正午二十分前

テラントが、空を眺めている。


薄暗く曇った空である。


太陽の位置を確認しているようだ。


「……今、鐘の音、聞こえたか?」


「聞こえたような気がする」


ティアは曖昧に頷いた。


「時間だな」


十一時四十分。


もう、時間がない。


「デリフィス、間に合わなかったね……」


「仕方ねえさ」


テラントと二人で、『塔』の近くの茂みに身を潜めていた。


待っている間、『塔』から誰かが出てくることはなかった。


戦力を集中させているのだろう。


そして、待ち受けている。


「行こうか」


立ち上がるテラントの横顔には、緊張の色が見えた。


「待って」


ティアは、太股に巻き付けた三本の短剣が収まったホルダーを外し、テラントに渡した。


「持ってて」


右腕がまともに動かない。


左手では、投擲の命中率が極端に下がる。


ティアは、今の状態で敵を倒せるとは思っていなかった。


それは、テラントに任せるしかない。


だから、武器を預ける。


テラントは、溜息をついて受け取った。


彼の太い太股や二の腕には、寸法が足りない。


左腕の前腕部に巻き付ける。


テラントが先に立ち、草木を掻き分けていった。


『塔』は、近くで見ると不気味で威圧的だった。


怖気がするような脈動がある。


見上げると、首の後ろが痛くなるような高さだった。


テラントは、『塔』よりもその周囲を気にしていた。


『塔』を取り巻くように、何本もの木が生えている。


樹齢何百年とかたっていそうな、いびつに幹が歪んだ巨木である。


「……なんか気になるの?」


「……高い所に上がる時はいつも、落ちた時のことも考える」


落ちた時に、助かる方法を捜しているのか。


テラントやデリフィス、それにルーアも、店に入った時などいつも、裏口や非常口を気にしていた。


繊細なところがある。


生き抜いていくためには、必要なことなのだろう。


「……この高さなら、問答無用だと思うよ」


「まあ、苦しむことなく死ねそうだな」


『塔』の入口には、扉などなかった。


壁に、ぽっかりと長方形の穴が開いている。


人の気配を感じないのだろう。


テラントが、怖じけづくこともなく入っていく。


ティアも続いた。


床も脈動している。


人の体を踏み付けているような感触で、気持ちが悪い。


壁に穴が空いているのに、なぜか風が入ってこない。


そして、空気が生暖かい。


最奥に扉が一枚あるだけである。


他に、目立つ物はない。


近付くと、勝手に扉が横に滑るように開いた。


狭い小部屋がある。


「リトイの説明通りだな。ここに入ると、屋上に出られるらしい」


テラントが、先に入る。


気味が悪いが、迷う時間はない。


ティアも小部屋へと入った。


扉が自動的に閉まり、胃の中が気になるような負荷が体に掛かる。


小部屋ごと動いているようだ。


(……いよいよね)


