折れた剣

ホルン王国に仕えるようになって、何年が過ぎたか。


ヴァトム領主カタ・レステを捕らえるよう、命令された。


面倒なことだ、とリトイは思った。


国家に忠実に仕えよ。

『コミュニティ』の指示である。


副将軍の地位にいたリトイは、一軍を率いてヴァトムへと急行した。


領主カタは、明らかに必要以上の税を民から絞り取り、私腹を肥やしていた。


民の訴えが、王の耳に届いたらしい。


カタは抵抗したが、相手ではなかった。


兵士からも嫌われていた。


片や、王の命を受けた軍である。


士気が違った。


カタを捕らえ領主の館を出ると、歓声が上がった。


どうやら、リトイに向けられているらしい。


べつに、民の窮状を見兼ねたわけではない。


王の命令があったから。


ただ、それだけ。


それなのに、英雄を迎えるような騒ぎである。


あとは、カタを王都へ連行する仕事が残っている。


さっさと終わらせたかった。


長期戦となる可能性を想定して、かなりの食料を準備したが、迅速に移動するには邪魔になる。


廃棄するのも勿体ないので、民に配った。


王都へ帰還中、王の命令が届いた。


耳を疑った。


ヴァトムへ引き返し、その地を治めよ、と言うのだ。


ヴァトムの領主になりたがる者は、誰もいなかった。


生粋の軍人は、より最前線のジロへの赴任を望む。


王都から遠く離れているため、貴族からも敬遠されていた。


だからといって、副将軍でしかない者を領主にするなど、普通はありえないが。


あるいは、『コミュニティ』の働き掛けがあったのかもしれない。


国家に忠実に仕えよ。

組織からの指示がある以上、断ることもできない。


組織が望んでいる節もある。


ヴァトムに到着したリトイを、民は紙吹雪を撒き迎えた。


カタを捕らえたことで、勝手に好感を持たれている。


愚かな民だ。街を散らかして、余計な仕事が増えるだけではないか。


リトイは、困り果てた。


戦闘しかできない。


相手の肉を、骨を、剣で叩き割るしか能がない。


そんな男が、領主だと?


自分では、領主としてなにをすればいいのかわからない。


だから、前領主のカタの行いを細かく調べた。


カタは、悪い領主だったといえよう。


その反対のことをすればいいのではないか。


ジロと比較すると、民の平均寿命が十年以上短かった。


街は不衛生で、治安が悪い。


病院が少なく、医者も不足していた。


資金だけは、潤沢にあった。


カタが、あらゆる名目で、民から絞り上げたものである。


まず、軍と警察を細分化し、街の治安に当たらせた。


美化活動も推進させた。


病院を建て、医者を呼び集めた。


学校に通っていない子供が多い。


家が貧しく、幼いうちから働かされていた。


そういった家庭は、一年間の税と学費を免除し、半ば強制的に子供を学校に通わせた。


余った土地を開拓していった。


水路を通した。


道を整え、交通の便を良くした。


街灯を立てていった。


なにをしているのだ、私は。


自問してみる。


『コミュニティ』の戦闘員が、人を斬り続け、剣鬼とまで呼ばれた男が。


こんな領主の真似事を。


滑稽だった。


住民たちが、笑顔を向けてくる。


愚かなことだ。


リトイ・ハーリペットという男の本質を、知りもせず。


組織の命に従い、どれだけの罪のない者を殺してきたか。


子供たちが、リトイを見ると手を振ってくる。


本当に、愚かだ。


民など、どうでもいい。


組織の命令があるから、いい領主として振る舞っているだけだというのに。


誕生日に、館に花が届けられるようになった。


館に飾りきれないほどの量である。


愚かな民だ。


血で汚れたこの体に、花など似合うものか。


本当に、愚かだ。


救いようもないほどに……。


そして、いつしかリトイは。


人を斬ることが、できなくなった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「最も愚かなのは、私だ……。私のような男が、安寧と平穏を、民の中に求めてしまった……。そんな資格など、ありはしないのに……」


