自由ない生活を送る陰で、そんな迫害があったのか。
追放された者たちは、みんな同じ扱いをされてきたのだろうか。
なにも、知らなかった。
「ヨゥロ族なんざ、いくら殺されようと、知ったことじゃないね! 二度と、あたしの前に現れるな!」
踵を返し家の中に入ると、叩き付けるように扉を閉ざした。
「……」
シーパルは、棒立ちになっていた。
殴られたような衝撃を、頭部に感じる。
「失敗したなぁ……」
ドーラが、髭を撫でながら呟いた。
「ヨゥロ族と会わせるのはまずいとわかってたんだが、君があまりにも必死だったからなぁ……」
「……僕のせいです。僕が無神経なことを言ったから……」
「妻は……」
「……妻?」
つい、聞き返してしまう。
パナは、二十歳くらいに見えた。
ドーラは、四十代だろう。
親と子ほども離れている。
ドーラは、咳払いをした。
「妻は、ああ見えて、根は優しい奴だ。気を悪くしないで欲しい」
「……はい」
「あいつは、十歳の時、捨てられた。顔の傷が化膿して、高熱を出して動けないあいつを、ヨゥロ族は置いていった」
「……」
「たまたま俺は、猟の途中で会ってなぁ。あいつは、熱にうなされながら、ずっと親を呼んでいたよ。でも結局、ヨゥロ族の誰も迎えにこなかった」
ドーラは、唇を震わせた。
「あいつは、心底ヨゥロ族を憎んでいる。ヨゥロ族であることを、嘆いている。髪の毛を絶対伸ばさない。俺が止めなかったら、剃るくらいだ。家には、鏡がない」
「……すみません」
「君が謝ることではない。謝られたくもない。ただ、もう来ないでくれ。随分時間がかかってしまったが、妻も笑えるようになったんだ」
ドーラが、巨体を縮めるようにして、家に入っていった。
シーパルは、顔を覆った。
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