覚悟は決めてある。


右腕は、動かなかった。


この状態では、戦えない。


テラントに、敵を倒してもらうしかない。


そして、テラントが倒れたら終わりだった。


だから、ティアは自分の役割を決めた。


「テラント、あたしの後ろに」


扉が開いたら、魔法や飛び道具が向かってくるだろう。


それが、最も有効な攻撃手段だった。


ティアでも思い付くのだ。


『コミュニティ』の戦闘員が失念するとは思えない。


飛び道具は剣で叩き落とせても、魔法はそうはいかない。


狭い小部屋に、かわすだけのスペースはない。


テラントの、盾になる。


『塔』に向かう前から、決めていたことだ。


テラントを死なせることなく屋上に出すことができれば、勝つ可能性が残る。


「……女の子の陰に隠れないといけないとは、情けないねえ」


呻くように、テラントが言った。


彼としては、本意ではないだろう。


だが、戦うことができるのが、『塔』の起動を阻止して住民を守る可能性があるのが、自分自身だけだと理解もしている。


だから、ティアの役割をなんとか受け入れることができる。


喉がカラカラになり、背中や掌に汗が滲んだ。


覚悟を決めていても、体が小刻みに震えた。


必死で、ティアはそれを押し隠そうとした。


できるだけ、心が乱れている姿を、テラントに見せたくはない。


それが、彼の心を乱すことになる。


小部屋が、止まった。


扉が開く。


眼を閉じてはならない。


盾の役割を果たすため、飛んでくるものを、しっかりと見ないといけない。


わかっていても、眼をつぶってしまう。


なにも、衝撃はなかった。


テラントに、肩を軽く叩かれる。


「……あれ?」


押し出されるようにして、屋上に出た。


先制攻撃をされることはなかった。


覚悟を決めていただけに、拍子抜けしてしまう。


「……どういうつもりなんだかな」


テラントが警戒するように呟く。


屋上の中央に、横向きになっている巨大な円錐があった。


それを支える柱。


その元に、男たちが集っていた。


テラントと一緒に、円錐と支柱へと向かう。


男たちは、八人だった。


ダリアン、レオン、バラク、兵士が五人。


他に隠れている者はいないようだ。


屋上にあるのは、ティアたちが昇ってきた小部屋と、円錐くらいなものである。


壁も、落下防止の柵もない。


それなのに、風がない。


距離をおいて、立ち止まった。


「ようこそ」


ダリアン。いくらか憔悴しているように見える。


テラントは、魔法道具を抜いた。


光を伸ばす。


「ちゃんと向かい合ってから戦闘開始とは、随分優しいじゃないか」


「なぁに、どうせなら、一人でも多く見届けてもらおうと思ってな」


「……見届ける?」


「けど、二人だけか。しかも、ヒーロー役が不在とはね」


皮肉気に笑みを浮かべる。


ダリアンの眼に、ティアは寒気がした。


危険な目付き。


「見届けてもらおうとおもったんだけどなぁ……。俺の覚悟を、糞外道に堕ちる俺の姿を」


(まさか……!)


「レオン」


手を振る。


「起動させろ」


「なっ……!?」


ティアは、テラントと同時に呻いた。


バラクが、面白そうに口の端を上げる。


レオンは、眼を細めた。


「……いいのか?」


「ああ、いいぜ」


完全に、ダリアンの眼は据わっていた。


レオンが、支柱の傍らにある、四角い台を指で叩いていく。


「待って!」


ティアは声を張り上げていた。


「ルールでは、正午に起動のはずよ! まだ……」


「ああ、そのことだがな、お嬢ちゃん。悪いな……」


ダリアンの口から、乾いた笑いが洩れる。


「気付いちまったんだよ。ルールなんて、どうでもいいんだ。何十万の住民の命も、もちろんリトイも、あの女にとってはどうでもいい。ただ、『塔』が起動すればいい」


どこか、呆けた声。


「『塔』を起動しなければ、俺がどうなることやら……。上に行くためにも、やるしかないだろ……」


円錐が、細かく振動する。


はっきりと、ヴァトムの街の方を向いていた。


空間が軋み、頭が痛くなるような異音が響く。


魔力が視えるわけではないが、円錐になにかしらの力が集中していることは、肌でわかる。


テラントが、左手に魔法道具を持ち替え、右手を一閃させた。


短剣を、レオンを狙って投じたのだ。


だが、ダリアンに剣で叩き落とされる。


テラントが、まるで火薬が破裂したような音をたてて床を蹴った。


前に出ていた兵士の一人を、雄叫びを上げて斬り飛ばす。


「ファイアー・ウォール!」


バラクの声。


炎が吹き上がり、テラントの行く先を遮った。


(まずい!)