リトイの独白のような呟きを、その十年間の歴史をルーアは黙って聞いていた。


デリフィスも、ユファレートも、ワッツ夫人たちも、誰ひとり言葉を発さなかった。


「民の不幸は、全て私のせいだ。私が、今回の件を招き寄せた。だから、私の手で決着をつけよう」


大きな手を、握り拳の形にする。


「私は、また剣鬼に戻る。そして、今度こそダリアンや『悪魔憑き』を斬り、『塔』の起動を阻止する」


決意を固めた眼。


部下を連れていくことはできないだろう。


軍で『塔』を包囲したら、ダリアンはまず確実に『塔』を起動させる。


どうせ殺されるのならば、住民を道連れにするだろう。


リトイだけが、ルーアたちについてくる。


たとえ一人でも、リトイは『塔』に向かうだろう。


断固たる意思を感じる。


無謀だが、人のことは言えない。


だが。


「それは、『コミュニティ』の望み通りの展開になるな」


リトイを、殺す口実ができる。


リトイが勝ったとしても、直ぐに次の刺客がくるだろう。


たとえば、ソフィア。


そして、みせしめにヴァトムの住民にも害を与える。


リトイがダリアンたちを斬っても、なにも進展はしない。


時間稼ぎにしかならない。


そして、ルーアには気になることがあった。


それは、リトイが過ごした十年という年月。


右手。


人差し指と中指の中手骨の間に、穴が空いたはずだが、それは塞がっていた。


さすがに、痛みは残っている。


左腕の痛みに比べたら、微々たるものだが。


痛みを払うように、ルーアは右手を振った。


そして貫手にして、リトイの顔目掛けて翻す。


女性陣が息を呑むのがわかる。


指が、リトイの眼球に到達する前に止めた。


「……十年、か」


リトイは、急所を狙われても、的確な対応ができなかった。


体を硬直させただけである。


デリフィス相手に同様のことをしたら、腕を斬り飛ばされるだろう。


ルーアは、手を引っ込めた。


「剣が錆び付くには、充分な時間だな」


「私は……」


「錆び付いたあんたが『塔』に行っても、なんの役にも立ちゃしねえよ」


リトイは、両膝をついた。


「……私は、なにもできないのか? 全て私の責任だというのに……」


肩を震わせる。


「私の存在が、民を苦しめているというのに……。民の不幸は、私のせいだというのに……」


「……領主様」


宿屋の女主人と、ワッツ夫人だった。


「組織や戦闘員と言われても、あたしたちにはピンときません。だから、領主様の過去も、よく理解できていないと思います。けど、領主様がヴァトムで十年間行われてきたことは、存じております」