ティアも、当然見ているだけではなかった。


炎の壁を避けて、回り込むように移動している。


だが、『塔』はもう起動していないか。


今からでも止められるのか。


炎が視界から切れ、円錐が再び全容を見せた。


「……え?」


足を止めてしまった。


円錐の向きが変わっている。


円錐の先。


それが、ティアの方へ向いている。


「……なんで?」


その威圧的な姿に、よろけてしまう。


その分、異音を撒き散らしながら円錐の向きも変わる。


ティアを、しっかりと捉えて。


得意気に話すユファレートの顔が、脳裏に浮かんだ。


以前、ヴァトムに訪れた時に強制的に受けた『塔』の説明。


強大すぎる力。


開発した旧人類でさえ、発動させてしまったら制御不能。


効果範囲は固定。


ヴァトムとジロの街は壊滅する。


なぜそれが、ティアを狙うのか。


背後には街はない。


沃地が広がっている。


みなが、動きを止めて唖然としていた。


起動させたはずのレオンも、ぽかんと口を開けている。


円錐の先が、歪んで見えた。


放熱しているのだろうか。


円錐から、力が放出されるのがわかる。


そして、ティアの体を貫いた。


いや、潜り込んだ。


声にならない悲鳴をティアは上げた。


痛い。


なにかが、体内で暴れている。


肌の下で、肉を、内臓を喰い破っている。


そんな痛み。


「……っ! ……はっ! あぅ……!」


砕けてしまうほど、ティアは歯を喰いしばり、床を転がった。


痛みで意識を失い、すぐに痛みで意識を取り戻す。


それを何度も繰り返した。


おそらく、痛みがあるのは短い時間だったのだろう。


長時間だったら、間違いなく発狂している。


唐突に痛みは消失した。


その後、ティアに襲い掛かってきたのは、どうしようもない脱力感だった。


濁った意識の中で、声が聞こえる。


誰がなにを喋っているのかわからない。


今、聞いている言葉かもわからない。


「ティア!」

「なにがあった?」

「……わからん。『塔』は正常に起動したはず」

「起動しなかった? 誤作動?」

「『塔』の力が消失した?」

「魔法を無効化する能力?」

「まさか、そんな力が」

「『塔』の力はね、人の肉体だけを消失させるの」

「せめて軍人として埋める」

「魔法が効かないだと?」

「あの野郎だけは、何がなんでも、俺が絶対ぶっ潰す」

「そんな力があるのか?」

「レオン、試してみろ」

「ランディの代わりに、なってくれんのかよ!?」


怒鳴られたような気がして、はっと眼を開いた。


誰かが、手を向けている。


名前は出てこない。


衝撃が、体を撃った。


また床を転がる。


ティアは咳き込んだ。


(いったいなぁ……)


また、声。


「魔法が効かないわけではないぞ」

「だが、さっきは」

「連れて帰るか。導師に、いい土産になるかもしれん」

「殺してしまえばいい」

「もう少し考えろバラク」


男たちが、近付いてくる。


そして。


「……フレア・スティング!」


その声は、力強く響き渡った。


炎の塊が、視界の中で激しく爆ぜている。


(……魔法? ……ユファ?)


炎の前に、人影。


背中。黒いジャケット。


腰まで達しそうな長い赤毛。


ああ、来たんだ。


ぼろぼろなくせに。


後ろ姿だ。


顔は見えない。


けど、怒っているような雰囲気が伝わってくる。


もしかしたら、あたしがやられたことで、怒ってくれているのかな。


だとしたら、ちょっとだけ嬉しいかも。


ヒーロー役は似合わない。


そんなこと言ってたっけ。


(……そうでもないじゃない)


すごく眠たいような気がする。


これ以上抗えそうになかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


テラントは、魔法の衝撃波で吹き飛ばされたティアの元に向かった。


『塔』屋上の端の位置である。


危うく転落するところだった。


ティアの元には、デリフィスとルーアがいた。


間に合ってくれたと言うべきか、間に合わなかったと言うべきか。


デリフィスが、視線だけでなにがあったか問い掛けてくる。


「わからん」


テラントは、頭を横に振った。


「『塔』が起動した。それが、ティアに当たった。そして、消えた。俺にはそう見えたな」


正確なところは、全くわからない。


『塔』の力は、不可視に近かった。


だが、発射台らしき円錐は、ティアの方を向いていた。


今は、街の方を向いている。


「ティアが?」


「消したように見えた。けど、わからん。何百年ぶりの起動なんだろ。ぶっ壊れてたのかもな。まあ、あとでユファレートに聞いてみな」


『塔』の力は、何十万人を消失させる力だという。


そんな力を打ち消すことなど、できるのだろうか。


ユファレートなら、嬉々として調べるだろう。


ルーアが、ティアの頭の横に膝をつき、首筋に触れた。


「……呼吸はしている。脈もある。頭を打った様子もない」


テラントは、おや、と思った。


なんとなく、ルーアの雰囲気がいつもと違う。


うまく説明できないが。


「大丈夫だと思うが、念のため回復させる。だから……」


ルーアが放った炎が消えた。


ダリアンたちの姿。


「あいつら、任せるわ」


「ふうん……」


やはり、なにかが変わった。


そして、その変化は悪くない。


「まあ、できるだけな」


デリフィスと、並んで立つ。


『塔』は止まった、のだろう。


最大の目的は果たしたと言える。


ダリアンたち次第で戦闘は避けられるが、逃がすつもりはなさそうだ。


ティアに、興味があるようだ。


そして元々、ルーアを敵としていた。


「ダリアンというのは、あいつか?」


デリフィスが、その厚い剣の先を、狐顔の男に向けた。


「みたいだな」


ティアから、ある程度の特徴は聞いている。


狐顔の剣士がダリアン。


腕から枝を生やす『悪魔憑き』がレオン。


全身が水のような『悪魔憑き』がバラク。


デリフィスは、どうせダリアンと戦いたがるだろう。


「じゃあ、行くか!」


二人で同時に駆け出した。


デリフィスはやはり、ダリアンへと向かっていく。


立ち向かう兵士は、すぐに剣で叩き伏せた。


ダリアンが構えた。


デリフィスが肉薄する。


そこで視界が遮られた。


レオンの前腕から伸びる枝である。


テラントの相手をすることを望んでいるようだ。


前回の対戦で、自信を与えてしまったか。


たしかに、テラントやデリフィスにとっては分が悪い相手だった。


逆に、ユファレートやシーパルにとっては、相性が良い敵となる。


彼らの強力かつ精密な魔法ならば、枝の百本など簡単に吹き散らすことができるだろう。


(……まあ、やるしかねえか)


なんとかして接近するしかない。


枝が拡がる。


「そう言えば、自己紹介を忘れていたな」


「名前はレオン。趣味は生け花、盆栽、ガーデニング。趣味が高じて、体から枝が生えるようになった、だったか?」


「……」


言いたい放題言ってみるが、レオンに冷静さを失う様子はない。


テラントは、左手でも剣を抜いた。


両手に、剣を構える。


枝が、一斉に動いた。


それを、二本の剣でさばいていく。


枝の動きは、先程の戦闘で何度も見た。


眼と体が覚えている。


枝を斬り落とされてから、再び伸びるまでの一瞬の空白。


そこを突いて、テラントは間合いを詰めた。


「……?」


嫌な予感がした。


巨大な獣の口の中へと入り込んだような錯覚。


無数の枝の先に、光が点る。


「しまっ……!?」


魔法を、枝先から放てるのか。


すぐに身を翻す。


至近距離から、数条もの光線がテラントを襲った。


それをかわし、あるいは光の剣で弾きながら、テラントは間合いを取った。


だが、脇腹に痛みが走る。


光線が、一本だけそこを貫いたのだ。


「……かすっただけか? それとも、深手か?」


レオンが、探るように聞いてくる。


急所は外れた。


だが、浅くはない。


幸いなのは、熱で灼き切られたため、出血がそれほどではないことか。


視界の隅で、光が走った。


ルーアに迫った兵士三人が、電撃で焦げつき崩れる。


ルーアは、ティアの側から離れていない。


膝をつき、背を向けたままである。


意識が研ぎ澄まされているというよりは、冴え渡っているという感じだった。


ルーアへと、バラクが悠々と近付いていく。


さすがに、『悪魔憑き』の相手は厳しいだろう。


早目に援護に向かう必要がある。


「仲間の身を案ずるとは、まだまだ余裕だな」


枝を、自分の体の前に展開していくレオン。


その姿が、隠れる。


テラントは、少し血の味がする唾を吐き捨てた。


枝だろうが魔法だろうが、どのみち接近するしかない。


枝はともかく、魔法は有限だろう。


これまでの戦闘で、レオンも魔力を消費しているはずだ。


床を蹴る。


再び、枝を斬り落としていった。


密度が薄くなった枝の壁の向こう、僅かにレオンの顔が見える。


そこへ、剣を投げ付けた。


かなりの枝が戻り、剣を遮る。


その間に、テラントは接近した。


光の剣で斬りつけるが、枝が多過ぎて届かない。


防御に使っていない枝の先が、テラントの方を向く。


懐に、呼び込まれたことになるのか。


咄嗟に、足を出した。


レオンの左膝を蹴り抜く。


「ぬおっ!?」


体勢を崩すレオン。


テラントは、後方へ跳躍した。


枝をかわしながら、下がっていく。


先に倒した兵士の手から剣を奪い、また両手に構えた。


(……なんだ?)


訝しく思う。


妙に簡単に接近できた。


こちらが攻撃を仕掛けると、必要以上の枝を防御に回す。


防御重視の考え方なのだろう。


慎重というか臆病というか。


(付け入る隙がある、か?)


試してみる価値は、あるかもしれない。


左膝の皿が割れるくらいはしただろう。


レオンは、数本の枝で体重を支えていた。


機動力を削ぐことはできた。


次は、頭蓋を断ち割ってやる。


テラントは、魔法道具を仕舞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る