「しがない旅の医者に過ぎなかった私たち夫婦が、この街で診療所を開いているのは、領主様が頭を下げて、民のために、とおっしゃったからです」


「子供たちが、今では当たり前に学校に通えるようになりました。女子供が、一人で出歩くことができる街に、領主様がしてくれました」


「今の民の不幸が領主様のせいだというのなら、これまでの民の幸福は、あなたが領主だったからではないでしょうか」


交互に、言葉を掛けていく。


リトイの肩の震えが、大きくなった。


呻きのようなものが聞こえる。


「あんたは、もう戦闘員でも剣鬼でもねえよ。ただの領主だ」


馬車の準備ができた。


小型で、二頭立ての馬車である。


速度はかなりでるだろう。


デリフィスに続いて、ルーアも馬車に足を掛けた。


「だったら、領主として、為政者として、やるべきことをやれ」


「私の、やるべきこと……」


「決まってる。まだ街には、逃げ遅れている人がたくさんいるんだろ? そいつらを、正午まで一人でも多く避難させろよ」


軍も警察も、リトイが掌握している。


リトイが、最も効率良く住民を避難させられるのだ。


「ま、もっとも」


ルーアは、肩をすくませた。


左腕は動かせないので、右肩だけである。


「俺たちが、ぱぱっとダリアンを片付けて『塔』の起動を防ぐから、無駄骨になるんだけどな」


リトイが、顔を上げる。


ルーアも、馬車に乗り込んだ。


車輪が回り出す。


十一時の鐘が鳴った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


一人でも多く。


リトイが考えていることは、それだった。


これまでの、軍や警察の訓練は、彼らに求めた規律は、全て今この時のためだったような気がする。


三人一組にして、まだ街に残る住民を避難させる。


あちこちで、混乱が起きていた。


我先にと避難しようとする住民が、他の者を踏み台のようにして門を目指す。


一度たがが外れたら、暴動のような騒ぎになるだろう。


混乱が大きい所には、リトイが向かい一喝した。


馬上で、毅然とした姿を見せる。


真実はどうであれ、民衆の心にあるリトイは、頼れる立派な領主様だろう。


動じない様子を見せてやることで、みなに落ち着きを与えられる。


十一時四十分を告げる鐘が響いた。


普段は、そんな半端な時間には鳴らない。


テラント・エセンツに頼まれたのである。


『塔』の近くにいる彼らに、聞こえたのだろうか。


また、騒動が起きた。


大型の馬車が、斜めになっている。


リトイは、馬を駆けさせた。


単騎だった。


護衛たちにも、それぞれ民の避難を補助するよう命を出してある。


地震で脆くなった所に、車輪が挟まったらしい。


溝に落ちたようなものだ。


公共交通用の馬車だった。


御者と客たちが、車輪を浮かせるために馬車を持ち上げようと躍起になっている。


「門は近い。馬車は捨てよ」


リトイは、大声を上げた。


民たちが、弾かれたように馬上のリトイを見上げる。


「自らの足で駆けよ。ただし、慌てるな」


民たちを走らせる。


駆け付けた兵士たちに、客の老人を預けた。


馬車の中で、小さくなって震えている、男の子供がいる。


まだ五、六歳に見えた。


幼いなりに、事態が呑み込めているのだろう。


親はどうしたのか。


先に逃げたのか、はぐれたのか。


リトイは手を差し出した。


握り返してくる手を掴み、抱き上げて馬車を出る。


いきなり、地面が揺れた。


(地震!?)


なにかが、違う。


地面だけでなく、空気も震えているのだ。


まるで、大気が意思を持ってうねっているかのようである。


(『壁』が、振動している……?)


リトイは、それに気付いた。


『ヴァトムの壁』が、甲高い音を鳴らしながら、振動している。


『壁』は、『塔』へと力を送る装置である。


それはつまり。


「『塔』が、起動しようとしている……?」


ルーアたちは、敗れてしまったのか。


視界が薄暗くなった。


すぐ側に、瓦礫が落ちる。


見上げた。二階建ての家。


元々、一昨日の地震で、建物に亀裂くらい入っていたのだろう。


それが、『壁』の振動による揺れで崩れようとしている。


男の子を抱えて、リトイは駆け出した。


瓦礫が落ちてくる。


頭上から降ってくるというよりも、背後から追ってくるという感じだった。


間に合わない。


それを、肌で感じる。


諦めてたまるか。


私は領主なのだ。


民のために、最後まで足掻く。もう迷わない。


叫びたくなるような思いだった。


リトイは、男の子を放り投げた。


のしかかってくる物がある。


リトイは、地面に叩きつけられた。


口の中を切ったか、血の味がする。


体を動かせなかった。


首の上。右肩から先。

それ以外には、瓦礫が乗っているようだ。


体を動かせない。


瓦礫が乗っていない右腕もだ。


痛くはない。ただ重い。


それも、感じなくなってきた。


視界が暗い。


(……呆気ないものだな)


死神の鎌ではない。ダリアンの剣でもない。古代兵器の力でもない。


こんな終わり方か。


呆気ないものだ。


『塔』はどうなった。


地面も、空気も振動していないような気がする。


体の感覚がないから、よくわからない。


『塔』は、止まったのだろうか。


民はどうなった。


あの男の子は。


誰かが、近くにいる。


「無事か? 怪我はないか?」


聞いた。声になったかはわからない。


視界が、明るくなった。


あの男の子だ。


泣きじゃくっている。


外傷はないようだ。


良かった。


最後に視界に映るものとしては、上等ではないか。


無事な、民の姿。


視界が、また暗くなった。

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